子どもたちは、エネルギーを発散していますか?


Warning: Array to string conversion in /home/sattyann/happychildrentowada.jp/public_html/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 701

週末も、たくさん子供たちがやってきては、家の中だけでは納まらず、外で鬼ごっこしたりボール遊びしたり、卓球やったり、ボールの奪い合いしたり、所狭しと走り回る子供たちの姿があります。

そんな子供たちの姿を見るたびに思うのは、子どもは、エネルギーに満ち溢れているということ。

家の中でただゲームして過ごしたり、習い事で長い時間座りっぱなしだったり、じっとして一日を過ごしてしまっていたら、これほどのエネルギーはどこへ行くのでしょう。

あの、あふれんばかりののエネルギーはどこへ発散されるんだろうか?と思うのです。

幸せを感じるのはどんな時?

「幸せを感じるのはどんな時?」

こんな質問を息子にしてみました。

・食べられるとき

・遊んでいるとき

・好きなことをしているとき

・自由に動けるとき

これだけあれば十分幸せだと。

 

嬉々として走り、飛びはね、動き続ける子どもたち。

いのちの躍動そのものであるように。

それが子ども。

 

食べることと遊ぶことは子どもにとっては同じことなのです。

食べることは、生きるために必要なこと。

それと同じくらい、遊ぶこと、自由に動くこと、やりたいことをやることが子どもにとって必要なことだということなのです。

そういう意味で、子どもに「遊んでないでじっとしてなさい」というのは、どういうことか、想像がつくでしょうか?

孤独感の強い日本の子供

今日、E-project先生のいない勉強会で、「孤独」をテーマに調べました。

その時調べた資料の中に、日本の子供の孤独感が強いというデータがでてきました。

ちょっと古いですが2007年ユニセフの調べによるこの表。

日本が先進国の中でも突出していることに驚きます。

この孤独感と、幸福度の低さは関係あるのではないかと思うのです。

この、孤独感。なぜなんだろうか?と思うとき、一つには、日本の子供が家族と過ごす時間が少なくなっているということがあるように思います。

子どもの孤食も問題になる時代です。

家族一緒に食卓を囲む機会が減ってきているとも言えそうです。

食べる事が幸せだと息子は言ったけれど、息子にとっては家族と食べることが当たり前で、一人で食べることはほとんどありません。

毎日のように友達と自由に遊び、腹ペコになっては、家族と暖かい食卓で食べる事ができる息子は、食べて遊べる、ただそれだけで幸せを感じられるのだろうなと思うのです。

もし、一週間のうち、多くの時間を一人で食べていたなら、彼の感じる幸せはもっと低いのではないかと思っています。

以前、「弁当の日」の竹下さんのお話を聞いたときに、二組の一人親家庭のお話をされていました。

A君は、一人親家庭で育ち、お母さんは毎日仕事で遅いので、一緒にご飯を食べることはほとんどなく、お母さんが出掛けるときには、晩御飯これで食べるようにと、五百円玉が一枚テーブルにおいてある。A君はコンビニでご飯を買い、一人で食べる毎日。

B子さんも、同じように一人親家庭で育ち、同じようにお母さんは忙しいのだけれど、遅くなっても子供と一緒にご飯を食べたいと思ってくれている。忙しくてごはん作ってる暇はなく、お総菜を買ってきて、チンして温め、お皿に盛り付け、遅い晩御飯を一緒に食べる毎日。

A君は後に事件をおこし少年院へ。

そこで彼が語ったのは、「おれ、何のために食べてるのかわからない。ただおなかがすくから食べてただけ。飯なんて、何食っても一緒」と。

B子さんは後に、自分で簡単なごはんは作れるようになり、「お母さん、私のためにいつも大変だから、私が晩ごはん作るね」と作ってくれるようになる。

そんな二人のエピソードがありました。

お腹を満たすためだけに食べるんじゃない。誰かと、何気ない話をしながら暖かいご飯を食べる。お腹と一緒に、心も満たすために食べているんだと、その話を聞いて思いました。

そして、孤独感のもうひとつの原因は、「遊ぶ友達がいない」です。

遊びたくても塾や習い事が一杯で、遊べない。自分だけ暇でも、友達は忙しい。だからゲームでもて余した時間を消耗するしかない。

友達と遊ぶことができないというのは、つながりを保てない。一緒に笑いあうことができない。バカ言って笑ったり、くだらないことが話せたり、嫌なことを話したりすることができない。

子どもは、優しくて、親に迷惑をかけちゃいけないと、聞き分けよく親のいうことを聞いて、親には文句も言わず、塾や習い事に通いつづける。自由に遊んでる子を横目に、「いいな~。お前は遊べて・・・」と。

大人の忙しさによって、子供のそんな時間が奪われてしまっている。

孤独を感じさせているのは、私たち大人の忙しさなのではないかと思っています。

はじける子どものエネルギー

食べることと同じぐらい、遊ぶことが子どもたちにとって必要だと言いました。

遊ぶと言っても、子どものいう遊びとは、大人が考えた遊び、大人が用意した遊びではなく、やりたいことがやれる。自由な遊びの事を言います。

子どもの内側から沸き起こる遊びです。

内側から沸き起こる、これやりたい!っていう思いが、エネルギーの源です。

だから、子どもを野に放ち、自由に遊ぶことを許すとき、子どものエネルギーは底なしのように沸き続けます。

自由であるというのがポイントです。

子どものエネルギーの源は、食べること(誰かと食べるごはん)と遊ぶこと。

この二つのエネルギー源枯らしてはいけないと思っています。

このどちらか、又は一方が枯れるだけで、子どもの幸福度はグッと下がり、無気力になり、自分なんてどうでもいいとなげやりになるのではないかと思っています。

そして、沸いてきたエネルギーは、流す(発散させる)必要があるのです。

だから子どもは走るのです。

だから子どもは跳び跳ねるんです。

だから子どもは歌うんです。

だから子どもはじっとしてないんです。

どうか、できるだけ彼らの動きたい衝動を止めないでもらいたい。彼らが自由に動くこと、遊ぶことを、許して欲しい。彼らのエネルギーを枯らさないで欲しい。

切なる願いです。