子ども時代にいろんな経験を

子ども時代にいろんな経験をすることは、これからの時代を生き抜くうえで大事なベースとなってきます。

いろんな経験があるからこそ、大人になって、新しい問題に出会った時に、どう対処していけばいいのか、問題の解決策を模索していくことができるようになります。

誰でも初めての経験は怖いものです。新しいことにチャレンジすることは、ワクワクもするけれど、ドキドキもするものです。うまくいくのかな?失敗したらどうしよう。

でも、たくさんいろんな経験をしてきた人のほうが、きっと、失敗を恐れずにチャレンジしていけると思うのです。

子ども時代にしてほしい体験

では、どんな体験を子ども時代にしていったらいいでしょうか?

・0から物づくりする経験をする

・日の出を見る

・満点の星空を見る

・夜の暗闇や月明かりを見る

・火を扱う(たき火する)

・木に登る

・泥で遊ぶ

・虫を捕まえ、飼ってみる

・友達と一日中外で遊びこむ

・いきものに触れる

・自分で料理する

・高いところからジャンプする

・秘密基地を作る

・川遊びする

・山に登る

・食べられる植物をみつけ、口にする・・・

などなど、まだまだありそうです。

なぜ、いろんな経験が必要なの?

では、なぜそんな経験が必要なのでしょうか?

「0から物づくりする」という経験は、何もないところから自分がほしいと思ったものを形にすることが出来る、素晴らしい体験です。

そういう意味で、廃材使って工作したり、木工したりというのは、子どもの創造力を大いに刺激します。失敗したら、何が悪かったのか、考えて改良し、試行錯誤して、トライ&エラーを繰り返すことで、自分の納得のいくものを作っていくことが出来ます。

自分にもものを生み出すことが出来るんだという自信もつきます。

自然体験は、五感をフルに使って、手足の感覚、肌の感覚、匂い、味、川の音や鳥の鳴き声、美しい自然を眺める、触れる、といったことから、情緒を安定させるとともに、世界は美しいという感覚や、自分にはどうにもできない自然の力があることを知ります。生きる力を育むのは、本物の自然に触れてこそできることです。

いきものに触れることで、命に触れることが出来ます。動物や虫を飼ってみることで、命には終わりがあることを知り、尽きた命は再び戻らないことを知ります。そして、それら命は土に返るということも経験します。命は、地球の一つのつながりの一つであり、巡り巡っていることも体験することになります。

カエルの卵さわったり

魚を捕まえてみたり

動物に触れてみたり

今、身近に死を経験する機会がとても少なくなっています。おじいちゃんおばあちゃんと同居している人も少なくなって、死を直接目にすることなく大人になっていく人もいます。

そういう意味で、虫や動物など、身近ないきものに触れるというのは、死を意識する貴重な機会になってきます。昔はありんこ踏みつぶしたり、トンボの羽をちぎったり、いわゆる残酷だといわれるようなことを当たり前にやってきた子ども時代を過ごしたものです。

今は、一見よさそうですが、「かわいそうだからやめなさい」と、小さな虫の殺生を止めてしまいがちです。もちろん、そういった言葉がけも必要になってくるかとは思いますが、殺してしまった虫に対する気持ち悪さとか、いろんな感情を学ぶことも、時には必要なのではないかと思っています。

 

木に登ったり、山に登ったり、ちょっと、その子にとって、ハードルが高そうだな、と思うことにチャレンジすることは、頑張ったらできた!という経験になっていきます。

うちの庭にやってくる子供たちも、最初は木登りする息子を見て、「オレ、ムリ~」と言いますが、スイスイ木に登る息子(しかも自分より年下)を見て、やってみたい気持ちと、自分の方が年上なのにできない悔しさと、いろんな葛藤があって、最終的には木登りにチャレンジして、みんな登れるようになっていきます。

登れるようになると、得意げに「新藤さ~ん!!見て見て~!!」と、必ず声をかけてきます。登れたことが得意げなその顔は、自信にあふれています。

最近、子ども達が「ムリ~」と、すぐ口にしますが、「ムリ~」をなくすることが出来るのは、こういった多様な経験からくる自信しかないのではないかと思っています。

難しそうだからやめよう、面倒くさい、そういうやる気のなさは、チャレンジする経験の少なさから来るのではないでしょうか?

 

子どもの遊びは、もっとも価値のあること

私たちは、ともすれば、「遊んでばっかりいないで、もっと勉強しなさい」と言ってしまいがちです。

遊んでばっかりで、ちっとも宿題をしないから、一週間遊ぶの禁止された、っていう子もいます。

でも、本当は学童期は、友達と遊ぶことで、友達から学び、友達に教える、そんな経験の繰り返しで成熟していくものです。

いろんな考え方を持つ多様な人がいることを知り、その中で折り合いをつけながら楽しく遊ぶためにはどうすればいいのか、遊ぶ中で、社会性を身に着けていきます。自分だけが得になることを主張しても受け入れられないとか、自分の意見を言わないでいたら、自分の考えは反映されないとか、子どもの小さな社会の中で、時には理不尽なこともあり、そうかと思うと、突然ヒーローになることもある。

例えば運動会。運動は得意だけど、勉強ができない子にとってはヒーローになれるチャンスです。そんな風に、工作が得意な子が、自分で作ったものを友達に見せて自慢して、「すっげ~!俺も作りたい!」なんてなることもあるし、絵が得意な子がポケモンの絵をかいて、友達の羨望のまなざしを受けることもあります。女の子であれば、小物を自分で作ったりして、友達に「かわいい~!」って言われたら、もう最高です。

ちょっとした、ヒーロー、ヒロインになれる瞬間を経験しながらも、友達のそんな姿を見て、うらやましく思い、自分も、ヒーローヒロインにいつかなれるように、自分の得意なことに没頭していったりもします。

友達と遊ぶ時間は、何よりも優先されるべき時間だと思っています。

遊びを十分に堪能しながら、人を信じる心や、自分への自信をつけていき、勉強は、その余った余力でやるぐらいがちょうどいいのではないかと思います。