マタギ舎ガイドでゆく白神山地~その2(生き物たちの物語)

前回に引き続き、マタギ舎のガイドであり、探検部の長年の友人でもある小池夫妻に案内を頼み、二日目は白神の巨木をめぐるコースを歩きました。推定樹齢500年を超えるであろう桂の巨木の他、ブナの巨木、ミズナラの巨木と、どれも樹齢300年ほどもありそうな巨木の森。それほども長い間生きてきた森は、豊富な水をたたえ、生き物たちのすみかとなっています。今回は、白神に生きる、植物を含めた生き物たちを紹介していきます。

白神の生き物たち

<ヤマカガシ>

白神で、まず最初に出会ったのはヤマカガシ。オレンジ色で猛毒を持っています。ヤマカガシの毒牙は奥の方にあるため、軽くかまれたくらいでは何ともないことが多く、毒がないと思われてきましたが、1972年中学生がかまれて死亡した事故から、毒があることが知られることになりました。その毒性はマムシの3倍にもなるそうです。

むやみに捕まえて遊んだりしない限りは、臆病なヘビなので、危険度は少ないのですが、出会ったときは、そっと見守ってくださいね。

<マムシ>

実は、うちの次男、白神ではありませんが、キャンプに行って夜の草むらで指をマムシに咬まれたことがありました。

その時は、ヘビの姿を誰もちゃんと見なかったので、何にかまれたかわからなかったけれど、指にくっきり2つの牙の咬み跡があり、みるみる腫れてきたことから、毒蛇と判断して、すぐに救急車を呼びました。到着するまで、患部より心臓側をギュッと縛り、患部を水で洗い流して様子をみましたが、ほんとうにみるみる毒が回っていくのがわかりました。手はグローブのように腫れあがり、腫れはだんだん肘の方まで上がっていきました。

救急車に乗って近くの病院に到着したものの、血清をそこで打つことができず、そこからさらに1時間半の大きな病院に再搬送。そこで初めて血清を注射することになりましたが、そこで、「血清は馬の血からできているので、馬の血が体に合わないと、アナフィラキシーショックで命に危険が及ぶ場合がある」と説明を受けました。でも、治療方法がそれしかないということで、血清を打つことを承諾しました。

幸い、ショックは起こらず、次男は一週間の入院で無事退院することができました。最終的に、血清が効いてくるまで腫れは上に上がり続け、肩まで腫れあがっていったので、毒が心臓まで行かないかとハラハラしました。

今回出会ったのはヤマカガシですが、そんなマムシも、この白神にはいます。マタギは、マムシも焼いて食べます。先が二股になった枝先でマムシの頭を押さえ、頭さえ落としてしまえば、あとはもう、皮をはいで焼いて食べるのだと言います。また、一般に、マムシは精が出るといわれていますが、串に刺して干物にして、よく庭先に干してあったそうです。

<バンドリ(ムササビ)>

山を登っていくと、大きなトチの木が。トチの木の巨木には、洞(穴)がありました。この洞に、以前バンドリとマタギが呼ぶムササビが巣を作っていたこともあるようです。晩に空を飛ぶからバンドリだそうです。ムササビはテンに襲われることも多く、マタギたちは、ときにいたずらして、カリカリと木肌を爪でやってみると、テンが来たかと思ってバンドリがひょっこり顔を出して下を覗くんだそうです。今回もカリカリしてみたけれど、残念ながらバンドリはいませんでした。

<二ホンカモシカ>

途中、変わった樹形のトチの木がありました。

これは、カモシカがトチの木の冬芽を食害することから、わきから新しく萌芽していってこんな姿になったようです。冬、雪深い中、木の上の方にある冬芽は、カモシカや、サルにとって最高の餌になるようです。トチの木の冬芽は他の木の冬芽より大きく、食べごたえがありそうです。雪解けとともに、下の方の冬芽も食べることができて、カモシカに一度目をつけられたトチの木は、ず~っと食べられ続けるそうです。ニホンザルなんかもこの冬芽が大好きで、バナナのようにむいて食べているんだそうです。ちなみにニホンカモシカは国の特別天然記念物に指定されています。

今回は、沢の砂地にカモシカの足跡を見つけました。

<ニホンザル>

今回、カモシカの足跡と同じ場所に、サルの足跡も発見しました。近くには、イタドリの芽の食痕がありました。

学生時代、林道を歩いていて、サルに囲まれた、なんてこともよくあったものです。

<ブナの巨木>

こちらは、大人が3人は入れるような大きな樹洞のブナの巨木。木は、中心が腐っても、樹皮に近い水や栄養が通るところがつながっていれば生きていられるんですね。逆に、樹皮を一回り全部はいでしまうと、木は立ち枯れてしまいます。

<イワナ>

沢では、深みがあちこちにあります。こういった深みに、イワナがいたりします。小池さん夫妻も、数人で追い込んで手づかみでイワナを捕ったりするそうです。ヤスでついたりもしますが、マタギ舎の工藤茂樹さんは、俊敏で、クマが魚を捕まえるように、片手でさっと水の中からイワナを捕まえることができるそうです。

今回は、なかなかイワナを見つけることができず、かろうじて一匹、魚影をみかけたぐらいでした。

イワナは山では大事な食糧です。たくさんとれたら串刺しにして陰干しにして、必要な時にたき火で焼いて食べます。

かぶりつくイワナの美味しいこと!頭と骨はとっておいて、集めてだしをとると、これまたおいしいのでした。

<サンショウウオ>

今回は沢を歩いていたら、ハコネサンショウウオに出会いました。白神には、このほか、トウホクサンショウウオ、クロサンショウウオもいるそうです。トウホクサンショウウオと黒サンショウウオは準絶滅危惧種になっています。

ハコネサンショウウオは、流れのあるところにいるので、簡単に流されてしまわないように、何かにしがみつくための爪がついているのが特徴です。渓流に住むハコネサンショウウオには肺がありません。また、前足は4本、後足は5本の指を持っています。

<オオミズアオ(大水青)>

沢に、羽がボロボロになったオオミズアオがいました。羽がうすい青色で、とてもきれいなガです。夜、たき火をしていると、たき火の中に飛び込んで焼け死んでしまいます。飛んで火にいるなんとやらです。

旧学名がActias artemisといって、ギリシャ神話の月の女神「アルテミス」からきているようです。写真ではわかりにくいですが、それくらい美しい羽根でした。

<ショウキラン>

葉緑体を持たず、菌類に寄生して栄養をとりこんでいる腐生植物で、ランの仲間です。菌根を作り、菌根菌から養分を略奪して生きています。一週間ほどで黒くしおれてしまいます。今回はジャストタイミングで見ることができました。

<ギンリョウソウ(銀竜草)>

こちらも腐生植物の植物です。幽霊の様にまっしろなことから、別名ユウレイタケとも呼ばれます。ショウキランの様に、菌類から栄養を得ているため、葉緑素を持っていません。

周囲の樹木と共生するベニタケ属の菌類に寄生し、養分を奪い取ることで生きています。やや湿り気のある腐葉土壌に咲いています。

<ササバギンラン(笹葉銀蘭)>

笹の葉のような葉っぱのランです。白神には、こんな野生のランが所々に見られます。

<サルメンエビネ(猿面海老根)>

唇弁が赤みを帯びてしわが寄っているのをサルの顔に見立ててこんな名前になったそうです。残念ながら、今年は花が終わった後でしたので、サルの顔に似ているというお花は、見られませんでした。どんなお花かは、サルメンエビネで画像検索してみてくださいね。

こちらも、白神で見られるランの仲間です。

<その他の生き物たち>

トカゲ

クワガタ

ゾウムシ

ヤゴの抜け殻

尺をとってるシャクトリムシ

コブヤハズカミキリ

ツガルミセバヤ

ウリノキ

フタリシズカ

サワグルミ

写真には取れなかったけど、ミヤマカラスアゲハに、カジカガエルもいて、

アカゲラ、オオルリ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、アオバト、キビタキ、カケスの鳴き声が聞こえていました。

他にも天然記念物のイヌワシや、クマゲラも住んでいる森です。

様々な動植物を生かしている森です。

森が命を育んでいる

二日目は、たくさんの巨木に会ってきました。200~400年も生きてきた巨木。

その周りには、朽ちて倒れている倒木もあります。木がたくさんの種を落とし、次の世代へと命をつないでいきますが、落ちた種が全部生き残るわけではありません。動物に食害されるもの、ほかの植物たちの陰となり、成長できなかったものなど、様々です。

それでも大きく育っていくには、寿命で倒れた木があると、そこに新たに光が入り、小さかった幼木が大きく育っていくことができるのです。朽ちては菌類が共生し、多くの虫たちのすみかとなり、最後は土へとかえって次の世代への養分となっていきます。

森の中の土はふかふかで、落ちた葉っぱが堆積し、厚い腐葉土の層をつくります。

命を育む森が、そこにありました。

 

命を感じる体験を

今回、白神山地に子どもたちを連れていき、たくさんの命をそこに見てきました。実際に見て、触って、感じ、においをかぎ、山の恵みをいただき、楽しく、とても幸せな時間を過ごしました。

命を育む森や、森のたたえる水の清らかさを体感してきました。

今回、20代の若者たちがたくさん参加してくれました。水に飛び込み、語り合い、笑いあいました。彼らはどんなことを感じ、どんなことを次に引き継いでいくんだろうか?

バトンは渡せただろうか?

私たち夫婦も、小池夫妻も、探検部時代、多くの時間をこの白神山地で過ごしました。ここで過ごした楽しすぎる時間は、のちの私たちの生き方のベースになっていきました。そして今、私たちが受け取ったバトンを、若い世代へとつないでいく年齢になってきたのかと思っています。

命を育む森の様に、若い人たちの知識となり、生きる力となる、その種を蒔くことができたのではないかな、と思っています。

 

 

 

 

 

 

 

マタギ舎ガイドでゆく白神山地~その1

世界遺産となった白神山地。世界遺産登録地域の外ではあるけど、岩木川の源流をマタギ舎の小池夫妻によるガイドで歩いてきました。今回はドイツエコツアーを主催している松本英揮さんの希望で、ツアー参加者での山歩き。山の奥深い懐の中、そのまま足元の沢水を飲めるほどの清流と、様々な生きものに出会い、多様な植物群を見て、たき火を囲み、山の恵みの山菜をいただき、自然の雄大さと、すばらしさ、自然の前では謙虚であらねばと改めて感じたツアー。太古から続く白神山地の魅力と、マタギの知恵を初日の沢歩きの様子から二回に分けてちょっぴり紹介していきます。

いろんな想いがあるので、かなり長文になります。

世界遺産になった森

白神山地は、秋田県北西部と青森県南西部にまたがる約13万haに及ぶ広大な山地帯の総称です。
ここには人の影響をほとんど受けていない世界最大級の原生的なブナ林が分布し、この中に多種多様な動植物が生息・自生するなど貴重な生態系が保たれています。1993年に世界遺産(自然遺産)に登録されました。

私達夫婦と白神マタギ舎の小池夫妻は弘前大学探検部の先輩後輩。学生時代はまだ、世界遺産には登録されておらず、白神山地をフィールドに、合宿しながら山深い白神の森を歩いてきました。

小池夫妻はその後、白神に魅了され、マタギの工藤光治さんに弟子入りし、伝統的な生活文化とその基盤となる自然を保存・伝承することを目的として2000年、代表であるマタギの工藤光治さん、工藤茂樹さん、牧田肇さん、工藤ひと江さんとともに白神マタギ舎を立ち上げました。

世界遺産になったことで、その中で営まれてきた様々な文化が途絶えてしまわないように、ただの山岳ガイドではなく、山の神さまを敬い白神山地に生かされてきたマタギの智恵や生き方、白神の意味を伝え続けている、他にはいないとてもすばらしいガイドさんであり、私達の20数年来の友人です。

山に入るときは、山の神様に畏敬の念を込めつつ、これからの山行の安全を願い、感謝して山に入ります。マタギといえば、春先、熊撃ちを生業としていますが、マタギはクマを授かると言います。山の神様からの頂き物です。山菜でもキノコでも、山からとれる恵みは、神様から分けていただくもので、決して取りすぎることはしません。

沢を歩く

ここがマタギ小屋。下の写真の右の眼鏡をかけているのが小池さん。

10時。マタギ小屋を出発して沢へ下りると、広い沢の向こうに山深い森が望めます。

出発してすぐにオオルリの鳴き声。双眼鏡でのぞいて姿を確認します。

こんなきれいな鳥で、とても美しい声で鳴きます。

岩木川の源流でもあるこの川の水の、清らかなこと。このまま沢水を飲めるほどです。

澄んだ川の流れが続きます。

途中、ジョウトク沢と言われる沢と合流します。ジョウトク沢には山の神様がいて、マタギたちは、必ずジョウトク様の前で手を合わせます。今でこそ女性も沢に入りますが、昔はジョウトク沢から先は女人禁制でした。

時々、動物のいた形跡を見つけては解説してくれます。

この時は、かじりかけのトチの実を発見。ネズミが、秋に、時にはかじりつきながら蓄えていくのだけれど、自分が隠した場所を忘れて、置き去りにされたこういった木の実が、そこで芽を出し、次世代へと命をつなぐ、木の実とネズミとの共生関係をお話ししてくれています。

大人はスパイク地下足袋で、末っ子はウォーターシューズでついてきます。スパイク付きの足回りは、沢でもすべりにくく、歩きやすいのです。

だんだん深いところも出てきます。この日は暑かったけれど、沢水はまだ冷たい!

息子も濡れながらついてきます。

途中、川の少し先にシノリガモを発見しました。オスのほうがきれいな色をしています。メスに選ばれるためにです。シノリガモは、メスだけ子育てして、オスは子育てをしないという説明に、「耳が痛い」という参加者も。でも、シノリガモは、子どもが早いうちから自立して自分で餌をとれるようになるから、メスは、危険な場所を教えたりするだけでいいから、子育てにオスは必要ないんだそうです。それはそれで、お父さんとしてはちょっと悲しくなるお話しです。

 

2時間半ほど歩いて、お昼ごはんの休憩です。小池さん夫婦は、ホオの木の葉に包んだ梅干しおむすびを食べていました。山を汚さぬよう、ごみを出さぬよう、それもマタギの知恵です。

マタギはいったん山に入ると何日も山で過ごします。その日一日、何があるかわからないので、ご飯は全部食べ切ることはしません。必ず残すそうです。翌日にその残したご飯を食べることもありますが、殺菌力の強い梅干しおむすびをノリでくるんでホオ葉でくるんだおむすびは、翌日でも腐ることはありません。

うちは、ゆかりご飯のおむすびです。普通にラップで包んでいるので、ごみが出ちゃいますね。

お昼を食べている場所で川の中をのぞくと、子どものハコネサンショウウオを発見!カギづめがあり、流れのある所でもしっかり石に張り付いていられるように進化してきました。

再び歩き始め、しばらく行くと滝がありました。その横の岩場には『鳥獣保護区』の看板があります。

だんだんにゴルジュと言われる岩場の多い地形が出てきました。

雪渓がまだあります。山には、こうしてところどころに7月でも雪が残っています。山菜も、雪渓の周りはまだ早春にとれる山菜もあるので、沢では長い間山菜が楽しめます。

まるで龍のような滝もでてきました。

しばらく行くと、ゴルジュの向こうから、何やら冷気が流れ込んできます。きっとこの奥に雪があるんでしょう。

ありました。大きな雪渓です。

ここはタカヘグリと言われる岩場で、ここがこの日の終点です。

霧雨が降ってきたけれど、雨すら差し込んだ光に反射して、何とも言えず美しく、思わず息をのみます。

雪渓のあるところに行くには、深みを越えなければいけません。岩場のわずかな手がかり、足がかりを頼りに、雪渓の下へ渡ります。

手掛かりを探し、先に行った人が、「そこの下に足場があるよ」と教えます。足場がななめになってるので、ちょっと足を滑らせると深みにドボンです。この日も、一人ドボンと落ちました(*^-^*)。

深みに入ってみたい人はあえて深みを行きます。

深いところでは首ほどもあります。

帰りは水に入ってみたいというので、お兄ちゃんに背負われて深みに入る末っ子。まだ雪渓の残る沢水は、冷たいです!

帰りに、来るときも通ったもう一つの難所を行きます。左は深みにはまらないように、岩場をへつっていくコース。右は岩場を高まくコース。どちらも足を滑らすとドボンです。

滑り落ちるかもしれないスリルがたまりません。

 

帰りはもう濡れてもいいやと、若者たちは泳ぎます。

末っ子も、ここは足がつかない場所なので、ライフジャケットつけて泳いでいきます。優しくサポートしてくれる方がちゃんといます。

朝の10時に出て、テン場に戻ったのは5時ごろか。末っ子も、小学一年生で、最後まで一人でよく歩きました。濡れた服を着替え、たき火をします。

人間のエゴ

沢を歩いている途中で捨てられているごみを発見しました。おそらく山菜とりや釣り人が置いていったものです。ひどいときは、土に埋めたり、隠したりする人もいます。

山歩きをしていると、こういう光景に出会うことがよくあり、とても腹が立ちます。持ってきたごみをなぜ持って帰れないのかと思います。山菜とりや釣り人は、根こそぎ奪うだけ奪って山を汚していく人が多く、私はあまり好きではありません。もちろん、みんながみんなそうだという訳ではありませんが、一部のマナーの悪い人のために神聖な山が汚されていくのが、悲しいのです。もちろん、拾って行きます。

そして、しばらく行った先のゴルジュで、釣り人を発見しました。

小池さんは白神の巡視員でもあります。釣り人に声をかけ、さっきごみを捨てなかったか尋ねます。釣り人はうつむいてそそくさと行ってしまいました。

釣りを楽しむ人だって、山の恵みをいただいて、楽しんでいるわけで、その魚が住むこのきれいな沢を汚すことをなぜ平気でできるのだろうかと思います。

川をたどれば必ず源流の一滴があります。山の中、小さなちょろちょろと湧きだした湧水や雪解け水が、あちこちから集まり、大きな流れとなって、枯れることなくいつまでも流れ続けます。その水を蓄えているのは、この豊かな森です。森がなければ、水を貯えることはできません。この森があるからきれいな流れができ、そこにイワナが住み、森にはクマやカモシカ、ニホンザルやテン、アナグマやタヌキ、ムササビやネズミ、クマゲラやイヌワシ、たくさんの鳥たちが、森の恵みで生きています。

人間は、その森の生き物たちの住みかにちょっとお邪魔してるだけ。決して人間が奪いつくして、汚していいものではないはずです。人間は、自然に対してもっと謙虚であらねばなりません。山に行けばただで手に入る山菜やイワナがいて、そのことに感謝することもなく、ただ自分のエゴのために奪っていく人は、そこにいる、山の神の存在など、気にも留めないことでしょう。

森をがっぱり切って、太陽光パネルを設置しているところを、最近あちこちで見かけますが、これも、エコではなく、ただの人間のエゴでしかないと私は思っています。森に住まう生き物たちは、森を追われてどこへ行くのか?クマが里に下りるのはなぜ?水不足が多くなっているのはどうしてなのか?土砂災害が多くなっているのはなぜなのか

様々な問題が、実は人間のエゴが引き起こした結果でないと言えるでしょうか?

次へ残していくこと

 

かつて、うちに遊びに来ていた子供の一人が、とても釣り好きな子でした。お父さんが良く釣りにつれて行ってくれると言っていました。その子は、ある時、水をきれいにする人になりたいと思ったそうです。海で釣りをしていて、ごみで汚れた海を見て、こんなところで泳ぐ魚は食べたくないと思ったそうです。自分は海を汚さない。そう思ったと教えてくれました。

環境教育とは、そういうことではないでしょうか。自然が楽しい。自然の恵みをおいしくいただき、感謝する。そんな自然が好き。だから汚したくない。そう思うのが自然なことかもしれません。

今いる困った大人たちに何を言っても聞かないのかもしれません。

でも、子ども達になら、若いうちなら、そんなことを体感したなら、そういうことを考える大人になってくれるはずです。自然を大切にしたいと思う大人になってくれるはずです。少なくとも、ごみをポイ捨てする大人にはならないでしょう。

私たち夫婦が、子ども達に自然体験をさせたいと思ったのは、探検部時代のこういう経験からです。自分たちが楽しんできた自然を、子ども達にも味あわせたい。次の世代まで、美しいまま残していかなければ。そのためには、遠回りかもしれないけど、そういう子ども達を育てていこうと思ったからです。

大きなことはできないかもしれない。でも、少しずつでも、自分たちが伝えられることは伝えていきたい。次の世代へと美しい自然は残していきたい。

小池さん夫婦も、大好きな白神山地。山の神に感謝し、山の文化を次の世代へ伝えていくために、美しいままの白神山地を後世に残していくために、こうしてガイドをしてくれています。

山の恵みをいただきながら山で食べるごはんは最高に美味しく、ぜいたくなことですが、その、山菜のとりかたひとつとっても、マタギの知恵があるのです。

マタギにとって、山菜のほとんどは自給用ですが、ゼンマイだけは商品価値が高く山で暮らす人の重要な現金収入でした。彼らは、決して採り尽くしたりはしません。ゼンマイは胞子葉と栄養葉を持ちますが、栄養葉の芽だけを採ります。それも、1株に3本芽があれば1本だけ、5本なら2本だけというように、採りきらず、残して採ります。それは森に生かされた彼らの知恵でもあります。

山の神様のご機嫌が悪ければたくさん採ることはできない。神様のご機嫌を損ねないように、採りつくすことなく、株を傷めないように、そっと採ります。ふきを採るときも、一つの株から3本出てれば、左の一本をナタで切り取ります。沢沿いのフキは、切った瞬間水がしたたり落ちてきます。それがいいフキの証拠。切り取った後の根元をナタでつぶしておくそうです。そうしないと、切り取ったところから水が入り込んで株ごと腐ってしまうからだそうです。

本当に必要な分だけ採ります。

キノコも、手でちぎることなく、切れ味のいいナイフで、根元を残してとってあげると、ちゃんとまた来年または翌々年、同じ場所からいいキノコを採ることができます。

ちゃんと、次に来た時に、同じ場所で収穫ができるようにという知恵がそこにあります。

山菜採りでも、次に残すことを考える人は少ないでしょう。今、そこにあるからたくさん採りたいと欲をかくと遭難したりします。

こういった森で生きる知恵は、こうして次の世代へと伝えていかなければ、途絶えてしまうでしょう。マタギ舎は、そういう知恵を伝えてくれる数少ないガイドです。

この日、沢でぬれた体を温めたり、調理したりするのに、火をおこし、たき火をします。マタギにとっては、火もまた大切な火の神様。かまどの神様なので、たき火にごみを投げ入れて燃やすようなことはしません。とても神聖なものだからです。

たき火で焼いたイワナの美味しいこと!

末っ子も、お腹が膨れ、気づいたらたき火のそばで眠り込んでいました。大人について歩いて約7時間。よく頑張って歩きました。

この子達に、次の世代を作っていく若者たちに、こうして白神の自然を見せてあげることができて、マタギの知恵を伝えることができました。彼らは何を感じ、何を思っただろうか?

次に何かを残していくことはできただろうかと、考えます。