最近、ふと、NHKの高校講座の英語コミュニケーションを見ました。
その中で、「なぜ英語を勉強しなければならないんですか?」と聞かれたら、なんて答えるんですか?という問いに、
「日常過ごしている部屋は日本語の窓があります。そこからは美しい山の景色が見えるんです。でももし、後ろの壁に英語の窓があったとしたらどうでしょう?英語の窓からは、美しい海の景色が見えるのかもしれませんよね。」
「新しい世界が広がって見える窓をつくるのが、英語を勉強する意味なんですね」
という会話がありました。
ああ、すごくいい表現だな~と思ったのです。
英語はものすごく苦手だけど、英語に限らず、いろんな窓を持ちたいな~と思いました。
小さな窓から見える景色
よく、「妊娠すると、妊婦さんが急に目に入るようになる」と言います。
それまで、同じように生活していても見えなかった(全然気が付かなかった)妊婦さんが、妊娠したことがわかったとたん、ここにも妊婦さん、あの人も妊婦さん、あれ?こんなに妊婦さんいたんだ~!と気が付くんですよね。
前は、それをアンテナが立つと表現していました。
アンテナが立った途端、受信できるようになるんですよね。
アンテナは窓でもあります。
人間は、きっと、一度にたくさんの情報を処理しきれないから、窓を狭めて物事を見るようになっているのではないかと思います。
五感から入る様々な情報を、自分の日常でよく使う感覚、必要になる情報に限って受信できるように、あらかじめ窓を小さくして、方向を絞り、必要な情報を素早くキャッチできるようになっているのかなと。
膨大な情報の中から、自分に必要な情報を取捨選択するのって、時間がかかるでしょうから。
でも、一方で、狭めた小さな窓から見える景色が、自分の知っている世界で、それが世界のすべてだと思ってしまうようなところがあるのではないでしょうか。
たくさんの窓
春になると、ヨモギがたくさん生えてきます。
ヨモギがどんな葉っぱなのかを認識していなければ、散歩していても、まったく気づかないのですが、一度誰かとヨモギを摘んでヨモギ餅を作ったりする経験をすると、とたんに、
あ!あそこにもヨモギあったんだ!
なんだ、ここにもあるじゃないかと、ヨモギがやたらと目につくようになるんです。
自分の見えてる世界と、他の人に見えてる世界は違うのかもしれません。
そう思うと、他の人にはどんな世界が見えているのか、知りたくなってきます。
同じ景色を見ていながらも、自分がまだ知らない美味しいもの、楽しい事、素敵な世界を見ている人が、絶対周りに入るんです。
そんなたくさんの窓から、世界を見てみたいと思いませんか?
最初は、障子に指先で開けた小さな穴から覗いてみてもいいんです。
あれ?どうやら、こっちの窓からは、違う景色が見えてそうだぞ。って、気づくことが大事なんです。
そのうち、プスプスとたくさん開けた障子の穴から、自分が見たい景色の穴をもうちょっと広げてみるんです。そしたら、その穴の向こう側にいた人と仲良くなれるかもしれません。
例えば、障がいを抱えている人たちや、マイノリティの人たちは、分厚い壁で囲まれて、私達から見えないので、社会の中で、まるでいないかのように扱われてしまっていたのではないかと思うのです。
私たちがバスやタクシーに乗る時、何も不便を感じていないとしても、障がいのある方は、何日か前に予約しないとバスに乗れないとか、不便さを強いられているとか。
左利きの人にとって、世の中のすべての道具が右利き用になっているから、はさみが使いづらいとか、お玉が右利き用ばかりなので汁物をよそいづらいとか。
そういう不便が多々あるということを、その世界に通じる窓があるだけで、気遣うことができると思うのです。
ベビーカーを押して街を歩いてみて、ちょっとした段差に苦労したり、公共の乗り物に乗る時に苦労したりして、初めて、障がいのある方に対する窓の穴が開きます。
たくさんの窓を持つことで、世界は、自分が今まで知ってた世界より、意外ともっとずっと広いのだと思うことができるのではないでしょうか。そして、今まで知らなかった世界の人と話してみると、きっと自分の世界の見方が、がらりと変わるかもしれないのです。
自分の窓
私の窓にはなにがみえてるかな?
たまに自分の見えてる世界をちょっと遠くから眺めてみるといいかもしれません。
小中高と、子どもだった頃の私は、家と学校の世界しか知りませんでした。
大学に入って、探検部に入ったことで、自然に対する窓が大きく開かれました。
大学で学んだことで、農学部だったので、農業という窓も、ちょっぴり開きました。
結婚して子どもが生まれたことで、子どもの世界への窓が開き、
いつしか、「自然」と「子ども」の窓がつながりました。
最近は、教育の世界に関わるようになり、「学校」「教育」という窓がひらきました。
最近は、子どもの教育について考える日々です。
主人が町内会に関わりだしたことで、「地域」の窓が開かれつつあります。
地域と関わりながら、「子ども」と「地域」をつなぎたいと活動してます。
姪っ子が障がいを抱えていることもあり、「障がい」に対する窓も、まだまだ小さい小さい窓ですが、開いています。でも、まだまだ知らないことばかりです。
そしてきっと、まだまだ知らない世界の窓があるんです。
知らないのだということを自覚した上で、次はどの窓を開いてみようかと思いながら世界を見ています。
多様な視点で、たくさんの窓から世界を見ることができたなら、世界はもうちょっとやさしくなるんじゃないかと思います。