本を出版することにしました!

【本を出版することにしました!】

二年前に、書きためた、悪ガキたちの物語があります。その時は資金もなく、書籍化はあきらめたのですが、今回再びチャンスがあって、悪ガキたちの物語を、文庫本化することにしました。書籍化にあたり、資金をクラウドファウンディングで調達しようとチャレンジすることにしました。来年の11月ごろには書籍化の予定です。
どうぞ、応援よろしくお願いいたします。

悪たれ達の物語のはじまり

彼らに出会ったのは3年前。

偶然の出会いが、波乱の2年間の始まりでした。

ひょっこり庭に現れた二人の少年。

子供の居場所を作りたいと思っていた矢先に出会った、この二人の少年との出会いが、今の私たちはぴちるの活動の原点になっています。

はじめに現れた二人の少年と、その後、その二人に連れられてやってきた、もう一人の少年3人組は、毎日のように庭にやってきては、数々の事件を起こしていくのです。

すずめ事件、火おこし事件、すずめの卵事件、庭に穴掘り金魚屋事件・・・。

口は悪いし、すぐ暴力は振るう、物は壊すし、大人の言うことなんて右から左で、まったくいうことは聞かない、そんな悪たれ3人組。

いわゆる『大変な子』『手のかかる子』達でしたが、遊びを生み出す発想力にはいつもびっくりさせられていました。普通の子たちでは考えつかないようなアイディアを持っている子たちでした。

どうすれば、遊びをもっと面白くできるか?それを思いつく天才でした。

そんな彼らと体当たりしてきた2年間。彼らのことが少しづつ分かってきて、彼らと本気で関わるうちに、彼らも少しづつ変わっていきました。

今回、本にするのは、その悪ガキたちと体当たりした日々と、いわゆる『大変な子』と言われる子の胸の内、彼らに向けてきた私たちのまなざし、子ども達に対する私たち夫婦の想いです。

子供はみんな大なり小なり問題児です。

問題を起こさず大きくなる子はいないでしょう。

でも、同じように、子供はみんな天才です。遊びを生み出す天才で、笑いを生み出す天才です。

悪たれ3人には、そのことに気づかせてもらいました。

なぜ本を出そうと思ったか

 

本を出すことで、私が望むのは、子ども達に対する温かいまなざしを持った大人が、それぞれの地域にいてくれるようになることです。

私たち夫婦が、いくら庭を開放して子どもの遊び場になろうと、プレーパークであちこちの出張して歩こうと、私たち夫婦が関われる子供には限りがあります。

もちろん、地域の子供たちの遊びやすい環境を作ることは大切にしたい。目の前にいる、身の回りにいる子どもたちから笑顔にしていきたい。

でも、ゴールはそこではなく、日本中の子供たちが、もっと広く言うなら、世界中の子供たちが、笑顔でイキイキとできる、そんな世界にしていきたい。

世界中となると、規模が大きすぎるかもしれないけれど、まずは、日本中の子ども達の笑顔を増やしていきたいのです。

一人でも多くの方に手に取っていただき、たくさんの子供たちが、のびのび遊べる子供時代を過ごせるように、子育ての参考にしてもらえるようにと思っています。

 

そのために、今まで、アメーバブログで子どもたちのこと、子育てのことをいろいろ発信してきました。本を出すことがゴールではないので、子ども達が幸せな子供時代を送れるのなら、発信する手段は何でもよかった。だから、いままでずっとブログで発信し続けてきました。

ただ、今回、出版社さんよりブログの書籍化のお話をいただき、世に出すなら、今のタイミングかもしれないと思いました。

プレーパークも、青森県内で頑張って広めていこうという仲間も現れ、ネットワークもできてきました。もっと子どもたちをのびのび遊ばせてあげたいという親御さんが身の回りに増えてきました。

子供時代に大切なことは何か、悪たれ達だって、そうじゃない子と同じく、あるいはそれ以上に強く、認めてほしいという想いを持っている。

自分の身の回りに、悪たれ達のような子がいたら、「またあの子が来た。もうあんな子、来なきゃいいのに。」「あの子さえいなければ、もっと平和に遊べるのに」普通だったらそんな想いを抱くでしょう。

でも、考えても見てください。子供が小さいうちは、「あんな子と遊ばないの!」って、そういう子を排除できるかもしれない。じゃあ、そういう子たちは、誰が受け入れてくれるんでしょう?誰がこの子達を認めてくれるんでしょう?はみ出した子は、はみ出したままなんでしょうか?

小さいうちだからこそ、排除するのではなく、いろんな子がいて、いろんな凸凹があって、だから遊びが面白くなる、そういう経験をしていくことで、多様性を認められる、そういう子供に育っていくのではないかと思います。

だからこそ、腹が立った時、暴力をふるうことしか知らなかった子に、怒りを鎮めるには、違う方法もあるんだと知ってもらう必要がある。言葉によって傷つく人がいるのだということを知っていてほしい。

10数年後、この子達が大人になったときに、社会を支えていく人になっていく。子供時代に、はみ出した子を排除していけば、そういう大人に育っていくでしょう。

嫌な人、はみ出した人を排除する社会にしてはいけない。そう思っています。

だからこそ、悪たれ3人組とのやりとりをたくさんの人に知ってほしい。彼らの心に届くのは、本気の言葉だけだから。

 

チャレンジする姿を見せていきたい

さて、今回出版を決意するにあたり、やはりネックになったのは出版費用です。6人家族で、まだ子育てにお金がかかるので、出版費用の140万円はとても大きい。分割したって、家計は厳しい。

それでも、やってみよう、チャレンジしてみようと思ったのにはわけがあります。

子供の居場所を作りたいと、最初の思ったのは、長男が4年生の時。物語の中でも、少しふれますが、庭にできたプレーハウスは、うちの子ども達と、遊びに来る子どもたちの友達の遊び場にしたいと作ったものでした。長男の子供時代は、遊びつくした子供時代でした。

その長男が今年で20歳になりました。彼には起業したいという想いがあります。

やりたいことがある。でも、思うようにやりたいことに取り掛かれない、時間がないし、お金もない。そんな感じで、今、少しへこんでいるようです。

そんな長男に、やりたいことがあるなら、何でもいいから動きなさい。ワクワクすることやってみなさい。やれない理由を並べてやらないより、失敗するかもしれないけど、お金もないけど、やるって決めてごらん!きっとなんとかなるよ!って、そんなメッセージも込めて、母のチャレンジする姿を見てほしいと思ったから。

正直、このチャレンジが成功するかどうかは分かりません。でも、可能性があるならかけてみたいと思いました。やろうと決めたら、どうしようもなくワクワクしてきました。

親として、そういう後姿を見ていてほしい。そう思っています。

 

クラウドファウンディング

クラウドファウンディングを利用するのは全く初めてです。

でも、まずは、チャレンジしてみようと思います。

リターンもどうしたらいいか、わからないけれど、応援して下さった方には書籍をプレゼントしたいと思っています。

どうか、応援よろしくお願いいたします。シェアも大歓迎です。

※来年の11月に出版予定になっていますので、リターンは12月以降としてあります。

 

 

 

 

 

子供の原風景を心に刻む

石井桃子さんの言葉にこんな言葉があります。
子どもたちよ
子ども時代を しっかりと
楽しんでください。
おとなになってから
老人になってから
あなたを支えてくれるのは
子ども時代の「あなた」です。
子ども時代、野原を駆け回り、花を摘み、虫を捕まえ、しっかり楽しむことは、子どもの原風景を心に刻むことです。その、原風景は、大人になり、老人になってさえも、あなたを支えてくれる宝物となるでしょう。

子供時代の原風景

皆さんは子供時代、どんな遊びをしてましたか?

↓こちらの記事も併せてお読みください。

 

私は、岩木川に近いところに住んでいたので、河原でよく遊んでいました。

河原の石で水切りしたり、河原で書ける石を探しては、コンクリートにけんけんぱ書いて遊んだり、シロツメクサの花冠はいっつも作ってましたね。

トンボの季節には、トンボ捕まえて、トンボのしっぽに糸結びつけて飛ばせたり、メスのおしりから卵が出るのを観察したり。

友達の家の方に行くと、崖があって、そこをよじ登って遊んでたし、習い事もしてたけど、いっつもさぼって、友達と暗くなるまで毎日遊びほうけていました。

学校の行き帰りは、もちろん寄り道しまくりだったし、帰りに、たま~に、通学路にあったお団子屋さんで、50円のごまのくし団子一本買って、友達と食べながら帰ることも。お小遣い握りしめて、買い食いして帰るドキドキ感、今も覚えています。

今の子どもたちは、寄り道したり、暗くなるまで外で遊びつくす、そんな経験してる子は、どれくらいいるんだろうかって思います。

両親共働きが多いから、仲良し会や学童保育に行ってる子がほとんどだし、そうじゃない子も、塾や習い事で忙しい。遊ぶ時間も少ないし、あそぶ仲間も少ない。そう感じます。

それでも、うちの周りには、部活も行っていない、習い事もしてるけど、あそぶ時間は何とかとれる、そんな子たちが遊びに来ています。

男の子たちなので、生き物を捕まえるのが楽しくて仕方ないようです。動くものを捕まえる。これは本能なのかもしれません。

ドジョウすくいしたり、

カエル捕まえたり、

バッタ捕まえたり、

時には秘密基地を作ったり、

女の子も、秘密基地が好きだったりします。

穴を掘ったり、

さらに深く掘って、横穴掘ってみたり、

剣を作って戦いごっこしたり、

春先なら、田んぼでオタマジャクシを捕まえたり、

夏はセミを捕まえ、抜け殻を探し、

水かけあって遊んだり、

水鉄砲戦争したり、

泥をこねたり、

木に登ったり

変身してみたり、

とにかく、友達と一緒なら、何をやっても楽しい、そんな子供時代。

地域のお祭りに参加して楽しんだりも。

自分が育った地域でのお祭りや、あそんだ自然、寄り道した道、いろんな思い出や感覚が、心の中にインプットされていきます。

 

心にインプットされた原風景

先日、十和田で十市祭りと言って、青森県内10市のお祭りを一堂に会したお祭りがありました。青森ねぶたや三社大祭、立佞武多や弘前ねぷたなど、一度に見ることができるお祭りでした。

ひととおり、全部の山車や流し踊りやパレードが通っていくのを眺めてるとき、弘前ねぷたのお囃子を聞いていて、なぜか涙がにじんできました。

子どものころ、弘前で育った私。ああ、私は、このお囃子を聞いて育ってきたんだな~って思うと、なんだか胸が締め付けられるような何とも言えない懐かしさが押し寄せてきました。

心の原風景って、知らず知らずに、心の中にできていってるんだな~って思うと同時に、今住んでいる十和田のお囃子を聞くと、また、ああ、いいな~。これはこれで、私と子供たちの原風景だ、と思ったのでした。

子供時代の遊びは、五感をいっぱいに使って遊んでいます。

泥の感触、生暖かさ、雨の匂い、シロツメクサの香、桑の実の酸っぱさ、花の蜜の甘さ、鳥の声、風の音、川の流れの音、川の水の冷たさ、ドジョウやオタマジャクシのぬるぬる、空いっぱいのせつなくなるような夕焼け、薄暗くなって出てきた一番星。木の葉の揺れる音、いろんないろんな感覚。

そんな、五感で感じてきた、インプットされた記憶は、ふとしたことで同じ香りや、同じ音、同じような情景を目にしたときに、何か懐かしく、昔の記憶と共によみがえってくることがあります。

年をとっても、昔のことはよく覚えているといいます。

子供時代のいろんな思い出を、おじいちゃんおばあちゃんが懐かしそうに語る場面に出くわしたことがある方も多いのではないでしょうか。

大人になったとき、老人になってさえも、あなたを支えるのは、子供時代の「あなた」なのだということです。

 

自分が遊んだ懐かしい地域。懐かしい自然、懐かしい地元のお祭り。

大人になったとき、そういうものがあるから、地元に帰ってきたいと思うかもしれない。

地域再生のカギは、子どもの原風景だという記事も読んだことがある。

そういうものかもしれない。

たとえ故郷から離れていようとも、ふとしたときに故郷を思い出す。

子供時代は、ただただ遊べ!

いい高校、いい大学、いい会社に入るために塾に行くより、習い事するより、できることなら、子供時代はただただ遊んでほしい。

ベネッセ教育情報サイトによると、自然、友達、地域の大人たちなどと触れ合った体験が多い者ほど、「意欲・関心」「自尊感情」「人間関係能力」などが高い、ということが判明しているようです。

自然で遊ぶと想像力が育つとか、五感を使って遊ぶことで脳が発達するとか、そういうことも言えると書いたこともありますが、そういう理論的な事、科学的な事よりも、もう、子供時代はただただあそべ!そう思います。

楽しいから遊ぶ。

楽しくないからやらない。

もっと楽しくするにはどうしたらいいかな。

友達と遊ぶのが楽しくて仕方ないから、

とにかく友達と遊びたい。

そういう本能で生きているのが子供です。

 

ある年齢になってくると、親と一緒に出掛けるよりも、友達と遊びたい、そういう時がやってきます。そうなったらもう、好きに遊ばせてあげてほしい。

それまでは、親と一緒にできる体験を、たくさんしてほしい。子どもに遊びの幅があると、友達と遊ぶとき、それぞれの遊びの経験が違うので、1足す1は2にも3にもなる、遊びの面白さがぐんと広がります。

難しいことは抜きにして、とにかくいろんな遊びを体験させる。それが原風景になっていくのです。

 

 

 

 

子どもの10年先の未来、自分らしく生きられるように

「みんなの学校」という映画の上映会に行ってきました。第二部は、映画の舞台となった大空小学校の初代校長先生の木村泰子さんの講演でした。

このドキュメンタリー映画と講演を聞いて、一番心に残ったのは、

「10年後の国際社会で子どもが自分らしく生きられるにはどんな力が必要か?」そう考えて、目の前の子どもとに対応していく、というお話しでした。子どもの未来を見て、この子が10年先、社会に出たときに自分らしく生きていけるようになるために、今、どんなことができるか?今、この子に何が必要か?子どもを主語にして、この子は、今、何が困ってるんだろう?この子が成長するために、どうしたらいいんだろう?って考えてきたと。

それが、学校でなくとも、大人が子供に向き合う時、この子がこんなこと言う(こんな行動する)背景に、何があるんだろうかと、わかろうとする気持ちが、地域の大人にも必要な視点だと思いました。

学び合いと育ちあい

「みんなの学校」は、支援を必要とする子も、そうでない子も、同じように学び合い、成長していく大阪の大空小学校のドキュメンタリー映画です。

ふつうは、クラスに1~2人ぐらいの何らかの支援を必要とする子ども達が、大空小学校では、全校220人中30人。

「支援を必要とする子」とは、一般的になんらかの障がいのある子や、いろいろな事情で前の学校では不登校になってしまった子たち、などです。

でも、他の学校のように、特別支援学級などは作らず、あえてクラスの中で一緒に学びます。

授業中、外に走り出して脱走する子や、大声を出す子、いろんな子がいるけれど、それぞれの個性を認めつつ、どうやったら、このお友達は教室にいられるんだろうか?今、この子は、何に困っているんだろうか?と、子ども達も、先生も、みんながその子の背景に寄り添っていく。

家庭の事情で両親とも早くから仕事に出かけているから、きっとまだ寝ている。

学校に来ていない子がいたら、その子の家まで迎えに行って様子を見る。という子だったら、玄関どんどんってしてたたき起こして学校に連れてきたり。

気になる子がいたら、担任の先生だけじゃなく、学校のみんなで知恵を出し合って、サポートしていく。

校則はなく、「自分がされていやなことは、人にしない、言わない」という唯一の約束事があるだけ。

でも、毎日一緒に教室にいるから、毎日その子の様子を見ているから、多少その子が大声を出そうとも、授業に集中していられる。でも、その子が本当に困っている時には、自分の勉強道具をほっぽりだしてでも助けに行く。

すぐ手が出てしまうような子と、ケンカになってしまっても、なんであの子は怒ったんだろう?って、失敗から学ぶ。

学校では、たくさんの失敗をして、やり直しをして、学んで、そして卒業していきます。

それも、多様な子供たちの中で、育ちあい、学び合うから。

大人の都合のいいような子を望んでいては、そういう子たちは取りこぼされていきます。

学力重視で、授業に支障が出るから、そういう子は教室にいてはいけないというようなそんな空気がクラスを包んでしまったら、その子は居場所がなくなってしまいます。

大空小学校に転校してきたある「支援を必要とする子」は、前の学校は『牢屋』だと表現したそうです。教室で大声を出すと、「大きな声を出してはいけません」と言われ、教室にいられないから教室を抜け出そうとすると抑えられて外に出ることもできない。意見を言おうとすると「だまってなさい」と言われる。その子にとって、学校は『牢屋だ』。その言葉通りなのだと思います。

大人が、そういう子たちを排除しようとする姿を見て、子ども達は見たようにしか行動しませんから、あいつなんかこなきゃいいのに、あの子さえいなければ・・・そんな空気ができてしまうのかもしれません。

世界は一瞬で平和になる

4年生の時に転校してきたせいちゃん。前の学校では特別支援学級にいたけれど、教室はせいちゃんにとって、とってもいやなところだったようです。だから転校してきた最初のころ、せいちゃんは教室に入ろうとしません。何度も学校を脱走します。

でも、時間をかけ、教室は安心できるところだよ。学校は安心できるところだよって、友達が手を引いてくれたり、背中をさすってくれたり、黙って待っていてくれたり、徐々に徐々に、せいちゃんは教室に入れるようになっていきます。仲間を信じられるようになったせいちゃんは、毎日学校に通います。

せいちゃんのお母さんは、「ランドセルの中がぐっちゃぐちゃで、鉛筆が全部折れてたり、半分までちびっこくなってたらすごくうれしいんです。前は、いつ筆箱あけても、(使わないから)ぴんぴんにとがった鉛筆だった。上履きも今は真っ黒で、そんな、真っ黒に汚れたのを洗うのが、ほんとにうれしい。」

居場所を手に入れたせいちゃんが、毎日学校で勉強して、友達ときっと遊んでる。だから汚れる。それがうれしいんだと語ります。

そんなせいちゃんが、6年生になり、卒業のメッセージで、こんなことを発表しました。

「ぼくの一番の願いは世界が平和になることです。世界を平和にすることは一瞬でできます。自分の隣の人を大切にしたら、みんなが平和になります」

4年生で転校してきて、6年生になるまでに、せいちゃんが経験してきたことが、そのまま語られています。きっと、せいちゃんは、隣の人に、クラスのみんなに、先生に、たくさん大切にされてきたんだろうな。せいちゃんの経験からくる言葉は、本当だと思うのです。

地域は土である

地域の学校に通う子供たちを、だれ一人欠けることなく、みんなが等しく学べるように、そういう想いでやってきた大空小学校。

では、先生ではない、地域の住民であり、子どもの保護者である私たちは、どうか変わっていけばいいのでしょうか?

学校のやり方に、なかなか意見はしづらい。不満を言えば、モンスターペアレントと言われかねない。

でも、そこは、自分の子どもだけでなく、自分の子のお友達も、地域のみんなの子供が通う学校です。登下校時に交差点や校門に立って、子どもの安全を見守りながら子ども達に挨拶するサポーター。本の修理や読み聞かせをする学校図書サポーター、教室に入って、子どもたちを見守り、気になる子を見つけて先生に知らせてくれるサポーター、いろんな形で、学校に関わってくれる方を、大空小学校ではサポーターと呼んでいます。保護者じゃなく、サポーター。

学校に毎日のように来て、関わってくれるから、ちょっとした子どもの変化に誰かが早い段階で気づいてくれる。

そうやって、地域の人に見守られながら育っていく子供たち。

卒業するとき、子ども達は、それぞれ決められた言葉でなく、自分の言葉で、自分が感謝したい人に向けてありがとうのメッセージを言葉にします。

多くは、6年生になるまで、ずっと見守ってくれたサポーターの方への感謝を述べます。

地域は、子ども達の土です。

子ども達がすくすく育つには、子どもたちが安心して育っていけるようなどっしりとした土がなければ育ちません。子ども達がしっかり根付いて成長できるためには、地域で子どもたちを育てていく、温かく見守っていく、あのこ、なんか元気ないな~。どうした?って、声をかけてくれる大人。地域の中で、誰が困っているか?って、見ていて、手を差し伸べてくれる大人。そんな大人に囲まれて育ったなら、きっと子供は10年先も自分は自分らしくいていいんだと、自信を持っていられるのではないでしょうか。

幸せになるために学校に来ているのだと木村さんはおっしゃいます。

子ども達が安心して過ごせる学校であり、安心して育つことができる地域であることが、子どもたちにとって大事なこと。

いろんな人が子どもたちに関わることで、答えは一つじゃないことを知る。こんなやりかたもあれば、あんなやり方もあると、気づくことができる。

自分で自分の命を絶ってしまう子供たちがたくさんいます。命を絶つ前に、話を聞いてくれる人が地域にいたら。ちょっといつもと違う様子に気づいて声をかけてくれる大人がいたら。

それは他人事のようだけど、自分事に置き換えて、自分の周りの子供たちに、どれだけ関わってあげられるか。

以前、うちにいわゆる”困った子”達が遊びに来ていました。すぐにかっとなって手が出る足が出る。馬乗りになって殴ったりも。そんなことが続いたら、近所の子たちは怖がって彼らを遠巻きに見るようになった。関わろうとはしなくなった。

でも、ある取っ組み合いのけんかの時、興奮する彼を抑えて、こう話しました。

「嫌なことがあったとき、頭に来た時、殴って蹴るだけが解決する方法じゃないんだよ。頭に来たら、その場を離れてみたらいい。ちょっと離れて、一人でゲームしてたっていい。深呼吸して、気持ちが収まるまでここ(小屋)にいたらいいよ。うちでは、怒っても殴ったりしないよ。殴ることが当たり前じゃないんだよ」

彼にとって、嫌なことがあったら殴る、というのは、家庭の中で身についたことでした。それが当たり前だった。

私が「怒ってもうちでは殴らないよ。それは当たり前のことじゃないよ」と話すと、「そうなの?」と。でも、うちに来て、怒りを収める方法が、殴るだけではないんだということを学んだ彼は、その後、ぱったりと暴力を振るわなくなりました。

自分が知ってる方法以外のやり方がある。それだけが正解じゃない。

多様な人の中で育つことは、子どもたちにとって多様性を受け入れることでもあり、違う選択肢を見つけることでもある。

今日も子供たちがうちに遊びに来ては、空き地で秘密基地を作っています。お腹がすいたら、戻ってきて、素揚げのジャガイモを「うまいうまい」とほおばります。

剣を作るんだと言ってはのこぎりで木を切り、ヤスリでなめらかにとがらせます。

指を切ったと言っては友達が「〇〇クンが手切った~!絆創膏ちょうだい!」って、言いに来てくれる。

友達の一人が秘密基地でまだ遊びたいのに剣を作りたい子が帰ってきちゃったから、その子は泣いてしまって、でも、「おいしいものあるから、一回帰ろう?」って、迎えに行って連れてきて、「一本でもいいから剣作ろう?そしたら秘密基地で戦いごっこして遊べるじゃん?」って、困っている友達に、手を差し伸べられる。

そんな子供たちがすごいな~って、見守ってる自分がいる。何を教えなくても、子どもたちは、ちゃんとかかわる力を持っている。

それを奪わない社会であるように。

困った子を排除しないで、手を差し伸べられる社会になるように。

そのためには、今、目の前にいる子どもたちが、困ったこと言われる子供たちや、支援を必要としている子供たちと、関わりながら、こういう人もいるんだ。だったらそんな子が安心していられるようにすればどうしたらいいんだろう?って、考えて動ける子を育てていくことが、10年後、そんな社会を作っていけるんじゃないのかと思うのです。

自分が経験したことしか学べません。小学校時代は、たくさん、失敗しながら、ケンカしながら、学んでいく時代。そして、大人も、そんな子供から、たくさんのことを学ばせられます。

 

 

 

秋を感じる自然遊び


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だんだん夏の暑さも和らぎ、青森では秋風が吹き始めてきました。秋といえば、落ち葉やドングリ、松ぼっくりの季節。だんだん秋らしくなってくるこれからの季節。田んぼは黄金色に輝いて、いろんな農作物や、山の恵みが収穫できるそんな季節。そんな季節を楽しんでみませんか?

今回は、子ども達と秋を感じる自然遊びや、絵本を紹介します。

秋といえば秋の虫探し

涼しくなってくると、山から赤トンボが下りてきます。赤トンボは、アキアカネや、ナツアカネ、ミヤマアカネなどのアカトンボの総称で、水田などの水辺で羽化して、夏の間は涼しい山間部に移動して過ごします。そして、秋になり、里でも涼しくなってくると、山から里に下りてくるトンボです。

秋の田んぼのあぜ道には、赤トンボがいっぱいです。トンボを虫かごいっぱいに取る子ども達。

子どもたちの間で、トンボはツユクサを食べるというのが何だか常識のようで、確かに、捕まえたトンボにつゆ草の青い花びらを持たせると、むしゃむしゃ食べるのですが、トンボは本来肉食なので、つゆ草を好んで食べるというよりは、目の前に持ってこられたからかじりついているようです。

草むらに行けば、バッタやコオロギがたくさん。

今日も虫捕りに夢中です。

秘密基地を作ってみよう

秋になると、草原の草も伸び、秘密基地を作るには最適の季節です。

秘密の道を作って、秘密基地を作るんだと、草むらをもそもそ進んでいきます。

台風の後の公園には、落ちた枝もいっぱいあって、基地を作るには最適です。

もうちょっと冬が近くなると、刈り取った稲わらの中も、小さい子なら入れちゃうかも。

秋には、そんな環境が比較的容易に見つけることができます。

 

木の実を集める

秋には木の実がたくさん手に入るのもうれしいところ。

つまようじ刺したら、どんぐりゴマも作れちゃう。

木の板にボンドでつけたら、かわいい飾りにも。

かなり大変だけど、たくさん集めたら、カラを割って、ゆでて、アク抜きしておけば、

上新粉に混ぜてどんぐり餅にしたり

小麦粉に混ぜてドングリクッキーにもできます。

どんぐりの仲間のマテバシイは、そのまま使えるけど、青森には自生していないため、ミズナラやコナラのどんぐりを使いますが、アクが強いので、アクを抜くのがものすごく大変です。

トチノ実も、でんぷんが豊富で、貴重な栄養源として縄文時代から食べられていた実ですが、サポニンやタンニンなどのアクが強く、アク抜きがとても大変です。

それでも、そうやって手間暇かけて大昔の人は食べていたというのも、体験してみるのもいいかもしれませんね。機会があったら、ぜひチャレンジしてみてください。

ちなみに、どんぐりのアク抜きは、私はやってみましたが、もう二度とやりたくないと思えるレベルでしたが、子供にせがまれ、今までに度ほどやったことがあります。

落ち葉で遊ぶ

まだ、9月だとちょっと落ち葉には早いのですが、これから涼しくなってくるとともに、10、11月には落ち葉の季節になります。落ち葉がいっぱいの公園に行ったら、落ち葉に埋まってみるのも、楽しいです。

顔にはかからないように注意しながら、体を落ち葉で隠します。

かさかさした感じ、ちょっぴりあったかい感じ。落ち葉に埋もれながら空を眺める。落ち葉を大きい山にして蹴散らしたり、目に入らないように注意しながら、落ち葉投げしても楽しい。

落ち葉を色別に並べるだけのグラデーションも美しい。

秋の恵みをいただく

2017年の中秋の名月は10月4日です。旧暦の8月15日なので、その年によってお月見の日は違います。満月は10月6日なので、お月見は必ずしも満月というわけではないのです。

お月見には、月を愛でつつ、収穫の豊作祈願と感謝するという意味合いがあります。一五夜には、栗ご飯や、かぼちゃの煮物、サツマイモの味噌汁や、サンマの塩焼きなど、秋の恵みに感謝しつつ、食を楽しみましょうね。

うちの庭にも、ブドウがやっと成るようになりました。

栗拾いに出かけてみるのも楽しい。

昨日は畑にじゃがいも堀に行って、じゃがいもたくさん掘ってきました。自分で育てたものを食べるのも、いいものです。掘ったじゃがいものうち、小芋は素揚げにして塩を振って、おやつにすると、あっという間に売れてなくなります。

 

夏の終わりに収穫できた夏野菜も、だんだん終わりになってきました。これからは、じゃがいも、サツマイモ、サトイモ、カボチャ、大根などの根菜類がとれるようになってきます。

絵本で秋を楽しもう

小学校のお話し会では、季節ごとの絵本を読むこともあります。季節を楽しんでもらうのに、絵本はとってもいいツールです。

やさいでスタンプ遊びする絵本や、

どんぐりの歌と楽しむ『どんぐりころちゃん』。


落ち葉で遊びたくなる『おちばいちば』。

落ち葉や、どんぐり、松ぼっくりで工作を楽しみたいときにはこんな本も。


焼き芋を楽しむなら、ばばばあちゃんの絵本も楽しい。


図書館で、秋を感じる絵本や、秋の工作絵本、秋の味覚を楽しむクッキング絵本など、借りてみるのもいいですね。

 

 

 

 

 

プレーパーク行ってみたいけど、青森県内どこでやっているの?

去年あたりからテレビや新聞に取り上げてもらえるようになり、徐々に広がりを見せ始めている青森県内のプレーパークですが、青森県内で開催しているところはまだまだ限られています。青森県内は、常設プレーパークがまだないため、青森、十和田、八戸を中心にプレーパークをやっている3団体が、あちこち荷物を積んで出張している出張プレーパーク形式でやっています。

たまたま遊びに来たところでやっていて、初めてプレーパークというものを知ったという方もまだたくさんいて、認知度もまだまだのようです。

今回は、プレーパークの魅力と、青森県内でプレーパークを開催している団体と、どこに行けばプレーパークを体験できるのか、情報をアップしたいと思います。

プレーパークって、普通の公園と何が違うの?

プレーパークは、冒険遊び場とも言います。子どもがやりたいことができるような環境を整えています。子どもが「遊び」をつくる遊び場です。

木に登ったり、トンカチやくぎを使ってみたり、泥んこになったり、絵の具まみれになったり、水遊びをしたり、そこにあるものを使って、自分がやってみたいと思うことを実現していく遊び場です。

決まった形の遊びはなく、そこに集う仲間や、その時の気分によって、流動的に遊びは変化し続けます。

ふつうの公園と違うのは、そこに、温かい目で見守る大人がいるということ。危なくないように監視する大人ではなく、一緒に子どものやりたいことを面白がってやれる、そんな大人がそばにいます。危ないからダメ、汚れるからダメ、というような禁止のまなざしではなく、「それ、いいね~!やってみよっか!」って言ってもらえる関係。

だからこそ、子どもは、のびのびと遊び、小さな失敗を繰り返しつつ、自分の能力に挑戦し続けます。

「いいこと考えた!」って、子どもが言ういいことは、たいてい、大人の目から見るとくだらないことだったり、そんなこと、って思えることだったり、無駄な事だったりするんだけど、それを面白がってくれる大人がいることで、「いいこと考えた!」は形になって、子どもは満足します。

そこで、「そんな無駄なことしてもしょうがないでしょ」って、言ってしまったら、子どものやる気スイッチはみるみるしぼんで、「どうせ、ダメって言うんでしょ」って、新しいことに挑戦することはどんどん少なくなっていきます。

ふつうの公園では、遊びが変化していくことは難しいのです。ブランコはブランコでしかなく、滑り台は滑り台でしかない。下から登れば、「ほら、下から登っちゃダメでしょ」って言われるから、冒険しようにもできない。

でも、プレーパークには、いろんな素材が用意されています。木切れにトンカチやくぎ、段ボールに絵の具、布切れやロープ、どんぐりや松ぼっくり、スコップやバケツ・・・いろんなものを車に積み込んで持っていきます。

どの素材を使ってもよくって、何を作ってもいい。

創造力次第で、木は、剣にも鉄砲みたいな武器にもなれば、いすやテーブル、看板にもなるし、ブーメランにもなる。

二刀流!合体もするらしい。

こちらも二刀流。一本は背中に。

飛行機作ったり

椅子を作ったり

松ぼっくり投げ入れゲーム作った子も。

看板作ったり

ギター作った子も。

ブーメラン作ってブーメラン飛ばし大会になることも。

お船になったりもね。

部屋の飾りも様々。

 

いつも、子ども達それぞれの発想力には驚かされます。

段ボールは家にもなれば、ロボットにもなる、お化け屋敷にもなれば迷路にもなる。

おうちもそれぞれ個性が出ます。

かわいいおうち作る子もいれば、

お化け屋敷にしてみたり、

赤い絵の具で血の手形?をつけておどろおどろしくしてみたり、

体中絵の具まみれになってもよしとします。

ちっちゃい子だって、自由に塗るのは楽しい♪

車作ってみたり

時には滑り台になり

おままごとにもなる。

かっこいい変身スーツにだってなっちゃう。

転がったり

滑ったり。

他に、シャボン玉や

水遊び

火が使える場所なら、何かを焼いて食べることも。

青森では、カニ釣りや、エビすくいできる環境も。

穴が掘れる場所なら、穴掘りも。

ハンモックでのんびりするもよし、木登りするもよし。

砂鉄集めに夢中になってみたり、

弓矢に夢中になる子

忍者になってみたり

色水遊びしてみたり

室内だったら新聞に埋もれてみたり

子どもが、やりたいと思ったことを、できるだけ実現できるように、そんな遊び場がプレーパークです。

 

 

子どもにとって遊びとは?

子どもにとって、遊びとは、生きることそのものです。

食べて、寝て、あそぶ。すべてを遊びに変えるのは子どもの本能です。

人と関わり、自分がやりたいことに挑戦し、失敗しては乗り越えて、成長していきます。手の感触、泥の匂い、秋晴れの空に、肌をなでる優しい風、いろんなことを肌で感じ、経験していきます。

本来、子どもの遊びは場所を選びません。

田んぼのあぜ道、学校の通学路、どこでも、仲間がいれば、遊びが始まります。

でも、学校では、寄り道は禁止されているし、田んぼで遊んではいけませんと言われています。家の前で走り回ることはできないし、ボール遊びだってできません。

危ないからダメ、汚れるからダメ、人に迷惑かけるからダメ、ダメ、ダメ、ダメ・・・。

今の子供たちの、置かれている環境の、なんと窮屈な事か。

子ども達から遊びを奪っているのは、大人です。

自由な遊びを奪われた子供たちは、誰にも迷惑をかけないゲームに没頭し、テレビにかじりつき、一見、手がかからなくて楽なようだけど、それは、大人の都合でそうなってしまっただけなのかもしれません。

今どきの子供は遊べないっていうけれど、子どもの遊びを作る力は、今も昔も変わっていません。ただ、その環境がないだけなんです。

子どもの遊ぶ力を取り戻してやりたい!子ども達がもっとのびのび遊ぶ姿を見たい!

子ども達の遊びの様子を見ていると、いつもそう思います。

ここでなら、自由に遊ばせてあげられる

先日、プレーパークに来ていただいた方から、こんな感想をいただきました。

「あそこまで大胆な絵の具遊びは自宅ではさせてあげられないので、思いっきりできた娘は大満足。 もう少し大きくなったら、段ボールでの活動も頭使って、身体動かして…きっと私みたいな段ボール=お家ではなくて、色んな発想でつくるのでしょう!!」

「汚れちゃう⁉︎片付け大変⁉︎そんな風に先回りして考えて、子ども達から楽しいコトを奪っていました。色々気付かされました。」

そう、『うちではちょっと困るけど、ここでだったら自由に遊ばせてあげられる』そんな場所がプレーパークです。

だから、ぜひ、プレーパークに足を運んでみてほしい。

プレーパークでなら、お子さんが、のびのび自由に遊ぶ様子を温かく見守ってやれる。

先日、小学校の学年レクで、プレーパークをやりましたが、参加したお母さんのお一人が「今日は怒らないでおこう!」って、つぶやいていました。

いつもは、やめなさい!って言っちゃうようなことでも、ここではいいことにしちゃおう。ちょっと、タガを緩めてあげられる、そういう場が、プレーパークなのかな、って思います。

そして、大人の方が童心に戻って夢中になれるのも、プレーパークのいいところ。

大人が童心を取り戻すと、子どもの『やりたい』に寛大になれるから。そして、妊婦さんや、赤ちゃん連れでも、子どもが大きくなったら、どんな風に子どもを遊ばせたらいいか、いろんな年齢の子どもたちの遊ぶ様子を見ることができるので、まだ早いかな~何て思わず、気軽に見に来てみてください。

プレーパークは、子育ての不安や心配事を話せる場でもありますから。

 

今後の青森県内のプレーパーク

青森県内、出張プレーパークをやっているのは3団体あります。

 

・青森市ではNPO子育てオーダーメード・サポートこもも『青森にプレーパーク作り隊』が、青森市、八戸市、平内、大間など、いろんなところに出張しています。

・八戸市では1Park(わんぱーく)/八戸学院短期大学差波ゼミ

・十和田ではHappy Children(はぴちる)が十和田市内を中心においらせ町や三沢で開催しています。

【はぴちるプレーパーク】

9/30 出張プレーパーク(三沢市中央公園まつり)10:00-15:40
10/1 プレーパーク(十和田市駒っこランド)10:00ー15:00
10/7 プレーパーク(十和田市駒っこランド)  ”
12/9 プレーパーク(十和田市駒っこランド)交流館 ”

9/30は、木工中心になります。
駒っこランドは雨天の場合、交流館で行います。

その他、10月末までは、毎週水曜、放課後学校プレーパークとして、十和田市ちとせ小学校校庭にて16:00~17:45まで行います。雨天中止です。

【青森にプレーパークを作り隊】

9/17(日)青森市わくわくランド(青森マルシェ)

9/18(月)青森市三内丸山(FEEL THE ROOTS)10:00ー14:00

台風のため中止

10/1(日)県民カレッジまつり

10/8(日)こまきの遺跡ドングリの家10:00-14:00

11/11(土)アピオ祭り

 

【八戸1Park(わんぱーく)】

9/15(金)スキダ・トラベル in はっち 9:00~15:00

※申し訳ありません。申込は締め切りました。

 

【あぼプレ】

9/30五戸歴史みらいパーク(五戸図書館前)11:00~15:00

「みらいパーク″あおぞらplayground♪″」

 

今のところ、県内のプレーパークの日程は、上記のようになりますが、日程変更や、追加がある場合もありますので、おでかけ前にチェックしてみてくださいね。

 

 

 

子どものしつけあれこれ

子どものしつけと一口に言っても、肘をついてご飯を食べないとか、箸を振り回さないとか、食事の時はきちんと座ってとか、そんな食事のしつけ、あいさつ、起きたら布団をたたむ、靴をそろえる・・・等々、いろいろあります。家庭によっても、他の家では何ともないけど、自分の家では許されないルールというのもあると思います。

今回は子どものしつけについて考えてみたいと思います。

食事のしつけ

日本人には日本人ならではの食の作法があります。

お膳の配置の仕方も、ごはんは左、汁ものは右。主菜は汁物の上で、副菜はご飯の上。お箸は手前に、右を持ち手側に置くこと(箸先は左)。

左にご飯、右に味噌汁が基本です。

食べる前には手を洗い、「いただきます」とあいさつし、食べ終わったら「ごちそうさまでした」とあいさつする。

お箸はそもそも魂が宿ったものとされていて、箸の作法にも、嫌い箸と言っていろいろやってはいけない所作があります。

刺し箸(食べ物を突き刺す)、

仏箸(ご飯にお箸を立てる)、

叩き箸(箸で茶碗をたたいたりする)、

振り上げ箸(箸をもって手を振り上げる)、

指し箸(箸で人を指さす)、

迷い箸(どれを食べようか、箸をうろうろさせる)、

受け箸(箸を持ったままおかわりする)、

渡り箸(いったん箸をつけたのに食べずに違うものに箸をつける)、

せせり箸(とがった先で繰り返しつつく)、

ねぶり箸(箸をなめまわす)、

探り箸(汁椀の底に具が残っていないかと、箸を椀の中でかき回して探る)

かみ箸(箸をかむ)

など、まだまだたくさんのマナー違反があります。

ただし、お国が違えば、マナーも違います。私たちは日本に生まれたからこそ、日本の食の文化を子ども達に伝えていかなければと思います。文化は伝えていかなければ途絶えてしまいますから。

そういった、食事は毎日のことなので、食事の作法を伝えていくのは、やはり家庭の役割ではないかと思うのです。

我が家では、毎日のご飯の配膳を子どもたちに手伝わせています、ごはんは左で、みそ汁は右、お箸は手に持つところは右側というようなことを、自然に覚えていきます。

その他、食事のたびに、肘をついて食べないとか、犬食いせずに、お茶碗を左手で持って食べるとか、お話しに夢中になって箸を振り回していたら、お箸を振り回さないように注意したり、嫌い箸や、子どもの気になる作法は、その都度注意しています。

それと、これは、我が家のルールで、『食事中はごちそう様するまでは立ち歩かない』とか、『美味しいものは美味しいと言って食べ、好きじゃないものや、おいしくないと感じるものがあったときは、だまって何も言わずに食べななさい』というルールがあります。

我が家は6人家族。それまで何も言わずに普通に食べていた子でも、誰か一人、「なんかこれ、味変じゃない?」と、言った瞬間、「ほんとだ。なんか変。」と言って、食べなくなってしまうことがあったから。一人が食事に文句をつけた瞬間、みんながそんな気になってしまう、ということがよくあったから。

それに、喜んでもらおうと作った食事を、けなされるのはやっぱり、腹が立つし、悲しいですから。

うちのルールですが、よそでも、絶対そういうことは言わないようにと、私はきつく言います。

誰でも、作った料理をおいしいと褒めてもらえたらうれしいです。けなされたらがっかりします。それも、”作ってくれた人”に対するマナーだと思っています。

子どもたちが大人になり、好きな人ができて、食事を作ってもらったとき、「なんかこの味変じゃない?」「これ、俺ムリだわ」なんて言われたら、もうそれだけでケンカになってしまうかもしれません。大好きな人に、おいしいと言ってもらえるように、健康を考えて作った食事ならなおさらです。

アレルギーや、菜食主義などの事情がある方は除きますが、単なる好き嫌いや偏食は、やはりできるだけ少ない方が、栄養や発達という面から見ても、大人になってからも困らないんじゃないかと思います。

おうちに遊びに来た子におやつを出しても、「あ、おれ、これムリ(アレルギーとかではなく)。この味苦手」とか、お泊りに来て、出された食事も、「これ、ムリです」と言ってお箸すらつけない子、お箸をつけたけど、残してしまう子、今まで、いろんな子を見てきました。好き嫌いや偏食の多い子は、普段から好きなものしか食べないし、おうちの方も、残されるくらいならと、好きなメニューしか出さないというおうちの子もいました。

でも、そうなると、極端に食べられるものが少なくて、出す方も困ってしまうということもありました。

そして、うちにはよく、旅人が泊りにやってきます。ほとんどの方は、好き嫌いなく、出されたものはおいしいと、何でもよく食べてくれます。好き嫌いがないと、どこへ行っても、何を出されても、困ることがなくていいものだな、と、彼らを見て思います。

最初から、アレルギーがあるとか、マヨネーズが苦手ですとか、お肉は食べないんですとか、伝えてくれると、用意する方も助かります。

でも、嫌いなものがないに越したことはないな、と思うんです。

出されたものをありがたく感謝していただける、そういう子にしていくのが躾なんじゃないかな、って思います。

嫌いなものを食べてもらうには、きっと、みんな苦労していると思います。細かく刻んで、濃い味のものに混ぜてみたり、そこは、研究するしかないかもしれません。

苦手な野菜を畑やプランターなどで育てて、収穫して、調理を手伝わせて、食卓に出す、という、一連の過程を通して、「〇〇ちゃんが一生懸命お水あげて育てたお野菜だから、一口でいいから食べてみよっか?」って、促してみるのもいいかもしれません。「〇〇ちゃんのお世話してくれたお野菜、おいしい~♡」って、ママが喜んでみてもいい。

「〇〇ちゃんの切ったお野菜、おいしいね」って、調理したことをとりあげてもいい。

あの手この手を使って、苦手なものでも、少しづつ食べられるようになるといいですね。

ちなみに、私は、子どものころ、ナスが嫌いでした。でも、「ナス食べると美人になるんだって!」という母の言葉に騙されて(?)食べられるようになりました(笑)。

末っ子も、実はナスが苦手ですが、トマトソースでグラタン風にしたものは、おいしいと言って食べてくれました。どんな調理の仕方なら食べてくれるか、どんな言葉がけで食べてくれるかは、一人一人違うので、試行錯誤が必要ですね。

基本的には、ご飯もおかずも、器に、ちょっぴりだけ、食べきれるような量を盛って、残さず食べられるようにすると、全部食べられた!っていう自信が持てるので、おすすめです。もっと食べたかったらおかわりがある、というぐらいの方が、多い量を泣きながら無理やり食べるよりいいです。

食事は、楽しく、楽しく。

『絶対残しちゃダメ!!』というママの強力なプレッシャーも、食欲を落としてしまうので、できるだけ、楽しい雰囲気で食べたいですね。

食べる環境も、テレビを消して、おもちゃとか、気になるものは子どもの視界に入らないように座る位置を工夫するとか、食事に集中できるようにしてあげるひと工夫も必要です。食事は楽しいと思えたら、もう大丈夫です。

毎日のあいさつは当たり前のように

朝起きたら「おはよう」。

出かけるときは「行ってきます」「いってらっしゃい」

帰ってきたら「ただいま」「おかえり」

ご飯食べるときは「いただきます」食べ終わったら「ごちそうさま」

寝るときは「おやすみなさい」

 

あいさつは、一日の中でたくさん交わされます。まずは、大人から、しっかり挨拶しましょうね。

そして、それぐらい、当たり前にやってるよ、っていう場合でも、

お友達の家に行ったときは「こんにちは」「おじゃまします」。

何か食べ物をもらったら「ありがとうございます」。

っていうのは、なかなかできなかったりする子もいます。

よその家に上がって、靴は脱ぎ散らかして玄関にばらばらになってたり、

ピンポンもせずにいきなり家に上がってくる子も。

家に上がったら上がったで、よその家の冷蔵庫や戸棚を勝手に開ける子も。

家庭でも、きっと「よそのおうちに行ったら、こんにちはって、あいさつするんだよ」

「帰るときは、おもちゃちゃんと片付けておじゃましましたって、言って帰るんだよ」と、伝えていると思いますが、それができるかどうかは別で、やっぱり繰り返しそういう場面を作っていかなきゃならないのかなって思います。

挨拶なしで入ってきた子には、こっちから「こんにちは!」って、顔を見て挨拶するし、「入るときは、おじゃましますって言うんだよ」っていうときもあります。

「のどかわいた~。」って訴えてくる子には、「で?どうしてほしいの?」って聞いて、「そういう時は、お茶(お水)下さいって言ってね」と、お願いします。

玄関の靴がひどいときは、「みんなの靴がばらばらだよ。」って、きちんとそろえておいてあげたり、黙って帰ろうとする子には、「じゃあ、またね。気を付けて帰ってね」と、声をかけると、「さようなら」って、自然に声に出してくれる子も。

毎日の繰り返し。自分の家庭だけじゃなく、よそのおうちに行くと、よそのおうちのルールがあるんだ、って、気づくこともできるので、気になることは、その都度子供に伝えてあげてほしいと思います。

上の子たちが小学生のころ、少林寺を習っていました。少林寺では、『脚下照顧(きゃっかしょうこ)』といって、自分の足元をよくよく見よというおしえがありました。その一番手始めに、玄関では、靴はきちんとそろえて脱ぐように教えられました。

脚下とは自分の足下。自分の足下を顧みるとは「我が身」や「我が心」を振り返れ、自分が今どうゆう立場にいるか、よく見極めて事に当たれと言うことです。

日常生活も修行の一部です。どんなに忙しいときでも、履物をそろえて脱ぐくらい、心のゆとりが欲しいものです。

心にゆとりが出来れば自分自身の姿もよく見えてくるでしょう。自分の履物をそろえることは、そのまま自分の心の整理整頓となります。自分で履物をきちんとそろえて脱げるようになったら、他人の履物の乱れも直してあげるといいですね。

子どもは、身近な大人の姿を見て育ちます。

大人が子どもの前でも平気でごみをポイ捨てするなら、子どもも、当たり前のようにお菓子のごみを捨てるでしょう。

子どもが元気に挨拶しても、無視する大人がいたなら、なんだ、挨拶なんてしなくていいのか、ってなってしまいます。身近な子どもに、挨拶してあげて下さいね。

大人になったとき困らないように

しつけをするのは、子どもがいつか社会に出たときに、困らないように。そういう想いがありるからです。

かつて、ハチャメチャな子だけど、挨拶だけはしっかりしている子がいました。その子が成人した今、周りの大人にずいぶんかわいがられているみたいです。バカな事ばっかりやってたけど、目上の人にはしっかり挨拶できる子でした。それだけで、お前は面白いやつだと、かわいがってもらえる。

私は、お箸の持ち方が下手です。正しく持てません。でも、結婚式や、葬式など、正式な場面で会食するときは、お箸をきちんと持てない自分がとても恥ずかしいんです。小さいうちに直しておけたらよかったな~と思います。

あちこち旅をする息子ですが、好き嫌いがないので、どこへ行っても、なんでも食べられます。これが、食べられないものがいっぱいだと、絶対困るだろうと思うんです。

大人になってから、長年染み付いた癖を治すのは大変です。でも、小さなうちなら、比較的簡単に直すことができる。偏食も、箸の持ち方も、あいさつも。

しつけは、漢字で書くと身を美しくすると書いて『躾』です。

自分の思い通りにするのはしつけではないと思っています。よく、しつけのために体罰してると言いますが、それは、しつけではなく、ただの暴力。

そこのところを、心にとめておいてほしいな~って思います。