医師として、長年尽力し、子ども達に対する講演活動を精力的にこなし、著書も多数の日野原重明さんが105歳で亡くなりました。つい先日も、『子どもへのまなざし』の著者でもあり、児童精神科医である佐々木正美さんが亡くなったばかり。子ども達や、子どもを育てていく人に伝えたい想いは、同じであると思います。今日は、日野原さんの言葉から、これからの子供たちへ伝えていきたい想いをつづります。
日野原重明さんの言葉
「これまでの教育は、出来あがったデータを記憶させる教育であった。困難な問題にぶつかったときに、問題解決が出来るような能力を与えられていない。
本当に学ぶべきなのは、問題とどう取り組むか、どういう戦略を立てるべきかということである。学校を出てからも自分で出来るような頭の仕組みを作る。そして、その仕組みに従って生活をし、行動することが必要なのである。」
大切なことは、答えがわかっている問題に正しく答えることではなく、その問題をどう解決するか、考える力であると言います。
プレーパークで、子ども達のことを見ていると、答えのない問題に対し、何とかそれを解決しよう、乗り越えようと試行錯誤する姿を目にします。
例えば、上の写真、のみを使って板をくり抜こうとしている子ですが、作ろうとしているのは、どうやら額縁のようです。普通に考えたら、細い板を4枚くぎで打ち付けて枠を作ればできそうなものです。でも、この子は、板を見て、額を作りたいと思い、のみでくり抜くという選択をしました。板をくり抜く労力は大変なもので、絶対、細い板を4枚くぎで打ち付けたほうが早い。
でも、この子は、そうしたいと思った。そして、大変であっても、やり遂げました。
遠回りでも、簡単じゃないやり方だったとしても、自分で考えてやってみる。そして、やり通す経験は、日野原先生の言う、『学校出てからも自分でできるような頭の仕組みを作っている』ということだと思うのです。
答えのない問いに、挑戦し続ける子どもたちを見守り、たくさんの子ども達に、そういう機会をたくさん与えてあげたいと思います。問題を乗り越え、自分で解決できる、そんな大人に育てていかなければと思います。
「未知の世界に自ら飛び込んで、やったことのないことをやることによって、使ったことのない脳が働き出す。」
やったことないことに挑戦しようとする子供たちは、道具を前に、しばし考え込みます。まっさらなところから、何を作り出していこうかと。初めて使う道具も、使ううちに、だんだんコツをつかんでうまくなります。
試行錯誤をくりかえしながらも、新しいことに挑戦するわくわく感で、子ども達は夢中になります。
「自分を相手に置き換える想像力を、身につけたいものである。」
絵本や、本は、子ども達を物語の世界へと連れて行ってくれます。そして、その中で、主人公や、相手の気持ちを疑似体験できます。読み聞かせは、子ども達に、そういった相手の気持ちを想像するための手助けになります。
でも、相手の気持ちを想像できるようになるためには、やはり、リアルにかかわるのが一番です。ケンカして、謝って、相手の気持ちを知って、仲直りして。そういう生身の体験が絶対必要です。
でも、今、子ども達の置かれている環境は、ゲームやメディアにさらされる時間が長く、リアルにかかわることが面倒だと、LINEやツイッターのようなSNSで会話する中高生も多くなっています。顔の見えないやり取りをするは、相手の気持ちを想いやることが難しいので、そういったSNSでのトラブルが問題になっています。
子ども達が、子ども達同士で遊びこむ経験が、やっぱり必要なのだと思います。
「何事も、今ある規則のとおりにやっていたのでは進歩はない。規則を破るようなことをやらないと、現状はなかなか変わらない。
規則を破ったとしても、皆が応援するような破り方をすればよい。
そうすれば、新しい良い規則がずっと早く出来る。」
今、それが当たり前であると言われてることを、ただただ規則を守ってやっていたとしても、そこから新しいものは生まれてきません。
日々、技術は進歩しています。歴史的事実と思われていたことも、日々変わっています。そこには必ず、規則を破った人がいて、みんなが当たり前と思っていたことに対して、「いや、そうじゃないんじゃないか?」「違うやり方で、もっとよりよくなる方法があるはずだ」と、人と違うことをした人がいたからです。
炊飯器に入ってはいけないなどという規則は、破っていいのです。面白いからやってみる。なんでだろうと思うから、実験、検証してみる。やってみて、やっぱりこれはダメだと思えば、もっと面白いことはないかと探せばいい。
みんなと同じことをしなくていい。
歴史はそうやって新しく塗り替えられていく。
「生きがいとは、自分を徹底的に大事にすることから始まる。」
「生きがいとは、自分を徹底的に大事にすることから始まる」
自分の人生を自分が精いっぱい楽しむこと。今ある幸せに感謝して、家族との時間を大切にし、自分の時間も大切にする。
自分の心に正直に、自分がやりたいことをやる。でも、家族のことも愛してやまないのなら、自分を大切にするのと同じくらい、家族との時間を大切にする。
精一杯、今ある生を楽しむこと。
大人も、子どもと同じくらい、無邪気に楽しんだっていいのです。子ども心を思い出せばいいのです。ワクワクすることをやってみたらいいんです。
おうちの人が、そうやってワクワクと人生を楽しむ姿を子どもたちに見せてあげることは、子ども達にとって、未来への希望になります。
大人になるって、楽しそう。私も早くこんな大人になりたい。
そう思ってもらえるように。
身近な大人は、子どもの一番のモデルです。
一番身近な大人が、「今日も疲れた」「また今日も、こんな大変なことがあった。」と、嫌な事ばかり話すうち、子どものまっさらな脳に、『大人になるのは大変で、つまらないこと』ということをインプットしてしまいますから。
「人生とは未知の自分に挑戦することだよ」
やったことないことで、使ったことのない脳が働き始めるのなら、どんどん未知のことに挑戦して行きたい。
そんな姿を、子ども達に見せられる大人でありたい。
自分の命をどう使うか
「多くの人々は自分の財産や名声や地位を得るために全力投球している。
それなのに、財産やお金よりも大切な、自分の命のために全力投球している人は少ない。
なぜ、その大切な命のために、時間と財産を提供しないのか、そうして安全に確保された命を
思いきり有効に使おうとしないのか。
自分の命を自分で格調高く保つための勉強を、めいめいがもっとしなければならない。」
この世に生を受けた、たった一つの命。
何億分の一の軌跡ともいわれるその命を、何のために使うか。先祖代々から受け継がれて、一つも途切れるところなく、今の自分までつながってきた命。
大変な時代を乗り越えてきた先祖たちから未来への希望を託されてきた命。
日野原さんも、戦争時代を乗り越え、その悲惨な時代を生き抜いてこられました。だからこそ、子ども達に、命の大切さを話して歩き、たくさんの本を残されました。
命とは時間であると日野原先生はおっしゃいました。与えられた時間を、どう使うか?何のために使うか?無駄な時間を過ごしてはいないか?
3・11の震災から6年。今もなお、あちこちで災害でたくさんの方が命を落としています。明日は必ず来るという保証はだれにも、どこにもないのです。
ああ、楽しい人生だった。幸せな人生だったと最後に言える生き方をしていますか?
悔いのない人生を生きていますか?
誰かに、命のバトンをつないでいますか?
子ども達に伝えたい想いは何ですか?
大切なことを子どもたちに伝えていますか?
日野原さんの死から、そんなことを自分にも問いかけています。