「地域で子どもを育てる」ことの意味

もうすぐクリスマスで、クリスマスが過ぎたら、もう年の暮れです。年越しには、人間の108つの煩悩を取り除くための除夜の鐘を聞き、清らかな心を持って新しい年を迎えます。

でも、その除夜の鐘ですら、近年うるさいというクレームから、中止するお寺さんも増えているというニュースを目にし、とうとうそんな時代になってきたかと、おどろきました。

ここ数年、子どもの声がうるさいから、保育園を建てるのに、地域住民が反対しているとか、。お祭りのお囃子の練習が毎晩うるさいとクレームが来るようになってきているとか、そんな話も耳にして、なんともやりきれない思いを感じていましたが、とうとう鎌倉時代から続く伝統でもあった除夜の鐘までもが騒音とされるようになってしまったのかと、愕然としました。

このままでは、子どもの育つ環境ばかりでなく、伝統行事ですら危うくなってしまうのではないでしょうか。

私たち個人が、そのクレームに対して、何とかするということは難しいでしょう。では、そうならないために、私たち一人一人にできることは何でしょうか?

今回はそれを考えてみたいと思います。

様々なクレーム

冒頭で述べたように、今、様々なクレームがあるようです。

・子どもの声がうるさい

・除夜の鐘がうるさい

・お祭りのお囃子の練習する音がうるさい

・公園のカッコウの鳴き声がうるさい

・保育園で蚊に刺されたから治療費を出してもらえるかと保護者

・餅つきは、いろんな人の手が入って不衛生だからと中止

・小学校の運動会の音楽がうるさい、チャイムがうるさい

・早朝から運動会の開催合図の花火がうるさいと花火は中止

・ラジオ体操もうるさいと中止

・盆踊りがうるさいとクレーム→イヤホンで聞きながら踊る

・秋田のなまはげに近い『アマノハギ』。「子どもが怖がる」と、優しく、宿題を手伝う『アマノハギ』も登場

・豆まきも、いじめにつながると中止

・お寺や神社の豆まきも、食べ物を蒔くのは不衛生だとクレーム

ちょっと調べただけで、いろいろ出てきます。クレームの数々・・・。

もちろん、子どもが大勢集まれば、騒がしくなりますしね・・・。

皆さんはどう思いますか?

もちろん、小学校の近くに住んでいる方など、チャイムは毎日聞こえてくるし、運動会の練習だって、確かにうるさいでしょう。

公園の近くに住んでいて、鳥の声が毎日うるさいと、思う方もいるのかもしれない。大量のムクドリやカラスの群れに、フン害を訴える人も気持ちもわからなくもない。

確かに、世の中にはいろんな方がいて、静かな住宅街を望む人も多いでしょう。

私もかつて、やっと寝付いた赤ちゃんが、選挙カーの連呼で起きてしまい、イラっとしたことがあるのも事実です。音が迷惑だと感じる気持ちも、確かにわかります。

体調が悪い。赤ちゃんがいる。夜勤で日中は静かに寝たい。世の中にはいろんな方がいるのも事実。

でも、それでも言いたい。

子供の声は騒音ですか?

自然にある生き物達は害虫、害鳥ですか?

伝統行事に関わる音は騒音ですか?

個を大切にするあまり、人間は自然の一部だということを忘れていませんか?

自分も子供だった時代があり、たくさんの地域の大人の手によって育てられてきたということを忘れていませんか?

伝統行事の意味を忘れていませんか?

世知辛い世の中だと嘆くばかりでは変わらない

こういった、殺伐とした世の中の風潮をみるにつけ、なんて世知辛い世の中になったものだと嘆きたくなります。

クレームをつける人がおかしいと、そういった人を非難することもできます。でも、逆に、先ほど言ったように、静かにしてほしい理由がある方々がいるのも事実で、そういう方にも、生活があり、事情があるわけで、では、そんな人はここからいなくなればいいじゃないかとも簡単に言えることではないとも思います。

では、それらのクレームに対して、私たちにできることはないのか?

伝統行事を中止し、子どもを外に出さず、家の中で静かに遊んでいなさいとゲームを与えておけばいいのでしょうか?

殺虫剤をばらまき、虫を殺してしまえばいいのでしょうか?

決してそれがいいことではないと思うのです。

除夜の鐘だって、1000年近く続いている伝統行事です。一年の汚れをはらい、新しい気持ちで一年を迎えられるようにという想いのこもった行事です。

地域の様々なお祭りだって、五穀豊穣を願い、地域のみんなが食べ物に困らないように、たくさんの収穫を願い、感謝し、健康に暮らしていけるように、そんな願いが込められているものです。

一見害虫と言われるような虫たちだって、人里に出てきて害獣駆除されてしまうようなクマや、サルだって、自然界の中ではちゃんと役割があって、どの生き物も、無駄な命はないはずです。

たまたまそこに人間がいるから、嫌な虫、危険な生き物、迷惑な鳥だと言われて排除されるけれど、どんな虫も、どんな鳥も、どんな獣も、人間と共存するうえで、最低限仕方のない駆除はありだとは思いますが、過度の排除は必要ないと思っています。

いろんな虫たちに触れていくことで、生命の不思議さ、生き物の面白さを感じます。

害虫だから殺虫剤をまいて殺してしまえばいい、人間に害となる生き物は殺してしまえばいい。そんな人間の身勝手で簡単に殺してしまえばそれでいいというものではないはずです。

そもそも、自然の中に間借りしてるのは人間の方ですから。

 

この子達が大きくなって、地域を担う人になったときに、どんな大人になってほしいでしょうか?どんな地域を作っていってほしいでしょうか?どんな自然環境が残っていたらいいでしょうか?

答えは、そこにあるように思います。

地域で子どもを育てるということ

このブログでも、「地域で子どもを育てることは大切なことだよ」と、これまでも何度も書いてきました。

でも、やはり声を大にして言いたい。

地域の活性化や、住民同士が協力し合える街づくり、伝統行事の継承には、「地域で子どもを育てること」が欠かせないと。

そして、子どもたちが、地域の自然に親しみ、遊びこむ楽しい子供時代が必要なのだと。

<地域の伝統行事>

子供時代に、地域の行事に参加してみると、お祭りを作っている大人たちはみんなだいたい、挨拶はしっかりしなさいと、厳しく子どもたちを指導します。大きい子たちには、小さい子の面倒を見てあげなさいと、役割を与えます。

そういう中で、小さい子たちは、大きい子たちにかわいがられながら、見守られながら楽しいお祭りを体験します。

大きい子たちは、小さい子たちの面倒を見ることで、自分たちはただ好きなようにやっていいわけではなく、自分たちも礼儀正しく、挨拶をしっかりしながら、小さい子を見ることで、より責任をもった子へと成長していきます。

さらに大きくなった中高生は、小学生たちのあこがれるような見本となって、かっこいい、素敵な自分をそこに見ることになります。

大人たちは、危険の内容に周りに目を配りながら、水分補給は大丈夫か?小さい子は大丈夫か?小学生たちは楽しんでるか?中高生は?そうやって、目を配り、心をかけ、時には厳しく指導しながら、子どもたちを育てていきます。

そうやって迎えたお祭りでは、みんなと一体感を感じながら、何とも言えない高揚した気持ちを持つのです。そうやって、地域のお祭りや、伝統行事に、愛着を持っていくのです。一度お祭りに参加した子は、次も参加したいと思うようになり、子供のころ参加していた大人は、のちに子どもたちを引っ張っていく大人になって、世代交代していきます。普段は違う地域で仕事してるけど、お祭りの時だけは帰ってくる、という若者もいます。

<地域の自然で遊ぶ>

ここではあえて、『地域の』とつけましたが、自然環境を守ったり、地球環境を守りたいと思ったら、やはり子供時代に自然で遊ぶことが大事です。

土に触れ、水で遊び、虫を捕まえ、花の匂いを嗅ぎ、田んぼの生き物を捕まえて観察し、秘密基地を作ったりする。

自然をまるごと体験することなしに、自然を大切にしたいという気持ちは生まれません。地球環境が破壊されているから、ごみを減らそう、二酸化炭素を減らそう、省エネだ、石油燃料に頼らない自然エネルギーだと教育しようとも、そこに、なぜ守りたいのか、という気持ちは芽生えてきません。自分が住む地球が大変なことになってると脅されたところで、ピンとくるものではありません。

でも、子供時代を楽しく過ごした地域の自然があるからこそ、そこに住むトンボが少なくなった。カエルの鳴き声が少なくなった。かつて田んぼに住んでたホタルが消えた。子供時代はたくさん遊べた空き地がなくなった。バッタを探す原っぱがなくなった。そういう変化に、寂しさを感じるからこそ、なんとかしなきゃという気持ちにもなる。

かつては当たり前だった光景が、当たり前じゃなくなってきている。このままじゃいけない。子ども時代に原っぱを駆け回り、虫を捕まえ、花冠作ってた、そんな体験を、今の子供たちは体験できないのはおかしいと、今、自然を守りたいと活動している人たちは、少なからず、そういう想いを抱えていると思います。

秘密基地作って、友達とこそこそ悪さしたり、そんな楽しかった子供時代があるというのは大切なことです。

かつてうちに来ていた悪たれの一人、ジャイアンも、釣りが大好きで、お父さんに良く釣りにつれていってもらっていた。ある時彼は、私にこう話してくれました。

「おれ、将来漁師になるんだ。でもさ、最初は、水をきれいにする人になりたかったんだ。でも、おれ、頭悪いから無理だな、って思って、釣り好きだし、漁師になることにしたんだ。」

「何で水きれいにする人になりたかったの?」って聞くと、

「海に釣りに行ったらさ、ごみ浮いてて汚いんだよ。海にしょんべんするやつもいたけど、俺はそんなの絶対嫌だった。だって、そんなとこの魚、食いたくねえもん。」

「だから、水をきれいにする人になりたかったんだ」って。

なるほど、と思った。

そういうことなんです。

大好きな釣り。大好きな魚がいる。だから、水をきれいにしたいと。

子供時代に必要なのはそういう経験です。

<人に温かい地域>

子供時代に遊んだ大好きな地域。大好きな自然。地域への愛着。温かい目で見守ってくれた大人がいる地域。そういうものを感じながら育った子が大人になって、それぞれの地域を担う人になっていったとき、どんな地域になっていくと思いますか?

子供や、お年寄りに優しい地域にしたいと思ったら、子ども時代にお年寄りに優しくしている大人の姿を見せながら育つこと。子どもに優しい地域の人がいる、そんな地域で子どもを育てたらいい。

伝統行事を守りたいと思ったら、小さなうちから地域の行事やお祭りに参加させていくといい。

近年、町内会は班長になったとき、集金が面倒だからと、町内会に入らない家庭も増えています。地域と交わらない人も多くなってきているように思います。

確かに、面倒でしょう。でも、災害があったとき、助け合えるのは、地域の人と交流があるから。あそこのおばあちゃん、足が悪いけど、一人で逃げられるかしら?あそこには小さな子がいたけど、おむつやミルクは大丈夫かな?あそこには障害を持ったお子さんがいるけど、困ってないかな?そういう人間力が生きるのは、地域とのつながりがあるから。

そういう意味で、私たちの住む地域の未来をどんなものにしていきたいか?は、そのまま、今の子供たちにどう関わっていけばいいのか?どんな体験が子供たちに必要なのか?につながっていくのだと思うのです。