大人も子どももごちゃまぜに!

子どもたちが夏休み中、地域の中で子おもと大人をつなぐチャンスなんじゃないのかな~と思い、今年は町内会と連携して、「大人と子どもをつなぐ」ということを意識してみました。

ベースは、子どもが楽しめる企画というところなのですが、そこに大人もお手伝いに来てもらったり、ということを始めてみました。

大人と子どもがごちゃまぜに

今年はなんと、主人が夏休み初日にアキレスけんを切ってしまいまして、波乱の夏休みの幕開けでしたが、今年は、町内会の中で私たちが企画した企画が目白押しでした。

主人が町内会で企画していたラジオ体操は今年で3年目。

私が代わって行くことにして、朝は健康的にラジオ体操からスタート!

ハンコ係の子どもたちが頑張ってくれて、無事、5日間のラジオ体操も終了。

お土産のある最終日に向けてちょっとづつ増えていく子供たち。

お孫さん連れた地域の方や、友達同士で声かけあって来てくれたり。

たまたまお散歩中のご近所さんにも、「一緒にラジオ体操しませんか?」って声かけて。

ここ数年、コロナもあって(コロナ前からですが)、町内の大人と子供の交流が途絶えてしまっていましたが、一年目は3人だった子供が、三年目には17人の子どもが来てくれました!

『ラジオ体操の歌』を毎回歌ってくださるご年配の方の素敵な歌声からスタートする朝。

全員にパンとジュース。そして子どもにはちょっとした景品付きです。

そして、同じく町内会で今年初めて企画したのが夏休みの寺子屋。

寺子屋といいつつ、お勉強を教えるわけでも、プログラムがあるわけでもありません。

冷房の効いた集会所を開けてるから、自由に来てねと、朝から夕方5時まで、三日間。

宿題やってもいいし、卓球やボードゲーム、カードゲームもできるし、おやつ作ってもいい。セルフかき氷や、駄菓子もあります。

初日は、子ども三人で、そのほか、大人がおしゃべりしに来たりして、アイスコーヒー飲みながら涼んでいきましたが、二日目からは、子どもがいっぱい来てくれました。

お手伝いに来てくれた大人と卓球してくれる子もいたりして。

おやつ作りたいというので、ホットケーキミックスとホットプレートでおやつ作り。

一日目はお絵かきホットケーキ。

二日目はクレープ生地焼いて、好きな具材入れて、セルフクレープまきまき。

集会所に来てくれたのは男の子ばっかりでしたが、「オレが混ぜたい」「卵割りたい」「自分でひっくりかえしたい」っていう子ばっかりで、材料だけ準備しt、後は子どもたちにお任せ。

セルフかき氷は、作った氷がなくなるまで、何度でもお替り自由!

ただし、自分で氷を削ること。

 

そして、八月のお盆過ぎには町内会の夏祭り!こちらも、今年初めての企画です。

直前間dの雨で、チラシで呼びかけただけで、どのぐらい人が来るのか、お手伝いに来てくれる人がいるのか、まったくふたを開けてみないと分からなかった企画ですが、赤ちゃんから80代?まで、たくさんの親子、子ども達、お手伝いの大人が来てくれました。

射的は常に行列。お手伝いの方も大忙し。

地域の科学工作好きな方が、自作クレーンゲームをもってきてくださり。この方、頼んだわけではないのですよ。当日急に持ってきてくれて、「これ、置くとこあるかな?」と。

ありがたいことです。

他にもストラックアウトや、うちわづくり、三本木小唄踊ったり。

お手伝いに来て下さった皆さん、「あなた一人でやらなくていいから、みんなに仕事振ってね」と、それぞれが、「じゃあ、私はストラックアウトの所にいるわ」「私は駄菓子の所にいるわね」「あら、フランクフルト、まだこんなに余ってるの?どんどん焼きましょう」って、皆さん自分から動いてくれて、さすがだな~と感心。

外では大人が焼き鳥、フランクを焼いていて、子ども達はマシュマロ焼きも。

薄暗くなってきたところで花火!

「こんなに(町内に)子どもがいたんだね~」

「子どもがいるっていいね~」と言う大人の声や、

「また来年もやる?来年もこようかな~」という小学生。

焼き鳥焼いてる主人に、「ありがとな!おにいちゃん!!」お声をかけてくれるおじいちゃん。

「あ!ラジオ体操の人だ!」と、顔を覚えてて声かけてくれる子。

こうやって、地域の中で、大人と子どもがごちゃ混ぜになることで、赤ちゃん連れのママや、子どもたちにあたたかく声かけてくれる町内の皆さん。

お祭りが終わった後の撤収も早かった!皆さんの連携のいいこと!素晴らしい!

 

こうしてつながっていくためには、「楽しい」がキーワードだな~、と、いろいろやってみて思っています。

やってる本人が楽しい事。なんか関わったら楽しそうだと思えること。やってみたら楽しかった!またやりたい!って、思えること。

どんなに大変でも、その大変さを上回る「楽しい」が大事だな~と思います。

そして、継続。

まだまだ試行錯誤ですが、つながりをとりもどして、安心できる町に、やさしい町にしていきたい。

人と人とのつながりこそ 万全な防犯対策

「人と人とのつながりこそ 万全な防犯対策」

ドラマの『ばらかもん』でも、そんなセリフがありましたが、地域のつながりがあるからこそ、いざというとき安心できる町であるし、困ったときに声かけあったり、助け合ったりできるのだと思います。

先日、民生委員として、地域の介護施設の方や包括支援センターの方とお話をする機会があったのですが、そのとき心に残ったのは、たとえ、お年寄りが徘徊して歩くようになったとしても、地域の中につながりがあったら、声かけてあげたり、ご家族に連絡してあげたり、地域でできることもあるんじゃないのかなということでした。

地域の中に、将棋仲間だったり、お茶を飲んで話せる友達がいたら、孤立せずに済むのになと。

子育ても介護も、それぞれの家庭の中だけで完結しようと思うと、とっても大変で、一人で子育てするママ、一人で介護する家族にものすごく負担がかかるのです。家族のことだから、人に迷惑はかけられないと、自分一人で頑張ってしまう方も多いのですが、その背負った一人の身になにかあったら、本当に孤立してしまいます。

そして、孤立してしまうと、他の人の目に触れにくく、大変であることが気づいてもらえないのです。

子育てでも、介護でも、

もっと、地域の中で見守る目があったらね~。

大変な時、助けて欲しいと言える人がそばにいたらね~。

というケースも多々あります。

 

町の中に、子どもの遊ぶ声が響かなくなってきた昨今ですが、子どもはいます。

プレーパークや子どもの居場所をやっている中で出会った子の中には、夏休みになると晩ご飯しか食べないという子が何人もいます。昨日の夜から食べたのは、自分が買ってきたカップラーメンだけという子もいます。

そんな時、ちょっとお中にたまるものを作ってあげたり、買ってあげたりもします。

 

子育てにつかれたり迷ったりしてるママから相談受けることもあります。

ちょっと話を聞いてあげただけで、すっきりした顔で帰っていくこともあります。

時にはお子さんをお預かりすることもあります。

民生委員で回ったお宅で、もうずっと誰とも話していない。話ができてよかったとおっしゃる方もいます。

つながることでできることが、もっともっとあるのではないかと思います。

助けてと言える人が地域にいる。そんなつながりがあること。

そういう世界を作っていきませんか?

 

 

子供時代に、どれだけやりたいことをやりたいようにやるか

子供時代、大人に、あれはだめ、これはダメ、○○しなければ××しちゃだめ、そんなことしてないではやくこれやりなさい、あなたはこれをやってればいいのよ・・・等々。

禁止、否定、行動の制限、条件付きの愛。

子どもにとって良かれと思い、ほぼ無意識に発してきた言葉で傷つき、大人になってなお、それらの言葉が根強く潜在意識に残り、心を痛めている方をたくさん知っています。

そういう方が苦しむことの一つに、自分の好きなことが何かわからない、自分の本当にやりたいことが分からない、ということもあるようです。

「好きなことをやりなさい。あなたはあなたのままでいい。」そう言われれば言われるほど、自分が好きなことが見つからなくて、よけいに苦しくなってしまう人もいます。

そう思うと、子供時代の大人の関りって、実はものすごく子どもに影響しているな~と感じています。

大人の言葉だけでなく、友達、兄弟、もしくは社会からも影響されています。

好きなことをやっていたら怒られた。

好きなことやってたら、そんなこと何になるんだとわかってもらえなかった。

好きなことやってたら、何それ、変なの、ってからかわれた。

いろんな他人の反応によって、傷ついたり、恥ずかしい思いをしたり、悲しくなったりすることで、もう二度とそんな思いはしたくないと、どんどん「自分の好き」を押し殺していってしまうのです。

自分軸で生きるか、他人軸で生きるか

大人になった今、自分の好きなことを、自分の気持ちに正直に生きている人、自分軸で生きてる人って、なんだか輝いて見えます。

一方で、やりたいことをやり、後悔のない人生を歩んでいるように見える人をうらやましく思い、自分は好きなことも見つからず、悶々として、なんだか自分は何のために生きてるのかわからなくなってしまうという人も、少なからずいます。

だけど、本来、だれしも好きなことをやり、生き生きとした人生を送れるはずなんです。

ただ、子どものころから、繰り返し繰り返し好きなことをやてたら怒られた、からかわれた、否定されたというネガティブな記憶から、人は、知らず知らずに好きなことをやっていてはいけないというメッセージを受け取っていくのだと思います。そして同時に、言われたとおりにやったらほめられた、というような記憶が重なり、だんだん、お母さんはこうすればほめてくれるだろう、とか、相手はこうしたら喜んでくれるはずだと、人がどう思うかを気にしながら、他人軸で行動するのが癖になってきます。

それが10年、20年と続くうちに、はたと途中で気がつくんです。

あれ?そもそも自分は何がやりたかったんだろう?って。

今、好きなことをやって生きている人の中には二パターンあるように思います。

一つは、子供時代から、思いっきり好きなことをやってきた人。それを許されてきた人。

虫好きで、むしとりに夢中になった子供時代を過ごしていたとか、モノ作りがすごく好きで、子供時代はあれこれ分解して中の仕組みを知りたがったり、自分で何か作ることに熱中していたとか、絵をかくのが好きで、時間を忘れて絵を描き続けていたとか、とにかく野山を駆け巡り、日が暮れるまで遊びつくしていたとか、寛大な親の元、何かに熱中してきた子供時代を過ごした人たち。

もう一つは、そんなことは無駄だからやめなさいと言われても、まったく親の言うことを聞かず、とにかく親に、大人に、怒られ続けながらも、自分は自分のやりたいようにやると、反骨精神が強く、困難を乗り越えようとする強い気性を持っている人。

ただ、もしかしたら、そんな人は今は一握りかもしれません。多くの子は、「そんなことやめなさい」と言われれば、素直に親の言うことを聞いてしまい、大人が喜ぶようにふるまってしまうでしょう。

親としては、言うことを聞いてくれる子の方が育てやすいのですが、実は、そうやって育ってきて、大人になって悩む方も少なからずいるのです。

好きなことをやる時間がない子ども達

子供時代に思う存分好きなことをやらせてあげてほしいと思うのだけれど、今の子供たちはとても忙しいのです。

学校が終われば、塾や習い事、部活がある。土日は部活で試合だったり、塾の試験や検定があったり。

子どもたちは、やらなければならないことで時間を埋め尽くされて、帰ったら宿題やってご飯たべて、お風呂入って、ちょっと息抜きにゲームでもして、そしたらもう、寝る時間です。

好きなことをやる時間って、子ども達にありますか?

ボーっとする時間、一日の中にどれぐらいありますか?

本来子どもというものは動き回るものです。

好奇心御旺盛で、気になったら、頭より体が先に動いてしまうような、そんな存在です。

やってみたいと思ったら、まずやってみる。

それで失敗したとしても、そこから何かを学んでいくものです。

ごみ袋で空が飛べるかもしれないと思って試してみたくなることもある。(ほんとに高いところから飛ぼうとするなら、全力で止めますが)

無意味に見えるんだけど、ただただ木をトンカチで破壊していく子もいたり。

とにかく深く穴を掘って、地球の裏側まで掘ってみようとしてみたり。

深く掘るのをあきらめて、横穴掘って秘密基地に代わることもある。

自分の限界に挑戦して、ちょっと怖いな、って思う高さから飛び降りて見たかったり

雨に打たれてみたり

そんな、大人からしたら、無駄だ、できっこない、なにやってるの?っていうようなことも、実は子どもにとっては自分な好きなことに気づいていく大事な体験だったりするわけです。

で、そういうことを許してくれる大人がいると、受け入れられてるという安心感の元、またさらに挑戦できるのです。

でも、気になるのは、最近、教育虐待という言葉も出てきているくらい、多くの子どもの時間が、やらなきゃいけないことで奪われているように思えてなりません。

『ルポ教育虐待』

という本の中に、教育虐待に陥らないためのこんな自問リストがあります。

(1)子どもは自分とは別の人間だと思えていますか?
(2)子どもの人生は子どもが選択するものだと認められていますか?
(3)子どもの人生を自分の人生と重ね合わせていないですか?
(4)子どものこと以外の自分の人生をもっていますか?

そして、「子どもの人権」の「三つの柱」があると伝えています。
(1)『生まれてきて良かったね』と言ってもらえる。
(2)『ひとりぼっちじゃないからね』と言ってもらえる。
(3)『あなたの人生はあなたしか歩めない』と認めてもらえる

子どもは自分の所有物ではなく、一人の人格を持った人として考えることが一つ。

そして、その存在を、ただただ認めてもらえることが一つ。

その上で、

あなたはどんなことに興味があるの?

どんなことが好きなの?

そう、そういうのが面白いと思うのね。

そうだね。すごくおもしろいね。

もっとやってみる?

そんな関わりができたなら、大人になったときに「自分のやりたいことが見つからない」なんていう悩みにはぶつからないのではないかと思っています。

自分がやりたいことが分からない

大人になって、はたと気づいてしまった人は、ひとつづつ、まずは子供のころの自分に戻って、そういえば、絵をかくのが好きだったな。とか、本読むの好きだったな~、そういえば最近本読んでないな~。ちょっと本屋に行ってみようかな。とか、思い出しながら、今の自分がちょっとやってみたいな、って思うことを実際にやってみるといいと思うんです。

人は、発達の過程として、まず感じることが先に必要です。

感じることを先にやらないと、地に足がついていない根無し草のように、ふらふらと、自分が分からないという状態に陥りやすいのではないでしょうか。

 

6歳ごろまでに脳の9割が成長すると言われていますが、それらは五感で感じ、感じたものを快か、不快か記憶の中にインプットしていくことで、この世界に適応した脳に発達していきます。

どれだけたくさん感覚をインプットしたかによって、その世界に対する視野が広がります。

子供時代にインプットした感覚があって、のちに知識として学習したときに、初めて自分の感覚と世界がつながりをもつのです。

例えば、虫は嫌い!という子の場合、小さな頃に、虫にかまれたとか、嫌な思い出がある場合もあるし、虫を触っていたらお母さんが悲鳴を上げて怖がる姿を見て、虫は怖いものだとインプットされた場合もあるでしょう。そういう場合、虫を触りたいと思わなくなるでしょう。

だけど、あるとき、「へ~!この虫、すごくおもしろいね!」なんて人に出会ったとき、え?そうなの?って、はじめて虫をよく観察してみたり、あ、意外ときれいかも、とか、ちょっとツンツンってさわってみたり、あれ?怖くない虫もいるかもしれないって気が付いて、後で調べてみたら、なんだ、ちょうちょの幼虫だったのか!それなら怖くないかも、ってなることもある。

平気な子なんかは、カマキリだって臆さずつかまえちゃうし、大人がいくら探しても見つけられないものを次々見つけちゃったりする。あの辺にいそうだ!という、何やら野生の感がはたらいてる子もいます。

でも、そうやって虫が好きになっていくと、虫がいそうな場所っていうのがわかってくる。

そしたら、草むらがないとこの虫は生きられないんだとか、森がないとこの昆虫は生きられないんだとか、きれいな水じゃないとこの虫は生きていけないんだっていうことを体感としてしっていく。

そういうことが、自然とつながる力になっていく。

自然とのつながりが感じられないっていうのは、こういうこともあるのだと思っています。

 

ちょっと話がそれましたが、大人になってからでも、

自分が心地いいと感じることに目を向け、心地いいを心行くまで感じてみる。

逆に、いやだな、って思うことは、ああ、自分はこういうことが嫌なんだな、って自分の感情に気づいてあげる。

そして、何でもいいからやってみて、これは心地よいのか、不快なのか、自分の感情を見つめてみる。

 

子どものうちは、やってみて、感じる中で無意識にそういうことやっているんだけど、なにせ、大人になってしまうと、脳の急速な成長はほとんど終わっているわけですから、子どもの頃より、はるかに時間がかかり、自分の好きなことに気づくまでには時間がかかってしまうのは仕方のないことです。

ですが幸い、大人になっても、「可塑性(かそせい)」と言って、脳は変化し続けることができるので、脳の発達の適期を逃したとしても、大丈夫のようなんですね。

ひとつひとつ、時間をかけてでも、感じる部分を取り戻していったなら、自分の好きなこと、自分がほんとはやりたかったことに、きっと気付けると思うんです。

自分探しで他に答えを求めるのではなく、自分の感覚に耳を傾ける。

そのためには、行動しなくちゃいけません。

感じるためには、やってみないとわかりませんよね。

 

大人になってからだとそういう感覚を取り戻していく作業は大変なんだけど、子どものうちなら、難なくできる。

そういう期間が、子供時代にはあるのだと知っていてほしい。

やりすぎ教育(武田信子 著)

という本もありますが、子どもにやらせる教育もほどほどに。

子供時代は、たっぷり遊べて、自由にできる時間を確保してあげてほしいと思っています。

夏休みの子供たち

そして、私が関わる子ども達は、毎日毎日、よく遊び続け、可能な限り遊べる時間を遊びきった夏休みでした。

セミ取りに夢中になり、偶然見つけたセミの羽化を見つめたり

セミを捕まえようと木に登ったり

時には海で砂まみれになり

波の音を怖がりながら、砂遊びするちびっこや

でも、ちょっぴり怖がりながらも海の水に足を浸してみたり

暑いけど遠くに行けない日は、近所の川で生き物探ししてみたり

身近な川に住む生き物を観察したり

夏休みのプレーパークでは自分の作りたいものを作る子、

巣箱作ってみる子がいたり、ただ、色をきれいに塗りたい子がいたり

トンボとりで大量のトンボを捕まえてくる子

庭で水鉄砲戦争したり

雨続きの後半は、家の中でいろんな遊び考えて遊んでたり

暑くてしょうがない日はセルフかき氷したり

揚げたてのジャガイモをおいしいおいしい言いながら食べたり

みんなで食べたパンケーキのおいしかったこと。

川遊びで天然のウォーター滑り台を楽しんだり

大きなトンボつかまえるのに夢中になったり

湖でしじみとりしたり

自転車でプチ旅行してみたり

家から3時間、自転車で湖畔のキャンプ場まで走り抜け

湖畔に映る月を眺めながら過ごした夜も。

たくさんたくさん遊んだ子供たち。

こんな子供時代に感じたことが、きっと、これからの子の子達の土台になっていくと信じています。

子どもの遊びと大人の遊び心は、生きるために必要なこと


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子どもには、食べることと寝ることと、もう一つ必要なものがあります。

それは、「遊ぶ」こと。

遊ぶことは、空気を吸うように、お水を飲むように、子どもたちにとって自然なことです。

子どもが自ら遊びたくて手を伸ばす。これをやったらどうなるのかな?という沸き起こる興味から始まる遊びは、子どもにとって、生きる世界に適応していくことそのものなのです。

そして、実は、大人にとっても、遊ぶこと、ことに「遊び心」が必要なのです。

遊ぶことは、この世界に適応していくこと

遊びは、この世界に適応していくために必要なことだと言います。

例えば、子犬のじゃれあいを思い浮かべてください。

子犬は、じゃれあい遊びをしながら、噛みつくこともあります。でも、あんまり強く噛んだら、相手にひどく怒られます。そうやって遊んでいるうちに、強く噛んだら怒られることを学び、遊び方が上手になっていきます。

野生動物の中でも、そういったじゃれつき遊びが見られます。

遊びに夢中になっている間に、命を狙われる危険性があるにもかかわらず、遊ぶのです。

野生の動物は、ある程度成熟すると、環境に適応し、遊ぶことをやめます。親が遊びほうけていたら、子どもに注意が向かず、捕食者から狙われやすくなってしまうからです。

 

では、遊びは、それほどまでに必要なものなのでしょうか?

必要なものだから「遊ぶ」ということが遺伝的にプログラムされていると思うのです。

よく遊ぶ動物ほど、生き残る確率が高いと言います。

成熟する前の遊びの中で、狩りやコミュニケーションを学んでいくといいます。

遊びで、体力、知識、経験を積んでいきます。

 

人もまた、遊びによって、この世界を知ります。

この世界は、どんな世界なんだろうか?遊びながら、少しづつ確かめているのです。

小さい赤ちゃんは、触って確かめ、口に入れて確かめ、お母さんの表情を見て確かめていきます。それは赤ちゃんにとっての遊びです。

目に見えるものすべてが遊びの対象です。

そのうち、大人の真似をして遊ぶようになり、関わり合いで遊ぶようになります。

遊びによって、コミュニケーションの取り方を学んでいくようになるのです。

遊んだほうが、賢明な選択ができるようになります。

環境の変化にも、適応できるのは、遊んだ者の方です。

いろんな状況に対して、より良い選択ができるようになるからです。

遊びの中では、それはあくまでも遊びでなので、リスクを伴いません。

失敗しても、間違えても、それは遊びの中だから大丈夫なのです。

 

そして、生き残るために「遊ぶ」能力は、脳が成長する幼少期から若い時期に獲得しなければならない能力なのです。

若い時期に遊ぶことは必要だと言いましたが、実は、人間は、進化を遂げた結果、遊ぶことで脳を成長させ続けることができるようになりました。

認知症の予防に、遊ぶことが取り入れられているのは、このためです。

お年寄りと子供が一緒にいると、お年寄りが元気になるのも、このためです。

人間も、大人になるとだんだん遊ばなくなります。

でも、「遊び」を忘れない人が生き生きとしているのを見たことはないでしょうか?

遊び心を持った大人は、いつまでも若く、いきいきとしているものです。

遊ぶことをやめた者は、強い反面、融通が利かず、トラブルや不測の事態に弱くなりがちです。

 

遊ぶことをやめると、死に向かい始める

この言葉は、『遊びスイッチ・オン」という本の中の一節です。

ホヤという生物がいます。

はるか昔からいる、人類のきわめて古い親戚です。

科学者によると、今から五億五千万年ほど前に現れた人間の初期の祖先は、現代のホヤのオタマジャクシ幼生と似ていた可能性があるといわれています。

ホヤの幼生は、脳機能のような働きをしていて、小さい脳で、栄養か、害のあるものなのかを選別して移動します。そして、幼若期は、遊泳生活を送りながら成長していきます。

でも、いったん成体になると、岩や、船などに付着して、死ぬまでそこで生活します。もう、幼若期のように周囲に目を配らせる必要もなく、潮に乗って流れてくる栄養分をとるだけで生きていける。生き方が完全に受け身になるのです。

まるで、ソファで寝そべってスナックばかり食べている人のように。

そして、あろうことか、自分の脳神経節をむさぼるように食べるのです。

「食事ばかりしていて遊泳しないと、ホヤは脳食いゾンビになる」といったところでしょうか。

ホヤの例は、使わなければなくなっていくという自然界の原理を示しています。

モグラも、使わない機能(目)は退化していきました。

使わないと不要になり、自ら捨て去るか、自然に消失していくのです。

ホヤほど極端ではありませんが、多くの動物は、そのように、遊ばなくなると、その機能を使わなくなると、脳の発達が止まってしまうのです。

もし、私たちが遊びをやめたなら、遊びを卒業したほかの動物たちと同じように、決まった行動しかとらなくなり、新しいことや変わったことに興味を抱かなくなり、周りの世界を楽しむ機会も少なくなっていくでしょう。

遊びをやめると、私たちの成長は止まります。

すると、エントロピーの法則が働き、破滅に向かっていきます。

最終的には、ホヤのように、食べて寝るだけとなり、一つのところにとどまり、周囲と交流をとらなくなり、死に向かい始めるのです。

遊び心に火をつける

「遊ぶ」ことが、動物にとって、人間にとって、必要なことだと思えてきましたか?

今、子どもたちの遊びが、とても軽んじられているように思うのです。

遊んでばっかりいないで勉強しなさいと言われる子も多いです。

遊んでないで宿題しなさいとかね。

でも、遊びって、本能的に、生物学的に備わった能力で、自然に発動してしまうんですから、しかたがありません。

でも、その遊びたい欲求を、「やらねばならないこと」で埋め尽くされ、遊ぶ時間のない子がたくさんいます。

塾や習い事。学童保育も。

学童保育の多くは、友達もいるし、遊ばせてくれるからいいでしょ?って思うかもしれませんが、多くの子供たちは学童保育を好まない傾向があります。

なぜなら、やらなくてはいけないこと、やってはいけないことがたくさんあるからです。

遊びも決められてしまっているし、今は何をやる時間と、時間管理から遊びまで、子どもは、管理の対象になっているのです。

全部がそうだとは言いませんが、そういうところが非常に多いと思うのです。

「遊ぶこと」と「「遊ばせること」は、違います。

「遊ぶこと」は、自分の内側から「やってみたい!」と思い行動に移すこと。

「遊ばせること」は、周りが用意してあげたものです。本人がやりたいかどうかにかかわらずです。

先ほどのホヤの話で、生き方が完全に受け身になり、脳神経節をむさぼるように食べ始める、というくだりがありましたね。

受け身になるということは、自分が考えて選択しなくてもいいということです。

待っていれば餌が来るのと同じ状態です。

子どもが遊びたいと思う前に、目の前に何かが用意され、用意されたものをなんとなくさわって遊び始めるけれど、遊びの終わりも、本人がまだ遊びたいにもかかわらず、突然遊びの終わりが宣告されます。

自分が選択することはありません。

時々、プレーパークなどの遊び場に、子どもを連れてきた親御さんで、「ほら、せっかくだから遊んできなさい」と、子どもを送り出す方がいます。いくら自由な遊び場とはいえ、本来遊びは、「ほら、遊んできなさい」と言われるものではないのです。

本人が、じ~っとみんなの遊ぶ様子を見て、なんか面白そうだな~。自分もやってみようかな~。と思えるまで待ってみてほしいのです。

そして、一番は、大人が楽しむことが一番なのです。

こどもに「さあ、遊びなさい」と言う前に、大人の方が、「なにこれ、おもしろそう!私もやってみていいですか?」って、子どもそっちのけで大人が夢中になるぐらいの方が、子どもはすんなり遊びに入っていけます。

特に、初めて行く場所の場合、子どもも不安です。ここは何をやってる場所なの?ここは安全な場所なの?って。誰しも、初めての場所は不安です。小さい子ならなおさらです。

だからこそ、まず、大人が楽しげに遊び始めると、「ああ、ここは、楽しい場所なんだ」「私もお母さんのマネしてみようかな」って思えると思うのです。

遊ぶのが上手な子は、親が遊びを楽しむ力を持っていることが多いように思います。

「ほら、遊んできなさい」という前に、「おかあさん、これやってみようかな~」って、まずは遊ぶ姿を見せてあげてほしいのです。こうやると楽しいよ!って、楽しんでる姿を見せてあげてほしいのです。

そしたら、子どもは、遊ぶのが大好きになります。

大人は、つい、子どもに楽しいものを用意してあげたくなります。

でも、脳が発達するのは、遊びを受け身で待っている時ではなく、自分から遊びに向かっていく時なのです。

子どもが遊ぶためには、子どもに遊ばせるのではなく、必要なのは、大人の「遊び心」です。

プレーパークでも、よくいらっしゃいます。

子どもそっちのけで、木工をに夢中になる大人が。子どもより楽しんでいる大人が。

それでいいのです。

そり遊びも、まず、大人が滑って、「なにこれ、めっちゃ面白い!」とか言ってみてください。

もう、こどもは、やりたくてやりたくてたまらなくなりますから(笑)。

子どもがやりたがっても、「ちょっとまって、もう一回滑らして!」かなんか言ったりして。

子どもの遊び心に火をつけるのは、大人の遊び心だったりします。

そして、遊びは、喜びをもたらし、ワクワクした気持ちを起こさせ、もっとこうやったら面白いかもしれないと、想像力が膨らみます。遊ぶことで得られるその気持ちの高揚感は、癖になり、もっともっと遊びたくなるものです。

そして、その高揚感は、大人になっても、忘れることはないのです。

大人こそ、遊び心を!

私だったら、受け身になって、死に向かうだけのホヤになりたくはない。

人生、これでもかと楽しんでいきたい。

なぜなら、たくさん遊んできて、あの、遊びのワクワク感や、ドキドキ感、達成感や喜びを、また味わいたいと思っているからです。

 

だって、この世界に生まれたのに、勿体ないじゃないですか。限られたこの世に生きる時間の中で、たくさんの喜び、たくさんの胸の高鳴りを感じ、時には悲しみや怒りも、感情豊かに生きた証になるエッセンスだと思えば、闇の中から見つけた光は、どれほどの喜びになるでしょう。

 

長いこと遊んでいなくて、遊び方がわからなくなってしまったなら、小さな子供や、子犬や子猫と遊んでみるといいのです。それがかなわないならば、動画で見てみるのもいいかもしれません。彼らが、どんな小さなことにも、体全体で喜びを感じている姿を見て、思い出してほしいのです。

そして、時にはいつもと違うことをしてみるのもおすすめです。

いつもと違う道を通ってみるとか、いつもは入らないお店に入ってみるとか。

見慣れた日常から、見慣れない非日常の世界に足を踏み入れた時、違う世界が見えてきます。

日常を遊ぶ。

それもまた遊び心です。

遊び心を持った大人の姿を、ぜひ、子どもたちに見せてあげてほしいのです。

 

 

 

 

 

 

 

フロー体験を子ども時代に!


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先日、「ブナの森で雪遊び」を開催しました。

若干温かい冬の日。下界では今年は雪が少なく、雪遊びができません。でも、ブナの森ではまだ雪もたくさんあって、子ども達とたくさん雪遊びをしてきました。

踏み固められていない雪の森をただ歩くだけでも体力を使います。そんな森で、子ども達は走り回り、滑って遊び、雪でイグルーづくりに挑戦したり、ほんの二時間ほどですが、汗ばむほど遊び、それでもまだまだ遊び足りなさそうな子供たちです。

遊びに夢中になった子ども達はフロー体験をしていきます。フロー体験を子ども時代に経験しておくことは、人生を幸せに生きる足掛かりになります。

ブナの森での雪遊び

到着してまず、大人が準備をしている間から、子ども達の遊びは始まります。

雪山に登り、大人に雪玉を投げてきます。

早く遊びたくて仕方のない子供たちを連れて、早速森へ。

道なき道を、ずぼずぼと深い雪をこぎながらそり滑りに良さそうなポイントまで歩いていきます。

かんじきを試したい大人や子どもは、スノーシューや、輪かん、枝で作った即席のかんじきを試しに履いて、雪の森へと挑みます。

実は、このかんじき、この日の午前中に急に思い立って作ったもの。

庭にある木をつかってできないかと考えて、この形に。

あるもので、代用してみるのも面白いものです。

息子を連れて森に行ったときは、ずっとそり滑りだったので、そり滑りしてほとんどの時間を遊んですごすかと思いきや、始まったのは雪合戦!

大人対子どもの激しい戦いが繰り広げられます。

5回当たったらアウト。(でも、子供ルールで、100数えたら復活できるようです)

激しい攻防に、大人は若干バテ気味。

疲れて寝転ぶと、ブナの木が風でゆ~らゆ~らと揺れています。

そんな中、一人の子が、雪虫を見つけてくれました。

セッケイカワゲラです。

雪の中で活動するセッケイカワゲラ

八甲田の3 月、4 月の雪の上を、何やら黒い虫が歩いているのを見かけることがあります。この小さな黒い虫は、真っ白な雪の上を動き回っているので、結構目立ちます。今回見つけたのは2月。夜には氷点下になる世界でこの虫は生きています。

もし夏や秋だったら、たちまち他の虫にたべられてしまうでしょう。しかし、ここは冷たい雪の上。他の虫は、死ぬか、地面の下で越冬しています。襲われる
心配はないわけです。

でも、雪しかない季節に、何を食べて生きているのだろう? と、不思議に思いませんか?
どうやら、このセッケイカワゲラ。登山者の間では雪虫とも呼ばれていますが、雪の表面の微生物を食べてるようです。

雪の世界を好んで暮らす昆虫たちは、春の雪解け時期に渓流の水中に卵を生み、その後孵化した幼虫は、体長1ミリほどの状態で川底に潜り、夏の間は眠って過ごします。

そして渓流に大量の落ち葉が流入する秋になると、起き出して落ち葉を食べて急速に成長し、成虫となって一番寒い時期に雪の上に上陸するらしいのです。動き出すのは―10度から10度なんだそうです。

夜は氷点下になる山の雪の中、体が凍ることもなく、雪の上を歩くこの虫を見ると、生命の進化とはすごいものだと思います。

他の虫たちは、あたたかい時期、他の虫や草花の甘い汁を食べ、生存競争しながら、命をつないでいきます。

でもセッケイカワゲラは、他の虫が姿を消す白銀の世界に生きる道を獲得
しました。空を飛ぶための羽も捨てて、ひたすらはいずりまわり、雪の上のうすく冷たい栄養分をなめる。雪の表面積は無限だし、他のライバルもいないから、栄養分はいくらでもあります。
そんな不思議なセッケイカワゲラですが、温かさには弱く、手のひらにのせて温まると弱ってしまうようです。

そんな不思議な虫に出会えるのも、冬の森ならではです。

イグルーづくり

観察した雪虫をそっと雪上に戻し、雪合戦に疲れた私は、雪合戦から離脱して、一人、イグルーを作り始めました。

はじめは雪洞を掘ろうかと思ったのですが、思いのほか雪が少なかったのでイグルーに変更。スコップで雪を四角く切り出して、ブロック状の雪を並べていきます。さらに、レンガを積み重ねるようにどんどん積み重ねていきます。

最初は、何やってるの?っていう感じだった子供達でしたが、だんだん大きくなっていくにつれ、気になって仕方なくなり、一人手伝い、二人手伝い・・・

雪合戦もいつの間にか終わり、いつのまにか、ブロック作る人、運ぶ人、積み重ねる人、流れ作業になっていきます。

大きなブロックは、結構重い!

隙間を埋める隙間職人も現れます。

見て見て!この大きなブロック!

ブロックの切り出し方も、みんな上手になっていきます。

積んでいるうちに、屋根はどうしようかとなりました。だんだん内側にすぼめて行って、最後、大きいブロックを乗せようとなりましたが、大きいブロック乗せるには、雪が柔らかめ。

そこで考えたのが木の枝を使うこと。

木の枝を渡して、その上に大きなブロックを乗せることにしました。

この大きなブロックは屋根に使おう!

お?いいんじゃない?

飽きてきた子は、斜面で遊びはじめ、

最終的には大人の方が夢中になってイグルーの完成!

大人もたって入れる高さになりました。

見た目はともかく、1時間ほどでできたのはすごい!

窓と座れるいすを作った内装職人さん。

太い木の枝を見つけて掘り出そうと一生懸命な子供たち。

みんなで記念撮影しようよ!って思ったら、内装職人さん、今度はMyテーブルとMy椅子を作るのに夢中のようなので・・・あえてそのままに。

完成したら、今度はかくれんぼしよう!と、子ども達。みんな散りじりに森の中へと消えていきます。そして、一人残ったテーブルとイス職人さん。

やっと完成して、できた椅子に座って、お茶を飲んで一息つきました。

そこで初めて、「あれ?みんないない?」と気づくのです。

この集中力はすごいです。

まだまだ遊び足りない

2時間ほど遊び、大人はそこそこ疲れが見え、イグルーができたことでやり切った達成感!

かくれんぼしようと森の中に消えた子ども達は、まるで森の小人です。

でも、そろそろ戻ろうか。

遊び足りない子ども達は、もう一回、もう一回と斜面を滑り降り、大人はそろそろ帰り支度。

名残惜しさを残しつつ、みんなで元来た道を戻ります。登ってきた道は、そりで滑って遊びながら戻ります。

車に戻った子ども達。

まだまだ遊び足りないらしく、雪玉が大人に向かって飛んできます。

手袋は絞れるぐらいにびしょびしょだし、ズボンも水がしみてパンツまでびしょ濡れの子も。

それなのに、遊んでいる時はそんなこと気にもならないんですよね。

たった2時間。でも、たくさん遊んだ2時間でした。

フロー体験を!

野に放たれた子供たちは、自然発生的に生まれた遊びを楽しみます。

「そりで遊ぼう」「みんなで雪合戦しよう!」「さあ、これからみんなでイグルーつくろう!」「今からかくれんぼだよ!」なんて、大人が遊びを決めたことは一つもなくて、森で遊んだ度の遊びも、子ども達から自然に発生した遊び。

子どもが遊びに夢中になるには、こういった自然発生的な遊びの力は大きいのです。

イグルーづくりは、私が勝手に作り始めたものに、みんながのっかってきてくれただけ。人がやっているのを見て、自分もやりたくてうずうずしてしまっただけ。

やらされた遊びではなく、みんながそれぞれ、やりたいことをやっていると、子ども達は疲れを知らず遊び続けます。

大人が夢中になってると、いつの間にか子供も夢中になってたりします。

子どもが「疲れた~」という時は、つまらないとき。やらされてるとき。

本来自由に遊んでいる子供たちは、「疲れた~」ということはほとんどありません。やりたくてやってる遊びの時は、例え疲れていても、それより遊ぶことの方が楽しいから、なかなかやめようとはしません。

斜面を滑ると、登らなくてはならない。雪の斜面を何度も登るのは、結構体力使うのです。でも、滑りたいからまた登る。

テーブルとイス作りに夢中になってた子も、初めは主人がテーブルと椅子を作ろうとしていたらしく、それを見ていた子が、自分で作りたいとスコップを手に取り、作り始めたようです。満足のいくものができるまで、誰が何と言っても作るのをやめません。できたものには、自分の椅子と、お母さんの椅子、2つの椅子がありました。最後、お母さんにも座ってもらい、大満足の彼。

そういう、遊びに没頭するのがフロー体験。

何をするかは自分の中に明確な目的がある。

我を忘れて没頭する。

一人で没頭しているようだけど、必ずそばには誰かがいる。共感してくれたり、一緒に喜んだりする誰かがいる事。(フィードバックがある)

挑戦するのは、若干難易度が高いこと。

だから、達成したときの喜びは大きいこと。

フロー体験には、そういう条件があるようです。そして、フロー体験は、生きがいや充足感を高め、幸福感を生み出します。

こういったフロー体験を、子どものうちからたくさん経験して欲しいと思っています。

フロー体験は、一人一人の成長と幸せを高めていくものだと思っています。

今後のはぴちる

【プレーパーク】

2/22(土)10:00~15:00青森アピオにて。子育て広場イベント(「ただじゅんの からだであそぼう」)と同時開催!

R1hirobaomote

 

ハッピートーク初級体験講座

2020年3月7日土曜日 14:00〜15:00

十和田市ハピたのカフェ2Fにて、ハッピートーク体験講座を開催します。

参加費1000円

【話す言葉で思考が変わる!】

ハッピートークとは、脳科学やコーチングを取り入れた、話し方トレーニング方法です。
話す言葉で、思考が変わり、行動が変わります!

こんな方に…

✔️人前で話すのが苦手
✔️コミュニケーション上手になりたい
✔️人前で話す機会がある
✔️前向きになりたい

私自身、人前で話すのがとても苦手でしたが、ハッピートークでトレーニングすることによって、人前で話す緊張感がなくなり、講師活動、オンライン講座などができるようになりました。

話し方を学ぶことで、人に伝えたいことがより伝わりやすくなります。
又、話す言葉を意識することで、毎日を、よりハッピーに過ごすことができるようになります。

話し方を学ぶ、ハッピートークを、まずは体験してみませんか?

遊びが育む子どもの生きる力 4人の専門家のリレートーク

《内容》
●子どもは自ら育つために遊ぶ!ー遊びは成長のためにプログラムされているー
加藤恵美 ウォーキングケアトレーナー・シューフィッター・足育講師

●ベビーとママのふれあい遊び
いとうちはる 保育士・ベビーヨガ・やわらか抱っこ講師・コーチ

●どんな遊びをどうやればいいの?ー遊びに大切なものー
荒木千尋 フリーランス療育士・ベビーシッター・発達障がい専門コーチ

●思いっきり遊んだ子どもたち
新藤幸子 ハッピーチルドレン・プレーパーク・冒険キャンプ・自然育児サークル主宰

ー•~•ー・ー•~•ー・ー•~•ー・ー•~•ー

日時:3/7(土)
10:00〜11:30 日本時間
(ハッピーデーin名古屋 3/1〜3/15 のイベントです)

場所:あなたのいる場所で(zoomを使ったオンライン講座です)

参加費:1000円
Peatix または ゆうちょ銀行振込

お申込:お支払いがPeatixの方はこちらのフォームより
http://ptix.at/laeuWU

ゆうちょ銀行からお振込の方はこちらのフォームより
https://ws.formzu.net/sfgen/S20013700/

詳細はイベントページよりご確認ください。https://www.facebook.com/events/3046982808669522/

【お礼とお願い】

はぴちるは、皆様からの寄付によりプレーパークの材料費や交通費をあて、活動しております。

活動費のお振込みも随時受け付けております。

今後もこのような活動を続けていくために、どうぞご協力をお願いいたします。

皆様からのご寄付をお待ちしております。

【ゆうちょ銀行】

記号18420 番号7138981

シンドウサチコ

【他行より】

店番848  番号07138981

 

Amazon欲しい物リストから購入して下さり、配送先をHappy Childrenに変更して応援いただく方法もあります。

 

【書籍】

昨年11月に出版した私たちの本もよろしくお願いいたします。Amazonでもまだ多少購入でるようです。どうぞ、手に取ってごらんください。

『悪ガキたちの秘密基地』

ある日突然やってきた、悪ガキたちとのやり取りを綴った『悪ガキたちの秘密基地』。後半は、子どもたちに伝えていきたいこと、私たち夫婦の子育て、大事にしてきたこと、これからの時代を生きる子どもたちへ。そんなことが書いてあります。

アマゾンで購入された方、よろしければ、読んだらレビューを書いていただけるとうれしいです。

皆様のお声が、励みになります(*^-^*)。よろしくお願いいたします。

小さな幸せ探し


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最近、息子や主人と寝るときに、「今日良かったこと、幸せだったこと、楽しかったこと3つ言う」というのをやっています。

始めたきっかけは、年末年始に、『「感謝」で思考は現実になる』という本に書いてあることを実践してみたらどうなるか?ということから始まった、「感謝のホワイトブック(33期)」というグループに参加したこと。

やることは、30日間、朝は、「今日は予想もできないくらい素晴らしいことが起こります!」と宣言し、夜は、その日一日感謝できたことを3つ書いていくというものです。

「今日も元気で生きていられた」とか、「家族と食卓囲んで幸せだった」とか、そんなことでいい。ポイントは、「今日のご飯がおいしかった」とか、「今日は天気が良かった」とか、そんな小さなことでもいいので、続けてみる、ということ。

そんな、小さな幸せ探しを、寝る前に家族でやってみたら、なんだか幸せな気持ちで眠りにつけるのです。

習慣化するのにかかる日数

良さそうな習慣だから、自分もチャレンジしてみようかな?そう思ったことはありませんか?

例えば「朝活」。朝早く起きて活動すると、一日を有効に使えるというもの。私もやってみようと思ったことがあるんだけれど、どうしても朝の睡魔には勝てず、私はまだ習慣化には至っていません。

どうやら、行動が習慣化するには最低22日、別な説では66日かかるらしいのです。いづれにせよ、1~2か月ぐらいは続けないと、習慣化しないようです。

年末年始、頑張って続けた「感謝の習慣」。せっかくなので、もう少し続けてみようと、家族でチャレンジしてみようと思ったのです。一人ではなかなか続けられないんだけど、一緒に取り組める相手がいたら、結構続けていけるものです。

年末年始の「感謝」のグループでは、毎日それぞれ投稿し、いいねしたり、コメントしたりしながら、お互い励まされつつ、続けることができました。そして、今は、家族と寝る前の儀式のように、「今日良かったこと3つ」お互い言いあっています。

家族の良かったことを聞いてみると・・・

「今日良かったこと3つ」寝る前にお互い話してみると、それぞれ、どんなことがあった一日だったのかがわかるようになりました。

息子の「よかったこと、楽しかったこと」を聞いてみると、

「友達と遊べて楽しかった」

「友達と雪合戦して楽しかった」

「友達と大笑いした」

なんていうように答えてくれます。

子どもは、とにかく友達と遊べていたら楽しいんだな~っていうのもわかります。

もう、これが子供時代のすべてではないかと思います。

息子の場合、毎日帰宅してランドセル置いたら、速攻で走って友達のところに遊びに行きます(とっても健全です)。

最近、冬になって、みんな遊ぶ時間も少ないから、一番遊べる友達が多いところに遊びに行っているようで、めっきり子ども達がうちに来なくなっています(うちは他の子の家より若干遠く、学区のはずれの方にあります)。だから、子ども達の遊んでいる様子は息子の話からじゃないと分からないんだけど、この習慣を始めてから、息子が何やって遊んでたのかがよくわかるようになりました。

主人の良かったことを聞いてみると、今日は忙しくて頑張ったから、ご褒美に甘いもの食べたとか、人に感謝された話とか、娘と仲良く話せてよかったとか、息子がまだまだくっついてきてくれるのがうれしかったとか、それぞれよかったことを話しながら、「なんかさ~、幸せだよね」って、あったかい気持ちで眠れるのです。

まだまだ親とも遊んでくれる息子に感謝です(*^-^*)

日々の何気ない幸せが、ひしひしとありがたく感じられて、息子のぬくもりを感じながら、川の字になってお布団に入る瞬間なんか、ああ、この瞬間が、ほんと幸せだな~って思うのです。

家族ではじめる感謝の習慣、なかなかいいですよ!

今後のはぴちる

【冬のブナの森で遊ぼう!】

2/15(土)13:00~

雪遊びする時間は2時間程度になります。

蔦温泉集合で、近くの森を歩き、そり遊び、雪洞づくりなどします。

雪の中をたくさん歩くので、今回は小学生以上とさせていただきます。

一家族1000円

子供のみ一人1000円

大人のみ一人1000円

子どものみの参加の場合は、蔦温泉駐車場までの送迎をお願いいたします。

お申込みはブログのお問い合わせフォームよりお願いします。

【プレーパーク】

2/22(土)10:00~15:00青森アピオにて。子育て広場イベント(「ただじゅんの からだであそぼう」)と同時開催!

R1hirobaomote

 

【お礼とお願い】

継続的にはぴちるの活動に寄付をくださっている方がおります。いつもありがとうございます!

はぴちるは、皆様からの寄付によりプレーパークの材料費や交通費をあて、活動しております。

活動費のお振込みも随時受け付けております。

今後もこのような活動を続けていくために、どうぞご協力をお願いいたします。

皆様からのご寄付をお待ちしております。

【ゆうちょ銀行】

記号18420 番号7138981

シンドウサチコ

【他行より】

店番848  番号07138981

 

Amazon欲しい物リストから購入して下さり、配送先をHappy Childrenに変更して応援いただく方法もあります。

 

【書籍】

昨年11月に出版した私たちの本もよろしくお願いいたします。Amazonでもまだ多少購入でるようです。どうぞ、手に取ってごらんください。

『悪ガキたちの秘密基地』

ある日突然やってきた、悪ガキたちとのやり取りを綴った『悪ガキたちの秘密基地』。後半は、子どもたちに伝えていきたいこと、私たち夫婦の子育て、大事にしてきたこと、これからの時代を生きる子どもたちへ。そんなことが書いてあります。

アマゾンで購入された方、よろしければ、読んだらレビューを書いていただけるとうれしいです。

皆様のお声が、励みになります(*^-^*)。よろしくお願いいたします。

 

 

自分の人生、どう生きるかは自分で決めることができる

一人一人「こういう人生を生きる」と決めて生まれてきてるとも言います。

『アガスティアの葉』というのを聞いたことがありますか?

紀元前3000年頃のインドに実在したとされる聖者アガスティアが残した、全人類の運命が記されている葉のことだ。それには、誰と誰の間に子どもとして生まれ、兄弟は何人。何歳で結婚し、何歳で子どもを産む。というようなことが、名前や生まれた場所まで細かく記されていると聞いたことがあります。

どうも、一人一人、「人生の目的」を持ち、「魂のシナリオ」を持って生まれてきているようだと。

スピリチュアルな話のようですが、体内記憶を持った子供たちの話の中でも、やっぱり、同じように、自分でそういう人生を生きると決めて生れてきた、という話もありますから、あながちウソでもないと思うのです。

自分の人生を生きるというのは、そういうことではないでしょうか。

運命と宿命

運命と宿命は、同じような使われ方をされることも多いように思います。

でも、「運命」は運ぶ命、「宿命」は宿る命と書きます。

生まれるときに宿っていることを宿命と言います。

私で言うと、

日本に生まれたこと。

女に生まれたこと。

末っ子として生まれたこと。

自分では変えることができない、そういう私として生まれたことです。

一方、運命は運ぶ命です。自分の力で運び、動かすことが可能です。

川の流れがあなたの宿命だとして、ある程度流れは決まっています。でも、流れの強い急流を下るか、緩やかな流れを選んで下るか、あちこち寄り道しながら川を下るかはあなたが選ぶことができます。

でも、川の流れそのものに逆らっても、逆らえるものではありません。

世の中には、これでもかというくらい、不遇な人生を歩んできた人がいます。

虐待を受けて育った人や、親が早くに亡くなって、親の愛を知らずに育った子。いつも両親のけんかする声を聞いて育ってきた子。いろんな人がいます。

でも、そういうつらい状況を生きてきた人でも、逆境をばねに力強く生きている人もいます。

実際、主人も、高校生の時にお父さんが借金の保証人になり、多額の借金をかかえたり、従業員が使い込んで不渡り出して、借金取りがうちに来るようになったとか、夜逃げした後自己破産したとか、知人の家の倉庫でお世話になりながらなんとか暮らしてきたといいます。その後、お父さんは病気で主人の目の前で亡くなってしまいました。

その後も、主人は大人になって一回目に就職した先では地獄の特訓があったり、転職した二回目の職場ではパワハラを受けてきました。

でも、不思議と、主人はそんな人生でも、辛い苦難の人生だったとは言わないんですよね。

なんでだろう?って思うわけです。普通だったら、こんな辛いことがあって、苦しいことがあって、借金取りに脅かされるような怖い目にも合って、パワハラにもうけて、自分の人生なんて辛い人生だったんだと自分の人生を恨み、借金作った人を恨み、パワハラしてきた上司を恨んでもおかしくない人生だと思うのに。

主人がいつも言うのは、「それでも、助けてくれる人が周りにいたからだ」と言います。

それは、例えば、主人がそういう辛い人生を歩むことを選んできたのだということが宿命だったとして、でも、そういう人生を恨んで生きるか、それでも助けの手を差し伸べてくれた人に感謝して生きるかは、自分が選んできた運命なのではないだろうかと思うのです。

どんな人生を生きるかは自分で決めることができる

主人の場合、私にはわかりませんが、もしかしたら感謝を感じるために、こういう人生を選んで生まれてきたのかもしれないですよね。

「人生の目的」が「感謝を感じること」であるとするなら、それに気づいて、感謝し始めることで、辛い出来事はそこで目的を果たしたと言えるのではないでしょうか。

もしそこで感謝を感じないで恨みつらみで生きてきたなら、まだ、人生の目的に気づかないのかと言わんばかりに、これでもかというほどつらい出来事が起こっていたかもしれません。

でも、「感謝」してきたからこそ、今、「本当に、ありがたいよね~」っていう出来事がいっぱいある気がします。

そして今、主人は、感謝で生きることを伝える運命を持っているのかもしれません。

自分が選択してきた生き方で、目の前に起こる現実が変わってくるのかもしれないな~と思うのです。

困難があったとき、自分はそこから何を学ぶ必要があるんだろうか?って、ちょっと考えてみる癖をつけてみるのもいいかもしれません。

もちろん、辛いことがあったら逃げてもいい。でも、逃げてばかりいても、逃げた先で同じようなことが起こることもある。そんなとき、自分はこの出来事から何を学んだか?または学んでないかに気づくことが大事なのかもしれないと思っています。

でも、正直、そういうことに気づくのは、その出来事が過ぎ去ったかなり後だったりもします。今思えばあの出来事は・・・みたいなこともあります。

簡単に気づくことができないから辛いのかもしれませんが、一つ言えるのは、必ず乗り越えられる波しかやってこないということです。そして、学んだら、辛いことはそこで終わり、次のステージに行けるのではないだろうかと思うのです。

体内記憶を持った子ども達

『自分をえらんで生まれてきたよ』といういんやくりお君の本があります。

りお君は体内記憶を持って生まれた子どもで、生まれながらに病気を持って生まれてきました。そのりお君が4歳から9歳までの間にお話ししたことをお母さんが聞き取って本にしたものです。

その中で、りお君はこんな風に語っています。

「ぼくは病気を選んで生まれてきた。

希望を持って 生まれてきた。

心を感じることで 勇気がでる。

それがつまり、

希望のことなんだ。」

「ぼくは病気で生まれたのは

ずっとずっと幸せになるためなんだ」

「ぼくが病気で生まれたのは

病気で生まれた子や お母さんたちを

励ますためだよ。」

そんなお話をしたのは9歳の時。

そんな風に、体内記憶どころか、生まれる前の記憶を持って生まれてきている子供がけっこういるらしいのです。

人生の目的を、みんなそれぞれ持って生まれてくるのだけれど、生まれてくる時に忘れてしまう人がほとんどで、でも、いつかそれに気づいていくようにできているようです。

「ぼくはどの人についても同じことを言う。

それは、人は、大切なことを知るために地球に来た、ということ」

そんな話も、りお君はしています。

自分の人生のシナリオは自分で書く

あなたという人生劇場があったとして、

第1ステージは起。序章。物語の始まり。どんな境遇で生まれ、どんな両親のもとに生まれてきたのか。

第2ステージは承。事件や逆境、苦難など、様々な出来事が起こる。

第3ステージは転。ステージ②の事件から何かを学んだり、ヒントを得てたり、もしくは、キーマン(カギを握る人物)に出会い物語が変化します。

第4ステージは結。最終的な結末。

そう考えたとき、自分は今、どのステージにいるのだろうかと考えて、ドラマを見ているようにちょっと楽しんで自分の人生を眺めてみてください。

そしたら、この先のステージで、どんな物語だと面白いだろうか?

どんな結末だったらいいだろうか?

これからの人生を自由に想像してみてください。

コツは、ラストから考えること。

幸せなラストの主人公の気持ちを感じてください。浸ってください。

どんな結末を迎えたいかを考えると、そうなるまでに、どんな出来事があったらそのすばらしいラストの物語へと続くことができるのか。そこを想像してみましょう。

お話を書くように、自分の人生劇場を自由に作ってみるといいと思います。

ノートに書いてみるといいです。

これは、なかなか楽しい作業です。ワクワクする作業です。

壮大な映画の一番見ごたえのあるシーンを、どう描くか。

そうすると、実は、②で起きた事件が、必然だったことに気が付きます。

②の事件があったからこそ、すばらしいラストが飾れる。

ああ、いろんなことがあったけど、本当に楽しい人生だったと言えるように。

あんな出来事があったけど、そのおかげでこんな人に出会えた。こんなことに気づいた。だから、こんな人生が歩めて、私は幸せだった。

そう言えるような物語を描いてみてください。

そんな遠い未来なんて、想い描くことができない、っていう人は、とりあえず1年後、どうなっていたいかという短い物語を描いてみるのもおすすめします。

実は私も、1年ごとにそうやって物語を描いてきました。

1年後、そうやって描いた物語を見返してみると、物語通りになっていなくても、1年後に感じる気持ちは、だいたい想い描いていた気持ちです。

もうすぐ令和元年が終わります。

こういうタイミングで、次のステージや、1年後の自分を想い描いてみるのもいいと思います。

ちなみに、わたしは、フューチャーマッピングというものを描いています。

 

ちなみに今日は私の誕生日。

主人がお昼ご飯を作ってくれました。

晩御飯は主人と娘が作る約束をしています。

本当にありがたいです。感謝です。