赤ちゃんのうちから人を信頼できるようになる信頼感は育まれる


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この前、お友達のママが、ある講座に出るために、8か月の男の子を3時間ほど預かりました。3時間、泣かずにずっとご機嫌で遊んでいたTちゃん。途中、授乳のためにママのところに戻りましたが、その後再び離れるときも泣くこともなく、あっという間の3時間でした。

小さな赤ちゃんでも、ママと離れるときは不安です。小さなうち、託児に預けると、ずっと泣きっぱなしのこともあるでしょう。赤ちゃんが、泣くとき、泣かないときの違いは何でしょう?

それには、信頼感が関係しているのではないかと思います。この人だったら安心という、ママの信頼感も、赤ちゃんに伝わります。逆に、長い時間、ママがいなくて大丈夫かな?とか、この人で大丈夫かな?という不安も赤ちゃんは敏感に感じ取っているのではないかと思うのです。小さな赤ちゃんでも、そんな信頼感を感じています。

では、この「他者を信頼できる信頼感」は、赤ちゃんのうちからどうやって育まれていくのでしょうか?

基本的信頼感は、乳幼児から育つ

前回、『人を信頼できる社会に』の記事にも『信頼』について書いていますので、そちらもあせてご覧ください↓

児童精神科医であった故佐々木正美先生の著書『子どもへのまなざし』に、ある実験のことが書いてありましたので、引用して紹介します。

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30年ぐらい前までは、深夜の授乳について、赤ちゃんが泣くたびおっぱいをあげたほうがいいとか、やらずにいることで、だんだん赤ちゃんは泣かなくなり、朝までぐっすり眠るようになるんだとか、いろんな意見がありました。でも、どちらがいいのか、わからずにいました。

そこで、ある乳児院で、こんな実験をしました。

子どもをアトランダムに二分して、望んだ乳児に深夜に授乳するグループと望んでもミルクを与えないグループに分けまして、その後ずっと調査が行われました。

普通乳児院では夜中の2時3時に、オッパイが欲しいからと泣いたからといってミルクを与えません。与えられるほど、夜勤の人手が無いのです。一方の子にはあげるわけです。研究のためにあげるわけですから、研究費で夜間の保育者を雇うわけです。そして赤ちゃんが欲しがればあげるわけです。子どものことを虐待しているわけではなくて、従来の乳児院のやり方にプラスアルファしてあげるわけです。日本では例がありません。欧米で 何カ所も実験されました。

そして、夜中の2時3時にですね、夜泣きをしたからといってオッパイをあげないでおくと、子どもは早い子は3日くらい、長い子でも2週間は越えないそうです。平気になってしまうわけです。翌日の朝まで泣かない子になります。やったり、やらなかったりすれば、これはずーっと泣き続けます。それで、やらないでおくと2週間くらいで翌日の朝まで泣かないで静かに待てる子になりました。

【 基本的信頼感と不信感】

そこで、翌日の朝まで泣かないで待てるようになった赤ちゃんは、忍耐強い子になったのか、現実認識ができるようになったのかどうかということです。

実際は、忍耐強い子になったのはなくて、あきらめの早い、無力感の強い子になっただけなのです。

ミルクをもらえない子は、残念ながら、不信感と無力感が強くなってしまいます。やったってダメなものはダメだ。すぐに努力を放棄する子どもになるわけです。無力感の非常に強い子ども、挫折しやすい子ども、それから周囲の人に対する基本的な不信感、こういうふうなものが、いろんな程度に子どもに身についてしまうということがわかりました。ですから無力感というのは、劣等感、自己不全感、それと周囲の人に対する不信感とは背中合わせで同じものなんだということがわかってきました。

逆の言葉でいいますと、自分を信頼する力というのは、人を信頼する力と同じものなんだということがわかって来ました。自立してちゃんと育つ子どもは、自信のある子どもは、オッパイを与えられた子なのです。泣くたびにもらえたのです。

ですから、夜中の2時3時でもオッパイが欲しければもらえる、昼間、抱き癖がつけば抱き癖を十分承認してもらえる。ということは、人に対する、基本的な信頼感は強くなり、人を信じることができるため、その後友達も作りやすいです。

 

【依存から自立へ】

人生の最初の時期(乳児期から幼児期のはじめ)には子どもはお母さんを中心に、周囲の人に「自分が望むように」愛されることが不可欠ともいえるほど大切で、その後の人格の形成過程に決定的な意味をもつことになります。

子どもは充分な「依存」体験をへて、はじめてしっかりした「自立」に向かっての発達過程を歩み始めるといわれる意味は、そういうことなのです。赤ちゃんの泣き声(呼びかけ)には、しっかり耳を傾けて、その欲求をすべて満たしてやろうという心がけが、乳児期の育児には必要ですし、そのことが自然に楽しくできることが養育者(母親)や乳児保育者に望まれます。

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HP『子育ての心理学』でも読むことができますので、本のない方は以下のリンクよりご覧ください。その他の子どもの発達についてと、関わり方について参考になることがたくさんありますので、ぜひ、お時間のある時、他の記事も読んでみてください。

 

つまり、赤ちゃんの欲求を、ちゃんと満たしてあげられるかが大事だということです。それは、ママでなくても、養育者、保育者、だれでもいいのです。

泣いたら、欲求が満たされる。満たしてくれる人がいるということは、人は信頼できるということだと赤ちゃんは学んでいきます。最初はそこからなんです。

人への信頼感が高い子は、自己肯定感も高い

先ほどの佐々木正美先生の文の中に、自分を信頼する力というのは、人を信頼する力と同じものなんだということがわかって来ました。という言葉があります。

自分がまるごと受け入れられて、はじめて人を信頼出来て、同時に、自分は愛されていると感じ、自分に対しても自信が付くのです。

これは、赤ちゃんに限らず、幼児期でも、小学生になっても、変わらないことなのではないでしょうか。

いつも怒られっぱなしの子供は、自己肯定感が低い。それは、うちにやってきていた悪たれたちを見ていて感じた事です。言うことを聞かない、いつも学校や家で怒られている。そんな彼らと初めて出会った頃は、

「俺、いつ死んでもいいもんね。明日死んでるかも」

「俺、バカだから、どうせ~できねえし。」

そんなことをよく言っていました。

遊びを考える力は天才的なのに、人を信頼する力と、自分に対する自信が非常に低い。

彼らと出会ったのは、彼らが4,5年の時。関わり始めて1年ほどで、彼らの言動から、「いつ死んでもいい」とか、「どうせ俺~だから」という言葉はなくなっていきました。

彼らとどう関わっていたかといえば、とにかく彼らを受け入れてきた。どんなことがあっても、(ひどいときには何でこんなに怒っているのか、説明したうえで、二度と来るなと言ったこともあるけれど、一週間もすればまたやってきて、ごめんなさいと謝りに来たので、その都度許してきた)彼らをまるごと受け止めつづけた。友人には、「そんなこと、よく許せるね」と、よく言われたけど、私には、彼らが愛おしかった。

写真の、お父さんにしがみついてる子は、うちの子じゃありません。悪たれ3人組のうちの一人です(*^-^*)。こんな風に、おんぶもよくせがみました。

二年後には、悪たれ3人組のうちの一人は、「新藤さん、生きてる?」って言ってやってきて、「新藤さん、生きててね~!」と言って帰っていくようになりました。半分ふざけて言うのですが、彼の言葉が変わったのを感じています。

 

例えば、前述の夜中の授乳ですが、結果としては、夜中に泣いたらおっぱいをあげてた赤ちゃんの方が人に対する信頼感が育まれていました。研究の結果、乳幼児期にもっともこの基本的信頼感が育つということでした。

でも、それができなかったとしても、気が付いたときから育て直しができるのではないかと思うのです。それは、本当は、お母さんや、お父さんが認めてくれたらいいのだろうけど、その子をありのまま認めてくれるのは、家庭の事情でそれが望めない場合でも、地域の人や、先生、子どもに関わる人ならだれでもいいのではないかと思うのです。

人に対する信頼感と、自分に対する自信と自己肯定感を育むには、誰かに認めてもらう、受け入れてもらうことが大事なのだと思うのです。

前回の記事で、「あなたはどうしたいの?」と、その子を信じて任せてもらえた子は、自己肯定感が高かったと書きました。その子を信じて任せるということもまた、その子をありのまま認めてあげるということです。

例えば、子どもがお手伝いをしたいと言った時、子どもを信じて任せてみるのも、同じこと。

洗濯をたたむのが、たとえきれいにたためてなくても、その子が一生懸命できると思って、役に立ちたいと思ってやったことは尊重して最後までやらせてあげる。「助かったよ、ありがとう♡」の一言は忘れずに。

やりたいことをできるだけ信じてやらせてあげるのは、欲しがるおもちゃを買い与えるだけの甘やかしとはちょっと違います。その子の能力を認めて、信じる、そういうことです。

 

子どもの困ったことは、信頼感を取り戻すところから

乳幼児期に基本的信頼感がよく育つと、その後の育児は順調であると言いますが、後になればなるほど大変かもしれないけど、それでも育て直しはできるのだということを覚えておいてほしいと思います。

赤ちゃんであれば、泣けば、なんで泣いてるのかな?ってママは考えますよね。おむつかな?おなかすいたかな?暑いのかな?なんかチクチクするのかな?お腹痛いのかな?眠いのかな?抱っこしてほしいのかな?

一生懸命子どもの様子を見て、泣いてる原因を取り除いてあげようとしますよね。

少し大きくなって、イヤイヤ期になると、泣く代わりに、怒るようになる子もいます。思い通りにならなくて、でも、言葉でうまく表現できなくて。でも、泣くのが怒るのに変わっただけで、何かしら嫌なんですそれは、小さなことかもしれません。いつもと帽子の置き場所が違うとか、お気に入りのシャツが洗濯中で着ることができないとか。ボタンがうまくかけられないとか。

お母さんは、そんなちょっとしたことで怒る子供を見ると、イライラします。とてもイライラします。でも、いつもとはいいません。気持ちに余裕のある時に、何で怒っているのか?寄り添う気持ちをちょっぴり持ってもらえればと思います。

イヤイヤ期は、個人差があって、すぐ終わる子もいれば、長い子もいるし、激しい子もいれば、それほど激しくない子もいます。大変なのは、激しくて長いときです。終わりがないトンネルにいるようで、この状態がいつまで続くかと絶望的になりますが、必ず終わりはやってきます。

とにかく、子どもに信頼されるよう、あなたのことが大好きだと抱きしめ、どれほど大切かを話し、お手伝いをしてくれたら信じて任せ、あなたのおかげで助かったよと伝えてあげる。それだけを繰り返していくだけでいいと思います。

信頼感(愛)のバケツは、子どもによってその大きさは違うようで、バケツが大きい子は、たくさんたくさんそういう機会を作ってあげないとなかなか満たされなくて、満たされるまでに時間がかかるけど、そのぶん、一旦満たされると、人を大事にできるのかもしれない、そう思って、この時期を乗り越えるしかないのかもしれません。

クラウドファンディング

何度も書いておりますが、悪たれ達の話をベースに、本を出版しようと思っています。

すでに応援くださってる方、クラウドファンディングの応援、ありがとうございます!

お陰さまで、86000円(プラス手渡しで9000円)の合計95000円集まっております。

残り52日です。引き続き応援よろしくお願いいたします!

 

 

人を信頼できる社会に


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来年11月ごろをめどに、本を出版することを決意し、今は、クラウドファウンディングで皆さんに応援をお願いしています。10/20日現在、62000円(プラス手渡しで6000円)の応援をいただいています。快く応援して下さった皆様、ありがとうございます。

ただ単に、悪たれ達のひどいいたずらの数々を面白おかしく本にしたかったわけではありません。彼らとの関りから気づいた、子どもの心と、そんな子供たちに大人たちがどう関わっていったらいいのか、私たちの短い経験の中から学んだことを、皆さんの子育てに生かしてもらいたい。そう思ったからです。そして、本を出版することで、こんな風になったらいいなという未来像があります。それは、人が人を信頼できる社会にすることです。

本を出版しようと思ったわけ

本を出版しようと思ったのにはわけがあります。

今の子ども達の遊びの環境に3間がなくなったと言われています。

遊びの空間、遊ぶ仲間、遊ぶ時間。

空き地はないし、家の前もすぐ道路。ボール遊びはできない。

塾や部活、習い事に行ってる子も多いし、両親共働きが多くて、みんな学童保育や仲良し会に行ってる。遊びたくても遊ぶ仲間がいない。

そもそも、子ども達が忙しすぎて自由な時間が極端に少ない。

子どもは、人と関わり合う中で、社会力をつけていく言います。「社会力とは、人と人とがつながり、社会を作る力である」と、門脇厚司(筑波大学名誉教授)の本にあります。


社会力とは、よりよい社会を作っていくために、自分で考え、行動できる力です。

社会力は、生まれたばかりの赤ちゃんにも備わっている力で、母親と関わり、まねることで、社会力をつけていきます。その後も、大人と関りながら様々な体験をしていく中で育ち、強化されていく力です。

結果として、他人の気持ちを理解できるようになったり、社会に役立つ力をつけていくのですが、そこには、友達だけじゃなく、大人の関りが必要だというのです。

近所の子が、なんだか今日は元気なさそうだなとか、いつも挨拶したり、話をしたり、目にしているからこそ変化に気づける、そんな大人がそばにいたなら、もしかしたら、いじめや、自殺、少年犯罪も防げるのかもしれないと思うのです。

本を出そうと思った背景についてはこちらの記事でも書いているので合わせてご覧ください↓

人は信頼できるという社会

10/20放送の世界一受けたい授業で、幸福先進国、デンマークのことをやっていました。その最後に、デンマークは人に対する信頼度が高いという話がありました。ちょっと買い物に行ったり、食事をしている間、赤ちゃんをベビーカーで店の外に置いておく、ということも普通のようで、驚きました。

「誰かに赤ちゃんを取られるかなんて、そんな心配はしないよ。だって人を信頼してるから」と、当たり前のように話す夫婦の笑顔が印象的でした。

ところで、デンマークといえば、冒険遊び場(プレーパーク)の発祥の地でもあります。そして、森の幼稚園も実はデンマーク発祥の地なのです。

また、デンマークの育児の手段をPARENT呼んでいます。ここでいうParentは英語の意味「両親」ではなく、下記に見る通りそれぞれ別な意味をなしています。

PARENT: (カッコ内はデンマーク語)

P= play (Leg)遊ぶこと

A=Authenticity (Autencitet) 信頼するに値すること

R=Reframing (デンマーク語訳? 視点を変えること(楽観的にとらえる)

E=Empathy (Empati) 共感、感情移入(正直である)

N=No Ultimatums (ingen Ultimatummer) 決定的ではない(法律やルールは絶対ではない・・・疑問を挟む余地がある)

T=Togetherness ( Hygge) いっしょに楽しく過ごすこと(家族団らんなど)

 

子供のおもちゃでレゴは皆さんも知っていますよね?Lego社の名前は良く遊ぶ leg遊ぶgodt良く)からきたものです。デンマークの7週間ある夏休みには宿題はなく、クラブ活動もありません。デンマークでは子どもたちは遊びを通して夢を育て、それを持って新たな社会を創る、そのためには遊ばせることが大事だという考えが根付いています。

各国において50ユーロと持ち主の名前と住所を入れた100個の財布を道路に捨て、何個財布がその持ち主に戻るか、実践したところ、全体として100個の内、戻った数が56個(56%)で国別でみるとアメリカ67%、イタリア35%、デンマーク100%持ち主に帰ってきた、という調査結果があるそうです。

子どもは遊びを大事にされ、大人からは世界は信頼できるものだと教わって育つ。だから、デンマークの国民の幸福度は高い。

税金も消費税25%と高いが、その分教育費は大学まで無料。医療費も無料。そして、出産費も無料。保育施設利用料の2/3は国がまかないます。さらに介護も行政がおこなうため、まさに”死ぬまで無料”が続きます。貧困率は先進国で一番低い。

 

デンマークの教育の特徴は、”小さい頃から親や先生に「あなたはどうしたいの?」と問われながら育つ”といいます。

特に、どの文献にも書いてあるわけではないのですが、その根っこにあるのが、森の幼稚園や、冒険遊び場のような気がするのです。

冒険遊び場や森の幼稚園は、子どもの自主性を尊重します。自分がやりたいことを見つけ、失敗しながらも、自分はどうしたいか、あきらめずにチャレンジしていくことができる遊び場です。そこには信頼できる大人がいて、子どもの可能性を信じ、見守ります。そこに、人への大きな信頼感が育まれていきます。

森の幼稚園は1950年にデンマークで始まり、冒険遊び場は1943年。今から74年から67年前。

人と信頼関係を築いて育った子供たちが、今は大人になっています。

人は信頼できるものだという感覚は、大人とのかかわりの中で育っていくものだと思うのです。

今の日本人の幸福度はというと、世界155か国のうち51位という低さ。自殺率はワースト6位。自己肯定感は先進国7か国中最下位。

ある、中学生の先生の話では、自己肯定感の低い子供たちの共通点があって、「全部、親が決めて、ことごとく手を出しているので、子ども自身の考えがまるでありません。何を聞いても、『親がそうしろって言ったので』と答えます。」と。

逆に、自己肯定感が高く、とりわけ明朗活発なある学生は、「うちの親は、『あなたはどうしたい?』といつも聞いてきました。『友達が塾に行くから、私も行ったほうがいいかな?』と聞いたら、逆に、『あなたはどうしたい?』と聞くし、小学生の頃、学校に着ていく服も、1年生の頃から、『あなたはどうしたい?』と私に選ばせていました」

子どもの頃から、自分で考え、自分で決めて、行動してきた人は、気持ちよいほど、前向きです。「自分で考え、自分でできた」体験を積み重ねていますので、何か困難なことに出合っても、「きっと、自分ならなんとか乗り越えられる」と考えます。これは、すばらしい「自己肯定感」です。

そして、この、「あなたはどうしたい?」は、相手を信頼しているからこそ出る言葉です。「あなたはどうしたい?」は、「あなたの決めたようにしていいんだよ。私はあなたを信頼してるから。」というメッセージなのです。信頼されることが、自己肯定感を育むことにつながります。

人を見たら泥棒と思え、知らない人に声をかけられたら不審者だと思え、人は人、自分は自分、そんな社会の中では人は信頼できるという信頼感が育つとは思えません。

プレーパークでは、「自分で考え、自分でできた」経験を積むことや、失敗を恐れず挑戦することを応援します。「で、あなたはどうしたいの?」と、子どもにゆだねます。子どもの可能性を信頼しているから。

私が望むのは、そんな、人が人を信頼できる社会。

本を出すことで未来は変わるか?

自分で関われる子供たちのことは全力で信頼してあげられる。でも、全ての子供に目をかけてはあげられない。

だから、本を出すことで、子育ての中、「あなたはどうしたいの?」って聞いてくれるような、子どものことを信頼してくれるような、そんな大人が、地域に増えることを願っています。

若者の自殺率を下げるとか、自己肯定感を上げるとか、特に考えてはいません。ただただ、子どもを信じて見守る。その中で、子どもの中にある可能性は伸ばしてあげたい。もしかしたら、結果として自己肯定感があがったらうれしいですけどね。

すでに応援くださってる方、クラウドファウンディングの応援、ありがとうございます!

そして、残り二か月を切りました。引き続き応援よろしくお願いいたします!

 

 

 

 

 

放課後プレーパークって、どんなことをしているの?


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6月から10月末までの毎週水曜、15:00~17:30(日暮れが早い時期は17時まで)十和田市立ちとせ小学校で放課後プレーパークを開催しています。

木工、工作、ハンモック、ロープのブランコに綱渡り、砂鉄集めに野球、サッカー、ブーメラン飛ばし、弓矢飛ばしに紙飛行機飛ばし、凧揚げ、シャボン玉、けん玉、コマ回し・・・何をやってもよくて、何もやらなくてもいい。

ただ話だけして帰っても、ゲームしてても、おやつ食べるだけでもいい。

やっちゃダメなことは極力ないように、やりたいと思ったことがやれるように、私が見守っています。

ここに来たら安心できる大人がいて、何でも話せる大人がいて、一緒に遊べる仲間がいて、そんな安心できる遊び場に、なれたらいいなと思っています。

なぜ、学校プレーパークを始めたか

もともと、学校プレーパークを始めるきっかけは、自宅の庭で始めたおうちプレーパークでした。庭を開放して、毎日のように近所の子供たちが遊びに来ていました。

今回書籍化しようとしている悪たれ達も。

放課後、毎日のように子どもたちがやってきて、時には土日も関係なく1日中。

うちの前には毎日自転車がずらり。

木工も自由にさせていたので、毎日トンカントンカン。作った剣で戦ったり、走り回ったり。楽しすぎて奇声を発して遊ぶことも。

そんな日が続いたある日、クレームが。

毎日トンカンうるさいと。いったいいつまで我慢すればいいのかと。自転車だってこんなにたくさん。車で近くを走るとき、子ども達が飛び出してくるんじゃないか気が気じゃないと。そもそも、道路で子どもたちを遊ばせるのは危ないじゃないかと。

すみません。でも、この子達の居場所は、何とか続けたいんですと小さく言うのがやっとでした。

その後、子ども達には、毎日じゃなく、曜日決めようかとか、音がうるさい木工は、ここではなしにするけど、学校に聞いてみて、校庭でやれるようにならないか、聞いてみるから、しばらく待ってねと。

それからしばらく、庭で遊ぶのは週に3回。土日は私たちがいるときだけねと、約束し、子ども達もそれを守ってくれました。それから、自転車は道路に止めないこと、道路で遊ばないこと、追いかけっこするときも、道路に飛び出さないことを約束してもらいました。時には興奮しすぎて大声で叫ぶ子に、ちょっとボリューム下げてねってお願いすることも。

こうやって、庭での遊びが何だか禁止事項がついて、私は子供たちが道路に飛び出さないように駐車場で見守るようになりました・・・。

クレームがついた手前、子ども達のこと、見てますよ、っていうアピールもあって、駐車場で立って見てるんだけど、なんだか監視しているみたいで・・・。

私たち夫婦は、今は20歳の長男のころからずっと学校に関わってきていていました。旦那は一時PTA会長をやっていたし、夫婦で図書ボランティアも長く続けていて、読み聞かせももう10年近くやっていたので、学校との関係は良好でした。

当時の教頭先生と、意見がよくあって、事の経緯を話して、学校でプレーパークをやらせてもらえないかと相談したら、二つ返事でいいですよと。「新藤さんがやることなら、なんでもオッケーです」と言ってもらい、意外とあっさり学校でプレーパークをやることができたのです。

学校にプレーパークを持ってきたことで、野球やサッカーなどのボール遊びも思いっきりできるし、木工も、音を気にせず好きなだけやれる。庭にあったようなプレーハウスやターザンロープはないけど、ハンモックやロープのブランコならつけられる。

庭ではできなかったダイナミックな遊びもできる。

こうやって、こじんまりと、庭に遊びに来ていた子たちの遊び場として、学校プレーパークが始まったのです。

ここでは、大声出しているのを、もうちょっと静かにしてとか言わなくていいし、ボールはやめてと言わなくていい。道路に飛び出さないように監視しなくていい。

ただただ見守るだけでいい。

禁止することができるだけないように、子どもたちがやりたいと思ったことができるように。

木工道具やモノづくりできる道具、ボールなど、たくさん車に積み込んで、今も週に一回、プレーパークで子どもたちを待っています。続けていくうち、庭に来ていた近所の子たちはだんだん来なくなり、かわりにたまたまグラウンドにやってきた子供たちが遊んでいくようになりました。

何をやってもよくって、何もやらなくてもいい

 

子ども達が放課後やってくると、まずはハンモック乗る子、木工やる子、それぞれです。車に積み込んで持ってきた道具の中から、何しようかな~?って考えます。

なんとなくその辺にあるものをいじりながら、話をする子も。他愛もなく、今日のマラソン記録会何位だったとか、一年生のころは11位とかだったけど、今は4位になったんだとか、おれ、逆上がりできるようになったんだとか。

がんばったんだね。いっぱい練習したんだね。って言うと、ちょっとうれしそうに、にっこり笑います。

妹に積み木作ってやるんだ!って、一人黙々と作っていたり、

お兄ちゃんと一緒に来た下の子も一緒に遊ぶことも。

この女の子、一年前は、ベビーカーに乗ってたのに、今年はもうよちよち歩いて遊んでいる。

時にはお父さんも一緒に来てみて見守ってもらったり、

学校帰り、家がちょっと遠いからと、ちょっとだけ遊んで帰ると、ランドセル背負ったまま遊んでいく子や、

仲良し会に行く前に10分ぐらい遊んでから行く子も。

ハンモックのそばで木登りする子も。

時にはブランコ乗ってるところにボール投げてぶつかったらダメ~!とか。

中には、ゲーム持ってきて、ひとしきりゲームしてから遊び始める子もいれば、

部活の前に早めに来て遊んでいく子も。

時々時間があれば、おやつを作ってもっていくことも。トウモロコシだったり、ふかしたお芋を持っていくこともあります。

何をやってもよくて、何もやらなくてもいい。そんな居場所。子ども達が自分の足で歩いて来れる場所で、安心できる大人がいる。ここに来れば仲間もいる。それが、学校プレーパーク。

以前、学校プレーパークの良さについてのブログも書いていますので、こちらもあわせてどうぞ↓。

子どもは地域で育てていく

この前、静岡県たごっこパークのたっちゃんとミッキーにお会いして、この想いはより強くなりました。「地域の子供は、地域で育てていこう」ということ。

正直、今日は雨降らないかな~って面倒に思う時もあります。でも、学校で読み聞かせの時に子どもたちに会うと、「あ!水曜、プレーパークやりますよね?」って言われるんです。

そしたら、あの子たちが来るから、やっぱり頑張らなくっちゃな。って思えます。

私は、目の前にいるこの子達の居場所を作りたい。

でも、地域には、もっとたくさん、他の学区の子もいるし、他の市町村の子もいる。幸い、青森県内、津軽、南部、それぞれにプレーパークをやっている人がいる。それぞれの地域の子を、それぞれの地域で拾っていけるかもしれない。

ただ、それでも、自分たちが関われる子供の数は限られています。

自分が直接関われない子供たちをどうやったら拾い上げられるか、できることはないか?そう考えたときに、『本を出す』って言うことだったんです。地域に、子どもを温かい目で見守る大人でいっぱいにしよう。子どもの声がハッピーノイズだと言える社会にしたい。本をたくさんの方に読んでもらうことで、きっと、温かいまなざしが増えていくと信じて、頑張ることにしました。

今日も子供たちが遊びに来ていました。子どもたちが帰ってきたときに、ここは安心できる居場所だよって、思ってもらいたいと思っています。

どうぞ、クラウドファウンディングも応援よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

つながる力~地域で子育て【子育てに必要なのは地域の大人との関わり】


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昨日、NPOゆめ・まち・ねっとの渡辺夫妻(たっちゃんとミッキー)の講演会に行ってきました。静岡県で冒険遊び場たごっこパークの他、おもしろ荘という、放課後の子ども達のたまり場、寺子屋、子ども食堂、社会的養護が必要な子のためのシェアハウスむすびめなど、多岐にわたる活動をしているたっちゃんとミッキー。
目の前にいる、助けを必要としている子供たちのために、何かできないだろうかと、やってきた13年間の活動を伺いました。
お話しの中で強く思ったのは、それぞれの地域で、助けが必要な子供たちを拾い上げていかなければならない。自分たちの地域の子供たちは、自分たちで見守り、育てていかなければならない、ということでした。
そのためには、同じ想いで、頑張っている仲間とつながっていくことも必要です。そして、一人で悩んでいる子ども達や、ママ達に寄り添って、地域の力でみんなで子育てしていくことが必要なんだと思いました。
子育てには、他者とつながる力が必要です。地域で子育てしていく、地域と関わる力は、絶対に必要です。

子どもの社会力が低下している?

今、子どもたちだけでなく、大人でさえも、人と関わる社会性が希薄になってきているように思います。人と関わるのがわずらわしいと感じる人も多くいます。買い物も、ネットでクリックすれば何でも買える世界。店員さんと会話しなくても買えてしまうし、人と関わるわずらわしさから、ネットの世界に没頭する人も多くいます。確かに、人と関わらなければ、嫌な思いをすることもないし、人に干渉されることもない。

町内会に加入しない人も多くなり、ご近所でも顔も知らない、挨拶もしたことない、ということもあるようです。

都内では、挨拶するのが煩わしいとか、子どもにあいさつしただけで不審者扱いされたとか、子どもには知らない人に声かけられたら逃げなさいと教えているとか、昨年、そういう理由であいさつ禁止になったマンションも話題になり、賛否両論飛び交っていました。

そもそも、そんな大人の姿を見て育った子供たちが、人と関わる社会性が育つのでしょうか?

小さなうちから、おとなしくしていてくれるからと、テレビやゲーム、スマホに子守をさせる家庭も割と普通にいて、幼稚園や小学校での遊びはゲームが中心。友達同士で集まるけれど、ゲームの画面と向き合って、お互いに話す言葉も少ない。

ちょっとケンカすれば、キレる。相手の痛みがわからない。いじめもそう。相手の気持ちを推し量ることができない。そして、リアルに相談できる人がいないから、自分一人で抱え込んでしまう。

これは、ゲームやスマホのせいばかりでなく、子ども時代に子ども同士ケンカしながら遊ぶ経験の少なさや、大人自身が地域の大人と関わる姿を見せてこなかったからなのではないかと思うのです。

身近に接する子供たちを見ていて思うのは、ある程度、周りの大人との関わりがあったり、友達同士遊ぶ時間を持てる子は、ゲームもするけど、ゲームばっかりということもないように思います。ちょっとゲームしたら、「~して遊ぼうぜ」って、外に飛び出していくことも多い。関わる面白さを知った子は、そこに依存することは少ないのかもしれません。

人間の脳は5,6歳までに7,8割育つと言います。生まれたときから、人とのかかわりが少ない中で育てば、人と関わらないほうが心地いいと感じてしまうようです。でも、人と関わらないほうが幸せかと言われたら、やっぱり人は人と関わって生きていくことで幸せを感じるのではないかと思うのです。

年をとって、有り余るほどお金を持ってる人が、定年後、畑で自家栽培し、知り合いやご近所さんに野菜をおすそ分けしている、という方がいます。他の人に喜んでもらうことで幸せを感じるからだと言っていたと聞いたことがあります。

人と関わることで育つ社会力は、大人になってからとても必要になっていく力です。一人じゃできないことも、他者とつながることでできることもある。自分の得意な能力を生かし合ったチームで仕事ができたら、すばらしい仕事ができそうです。

リーダータイプの人、コピーライティングが得意な人、広報が得意な人、コンピューター関係に強い人、調停役がうまい人、セールストークが得意な人、それぞれ得意なことがあるはずです。一人が全てできるスーパーマンである必要はなく、一人一人の強みを生かしたチームになったらいい。それには、人と人がつながって社会を作っていくコミュニケーション力や、社会力が必要になってくるでしょう。

人と関わることは、決して面倒な事ばかりではないはずです。

子ども達に寄り添える大人がそれぞれの地域にいてほしい

たっちゃんとミッキーがやっている冒険遊び場や放課後の居場所には、小学生ばかりでなく、中高生や障がいを持った子供たちもやってきます。金髪の中高生のように、学校には髪を黒くするまで来てはいけないと言われているような子たちや、タバコ吸ってるような子たちも来るそうです。

それでも、たっちゃんとミッキーは、彼らを排除することなく、受け入れ、話を聞いてあげます。

いじめにあっているような子も、悩みを抱えている子も、たごっこパークでたき火を囲みながら、「あのね・・・」と、語り始めることもよくあるそうです。

自殺する中高生、覚せい剤に手を染めてしまう若者、彼らの周りに、こうやって、「あのね・・・。実はね・・・。」って、相談できる人が一人でも周りにいたなら、そんな悲しい事件は起こらなかったかもしれない。

自分には関係ないことだとそういう子たちを見て見ぬふりをすれば、人から批判されることもなく、面倒くさいことにもならない。

でも、困っている子供たちがいる限り、目の前に、そういう支援を必要とする子がいる限り、地域で子どもたちをありのままに受け入れ、温かく声をかけてくれる大人がいてくれたら、地域の中で、子どもたちに声をかけ、寄り添ってくれる大人がいたなら、悲しい事件は起こらないで済むのではないでしょうか。

一人で関係を築くことのできる子どもの数は限られています。

でも、あちこちに、そういう想いを持った人が点となり、つながっていけたら、地域の子供は地域で守り育てていけたら、子どもたちにとってこれほど望ましいことはない。

昔は、危ないことがあったら、危ないよって声かけてくれるおばちゃんがいたじゃないですか。

暗くなってきてから帰る子供がいれば、「気を付けるんだよ」って、声をかけてくれる大人がいたじゃないですか。

何か元気ない子がいれば、「どうした?」って声かけてくれるおばちゃんいませんでしたか?

地域の中で、温かいまなざしで子どもを守り育てていく、そういう地域が、あちこちの点となって、広がっていけばいいですね。

いい子ばっかりじゃないけれど

子どもの居場所を作っていると、いろんな子供たちに出会います。いい子ばっかりじゃありません。

私が庭を開放して遊び場にしていたときにやってきた悪たれ達もそうでした。すぐ手や足が出たり、人が傷つくようなことを平気で言ったり。物を壊したり、言うこと聞かなかったり。

でも、その分そういう子たちは、言うことをよく聞いてくれる聞き分けのいい子ども達より、断然おもしろいものを生み出す発想力があって、ハチャメチャだけど魅力的な子でもありました。

大人を大人とも思わないようなところがあって、言うこと聞かなくって大変だったけれど、その子なりに抱えている思いがありました。

小さな末っ子にやきもち焼いて、「お前、甘えすぎだぞ!俺たちそのぐらいの時、そんなに甘えてなかったぞ!」と言うこともありました。

甘えたかったけど甘えられなかったのか、見てほしかったけど見てもらえなかったのか、そんな気持ちが見え隠れしていました。

そんな悪たれ達の物語と、子育ての話を書籍化します。

これまで、たくさんの応援、ありがとうございます!

引き続き、クラウドファウンディングの応援、よろしくお願いいたします。↓

 

まとめ

地域の子供を見守り育てていくのは地域の力。子どもたちが笑顔で走り回ることができるように、温かい目で見守る大人があちこちにいるように、地域でつながりながら、子どもを支えていきたいですね。

一人も取りこぼさないように、手を差し伸べてやれる、批判するでもなく、アドバイスするわけでもなく、ただ話を聞いてくれる人。

地域の中の小さな点が、いつしか線になって、どんどん広がっていきますように。

 

 

 

 

 

 

家族に「ありがとう」を伝えてますか?


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先日、友人の披露宴に出席させていただきました。幸せそうなお二人に、笑顔であふれる会場。すごく幸せな気持ちになりました。

そんな中、よくある、花嫁、花婿さんからのご両親への手紙には、やはり泣かされました。

なかなか面と向かって言えない「ありがとう」を伝えるには、いい機会なんですね。でも、そんなときばかりじゃなくても、ちょっとしたことでありがとうを言いあえたらいいですね。

日頃から、家族にありがとうって、伝えていますか?

ありがとうだらけの家庭を

友人の披露宴を見ていて思い出しました。私たち夫婦が結婚するときは、ありきたりの両親の手紙とか、お涙頂戴みたいなのはやめよう、って、主人と決めて、両親への手紙は、書きませんでした。私は、結婚前夜、「今までありがとう」って、短く伝えただけでした。

でも、長男が20歳になり、息子の結婚もきっとあともう数年でやってくる。そしたら、そのとき、私はあの、ご両家の母のところに立っているのかもしれない。

そう思ったら、友人の披露宴で両親への手紙を読むのを聞いて、母の気持ちになってしまったんですね。ああ、母として、息子から、ありがとうの手紙、読んでもらったらうれしいだろうな~って。小さい頃からの写真の映像を見ては、ああ、自分も息子の結婚式には、こうやって、息子の小さいころから今までを振り返って泣くんだろうな~、って、思ってしまった。

ああ、自分の結婚式の時、両親にありがとうの手紙、読んでおけばよかったな。

今になって思います。

ありがとうって、改めてじゃなくても、ちょこちょこ伝えておけば良かったなって。

幸い、私の両親はまだ健在ですが、主人の両親は他界しています。もう、ありがとうは伝えられません。

ありがとうって、言えるうちに、たくさん言っておこうと思います。

我が家の中のことを言えば、日常的にありがとうをたくさん使います。

何か頼みごとをして、やってもらったら「ありがとね~」。

ご飯支度手伝ってもらったら「ありがとね~」。

お弁当、時間ぎりぎりに作って、机の上に「はい、お弁当!」って、乗っけると、「ありがと」と言って、お弁当バッグを持っていく子供たちと主人。

雨の日、子ども達を学校に送っていったとき、子ども達も車を降りるとき「ありがと。」と、手を振り歩いていきます。

末っ子が学校帰りに何かいいもの見つけてきて、「おかあさ~ん!はいこれ!」って、プレゼントしてくれたら「わ~!ありがとね~♡」って。

夜布団に入るとき、主人とお互い「今日もありがとね♪」と言い合って眠りにつきます。

小さなありがとうを、お互い、たくさん言います。

誕生日や、父の日、母の日みたいな、特別な日じゃなくても、我が家は「ありがとう」だらけです。

もちろん、誕生日のこんなメッセージは、本当にうれしいんだけどね。

よく、「幸せそうな、いい家庭だよね」と、お褒めの言葉をいただきますが、この、「ありがとう」を言い合う習慣のお陰かもしれないな~と、思っています。

ありがとうがあふれるように、たまにやってくる、旅人も受け入れます。それだけで、ありがとうだらけです(*^-^*)。

部屋を貸してくれた娘や息子に「ありがとね~」

旅人も、「ありがとうございます!」

私たちも「来てくれてありがとね~♪」「出会ってくれてありがとね♪」

 

中村文昭さんの講演会でも言っていました。「ありがとうだらけの家庭にしよう」って。

「頼まれごとは試されごと」で、何かものを頼まれたら、「チャ~ンス!!」って、相手をより喜ばすにはどうしたらいいかって、そんな風にしてたら、ありがとうだらけの家庭になるんだよって。

「頼まれごとは面倒くさいこと」でいたら、何かものを頼んだとき、「何で私ばっかりに頼むの?他の人に頼んでよ!」って思うなら、文句と怒りばっかり積み重なっていくから、ケンカが絶えなくなるけれど、相手を喜ばそうと思うなら、ありがとうしか出てこないんだよって。

まだまだ、年頃の子供たちは、頼みごとをすると文句を言うことも多々あるけれど、それでも、ありがとうもよく言ってくれるので、うまくいってるのかなって思います。

そんな私が頼みごとをするときは、「ごめん、~してくれる?」「~してくれると嬉しいんだけど」って、頼むことが多い。そうすると、やってもらったら、「ありがとね♡助かった~♡」って、すっといえるから。

相手が何かお取込み中だったら、「ごめん、それ終わったらでいいから、~してもらっていい?」って頼みます。そしたら、だいたいは、「いいよ。」って、やってくれます。

ありがとうを言うために、いろいろものを頼んでるようなところもなくもない(笑)。

ありがとうは、言えるうちにたくさん言ったほうがいい。

それが、家庭円満、夫婦円満の秘訣かな。

11月は感謝を伝えるいい機会?

11月は、家族に感謝を伝えるにはいい機会です。なぜかというと、

11月19日は「家族の日」。11月12~25日は家族週間なんだそうです。

11月22日は、「いい夫婦の日」。

11月23日は、「勤労感謝の日」。

実は、勤労感謝の日は『働いてくれる人にありがとうの日』ではなく、新嘗祭(にいなめさい)といって、宮中行事で五穀豊穣に感謝する収穫祭で、新嘗祭までは新米を食べないのだそうです。本来は、そういった五穀豊穣を感謝する日であるけれど、一年食べていけることに感謝し、働けることに感謝する、そんな日であるのかもしれませんね。

家族の日って、実は初めて知ったのですが、調べてみると、

『子どもと子育てを応援する社会の実現のためには、子どもを大切にし、社会全体で子育てを支え、個人の希望がかなえられるバランスのとれた総合的な子育て支援を推進していく必要があります。

平成19年度から、11月の第3日曜日を「家族の日」とし、さらに、その前後1週間を「家族の週間」と定め、この期間を中心として、生命を次代に伝え育んでいくことや、子育てを支える家族と地域の大切さが国民一人ひとりに再認識されるよう呼びかけてまいりました。』

と、内閣府のHPにありました。

全然知らなかった。

各地域で、家族の日の作文や写真コンクールがあったり、フォーラムがあったりするようです。

そういえば、家族の日作文コンクールのチラシって、今まで見たことあるような・・・。気にしたことなかったな。

意味があるかどうかはわからないけど、家族に感謝を伝えるにはいい機会かもしれないですね。

 

写真は先日の主人の誕生日。10月なので毎年この時期のバースデーケーキはモンブランです。

家族そろって祝えるのは、あと何年続くかな~。

そういえば、娘が小学生の時、お父さんの誕生日に部活を休んだんですよね。うちは、誕生日や、父の日、母の日のような、家族のイベントごとのある日は、子ども達も部活を休んで、ずっとみんなでお祝いしてきました。

でも、お父さんの誕生日だから部活を休むって言ったら、みんなに結構文句を言われたらしい。そんなことで休むなんてって。でも、(男性の)コーチだけは、「そっか、いいんじゃない?」って、笑って言ってくれたようです。

家族のお祝い事ぐらい、家族でゆっくりお祝いしたいじゃないですか。一緒にお祝いできる時間なんて、一生のうちからすると、短いものですよ。

部活もいいけど、もっと家族の時間を、楽しんでいいんじゃないかと思います。

まとめ

家庭の中で、「ありがとう」を言う機会を増やしましょう。親子の間でも、夫婦の間でも。

きっとそれだけで、優しい気持ちになれるから。

特別な日はもちろん、普段感謝を伝えられない人にとっては感謝を伝えるいい機会なんだけど、普段から、小さなありがとうをたくさん言ったほうが、家庭の中が優しい雰囲気になりますよ。

思春期の娘とは、母娘で意地を張り合ってしまうようなところもあるけれど、母が忙しければ、「ごめん!時間ないから~お願い!」って、あえてお願いしてみると、本当に忙しそうだと思えば、意外と協力してくれて、すんなり「ありがとね、助かった!」って、ありがとうが言えるもの。

たまには忙しくしてみるのもいいのかも、と思ったりしています(*^-^*)。

 

そして、普段はおうちの神棚と仏壇に感謝し、時々、神社に行って神様に感謝を伝えています。

家族を見守って下さりありがとうございますと。

 

そして、最後に、夫婦で関わってきた悪たれたちのお話しと、子育てのお話しの書籍化に、たくさんの応援、ありがとうございます!

引き続き、クラウドファウンディングの応援、よろしくお願いいたします。↓

秋を感じよう!子どもの自然体験


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青森も、山の紅葉が美しいシーズンになってきました。八甲田は紅葉がちょうどいいけど、渋滞気味ということで、昨日は奥入瀬渓流、十和田湖へと行ってきました。

自分たちのリフレッシュのためにでもあるのですが、末っ子に、まだまだ青森の自然の美しさをたくさん見て、味わって、触れてほしい。キレイな景色をたくさん見せてあげたい。春には春の芽吹きの美しさを、夏には川や海の美しさを、秋には紅葉の美しさを、四季折々に感じてほしくて、秋を感じる自然体験をしてきました。

奥入瀬渓流はまだちょっぴり紅葉には早かったのですが、それでも十分な美しさ。車もたくさんでしたが、渋滞というほどでもなく、比較的のんびりと見て歩くことができました。

他県ナンバーも多い十和田湖。全国からこうやって、たくさんの方が奥入瀬渓流や十和田湖の自然を堪能するために来ているのかと思うと、十和田に住んでいる私たちは、なんていい環境に暮らしているんだろうかと改めて思いました。

何度も訪れた奥入瀬渓流と十和田湖。それでも、何度来ても素晴らしいと感じ、気持ちいいと感じ、また来たいと思える。そんな自然が、こんなにも近くにあることは、ありがたいことだと感じます。

地域の自然を知る

「今日は紅葉見に行くよ!」

と、末っ子連れて家を出ました。最初は、友達と遊びたくて、「え~、行かなきゃだめ~?」って、面倒くさがっていた小学一年生の末っ子。

車で十和田市内から30分ほどで奥入瀬渓流へ。

それでも、いざ自然の中に降り立ってみると、ちゃんと、自然を楽しんでくれます。

奥入瀬渓流の清らかな流れのそばで、黄色や赤の落ち葉を拾い集めてみたり、

ツルがあればぶら下がってみたり、

シャクトリムシを見つけては遊んでみたり、

桂の落ち葉の甘い綿菓子のような香りをかいでみたり。

十和田湖に着いて、ご飯を食べてから湖に出ると、それまでいいお天気だったのに、うって変わって雨模様。パラパラ雨が降り出し、風も出てきました。龍神様の歓迎かしら(*^-^*)

長袖持ってきていて良かった♪

湖畔を歩いて開運の小道で、風の神、火の神、山の神、金の神、天の岩戸、日の神にお参りしながら十和田神社へ着くころには、再び雨は上がって、いいお天気に。

十和田神社では龍神様にご挨拶。

今年の十和田の秋祭りで、山車の後ろに作ってあった乙女の像があったので、本物の乙女の像を見たら、「あ!山車の後ろにあったやつだ!」って。そういうイメージなんだね。子どもって。高村光太郎の乙女の像がたたずんでいます。

湖で、しばし水と戯れ、遊びます。

紅葉も、まだ始まったばかり。それでも十分美しい。

「ここは大昔、おっきいお山だったんだよ。それが噴火して、大爆発でお山が吹っ飛んで湖になったんだよ。」と、話すと、

「え~~!!ここが山だったの?!」と、にわかに信じられない様子の息子。

下の写真は「恵比須大黒島」。この島は、十和田火山の活動の際の中央火口丘溶岩が露出したもの。

湖のそばの看板に、柱状節理のことが書いてありました。

恵比須大黒島と同じく溶岩(玄武岩質安山岩)で、岩肌の割れ目は溶岩が冷えて固まる時にできたものです。柱を積み重ねたように見えるところから「柱状節理」と呼ばれています。

確かに、ここは噴火があって、溶岩が残る場所だと、確認。湖には火山噴出物の軽石がたくさんありました。軽石は、チョークのように字が書けます。

ここからごみを拾いつつ、のんびりと歩いて戻ります。

途中、ブナの実拾って、小さなブナの実を食べてみたり、どんぐり拾い集めてみたり、きれいな葉っぱを集めてみたり。あっというまに宝物入れの袋は満杯。

ごみを拾う袋と、宝物拾いの袋は、いつも持ち歩かなきゃなって思いました。

十和田湖の子ノ口(ねのくち)から焼山までの14kmの奥入瀬渓流両岸の断崖もまた、十和田湖と同じような柱状節理が見られます。十和田湖にたまった水が決壊し、大洪水でできた地形と言われています。

十和田湖の成り立ちについては、ちょうど2017年9月2日のブラタモリで詳しく紹介していましたね。

十和田湖の帰りに、行きは車が混んでたから寄れなかった双竜の滝を探しに立ち寄りました。

道路わきにある雲井の滝から山道を登ったところにあるという双竜の滝。以前、友人から聞いていて、ぜひ一度行ってみたいと思っていました。でも、登り口がわかりません。

雲井の滝の写真を撮っていると、山から下りてくる若者集団が!

なんと、北里大学の知り合いでした!今、双竜の滝を見てきたところだと、偶然下りてきた山道を教えてもらいました。なんとついてるんでしょう♪

十和田湖でごみを拾ってきたごほうびかしらと、喜んで教えてもらった山道を登ります。

双竜の滝は、道路からは見えない場所にあって、10分ほど山登りしないといけない場所にあるのです。雨上がり、ぬかるみもあって、ハイヒールやサンダルではちょっと厳しい山道です。

途中の崖の上から眺める流れもまた、曲がりくねって龍が泳いでいるようです。

こ~んな細いふみ跡をたどりながら行くと、滝が見えてきました!

立派な柱状節理が見られる滝です。

二股に分かれているから、双竜の滝なのかな~と思いを巡らせます。

とにかく水しぶきがすごい!

数分いただけでびしょ濡れです。でも、楽しい~!!

地元の自然に触れ、何万年も前の火山の噴火に想いを馳せた一日でした。

こんなに身近に、こんな素晴らしい自然があるのって、本当に素晴らしいことです。

見たものを形に残す

さて、そうやって一日奥入瀬渓流と十和田湖をめぐってきたわけですが、滝を見て、帰るときに、息子がポツリとつぶやきました。

「帰ったら、滝の絵と、紅葉の絵描こうっと♪」

息子は、これまでもけっこう、きれいな景色を見ては、絵を描いていました。

散歩で見た、美しい夕焼けに八甲田が見える景色を見た後は、

夕焼け空と八甲田の絵を。

蔦沼に散策に行った後は、

蔦沼の絵を。

そして今回は、滝を見た後で

滝の絵を。ちゃんと、柱状節理が描かれているところがすごい。

拾い集めた落ち葉は、グラデーションに並べた後に、葉っぱのこすり絵を。

キレイだと感じたものを描きたい。そういう感性を持っていてくれることがとてもうれしい。

身近な自然を感じ、秋には秋の景色や、紅葉をキレイだと感じる。どんぐりいっぱい拾い集め、クマもこんな気持ちであっちにもある、こっちにもあるって、いっしょうけんめいどんぐりやブナの実を拾い集めてるのかなって、山の動物たちにも思いをはせる。

見たものをこうやって形に残したり、あとあと絵本で秋のお話読んだりしながら追体験する。

そういうことで、記憶が強化されて残っていくのかなって思います。

親子で体験を共有する

小さなうちは、こうやって、親子でいろんな自然体験をしていくといい。

親子で、美しい紅葉を見て、「きれいだね~!」って語り合う。

渓流のすがすがしさを、「気持ちいいね~!」って、言葉にする。

ちょっと大変な行程も、いい景色を見た後なら、「来てよかったね~!」「すごいの見れてよかったね~」って言いあえる。

キレイな夕陽を見たなら、「きれいな夕焼けだね~」

美しい虹を見たなら「虹がすごいきれいだよ!」

そうやって、一つ一つ共有していくといいんだと思います。

以前、小2の男の子が、一緒に虹を見たとき、「おれ、初めて虹見た!」って、感動していました。

小2になるまで、一度も虹が出なかったなんてことはなかったと思う。でも、きっと、虹が出てても、気づかなかったし、一緒に「きれい~~!」って、言う人がいなかったのかな~って思いました。

美しい虹も、美しい夕焼けも、実はよく見られることなんだけど、気にも留めなければあったことすら気づかないで過ぎてしまう。地域の美しい自然だって、一緒に「きれいだね!」「すごいね!」って、言ってくれる人がいなければ、ただの通りすがりの景色でしかないし、そこに感動は感じないのかもしれない。

同じ体験を共有し、一緒に感動する。

そんな関係が、小さなうちには必要なのではないのかな~と、二年生の男の子の言葉で感じたのです。

 

どうぞ、親子でたくさんきれいな景色を見に行ってください。

そして、たくさん一緒に感動してください。

今は秋。秋には秋の美しさがあります。

子どもと、秋を感じる自然体験を通じて、たくさん感動してほしい。

 

そして、最後に、引き続き、書籍化へのクラウドファウンディングの応援、よろしくお願いいたします。

 

 

 

幸せな子供時代を


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先日、「母ターシャの思い出」という本を読みました。絵本作家であり、画家であったターシャ・テューダーの絵本を読んだことがある方も多いでしょう。

農場での子ども達との日々を描いた作品などを描いたターシャの息子セス・テューダーがつづった、幼き日の母との農場での暮らしが紹介してある本です。

母が、大事にしていた季節の行事や、近くの川へピクニックに行った思い出、庭仕事が好きだった母の思い出、クリスマスの息をのむような美しいツリーの飾りと、ワクワク感、その一つ一つが、セスにとって、かけがえのない温かな子供時代の思い出であることがうかがえます。最後に、『楽しかった当時の日々の輝きと興奮は、僕の記憶の中で、今も鮮明に生きている』と語っています。

このほ本を読んだ後、とても暖かな幸せな気持ちになりました。

幸せな子供時代の思い出は、年を重ねてもなお、心の中で輝きを失わない、心温まるものであることを感じます。

子ども時代に一番学習しなければいけないのは、幸福です

隂山英男さんの、『だから、子ども時代に一番学習しなければいけないのは、幸福です』という本があります。

隂山さんといえば、百ます計算で有名な方ですが、子どもの学力向上を進める方がこんなタイトルの本を書かれていることに驚き、こちらも読んでみました。

「貧しかろうが、成績がよくなかろうが、幸せな子は自然に伸びていきます。気持ちが安定しているからです」

「安心感が困難に強い人間を育てる」とも書いています。

『気持ちの安定感』は、幸せな子供時代に育まれていくものです。

以前の記事「子どもの原風景を心に刻む」も、まだの方はあわせてお読みください↓。

子育てや、日々の生活を心から楽しんでいたターシャのように、日々を楽しむ母の姿を見て、友達同士で毎日今日はどんな面白いことして遊ぼうかと、面白いことに貪欲な子供時代を過ごすことは、子ども心に幸福と安心感を積み重ねてゆくのだと思います。

小林亞聖作曲の「にんげんっていいな」の歌詞にあるように、

くまのこ見ていた かくれんぼ
おしりを出したこ いっとうしょう
夕やけこやけで またあした
またあした
いいな いいな
にんげんって いいな

おいしいおやつに ほかほかごはん
こどもの かえりを まってるだろな
ぼくもかえろ おうちへかえろでんでん でんぐりかえって
バイ バイ バイ

そんな歌詞にあるように、友達と暗くなるまで遊びきって、あったかいおうちに帰る安心感とか、ちょっといたずらしてみたり、冒険してみたり、泥んこになってみたり、傷だらけになってみたり、時にはガキ大将のようであったりする子ども達が、おうちに帰って、ホッとする、おうちに帰れた安心感を子どものうちにしっかり味合わせてあげてほしいと思います。

塾や習い事や、お勉強なんて、後回しでもいい。かけっこ早くなくたって、勉強できなくたって、子供時代に一番大事なのは、そういう安心感なんじゃないのかな~って思います。

子ども時代に経験してほしいこと

では、幸せな子ども時代を過ごすために、経験してほしいことは何でしょうか?

自分の子供時代を振り返りつつ、あんな子供時代、楽しかったな~って思える思い出って何でしょうか?思い出すと、心がほっこりする思い出ってどんなでしょうか?

泥んこになって遊ぶ

雨にうたれてびしょ濡れになる

雨上がりの虹

息をのむような美しい夕焼けの中歩いた記憶

秘密基地を作ったわくわく感

自転車で遠くまで友達といったこと

雪の中、大きなカマクラを掘ったこと

温泉出るまで土を掘ろうと頑張ったこと、

生き物を見つけて捕まえた喜び

うちに帰ると漂う晩御飯の匂い

例えば、やった~!今日はカレーだ!って思う瞬間

お母さんの「おかえり~」っていう声

夕暮れに灯る玄関の灯り

・・・

人によって、経験したことは様々でしょう。

でも、その一つ一つを思い返すと、ほっこりあったかい気持ちになるものです。

その安心感は、心の土台です。

悪たれ達の物語

そして、再び宣伝させてください。

誰にでもある子供時代だけれど、なかなか幸せを感じられないできた子も少なからずいるのだと感じたのが、私たち夫婦が出会った悪たれ3人組でした。

3人のうち一人は、「おれ、別に死んでもいいもん」「おれ、明日死んでるから」「人を殺してみたい」と話すような子でした。

すぐに暴力をふるって、人が傷つくようなことも平気で言う子達でした。

彼らと接して分かったのは、そんな彼らも、認めてほしい、自分に注目してほしいと思っているということでした。

幸せな子ども時代を過ごすには、まず、子ども達がありのまま受け入れられることと、周りの大人が幸せそうな姿を見せてやることが必要なのではないかと感じています。笑って受け入れてくれる大人の存在が必要不可欠です。

それは、親であれば一番いいのでしょうが、家庭環境も様々な子ども達がいることを想えば、たとえそれが親でなくとも、子どものそばにいる大人が、誰か一人でもそうやって受け入れてくれたら、それだけで心の安定をえられるのではないかと思っています。

子ども達の周りに、そんな大人たちがたくさんいたらいい。

あっちの地域、こっちの地域、いろんな地域で、子ども達をまるごと受け入れてくれる大人の目があれば、子ども達は安心して幸せな子供時代を過ごすことができるのだと思います。

彼らの話をたくさんの人に知ってほしい。

彼らのことを本にするためのクラウドファウンディングはまだまだチャレンジ中です。どうぞ、応援よろしくお願いいたします。

幸せな子供時代を作るために、プレーパークも引き続きやっていきます。

明日は十和田市駒っこランドで10時から15時までプレーパークです。

あいにくの雨予報なので、室内(交流館)で行います。雨でも遊べるプレーパークに、お近くの方はぜひ、遊びに来てみてくださいね。

 

人生を楽しもう!


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【何より大事なのは、人生を楽しむこと。幸せを感じること、それだけです。】
The most important thing is to enjoy your life – to be happy – it’s all that matters.

ーオードリー・ヘップバーンー

夕べ、北海道から鹿児島まで、歩いて日本縦断しているアフロ兄弟と女の子が、我が家に一晩泊っていきました。昨日は歩いて青森から十和田までの八甲田越え。雨も降る中、気温も13度と低い中、やってきた3人は、とっても面白い人たちでした。

人生を楽しんでいる人は、とにかく楽しい!そして、周りを笑顔にしていきます。そうやって、人生楽しんでいる大人たちの姿を子どもたちに見せたいと思っています。

普通じゃない大人たち

アフロ兄弟(かごしマンとこういちマンモス)とちゃきちゃんの3人をうちに泊めることになった経緯は、プレーパークつながりの青森プレーリーダーひろちゃんからのメッセンジャー。

「この子、今日ミーちゃんちにお泊まりして、 明日の朝八甲田山越えして、十和田に行くんだって!さっちゃんちにお泊まり出来ないかなぁ」

即答で、「いいよ」と返信。

うちは、いろんな旅人が旅の途中で泊っていってくれるのだけど、今回はアフロ二人というすごいインパクト(笑)!

うちは、それほど部屋数がないので、誰かがお泊りするたびに、男の子なら次男の部屋を、女の子なら娘の部屋を明け渡してもらって、お客様には子どもたちの部屋に泊まってもらいます。

夕べも子ども達に、「明日、アフロで歩いて日本縦断してる人、うちに泊まりに来るから、部屋の必要な荷物、出しといてちょうだい」と、頼んだら、

「何で、うちに泊まりに来る人って、変な(変わった)人達ばっかりなの?」と、次男。

 

そう、うちに泊まっていく旅人たちは、みんな普通じゃない(笑)。

自転車で世界中を旅する織人くん、松本英揮さん、ゆいとくん、自転車で日本縦断しているひきこもりだったハッピー君、ヒッチハイクでみんなの夢を集めてるあいぼん、忍者でヒッチハイクのカナダ人のさぶろう、リアカー引いて富士山まで夢を集めてる香さん、いろんな人が、通りがかりにうちに泊まっていってくれます。いろんなご縁で家に泊まることになったドイツ人や韓国人、イタリア人も。

今回のアフロ兄弟は、NPOメイクザヘブンのかごしマンと、こういちマンモス。植林したり、過酷なことにチャレンジしたり、め組ジャパンとして、被災地支援も行っています。

詳細はFBページをどうぞ。

いろんな人の、いろんなお話聞けて楽しいし、いろんな価値観、いろんな夢を聞くのはとても楽しい。子どもたちには、こういう、人生楽しんでる大人たちに、たくさんであってほしいと思っています。

人生やりたいことやって、楽しんで生きていこうそう思ってほしいな。

私ができることは、何かしらチャレンジしている旅人たちに、あったかいお布団用意して、お野菜いっぱいの美味しいご飯を用意すること。
旅の途中で、エネルギーチャージしてもらうこと。

旅をしていると、コンビニ弁当ばっかりだったり、ろくに食べてなかったりするんじゃないかと思うから、とにかく、エネルギーがわくように、お野菜いっぱいの、おいしい家庭料理を食べてもらいたいと思っています。

そして、もう一つは、あったかい家庭を見ていってほしい。

若い人たちには、自分も、結婚したら、こんなあったかい家庭にしたいな~って、思ってもらえるような家族の姿を見てほしい。

そして、我が家の子ども達には、こんな面白い人たちいるんだから、あなたたちも、面白い人生を歩みなさい、そんな思いを持って、受け入れています。

 

感謝は循環する

さて、私たち夫婦が、こうやって、たくさんの旅人たちをうちに泊めるようになったのにはわけがあります。

私たちは学生時代探検部でした。サイクリングやヒッチハイク、リバーツーリングなどで、あちこち旅に出る機会も多くありました。

旅先で、いろんな方の温かさに触れました。

温泉に連れていってもらったり、差し入れもらったり、ヒッチハイクで車に乗せてもらったり、お水を分けていただいたり。

人って、優しいんだな~、あったかいんだな~っていうのを経験してきました。

そして、結婚したとき思ったのは、私たちがしてもらってきたように、今度は、困っている人を助けてあげる側にまわりたいということでした。

ヒッチハイクしてる人がいたら乗せてあげたいし、旅人見たら親切にしてあげたい。寒い日は宿を提供し、温かいご飯を食べさせてあげたい。

こういうのを、『恩送り』とか、『ペイフォワード』、『感謝の循環』と言います。

自分の受けたご恩を、その人に返すのではなく、次の人へ回すということ。

そしたら、私が送ったご恩は、今度は、私の手を離れたところでさらに広がっていくのかもしれない。

それって、素敵なことだな~って思います。

感謝は循環していく、それも、子どもたちに見せていきたいことです。

実際、長男が去年自転車で国内を旅していたときに、ごはんを食べさせてもらったり、いろんな方に良くしてもらいました。そしたら、その時のFBで、「自分も将来、旅人がいたら自分がしてもらったように、よくしてあげたい」と、投稿していました。

されてもらったように、自分も今度はしてあげる人になりたい。

それが、感謝の循環です。

ワクワクすることを、とにかくしてみる

人生楽しんでいる人たちにたくさん出会ってきましたが、みんな、今を一生懸命生きています。今、ワクワクすることをしています。

お金がないから、お金がたまったら~しようとか、時間がないから時間ができたら~しようとか、そんな人は一人もいない。

お金がない心配するより、なくても何か自分にできることはないだろうか?と、旅に出るわけです。悩んでる時間があったら、動いてみる。そんな人たちばかりです。

そして、私も、きっと、変わった大人の一人です。

仕事以外の自分の時間を、お金にならなくても、子どもの居場所を作ろうと動いています。そして、今は、本を出版しようとチャレンジ中。

やるって決めたら、ワクワクしています。

クラウドファウンディングでただいまチャレンジ中です。

早速いろんな方に応援いただいて、本当にありがたいです。

やりたいけど、どうしようかな~って、考えてるだけで止まっていては、何も動き出さない。

私は、二年前に一度出版しようと思ったのだけど、その時は資金がなくて断念していました。

でも、ブログを二年間書き続けてきました。悪たれ達のこと、子育てで思うこと、いろんな講演会で聞いた話で、自分が感じた事、とにかくアウトプット続けてきました。

今回、書き続けてきたことで、ブログを書籍化しませんかとお話をいただき、二年越しで、今度はやってみようと思ったのです。

とにかく、やりたいことに向けて、一歩でも、動いてみることって大事だな~と思うのです。

 

皆さんのワクワクすることは何ですか?

ワクワクした姿を子どもたちに見せていますか?