今を後悔なく生きる

今日は3月11日。

東日本大震災から10年目。

あの日を振り返ると、今、私たちに与えられたいのちを、今ある時間を、今目の前にいる大切な人と過ごす時間を、大切に生きたいと思えます。

一日一日を懸命に生きたいと思うのです。

あの日

あのとき、幸い私たちは、大きな被害にはあいませんでした。停電が2日ほど続いただけでした。

末っ子はまだ6ヵ月。

地震があったあの時、私は赤ん坊だった息子を抱き、おばあちゃんの手を握り、寄り添いながら、いつもより強い揺れに不安に思いながらも、地震がおさまるのを待ちました。ドジョウの水槽が大きく揺れて水があふれそうな勢いでした。幸い、物が倒れたり落ちたりすることはなく、地震はすぐにおさまりました。

小学生だった娘と次男は、学校から帰る途中で大きな揺れにあいました。

近くで工事していたおじさんが、大丈夫か?と、声をかけてくれたと言います。

そのあと停電したこともあり、ラジオから流れるニュースで、東北地方が大きな被害にあったこと、津波が来ていたことを知ったけれど、のちに電気が復旧して、その映像を目にするまでは、それほど大変なことが起きていたとは想像もできませんでした。

停電中は、キャンプ用のバーナーで煮炊きできたし、食料も、乾物もあったし、そこそこ買い置きがあったので、それほど困ることもありませんでした。むしろ、ちょっぴり非日常を楽しむぐらいの気持ちでいたように思います。幸い、水は出ていたので、それほど困ることはありませんでした。

あの日、たまたま青森入りしていたアフタフバーバンの北島さんが、ホテルが停電になって体育館に避難するように言われたらしいんだけど、新藤さんちに泊めてもらうことはできないかと、ハピたのの中沢さんから電話をもらいました。もちろん、いいですよと即答して、その夜は北さんが我が家に泊まっていくことになりました。

停電した夜は、仲間を心配して、落ち着かないでいる北さんと、あったかいご飯を食べ、話をしながら過ごし、それぞれの部屋で寝るのも不安だったので、みんなで居間にごろ寝して、電気のない静かな静かな夜を過ごしました。

そして、皆がいるから、一人じゃないから不安が和らぐんだと感じました。

その後、被害の大きさに驚き、原発事故があったことで、今度は見えない放射能に怯え、不安を感じる日々が続きました。

地震、津波、原発事故。

被災地に対する支援をしたいという想いと、まだ赤ん坊を抱えているし、介護の必要なおばあちゃんがいることから、簡単に支援に向かえないもどかしさを感じながら、自分にできることはないかと模索し始めました。

ロケットストーブを作ってみたりもしました。

放射能に対する怖さを、もっとみんなに知らせなきゃとか、こんな危険な原発なんて、子どもたちに残したくないと、反原発運動に参加したり、あの日を境に、子どもたちの未来について深く深く考えるようになりました。

あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい

これから書くお話は、今までも何度か書いていますが、これは、私の原点なのです。

反原発運動も1~2年も続けたでしょうか。子育て中のママたちや、もともと原発に関する上映会をやっていたメンバーたちとグループを立ち上げ、情報誌を作って印刷し、配って歩くことをしました。原発の情報。放射能の勉強会。放射能に負けない体づくりとか、発酵食など、放射能を排泄すると言われている食べ物の情報とか、自然な食べ物とか、魚の選び方とか、情報発信するようになりました。子どもたちを守りたい。ただその一心でした。

ただ、それでも原発に対する不安はいつまでたっても消えず、この食べ物が、本当に大丈夫なのか?私たち大人はいいけど、子どもたちはさかんに細胞分裂している時期だから、DNAに傷がついたら、そのまま傷ついた遺伝子が増幅してしまうリスクがある。魚は好きだけど、わからないなら、食べさせない方がいい。野菜の産地も、とりあえず、県内産は大丈夫そうだ。不確かだけれど、リスクが高くなさそうな産地のものを選ぶ、そんな日々。

金曜行動と言って、金曜の夕方に原発反対と言いながら、街を練り歩くことも続けていました。口に出さないことは、賛成してると同じことだと思っていました。原発事故があってもなお、原発を再稼働させようとする人たちに、怒りを覚えていました。みんな、子どもたちの未来のためだと、その時は本気で考え、本気で行動していました。

でも、息子を連れて金曜行動から帰ってきたある日、晩ご飯支度を始めたそのそばで、ソファーの上でピョンピョン跳ねながら、無邪気に「げんぱちゅはんたい♪」と言っている息子を見たとき、私の中でぱちんと何かがはじけました。

ちがう。

私がこの子に見せたいのは、何かに反対したり、いがみ合ったり、憎しみあったり、戦ったりする世界じゃない。

私は、ただただ、この子に幸せな世界を見せたかっただけなんだ。

あなたの住む、この世界は優しいよ。

こんなにも美しいよ。

この世界は本当にステキな世界なんだよ。

ただそれだけだったんだと。

それから、金曜行動に出ることをやめ、発信することも、みんなが見てうれしくなることだけにしよう。優しい気持ちになることだけ発信しよう。優しい世界を子どもたちに見せたいなら、私が優しい世界を作っていかなきゃならない。

そう決意しました。

それから、いつしか、私の周りには、ステキな人たちが表れ始めました。

つながる人は、世界を良くしたいと思っている人たち。子どもたちを幸せにしたいと思っている人たち。地域を良くしたいと思っている人たち。

 

世界を良くしようと思っている人たちは、こんなにいたんだ!

いつのまにか、私の周りは、優しさであふれていきました。

優しい世界を作りたかったら、私が優しい世界を作る人になるんです。

 

ガンジーの言葉にもありますよね。

「あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。」

「You must be the change you want to see in the world.」

すべては私から始まります。

今を生きる

震災から10年。

今日生きてる人が明日も生きていられるかはわかりません。

その時に、私たちは後悔しないだろうかと考えます。

自分が、やりたいことを後回しにしてこなかったか?

やらなければならないことで時間を使い果たし、私が本当にやりたかったことはできているのか?

 

そして、子ども達に対しても。

この美しい地球に生まれてきて、この地球の美しさを、私たちは子供たちに見せただろうか?

素晴らしい自然を、手で触れ、においをかぎ、転げまわり、全身で感じただろうか?

土のにおい

花の香、

鳥の声、

頬をなでてゆく風を全身で感じただろうか?

小さな虫や生き物に歓喜し、バケツをひっくり返したような雨の中、飛び出したことは?

この世界の喜びをどれだけ感じただろうか?

子どもに、やらなければならないことなんて、本当はないはず。

あるのはただ、この世界を感じる時間。

たっぷりの愛情を受け、信じられて、この世界を安心の中で探求する時間。

はたして、どれだけ感じることができているだろうか?

それらを感じることがないまま、この世界を旅立たなければならなかったとしたら、

私たちは後悔しないだろうか?

 

だから、私は、子どもたちが、やりたいと思っていることを叶えてあげたい。

応援してあげたい。

できないと言わずに、できる方法を考えてあげたい。

この世界を、たくさん感じ、たくさん味わってほしい。

この世界の喜びを、体いっぱいに感じてほしい。