自分の人生、どう生きるかは自分で決めることができる

一人一人「こういう人生を生きる」と決めて生まれてきてるとも言います。

『アガスティアの葉』というのを聞いたことがありますか?

紀元前3000年頃のインドに実在したとされる聖者アガスティアが残した、全人類の運命が記されている葉のことだ。それには、誰と誰の間に子どもとして生まれ、兄弟は何人。何歳で結婚し、何歳で子どもを産む。というようなことが、名前や生まれた場所まで細かく記されていると聞いたことがあります。

どうも、一人一人、「人生の目的」を持ち、「魂のシナリオ」を持って生まれてきているようだと。

スピリチュアルな話のようですが、体内記憶を持った子供たちの話の中でも、やっぱり、同じように、自分でそういう人生を生きると決めて生れてきた、という話もありますから、あながちウソでもないと思うのです。

自分の人生を生きるというのは、そういうことではないでしょうか。

運命と宿命

運命と宿命は、同じような使われ方をされることも多いように思います。

でも、「運命」は運ぶ命、「宿命」は宿る命と書きます。

生まれるときに宿っていることを宿命と言います。

私で言うと、

日本に生まれたこと。

女に生まれたこと。

末っ子として生まれたこと。

自分では変えることができない、そういう私として生まれたことです。

一方、運命は運ぶ命です。自分の力で運び、動かすことが可能です。

川の流れがあなたの宿命だとして、ある程度流れは決まっています。でも、流れの強い急流を下るか、緩やかな流れを選んで下るか、あちこち寄り道しながら川を下るかはあなたが選ぶことができます。

でも、川の流れそのものに逆らっても、逆らえるものではありません。

世の中には、これでもかというくらい、不遇な人生を歩んできた人がいます。

虐待を受けて育った人や、親が早くに亡くなって、親の愛を知らずに育った子。いつも両親のけんかする声を聞いて育ってきた子。いろんな人がいます。

でも、そういうつらい状況を生きてきた人でも、逆境をばねに力強く生きている人もいます。

実際、主人も、高校生の時にお父さんが借金の保証人になり、多額の借金をかかえたり、従業員が使い込んで不渡り出して、借金取りがうちに来るようになったとか、夜逃げした後自己破産したとか、知人の家の倉庫でお世話になりながらなんとか暮らしてきたといいます。その後、お父さんは病気で主人の目の前で亡くなってしまいました。

その後も、主人は大人になって一回目に就職した先では地獄の特訓があったり、転職した二回目の職場ではパワハラを受けてきました。

でも、不思議と、主人はそんな人生でも、辛い苦難の人生だったとは言わないんですよね。

なんでだろう?って思うわけです。普通だったら、こんな辛いことがあって、苦しいことがあって、借金取りに脅かされるような怖い目にも合って、パワハラにもうけて、自分の人生なんて辛い人生だったんだと自分の人生を恨み、借金作った人を恨み、パワハラしてきた上司を恨んでもおかしくない人生だと思うのに。

主人がいつも言うのは、「それでも、助けてくれる人が周りにいたからだ」と言います。

それは、例えば、主人がそういう辛い人生を歩むことを選んできたのだということが宿命だったとして、でも、そういう人生を恨んで生きるか、それでも助けの手を差し伸べてくれた人に感謝して生きるかは、自分が選んできた運命なのではないだろうかと思うのです。

どんな人生を生きるかは自分で決めることができる

主人の場合、私にはわかりませんが、もしかしたら感謝を感じるために、こういう人生を選んで生まれてきたのかもしれないですよね。

「人生の目的」が「感謝を感じること」であるとするなら、それに気づいて、感謝し始めることで、辛い出来事はそこで目的を果たしたと言えるのではないでしょうか。

もしそこで感謝を感じないで恨みつらみで生きてきたなら、まだ、人生の目的に気づかないのかと言わんばかりに、これでもかというほどつらい出来事が起こっていたかもしれません。

でも、「感謝」してきたからこそ、今、「本当に、ありがたいよね~」っていう出来事がいっぱいある気がします。

そして今、主人は、感謝で生きることを伝える運命を持っているのかもしれません。

自分が選択してきた生き方で、目の前に起こる現実が変わってくるのかもしれないな~と思うのです。

困難があったとき、自分はそこから何を学ぶ必要があるんだろうか?って、ちょっと考えてみる癖をつけてみるのもいいかもしれません。

もちろん、辛いことがあったら逃げてもいい。でも、逃げてばかりいても、逃げた先で同じようなことが起こることもある。そんなとき、自分はこの出来事から何を学んだか?または学んでないかに気づくことが大事なのかもしれないと思っています。

でも、正直、そういうことに気づくのは、その出来事が過ぎ去ったかなり後だったりもします。今思えばあの出来事は・・・みたいなこともあります。

簡単に気づくことができないから辛いのかもしれませんが、一つ言えるのは、必ず乗り越えられる波しかやってこないということです。そして、学んだら、辛いことはそこで終わり、次のステージに行けるのではないだろうかと思うのです。

体内記憶を持った子ども達

『自分をえらんで生まれてきたよ』といういんやくりお君の本があります。

りお君は体内記憶を持って生まれた子どもで、生まれながらに病気を持って生まれてきました。そのりお君が4歳から9歳までの間にお話ししたことをお母さんが聞き取って本にしたものです。

その中で、りお君はこんな風に語っています。

「ぼくは病気を選んで生まれてきた。

希望を持って 生まれてきた。

心を感じることで 勇気がでる。

それがつまり、

希望のことなんだ。」

「ぼくは病気で生まれたのは

ずっとずっと幸せになるためなんだ」

「ぼくが病気で生まれたのは

病気で生まれた子や お母さんたちを

励ますためだよ。」

そんなお話をしたのは9歳の時。

そんな風に、体内記憶どころか、生まれる前の記憶を持って生まれてきている子供がけっこういるらしいのです。

人生の目的を、みんなそれぞれ持って生まれてくるのだけれど、生まれてくる時に忘れてしまう人がほとんどで、でも、いつかそれに気づいていくようにできているようです。

「ぼくはどの人についても同じことを言う。

それは、人は、大切なことを知るために地球に来た、ということ」

そんな話も、りお君はしています。

自分の人生のシナリオは自分で書く

あなたという人生劇場があったとして、

第1ステージは起。序章。物語の始まり。どんな境遇で生まれ、どんな両親のもとに生まれてきたのか。

第2ステージは承。事件や逆境、苦難など、様々な出来事が起こる。

第3ステージは転。ステージ②の事件から何かを学んだり、ヒントを得てたり、もしくは、キーマン(カギを握る人物)に出会い物語が変化します。

第4ステージは結。最終的な結末。

そう考えたとき、自分は今、どのステージにいるのだろうかと考えて、ドラマを見ているようにちょっと楽しんで自分の人生を眺めてみてください。

そしたら、この先のステージで、どんな物語だと面白いだろうか?

どんな結末だったらいいだろうか?

これからの人生を自由に想像してみてください。

コツは、ラストから考えること。

幸せなラストの主人公の気持ちを感じてください。浸ってください。

どんな結末を迎えたいかを考えると、そうなるまでに、どんな出来事があったらそのすばらしいラストの物語へと続くことができるのか。そこを想像してみましょう。

お話を書くように、自分の人生劇場を自由に作ってみるといいと思います。

ノートに書いてみるといいです。

これは、なかなか楽しい作業です。ワクワクする作業です。

壮大な映画の一番見ごたえのあるシーンを、どう描くか。

そうすると、実は、②で起きた事件が、必然だったことに気が付きます。

②の事件があったからこそ、すばらしいラストが飾れる。

ああ、いろんなことがあったけど、本当に楽しい人生だったと言えるように。

あんな出来事があったけど、そのおかげでこんな人に出会えた。こんなことに気づいた。だから、こんな人生が歩めて、私は幸せだった。

そう言えるような物語を描いてみてください。

そんな遠い未来なんて、想い描くことができない、っていう人は、とりあえず1年後、どうなっていたいかという短い物語を描いてみるのもおすすめします。

実は私も、1年ごとにそうやって物語を描いてきました。

1年後、そうやって描いた物語を見返してみると、物語通りになっていなくても、1年後に感じる気持ちは、だいたい想い描いていた気持ちです。

もうすぐ令和元年が終わります。

こういうタイミングで、次のステージや、1年後の自分を想い描いてみるのもいいと思います。

ちなみに、わたしは、フューチャーマッピングというものを描いています。

 

ちなみに今日は私の誕生日。

主人がお昼ご飯を作ってくれました。

晩御飯は主人と娘が作る約束をしています。

本当にありがたいです。感謝です。

 

 

 

 

 

 

いのちの使い方


Warning: Array to string conversion in /home/sattyann/happychildrentowada.jp/public_html/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 701

アフガニスタンで医師でありながら、現地の人とともに水路を作り、農業支援をしてきた中村哲さんが亡くなりました。とても残念なことです。

「平和を取り戻すためには水が必要」と、土木工学を独学で学び、自分たちの手で補修できるようにと、あえて人力による工法で砂漠まで長い長い年月をかけて水路を引きました。そして、さらに下流に村を作り、用水路の管理、補修、治水をその村の人々に託しました。

武器ではなく、つるはしでアフガニスタン人の暮らしを立て直すことに挑戦し続けました。

2008年に伊藤和也さんが銃撃されてなくなったのを機に、日本人スタッフの現地入りを制限し、一人、用水路づくりの指揮を執るため現場に立ち続けた中村さんの言葉をかみしめます。

「決して戦車や武器では解決しない」「必要なのは、水と食料だ」と中村さんは生前話していました。

「緑が戻ってきたのでここに一族で戻ってきます。お腹いっぱいになれば、みんな、戦争のことなど考えませんよ」そう話すアフガニスタンの人の言葉が心に残ります。

本当の平和とは、こういうことではないでしょうか。

武力では平和は手に入れられない。必要なのは水と、食料、そして緑の大地です。

いのちの天秤

先日、小学校でのお話し会で、楽しいお話しの後に、日野原重明さんの「明日をつくる十歳のきみへ~103歳のわたしから」という本の紹介をしました。

日野原さんは105歳で亡くなっていますが、103歳の時に出した本です。

いのちの授業でいつも子どもたちに伝えるのは、「いのちは、自分が使える時間」であるということ。

子どものうちは、自分の時間は自分のために使っていいのです。ご飯を食べるのは自分の体のためだし、勉強するのは、自分の頭のため。

でも、成長して大人になった時、自分の時間を、自分のためだけでなく、人のためにも使ってほしいと日野原さんは言います。

そして、10歳の君たちには、二つのことを知っておいて欲しい。

1つは「ゆるしの心を持つこと」と、
二つ目は「大人になったら、自分の時間を人のために使うこと」だと。

世界中で戦争はある、平和なはずの日本では自殺者が後を絶たない。学校や会社ではいじめがあり、どこかで争いごとが起こっている。

でも、この二つのことをできる人が増えたなら、世界から戦争はなくなるんじゃないかと言っています。

アフガニスタンで亡くなった中村さんも、2008年に日本人スタッフの伊藤和也さんが銃撃されてなくなった時に、こんなコメントをしていました。

「憤りと悲しみを友好と平和への意志に変え、今後も力を尽くすことを誓う」と。

まさに、「ゆるしの心を持つこと」と、「人のために自分の時間を使うこと」を全力でされてきた方だと思います。

争いは憎しみしか生まない。ゆるしは世界を動かす力がある、そう思います。中村さんは残念ながら志半ばで旅立たれましたが、その志は、多くの人の心に深く残っています。そういうやり方に、平和への道はつながっているのだと。

そして、日野原さんのお話しの中に、もう一つ、いのちの天秤のお話がありました。

日野原さん、子どもの頃に、お寺の住職さんなどに、閻魔様のお話を聞いていたそうです。

人は死ぬと、閻魔様の前に立たされます。その時、閻魔様に聞かれます。

「あなたは生きている間、自分のために使った時間が多いですか?人のために使った時間が多いですか?」と。

そして、時間を天秤にかけられるんだそうです。

自分のための時間が多い人は、そのまま地獄に落とされる、そんなお話しだったそうです。

日野原さんも、子ども心に、自分の時間を自分のためにばっかり時間を使っちゃいけないんだと思ったそうです。

日野原さんは、こんなことも言っています。

人のために科学の力を使ってほしいと。

科学を、戦争のための武器のために使うのではなく、人を助けるためのロボットを作ったり、人の助けになるために使ってほしいと。

3,4年生の子どもたちに、そんなお話をしてきました。お話しした子たちの中にもものづくりが好きな子たちが、たくさんいました。

この中から、そういう人の役に立つものを作る人が出てくれたらいいな~と思います。

皆さんのいのちの天秤は、どちらに傾いているでしょうか?

故郷で家族と毎日3度のメシを食べること

アフガニスタンで活動していた中村さん、初めは医師として医療活動をしていました。

人の命を助けるのが医師の務めなのに、大干ばつが起きたとき、救えなかった命がたくさんありました。

飢えによって亡くなったというよりも、水がないことで、不衛生な水を飲んで、赤痢や下痢によって亡くなっていったと言います。

何よりも、水と食料が必要なのだと、聴診器を置き、つるはしを片手に水路を作り、農地を作ることに尽力したのです。

現地の方々の願いは、『故郷で家族と毎日三度のメシを食べること』。

その願いは、世界に共通しているのかもしれない。

私達だって、そうじゃないでしょうか?

そういうひと時が、どれほど幸せなことでしょう。

中村さんが水路を作るにあたり、『自然をねじ伏せることではなく、自然とケンカしないこと』として、柳工法や蛇篭工法といった、昔ながらの日本の石積み工法や、江戸時代の技術としての斜め堰などを取り入れ、壊れても、現地の人が、自分たちの力で補修できるようにと考えられてあります。

自然にはあらがえない。だからこそ、自然と折り合いをつけて生きていく。そういう生き方も示してくれています。

 

争うよりも許すこと。

力でねじ伏せるより共存すること。

武器を持つより、信じあうこと。

それが、中村哲さんの生き方でもあり、日本人としての私たちの生き方なのではないでしょうか。

あらためて、いのちの使い方を考えさせられた、そんな出来事でした。

中村哲さんのご冥福をお祈りいたします。

最後に、ある記事の中にあった中村哲さんの言葉を添えたいと思います。

中村哲さんの言葉

「医師として1人1人を救うことは大いなる喜びだった。でも、灌漑事業で数千人を一気に助けられるのは存外の喜び。これ以上の幸せはない」

「実はアフガンでの活動に集中していて、自分の実の子どもが亡くなる瞬間に立ち会えなかった経験がある。でもその時も、自分のやっている事業によってアフガンの子どもたちの命が数千人救えているという実感があったので、それでいいと思えた」

「これからの時代、どんな人を育てていくべきか。誰か泣いている人がいたら、『どうして泣いているの?』と駆け寄ることができる気立ての良い子どもが増えてほしい」

「誰かに裏切られたと思っても、すべてを憎まないことが大切。その部分だけではなく、良い面もあると信じて、クヨクヨしないということが何よりも大切」

「ちょっと悪いことをした人がいても、それを罰しては駄目。それを見逃して、信じる。罰する以外の解決方法があると考え抜いて、諦めないことが大切。決めつけない『素直な心』を持とう」

「無理やりやってもダメ。悲壮感は十分な原動力にはならない。好きなことや、やめられないようなことを思い切ってやってほしい」

YouTubeで動画配信はじめました

講座では、ごく一部の人にしか伝えることができません。

私のブログは、想いがあるので、文章が長いです(笑)。

忙しい方は読むことすらしないかもしれません。

と、いうことで、試しに、YouTubeで動画配信してみることにしました。

とはいっても、初回は30分ちょっとと長めです。

家事の合間に、耳だけでイヤホンしながら聞いてもいいですし、隙間時間に聞いてくれればと思います。

これからも、ちょこちょこアップしていきたいな~と思うので、良かったら、チャンネル登録お願いいたします。

YouTube新藤幸子