つながる力~地域で子育て【子育てに必要なのは地域の大人との関わり】


昨日、NPOゆめ・まち・ねっとの渡辺夫妻(たっちゃんとミッキー)の講演会に行ってきました。静岡県で冒険遊び場たごっこパークの他、おもしろ荘という、放課後の子ども達のたまり場、寺子屋、子ども食堂、社会的養護が必要な子のためのシェアハウスむすびめなど、多岐にわたる活動をしているたっちゃんとミッキー。
目の前にいる、助けを必要としている子供たちのために、何かできないだろうかと、やってきた13年間の活動を伺いました。
お話しの中で強く思ったのは、それぞれの地域で、助けが必要な子供たちを拾い上げていかなければならない。自分たちの地域の子供たちは、自分たちで見守り、育てていかなければならない、ということでした。
そのためには、同じ想いで、頑張っている仲間とつながっていくことも必要です。そして、一人で悩んでいる子ども達や、ママ達に寄り添って、地域の力でみんなで子育てしていくことが必要なんだと思いました。
子育てには、他者とつながる力が必要です。地域で子育てしていく、地域と関わる力は、絶対に必要です。

子どもの社会力が低下している?

今、子どもたちだけでなく、大人でさえも、人と関わる社会性が希薄になってきているように思います。人と関わるのがわずらわしいと感じる人も多くいます。買い物も、ネットでクリックすれば何でも買える世界。店員さんと会話しなくても買えてしまうし、人と関わるわずらわしさから、ネットの世界に没頭する人も多くいます。確かに、人と関わらなければ、嫌な思いをすることもないし、人に干渉されることもない。

町内会に加入しない人も多くなり、ご近所でも顔も知らない、挨拶もしたことない、ということもあるようです。

都内では、挨拶するのが煩わしいとか、子どもにあいさつしただけで不審者扱いされたとか、子どもには知らない人に声かけられたら逃げなさいと教えているとか、昨年、そういう理由であいさつ禁止になったマンションも話題になり、賛否両論飛び交っていました。

そもそも、そんな大人の姿を見て育った子供たちが、人と関わる社会性が育つのでしょうか?

小さなうちから、おとなしくしていてくれるからと、テレビやゲーム、スマホに子守をさせる家庭も割と普通にいて、幼稚園や小学校での遊びはゲームが中心。友達同士で集まるけれど、ゲームの画面と向き合って、お互いに話す言葉も少ない。

ちょっとケンカすれば、キレる。相手の痛みがわからない。いじめもそう。相手の気持ちを推し量ることができない。そして、リアルに相談できる人がいないから、自分一人で抱え込んでしまう。

これは、ゲームやスマホのせいばかりでなく、子ども時代に子ども同士ケンカしながら遊ぶ経験の少なさや、大人自身が地域の大人と関わる姿を見せてこなかったからなのではないかと思うのです。

身近に接する子供たちを見ていて思うのは、ある程度、周りの大人との関わりがあったり、友達同士遊ぶ時間を持てる子は、ゲームもするけど、ゲームばっかりということもないように思います。ちょっとゲームしたら、「~して遊ぼうぜ」って、外に飛び出していくことも多い。関わる面白さを知った子は、そこに依存することは少ないのかもしれません。

人間の脳は5,6歳までに7,8割育つと言います。生まれたときから、人とのかかわりが少ない中で育てば、人と関わらないほうが心地いいと感じてしまうようです。でも、人と関わらないほうが幸せかと言われたら、やっぱり人は人と関わって生きていくことで幸せを感じるのではないかと思うのです。

年をとって、有り余るほどお金を持ってる人が、定年後、畑で自家栽培し、知り合いやご近所さんに野菜をおすそ分けしている、という方がいます。他の人に喜んでもらうことで幸せを感じるからだと言っていたと聞いたことがあります。

人と関わることで育つ社会力は、大人になってからとても必要になっていく力です。一人じゃできないことも、他者とつながることでできることもある。自分の得意な能力を生かし合ったチームで仕事ができたら、すばらしい仕事ができそうです。

リーダータイプの人、コピーライティングが得意な人、広報が得意な人、コンピューター関係に強い人、調停役がうまい人、セールストークが得意な人、それぞれ得意なことがあるはずです。一人が全てできるスーパーマンである必要はなく、一人一人の強みを生かしたチームになったらいい。それには、人と人がつながって社会を作っていくコミュニケーション力や、社会力が必要になってくるでしょう。

人と関わることは、決して面倒な事ばかりではないはずです。

子ども達に寄り添える大人がそれぞれの地域にいてほしい

たっちゃんとミッキーがやっている冒険遊び場や放課後の居場所には、小学生ばかりでなく、中高生や障がいを持った子供たちもやってきます。金髪の中高生のように、学校には髪を黒くするまで来てはいけないと言われているような子たちや、タバコ吸ってるような子たちも来るそうです。

それでも、たっちゃんとミッキーは、彼らを排除することなく、受け入れ、話を聞いてあげます。

いじめにあっているような子も、悩みを抱えている子も、たごっこパークでたき火を囲みながら、「あのね・・・」と、語り始めることもよくあるそうです。

自殺する中高生、覚せい剤に手を染めてしまう若者、彼らの周りに、こうやって、「あのね・・・。実はね・・・。」って、相談できる人が一人でも周りにいたなら、そんな悲しい事件は起こらなかったかもしれない。

自分には関係ないことだとそういう子たちを見て見ぬふりをすれば、人から批判されることもなく、面倒くさいことにもならない。

でも、困っている子供たちがいる限り、目の前に、そういう支援を必要とする子がいる限り、地域で子どもたちをありのままに受け入れ、温かく声をかけてくれる大人がいてくれたら、地域の中で、子どもたちに声をかけ、寄り添ってくれる大人がいたなら、悲しい事件は起こらないで済むのではないでしょうか。

一人で関係を築くことのできる子どもの数は限られています。

でも、あちこちに、そういう想いを持った人が点となり、つながっていけたら、地域の子供は地域で守り育てていけたら、子どもたちにとってこれほど望ましいことはない。

昔は、危ないことがあったら、危ないよって声かけてくれるおばちゃんがいたじゃないですか。

暗くなってきてから帰る子供がいれば、「気を付けるんだよ」って、声をかけてくれる大人がいたじゃないですか。

何か元気ない子がいれば、「どうした?」って声かけてくれるおばちゃんいませんでしたか?

地域の中で、温かいまなざしで子どもを守り育てていく、そういう地域が、あちこちの点となって、広がっていけばいいですね。

いい子ばっかりじゃないけれど

子どもの居場所を作っていると、いろんな子供たちに出会います。いい子ばっかりじゃありません。

私が庭を開放して遊び場にしていたときにやってきた悪たれ達もそうでした。すぐ手や足が出たり、人が傷つくようなことを平気で言ったり。物を壊したり、言うこと聞かなかったり。

でも、その分そういう子たちは、言うことをよく聞いてくれる聞き分けのいい子ども達より、断然おもしろいものを生み出す発想力があって、ハチャメチャだけど魅力的な子でもありました。

大人を大人とも思わないようなところがあって、言うこと聞かなくって大変だったけれど、その子なりに抱えている思いがありました。

小さな末っ子にやきもち焼いて、「お前、甘えすぎだぞ!俺たちそのぐらいの時、そんなに甘えてなかったぞ!」と言うこともありました。

甘えたかったけど甘えられなかったのか、見てほしかったけど見てもらえなかったのか、そんな気持ちが見え隠れしていました。

そんな悪たれ達の物語と、子育ての話を書籍化します。

これまで、たくさんの応援、ありがとうございます!

引き続き、クラウドファウンディングの応援、よろしくお願いいたします。↓

 

まとめ

地域の子供を見守り育てていくのは地域の力。子どもたちが笑顔で走り回ることができるように、温かい目で見守る大人があちこちにいるように、地域でつながりながら、子どもを支えていきたいですね。

一人も取りこぼさないように、手を差し伸べてやれる、批判するでもなく、アドバイスするわけでもなく、ただ話を聞いてくれる人。

地域の中の小さな点が、いつしか線になって、どんどん広がっていきますように。