自分の窓を増やす

最近、ふと、NHKの高校講座の英語コミュニケーションを見ました。

その中で、「なぜ英語を勉強しなければならないんですか?」と聞かれたら、なんて答えるんですか?という問いに、

「日常過ごしている部屋は日本語の窓があります。そこからは美しい山の景色が見えるんです。でももし、後ろの壁に英語の窓があったとしたらどうでしょう?英語の窓からは、美しい海の景色が見えるのかもしれませんよね。」

「新しい世界が広がって見える窓をつくるのが、英語を勉強する意味なんですね」

という会話がありました。

ああ、すごくいい表現だな~と思ったのです。

英語はものすごく苦手だけど、英語に限らず、いろんな窓を持ちたいな~と思いました。

小さな窓から見える景色

よく、「妊娠すると、妊婦さんが急に目に入るようになる」と言います。

それまで、同じように生活していても見えなかった(全然気が付かなかった)妊婦さんが、妊娠したことがわかったとたん、ここにも妊婦さん、あの人も妊婦さん、あれ?こんなに妊婦さんいたんだ~!と気が付くんですよね。

前は、それをアンテナが立つと表現していました。

アンテナが立った途端、受信できるようになるんですよね。

アンテナは窓でもあります。

人間は、きっと、一度にたくさんの情報を処理しきれないから、窓を狭めて物事を見るようになっているのではないかと思います。

五感から入る様々な情報を、自分の日常でよく使う感覚、必要になる情報に限って受信できるように、あらかじめ窓を小さくして、方向を絞り、必要な情報を素早くキャッチできるようになっているのかなと。

膨大な情報の中から、自分に必要な情報を取捨選択するのって、時間がかかるでしょうから。

でも、一方で、狭めた小さな窓から見える景色が、自分の知っている世界で、それが世界のすべてだと思ってしまうようなところがあるのではないでしょうか。

たくさんの窓

春になると、ヨモギがたくさん生えてきます。

ヨモギがどんな葉っぱなのかを認識していなければ、散歩していても、まったく気づかないのですが、一度誰かとヨモギを摘んでヨモギ餅を作ったりする経験をすると、とたんに、

あ!あそこにもヨモギあったんだ!

なんだ、ここにもあるじゃないかと、ヨモギがやたらと目につくようになるんです。

自分の見えてる世界と、他の人に見えてる世界は違うのかもしれません。

そう思うと、他の人にはどんな世界が見えているのか、知りたくなってきます。

同じ景色を見ていながらも、自分がまだ知らない美味しいもの、楽しい事、素敵な世界を見ている人が、絶対周りに入るんです。

そんなたくさんの窓から、世界を見てみたいと思いませんか?

最初は、障子に指先で開けた小さな穴から覗いてみてもいいんです。

あれ?どうやら、こっちの窓からは、違う景色が見えてそうだぞ。って、気づくことが大事なんです。

そのうち、プスプスとたくさん開けた障子の穴から、自分が見たい景色の穴をもうちょっと広げてみるんです。そしたら、その穴の向こう側にいた人と仲良くなれるかもしれません。

例えば、障がいを抱えている人たちや、マイノリティの人たちは、分厚い壁で囲まれて、私達から見えないので、社会の中で、まるでいないかのように扱われてしまっていたのではないかと思うのです。

私たちがバスやタクシーに乗る時、何も不便を感じていないとしても、障がいのある方は、何日か前に予約しないとバスに乗れないとか、不便さを強いられているとか。

左利きの人にとって、世の中のすべての道具が右利き用になっているから、はさみが使いづらいとか、お玉が右利き用ばかりなので汁物をよそいづらいとか。

そういう不便が多々あるということを、その世界に通じる窓があるだけで、気遣うことができると思うのです。

ベビーカーを押して街を歩いてみて、ちょっとした段差に苦労したり、公共の乗り物に乗る時に苦労したりして、初めて、障がいのある方に対する窓の穴が開きます。

たくさんの窓を持つことで、世界は、自分が今まで知ってた世界より、意外ともっとずっと広いのだと思うことができるのではないでしょうか。そして、今まで知らなかった世界の人と話してみると、きっと自分の世界の見方が、がらりと変わるかもしれないのです。

自分の窓

私の窓にはなにがみえてるかな?

たまに自分の見えてる世界をちょっと遠くから眺めてみるといいかもしれません。

小中高と、子どもだった頃の私は、家と学校の世界しか知りませんでした。

大学に入って、探検部に入ったことで、自然に対する窓が大きく開かれました。

大学で学んだことで、農学部だったので、農業という窓も、ちょっぴり開きました。

結婚して子どもが生まれたことで、子どもの世界への窓が開き、

いつしか、「自然」と「子ども」の窓がつながりました。

最近は、教育の世界に関わるようになり、「学校」「教育」という窓がひらきました。

最近は、子どもの教育について考える日々です。

主人が町内会に関わりだしたことで、「地域」の窓が開かれつつあります。

地域と関わりながら、「子ども」と「地域」をつなぎたいと活動してます。

姪っ子が障がいを抱えていることもあり、「障がい」に対する窓も、まだまだ小さい小さい窓ですが、開いています。でも、まだまだ知らないことばかりです。

そしてきっと、まだまだ知らない世界の窓があるんです。

知らないのだということを自覚した上で、次はどの窓を開いてみようかと思いながら世界を見ています。

多様な視点で、たくさんの窓から世界を見ることができたなら、世界はもうちょっとやさしくなるんじゃないかと思います。

 

「感じることが先にある」というはなし

小学校の理科の実験でのこと。

最近、6年生が『水溶液の性質』という単元に入りました。

最初に、A:食塩水、B:炭酸水、C:うすいアンモニア水、D:うすい塩酸の四つの無色透明な液体を、においや見た目で判別する。というのが、最初にあります。(今は、ABCDはランダムに書いています)

今までは、割と、見た目でBが炭酸水だとすぐに確定し、次に、臭いをかいで、アンモニアのきつい臭さに、おえ~!ってなりながらも、すぐに、くさいトイレの臭いみたいだから、Cはアンモニア!ってわかって、塩酸は、薄めてあるから、臭いが分かりづらいんだけど、なんとなく消毒液みたいな、病院みたいな臭いがするっていうところで、ちょっと臭いがあるから、きっとDが塩酸で、最後に残ったやつは臭いもないし、食塩じゃないか?ってことで、割と判別できたんですよね。

で、じゃあ食塩だったら蒸発すると出ることが五年生の学習で分かっているから、蒸発させてみよう!

Aだけが白い粉が出てきたから、はい!Aが食塩決定!

みたいな感じだったんですよね。

ところが、ここ数年、ちょっと様子が変わってきて、食塩水と炭酸水は、見た目と臭いと、蒸発させるという工程で判別がついてわかるんだけど、Cの臭いを嗅いだらうっ!!ってなるんだけど、「強烈な臭いがするから、これは塩酸だ!」っていう子がちらほら出てきてて、今年なんかは、クラスの半分がCは塩酸で、Dがアンモニアだって答えて、意見が割れたんですよね。

「じゃあ、答え合わせしましょうか!」

と、「食塩水と炭酸水は正解です!」ってなったんだけど、困ったのは、塩酸とアンモニアの判別。

なんでアンモニア水って、わからないのかな?と思ったときに、一人の子が、塩酸のにおいをかいで、「トイレのにおいがしたから」と言ったんですね。

最近の子達は、きれいに消毒されたトイレしか使っていないから、アンモニアのにおいが分からない子が増えてるんじゃないか?って思えたんです。

ぼっとんトイレとか、くさい公衆トイレとか、あの匂いを知っていたら、即座に、あの鼻を突くようなにおいはアンモニア水だ!となるはずが、アンモニア臭が分からないし、塩酸のにおいだって嗅いだことないから、どっちがどっちだかわからない。っていうことになっているんだな~と。

五感で感じた経験があるから、知識と結びつく、ということを実感しました。

とはいえ、あのくさいトイレのアンモニア臭を、経験させなきゃいけない、なんてことはないんですけどね(笑)。
そういう時代になって来たんだな~と思ったわけです。

今の教科書だと、もう、最初っから、食塩水、炭酸水、うすい塩酸、うすいアンモニア水って、ラベリングしてあるものを蒸発、石灰水、リトマス紙、金属を溶かす、っていう実験で進めていくんだけど、正解を言っちゃってからだとつまらなくないかな?

それとも、教科書の順番をすっ飛ばして、いきなり金属溶かしてみるか?

って思ったわけです。でも待てよ。一学期、塩酸使った実験があったぞ。

と、いうことで、答え合わせする前に、一つ、教科書にはない実験を追加することにしました。

実は、6年生の一学期に、『気体の性質』という単元の中で、演じ実験ではありましたが、「二酸化炭素と、酸素を発生させる」実験を見ていた子供たち。

「一学期、気体を発生させる実験で、塩酸と何かを混ぜたら二酸化炭素が出たんだけど、何を混ぜたか覚えてる?」

って子どもたちに聞いてみたら、覚えていた子がいました。

そう。大理石に塩酸を滴下したら、ぶくぶく泡が立って、大理石が溶けて、二酸化炭素が発生したのでした。

「そしたら、CとDに大理石を入れて、泡が出て溶けた方が塩酸ってことなんじゃない?」

っていうことで、次の実験の時に、大理石を入れてみることにしました。

次の実験が楽しみです。

 

たくさん感じ、体験したことが多ければ多いほどいい

何が言いたかったかというと、知識を詰め込むより先に、臭いをかいだり、見たり、聞いたり、(実験では味わうという子とはしないけれど)、自分の体で体験することがあって、初めて未知のものと出会ったときに、自分の体験と照らし合わせて予測することができる、ということなんですよね。

ちなみに、5年生の息子に、「アンモニアのにおいって言われて分かる?」って聞いたら、「アンモニアって、おしっこの臭い?トイレの臭いとか?」と、即答でした。八甲田に登ったとき、山小屋のトイレも、アンモニア臭がただよっていたのを思い出したようです。
息子には、臭いトイレの経験がありました。おそらく、6年になって、この実験をしたとき、「これ絶対アンモニア!」ってわかると思います(笑)

子供時代に、多種多様な経験をし、たくさんたくさん感じ、体験したことが多ければ多いほど、未知のものに出会ったときに柔軟に対処できるということでもあるのです。(繰り返しますが、臭いトイレの臭いを経験させなさいってことではないですよ(笑))

感じて、体験したことが知識と結びついた時、その知識は、自分の経験として、しっかり根付いていきます。
でも、一方で、頭で教科書を覚えただけ、いかに正解を書くか、だけの知識は、その習慣を過ぎれば、あっという間に記憶のかなたに飛んで行ってしまいます。

私がそうでしたから。昔、あれほど勉強した(暗記した)様々なこと、あれもこれも、全然おぼえていない。

いろんな経験と結びついて、「あ~!あれってそういうことだったのか!」って腑に落ちたとき、はじめて学ぶことが楽しくなってきます。記憶に残ります。

ってことは、あれを溶かしたら溶けるんじゃないのかな?とか、どんどん違う興味がわいてくるようになる。で、試したくなるんですよね。

で、思った通りの結果だったら、やっぱりそうか!ってなるし、思ってたのと違う結果だったら、なんでだろう?じゃ、こっちだったらどうなるのかな?って、違うやり方を考えたりする。

そういうトライ&エラーを繰り返し試せると、学ぶ意欲に火がついていくんです。

子どもたちの、そういうトライ&エラーは、普段は、遊びの中で発揮されます。

庭に子どもたちが掘った穴も、気がつけば、水路ができ、植物を周りに植えて・・・

最後は火山を作ったようですが、こんな状態(笑)

何をしようとしたのかはわかりませんが、何かきっと、面白いことひらめいて、やってみた結果、最後、こうなったんだと思うと、おかしくてしかたありません。

こうするともっと面白くなるかもしれないと、チャレンジして、失敗して、違う方法でまたチャレンジして成功して、筋トレのように、チャレンジと失敗と小さな成功体験をどれだけ繰り返してきたかが、大人になってからの人生の選択に柔軟性が出てくるんだと思っています。

今の子供たちは、わりとすぐに正解を求めたがります。

失敗しないやり方を、ユーチューブで先にみてからやってみるから、失敗もしない。

正解を先にみて、失敗しないように失敗しないように育っています。

なんなら、親も、つい、子どもに失敗してほしくないから、
「あ、ほら、そんなやり方じゃだめよ。こうした方がうまくいくよ」って、手出し口出ししがちです。

私だって、つい、口出ししちゃうこともやっぱりあります。

でもね、子どものうちは、正解を先に教えて成功させるよりも、失敗して見て学ばせることの方が100倍も大事なんだと思います。

口を出したい気持ちを、ぐっとこらえる大人の忍耐が試されますが。

 

人生は、これが正解の人生だ!なんてことはないんです。

やってみてダメだったら、違うことをすればいい。違うやり方を試してみたらいい。

正解かどうかなんて、もどうでもいいんです。

その、「こうやったらどうなるんだろう?」っていうワクワクが、人生を作っていくんだと思っています。その積み重ねが、結果として、面白い人生になっていく。ただそれだけなんだと思います。
すごいことを成し遂げる人もいれば、はたから見たら、何も成し遂げていないような人生だったとしても、毎日を幸せに暮らしている人もいるわけです。

人生楽しもうよ

理科の実験から思った、「感じることが先だよ」というお話から、人生の話に展開しちゃいましたが、

こうして書いてる文章も、最初は、「感じることが先だよ」って言いたかったから書き始めたのですが、書いているうちに、私の感情が、「人生楽しもうよ」という話を書けと言っているから、こういう流れになってしまいました。

達成感、幸福感、喜び、悲しみ、怒り、いろんな感情を味わい尽くし、この地球に生まれたことを楽しもうよと、私は言いたい。

正解なんてどうでもいい。正解にたどり着くまでのその過程を楽しみたい。

子供時代、私は算数が好きでした。

問題を解く、その過程が楽しくて仕方なかった。算数は正解があるから、それはそれで、正解にたどり着くまでの「こうすれば解けるんじゃないか?」というひらめきと、解いていったその先の達成感が好きだった。

でも、今は、正解かどうかよりも、答えのない問いに、どうアプローチしたらいいんだろうか?っていうことを試行錯誤して、これのやり方がいいんじゃないか?と、手探りながらやってきた、その過程を楽しんでいます。そして、やってみて、どうやらこのやり方は間違ってなさそうだぞ、思う時もあったりしています。

でも、いや、もっと違うやり方だったら、もっともっと、いろんな子供たちを幸せにできるんじゃないか?と考えたりもします。

結局のところ、いつまでたっても正解にはたどり着けそうにありません。

だけど、子どもたちの未来に、美しい地球が残っていて、やさしい世界が広がっていることを願っているので、ただただ、愚直に、目の前の私にできる精一杯のことをやるのみの毎日です。

理科の実験の話から、まさかの人生の話への展開。

思ってもない方向に転がるのも、また、楽しいものです。

 

理科の実験の話で始まったので、最後に再び実験室のお話。

最近の中休みの理科室には、3年生の子達がよく遊びに来ます。そう、ただ、遊びに来るんです。

人気なのは段ボールの空気砲。ひたすら紙コップ飛ばしています。

こちら、砂鉄をとるのに夢中の子ども達。

磁石をビニール袋に入れて、砂に近づけて、砂鉄とっています。(もちろん砂だらけになるので、チャイムなる前に砂をきれいに片付けてもらいます)

砂は、5年生の川の流れの実験用に実験室にあるやつです。

砂鉄、ちょうだいちょうだい言うので、「こうやって、集められるから、うちに磁石があったら、公園でも校庭でも、どこでも砂鉄、集められるよ~」と言っています。

3年生はまだ、実験が本格的に始まっていないので、実験って、なんか楽しい!理科って面白そう!実験するの楽しみ!!そう思ってもらえたらいいな、と思っています。

まずは、感じてもらいたい。

 

 

 

生きてるとは

生命は進化する。

言い換えれば、変化する。

生きるという事は変化していくこと。

流れるように、流動的に。

地球も、毎年春夏秋冬ひとめぐりして、何も変わっていないようでいて、

実はものすごいスピードで動いてる。

太陽の周りを約時速10万㎞で公転し、

さらに、自転速度は時速約1700㎞。

さらに、太陽系は、銀河系の中を約864000㎞で移動している。

もう、それはそれは、ものすごい速さで動いている。

ってことは、今日の私と、昨日の私がいる場所は、ものすごい移動しているわけで、

昨日の私と今日の私は全く別の場所にいるわけです。

さらに、人間の細胞は、毎日ちょっとづつ生まれ変わっています。

人間の腸の細胞は数日で入れ代わり、

肌の細胞は約一ヵ月で入れ代わります。

ってことは、今の私と、一か月後の私は、別人になってるとも言えるのではないでしょうか?

 

生きているものは、常に変化し続けています。

 

流れが止まった時、いのちは止まる

生きるという事は、流動的に変化することだと思うのです。

木だって、ただそこに何年も何十年もたっているだけに見えて、

その枝は、毎年ちょっとずつ伸びて、根を大地に張り巡らし、大きくなっていきます。

その内部では、常に水が動いています。

水は大地から吸い上げられ、大気に流れていきます。

 

その、水の流れが止まった時、いのちは終わります。

 

人もまた、人の体内では常に血液は流れ、動いています。

水を飲み、汗やおしっこで排出します。

 

そう、生命は流れています。

 

川の流れのように、流れている水は腐りません。

船の中で水が腐らないのは、波で常に動いているからだと聞いたことがあります。

流れの止まった水は腐る=死ぬということなのかな。

 

生きるという事は、変化し続けること

生きるという事は変化していくこと。

動き続けていること。

流れ続けていること。

とどまることを知らず、

流れる水のように。

海に流れた後でもなお、波として動きつづけ、

大気に蒸発し、雲となり、雨となって降り注ぎ、循環していきます。

 

動き続け、循環し、変化していくのが自然の姿であるならば、

人もまた、自然な姿と言うのは変化していくことなのかもしれないと思うのです。

 

同じところにとどまり続けず、

変化を恐れず。

 

時に、とどまり、動けなくなることもあるけれど、

とどまり続けているように見えて、

実のところ、イモムシがさなぎになって、

さなぎの中で蝶に変化するように、

じっくりと、ゆっくりと変化している、ということもあるのかもしれません。

 

それまでの自分とは違う生き方に触れたり、

自分とは違う考え方に触れたり、

違う価値観に出会った時、

それまでの自分の価値観が大きく崩れ、

新しい世界が見えてくることもあります。

 

そんなとき、人は大きく変化します。

 

変化を楽しもう!

子ども達は、じっとしていることが苦手です。

子どもたちは常に動き続けています。

細胞が盛んに分裂し、変化の最盛期にあるからです。

そんな子どもたちを、本来は一つのところにとどめておくのは難しい。

遊びの中でも、常に刺激を求め、どうやったら今よりも楽しくなるか、

どうやったらもっと面白いかを探究していきます。

 

でも、いつの頃からか、変化を恐れるようになります。

 

現状にとどまりたくなります。

 

そのほうが楽だから。

 

変化するには、それなりのエネルギーがいります。

高い所から低いところに動く運動エネルギー。

重力に逆らって水を吸い上げる力。

エネルギーが不足していては流れること(動くこと)ができませんよね。

 

変化を恐れるのは、ある意味、エネルギー不足なのかもしれません。

 

時には休養して、よく眠り、おいしいもの食べて、お日様のエネルギーを体に取り込み、植物たちからもエネルギーをもらい、自分を満たし、エネルギーを充電する必要があります。

 

子ども達がエネルギーにあふれているのは、食う、寝る、遊ぶで、充分エネルギーチャージしているから。

食う。

寝る。

遊ぶ。

さらに、お母さんからの愛情のエネルギーチャージもありますからね。

毎日エネルギー使い果たすまで遊んでは、ご飯をたっぷり食べて、お腹も満たされ、お母さんに甘えて、ぐっすり眠り、次の日にはエネルギーがフルチャージされています。

大人も、子どものように、エネルギーを満タンにできたなら、変化を楽しめるようになるのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生を楽しもう!


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あなたは、何歳まで生きたいですか?

その時、お子さんがいる方であれば、お子さんは何歳になっていますか?

あなたが寿命を迎えたとき、あなたの周りにはどんな人がいて、あなたはその人たちにどんなことを話していますか?残された人に、どんなメッセージを伝えますか?目を閉じて、ゆっくり想い描いてみてください。

そして、今度は、計算してください。今のあなたの年齢からその日まで、あと何年ありますか?その残りの日数で、あなたは何をしますか?どんなことをして過ごしたいですか?人生を楽しみますか?寿命を迎えたときに話したような人生を送るために、今できることは何ですか?

弦を緩めよう

人生には、それぞれ山があり谷があります。その山や谷が大きな人もいれば、緩やかな人もいます。マイナスが大きければ大きいほど、プラスに向かう力は大きいとも言われています。弓を力いっぱい引くと、遠くまで矢が飛んでいくように。

今、辛い状態にあったとしても、それは今、弓を引いている状態なのかもしれません。でも、弓を張り詰めれば張り詰めるほど、弦は切れやすくなってしまうものです。

こうあらねばならないと、気持ちを張り詰めすぎず、緩めることを意識することも必要です。いっぱいいっぱいになってしまうと、緩みがなくなってしまいます。

緩むためにはどんなことが考えられるでしょうか?

・笑う(楽しい映画を見たり、面白い番組を見てもいい。朝起きたら、鏡で自分の顔を見て、笑顔で今日もいい笑顔だね!って声に出してみてもいい)

・温泉に入る

・自分の好きな事、楽しいことをして過ごす

・体を動かす(体が緩むと、自然に心も緩みます。座りっぱなしの人は、ストレッチしたリ、ヨガをしたり、ウォーキングしたり、体を動かしてみましょう)

・好きな音楽を聴く(音楽に合わせて踊ってみるのもいい)

・深呼吸する

・朝日を浴びる

上記のことは、ほんの一例です。辛い状態の時は、自分にできる、どんな小さなことでもいいから、ベクトルを上に向けることを実践してみてください。

自分を幸せにすることは、自分にしかできません。

自分の人生は、どう生きるか、自分で決めるという覚悟を持って、自分が幸せになることに意識を向けてみてください。
想い癖はなかなか治らないものですが、それでもネガティブな感情が湧き起こったら、その都度、目を閉じて、抜けるような青空をイメージします。
風に吹かれて雲が流れていく様子や、木々がさわさわと風になびくのをイメージして、深く2,3度深呼吸して、自分のネガティブな感情にピリオドをつけてください。

人生を楽しんでいい

人生の残り時間をどう生きたいかをはじめに意識したら、あとは、自分に人生を楽しんでいいのだと許可を与えるだけ。不安や恐れを感じたら、「やめた」と言って、 今この瞬間から、自分が幸せになることを選ぶだけ。

楽しむと決めたら、楽しいことに意識をフォーカスします。

自分がやってみたいことをやってみる。

ずっと、うちでお餅つきがしたかった。ついに去年、小さな臼と杵を入手しました。お正月に食べるお餅は、自分でもち米を蒸して、家族でお餅を搗くことにしました。

スノーボードも、ずっと気にはなっていたけど、長年スキーをやっていたので、スノボに挑戦するのがちょっぴり怖くて、挑戦できずにいました。

去年、娘がスノボに初挑戦したとき、ああしたほうがいいんじゃないとか、こうしたほうがいいんじゃないとか、知ったかぶりでアドバイスしたら、娘に「だったら自分でやってみてよ!」と怒られての、今年初挑戦のスノボ。

思いのほか難しく、全身使って一時間半で汗だくでギブアップ。それでも、何とか前滑りで斜面を下りてくることができるようにまではなりました。

家に帰って、夜、暖かい湯船につかって、全身の疲れをとるのもまた極楽です。

そして、一晩経って、今日は全身筋肉痛です(笑)

でも、すごく楽しかった!できないことができるようになるのって、いくつになっても楽しいものです。

そして、冬休み、子供を雪遊びに連れていき、どうせならと、私の分のソリももちろん持っていきます。子供みたいに体力の限界まで滑りはしないのですが、それでも一緒に登って、こんなジャンプをしながら、雪まみれで子ども達と笑う時間もまた楽しいものです。

子供と遊ぶことを楽しんじゃおう!と思っています。もちろん、いつもいつもは大変です。子どもの遊びに付き合いたくないときは、「今日はお母さん(新藤さん)お仕事してるから遊べないよ。」と、遊びに誘われても断ることもあります。あくまでも、私が一緒に今日は遊んでみようかな♪と、気分が乗った時だけです。でも、どうせ遊ぶなら、子供より楽しもうとする自分がいます。そして、子供に負けてたまるかと大人げない私もいます(笑)。

そして、昨年挑戦したことがそういえばもう一つ。

地元の秋祭りで笛で参加したこと。

実は、篠笛を吹くのは初めてでした。

娘は小学生の時から笛をやっていたので、笛では娘の方が大先輩。娘に「お母さん、ほんとに大丈夫なの?」って心配されながらも、毎日練習してなんとか演奏できるまでになりました。自分が笛で出るなんて言うのも、やってみたかったけど、自分には無理かも・・・横笛って音出すだけで難しいんだよね~って思って挑戦できなかったこと。

でも、挑戦してみてよかった!子ども達と一緒にお祭り出て、すごく楽しかった!食わず嫌いじゃないけれど、やる前からムリムリ、って言ってたらできなかったことばかり。

本の出版だって、やるって決めたら、ちゃんと形になった。

そして、たくさんの方からうれしい声をいただきました。ありがたいことに、応援して下さる方も増えました。

「新藤さんって、いっつもなんか楽しそうだよね」

と、FBの投稿を見た人に良く言われます。

楽しいです。

自分で人生楽しもうと決めたから。

やってみたいと思っていて、まだ挑戦できていないことはまだまだたくさんあります。小さなことから、大きなことまで。

残りの人生、どう生きるかは私が決める事。

笑って過ごすもよし。新しいことに挑戦してもよし。人のために生きるもよし。でも、最終的に自分がやりたいからやる。自分を幸せにできるのは、自分しかないのだから。

でも、私の場合、自分が楽しいことを発信するにしても、ただ楽しい!って、発信しているわけではありません。そこには、一つの想いをのせています。

この投稿を見てくれた人が、自分も楽しい人生を生きていいんだ、って思ってほしい。自分も、楽しもう!そっか、楽しんじゃえばいいんだ!って思ってくれたらいいな~という想い。

もっと子供たちと子供時代を楽しもう!って思ってくれたりだとか、子供たちにもっと外遊びさせてあげたいな、って思ってもらいたいとか、そんな想い。

想いは言葉に乗って届きます。

想いがのった言葉と、想いがのらない言葉は、伝わり方が違うと思っています。

どうぞ、皆さんも、楽しい発信をしてくださいね。

その発信を見た人が、楽しくなるような。

プレーパク情報

★1/19は青森アピオでプレーパークです

★1/26(土)は駒っこランドのプレーパークです

★1/27(日)は八戸はっちで映画の上映会に合わせてプレーパークです

★2/23(土)駒っこランドでプレーパークです

はぴちるLINE@では、はぴちるプレパ情報など、随時配信いたします。

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11月に出版した私たちの本もよろしくお願いいたします。Amazonでも購入もできますが、 ほんとは、できれば、地元の本屋さんに注文して買っていただきたいと思っています。地元の本屋さんも大事にしたいと思っています。「悪ガキたちの秘密基地」、どうぞ手にとって読んでみてくださいね。

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