どうやったら地域に子どもたちが残りたいと思うのだろうか?


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皆さんの子ども時代は、どんなことをして遊んでいましたか?

私は、子ども時代、岩木川がそばにあったので、よく河原で遊んでいました。

草花遊びや水切り、きれいな石探しなんかよくしていました。

小学校で友達の家に行き来するようになってからは、友達の家までの人んちの塀の上を歩いたり、用水路でお花や葉っぱを流して競争して遊んだり、人んちに咲いてる花の花びらとって遊んだり、崖を降りて遊んだり、トンボの首にひも付けて飛ばして首がポロリとか、冬は屋根から下の雪山に飛び降りて遊んだりとか、わりと、今だとやめなさいと言われるようなことやってたな~と思います。

まだまだ私はおとなしい方なんじゃないでしょうか。

以前、この質問を投げかけた時、ものすごい強者達の声が集まり、みんな、子ども時代はいろいろやってたんだな~と驚きました。

過去の記事も、よかったら見てみてくださいね。

すごい武勇伝がたくさんあります↓

あなたは小さい頃何をして遊びましたか?

子ども時代に地域の中でたくさん遊んで、大人たちに心配や迷惑をかけながらも、時には叱られるけれど、ちょっとの悪さも温かく許容してもらっていたこととか、何か温かい記憶として残っていたりするものです。

そんな子ども時代を思い出しつつ、「どうやったら地域に子どもたちが残りたいと思うのだろうか?」という問いを考えてみたいと思います。

どうやったら地域に子どもたちが

残りたいと思うのだろうかか?

地方は、だいたいどこも、人口減少、少子高齢化、担い手不足の問題を抱えています。

インバウンドで外から人を呼び込もうとしたり、Iターン、Uターンで移住促進とか、ゆるキャラで地元アピールとか、考えられる地方再生への対策に、それぞれ、頭を悩ませている問題だと思うのです。

そして、この問題に対して、これが唯一の答えだとは思っていないのですが、冒頭の、『子ども時代、どんな風に地域の中で過ごしたか』ということが関わってくるのではないかと思っています。

「地域と、どれだけ交流しながらすごしたのか」ということが、残りたい場所、戻ってきたい場所になりえるかどうかと関連しているのではないかと思うのです。

ここに書いた「地域」の中には、地域の自然、地域の人、地域の食、地域の文化というものが含まれます。

 

<地域の自然>

草っぱらや林の中で、虫とりに明け暮れた。

暗くなるまで友達と遊びつくした。

釣りが大好きで、休みの日は友達と釣りばっかりやってた。

ドジョウ探しやザリガニ釣り、生き物探しに夢中になってた。

地域の美しい自然をよくみにいった。

<地域の人>

近所のおばあちゃんが登下校でいつも挨拶してくれた。

近所のお店に買い物行くと、いつも話しかけてくれて、時々飴をもらった。

近所のおじいちゃんと将棋して遊んでた。

畑にいたおばあちゃんから、トマトをもらった。

お父さんでもお母さんでもない、先生でもない人といっぱい遊んでもらった

<地域の食>

地域の特産品(野菜や果物、肉や野菜、魚介類、山菜など)がすごくおいしかった。

地域の特産品を使った料理を作って食べたらおいしかった。

水がおいしい

<地域の文化>

地域のお祭りに参加して、太鼓たたいたり、笛を吹いたり、踊ったりした。

地域の工芸品を作る体験をした。

などなど、ここにあげきれなかった、様々な地域との関わりが、複合的にたくさんあればあるほど、きっと地元に対して愛着を持つことができるだろうし、いつか帰って来たいふるさとになるだろうし、残りたい大好きな場所になっていくのではないかと希望を持っています。

故郷を大好きでいてほしい

地域に子どもは残って欲しいけれど、そうはいっても、一度は外の世界を見た方がいいだろうとも思います。

世界は広く、自分の知らない常識や、知らない素晴らしい景色、まだ出会っていない素晴らしい人達、新しい働き方など、知らない世界がたくさんあります。

若いうちに、多様な人に出会い、視野を広げることも大切だと思います。

でも、そうやって一度外に出てみると、何もないと思っていた地方が、故郷が、実はとても豊かだったと気づくものです。

「井の中の蛙大海を知らず」

「井戸の中の蛙(かわず)には、海のことを話してもわからない。それは蛙が狭い環境にとらわれているからである。夏の虫には氷のことを話してもわからない。それは彼らは季節というものは夏だけだと思いこんでいるからだ。視野・見識の狭いものには、真理を説いてもわからない。それはその人たちがありきたりの教えに縛られているからだ。今、あなたは狭い川の岸を出て、大きな海を見た。それであなた自身の愚かさを自覚したのだ。だからあなたには、大きな真理について語ることができるようになった。」

という、荘子の言葉があります。

一度、広い世界を見ることで、改めて気づくことは大きいと思います。

だから、一概に、地方に残って欲しいと子どもたちに言えないとも思っていて、でも、自分の生まれ育った故郷のことは、大好きでいてほしいとは思います。

何かあったとき、ふと帰りたくなる場所。

「ただいま」と言える場所。

「またあの人に会いたいな~」と思える人がいたり。

「また行きたいな~、あのお店」と思える、よく通ったお店があったり。

「お祭りだけはどうしても帰りたいな~」と思える地域のお祭り。

そんな、温かく、懐かしい、胸の底から沸き上がる思い。

そういうものを持ってさえいてくれたら、大人になったとき、どこに住もうか?どこで働こうか?と思ったときに、選択肢として故郷が浮上してくるのではないでしょうか?

 

私の場合は、弘前のねぷたが大好きでした。

弘前公園は、高校、大学に通うまでの通り道で、公園の四季折々をいつも目にしてきました。

小学生のころ、近所の駄菓子屋さんで買い物するのが楽しみでした。

学校帰りに団子屋さんに寄り道して、100円玉を握りしめて買った串団子が忘れられません。

両親は自営業で忙しかったけれど、山に山菜採りによく連れて行ってもらったり、年に数える程度ですが、キャンプに連れて行ってもらったことも忘れられません。

冬は、父がよく岩木山にスキーに連れて行ってくれました。

家の二階の窓からは、いつも岩木山が見えていました。

母と買い物に行くと、母は魚屋さんやお肉屋さんでいつも立ち話して、そのたびに「さっちゃんは芯がしっかりしてるね~」なんて話かけてもらったり、お菓子もらったりしてました。

大学在学中は探検部で白神山地に分け入り、岩木山を登り、岩木川を川下り、その後、マタギの工藤さんや、クマゲラ調査、岩木山を考える会など、自然保護活動を通じて、すばらしい人たちと出会いました。

そんな子ども時代、学生時代があって、弘前が大好きだったから、大学出た後も県外に出たいなどこれっぽっちも思いませんでした。

井の中の蛙ではあったかもしれませんが、この青森の、自然と人と文化に惚れてここに残りました。

「大海」は知りませんが、幸い今はインターネットで世界とつながれる時代になりました。世界中にできたつながりから、知らなかった世界を少しばかり垣間見ることができるようになりました。

私は、本当の生まれ故郷である弘前からは離れましたが、山が見える景色が大好きです。弘前では岩木山を眺めていましたが、今は十和田から八甲田山を眺めています。山と田んぼと川のある景色が、私の中の原風景です。

だから、子どもたちにも、心の中の原風景を残していきたいと思っています。