何のために生きてますか?


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NHKの番組で、先日放送されていた哲学的街頭インタビュー。

「何のために生きてますか?」というのを、

NHKプラスで見ました。

いろんな世代の人に、

「何のために生きてますか?」と尋ねます。

「楽しむために生きてる」

「別に。ただ、生きていられるまで生きてる」

「忘れられないために」

などなど、いろんな答えがありました。

その答えを聞きながら、私だったら何と答えるかな?と考えていました。

それと同時に、最近観てきた宮崎駿の「君たちはどう生きるか」のことも頭の中にかけめぐっていました。

今回は、ちょっぴり哲学的に、いろんな視点から、

「私たちは何のために生きているのだろうか」を考えてみたいと思います。

自然世界を眺めると

子どもたちと森や川に出かけると、ほんとにびっくりするような生き物たちとの出会いがたくさんあります。

先日のキャンプのレポートでもお伝えしたような、

いろんな魚、いろんなトンボのほか、

この前も、別の子どもたち連れて同じ場所に行ったら、カナヘビやカマキリを見つけたり。

生き物ハンターのアンテナを持った子どもは、

それぞれ独自のアンテナを持っていて、

子どもによって、見つける生き物が変わってきます。

同じ場所なのに、人が違うだけで、出会える生き物が変わるのです。

不思議なものですね。

さて、そうやって出会うたくさんの生き物たち。

時には家に持ち帰って飼ってみたりします。

持って帰ったカマキリは、水が足りなかったのか、エサが足りなかったのか、残念ながら死んでしまいました。

去年連れ帰って飼い続けているカナヘビは、冷蔵庫の中で冬眠し、春になって暖かいところに出してあげてから、夏になって無事に卵を産んでくれて、7月には赤ちゃんが卵から生まれました。

ちいさないのちが生まれる瞬間は、もう、目が離せなくて、もう、感動でした!

生まれては、次に命を引き渡して死にゆく生き物たち。

トンボのヤゴはこの後羽化に失敗し、カナヘビのえさとなりました。

無事に羽化した蝶は、新たな世界へ羽ばたいてゆきます。

世界を自由に飛び回り、出会い、新たな命を生み出すことでしょう。

生命は、はかなくて、力強くて、美しくて、神秘的で、愛しくて。

羽化に失敗して死んでしまうものもいたり、

大人になる前に食べられて死んでしまういのちがあったり。

でも、すべてのいのちは、つながれた命をただひたすらに生き、

次に命をつないでその命を終えていきます。

大人になる前に死んでしまった命であっても、

別な生き物を生かすためのエネルギーとなったり、

土に返って、次なる命を生み出す栄養になったりするのと思うのです。

それは、同じ種を残すためだけの命ではなく、

あらゆる生物を生かすための命。

カナヘビを生かすためには、クモやバッタの命が必要で、

その、クモもまた、小さな命を奪いながら生きています。

バッタは草を食べますが、その草の下には土があり、土の中には無数の土壌生物や微生物がいます。バッタが死んだら、無数の小さな生物のえさになり、最後は草の栄養となります。

田んぼの水を汲むと、たくさんの微生物がいます。

小さくて、顕微鏡じゃないとはっきりとは見えないのに、それでも一滴の水の中に生きています。ただただ生きています。

そして、死んだのちは、その体が栄養となって、イネを育て、私達が食べるお米になります。

全ての命はつながって、他の命を生かしています。

生きるとは、そういうことなのかもしれません。

何のために生きるのか

再びこの問いを考えます。

生まれ落ちたその命、ただただ、生き続けるために生きる。

それも間違いではないでしょう。

せっかくこの地球に生まれ落ちた命、楽しまなければもったいない。

この地球を楽しみ、ありとあらゆることを楽しみ、

生を謳歌する。

生きてる実感を感じたい。

それも間違いではないでしょう。

ただ、生命の本質を自然の中から見たときに、

「他の命を生かすために生きる」

ということが、なんだか今の私の中で腑に落ちるのです。

母は、命を賭して新たな命を生み出します。

死んでなお、その体を子に食べさせる昆虫もいます。

人間だって、昔に比べて妊産婦の死亡率は低くなったものの、赤ちゃんを産むのは命がけです。2020年には、ほぼ 2 分に 1 回の割合で妊産婦死亡が発生しています。

そして、そんな命がけのドラマの中で生みだされたこの命。

私が生きているこの時間の中で、このいのちをどう使おうか。

それが、今回の宮崎駿の「君たちはどう生きるか」につながってくるのです。

君たちはどう生きるか

ネタバレになるので、多くは語りません。

ただ、この映画から私が受け取ったメッセージは、

今より、よりよい世界を築いていきたいということ。

それは、誰かが考え、作り上げられた今の延長線上にある世界ではなく、

争いや、嫌なこともいろいろある世界だけれども、

自分なりに自分が考えたよりよい世界を作っていくということ。

 

それぞれが、自分がこの世界が楽しい!

今よりちょっとだけ素敵な世界じゃないかと思える世界を作るために、

この命を使っていく。

 

そういうことなんじゃないのかな~、というのが、映画を観た私の感想。

 

それぞれに受け止め方は違うだろうし、「何のために生きているのか」という問いの答えも、それぞれの価値観、人生観で違うことでしょう。

「君たちはどう生きるか」も、答えのない問いです。

 

それぞれに思う、「私はこう生きたい」という人生を送ってゆくしかないのだと思っています。

 

 

生きてるとは

生命は進化する。

言い換えれば、変化する。

生きるという事は変化していくこと。

流れるように、流動的に。

地球も、毎年春夏秋冬ひとめぐりして、何も変わっていないようでいて、

実はものすごいスピードで動いてる。

太陽の周りを約時速10万㎞で公転し、

さらに、自転速度は時速約1700㎞。

さらに、太陽系は、銀河系の中を約864000㎞で移動している。

もう、それはそれは、ものすごい速さで動いている。

ってことは、今日の私と、昨日の私がいる場所は、ものすごい移動しているわけで、

昨日の私と今日の私は全く別の場所にいるわけです。

さらに、人間の細胞は、毎日ちょっとづつ生まれ変わっています。

人間の腸の細胞は数日で入れ代わり、

肌の細胞は約一ヵ月で入れ代わります。

ってことは、今の私と、一か月後の私は、別人になってるとも言えるのではないでしょうか?

 

生きているものは、常に変化し続けています。

 

流れが止まった時、いのちは止まる

生きるという事は、流動的に変化することだと思うのです。

木だって、ただそこに何年も何十年もたっているだけに見えて、

その枝は、毎年ちょっとずつ伸びて、根を大地に張り巡らし、大きくなっていきます。

その内部では、常に水が動いています。

水は大地から吸い上げられ、大気に流れていきます。

 

その、水の流れが止まった時、いのちは終わります。

 

人もまた、人の体内では常に血液は流れ、動いています。

水を飲み、汗やおしっこで排出します。

 

そう、生命は流れています。

 

川の流れのように、流れている水は腐りません。

船の中で水が腐らないのは、波で常に動いているからだと聞いたことがあります。

流れの止まった水は腐る=死ぬということなのかな。

 

生きるという事は、変化し続けること

生きるという事は変化していくこと。

動き続けていること。

流れ続けていること。

とどまることを知らず、

流れる水のように。

海に流れた後でもなお、波として動きつづけ、

大気に蒸発し、雲となり、雨となって降り注ぎ、循環していきます。

 

動き続け、循環し、変化していくのが自然の姿であるならば、

人もまた、自然な姿と言うのは変化していくことなのかもしれないと思うのです。

 

同じところにとどまり続けず、

変化を恐れず。

 

時に、とどまり、動けなくなることもあるけれど、

とどまり続けているように見えて、

実のところ、イモムシがさなぎになって、

さなぎの中で蝶に変化するように、

じっくりと、ゆっくりと変化している、ということもあるのかもしれません。

 

それまでの自分とは違う生き方に触れたり、

自分とは違う考え方に触れたり、

違う価値観に出会った時、

それまでの自分の価値観が大きく崩れ、

新しい世界が見えてくることもあります。

 

そんなとき、人は大きく変化します。

 

変化を楽しもう!

子ども達は、じっとしていることが苦手です。

子どもたちは常に動き続けています。

細胞が盛んに分裂し、変化の最盛期にあるからです。

そんな子どもたちを、本来は一つのところにとどめておくのは難しい。

遊びの中でも、常に刺激を求め、どうやったら今よりも楽しくなるか、

どうやったらもっと面白いかを探究していきます。

 

でも、いつの頃からか、変化を恐れるようになります。

 

現状にとどまりたくなります。

 

そのほうが楽だから。

 

変化するには、それなりのエネルギーがいります。

高い所から低いところに動く運動エネルギー。

重力に逆らって水を吸い上げる力。

エネルギーが不足していては流れること(動くこと)ができませんよね。

 

変化を恐れるのは、ある意味、エネルギー不足なのかもしれません。

 

時には休養して、よく眠り、おいしいもの食べて、お日様のエネルギーを体に取り込み、植物たちからもエネルギーをもらい、自分を満たし、エネルギーを充電する必要があります。

 

子ども達がエネルギーにあふれているのは、食う、寝る、遊ぶで、充分エネルギーチャージしているから。

食う。

寝る。

遊ぶ。

さらに、お母さんからの愛情のエネルギーチャージもありますからね。

毎日エネルギー使い果たすまで遊んでは、ご飯をたっぷり食べて、お腹も満たされ、お母さんに甘えて、ぐっすり眠り、次の日にはエネルギーがフルチャージされています。

大人も、子どものように、エネルギーを満タンにできたなら、変化を楽しめるようになるのかもしれませんね。