虹の戦士~インディアンの教えから学ぶ地球を救う生き方

アメリカ・インディアンに古くから伝わる言い伝えがあります。
地球が病んで    動物たちが姿を
消しはじめるとき   まさにそのとき
みんなを救うために   虹の戦士たちが
あらわれる

『虹の戦士 』翻案 北山耕平

原作者不明の物語はアメリカ・インディアンたちの間でストーリーテリングとして、口伝えで、それぞれの部族の間で伝えられてきた物語です。
インディアンである1人の老婆とその血を引いた少年が出会い、1つの大きな疑問を老婆になげかけます。答えを探すために少年は自然に触れ様々な経験と鍛錬で自然の中からインディアンのスピリットを身につけていき、答えを導いていくのです。
そして、インディアンの教えは、これからの地球を救う生き方そのものなのです。

虹の戦士とはどんな人か?

 

「虹の戦士」の本のあとがきに、こんな言葉があります。

『虹が何か知っているかな?大空にかかる、美しい色をした弓。戦士とは、勇気ある者たちのこと。恐れる代わりに、勇気を持つ者たちのこと。

いづれ、動物たちは姿を消し始めるだろう。熊も、オオカミも、鷲も見なくなるだろう。姿を消しさるのは、動物ばかりではない。大きな木たちもまた消えていく。人々は互いに争うことばかりで、愛し合うこともなくなるだろう。空にかかっていた虹は色あせ、人々は虹を目にすることもなくなるだろう。

そうなったとき、一群の子供たちが現れる。

子の子供たちは動物を愛する。消えた動物たちを呼び戻すことになるだろう。この子どもたちは木を愛し、もう一度大きな木を呼び戻すことになるだろう。この子どもたちは人間として互いに愛し合い、もう一度人々が互いに平和で暮らせるように力を貸すことになるだろう。この子どもたちは、空にかかる虹を愛する。もう一度大きな虹を大空に呼び戻してくれるだろう。だからこそ、我々インディアンはこの子どもたちのことを「虹の戦士」と呼ぶのだ

そこで、君たちに質問したい。君たちは動物が好きかな?それとも嫌いかな?

では、木はどうかな?木は好きかな?嫌いかな?

人間はどうだ?人間が好きかな?嫌いかな?

では、君たちは虹が好きかな?嫌いかな?

そうか、そうか、動物が好きで、木が好きで、人が好きで、虹が好きか。

それならば、君たちが虹の戦士だ。虹の戦士として勇敢に生きなければならない。』

この、インディアンに伝えられる物語は、私の心に、小さなともしびをつけました。

止まらない自然破壊。野生動物たちは絶滅の道をたどり、世界のあちこちで、いまだになくならない戦争。人を信じてはいけないというような風潮。人が人を傷つける痛ましい事件。そんな世界は、子どもたちに残していくべき世界ではないと感じるけれど、私一人に何ができるのだろうかという無力感を感じることも。

でも、希望はここにあるのかもしれないと思えた。

一人一人が虹の戦士であるならば、世界を変えることができるのではないかと。破壊の進む地球を救うことができるのではないかと。

兵士とは、自分の周りの人(上司、先生、目上の人など)の言葉を素直に受け止めて、従順に行動するタイプの人。つまり、自分以外の誰かの意志を自分の行動に移せる人。

一方、戦士は、誰からの指図も命令も受けない。自分が望む社会を実現するために、自主的に何かを始められる人。

だからこそ、自分の内から湧き出る信念に従って、自分が望む社会を実現するために勇敢に生きる虹の戦士として生きる子どもたちがたくさん増えてくれたらいいと、思っています。

子どもたちが自然に触れ、自然に学ぶ機会をもつこと

環境破壊や、争いのない世界の実現のために、今の私たち大人のできることは、自分たちの子供、さらにはその孫の孫の世代まで、インディアンの言葉を借りると7代先の未来まで見据えて、今の子供たちを育てていかなければならないということ。

そのためには、子どもが小さなうちから、自然に触れ、自然から学ぶ機会をたくさん持つ必要があるのです。自然に生きるたくさんの命を感じる必要があるのです。

子どもたちが好きな食べ物といえば、ハンバーグや、焼き肉。お肉が好きという、大人はもちろん、子供もたくさんいます。でも、一方で殺されていく命を感じる場面はあるでしょうか?大切な命をいただくから、「いただきます」。私の血となり肉となり、私を生かしてくれるこの命にありがとう、そういう意味のこもった「いただきます」は、実感を伴うことはあるでしょうか?

自然に触れ、小さな生き物でもいい、そこに生きている虫たちを捕まえ、時には殺してしまい、後味の悪さを覚えることも、一つの大切な体験です。お花を摘んで、置いておいたら枯れてしまった。根がないと生きられない、お水がないと生きられない、そんな植物たちを身近に感じる経験も必要です。雨ばかり続くとうんざりするけど、田んぼの中をのぞけば、そこには無数の小さな生き物たちがうごめいていて、田んぼの水を落とした後には、たくさんのオタマジャクシが死んでいたりして、水がなければ生きられない生き物の姿を目にしたり、日照り続きで雨が降らない日が続くと、学校の校庭は砂埃だらけで、雨のありがたさを感じるものです。鳥や虫、カエルが鳴く声を聴き、木々を揺らす風を感じ、緑の中に暮らす虫たちを見て、触れて、雨の音を聞き、川の流れを感じ、おひさまの温かさを感じる。

植木鉢に植えてある植物には、毎日水やりしないと枯れてしまうのに、外の世界に当たり前にある、雑草や、木々は、毎日水やりしないのに枯れないのはどうしてなんだろう?土の中は乾いているようだけど、植物たちは、どうやって水を吸い上げているのだろう?

水槽の金魚には毎日餌をあげないと死んじゃうのに、田んぼのオタマジャクシや、ドジョウは、何を食べて生きているんだろう?

自然に触れることで、湧いてくる何気ない疑問。自然に触れているから感じることは、机の上で学ぶ知識としてではなく、生きた経験として、積み重ねられていきます。

ただ学校で、「自然を大切にしましょう」と、言われるだけでは感じられない、心の中から湧き出る思いは、自然に触れることでしか生まれてきません。そこに生きるものが確かにいるから、自然を守ってやりたい。そこに、美しい花が咲いているから、ごみが落ちてたら気持ちが悪い。当たり前のように、そういう心が育っていくためには、たくさん自然に触れる必要があるのです。

虹の戦士のスピリットは、一人一人の心の中にある

 

~地球が病んで    動物たちが姿を
消しはじめるとき   まさにそのとき
みんなを救うために   虹の戦士たちが
あらわれる~
冒頭のインディアンの言葉をもういちど振り返るとき、虹の戦士は、ただのインディアンに古くから伝わる言い伝えではなく、私たち一人ひとりの心の中に、虹の戦士のスピリットを持つことができると感じています。たとえ、自分自身が虹の戦士になれなかったとしても、そんな子供たちを育てていくことも、私たち大人の役割なのではないかと思うのです。
このお話の最後に、老婆は語ります。
「愛と喜びをみんなの間に広げることだけが、この世界の憎しみを、理解とやさしさに変えることができる。この世界から、いっさいの戦争と破壊をなくするために、残された道はもはやそれひとつしかない」と。