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昨日は終戦記念日でした。毎年、お盆と重なり、ご先祖様に感謝するとともに、戦争によって亡くなった方々への追悼と、もう、二度とあのような時代が来ないようにと、平和を願い、今ある平和に感謝して過ごされた方も多いのではないでしょうか。戦後72年。戦争を語ってくれる方々も、だんだん少なくなってきています。次の世代へと語り継いで今なければ、戦争の記憶は薄れていきます。子どもたちに、何があったのかを語っていかなければなりません。なぜ、戦争が起きたのか。戦争によって何が失われたのか。戦争により、日々の生活はどうなっていったのか。戦地に向かった人たちの想いに触れ、愛する人を戦地に送り出した家族の想いを知り、家や家族を失ってなお生き延びてきた方々の必死に生きてきた時代を知る。だからこそ、今ここにある平和と、幸せに感謝できる。そういうことを伝えていかなければならないと思います。
戦争を知ること
原爆の悲惨さは、原爆の資料などで、多くの人が見聞きして知っているところです。でも、同時に、戦争によって、どれだけ多くの人が犠牲になり、苦しんできたかを知ることも、大事なことです。
特攻隊で散っていった人たち。出撃するに先立ち、残した家族への手紙や、書の数々から、国のために死んでゆくことの名誉よりも、残していく家族への想いや、無念や、死にたくはなかったという本当の想いを知ることができます。
当時、浮浪児と呼ばれて疎まれた戦争孤児出会った方々の話に触れると、戦争によって親や兄弟、家も失い、行く当てもなく、ただ生き延びるために必死であったと言います。
朝日新聞デジタル「戦争を語る2.孤児たちの遺言」
より一部抜粋。
「当時5年生だった男性は、集団疎開から戻った上野駅で迎えがなかったそうです。パニック状態になり、焼け跡で家族を捜しても見つからず、日が暮れて駅に戻りました。『生きていないと親に会えない』と思い、盗みを始めたと打ち明けてくれました。同じ境遇で一緒に地下道にいた3年生の男の子は、何日間も何も口にできず、『お母さん、どこにいるの』と言った翌日、隣で冷たくなっていた、と。いったん親戚や里親に引き取られても、重労働や虐待に耐えかねて家出をして、浮浪児になった子も数多くいました」
「いったん平和が失われたら、子どもの命は守れない。いまが正念場です。戦争孤児の問題は過去のできごとではなく、未来の子どもたちの問題です。終わりなき悲しみを子どもたちが二度と味わうことがないように、最後のチャンスと思って、伝えたい」
私の小学校時代の担任の先生もまた、戦争経験者でした。当時、私たちに話してくれた言葉が、今も心に残っています。
まだ10代だった先生は、夜通し作戦の場所に向かって歩かされ、眠くて、寝ながらひたすら歩いていたこと。目的地に着き、手りゅう弾を抱えて道に潜んで、敵の戦車が来たら、そのキャタピラの下に突っ込むようにという命令だった。手りゅう弾を抱えて震えながら夜を過ごしたこと。ただ、先生は、二手に分かれた分かれ道の一本にいて、たまたま戦車は反対側の道へ進んで、先生の待つ道には戦車が来なかったため、先生は生き延びたこと。
面白い先生で、笑い話のように話してくれていたので、小学生だった当時は、面白い話として聞いていたように思います。でも、改めて先生の話を思い返す時、10代の子供が、爆弾を抱えて夜を過ごすのはどんな気持ちだったろうかと。一人の命が捨て石のように使われた時代。子どもが上官に逆らえるわけもなく、死にゆくことしか選択できなかった時代。
当時、13歳から19歳までの少年兵が42万人もいたと言います。学徒動員(大学生)12万人。大人と同じように戦わされ、軍にとっては習熟していない少年兵は消耗品。特攻の多くはそんな少年兵であったとも言います。
大人はもちろんのこと、子ども達までもが戦わなければならないなんて、そんな戦いは、もう二度とするべきではないと思います。
子ども達が守られていく世の中であり続けてほしいと、切に願います。
平和な未来のために、私たち一人一人ができること
去年の終戦記念日に書いたブログです。
去年は朝の連続テレビ小説で、「ととねえちゃん」をやっていて、戦争で失われていった、何気ない日常の幸せが、どれほど大切だったか、それこそが、守るべきものだった、というようなことが語られていました。
日々の暮らしを大切にすること。
きれいな川で遊んだ子ども時代。
田んぼにうごめく生き物たち。
笹船を流し、誰が早いか競走したり。
花冠を作ったシロツメクサの香り。
山に登って、足下に広がる見渡す限りの森の木々。
海に連れていってもらい、足にまとわりつく波と砂の感触。
トンボを捕まえるのに夢中だったこと。
焚き火や、薪ストーブの柔らかな灯りとけむりの臭い。
暗くなるまで友達と走り回って遊んでいたこと。
雨に打たれてびしょ濡れになったこと。
川の中に光る魚を捕まえようと格闘したこと。
家族で囲んだ賑やかな食卓。
子ども時代の体験が、豊かであればあるほど、幸せな子ども時代がよみがえります。草いきれの匂い。泥や砂の感触。いっぱい遊んで、家に帰ってきたときの安心感。
それらが多ければ多いほど、守るべきものはそこにあったと気づくことが出来ます。
心の中に息づく故郷の情景は、そのまま守りたいもの、大切なものなるでしょう。
子ども達に伝えていきたいこと
だから、子ども達には、折に触れ、戦争の話を伝えていくのと同時に、日々の暮らしを楽しみ、たくさん遊んだ遊びの中で、大好きなものを増やしていていくのが、平和のために私たち一人一人ができることだはないのかと思っています。
戦争の絵本や本、アニメや漫画、映画でみてもいい。今なら、インターネットで、たくさんの戦争体験や、戦争での証言を見聞きすることができます。
戦争に関する漫画で有名な「はだしのゲン」は、図書館でも借りられるところが多いです。
「この世界の片隅に」は、8/30まで、Yahooプレミアム会員に登録すると視聴することができます。
「火垂るの墓」や、「永遠の0」「男たちの大和」「硫黄島からの手紙」などの映画を観るのもいいでしょう。
戦争や平和の絵本については、こちらのブログでも紹介しています。
どんなものでもいい。戦争は、幸せを奪い、怒りを生み、悲しみを生むものだと、伝えてほしい。
子供時代、毎日のように友達と駆け回った故郷。後々の記憶に残っていく原体験。バカなことやって笑いあった仲間。あったかい家庭。それがあるからこそ、そういう幸せだった地域を守りたい。仲間を守りたい。家族を守りたい。大事にしたい。そう思えるのだと思うのです。
今年の終戦記念日は終わりましたが、戦争について語ることには終わりはありません。
夏休みに、そういうことを子どもに伝える機会を持ってほしいと思います。