子どものしつけと一口に言っても、肘をついてご飯を食べないとか、箸を振り回さないとか、食事の時はきちんと座ってとか、そんな食事のしつけ、あいさつ、起きたら布団をたたむ、靴をそろえる・・・等々、いろいろあります。家庭によっても、他の家では何ともないけど、自分の家では許されないルールというのもあると思います。
今回は子どものしつけについて考えてみたいと思います。
食事のしつけ
日本人には日本人ならではの食の作法があります。
お膳の配置の仕方も、ごはんは左、汁ものは右。主菜は汁物の上で、副菜はご飯の上。お箸は手前に、右を持ち手側に置くこと(箸先は左)。
左にご飯、右に味噌汁が基本です。
食べる前には手を洗い、「いただきます」とあいさつし、食べ終わったら「ごちそうさまでした」とあいさつする。
お箸はそもそも魂が宿ったものとされていて、箸の作法にも、嫌い箸と言っていろいろやってはいけない所作があります。
刺し箸(食べ物を突き刺す)、
仏箸(ご飯にお箸を立てる)、
叩き箸(箸で茶碗をたたいたりする)、
振り上げ箸(箸をもって手を振り上げる)、
指し箸(箸で人を指さす)、
迷い箸(どれを食べようか、箸をうろうろさせる)、
受け箸(箸を持ったままおかわりする)、
渡り箸(いったん箸をつけたのに食べずに違うものに箸をつける)、
せせり箸(とがった先で繰り返しつつく)、
ねぶり箸(箸をなめまわす)、
探り箸(汁椀の底に具が残っていないかと、箸を椀の中でかき回して探る)
かみ箸(箸をかむ)
など、まだまだたくさんのマナー違反があります。
ただし、お国が違えば、マナーも違います。私たちは日本に生まれたからこそ、日本の食の文化を子ども達に伝えていかなければと思います。文化は伝えていかなければ途絶えてしまいますから。
そういった、食事は毎日のことなので、食事の作法を伝えていくのは、やはり家庭の役割ではないかと思うのです。
我が家では、毎日のご飯の配膳を子どもたちに手伝わせています、ごはんは左で、みそ汁は右、お箸は手に持つところは右側というようなことを、自然に覚えていきます。
その他、食事のたびに、肘をついて食べないとか、犬食いせずに、お茶碗を左手で持って食べるとか、お話しに夢中になって箸を振り回していたら、お箸を振り回さないように注意したり、嫌い箸や、子どもの気になる作法は、その都度注意しています。
それと、これは、我が家のルールで、『食事中はごちそう様するまでは立ち歩かない』とか、『美味しいものは美味しいと言って食べ、好きじゃないものや、おいしくないと感じるものがあったときは、だまって何も言わずに食べななさい』というルールがあります。
我が家は6人家族。それまで何も言わずに普通に食べていた子でも、誰か一人、「なんかこれ、味変じゃない?」と、言った瞬間、「ほんとだ。なんか変。」と言って、食べなくなってしまうことがあったから。一人が食事に文句をつけた瞬間、みんながそんな気になってしまう、ということがよくあったから。
それに、喜んでもらおうと作った食事を、けなされるのはやっぱり、腹が立つし、悲しいですから。
うちのルールですが、よそでも、絶対そういうことは言わないようにと、私はきつく言います。
誰でも、作った料理をおいしいと褒めてもらえたらうれしいです。けなされたらがっかりします。それも、”作ってくれた人”に対するマナーだと思っています。
子どもたちが大人になり、好きな人ができて、食事を作ってもらったとき、「なんかこの味変じゃない?」「これ、俺ムリだわ」なんて言われたら、もうそれだけでケンカになってしまうかもしれません。大好きな人に、おいしいと言ってもらえるように、健康を考えて作った食事ならなおさらです。
アレルギーや、菜食主義などの事情がある方は除きますが、単なる好き嫌いや偏食は、やはりできるだけ少ない方が、栄養や発達という面から見ても、大人になってからも困らないんじゃないかと思います。
おうちに遊びに来た子におやつを出しても、「あ、おれ、これムリ(アレルギーとかではなく)。この味苦手」とか、お泊りに来て、出された食事も、「これ、ムリです」と言ってお箸すらつけない子、お箸をつけたけど、残してしまう子、今まで、いろんな子を見てきました。好き嫌いや偏食の多い子は、普段から好きなものしか食べないし、おうちの方も、残されるくらいならと、好きなメニューしか出さないというおうちの子もいました。
でも、そうなると、極端に食べられるものが少なくて、出す方も困ってしまうということもありました。
そして、うちにはよく、旅人が泊りにやってきます。ほとんどの方は、好き嫌いなく、出されたものはおいしいと、何でもよく食べてくれます。好き嫌いがないと、どこへ行っても、何を出されても、困ることがなくていいものだな、と、彼らを見て思います。
最初から、アレルギーがあるとか、マヨネーズが苦手ですとか、お肉は食べないんですとか、伝えてくれると、用意する方も助かります。
でも、嫌いなものがないに越したことはないな、と思うんです。
出されたものをありがたく感謝していただける、そういう子にしていくのが躾なんじゃないかな、って思います。
嫌いなものを食べてもらうには、きっと、みんな苦労していると思います。細かく刻んで、濃い味のものに混ぜてみたり、そこは、研究するしかないかもしれません。
苦手な野菜を畑やプランターなどで育てて、収穫して、調理を手伝わせて、食卓に出す、という、一連の過程を通して、「〇〇ちゃんが一生懸命お水あげて育てたお野菜だから、一口でいいから食べてみよっか?」って、促してみるのもいいかもしれません。「〇〇ちゃんのお世話してくれたお野菜、おいしい~♡」って、ママが喜んでみてもいい。
「〇〇ちゃんの切ったお野菜、おいしいね」って、調理したことをとりあげてもいい。
あの手この手を使って、苦手なものでも、少しづつ食べられるようになるといいですね。
ちなみに、私は、子どものころ、ナスが嫌いでした。でも、「ナス食べると美人になるんだって!」という母の言葉に騙されて(?)食べられるようになりました(笑)。
末っ子も、実はナスが苦手ですが、トマトソースでグラタン風にしたものは、おいしいと言って食べてくれました。どんな調理の仕方なら食べてくれるか、どんな言葉がけで食べてくれるかは、一人一人違うので、試行錯誤が必要ですね。
基本的には、ご飯もおかずも、器に、ちょっぴりだけ、食べきれるような量を盛って、残さず食べられるようにすると、全部食べられた!っていう自信が持てるので、おすすめです。もっと食べたかったらおかわりがある、というぐらいの方が、多い量を泣きながら無理やり食べるよりいいです。
食事は、楽しく、楽しく。
『絶対残しちゃダメ!!』というママの強力なプレッシャーも、食欲を落としてしまうので、できるだけ、楽しい雰囲気で食べたいですね。
食べる環境も、テレビを消して、おもちゃとか、気になるものは子どもの視界に入らないように座る位置を工夫するとか、食事に集中できるようにしてあげるひと工夫も必要です。食事は楽しいと思えたら、もう大丈夫です。
毎日のあいさつは当たり前のように
朝起きたら「おはよう」。
出かけるときは「行ってきます」「いってらっしゃい」
帰ってきたら「ただいま」「おかえり」
ご飯食べるときは「いただきます」食べ終わったら「ごちそうさま」
寝るときは「おやすみなさい」
あいさつは、一日の中でたくさん交わされます。まずは、大人から、しっかり挨拶しましょうね。
そして、それぐらい、当たり前にやってるよ、っていう場合でも、
お友達の家に行ったときは「こんにちは」「おじゃまします」。
何か食べ物をもらったら「ありがとうございます」。
っていうのは、なかなかできなかったりする子もいます。
よその家に上がって、靴は脱ぎ散らかして玄関にばらばらになってたり、
ピンポンもせずにいきなり家に上がってくる子も。
家に上がったら上がったで、よその家の冷蔵庫や戸棚を勝手に開ける子も。
家庭でも、きっと「よそのおうちに行ったら、こんにちはって、あいさつするんだよ」
「帰るときは、おもちゃちゃんと片付けておじゃましましたって、言って帰るんだよ」と、伝えていると思いますが、それができるかどうかは別で、やっぱり繰り返しそういう場面を作っていかなきゃならないのかなって思います。
挨拶なしで入ってきた子には、こっちから「こんにちは!」って、顔を見て挨拶するし、「入るときは、おじゃましますって言うんだよ」っていうときもあります。
「のどかわいた~。」って訴えてくる子には、「で?どうしてほしいの?」って聞いて、「そういう時は、お茶(お水)下さいって言ってね」と、お願いします。
玄関の靴がひどいときは、「みんなの靴がばらばらだよ。」って、きちんとそろえておいてあげたり、黙って帰ろうとする子には、「じゃあ、またね。気を付けて帰ってね」と、声をかけると、「さようなら」って、自然に声に出してくれる子も。
毎日の繰り返し。自分の家庭だけじゃなく、よそのおうちに行くと、よそのおうちのルールがあるんだ、って、気づくこともできるので、気になることは、その都度子供に伝えてあげてほしいと思います。
上の子たちが小学生のころ、少林寺を習っていました。少林寺では、『脚下照顧(きゃっかしょうこ)』といって、自分の足元をよくよく見よというおしえがありました。その一番手始めに、玄関では、靴はきちんとそろえて脱ぐように教えられました。
脚下とは自分の足下。自分の足下を顧みるとは「我が身」や「我が心」を振り返れ、自分が今どうゆう立場にいるか、よく見極めて事に当たれと言うことです。
日常生活も修行の一部です。どんなに忙しいときでも、履物をそろえて脱ぐくらい、心のゆとりが欲しいものです。
心にゆとりが出来れば自分自身の姿もよく見えてくるでしょう。自分の履物をそろえることは、そのまま自分の心の整理整頓となります。自分で履物をきちんとそろえて脱げるようになったら、他人の履物の乱れも直してあげるといいですね。
子どもは、身近な大人の姿を見て育ちます。
大人が子どもの前でも平気でごみをポイ捨てするなら、子どもも、当たり前のようにお菓子のごみを捨てるでしょう。
子どもが元気に挨拶しても、無視する大人がいたなら、なんだ、挨拶なんてしなくていいのか、ってなってしまいます。身近な子どもに、挨拶してあげて下さいね。
大人になったとき困らないように
しつけをするのは、子どもがいつか社会に出たときに、困らないように。そういう想いがありるからです。
かつて、ハチャメチャな子だけど、挨拶だけはしっかりしている子がいました。その子が成人した今、周りの大人にずいぶんかわいがられているみたいです。バカな事ばっかりやってたけど、目上の人にはしっかり挨拶できる子でした。それだけで、お前は面白いやつだと、かわいがってもらえる。
私は、お箸の持ち方が下手です。正しく持てません。でも、結婚式や、葬式など、正式な場面で会食するときは、お箸をきちんと持てない自分がとても恥ずかしいんです。小さいうちに直しておけたらよかったな~と思います。
あちこち旅をする息子ですが、好き嫌いがないので、どこへ行っても、なんでも食べられます。これが、食べられないものがいっぱいだと、絶対困るだろうと思うんです。
大人になってから、長年染み付いた癖を治すのは大変です。でも、小さなうちなら、比較的簡単に直すことができる。偏食も、箸の持ち方も、あいさつも。
しつけは、漢字で書くと身を美しくすると書いて『躾』です。
自分の思い通りにするのはしつけではないと思っています。よく、しつけのために体罰してると言いますが、それは、しつけではなく、ただの暴力。
そこのところを、心にとめておいてほしいな~って思います。