子供たちの幸せな未来を作る、Happy Childrenの新藤幸子です。
四人の子供の母であり、小学校と中学校のアシスタントティーチャーをする傍ら、自由な子供の遊び場として、夫婦でプレーパークや自然体験活動、読み聞かせ活動などをやっています。
夫婦で活動しているHappy Childrenに込めた想いをお伝えします。
プレーパークって何?
東京都内や、関東などでは知名度もあるプレーパークですが、ここ、青森県では、まだできたばかりで、知名度も高くはありません。
プレーパークとは、子供たちが、安全に、既存の設備や遊びのプランの選択肢に縛られることなく、自由に自分たちのアイディアとスタイルで楽しみ、発見や創造する喜びを味わえる、冒険遊び場です。
デンマークで発祥し、日本では、東京世田谷の羽根木プレーパークをはじめとして、日本全国に広がってきています。
汚いからやめなさい、危ないからダメ、というような禁止事項を極力なくし、子どもたちが「自分の責任で自由に遊ぶ」ことをモットーに、工具や自然の素材等を使って自分のしたいことを実現できる遊び場としてプレーパークがあります。
プレーパークでは、木に登ることもできるし、泥だらけになってもいい。秘密基地を作ったり、穴を掘ってみてもいい。木工や段ボールや絵の具、そこにあるもので、自分の自由な発想で遊ぶこともできるのです。
なぜ、子供に自然体験が必要なのか?
私たち夫婦は、大学時代探検部で知り合いました。山登り、川下り、サイクリングに洞窟探検、クライミング。いろんなことに挑戦しました。やったことのないことに挑戦することは、楽しく、毎日が刺激的でした。
山の中でキャンプし、夜は満天の星空の中、たき火を囲み語り合う。自然の素晴らしさと、怖さを知りました。
ヒッチハイクで、北海道を歩いたり、旅先で、いろんな人に助けられ、人の温かさを知りました。
そんな経験を経て、結婚した私たち夫婦に子どもができると、自分たちが経験してきたことを、子供たちにも経験させたいと思うようになりました。それほど、楽しく、すばらしい経験だったからです。
自然な暮らしは、私たちの中では、当たり前のことでした。美しい自然を、そのまま子どもたちに残していくためには、自然にインパクトを与えない暮らし方が大切だったし、小さなうちから、五感を使って、自然と触れ合うことは、とても大切なことだと思いました。
そこで、気の合う友人家族と、よくキャンプに行きました。子どもたちは、自然の中で、これでもかというほど、よく遊びました。子どもに備わっている、遊ぶ力、生きる力をまのあたりに見てきました。そうして、自然の中で遊びを見つけ、遊びを生み出していく子供たちは、本当に生き生きとしていたのです。
ところが、子供たちが小学校に上がると、スナック菓子片手に、ゲーム三昧の子供たちが、周りにはたくさんいました。すぐに「疲れた~」と言って座り込む子供たち。
何かが違う。子どもたちの「疲れた」は、「やることがなくてひま」なんです。ゲームしてても満たされない。ただの時間の浪費でしかない。
本当に楽しければ、「まだ帰りたくない」「明日も遊びたい」「この続き、明日やろうぜ」って、そうなるはずなんです。本当は、子どもたちの遊ぶ力は無限大なんです。
そう思ったとき、私たち夫婦は、自分たちの子供だけじゃなく、周りにいる、たくさんの子供たちに、思いっきり遊べる子ども時代に、たくさん自然に触れてもらいたい。自然の美しさを感じてほしい。そういう想いで、春の森でのキャンプや、ホタル観賞しながら川遊びキャンプを企画してきました。
そして、日常の子供たちの居場所として、自然遊びの延長線でもある、プレーパークを始めたのです。
私の生い立ち
私は、弘前の城下町に生まれました。家は鍛冶屋で、小さなころから裏の工場では、ガシャンガシャンと、鉄を打つ機械の音が響いていました。
おじいちゃん、おばあちゃん、父、母と兄と姉、私の7人家族で、日中は働く父母と遊んだ記憶も少なく、おじいちゃんおばあちゃんに末っ子としてかわいがられて育ち、女の子ながらやんちゃでいじめっ子、気が強い子供時代でした。
機械油と汗で真っ黒の気難しい父と、あっけらかんと笑って働く能天気な母の元、自由奔放な子供時代を過ごしました。ちょっと裏に行けば岩木川が流れる河原があり、もっぱらそこが遊び場でした。
父と母は、忙しいながらも、時々キャンプに連れて行ってくれたり、山菜取りに連れて行ったりしてくれました。その時のわくわくした思いは、今も心に残っています。
当時、鍛冶屋だけでは暮らしていくのもきつく、私が小学5年生の時、代々続いた鍛冶屋をたたみ、父は千葉へ出稼ぎに行くようになりました。6年生の時には、おじいちゃんおばあちゃんと、当時高校生だった兄を残し、家族4人、千葉へ引っ越し、そこで3年を過ごします。
そのころ住んでいた社宅は11階建て。自然も少ない中で、唯一社宅の前にあった木に登るのがとても好きでした。
その後、中3の時に再び弘前に戻ってきて、地元の高校、大学へと進学します。大学に入り、何の部活に入ろうかとチラシを見ていると、『探検部』という文字が目に飛び込みました。
いったいどこを探検するんだろう?何をやるんだろう?わくわくしながら、探検部のドアをたたいたのです。それが運命の扉でした。
白神山地を主なフィールドに、毎週のように山に入り、キャンプの楽しさがやみつきになり、山のバイトを通じてマタギの工藤光治さんと出会い、山で暮らすマタギの知恵を教えてもらったこと。山仲間で、岩木山のスキー場開発の反対運動に加わったこと、自然の美しさと、その環境を守りたい、そんな思いを抱くようになりました。
入学当時、主人は大学院の1年。探検部の先輩後輩として出会い、卒業後結婚し、四人の子を授かります。
子供に対する想い
四人の子育てをする中で、今の子供たちの遊びの環境が、あまりにも自分たちの子供時代と比べると窮屈で、この子達、どこでどうやって遊ぶんだろう?と、思うようになりました。
ボール遊びをすれば、車にぶつかるからやめなさいと怒られる。
走り回って鬼ごっこすれば、飛び出して来たら車が危ないと怒られ、川で遊べば危ないからやめなさいと怒られる。ちょっと騒ぐとうるさいと言われることも。
じゃあ、この子達はどこで遊べばいいの?
安心して遊べる場所がないじゃない!
そう思ったとき、そうか!
ないなら、自分で作ろう!
そう思い立ち、自宅の庭を子どもたちの遊び場に開放することから始めました。
毎日のようにやってくる子供たち。
そんな中、全く大人のいうことを聞かないような悪ガキも来るようになり、その子たちとかかわる中で、どんなに問題児だと言われるような子供でも、自分のことを見てほしいんだ。わかってほしいんだ。認めてほしいんだ。っていうことに気が付きました。
何をやっても、温かく見守ってくれる人、認めてくれる人が、子供たちには必要なんだ。そこに気が付いたころ、温かく見守る大人がいる中で自由に遊べる場、お互いを認め合える場として、プレーパークをやっていこう、そう思ったのです。
ママたちをHAPPYに
子供への想いがふくらむと、ママたちを笑顔にしたい。ママたちを幸せにしたい。そんな思いから、耳つぼジュエリーや、誕生日鑑定、料理教室や自然療法の教室も開催しています。
ホメオパシーや民間療法など、病気になったときに、自然治癒力を上げる方法を勉強し、自然食で、日々の家族の健康を守ることもまたお伝えしています。
Happy Childrenに込めた想い
どの子も、幸せな未来を生きられるように。
子供たちが笑顔で子供時代を過ごせるように。
子供を温かく見守る大人がたくさんいる地域で子どもたちが育つように。
夢や希望をもって、旅立つ大人になれるように。
子供たちが幸せな社会は、大人も幸せな社会です。
逆に、子育てにかかわる大人がhappyなら、子供たちもhappyでいられます。
お母さんがニコニコしてれば、それだけで子どもたちはhappyです。
そんな、子供も大人もhappyな世界を作っていこう。
それが、私たち夫婦がHappy Childrenに込めた想いです。