反抗期の子供に手を焼いている時

反抗期。自分もあったし、誰もが通過して大人になっていくもの。

でも、その通過点を、目の当たりにしたとき、心穏やかではいられなくなりますよね。思い通りにならないことにイライラして、予想外の展開にどうしていいかわからなくなって、出口のないトンネルに迷い込んだような、そんな思い。反抗期の子供に手を焼いている方も多いと思います。

けれど、出口のないトンネルはありません。必ず抜け出せます。それだけは間違いないと思っています。

いやいや期

第一次反抗期と言われる2、3歳のいやいや期。

「ご飯食べるからお片付けするよ」

「いやや」

「じゃあ食べないの?」

「いやや」

「じゃ、片付けようよ」

「いやや!」

「じゃあ食べなくていい!」

「いやや~!!(泣く)」

だんだんこちらも感情的になってきて、感情的になればなるほど修羅場になっていきますよね。

子どものやりたい気持ちを受け止めよう、やりたくなるようにのせてみよう、ダメなものはダメだと、信念を曲げないで・・・いろいろやってはみるものの、なかなか思い通りにはいきません。

そう、ここは、何が何でも通過しなければならない通過点だから。大丈夫。必ずその時期は終わりが来ます。

成長の過程で、自分がやりたいこと、試したいことがたくさんあって、それをなぜ中断させなければならないのか、理解できないし、言葉もまだ十分じゃないから、今の自分の気持ちを表現する方法を知らないから、すべてが「やだ!」ってなってしまうだけ。

親が、今はこれをしてほしいとか、これは今はやめてほしいとか、そういう親の都合は子供には全く分からないので、日々、こちらの都合と子供の都合との間で対立が起こるんですよね。

 

一つ、ここを乗り越える気持ちの持ち方としては、そういう時期が必ずやってくるんだと、覚悟しておくことと、いつかは終わりが来るのだとあきらめること(笑)。

こどもが「やだ!」って言った瞬間、「あ、きたきた、これがいやいや期か~」って、ちょっと俯瞰して楽しむこと。

私は、この時期、心にいつも止めていたのは、この子は、小さいけれど、全てわかってて、表現方法を知らない「小さな人」だと思って接していました。

映画『ライオンと魔女』のなかで、ルーシーが小さな勇者に「お小さい人」と話しかけている場面がありましたが、その、「お小さい人」という響きがとても好きで、子どもがいやいやするたびに、「お小さい人」という言葉が胸の中に響いて、なんだか、いやいやしてる子どもがかわいくて愛しくなりました。

でも、それも四番目の子になってからのこと。上の子の時は、とてもとてもそんな心境にはなれませんでしたが。

思春期の反抗期

思春期の反抗期になると、今度は、相手は小さくはないわけで、体だけは、もう、お母さんより大きくなって、お母さんを見下ろして直球で反抗してくるわけです。

そうなると、とてもとても、心穏やかではいられなくなります。

小さなころの反抗期なんて、このころを思えばかわいいものです。

親の言うことは聞かない。自分の主張ばっかり。部屋は散らかし勉強はしない。口を出すまいと思っているのに、ついああしなさい、こうしなさいと言ってしまいます。かわいらしく「お母さん大好き~」なんて言っていた小さなあの頃が思い出せなくなってしまうほど、態度は大きく、反抗的で。

「子育ての仕方を間違ったかしら」と悩むほど、大変な反抗期を経験される方もいます。

そうかとおもうと、意外とあっさりこの時期を抜けてしまう子もいて、子どもによって、その激しさは差があります。

でも、大なり小なり、やっぱりこの時期も、誰しも通過していきます。親が怖くて反抗できなかった人は、大人になってからその反動が来る方もいるし、やっぱり、どこかで通過しなければならないポイントなんだと思います。

とはいえ、小さな子供相手でもイライラするのに、大きな子供ですから。うちにも一人、思春期の真っただ中の子がいますが、もう、母の怒りスイッチを押しまくりで、朝から夜から、カチンとくることばかりです。時には情けなくなって泣きたくなることもあります。

ただただ、この荒波が鎮まる日を信じて、できるだけ心穏やかでいよう。余計なことは言うまい。信じて任せよう。そう心に言い聞かせて、嵐が過ぎ去るのをじっと耐えている、そんなイメージ。時にはドカン!と、こっちが爆発することもありますが、そうやって、こっちの気持ちもストレートに伝えて、でも、信じてる。あなたの未来をいいものにしたいと思ってると、言葉で伝えることも。

 

そして、思うのは、子どもが生まれたとき、その命の誕生にうれしくて涙し、子育てに行き詰って、辛くて涙し、卒園や卒業で、子供の成長した姿にうれしくて涙し、子どもに何かあれば、悲しくて涙し、守り切れなかった悔しさに涙し、子どもの反抗に、こんな風に育ててしまったのかと、情けなくなって涙し、いろんな場面でたくさん泣いてきた。

うれしくて泣き、悲しくて泣き、辛くて泣き、悔しくて泣く。涙って、いろんなときに出るんだな~って、改めて思います。

そして、泣いてきたことより、その数倍、数十倍、笑ってきたはずなんですよね。大笑いしたり、ギューギュー抱き合ったり、幸せな時間を過ごしたはずなんですよね。

そうやって、この子は、たくさんの感情を味合わせてくれてるのかもな、思ってみたりもします。

名前に込めた想い

子どもが生まれたとき、一番初めに親から子供へ贈るプレゼント。それが名前です。

たくましく育ってほしい。幸せになってほしい。元気に育ってほしい。愛される人に育ってほしい、。信頼される人に育ってほしい。人に喜びを与えられる人に育ってほしい、自由に生きてほしい、希望をもって生きてほしい・・・

たくさんの想いが、子供の名前に込められています。

子どもの名前を呼ぶときに、どうぞそのことを思い出してみてください。大変な時ほど。どういう想いをその子に込めたのか。

大変な時は、長い長いトンネルにいる気分ですが、必ず、出口はやってきます。ちゃんと反抗期を反抗させてあげられたら、意外と、そのトンネルの先は、良好な関係が築けたりするものです。反抗期をちゃんと反抗できなくて、親が死ぬときになって初めて和解できたという方もいます。死ぬときになってなお親が許せなかったという方もいます。それでは悲しすぎるので、できることなら、この反抗期を、上手に乗り越えて上げられたらいいですね。

私も、まだまだ反抗期真っ盛りな子を育ててますから、自戒の念も込めて、今日の記事を。

いつか、子どもが親となり、このブログを見る時があるなら、こういう親の気持ち、わかってもらえるなかな~なんて、思っているんですがね。

虹の戦士~インディアンの教えから学ぶ地球を救う生き方

アメリカ・インディアンに古くから伝わる言い伝えがあります。
地球が病んで    動物たちが姿を
消しはじめるとき   まさにそのとき
みんなを救うために   虹の戦士たちが
あらわれる

『虹の戦士 』翻案 北山耕平

原作者不明の物語はアメリカ・インディアンたちの間でストーリーテリングとして、口伝えで、それぞれの部族の間で伝えられてきた物語です。
インディアンである1人の老婆とその血を引いた少年が出会い、1つの大きな疑問を老婆になげかけます。答えを探すために少年は自然に触れ様々な経験と鍛錬で自然の中からインディアンのスピリットを身につけていき、答えを導いていくのです。
そして、インディアンの教えは、これからの地球を救う生き方そのものなのです。

虹の戦士とはどんな人か?

 

「虹の戦士」の本のあとがきに、こんな言葉があります。

『虹が何か知っているかな?大空にかかる、美しい色をした弓。戦士とは、勇気ある者たちのこと。恐れる代わりに、勇気を持つ者たちのこと。

いづれ、動物たちは姿を消し始めるだろう。熊も、オオカミも、鷲も見なくなるだろう。姿を消しさるのは、動物ばかりではない。大きな木たちもまた消えていく。人々は互いに争うことばかりで、愛し合うこともなくなるだろう。空にかかっていた虹は色あせ、人々は虹を目にすることもなくなるだろう。

そうなったとき、一群の子供たちが現れる。

子の子供たちは動物を愛する。消えた動物たちを呼び戻すことになるだろう。この子どもたちは木を愛し、もう一度大きな木を呼び戻すことになるだろう。この子どもたちは人間として互いに愛し合い、もう一度人々が互いに平和で暮らせるように力を貸すことになるだろう。この子どもたちは、空にかかる虹を愛する。もう一度大きな虹を大空に呼び戻してくれるだろう。だからこそ、我々インディアンはこの子どもたちのことを「虹の戦士」と呼ぶのだ

そこで、君たちに質問したい。君たちは動物が好きかな?それとも嫌いかな?

では、木はどうかな?木は好きかな?嫌いかな?

人間はどうだ?人間が好きかな?嫌いかな?

では、君たちは虹が好きかな?嫌いかな?

そうか、そうか、動物が好きで、木が好きで、人が好きで、虹が好きか。

それならば、君たちが虹の戦士だ。虹の戦士として勇敢に生きなければならない。』

この、インディアンに伝えられる物語は、私の心に、小さなともしびをつけました。

止まらない自然破壊。野生動物たちは絶滅の道をたどり、世界のあちこちで、いまだになくならない戦争。人を信じてはいけないというような風潮。人が人を傷つける痛ましい事件。そんな世界は、子どもたちに残していくべき世界ではないと感じるけれど、私一人に何ができるのだろうかという無力感を感じることも。

でも、希望はここにあるのかもしれないと思えた。

一人一人が虹の戦士であるならば、世界を変えることができるのではないかと。破壊の進む地球を救うことができるのではないかと。

兵士とは、自分の周りの人(上司、先生、目上の人など)の言葉を素直に受け止めて、従順に行動するタイプの人。つまり、自分以外の誰かの意志を自分の行動に移せる人。

一方、戦士は、誰からの指図も命令も受けない。自分が望む社会を実現するために、自主的に何かを始められる人。

だからこそ、自分の内から湧き出る信念に従って、自分が望む社会を実現するために勇敢に生きる虹の戦士として生きる子どもたちがたくさん増えてくれたらいいと、思っています。

子どもたちが自然に触れ、自然に学ぶ機会をもつこと

環境破壊や、争いのない世界の実現のために、今の私たち大人のできることは、自分たちの子供、さらにはその孫の孫の世代まで、インディアンの言葉を借りると7代先の未来まで見据えて、今の子供たちを育てていかなければならないということ。

そのためには、子どもが小さなうちから、自然に触れ、自然から学ぶ機会をたくさん持つ必要があるのです。自然に生きるたくさんの命を感じる必要があるのです。

子どもたちが好きな食べ物といえば、ハンバーグや、焼き肉。お肉が好きという、大人はもちろん、子供もたくさんいます。でも、一方で殺されていく命を感じる場面はあるでしょうか?大切な命をいただくから、「いただきます」。私の血となり肉となり、私を生かしてくれるこの命にありがとう、そういう意味のこもった「いただきます」は、実感を伴うことはあるでしょうか?

自然に触れ、小さな生き物でもいい、そこに生きている虫たちを捕まえ、時には殺してしまい、後味の悪さを覚えることも、一つの大切な体験です。お花を摘んで、置いておいたら枯れてしまった。根がないと生きられない、お水がないと生きられない、そんな植物たちを身近に感じる経験も必要です。雨ばかり続くとうんざりするけど、田んぼの中をのぞけば、そこには無数の小さな生き物たちがうごめいていて、田んぼの水を落とした後には、たくさんのオタマジャクシが死んでいたりして、水がなければ生きられない生き物の姿を目にしたり、日照り続きで雨が降らない日が続くと、学校の校庭は砂埃だらけで、雨のありがたさを感じるものです。鳥や虫、カエルが鳴く声を聴き、木々を揺らす風を感じ、緑の中に暮らす虫たちを見て、触れて、雨の音を聞き、川の流れを感じ、おひさまの温かさを感じる。

植木鉢に植えてある植物には、毎日水やりしないと枯れてしまうのに、外の世界に当たり前にある、雑草や、木々は、毎日水やりしないのに枯れないのはどうしてなんだろう?土の中は乾いているようだけど、植物たちは、どうやって水を吸い上げているのだろう?

水槽の金魚には毎日餌をあげないと死んじゃうのに、田んぼのオタマジャクシや、ドジョウは、何を食べて生きているんだろう?

自然に触れることで、湧いてくる何気ない疑問。自然に触れているから感じることは、机の上で学ぶ知識としてではなく、生きた経験として、積み重ねられていきます。

ただ学校で、「自然を大切にしましょう」と、言われるだけでは感じられない、心の中から湧き出る思いは、自然に触れることでしか生まれてきません。そこに生きるものが確かにいるから、自然を守ってやりたい。そこに、美しい花が咲いているから、ごみが落ちてたら気持ちが悪い。当たり前のように、そういう心が育っていくためには、たくさん自然に触れる必要があるのです。

虹の戦士のスピリットは、一人一人の心の中にある

 

~地球が病んで    動物たちが姿を
消しはじめるとき   まさにそのとき
みんなを救うために   虹の戦士たちが
あらわれる~
冒頭のインディアンの言葉をもういちど振り返るとき、虹の戦士は、ただのインディアンに古くから伝わる言い伝えではなく、私たち一人ひとりの心の中に、虹の戦士のスピリットを持つことができると感じています。たとえ、自分自身が虹の戦士になれなかったとしても、そんな子供たちを育てていくことも、私たち大人の役割なのではないかと思うのです。
このお話の最後に、老婆は語ります。
「愛と喜びをみんなの間に広げることだけが、この世界の憎しみを、理解とやさしさに変えることができる。この世界から、いっさいの戦争と破壊をなくするために、残された道はもはやそれひとつしかない」と。

子どもと季節を感じよう!自然に飛び出そう!

3月20日は春分の日でしたね。春分は、昼と夜が同じ長さになる日です。太陽が真東からのぼり、真西に沈みます。この日を境に、日が長くなっていきます。そして、それは、自然や生き物たちにとっても、生命が芽吹きだす大事な季節でもあります。

そもそも、春分の日には、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」という意味が込められています。気候も穏やかになってくるこの時期、海や山など、自然に触れて、春を感じてみてください。

子どもと自然を楽しもう!海へ!

 

春分の日、我が家でお出かけしたのは種差海岸。

三陸復興国立公園で、天然の芝生が美しく、海岸段丘、松林、砂浜など、変化に富んだ景観が特徴です。一帯では約650種を超える海浜植物・高山植物を見ることができます。
遊歩百選にも選定された葦毛崎展望台から種差海岸天然芝生地までの約5.2kmの遊歩道は、トレッキングにも最適です。

三陸ジオパークといって、地質や地形を主な見どころとする「大地の公園」の一つで、ほかにも、ウミネコの繁殖地で有名な蕪島や、是川遺跡もジオパークの一つです。

春風もさわやかに、穏やかな休日。種差海岸には、たくさんの人が春を求めて散策していました。

水平線が美しく、入り組んだ岩の間を覗いてみると・・・

お魚発見!種類はわかりませんが、ハゼの仲間のような、岩に張り付くように泳いでいました。

そして、ヤドカリや、貝もたくさん!

芝生でのんびりしていると、ウミネコがすぐそばにやってきます。

キレイな貝を拾い集めたり、生き物探しに夢中です。

海では春を感じ、身近に自然を感じ、生き物に触れ、その命を感じることができました。

山もまだまだ楽しめます!

一方、山に行けば、まだまだ雪深い八甲田。でも、この時期ならではの楽しみもあります。3月後半から、4月中下旬まで、八甲田は春スキー客でにぎわいます。なんといっても、見どころはスノーモンスター。針葉樹に雪が吹き付けられてできた樹氷です。天気のいい日は、津軽海峡も、岩木山も、八甲田の山々も美しく見渡せ、こちらも景色は最高です。

八甲田ロープウェーは、往復で乗る場合、JAFに加入していれば、会員証提示すると、5名まで10%引きで乗れるので、発券機からじゃなく、窓口で買い求めてくださいね。

往復通常料金、大人1850円、小学生870円、幼児無料です。

青森には、ちょっと出かけると、こんなに素晴らしい自然があちこちにある。こんな豊かな自然を、子どもたちとたくさん楽しんでください。

春を味わおう!

そして、山は山でも、里山にも春が訪れています。そう、フキノトウが、あちこちから顔を出し始めています。

フキノトウの天ぷらや、ふきみそ(ばっけみそ)も、この時期ならではの自然の恵みです。ほろ苦い味は、春の解毒作用を促します。

陰陽五行では春は肝臓が動き出す季節。春になり、体が緩むと、体にたまった不要なものを排泄しようとします。そんなデトックスを促すのに、春の苦みが役立ちます。季節のものをその季節にいただくことは、とても理にかなったことなのです。

心も体もリフレッシュして、さわやかなこれからの季節を感じてみましょう。

 

子育ては完璧じゃなくていい~一人で頑張ってるお母さんへ

 

待ちに待った赤ちゃんの誕生。喜びもつかの間、数時間おきのおっぱいやおむつ替え、泣き止まない赤ちゃん・・・。妊娠中までは、友達とランチしたり、おしゃべりする時間もたっぷりあった。

でも、赤ちゃんが生まれると、日中は赤ちゃんと二人きりの生活。外にも出られず、人にも頼れず、一人で頑張ってるお母さん。

そんなお母さんに、一番伝えたいことは、「子育ては完璧じゃなくていい」ということです。

育児書や、ネットを見れば、理想の子育てがあちこちに目につきます。でも、一方で、育児書通りにいかない子育てが目の前にあって、できない自分が嫌になったり、辛くなったりする方もたくさんいます。

育児書通りに子どもは育たないもの

子育てする環境は人それぞれ違います。おじいちゃんおばあちゃんと同居していて、なかなか自分のやりたい育児ができない人もいるし、誰も頼れる人が周りにいない状態で、一人で孤軍奮闘しているお母さんもいます。お母さんが病気がちで、そもそも子育てするのが大変だという方もいるでしょう。子どもが病気や障がいをもって生まれたお子さんもいるでしょう。

どんなに理想的な子育て論がそこに書かれてあったとしても、環境が違えば、その通りにできるものではありません。こうしたほうがいいのはわかってるけどできない、という状況に多くの場合いきあたります。

そんな時、あなたが悪いわけではないのです。できなくて当たり前です。私も、長男の子育ての時は、そんな壁に突き当たりました。

母乳育児をしたいと思っていたけど、意に反して、私のおっぱいは五か月で出なくなってしまいました。体重が落ちる長男に、でも、なんとしても母乳を飲ませたかった私。本当につらかった。お腹がすいて泣き止まない息子と、おっぱいが出ない私の体に、毎日イライラしていたあの頃。

ある小児科医に、体重が増えてないのにミルクを足さないのは虐待だと言われ、涙が止まりませんでした。でも、その一言をきっかけに、何が何でも母乳でと、意固地になるのをやめ、生きていてくれればそれでいいと、割り切れるようになったころから、気持ちがとても楽になったのを覚えています。

理想の子育てを追求するのが悪いというわけでもありません。いい子育ての情報を知ってるか知らないかは大きな違いで、子どもを守るために、母親は、ありとあらゆる情報源から、子供が健やかに育つにはどうしたらいいか、心を育てていくにはどうしたらいいか、その時ベストだと思う方法を模索しながら実践しているだけなのです。

いろんなリスクから子どもを守ることは、お母さんの本能といってもいいでしょう。

ただ、知っておいてほしいのは、理想の子育てはあっても、正しい子育てはないということです。どの子育てが正しいかは、その子が大きくなってみないとわからないことです。

どの月齢で子どもが立ったとか、どの月齢でしゃべり始めるとか、この月齢に子どもの標準体重は何グラムだとか、そんなのは本当に個人差が大きいものです。

年少さんぐらいになったら、「かして」「どうぞ」が言えるようにと言われたりしますが、今使って夢中になっているものを、「かして」と言われて、「はいどうぞ」とは、大人のようには言えないのが子供です。

親は、つい、向こうの親御さんの手前、「貸してあげようね」と、言ってしまいますが、それができないからと言って、ダメな子ではない。むしろ、相手の子供さんに、「今使ってるから、ごめんね」って言ってあげたら、ちょっと使ったら意外とすんなり、貸してくれることもあります。

子育ては完璧じゃなくていい

育児がつらくなってしまう原因は、いろいろあります。理想通りにならない子育て、旦那さんの協力がない、周りに頼れる人がいないなど。

その中で、自分で変えられるところはどこだろう?と、考えると、完璧を目指さないことと、人に頼ることだと思います。

理想通りじゃなくたっていいんです。例えば、二時間おきに授乳しなさいと産院で指導されるけど、必ずそうしなければならないことなんてありません。「赤ちゃんが泣いてるけど、まだ二時間たってないから、抱っこであと三十分我慢させよう。」そんな必要は全くありません。

赤ちゃんは、お腹がすいたと泣いて訴えているだけ。おむつが汚れたよと、泣いて訴えているだけ。赤ちゃんの気持ちに寄り添ってあげたら、それでいいんだと思います。眠いけど、うまく寝付けなくって泣くこともあります。「眠いんだね。でも、寝れないんだね。泣いていいんだよ。大丈夫、お母さんここにいるからね。」って、泣いてもいいよと伝えてもいいと思います。

おうちの外で、赤ちゃんを泣かせちゃいけないと、赤ちゃんが泣かないように、あれこれお母さんは頑張ります。赤ちゃんがぐずらないように、いろんなおもちゃを持っていったり、最近はスマホを与えて赤ちゃんが泣かないように音楽やアニメを見させたり、ということも時々見受けられます。

でも、泣くのは悪いことではありません。赤ちゃんは泣くのが仕事といいますよね?

赤ちゃん連れのお母さんに対して、泣いても大丈夫だと、周りが温かい目で見てあげられるような環境と、「ちょっとこの子のことお願い」といえる関係が、そばにあるといいですね。でも、引っ越してきたばかりで、周りにそんな知り合いがいない場合もあります。そんな時、一人で頑張らずに、保健センターでもいい、近くの保育園でもいい、先輩ママでもいい、相談してみてください。「これこれこういうことで辛いんですと。」

助けを求めてこないうちは、困っているかどうか、周りの人にはなかなかわからないものです。わかっていたら、救いの手を差し伸べてくれる人は、意外と周りにいるものです。

そして、ちょっとぐらい、部屋が汚くたっていい。家事も育児も、完璧にできなくたっていい。ごはんがちょっとぐらい手抜きになったっていい。今日一日お風呂入らなくったっていい。でも、産後のお母さんは、自分の体のために、自分だけはしっかり食べてくださいね。具だくさんのスープ、野菜もたくさん。ごはんもしっかり食べて、いいおっぱいを作ってあげてください。赤ちゃんが美味しいおっぱいは、そんなしっかりご飯を食べたママのおっぱいです。

完璧を目指さなくていいから、自分の体を大切に、自分がつらくならないように、手を抜くところは手を抜いて、人に頼れるところは頼りましょう。それで、お母さんの気持ちが楽になるのなら、それでいいのです。自分と子供が一番心地いいと感じるように、お母さんが笑顔で子どもに接することができるように。

 

プレーパークはみんなで子育てする居場所

プレーパークでは、そんなお母さんたちが、赤ちゃんを連れて来て、子育ての不安や、困りごとを先輩ママに聞ける、そんな居場所でもあります。大きい子しか遊びに行けないということもありません。何歳からでも、来てみて大丈夫。ちょっと大きい子の遊ぶ姿を見たら、自分の子の成長する姿を想像できるものです。こんな風に遊ぶのね。こんなことが楽しいのねって。

3/26(日)は、10時から15時まで駒っこランド交流館でプレーパークです。大きなお兄ちゃんお姉ちゃんばかりでなく、小さなお子さん連れでもどうぞお越しくださいね。

自己肯定感が低いと幸せを感じにくい?

親であるなら誰しも、子供が幸せに育ってほしいと願っているものです。では、子供の幸せって、何でしょう?どんな大人になってもらいたいですか?

健康であること。人に必要とされる人であってほしい。幸せな家庭を持ってほしい。食べることに困らないように。お金の苦労をしなくていいように。いろいろあると思います。

でも、究極は、子供が幸せを感じて生きてくれれば、それでいいのではないでしょうか?

その、幸せを感じる心は、自己肯定感が大きく関係しています。

皆さんは今、幸せですか?皆さんのお父さんやお母さんが願ったように、「私は今とても幸せです。」言えるでしょうか?お互いのご両親がいたからこそ生まれてきて、出会い、結婚し、子供に恵まれ、そして、毎日を楽しく生きている。だからこそ、ご両親に産んでくれてありがとうと言えるでしょうか?

そして、もう一つ質問。皆さんは、自分のことがどのぐらい好きですか?

幸せは自分の中にある

以前、ドリームマップという夢を描き出すという講座に出たときに、ある質問をされました。

「あなたは、自分のことがどれぐらい好きですか?」と。

紙には空のコップの絵が描いてあって、自分の好きさを水の量で表してと。たくさん好きな人は、コップにいっぱい満たされた水を描き、自分のこと少ししか好きじゃないという人はちょっとの水、というように。

その時、大人20人ほどいた参加者の中で、水を一体満たしたのは二人。八分目ぐらいの人が数人と、後の人は半分ぐらいが多かったように思います。

これが、中学校で同じ質問をすると、コップに水がほとんどないという子も結構な割合いて、いっぱいという子はほとんどなくて、多くて八分目、ほとんどは半分ぐらい。

自分をあまり好きではないという子が、とても多くてびっくりしたことがあります。

自分を好きっていうのは、自己肯定感そのものです。

そして、何をもって幸せを感じるかは人それぞれです。何不自由ないお金があれば幸せ。おいしいものが食べられたら幸せ。家族みんなが健康であれば幸せ。家があるから幸せ。子どもがいるから幸せ。自由に自分のことができるから幸せ。人のお役に立てて幸せ・・・。

でも実は、絶対的に、これだから幸せっていう定義はないですよね。

その定義は、人それぞれで違うものだし、今日朝日がすごくきれいで、すがすがしい朝だったから幸せって感じる人もいれば、たくさんいろんなものに囲まれて、それでもまだ、いい車もほしい、持ち家もほしい。自分のやりたいことができずに、日々のちょっとしたことに幸せを感じることができない人もいます。

幸せを感じる心は、ただ一つ。自分を幸せにしてるかどうか。自分を大切に思っているかどうか。自分のことが好きかどうかです。

自分を大切にしている人は、空が青く澄んでて気持ちがいいとか、鳥の鳴き声や、吹き抜けるさわやかな風にすら幸せを感じられるものです。朝、一杯のコーヒーを飲むという行為だけでも幸せを感じるものです。

でも、自分を大切にできていないときは、あれがないから幸せになれないんだ、これがないから幸せじゃないんだ。あれさえあれば幸せなのにと、ないものばかりを求めるものです。

やはり、子供たちには、日々幸せっを感じてほしいものですよね。

では、子供が、自分を大切にして、日々幸せを感じて生きて行ってもらうために、私たち大人は、どんなことができるでしょうか?

自己肯定感の低い子供たち

今、日本の子供たちの自己肯定感の低さがいろんなところで問題になっています。海外に比べて、かなり低いのです。

日本を含めた7カ国の満13~29歳の若者を対象とした意識調査で、自分自身に満足しているという若者は、アメリカが86%、フランスが82.7%に対し、日本は45.8%。

うまくいくかわからないことに取り組める意欲があるのは、フランスで86.1%、アメリカは79.3%、日本は52.2%。

将来に希望を持っているか?という項目では、アメリカ91.1%、フランス83.3%、日本61.6%です。

どうやら、自分に満足感が得られないと、将来に希望を持ったり、うまくいくかわからないことにチャレンジする意欲が持てないということになりそうです。

では、その、自己肯定感の低さはどこから来てるのでしょうか?この調査では13歳から29歳の若者に対して行われています。ということは、小学校卒業までに、そういう子供たちができてしまっているということです。

その要因として考えられているのは、家庭の中においては、あれをしなさい、これをしなさい、早くしなさいと、指示を送り続けていること。以前の記事で、指示待ちの子供たちの記事にも書きました。自分で考えてやってみるという経験が少なくなっているとのではないかと思うのです。そして、やってみて、失敗して、その失敗から学ぶ経験が少ないということ。失敗したら笑われた。失敗したら、だから言ったでしょと怒られる。チャレンジして失敗して恥をかくより、失敗しないようにチャレンジしないという道を選択してきた子供たちが大きくなってきているのだということ。

そして、親の愛情というのも言われています。愛情といっても、ただかわいがっていればいいということではなく、子供を信頼しているか?ということです。失敗しても、あなたなら大丈夫。きっとできると見守れるというのは、子供を信頼していなければできないことです。

信頼するって、簡単なようでいて、意外と難しいものです。失敗するかもしれないのを手を出さずに見守るというのは、忍耐が必要です。ついつい手や口が出てしまいます。

自己肯定感は、大事にされること、信頼されること、失敗してもチャレンジする経験の繰返しで少しずつ積み重ねられることで育まれていきます。

親やおじいちゃんおばあちゃん、周りから大事にされる存在だという承認があって、初めて自分が大事にできるようになるものです。

大人も自分自信を大切にしよう

大人でも、この自己肯定感を持てない人が多くいます。それも、今までの経験の中で、失敗したら笑われたとか、何やってるんだと怒られたりという経験の中でできあがっていったもの。でも、それなら、自分で自分を大切にしてあげるところから始めてみたらいいんじゃないかと思うんです。

まあるい抱っこの時も辻直美先生から、自分を抱っこするのよと、お話がありました。まずは自分を大事にするんだよと。

時には、育児のつらさから、自分なんて、母親失格だとか、何にもできていない自分にダメ出しばっかりしてしまうときもあるでしょう。でも、そんなときこそ、自分を優しく包み込んで、自分を大事にしてあげてほしいんです。自分はよくやってると、自分で自分にご褒美をあげてほしい。自分を大切にできるようになれば、子供がかわいく思えてくるものです。

自分を大切にするというのは、大人にも必要なことで、具体的なデータはないのだけれど、自分を大切にできる親に育てられてる子どもは、自己肯定感も高いのではないかと思っています。

どうしても自分が好きになれないとき、でも、そういう感情もまた自分自身なのだと、いったん受け止める必要もあるかもしれません。自分のどこが好きじゃないんだろう?自分はどうなったらいいと思うんだろう?客観的に、自分を高いところから俯瞰するように、自分を見つめてみる必要もあるかもしれません。

どんな人も、感情に浮き沈みはあるものです。いい感情も悪い感情もなく、ネガティブな感情も、とことん落ち込んで浮上するためには必要な感情のこともあります。そこが次への原動力になることもあります。

どんな自分もオッケーと、まずは、自分を抱きしめてみましょう。

 

 

 

 

 

「いいこと考えた!」は、ワクワクの光~はぴちる通信創刊

「いいこと考えた!」は、子どものわくわくの光。どうか、その光を消さないで。子どもの無限の創造力が働き始めるその瞬間を、大人も楽しんで見守ってあげて欲しい。そんな想いでHappy children(はぴちる)通信の第一号を創刊しました。

はぴちる主催のプレーパークや、イベント等にて無料でお配りします。年六回発行し、今後のプレーパークやイベント情報、子どもとの関わり方や季節の自然の楽しみ方、子育てコラム、体にやさしい簡単おやつなど、皆さんの子育てに役立てていただけるような内容でお伝えしていきたいと思っています。

はぴちる通信・第一号

創刊第一号は、

・八甲田のモンスターに会いに行こう!

・【今月のコラム】雪の上を歩く不思議な虫の正体

・2017年の活動予定

・わたしたちからのメッセージ

・賛助会員募集!

という内容になっています。

この中から、私たちのメッセージをここに転載します。

子どもは「あそび」で育ちます。「あそび」とは、本来自由なもの です。決まった遊び方や大人が用意したように遊ぶのではなく、子 どもが自分から遊びたいから遊ぶ。やりたいからやる。そういう能動的なものだと思っています。ジャ ンプしたいからジャンプする。木登りしたいから木に登る。捕まるかもしれないドキドキ感を味わいたいから、追いかけっこする。
そういう子供の遊びを大事にしたいと思っています。おもしろい! きれい!すごい!心動かされる経験をたっぷり子供にさせてあげて ください。

子どものやりたい気持ちを応援できる場、自然体験で五感をたっぷり使う場を提供し、様々な体験や失敗の中で、子供たちが自ら考えて行動できるように、ワクワクする日々を過ごせるように願っています。

はぴちる賛助会員募集!

プレーパークでは、くぎやガムテープ、毛糸や絵の具、マジックや、紙などの消耗品があり、他にも、出張プレーパークでの交通費など、様々な経費が掛かります。プレーパークを続けて いくための活動費の支援をして下さる賛助会員も随時募集しています。応援してくださる方は 1 口 1000円から、何口でも結構です。賛助してくださる方は、メールにてお名前と住所をお知らせください。また、通信送料500円をご負担いただければ、はぴちる通信を年六回送付いたしますので、ご希望の方は、そちらもメールにてお申し込みください。後ほど振込先をお知らせいたします。

お問い合わせ sashindo0428@gmail.com

2017年の活動予定

今現在予定しているはぴちるでのプレーパークや、自然体験の活動予定です。

・3/26(日)10:00~15:00 駒っこランド屋内プレーパーク

・4/23(日)10:00~16:00アースデイにプレパ出店

(株)高橋 敷地内:三沢氏新町 2-31-2171

・5/4(木)おいらせ町下田公園にてプレーパーク

・5/5(金)、6(土)春の森キャンプ/命の芽吹きを感じよう!

・6/10(土)駒っこランドプレーパーク(屋外・雨天時交流館) ・7/8(土)、9(日)川遊びキャンプ/ホタルたき火を楽しもう!

・8/5(土)駒っこランドプレーパーク(屋外・雨天時交流館)

・8/11(金)山の日に山に登ろう!

・9/16(土)駒っこランドプレーパークで秘密基地をつくろう! ・11/11(土)駒っこランドプレーパークでたき火を囲もう!

・12/9(土)駒っこランド交流館・屋内プレーパーク

※予定は変更になる場合もあります。

また、5 月から 10 月までの毎週水曜は、放課後プレーパークを十和田市ちとせ小学校校庭で行います。そのほか不定期で開催されるプレーパークもあるので、その都度ブログやFB等で時々チェックしてください。

キャンプは有料、要申し込み。プレーパークは無料、申し込み不要です。キャンプは、日帰りのデイキャンプ、泊りのキャンプどちらもありますので、ご都合に合わせてご参加ください。ゴールデンウィーク中の春の森キャンプについては、近いうちに詳細をお知らせいたします。

 

 

指示待ち人間の子供にしてしまうNGワード

近頃、自分で自分のことが決められず、親や先生の指示を待ってからでないと動けない子供が増えています。いわゆる「指示待ち人間の子供」と言われています。

社会に出てからも、部下が上司の指示がないと動かないと、嘆くこともよくあることのようです。

では、この「指示待ち人間」はどうしてそうなったのでしょう?

実は、親や、先生、上司のかかわり方にも原因があるようなのです。

「指示待ち人間」を作るNGワード

日頃、育児をする中で、子供が思い通りに動いてくれないとか、失敗してしまった場面でつい使いがちな言葉が、「指示待ち」の原因を作ってるかもしれません。

・「早くしなさい」

・「~しちゃだめ!」

・「~したらどう?」

・「なんで言われた通りやらないの?」

・「ほら!だから言ったでしょ!」

・「~しなさい」

・「勝手にしないで!」

どうですか?こんな言葉、よく使っていませんか?基本的に、子供がやろうと思ったことを否定すること、失敗したときに怒られる、というような経験の積み重ねによって、「怒られたり、否定されたりされたくない」→「怒られる前に、やっていいか聞いておこう」そういう心の動きになるのも当然のことです。

また、親のほうから、「これで遊んだら?」というように、遊びを決めてしまうことも、自分で決める力を弱めてしまいます。

本来、遊びとは、自発的に子どもが遊びたいと思うことを遊ぶものです。自分で遊びを作っていく中で、こうやったらもっと楽しいかも、こうやったらもっとすごいことができるかも、わくわくしながら想像力を働かせていくものです。

実際、うちの次男は、指示待ちの傾向があります。なぜだろうかと考えたとき、思い当たるのは3つ上の兄の関わりでした。しっかり者のお兄ちゃんで、次男が何か困ったことがあったとき、何かといえば、「お兄ちゃんお願い」と、お兄ちゃんを頼っていました。正義感が強く、曲がったことが嫌だったお兄ちゃんは、良かれと思って、何かと次男のやることに手を出しました。よく言えば手伝ってあげていたのですが、実のところ、次男の自分でやりたい気持ちを奪っていたことにもなってました。ちょっと間違ったことをしようものなら、すぐに「それは違う」「そんなことしちゃダメ」「貸して、やってあげる」。そうやって、何でもやってあげていました。

そして、5歳も過ぎたころから、気づけば、なんでも聞いてくる子になっていました。「お母さん、これで遊んでいい?」「お母さん、トイレいっていい?」「お母さん、これ食べていいの?」

「トイレに行っていい?」なんて、なんでこの子はわざわざそんなこと聞くんだろう?って不思議でした。聞かないで自分で考えられないの?そう思いました。

今思えば、小さいころからやりたいことを止められたり、なんでもやってあげすぎたからだと思い当たるのです。

自分で考えられる子供にする3つのポイント

今、学校でも指示されないと動けない子が増えています。小学校で、答えがわかる質問にはたくさん手を挙げるけど、「どうやったらいいと思う?」というように、答えのない質問や、考えさせる質問にはあまり手が挙がりません。

小さなころから、「あれしなさい」「これしなさい」「早くしなさい」「それはダメ」という言葉をたくさんかけられたことで、自分で考えて動くということに慣れていないのです。そして、学校は学校で、みんなと同じことをしない子は怒られるので、ますます指示待ち傾向が強くなっていきます。

では、どうしたら自分で考えて動けるようになるのでしょう?

それには、「認める」「許す」「どうしたいか聞く」という3つのポイントがあります。

まずは、やったことを「認める」ことです。子どもは、いつだって親に認めてもらいたいと思っています。ある程度大きくなってからは、他人に認められたいと思うものです。何か子供がやり始めたら、その手を止めさせずに、やりたい気持ちを達成させてほしいと思います。とはいっても、親にとって望ましくないこともあるでしょう。そんなときでも、頭ごなしに「だめ!」「やめなさい」とやってることを否定するのではなく、「それをされると困るから、こうしてくれると助かるんだけどな」とか、「お母さんは、今はそれをやられるのは困るんだけど、どうしたらいい?」って、困る理由を説明して、そのうえでどうしたらいいか子供に尋ねてみることです。

次に「許す」こと。失敗したときに、「だから言ったじゃない!」「なんでそんなことするの!」って、頭ごなしに怒鳴るんじゃなく、例えば水をこぼしちゃったときでも、「あ~あ。やっちゃったね。どうすればいい?」って、聞いてみることです。もちろん、命にかかわるようなことは、全力で止めるべきですが、命にかかわること以外は、おおらかに、許してあげてほしいのです。「あ~あ」は魔法の言葉です。「あ~あ。やっちゃった。でも、拭いたらいいよね?」って。失敗にひとつひとつ目くじらを立てるのではなく、失敗したけど、どうしたらいいかを考えさせるくせをつけましょう。

三つめは「どうしたらいいか聞く」です。例えば、「トイレに行きたいけど、行っていい?」って言ったとき、「あなたはどうしたいの?」って聞いてみる。「これで遊んでいい?」って聞かれたら、「どうしたいの?」って聞いてみると、自分でこうしたいって、必ず答えます。そうやって、自分で決めるチャンスをできるだけたくさん作ってください。

まとめ

子供がやりたいことをやりたいようにさせてあげるとか、失敗を許すなんて、日々の生活の中ではなかなか難しいものです。子供がなかなか思い通りにならないとか、失敗してイライラするとか、よくあることです。

親は、子供がうまくいくように、失敗しないようにと望んでしまうところがあります。でも、転ばぬ先の杖をつきすぎて、失敗から学ぶ経験を奪ってしまわないように気を付けてあげなければいけません。できるだけ手を出したい気持ちを抑え、やらせてみることです。

社会人になって指示待ちになってしまう場合は、やはり、きちんとしすぎるできる上司の元にいる部下が指示待ちになる傾向が強いといいます。部下に任せられない。部下がやったことにこれじゃだめだとすぐダメだしする。その繰り返しで、怒られるよりなら、言われたことだけやっていようという心理が働くためだそうです。

「信じて任せる」、「信じてやらせてみる」ということが、大人も子供も必要のようです。

そして、プレーパークでは、こどもの「やりたい」を叶えてあげるための場所です。

 

まあるい抱っこの講座~子どもの体の発達は、赤ちゃんの抱っこから始まっている

先日、辻直美先生のまあるい抱っこのお話を聞いてきました。
赤ちゃんを泣き止ませるための抱っこ法じゃなくって、赤ちゃんが心地いいと感じる抱っこ法。多くの海外製のだっこ紐が、ママが楽なようにと作られています。赤ちゃんはお荷物のように「入れられる」。その結果、赤ちゃんの体がどうなっているか?

あごの小さい子供、虫歯になりやすい子供、転んでも手が出なくて、顔から転ぶ子供、しっかり立てない子供、疲れたと言って長時間立てない子供、横向きに字を書く子供、そんな子供が増えています。そんな子供達も、体の発達が原因だとしたら?赤ちゃんの時の抱っこが原因だとしたら?人生の中で、抱っこされる時間はとても短い。けれども、その抱っこが、とても大事だと言います。

そり返る赤ちゃん

股関節脱臼は、アジア人特有のものだそうで、海外メーカーは赤ちゃんの股関節脱臼のことを考えて開発されていないため、多くの海外製のだっこ紐が、ママが楽なようにというのが優先されて作られています。おんぶひもの中で、頭が後ろにそり返っている赤ちゃん、見たことないですか?おんぶの時、抱っこの時、ミルクの時、いろんな場面であごが上がった状態になってることが多くないですか?そり返った姿勢が普通になっていくと、あごが上がります。すると、口が閉まらない。今、口呼吸の子どもが増えていて、口の中も乾いている、感染症にもかかりやすい、ミルクを飲むにも、あごがうまく使えないため、あごが発達せず、小さいあごの子どもも多いと、歯科医さんが言うそうです。あごが十分発達していないから、歯の生え変わりがうまくいかず、二枚刃になってしまったり、唾液が少ないので、虫歯にもなりやすくなる。そり返ることで、手をしゃぶるハンドリガードの時に、肘が上がって、小指からしゃぶるくせがつき、肩を回転させてスプーンやフォークを使うようになるので、うまく口に入らず、ぽろぽろこぼしやすい。成長して字を書くときに、紙を斜めにおいて書くようになる子もいます。

その後、ハイハイして、座る、立つという動作や姿勢にも影響を与え、しっかり立てない子どもも多いといいます。転んだ時に、手が出ない、骨折したり、頭や顔から転んでしまう、そんな子供も増えています。

ところで、股関節脱臼は、なぜ、アジア人特有なのか?もともと、赤ちゃんの股関節はⅯ字開脚に自然になるのが理想です。もちろん、遺伝的要因もあります。でも、そのほかの要因として、戦後の巻きおむつが原因ともいわれていましたが、股関節脱臼が増えたことで、Ⅿ字開脚の重要性が指導されるようになり、おむつが変わってきたことで、だんだん減ってきていました。ところが、2015年から股関節脱臼が増えてきています。この原因が、海外の育児グッズを使うようになったことに対する無知があげられています。股関節脱臼のことを考えて作られていないので、その中で長時間抱っこされ続けていることによって、股関節脱臼が増えてきているようなのです。また、そり返りによる極端な向き癖も理由に挙げられるようです。

 

まあるく抱っこするということ


「抱っこ」は、「手で包む」と書いて抱っこと読みます。「育む」は、「羽でくくむ(包む)」。赤ちゃんをふんわり包み込む抱っこで、赤ちゃんに心地いいと思ってもらえることが大事なのです。赤ちゃんは「なにこれ、きもちいい」と、気づくのか、魔法のようにピタリと泣き止み、にっこり笑いだします。そして、足の裏はピンクに色づき、血行が良くなります。

泣くから、泣き止ませるために抱っこする、移動するために抱っこするそんな抱っこが多くないですか?お母さんが抱きしめてほしい時って、どんな風に抱きしめてほしいですか?赤ちゃんだって同じです。赤ちゃんを包み込むように大事に抱っこしてほしい、温かい気持ちで抱っこしてほしい。

パパが抱くと泣いちゃうとか、どうやって抱っこしていいかわからないパパは、抱っこすることすら緊張して、躊躇します。どうせママじゃないとダメなんだろう?っていう気持ちが働いちゃうかもしれません。でも、そんな自信のない人に抱っこされたら、赤ちゃんはどう思うでしょう?緊張して、体から話して抱っこする。赤ちゃんの身長の三倍の高さでぶんぶんゆすられる・・・。そう思ったら、怖くないですか?

自身のないパパだって大丈夫です。「自分のこの厚い胸板にど~んとこい!」っていう気持ちで、彼女を抱くように、自分の胸にしっかりつけて、柔らかくまあるく抱っこすると、赤ちゃんも安心します。相手を1人の人として思いやる、「これがいい?これが心地いい?」って、相手がどうすれば心地いいかを思いやる気持ちが大事なのです。

おむつがえも、同じこと。状態をタオルなどで少し高くしてあげて、M字開脚をしっかり守ってあげて、足のうらをあわせて、おへそに持って行ってあげると、赤ちゃんの姿勢をまあるく保ったままおむつ替えができます。

抱っこも、お世話も、全て気持ちは一緒。M字開脚を守って、お尻よりひざが上に上がるように、赤ちゃんがリラックスできるように、まあるく包んであげるそんなイメージをしっかり持ってあげると、赤ちゃんが楽ちんで心地いいのです。

 

皮膚は 「第三の脳」

皮膚は「第三の脳」ともいわれています。赤ちゃんのお世話するとき、抱っこするとき、めんどくさいな~と思ってするのと、温かく包み込むような気持で抱っこするのとでは、触れられた時の安心感が全然違います。これは、パートナーと、背中に手を当てっこしてみたらわかります。お互い、首根っこや、肩甲骨に、「めんどくさいな~」って思って手を当てるのと、パートナーのことを「大好き~!」って思って、ふんわり手を当てるのと。

後者の場合、じわ~っと、心地いい暖かさを感じるのです。それが、皮膚の感覚。肌で感じる感覚は、実は非常に敏感です。

赤ちゃんだけじゃなく、お年寄りになっても、この、肌の感覚はとても大切です。人は、触れてほしいのです。それも、温かい気持ちで。

人は、一日30秒のハグで、ストレスの1/3が軽減されるともいわれています。タッチセラピーというのもありますが、優しく触れることで、脳内のセロトニンが分泌され、安心感を抱きます。

泣き止まないから、仕方なく抱いてゆするのではなく、赤ちゃんが心地よくなる抱っこを心がけてみてください。赤ちゃんだけじゃなく、少し成長した、上のお子さんも、同じことです。ふんわり温かく包み込む抱っこを心がけてみると、心が安定した子になっていきます。

 

悪ガキと言われる子供たちの心の奥

数年前、子供たちの居場所を作りたいと思い立ち、庭を近所の子供たちに開放することにした矢先、乱暴で、口の悪い、全く大人の言うことを聞かない悪ガキ三人組が庭にやってくるようになりました。

その子たちとかかわる中で、悪ガキと言われるような子供達に、ある想いがあるのを感じました。彼らに必要なのは、どんな言葉なのか?どんな態度なのか?だんだんにわかってくるようになりました。

悪ガキたち

ケンカっ早くて、それまで平和に遊んでいた子ども達を押しのけ、ここは自分達の遊び場だぞ!って言わんばかりに好き勝手にする。ものは壊すし、大工道具は出しっぱなし。ケンカして馬乗りになって殴る蹴る。きっといつも怒られなれているからでしょう。怒っても、大人の言うことなんかまったく聞かず、説教も右から左へ抜け、説教が始まると思うと、さ~っと逃げ去り、ほとぼりが冷めるまで寄り付かなくなる。大人が居ないときに、勝手に火をおこしてたき火してたり、とにかくすごい子ども達でした。

でも、一方で、なんだか憎めない子どもらしさがあり、遊びを作り出すことに対しては天才的な才能を発揮するのでした。

ドジョウを大量につかまえて来て焼いて食べたり、おこずかいで野菜や魚介類を買ってきて、「鍋パーティーなるから火を起こして」と言ってきたり。その辺の木の枝と輪ゴムでモリを作って「魚取りに行ってくる!」と、駆け出して行ったり、「ペットボトルとガムテープをありったけちょうだい」というから渡すと、いかだを作り、水路に走って行ったり、大人では到底考えつかないアイディアをつぎつぎ出して、いつもびっくりするようなことをする子達。
彼らがいることで、遊びは飛躍的におもしろくなり、刺激的になるのでした。

怒りのコントロール

そんな愛すべき悪ガキ達ですが、腹が立ったり、自分の思い通りにならないと、すぐに手や足が出ます。
でも、「顔を蹴るのはやめなさい!」というと、「だって、俺のお父さんだって、おこると顔蹴るよ」って言います。怒ったときは、殴ったり蹴ったりすればいいってからだで覚えてきたんだとおもいます。怒りを表現する方法が暴力だとしか体験してなければ、当然子供もそうなります。その子が、口汚く友達をののしるなら、ほとんどの場合、家庭でも、親や兄弟に口汚くののしられています。

彼らが取っ組み合いのけんかを始めるたびに、怯える息子を安全なところに離し、殴りかかりに行こうとする子供を抱きとめ、なんでそうなったのか、話を聞きます。怒りが収まらないときには、

「頭に来たからって、殴っていいわけじゃないよ。少なくとも、うちでは誰も、怒っても殴ることはしないよ。怒って殴るのが当たり前じゃないんだよ。ほら、ちっちゃい息子も怖がってるじゃない?怒ったときは殴っていいなんて、この小さい息子に教えないでほしい。そんな時は、相手とちょっと離れていたらいいよ。気持ちが収まったら、一緒に遊べばいいじゃない。」

そう話しかけました。庭の小屋の中で、ふてくされてゲームを始めるその子も、そのうち、気持ちが収まったのか、いつの間にかまた一緒に遊びだしたりしています。

そうやって、何度も話ていくことで、怒りをコントロールする方法を、少しづつ、少しづつ身に着けていってくれた悪ガキたちは、それから二年後には、口はまだまだ悪いけれど、ほとんど殴る蹴るはしなくなりました。

乱暴物だって、本当は甘えたい

昔のお父さんはよくげんこつで殴ったりしたものです。でも、子どもを思えばこそという気持ちもよくわかったように思います。お父さんは多少威厳がある方がいいのかもしれない。でも、今の子供たちへのそれが、かっとなって振るうげんこつでないことを祈ります。ただ、彼らの話から、自分のお父さんはこんな仕事してるんだぞ、すごいんだぞ!と、父親を誇りを持っているようにも思います。
そして、そんな彼らも、お母さんのことは大好きなのがわかります。当時4歳の息子が私に甘えておんぶしてくると、
「いいな~。でも、おれ、あかちゃんいるから、甘えないんだ。お母さんにくっつくと、あっちいってって言われるし。」ってつぶやいたときがありました。
悪ぶってたって、本当は甘えたいし、自分のことを見てほしい、気にかけてほしい。きっと、これは、この子達だけじゃない。どんな子でも、特に、みんなに乱暴しちゃうような、やんちゃな子ほど、本とは心の中ではそうなんじゃないかと思うのです。

だからこそ、その子に気持ちをかけてあげられる大人が、周りにいてほしいのです。

 

 

笑顔の夫婦、笑顔の家族でいるために

久しぶりに、熱を出しました。

子どもたちが熱を出すと、お母さんは、仕事を休み、子どもの看病をします。子どもが何人かいると、次々時間差で熱を出したり、子どもたちが回復して、やっと日常に戻るかと思いきや、お母さんが最後寝込んでしまったり。お母さんが熱を出すと、ごはん支度やら、子供の世話やら、家の中のことが回らなくって大変!という経験はありませんか?熱があってつらいのに、子どもたちは元気だし、家族のご飯を作るため、台所に立たなければいけない。

そんなときでも、家族の協力、特に、旦那さんの協力はとても大きいのです。

夫の協力はとても大きい

 

私が熱を出した翌朝、主人は私を起こすことなく一人で起きて、だまって台所に立ってくれました。子どもたちのために、朝ご飯を作り、洗濯をして、子供たちを送迎して慌ただしく仕事に向かいました。

お陰で、ゆっくり起きることができて、とてもありがたくって、そんな主人に感謝した朝でした。そんな主人のFBの投稿です。

妻が熱を出した朝。
朝ご飯と子ども達の弁当を、と思い立つも、
さて、
何作ろうか?
朝ご飯と弁当3個同時進行、
(結局、子どもの弁当はなくてもいい日でした)
でも、時間は限られてる、考えてる時間はない
その間に自分の身支度もしたい、

毎日これを時間内にこなしている、
マルチタスクな妻は本当にすごい!
と改めて尊敬です。

自分はいつもの朝は、犬を散歩させて、
洗濯して、干して、
ごみの日はごみを集めてごみ出し・・・

以前、私がいないと何が困るかみたいな話を妻とした時、
「朝の犬の散歩」が最初に出てきて、
自分の存在価値はそんなものか!と悲しくなったのですが、

今日みたいなことになると、
犬の散歩でも洗濯でもなんでも、
いくらでもやってもらえるのは確かに助かるなあと思った。
でもやっぱりちょっと悲しいけど。

時には立場をかえて、色々やってみるのもいいもんです。
お互いの大切さに改めて気づくし、相手への感謝がまた増えます。

家事も育児も、
楽しいことも悲しいことも、分かち合う。

笑顔の夫婦であるために大事なことです。

お母さんが寝込んでしまったとき、旦那さんの協力があるかないかはとても大きい。例えばこれが、熱の時だけじゃなくって、妊娠中のつわりの時なんかも同じです。台所に立つのもつらいとき、力になってくれたら、どんなに助かるか。

家族みんなで乗り切ると絆もより深まる

 

家の場合、上の子供たちも中、高生と、大きくなっているので、とても力になってくれます。犬の散歩は次男が担当。洗濯物たたんだり、ちょっとしたことは6歳の末っ子が担当。主人がまだ帰ってきていないときの晩御飯は、娘が部活を休んで作ってくれました。ごはんとみそ汁、ちょっとしたおかずぐらいは、どの子も作れるように小学校時代に仕込んでいるので、こんな時は、とっても助かる子供たちの力。

そして、家族で協力してくれるからこそ、家族の絆も一層深まります。主人がだまって台所に立ってくれる姿を見ていた子供たち。あ、自分たちも手伝わなきゃ、って気持ちに自然となるようで、何も言わずに手伝ってくれる姿は見ていてうれしい。

そして、何より、母をいたわってくれてるその気持ちがうれしい。

夫婦が、家族が笑顔でいられるためには、お互いにいたわる気持ちが大事ですね。