庭には、長男が3歳ぐらいに拾ってきたドングリの木があります。
たった一粒のどんぐりが、今では屋根ほどにも大きく育ち、毎年、次なるいのちの源である実をたくさんつけます。
たった一粒のどんぐりが、20年かけて、これほどまでに見事に大きくなる様子を眺めてきて、感動を覚えています。
あの小さなどんぐりの中には、こんな大きな木になるための情報が全て詰まっているのだと。
完璧にプログラミングされている実。
それが、どんぐりであり、種であり、人で言うなら受精卵です。
あんな小さな種が、全ての情報を持っていると思うと、生命の不思議を感じます。
自然な姿、宇宙の理
種には、すべての情報がプログラミングされています。
どんぐりは、コロコロコトンと落ちたその場所で芽を出します。
地中深くに根を伸ばし、お日様を求め、まっすぐ空に向かって伸びていきます。
でも、たまたま種が落ちた場所に障害物があったり、日当たりが悪かったりして、曲がってしまうことはあります。
でも、木は、お日様に向かって伸びようとします。
障害物を避けながら曲がって伸びたり、日当たりが悪くて、他の木に比べて小さくてひょろひょろだったとしても、なんとか上に伸びよう伸びようとします。
それが自然の姿です。
種を、私達自身におきかえ、種が落ちた場所を、生まれた環境と考えてみてください。
お日様は愛、宇宙の真理と考えてみてください。
どんな環境に生まれたとしても、人は、まっすぐ愛を求めて伸びていきます。宇宙の真理に向かって、伸びていこうとします。
それが自然な姿です。
でも、その自然な姿になろうとするのを、生育が悪いからと栄養剤をたっぷりいれたり、曲がった木をなんとか、まっすぐにしようと押さえ込んで縛り付けてみたり、時に、曲がったものはダメだと切り落としてしまったりします。
一番大事なのは、日当たりを良くしてあげることなのに、形ばかりまっすぐにしようと頑張っってしまったりします。
曲がりながらも、たくましく伸びて行く姿は、自然界の中では、美しくさえもあるのに。
そして、森の中で、植物同士の関係を見るとき、そんなたった一粒の小さな小さな実から、大きく育った木々が、お互い枝が重なり合わないように枝を伸ばし、調和し、共存している様子を見ることが出来ます。これをクラウン・シャイネスというようです。
自然界の中では、一本の木だけ、お日様を独り占めしようなんてしない。
みんながそれぞれお日様を受けられるように、ちょうどいいように枝を伸ばしていくのです。
そして、そんな森の中では、様々な生き物たちが、やはり共存しながら生きています。
そしてその根元には、冬が来て、落ちた葉っぱでふかふかの土ができる。
土の中にも無数の微生物がいる。
地中には木々が蓄えた豊かな水がある。
それもまた、完璧なまでの自然のシステム。
では、人はどうでしょう?
自分ばかりおひさまを独り占めしようとしていないだろうか?
自分ばかりおひさまを独り占めしようとするあまり、山を丸裸にし、水が蓄えられないやせた大地は、ひとたび大雨が降れば、土砂崩れしてしまう。
自分ばかり勝とうとするあまり、その陰で、弱い国を貧困に追いやってはいないだろうか?
自分ばかり独り占めしようとするあまり、地球を傷つけてはいないだろうか?
それは、自然のシステムに逆らっていないだろうか?
そして、まっすぐ伸びようとしている枝を、無理やり望む形に押し込めようとしてはいないだろうか?
自然なままに、まっすぐ伸びられるように、お日様(愛)をたっぷりそそぐこと。
共存共栄していくこと。
それが自然の姿。宇宙の理なのではないでしょうか?
ことばから考えてみる
先ほど、お日様を、愛や宇宙の真理に置き換えてみましょう、と書きました。
日本語で「ひ」という時、
日、陽、火とあらわしますが、もう一つ、「ひ(霊)」という意味もあります。
「ひ(霊)」は、いのちの根源的な力であるといわれます。
「ひ(霊)」は、エネルギーの源です。
いのちの根源的力とは何だろうかと考えるとき、それはやはり「愛」であると思うのです。
「ヒ」とは霊(ひ)のことであり、「ト」は停めることや止めることを意味します。
つまり「ヒト」とは、身(体)に霊(ひ)を留めた存在だから、「ヒト」という日本語ができています。
料理に火を通すことを、「火を入れる」と表現します。
「火を入れる」とは「ひ(霊)を入れる」ことです。
おむすびは、もともと神道の概念で「結び」「産霊(むすひ)」からきているとも言います。
古事記の「たかみむすび」、「かみむすび」、「あめのみなかぬしのかみ」の三神を結ぶと。
霊(ひ)を結ぶから「おむすび」。
「ひ(霊、愛)」を宿した体が人であること。
アインシュタインが言っていました。
「愛は光である」
「愛は力だ」
「神は愛で、愛は神だ」
「愛こそが生命の神髄だ」
と。
自分の中心に、根源的な「ひ(霊、愛)」をちゃんと持てているでしょうか?
昔は、「ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ、とお」と数えました。
「ひ」からはじまり「と」で終わる。
一から始まり十で結ぶ。結んだら新たな一が産まれるわけです。
はじまりは「ひ(霊、愛)」なんだと、昔の人は知っていたのではないでしょうか。
日本語ってすごいなと思います。
本質をことばの中にちゃんと表しているんです。
たった一つのどんぐりから、こんなことを考えていた数日でした。