子どもの10年先の未来、自分らしく生きられるように

「みんなの学校」という映画の上映会に行ってきました。第二部は、映画の舞台となった大空小学校の初代校長先生の木村泰子さんの講演でした。

このドキュメンタリー映画と講演を聞いて、一番心に残ったのは、

「10年後の国際社会で子どもが自分らしく生きられるにはどんな力が必要か?」そう考えて、目の前の子どもとに対応していく、というお話しでした。子どもの未来を見て、この子が10年先、社会に出たときに自分らしく生きていけるようになるために、今、どんなことができるか?今、この子に何が必要か?子どもを主語にして、この子は、今、何が困ってるんだろう?この子が成長するために、どうしたらいいんだろう?って考えてきたと。

それが、学校でなくとも、大人が子供に向き合う時、この子がこんなこと言う(こんな行動する)背景に、何があるんだろうかと、わかろうとする気持ちが、地域の大人にも必要な視点だと思いました。

学び合いと育ちあい

「みんなの学校」は、支援を必要とする子も、そうでない子も、同じように学び合い、成長していく大阪の大空小学校のドキュメンタリー映画です。

ふつうは、クラスに1~2人ぐらいの何らかの支援を必要とする子ども達が、大空小学校では、全校220人中30人。

「支援を必要とする子」とは、一般的になんらかの障がいのある子や、いろいろな事情で前の学校では不登校になってしまった子たち、などです。

でも、他の学校のように、特別支援学級などは作らず、あえてクラスの中で一緒に学びます。

授業中、外に走り出して脱走する子や、大声を出す子、いろんな子がいるけれど、それぞれの個性を認めつつ、どうやったら、このお友達は教室にいられるんだろうか?今、この子は、何に困っているんだろうか?と、子ども達も、先生も、みんながその子の背景に寄り添っていく。

家庭の事情で両親とも早くから仕事に出かけているから、きっとまだ寝ている。

学校に来ていない子がいたら、その子の家まで迎えに行って様子を見る。という子だったら、玄関どんどんってしてたたき起こして学校に連れてきたり。

気になる子がいたら、担任の先生だけじゃなく、学校のみんなで知恵を出し合って、サポートしていく。

校則はなく、「自分がされていやなことは、人にしない、言わない」という唯一の約束事があるだけ。

でも、毎日一緒に教室にいるから、毎日その子の様子を見ているから、多少その子が大声を出そうとも、授業に集中していられる。でも、その子が本当に困っている時には、自分の勉強道具をほっぽりだしてでも助けに行く。

すぐ手が出てしまうような子と、ケンカになってしまっても、なんであの子は怒ったんだろう?って、失敗から学ぶ。

学校では、たくさんの失敗をして、やり直しをして、学んで、そして卒業していきます。

それも、多様な子供たちの中で、育ちあい、学び合うから。

大人の都合のいいような子を望んでいては、そういう子たちは取りこぼされていきます。

学力重視で、授業に支障が出るから、そういう子は教室にいてはいけないというようなそんな空気がクラスを包んでしまったら、その子は居場所がなくなってしまいます。

大空小学校に転校してきたある「支援を必要とする子」は、前の学校は『牢屋』だと表現したそうです。教室で大声を出すと、「大きな声を出してはいけません」と言われ、教室にいられないから教室を抜け出そうとすると抑えられて外に出ることもできない。意見を言おうとすると「だまってなさい」と言われる。その子にとって、学校は『牢屋だ』。その言葉通りなのだと思います。

大人が、そういう子たちを排除しようとする姿を見て、子ども達は見たようにしか行動しませんから、あいつなんかこなきゃいいのに、あの子さえいなければ・・・そんな空気ができてしまうのかもしれません。

世界は一瞬で平和になる

4年生の時に転校してきたせいちゃん。前の学校では特別支援学級にいたけれど、教室はせいちゃんにとって、とってもいやなところだったようです。だから転校してきた最初のころ、せいちゃんは教室に入ろうとしません。何度も学校を脱走します。

でも、時間をかけ、教室は安心できるところだよ。学校は安心できるところだよって、友達が手を引いてくれたり、背中をさすってくれたり、黙って待っていてくれたり、徐々に徐々に、せいちゃんは教室に入れるようになっていきます。仲間を信じられるようになったせいちゃんは、毎日学校に通います。

せいちゃんのお母さんは、「ランドセルの中がぐっちゃぐちゃで、鉛筆が全部折れてたり、半分までちびっこくなってたらすごくうれしいんです。前は、いつ筆箱あけても、(使わないから)ぴんぴんにとがった鉛筆だった。上履きも今は真っ黒で、そんな、真っ黒に汚れたのを洗うのが、ほんとにうれしい。」

居場所を手に入れたせいちゃんが、毎日学校で勉強して、友達ときっと遊んでる。だから汚れる。それがうれしいんだと語ります。

そんなせいちゃんが、6年生になり、卒業のメッセージで、こんなことを発表しました。

「ぼくの一番の願いは世界が平和になることです。世界を平和にすることは一瞬でできます。自分の隣の人を大切にしたら、みんなが平和になります」

4年生で転校してきて、6年生になるまでに、せいちゃんが経験してきたことが、そのまま語られています。きっと、せいちゃんは、隣の人に、クラスのみんなに、先生に、たくさん大切にされてきたんだろうな。せいちゃんの経験からくる言葉は、本当だと思うのです。

地域は土である

地域の学校に通う子供たちを、だれ一人欠けることなく、みんなが等しく学べるように、そういう想いでやってきた大空小学校。

では、先生ではない、地域の住民であり、子どもの保護者である私たちは、どうか変わっていけばいいのでしょうか?

学校のやり方に、なかなか意見はしづらい。不満を言えば、モンスターペアレントと言われかねない。

でも、そこは、自分の子どもだけでなく、自分の子のお友達も、地域のみんなの子供が通う学校です。登下校時に交差点や校門に立って、子どもの安全を見守りながら子ども達に挨拶するサポーター。本の修理や読み聞かせをする学校図書サポーター、教室に入って、子どもたちを見守り、気になる子を見つけて先生に知らせてくれるサポーター、いろんな形で、学校に関わってくれる方を、大空小学校ではサポーターと呼んでいます。保護者じゃなく、サポーター。

学校に毎日のように来て、関わってくれるから、ちょっとした子どもの変化に誰かが早い段階で気づいてくれる。

そうやって、地域の人に見守られながら育っていく子供たち。

卒業するとき、子ども達は、それぞれ決められた言葉でなく、自分の言葉で、自分が感謝したい人に向けてありがとうのメッセージを言葉にします。

多くは、6年生になるまで、ずっと見守ってくれたサポーターの方への感謝を述べます。

地域は、子ども達の土です。

子ども達がすくすく育つには、子どもたちが安心して育っていけるようなどっしりとした土がなければ育ちません。子ども達がしっかり根付いて成長できるためには、地域で子どもたちを育てていく、温かく見守っていく、あのこ、なんか元気ないな~。どうした?って、声をかけてくれる大人。地域の中で、誰が困っているか?って、見ていて、手を差し伸べてくれる大人。そんな大人に囲まれて育ったなら、きっと子供は10年先も自分は自分らしくいていいんだと、自信を持っていられるのではないでしょうか。

幸せになるために学校に来ているのだと木村さんはおっしゃいます。

子ども達が安心して過ごせる学校であり、安心して育つことができる地域であることが、子どもたちにとって大事なこと。

いろんな人が子どもたちに関わることで、答えは一つじゃないことを知る。こんなやりかたもあれば、あんなやり方もあると、気づくことができる。

自分で自分の命を絶ってしまう子供たちがたくさんいます。命を絶つ前に、話を聞いてくれる人が地域にいたら。ちょっといつもと違う様子に気づいて声をかけてくれる大人がいたら。

それは他人事のようだけど、自分事に置き換えて、自分の周りの子供たちに、どれだけ関わってあげられるか。

以前、うちにいわゆる”困った子”達が遊びに来ていました。すぐにかっとなって手が出る足が出る。馬乗りになって殴ったりも。そんなことが続いたら、近所の子たちは怖がって彼らを遠巻きに見るようになった。関わろうとはしなくなった。

でも、ある取っ組み合いのけんかの時、興奮する彼を抑えて、こう話しました。

「嫌なことがあったとき、頭に来た時、殴って蹴るだけが解決する方法じゃないんだよ。頭に来たら、その場を離れてみたらいい。ちょっと離れて、一人でゲームしてたっていい。深呼吸して、気持ちが収まるまでここ(小屋)にいたらいいよ。うちでは、怒っても殴ったりしないよ。殴ることが当たり前じゃないんだよ」

彼にとって、嫌なことがあったら殴る、というのは、家庭の中で身についたことでした。それが当たり前だった。

私が「怒ってもうちでは殴らないよ。それは当たり前のことじゃないよ」と話すと、「そうなの?」と。でも、うちに来て、怒りを収める方法が、殴るだけではないんだということを学んだ彼は、その後、ぱったりと暴力を振るわなくなりました。

自分が知ってる方法以外のやり方がある。それだけが正解じゃない。

多様な人の中で育つことは、子どもたちにとって多様性を受け入れることでもあり、違う選択肢を見つけることでもある。

今日も子供たちがうちに遊びに来ては、空き地で秘密基地を作っています。お腹がすいたら、戻ってきて、素揚げのジャガイモを「うまいうまい」とほおばります。

剣を作るんだと言ってはのこぎりで木を切り、ヤスリでなめらかにとがらせます。

指を切ったと言っては友達が「〇〇クンが手切った~!絆創膏ちょうだい!」って、言いに来てくれる。

友達の一人が秘密基地でまだ遊びたいのに剣を作りたい子が帰ってきちゃったから、その子は泣いてしまって、でも、「おいしいものあるから、一回帰ろう?」って、迎えに行って連れてきて、「一本でもいいから剣作ろう?そしたら秘密基地で戦いごっこして遊べるじゃん?」って、困っている友達に、手を差し伸べられる。

そんな子供たちがすごいな~って、見守ってる自分がいる。何を教えなくても、子どもたちは、ちゃんとかかわる力を持っている。

それを奪わない社会であるように。

困った子を排除しないで、手を差し伸べられる社会になるように。

そのためには、今、目の前にいる子どもたちが、困ったこと言われる子供たちや、支援を必要としている子供たちと、関わりながら、こういう人もいるんだ。だったらそんな子が安心していられるようにすればどうしたらいいんだろう?って、考えて動ける子を育てていくことが、10年後、そんな社会を作っていけるんじゃないのかと思うのです。

自分が経験したことしか学べません。小学校時代は、たくさん、失敗しながら、ケンカしながら、学んでいく時代。そして、大人も、そんな子供から、たくさんのことを学ばせられます。

 

 

 

次の世代へ~種を蒔く


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長男が小学生だった頃、友人家族とよくキャンプに行きました。きっかけは、次男が通っていた保育園。裸足で泥んこで遊ばせてくれ、「くう、ねる、あそぶ」を大事にしていた保育園。そんな理念に共感して集まったいろんな家庭。子どもたちに対する想いは、みんな一緒で、保護者の企画で、週末キャンプや、登山によく行きました。泥んこで遊び、原っぱを駆け回り、木に登り、森で秘密基地を作り、お花を摘み、山菜をとって調理して食べ、栗を拾い、焚き火して、崖を登り、暗くなるまで遊んで、時には山登りし、木の実を集め、山ブドウを食べ、山頂でおいしいおにぎりを食べる。そんな子供時代を過ごした子ども達。

そして、長男は今年20歳になり、友人家族の娘さんは21歳の素敵なお嬢さんに成長しました。成長した彼ら、彼女たちが、どんな風に育ったのでしょう?

今の、彼らの様子を紹介しつつ、こんな子供時代を次の世代へとつなげていくことを考えてみたいと思います。

 

遊びつくした子供時代を次につなぐ

21歳になったMちゃん。今は東京の大学に通っています。写真は載せませんが、とっても素敵なお嬢さんに成長していました。子供時代、たくさんたくさん森や川で一緒に遊んだMちゃん。そんなMちゃんの最近のFB投稿を見て、とっても嬉しくなりました。許可をもらったので、紹介します。

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夏休み自然体験キャンプにボランティアとして参加してきました。

朝7時起床、25時就寝で、小学校3年から中学2年の28人の参加者の子どもたちと12日間過ごすというなかなかハードな日々でしたが、そのぶん学ぶ事も本当に多かったです。人との新たな出会いもたくさんあり、自分を見つめ直すことができました。

山村留学という言葉も今回初めて知りました。ボランティアの方の中には山村留学の経験者も多くいました。彼らにとって、その思い出は本当にキラキラした宝物なのだと感じました。キャンプに参加した子どもも、リピーターの子がたくさんいました。自然とともに、地域に育まれた文化に触れ、色々な世代の人と交流することがいかに重要なことかがわかったように思います。

私が大好きな絵本に『ルピナスさん』という絵本があります。これは、おじいちゃんと「世の中をもっと美しくする」という約束をした女の子が、おばあさんになった後に、街中にルピナスの花の種を蒔く、というお話です。この物語のお終いは、おばあさんになった彼女が、小さな女の子と同じ約束をするところで終わります。

誰かに教えてもらった大切なことを、また他の誰かに伝えられることって本当に素敵なことだと思います。また、心の故郷があることも。私は宝物がたくさんあるから、その尊さがわかりますし、同じような経験を少しでもいいから子どもたちにしてもらいたいです。

つまり、私が言いたかったのは、こういう素晴らしい活動はもっといろいろな形で、たくさんの子どもたちが体験できるようにした方が良いと強く感じた、ということです。本来は、特別な体験ではなく当たり前に学ぶべきことのはずだから。

私の感覚だけで言うなら、山村留学した子たちのその思い出と、私にとってのひだまり保育園は同じで、新藤家とのキャンプとも同じだと思いました。

中学生になったくらいに、その大切さに気がつきました。私が勝手に解釈していたキーワードは「居場所」です。いじめ、友だち関係と悩みが尽きませんでしたが、周りに私の話を聞いてくれて、そして「あなたは素敵な人よ」と言ってくれる大人が本当にたくさんいたことが、今の私を作っていると思います。学校と家庭以外の「居場所」が、中学生以降には必要なのだろうな、とその頃から思っていました。
大人になったら、その恩返しを次の世代の子どもたちに、私なりに返してあげたい、と中学の頃から思っていました。今回、同じような心の絆のようなものを見つけて、とても感動しました。私にとってのひだまりは、彼らにとってのこの場所なんだな、と。

そして、私が今までいかに素晴らしい体験をしていたかが改めてわかりました。ひだまりっ子やキャンプの仲間と遊んでいると、そこには暗黙のルールというか、やっていいことといけないことのラインがあって遊びやすかったり、それがわからない子たちは「よその子」という感じがしていました。その感覚の理由も今回わかったように思います。

私が今まで感じていたことは正しかったのだという確信が持てました。どんな形かは見つかっていないですが、子どもも大人も寛げる「居場所」を作っていきたいと思います。ずっと考えてはいるんですけれど、答えはまだ見つからず、、、。でも、それがルピナスさんとの約束の私なりの答えかなーなんて(^_^)

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たくさん遊んだ『宝物』の経験が心の中にある彼女の言葉です。

彼女は、『居場所』というキーワードを見つけました。これから、どんな種を蒔いていく人になるのか、楽しみに見守りたいと思います。

「世の中をもっと美しくするために何かをする』というルピナスさんとの約束。

私達には、何ができるのでしょうか?

外の世界から日本を眺める

そして、20歳の長男は、現在、自転車でヨーロッパ一人旅中です。ドイツエコツアーに参加した後、約一か月の自転車一人旅。今回は、ドイツからスイスに移動後、イタリアを周遊中です。

そんな息子が、旅を半分過ごしたところで感じたことを書いていました。

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【ヨーロッパ旅行約半分過ごしましたがここまでで感じた事】

・電車、バス、街中でスマホをいじってる人がすごく少ない。日本だとみんな下向いてスマホいじってる人ばっかり。何の違いなんだろう。

・買い物、買い食いしても出るゴミが少ない。今まで買い物してビニール袋を貰った事が一度もない。スーパーで3〜4品買ってもだいたいそのまま渡される。買い食いの場合は紙袋や紙皿。ビニールやプラスチックは使われない。野菜果物も全部裸のまま売られている。

・自販機が全然ない。無駄な電力が削減できるのはいい事だが、チャリ旅で飲み物が切れた時はちょっと困る…

・公衆トイレが全然ない。あっても有料(1回50セントか1ユーロ)

・新幹線以外の電車はほとんどチャリ、車椅子、ベビーカー、犬をそのまま乗せられる。これはかなり便利。

・路地や信号のない交差点などで道路を渡ろうと待ってると必ず車が止まってくれる。歩行者と自転車が優先されているのを感じる。

・食べ物は基本洋食しかない。アジア料理屋とかも時々あるけど、食べたい時に見つけるのは難しい。その点日本は世界中の料理が食べたい時にすぐ食べられるのですごく食に恵まれてると感じる。

・街中や道端にゴミ箱がたくさんある。だけどタバコのポイ捨てがめちゃくちゃ多い…。どこ歩いてもタバコの吸い殻だらけ。

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ドイツは電車の乗り降りがフラットなため、ベビーカーや車いす、自転車の乗り降りがとてもスムーズなんだそうです。これ、大事なことですよね。日本の電車も、早くこうならないかなあ。

日本にいては気づかない、いろんなこと。

旅で感じているようです。

世界各国いろんな国の料理がどこでも食べられる日本。

コンビニや自販機がいっぱいの便利だけど、無駄の多い日本。

ちょっと買い物するとビニールごみでいっぱいになっちゃう日本。

公衆トイレが無料で、いろんなところにある日本。

恵まれてる日本と、無駄の多い日本。

どちらがいいかといえば、やはり、世界に誇れる日本でありたいものです。

息子も、子供時代、たくさん自然の中で遊んできました。震災後、エコツアーの松本英揮さんの講演を聞いて、自然エネルギーに興味を持ったのがきっかけでした。息子がエコツアーに初めて参加したのは18歳の時。環境都市と言われるドイツ・フライブルグのエネルギー事情を視察したのが始まりで、今年は二回目の参加になります。

18歳の時の長男のエコツアーの様子はこちら。

 

自転車も好きだったので、小学校時代、家族でサイクリングも時々行きました。でも、日本の田舎を自転車で走ってみると、自転車が走るような道路に作られていないところがほとんど。自転車や歩行者に優しくない道路ばかりでした。段差があったり、歩道が右から左に急につけ変わっているところ、そもそも歩道がないところ。歩道の真ん中に電柱があるところ。走ってみないとわからなかったことです。

でも、ドイツに行ってみると、自転車道が整備されていて、自転車のまま電車に乗ることもできるし、車に乗らずに済むという点で、やっぱりエコなわけで、車も、カーシェアリングができるので、自分で車を持たなくてもいい。

自分が見てきた日本と、海外に行って比べて感じた、『日本もこうなったらいいな』という感覚。

長男は、果たして、どんな種を蒔いていく人になるんだろうか?

自分の中の宝物を次の世代へとつないでいく

経験したことすべてが宝物です。

子供時代に遊んだ経験。

泥遊びしたり、みんなで砂を掘ってバケツで水を流して川を作ってみたり、大きなトンネルを掘って貫通した喜び、虫を捕まえて飼ってみたり、お花の蜜の甘さ、雨に打たれてびしょぬれになったり、足に感じる川の流れ、木登りして上から眺めた景色、秘密基地を作ったり、頑張って山に登って見下ろした下界の風景、酸っぱい山ぶどうの味、友達とケンカした思い出、バカ言って笑いあったこと、お泊りで夜遅くまで友達とひそひそと話した夜、枕投げしてキャーキャー騒いだ夜、外に寝転んで流れ星を数えた夜、自転車で風を切って走る爽快感、ゆっくり流れる景色を眺めながら走る自転車の気持ちよかったこと・・・。

それらの宝物から、自分が次の世代へ伝えていきたいと思う種を蒔く。

宝物が多ければ多いほど、蒔くける種の種類は増えていく。

『自然』『環境』というキーワードからは、森に関わることや、エネルギーや、建築、都市づくり、動物や、昆虫や、生き物や、農作物、天文、宇宙・・・いろんな種ができるでしょう。

『仲間』『居場所』というキーワードからは、やはり、そういう場づくりをする様々な種ができるでしょう。子どもの居場所、不登校の子の居場所、母の居場所・・・いろんな居場所、いろんな仲間づくりが考えられます。

病弱で外遊びがあまりできなかった子であれば、『人を助けること』や『誰かの役に立つ』という芽が芽生えるかもしれない。

どんな経験をして、どんなキーワードを自分の中にみつけ、どんな種を蒔いていくのか。

私たち大人は、その、選択肢を広げてあげたいものです。

子どもたちの中にたくさんの種のもとになる宝物の経験をさせてあげましょう。

終戦記念日に子どもに伝えていきたいこと


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昨日は終戦記念日でした。毎年、お盆と重なり、ご先祖様に感謝するとともに、戦争によって亡くなった方々への追悼と、もう、二度とあのような時代が来ないようにと、平和を願い、今ある平和に感謝して過ごされた方も多いのではないでしょうか。戦後72年。戦争を語ってくれる方々も、だんだん少なくなってきています。次の世代へと語り継いで今なければ、戦争の記憶は薄れていきます。子どもたちに、何があったのかを語っていかなければなりません。なぜ、戦争が起きたのか。戦争によって何が失われたのか。戦争により、日々の生活はどうなっていったのか。戦地に向かった人たちの想いに触れ、愛する人を戦地に送り出した家族の想いを知り、家や家族を失ってなお生き延びてきた方々の必死に生きてきた時代を知る。だからこそ、今ここにある平和と、幸せに感謝できる。そういうことを伝えていかなければならないと思います。

 

戦争を知ること

原爆の悲惨さは、原爆の資料などで、多くの人が見聞きして知っているところです。でも、同時に、戦争によって、どれだけ多くの人が犠牲になり、苦しんできたかを知ることも、大事なことです。

特攻隊で散っていった人たち。出撃するに先立ち、残した家族への手紙や、書の数々から、国のために死んでゆくことの名誉よりも、残していく家族への想いや、無念や、死にたくはなかったという本当の想いを知ることができます。

当時、浮浪児と呼ばれて疎まれた戦争孤児出会った方々の話に触れると、戦争によって親や兄弟、家も失い、行く当てもなく、ただ生き延びるために必死であったと言います。

朝日新聞デジタル「戦争を語る2.孤児たちの遺言」

より一部抜粋。

「当時5年生だった男性は、集団疎開から戻った上野駅で迎えがなかったそうです。パニック状態になり、焼け跡で家族を捜しても見つからず、日が暮れて駅に戻りました。『生きていないと親に会えない』と思い、盗みを始めたと打ち明けてくれました。同じ境遇で一緒に地下道にいた3年生の男の子は、何日間も何も口にできず、『お母さん、どこにいるの』と言った翌日、隣で冷たくなっていた、と。いったん親戚や里親に引き取られても、重労働や虐待に耐えかねて家出をして、浮浪児になった子も数多くいました」

「いったん平和が失われたら、子どもの命は守れない。いまが正念場です。戦争孤児の問題は過去のできごとではなく、未来の子どもたちの問題です。終わりなき悲しみを子どもたちが二度と味わうことがないように、最後のチャンスと思って、伝えたい」

 

 

私の小学校時代の担任の先生もまた、戦争経験者でした。当時、私たちに話してくれた言葉が、今も心に残っています。

まだ10代だった先生は、夜通し作戦の場所に向かって歩かされ、眠くて、寝ながらひたすら歩いていたこと。目的地に着き、手りゅう弾を抱えて道に潜んで、敵の戦車が来たら、そのキャタピラの下に突っ込むようにという命令だった。手りゅう弾を抱えて震えながら夜を過ごしたこと。ただ、先生は、二手に分かれた分かれ道の一本にいて、たまたま戦車は反対側の道へ進んで、先生の待つ道には戦車が来なかったため、先生は生き延びたこと。

面白い先生で、笑い話のように話してくれていたので、小学生だった当時は、面白い話として聞いていたように思います。でも、改めて先生の話を思い返す時、10代の子供が、爆弾を抱えて夜を過ごすのはどんな気持ちだったろうかと。一人の命が捨て石のように使われた時代。子どもが上官に逆らえるわけもなく、死にゆくことしか選択できなかった時代。

当時、13歳から19歳までの少年兵が42万人もいたと言います。学徒動員(大学生)12万人。大人と同じように戦わされ、軍にとっては習熟していない少年兵は消耗品。特攻の多くはそんな少年兵であったとも言います。

大人はもちろんのこと、子ども達までもが戦わなければならないなんて、そんな戦いは、もう二度とするべきではないと思います。

子ども達が守られていく世の中であり続けてほしいと、切に願います。

 

 

平和な未来のために、私たち一人一人ができること

去年の終戦記念日に書いたブログです。

去年は朝の連続テレビ小説で、「ととねえちゃん」をやっていて、戦争で失われていった、何気ない日常の幸せが、どれほど大切だったか、それこそが、守るべきものだった、というようなことが語られていました。

日々の暮らしを大切にすること。

きれいな川で遊んだ子ども時代。

田んぼにうごめく生き物たち。

笹船を流し、誰が早いか競走したり。

花冠を作ったシロツメクサの香り。

山に登って、足下に広がる見渡す限りの森の木々。

海に連れていってもらい、足にまとわりつく波と砂の感触。

トンボを捕まえるのに夢中だったこと。

焚き火や、薪ストーブの柔らかな灯りとけむりの臭い。

暗くなるまで友達と走り回って遊んでいたこと。

雨に打たれてびしょ濡れになったこと。

川の中に光る魚を捕まえようと格闘したこと。

家族で囲んだ賑やかな食卓。

 

子ども時代の体験が、豊かであればあるほど、幸せな子ども時代がよみがえります。草いきれの匂い。泥や砂の感触。いっぱい遊んで、家に帰ってきたときの安心感。

それらが多ければ多いほど、守るべきものはそこにあったと気づくことが出来ます。

心の中に息づく故郷の情景は、そのまま守りたいもの、大切なものなるでしょう。

子ども達に伝えていきたいこと

だから、子ども達には、折に触れ、戦争の話を伝えていくのと同時に、日々の暮らしを楽しみ、たくさん遊んだ遊びの中で、大好きなものを増やしていていくのが、平和のために私たち一人一人ができることだはないのかと思っています。

 

戦争の絵本や本、アニメや漫画、映画でみてもいい。今なら、インターネットで、たくさんの戦争体験や、戦争での証言を見聞きすることができます。

戦争に関する漫画で有名な「はだしのゲン」は、図書館でも借りられるところが多いです。

「この世界の片隅に」は、8/30まで、Yahooプレミアム会員に登録すると視聴することができます。

「火垂るの墓」や、「永遠の0」「男たちの大和」「硫黄島からの手紙」などの映画を観るのもいいでしょう。

戦争や平和の絵本については、こちらのブログでも紹介しています。

どんなものでもいい。戦争は、幸せを奪い、怒りを生み、悲しみを生むものだと、伝えてほしい。

子供時代、毎日のように友達と駆け回った故郷。後々の記憶に残っていく原体験。バカなことやって笑いあった仲間。あったかい家庭。それがあるからこそ、そういう幸せだった地域を守りたい。仲間を守りたい。家族を守りたい。大事にしたい。そう思えるのだと思うのです。

今年の終戦記念日は終わりましたが、戦争について語ることには終わりはありません。

夏休みに、そういうことを子どもに伝える機会を持ってほしいと思います。

 

 

 

 

広島原爆の日に想う~子どもたちが何の心配もなく遊べる日常を


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今日は72回目の広島原爆の日。たくさんの方々が命を落とした日。自分たちの犠牲によって、子どもたちの平和で幸せな未来があると信じて戦ってきた人達がたくさんいた時代。大変な時代を乗り越え、命をつないでもらったからこそある、今の私達。でも、そんな今の時代であっても、安心して外遊びができない状況の子ども達もたくさんいる。子どもたちは、いつの時代も、どんな場所でも、いつでも一緒。天真爛漫な笑顔と、空に抜ける高らかな笑い声。その声に、どれだけ幸せをもらったか。どれだけ、この子達のために頑張ろうと思えたか。今日は、保養キャンプの子ども達と、駒っこランドでのプレーパークの様子もあわせてお伝えします。

遊ぼう十和田!キッズサマーキャンプ2017

『NPOみんな地球の子どもじゃん』主催のキッズサマーキャンプが4回目を迎えました。震災後、思いっきり何の心配もなく外で遊ぶことができなくなってしまった福島の子ども達を、十和田で思いっきり遊んでもらおうと始めたサマーキャンプです。原爆とは関係なくても、同じ放射能で日常を不安に過ごしている子どもたちとそのご家族。見えないからこそ不安で、でも、いろんな事情があってそこに暮らす方々。一年に一回。短いかもしれないけど、放射能のことを忘れ、遊びたいだけ子どもたちを遊ばせてあげたい。そんな思いで続けているキャンプ。

十和田乗馬クラブの協力のもと、毎年初日は馬と触れ合い、翌日は十和田の自然を満喫してもらいます。一年目は小川原湖、二年目は川遊び、三年目は十和田湖、四年目の今年は再び小川原湖。

毎回人気のハンモックやブランコ。

今回はスラックラインの綱渡りも。

みんなで歌いながら乗って揺らして、大喜び。

この日はあいにくの曇り空。気温も低めだけど、湖を前に、入らないわけにはいきませんよね。

カヌー待ちの子ども達。

ここはず~っと遠浅なので、子ども達も歩いてカヌーを押してみたり、カヌーから飛び降りたり、唇が紫になってブルブルなっても、なかなか水から上がりません。

さすがに寒くなって、ブルブルしながらたき火にあたりに来るそばで、ダッチオーブンにお肉を仕込んでいます。

今回子どもたちがはまったのが弓矢づくり。うちから持って行ってた弓矢を見て、自分たちも作りたい!っていう子たちで、弓矢の材料を調達に行きます。

いつもは杉の木で作るんだけど、ここには杉林がなかったので、松の木で代用。引きすぎると折れちゃうので、多めに材料を調達。男の子だけじゃなく、女の子も。

矢は、笹の葉っぱを落として使います。どのぐらいの長さがいいか、曲がってないか、飛びやすい矢を選びます。

木にタコ糸張るだけの単純なつくりなのに、けっこうよく飛びます。友達の方がよく飛ぶと、悔しくなって、もっと飛ぶ弓を作りたくなります。再び材料調達に森へ。

そして、よく飛ぶフォームも試行錯誤。この子のように、放物線を描くように斜め上に向けて飛ばすのが一番よく飛ぶようです。

他にも、木登り体験に

ウクレレ体験

特に、決められたプログラムはないけれど、こんなこともできるよ~って言うと、子ども達がやりに来る。そんな、のんびりのんびりな時間。

砂浜で魚やシジミを探す子がいれば、トンボとりやセミを探す子もいる。笹船作ってみたり、なんか、ビオトープ的なの作ってたりもね。

そして、大人もたくさんいるから、誰が誰の子かわからないくらい、子ども達は、空いてる大人を見つけては、遊んでもらって、見守ってもらって。

そして子供たちも、みんなが小さい子のお母さんみたいで。

箱入り娘は人気者。

そして、このキャンプを支える陰の大人たち。おいしい地元のお野菜を提供してくれた人。おいしい食材をおいしく料理してくれる人。食器洗いや、食材の下ごしらえを手伝う人。いろんな人たちが関わってくれています。ここに写っていない人もたくさん、たくさん。

子ども達がピザ生地伸ばしてトッピングして、

ドラム缶で焼いてもらって、

みんな、うまいうまい言いながら、いっぱい食べて。

 

そして、ここのキャンプ場、夜に虫探しに行けばカブトムシがいっぱいいて、いろんな虫がいっぱいいて、朝にはセミの羽化が見れて。

自然の中で遊び、生き物に触れ、森にあるものを利用して遊び、温かい人たちに囲まれ、本当に安心して、思いっきり遊びきることができた子供たちでした。

雲間から光が差し込む小川原湖は、とっても美しかった。

駒っこランドでプレーパーク

そんな保養キャンプの翌日は、駒っこランドでのプレーパーク。

小川原湖の天気とはうって変わって、じりじりと熱くなるようないいお天気。セミの鳴き声もにぎやかな駒っこランドは、それでもさわやかな風が吹いて、とても気持ちのいい日。

たまたま夏休み、おばあちゃんちに遊びに来ていたという子も。

作ってみたら、剣みたい。海賊みたいでちょっとかっこいい。

色も塗って。

完成!黄色がポイント。

こちらは、おじいちゃん、おばあちゃんにプレゼントですって!

そのそばで、ちびっこチームは平和に遊んでいます。

ここ、下は土じゃないけど、やってるつもり。

お兄ちゃんのまねして水鉄砲も。

水があったら入りたいね。

ホッケーゲーム台で水遊び。

こちら、セミの抜け殻やセミ探し。

自分の剣に名前を書いて、これは、自分のだぞ!って。

そうかと思うと原っぱで転がって遊び、

戻ってきてはまた遊び、

「セミ、捕まえた~~!!」って、走ってきたり。

「見て見て!腕から離れないよ!」

弓矢づくりはこの日も人気でした。

子どもの笑顔は平和そのもので、幸せそのもの

子ども達の屈託のない笑顔と、高らかに響く笑い声は、平和そのもので、幸せそのもので、その、子ども達に、元気をもらい、また、明日も頑張ろうって思えます。

今日は広島原爆の日。たくさんの人が命を落としました。戦争そのものも、子どもたちの笑顔を奪うものだけれど、放射能もまた、子どもたちの笑顔を奪ってきました。昔も、そして、今も。

子どもたちが何の心配もなく、安心しておもいっきり遊べること。

子ども達の笑い声の響くそんな地域であること。

当たり前のようだけど、それが当たり前じゃない人もいて、だからこそ、それが当たり前になる世の中が来るように、私たちは、ただただ、目の前の子供たちを笑顔にしていきたい。

 

 

 

 

子供を幸せにする大人の関わり

子供には幸せになってほしいと、親であればだれもが願うこと。ただ、様々な家庭環境、子供を取り巻く環境があり、「こうすれば必ず子供は幸せになる」と、断言できるものはありません。幸せの定義そのものが、人によって違うからです。将来安定した職業について、お金の心配がいらなければ幸せだとか、人間関係が恵まれていらば幸せだとか、結婚できれば幸せだとか、マイホームを持てたら幸せだとか・・・。それは、逆に言うと、「私が幸せじゃないのはこれがないからなんだ」という言い訳にもなってしまうものです。でも、収入や家庭環境に関係なく、幸せを感じることはできるのです。家族が笑って過ごせたら幸せだとか、毎日おいしいご飯を感謝して食べることができるとか。

子供が幸せを感じるのは、家族や友達と毎日楽しく過ごせること。自分は大切な存在なんだと認めてもらえることなのではないでしょうか。子供を幸せにするには、親の関わり方も大切になってきます。

子どもをコントロールしない

子供が幸せを感じるためには、まず、ママがにこやかにしていてくれることが一番だと思います。たとえ仕事をしていて子どもと関わる時間が少ないとしても、子どもと関わっている間、温かく自分を見守ってくれている、包み込まれる安心感があれば、子どもは幸せなんじゃないかと思うのです。

ママ自身がストレスがたまっていてちょっとしたことにイライラしてしまうようだと、子どもにとっても、あまりうれしくないですよね。散らかしっぱなしで片づけない子供にイライラして怒ったり、時間がないのにぐずぐずしてると早くしなさいと怒ってしまったり。

そうなると、自分の思った通りに行動してくれない子どもにイライラして、ママは怒りっぱなしってことにもなってしまいます。

まず一番は、ママの心の余裕が必要だということ。

そのためには、パパのサポートも必要になってくるし、時にはおばあちゃんだったり、友達だったり、子育てサポートだったり、人の手を借りる必要があります。ママ自身が、やりたいことを我慢しすぎないで、時には人の手も借りながら、自分がやりたいことを一つでもいいからやる時間をとってほしいと思います。子どもをないがしろにして、自分の好きな事だけやりなさい、ということとも違うのですが、自分を大切にする時間をとると、それだけ気持ちに余裕が生まれるので、子供をコントロールしようとしなくてすみます。

気持ちに余裕があれば、多少散らかってても、「一緒に片付けようね~」って言えるようになると思うんです。

子どもも、一人の人です。親の所有物ではありません。「片付けなさい」と言って、「今やろうと思ってたのに、言われるとやりたくなくなるんだよね」というのは、誰しも経験があるのではないでしょうか。

「宿題しなさい」「ゲームばっかりやってないで」「早くしなさい」と、ついつい言いたくなりますが、言っても変わらないのが子供です。言っても言わなくても変わらないなら、言わずに信じて見守ってみる心の余裕を持ちたいものです。

あまり口うるさく言うことは、「どうせ自分のことなんてどうでもいいと思ってるんでしょ」「どうせできないと思ってるんでしょ」「どうせやればできるなんて、信じてないんでしょ」っていう心を子どもの中に植え付けてしまうのです。

幸福は学ぶもの

幸福は学ぶものです。身近な大人が、楽しそうに日々を過ごしていたなら、自分がいることが、幸せなんだと思うことができます。自分がやりたいことを楽しそうにやっている姿を見て、自分も、こんな大人になりたいと思うことができます。親が子供のために、家庭のために自分のやりたいことを我慢して、つらそうにしている姿からは、こんな大人にはなりたくない、結婚なんてしたくない、子どもなんて生みたくない、そんな大人になってしまうかもしれません。

幸せのモデルは、一番身近な大人から学びます。

どうか、自分を犠牲にしないで、やりたかったことを一つでもいいから楽しんでください。毎日の生活を楽しんでください。

そんな姿を、子ども達に見せてほしいと思います。

子どもの作品や幸せな写真を飾ろう

子どもが保育園や学校で作った作品を、きっと皆さんおうちに一度は飾ると思います。それは、子どもが一生懸命作ったものを認めてあげる、ということです。それと同じように、子どものその時々の成長した写真や、幸せな家族の写真も飾ってほしいと思います。

写真や、作品を見るたびに、自分は大切にされてると感じることができます。

かわいい瞬間。幸せな瞬間。写真を見るたび、その時々の幸せな想いがよみがえってきます。

パパやママに大切にされてる。そんな感覚。

子どものうちに、たくさんそんな幸福感を味わってほしいと思います。

時には子どもと本気で向き合うことも

我が家に遊びに来る子ども達。6年生のある子が言いました。

「修学旅行も終わったし、あとの楽しみは、スキー教室と新藤さんとこで遊ぶことだけだな」って。

家に来て遊んでいく子供たちは、みんな楽しそうです。幸せそうです。

なぜ、うちがそんなに楽しいか。

それは、やっぱり、温かく見守っているからじゃないかと思います。よっぽどのことがない限り、あれこれ禁止することもないし、基本的に、子ども達が遊びたいように遊ばせています。ありのままの子供たちを受け入れます。

どうしても、元気が有り余って大変な時は、受け止めきれないこともあるので、時間があるときは連れ出して、広いところで自由に遊ばせます。

そして、私たち自身、子ども達と関わることを楽しんでいる姿を見せてきました。基本的には、子どもたち同士で遊ぶのをただ見守ってるだけですが、たまには、本気で子どもたちと遊ぶこともあります。子どもに、「新藤さんすげえ~!」って、言われるくらい、子どもに負けずに木登りするし、よく飛ぶ紙飛行機作るし、かけっこで、絶対負けないと、むきになって走ることもあります。腕相撲も負けません。子どもだからと手加減しません。

でも、人を傷つけるようなことをしたときは、本気で向き合います。本気で、「あなたのことが大切なんだ」と伝えます。

子ども達は、本気で自分たちのことを心配してくれているのか、大人の都合だけで怒っているのか、ちゃんとわかっています。本気で自分たちと向き合ってくれる人のことは、尊敬してくれます。

「おれも、大人になったら、こんな大人になりたいな」って、思ってもらえるように、日々、子ども達と関わっています。

子どもの幸福感は、そんな大人のかかわりの中で学んでいくんじゃないかと思うのです。

虹の戦士~インディアンの教えから学ぶ地球を救う生き方

アメリカ・インディアンに古くから伝わる言い伝えがあります。
地球が病んで    動物たちが姿を
消しはじめるとき   まさにそのとき
みんなを救うために   虹の戦士たちが
あらわれる

『虹の戦士 』翻案 北山耕平

原作者不明の物語はアメリカ・インディアンたちの間でストーリーテリングとして、口伝えで、それぞれの部族の間で伝えられてきた物語です。
インディアンである1人の老婆とその血を引いた少年が出会い、1つの大きな疑問を老婆になげかけます。答えを探すために少年は自然に触れ様々な経験と鍛錬で自然の中からインディアンのスピリットを身につけていき、答えを導いていくのです。
そして、インディアンの教えは、これからの地球を救う生き方そのものなのです。

虹の戦士とはどんな人か?

 

「虹の戦士」の本のあとがきに、こんな言葉があります。

『虹が何か知っているかな?大空にかかる、美しい色をした弓。戦士とは、勇気ある者たちのこと。恐れる代わりに、勇気を持つ者たちのこと。

いづれ、動物たちは姿を消し始めるだろう。熊も、オオカミも、鷲も見なくなるだろう。姿を消しさるのは、動物ばかりではない。大きな木たちもまた消えていく。人々は互いに争うことばかりで、愛し合うこともなくなるだろう。空にかかっていた虹は色あせ、人々は虹を目にすることもなくなるだろう。

そうなったとき、一群の子供たちが現れる。

子の子供たちは動物を愛する。消えた動物たちを呼び戻すことになるだろう。この子どもたちは木を愛し、もう一度大きな木を呼び戻すことになるだろう。この子どもたちは人間として互いに愛し合い、もう一度人々が互いに平和で暮らせるように力を貸すことになるだろう。この子どもたちは、空にかかる虹を愛する。もう一度大きな虹を大空に呼び戻してくれるだろう。だからこそ、我々インディアンはこの子どもたちのことを「虹の戦士」と呼ぶのだ

そこで、君たちに質問したい。君たちは動物が好きかな?それとも嫌いかな?

では、木はどうかな?木は好きかな?嫌いかな?

人間はどうだ?人間が好きかな?嫌いかな?

では、君たちは虹が好きかな?嫌いかな?

そうか、そうか、動物が好きで、木が好きで、人が好きで、虹が好きか。

それならば、君たちが虹の戦士だ。虹の戦士として勇敢に生きなければならない。』

この、インディアンに伝えられる物語は、私の心に、小さなともしびをつけました。

止まらない自然破壊。野生動物たちは絶滅の道をたどり、世界のあちこちで、いまだになくならない戦争。人を信じてはいけないというような風潮。人が人を傷つける痛ましい事件。そんな世界は、子どもたちに残していくべき世界ではないと感じるけれど、私一人に何ができるのだろうかという無力感を感じることも。

でも、希望はここにあるのかもしれないと思えた。

一人一人が虹の戦士であるならば、世界を変えることができるのではないかと。破壊の進む地球を救うことができるのではないかと。

兵士とは、自分の周りの人(上司、先生、目上の人など)の言葉を素直に受け止めて、従順に行動するタイプの人。つまり、自分以外の誰かの意志を自分の行動に移せる人。

一方、戦士は、誰からの指図も命令も受けない。自分が望む社会を実現するために、自主的に何かを始められる人。

だからこそ、自分の内から湧き出る信念に従って、自分が望む社会を実現するために勇敢に生きる虹の戦士として生きる子どもたちがたくさん増えてくれたらいいと、思っています。

子どもたちが自然に触れ、自然に学ぶ機会をもつこと

環境破壊や、争いのない世界の実現のために、今の私たち大人のできることは、自分たちの子供、さらにはその孫の孫の世代まで、インディアンの言葉を借りると7代先の未来まで見据えて、今の子供たちを育てていかなければならないということ。

そのためには、子どもが小さなうちから、自然に触れ、自然から学ぶ機会をたくさん持つ必要があるのです。自然に生きるたくさんの命を感じる必要があるのです。

子どもたちが好きな食べ物といえば、ハンバーグや、焼き肉。お肉が好きという、大人はもちろん、子供もたくさんいます。でも、一方で殺されていく命を感じる場面はあるでしょうか?大切な命をいただくから、「いただきます」。私の血となり肉となり、私を生かしてくれるこの命にありがとう、そういう意味のこもった「いただきます」は、実感を伴うことはあるでしょうか?

自然に触れ、小さな生き物でもいい、そこに生きている虫たちを捕まえ、時には殺してしまい、後味の悪さを覚えることも、一つの大切な体験です。お花を摘んで、置いておいたら枯れてしまった。根がないと生きられない、お水がないと生きられない、そんな植物たちを身近に感じる経験も必要です。雨ばかり続くとうんざりするけど、田んぼの中をのぞけば、そこには無数の小さな生き物たちがうごめいていて、田んぼの水を落とした後には、たくさんのオタマジャクシが死んでいたりして、水がなければ生きられない生き物の姿を目にしたり、日照り続きで雨が降らない日が続くと、学校の校庭は砂埃だらけで、雨のありがたさを感じるものです。鳥や虫、カエルが鳴く声を聴き、木々を揺らす風を感じ、緑の中に暮らす虫たちを見て、触れて、雨の音を聞き、川の流れを感じ、おひさまの温かさを感じる。

植木鉢に植えてある植物には、毎日水やりしないと枯れてしまうのに、外の世界に当たり前にある、雑草や、木々は、毎日水やりしないのに枯れないのはどうしてなんだろう?土の中は乾いているようだけど、植物たちは、どうやって水を吸い上げているのだろう?

水槽の金魚には毎日餌をあげないと死んじゃうのに、田んぼのオタマジャクシや、ドジョウは、何を食べて生きているんだろう?

自然に触れることで、湧いてくる何気ない疑問。自然に触れているから感じることは、机の上で学ぶ知識としてではなく、生きた経験として、積み重ねられていきます。

ただ学校で、「自然を大切にしましょう」と、言われるだけでは感じられない、心の中から湧き出る思いは、自然に触れることでしか生まれてきません。そこに生きるものが確かにいるから、自然を守ってやりたい。そこに、美しい花が咲いているから、ごみが落ちてたら気持ちが悪い。当たり前のように、そういう心が育っていくためには、たくさん自然に触れる必要があるのです。

虹の戦士のスピリットは、一人一人の心の中にある

 

~地球が病んで    動物たちが姿を
消しはじめるとき   まさにそのとき
みんなを救うために   虹の戦士たちが
あらわれる~
冒頭のインディアンの言葉をもういちど振り返るとき、虹の戦士は、ただのインディアンに古くから伝わる言い伝えではなく、私たち一人ひとりの心の中に、虹の戦士のスピリットを持つことができると感じています。たとえ、自分自身が虹の戦士になれなかったとしても、そんな子供たちを育てていくことも、私たち大人の役割なのではないかと思うのです。
このお話の最後に、老婆は語ります。
「愛と喜びをみんなの間に広げることだけが、この世界の憎しみを、理解とやさしさに変えることができる。この世界から、いっさいの戦争と破壊をなくするために、残された道はもはやそれひとつしかない」と。

自己肯定感が低いと幸せを感じにくい?

親であるなら誰しも、子供が幸せに育ってほしいと願っているものです。では、子供の幸せって、何でしょう?どんな大人になってもらいたいですか?

健康であること。人に必要とされる人であってほしい。幸せな家庭を持ってほしい。食べることに困らないように。お金の苦労をしなくていいように。いろいろあると思います。

でも、究極は、子供が幸せを感じて生きてくれれば、それでいいのではないでしょうか?

その、幸せを感じる心は、自己肯定感が大きく関係しています。

皆さんは今、幸せですか?皆さんのお父さんやお母さんが願ったように、「私は今とても幸せです。」言えるでしょうか?お互いのご両親がいたからこそ生まれてきて、出会い、結婚し、子供に恵まれ、そして、毎日を楽しく生きている。だからこそ、ご両親に産んでくれてありがとうと言えるでしょうか?

そして、もう一つ質問。皆さんは、自分のことがどのぐらい好きですか?

幸せは自分の中にある

以前、ドリームマップという夢を描き出すという講座に出たときに、ある質問をされました。

「あなたは、自分のことがどれぐらい好きですか?」と。

紙には空のコップの絵が描いてあって、自分の好きさを水の量で表してと。たくさん好きな人は、コップにいっぱい満たされた水を描き、自分のこと少ししか好きじゃないという人はちょっとの水、というように。

その時、大人20人ほどいた参加者の中で、水を一体満たしたのは二人。八分目ぐらいの人が数人と、後の人は半分ぐらいが多かったように思います。

これが、中学校で同じ質問をすると、コップに水がほとんどないという子も結構な割合いて、いっぱいという子はほとんどなくて、多くて八分目、ほとんどは半分ぐらい。

自分をあまり好きではないという子が、とても多くてびっくりしたことがあります。

自分を好きっていうのは、自己肯定感そのものです。

そして、何をもって幸せを感じるかは人それぞれです。何不自由ないお金があれば幸せ。おいしいものが食べられたら幸せ。家族みんなが健康であれば幸せ。家があるから幸せ。子どもがいるから幸せ。自由に自分のことができるから幸せ。人のお役に立てて幸せ・・・。

でも実は、絶対的に、これだから幸せっていう定義はないですよね。

その定義は、人それぞれで違うものだし、今日朝日がすごくきれいで、すがすがしい朝だったから幸せって感じる人もいれば、たくさんいろんなものに囲まれて、それでもまだ、いい車もほしい、持ち家もほしい。自分のやりたいことができずに、日々のちょっとしたことに幸せを感じることができない人もいます。

幸せを感じる心は、ただ一つ。自分を幸せにしてるかどうか。自分を大切に思っているかどうか。自分のことが好きかどうかです。

自分を大切にしている人は、空が青く澄んでて気持ちがいいとか、鳥の鳴き声や、吹き抜けるさわやかな風にすら幸せを感じられるものです。朝、一杯のコーヒーを飲むという行為だけでも幸せを感じるものです。

でも、自分を大切にできていないときは、あれがないから幸せになれないんだ、これがないから幸せじゃないんだ。あれさえあれば幸せなのにと、ないものばかりを求めるものです。

やはり、子供たちには、日々幸せっを感じてほしいものですよね。

では、子供が、自分を大切にして、日々幸せを感じて生きて行ってもらうために、私たち大人は、どんなことができるでしょうか?

自己肯定感の低い子供たち

今、日本の子供たちの自己肯定感の低さがいろんなところで問題になっています。海外に比べて、かなり低いのです。

日本を含めた7カ国の満13~29歳の若者を対象とした意識調査で、自分自身に満足しているという若者は、アメリカが86%、フランスが82.7%に対し、日本は45.8%。

うまくいくかわからないことに取り組める意欲があるのは、フランスで86.1%、アメリカは79.3%、日本は52.2%。

将来に希望を持っているか?という項目では、アメリカ91.1%、フランス83.3%、日本61.6%です。

どうやら、自分に満足感が得られないと、将来に希望を持ったり、うまくいくかわからないことにチャレンジする意欲が持てないということになりそうです。

では、その、自己肯定感の低さはどこから来てるのでしょうか?この調査では13歳から29歳の若者に対して行われています。ということは、小学校卒業までに、そういう子供たちができてしまっているということです。

その要因として考えられているのは、家庭の中においては、あれをしなさい、これをしなさい、早くしなさいと、指示を送り続けていること。以前の記事で、指示待ちの子供たちの記事にも書きました。自分で考えてやってみるという経験が少なくなっているとのではないかと思うのです。そして、やってみて、失敗して、その失敗から学ぶ経験が少ないということ。失敗したら笑われた。失敗したら、だから言ったでしょと怒られる。チャレンジして失敗して恥をかくより、失敗しないようにチャレンジしないという道を選択してきた子供たちが大きくなってきているのだということ。

そして、親の愛情というのも言われています。愛情といっても、ただかわいがっていればいいということではなく、子供を信頼しているか?ということです。失敗しても、あなたなら大丈夫。きっとできると見守れるというのは、子供を信頼していなければできないことです。

信頼するって、簡単なようでいて、意外と難しいものです。失敗するかもしれないのを手を出さずに見守るというのは、忍耐が必要です。ついつい手や口が出てしまいます。

自己肯定感は、大事にされること、信頼されること、失敗してもチャレンジする経験の繰返しで少しずつ積み重ねられることで育まれていきます。

親やおじいちゃんおばあちゃん、周りから大事にされる存在だという承認があって、初めて自分が大事にできるようになるものです。

大人も自分自信を大切にしよう

大人でも、この自己肯定感を持てない人が多くいます。それも、今までの経験の中で、失敗したら笑われたとか、何やってるんだと怒られたりという経験の中でできあがっていったもの。でも、それなら、自分で自分を大切にしてあげるところから始めてみたらいいんじゃないかと思うんです。

まあるい抱っこの時も辻直美先生から、自分を抱っこするのよと、お話がありました。まずは自分を大事にするんだよと。

時には、育児のつらさから、自分なんて、母親失格だとか、何にもできていない自分にダメ出しばっかりしてしまうときもあるでしょう。でも、そんなときこそ、自分を優しく包み込んで、自分を大事にしてあげてほしいんです。自分はよくやってると、自分で自分にご褒美をあげてほしい。自分を大切にできるようになれば、子供がかわいく思えてくるものです。

自分を大切にするというのは、大人にも必要なことで、具体的なデータはないのだけれど、自分を大切にできる親に育てられてる子どもは、自己肯定感も高いのではないかと思っています。

どうしても自分が好きになれないとき、でも、そういう感情もまた自分自身なのだと、いったん受け止める必要もあるかもしれません。自分のどこが好きじゃないんだろう?自分はどうなったらいいと思うんだろう?客観的に、自分を高いところから俯瞰するように、自分を見つめてみる必要もあるかもしれません。

どんな人も、感情に浮き沈みはあるものです。いい感情も悪い感情もなく、ネガティブな感情も、とことん落ち込んで浮上するためには必要な感情のこともあります。そこが次への原動力になることもあります。

どんな自分もオッケーと、まずは、自分を抱きしめてみましょう。

 

 

 

 

 

悪ガキと言われる子供たちの心の奥

数年前、子供たちの居場所を作りたいと思い立ち、庭を近所の子供たちに開放することにした矢先、乱暴で、口の悪い、全く大人の言うことを聞かない悪ガキ三人組が庭にやってくるようになりました。

その子たちとかかわる中で、悪ガキと言われるような子供達に、ある想いがあるのを感じました。彼らに必要なのは、どんな言葉なのか?どんな態度なのか?だんだんにわかってくるようになりました。

悪ガキたち

ケンカっ早くて、それまで平和に遊んでいた子ども達を押しのけ、ここは自分達の遊び場だぞ!って言わんばかりに好き勝手にする。ものは壊すし、大工道具は出しっぱなし。ケンカして馬乗りになって殴る蹴る。きっといつも怒られなれているからでしょう。怒っても、大人の言うことなんかまったく聞かず、説教も右から左へ抜け、説教が始まると思うと、さ~っと逃げ去り、ほとぼりが冷めるまで寄り付かなくなる。大人が居ないときに、勝手に火をおこしてたき火してたり、とにかくすごい子ども達でした。

でも、一方で、なんだか憎めない子どもらしさがあり、遊びを作り出すことに対しては天才的な才能を発揮するのでした。

ドジョウを大量につかまえて来て焼いて食べたり、おこずかいで野菜や魚介類を買ってきて、「鍋パーティーなるから火を起こして」と言ってきたり。その辺の木の枝と輪ゴムでモリを作って「魚取りに行ってくる!」と、駆け出して行ったり、「ペットボトルとガムテープをありったけちょうだい」というから渡すと、いかだを作り、水路に走って行ったり、大人では到底考えつかないアイディアをつぎつぎ出して、いつもびっくりするようなことをする子達。
彼らがいることで、遊びは飛躍的におもしろくなり、刺激的になるのでした。

怒りのコントロール

そんな愛すべき悪ガキ達ですが、腹が立ったり、自分の思い通りにならないと、すぐに手や足が出ます。
でも、「顔を蹴るのはやめなさい!」というと、「だって、俺のお父さんだって、おこると顔蹴るよ」って言います。怒ったときは、殴ったり蹴ったりすればいいってからだで覚えてきたんだとおもいます。怒りを表現する方法が暴力だとしか体験してなければ、当然子供もそうなります。その子が、口汚く友達をののしるなら、ほとんどの場合、家庭でも、親や兄弟に口汚くののしられています。

彼らが取っ組み合いのけんかを始めるたびに、怯える息子を安全なところに離し、殴りかかりに行こうとする子供を抱きとめ、なんでそうなったのか、話を聞きます。怒りが収まらないときには、

「頭に来たからって、殴っていいわけじゃないよ。少なくとも、うちでは誰も、怒っても殴ることはしないよ。怒って殴るのが当たり前じゃないんだよ。ほら、ちっちゃい息子も怖がってるじゃない?怒ったときは殴っていいなんて、この小さい息子に教えないでほしい。そんな時は、相手とちょっと離れていたらいいよ。気持ちが収まったら、一緒に遊べばいいじゃない。」

そう話しかけました。庭の小屋の中で、ふてくされてゲームを始めるその子も、そのうち、気持ちが収まったのか、いつの間にかまた一緒に遊びだしたりしています。

そうやって、何度も話ていくことで、怒りをコントロールする方法を、少しづつ、少しづつ身に着けていってくれた悪ガキたちは、それから二年後には、口はまだまだ悪いけれど、ほとんど殴る蹴るはしなくなりました。

乱暴物だって、本当は甘えたい

昔のお父さんはよくげんこつで殴ったりしたものです。でも、子どもを思えばこそという気持ちもよくわかったように思います。お父さんは多少威厳がある方がいいのかもしれない。でも、今の子供たちへのそれが、かっとなって振るうげんこつでないことを祈ります。ただ、彼らの話から、自分のお父さんはこんな仕事してるんだぞ、すごいんだぞ!と、父親を誇りを持っているようにも思います。
そして、そんな彼らも、お母さんのことは大好きなのがわかります。当時4歳の息子が私に甘えておんぶしてくると、
「いいな~。でも、おれ、あかちゃんいるから、甘えないんだ。お母さんにくっつくと、あっちいってって言われるし。」ってつぶやいたときがありました。
悪ぶってたって、本当は甘えたいし、自分のことを見てほしい、気にかけてほしい。きっと、これは、この子達だけじゃない。どんな子でも、特に、みんなに乱暴しちゃうような、やんちゃな子ほど、本とは心の中ではそうなんじゃないかと思うのです。

だからこそ、その子に気持ちをかけてあげられる大人が、周りにいてほしいのです。

 

 

ペイフォワードで今日から世界を変えてみよう!

ペイフォワードという映画はご存知ですか?

ある学校の先生が、子供達に、「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を出します。11歳の少年トレバーが考えたアイディアは、奇想天外なものでした。

人に親切を受けたら、恩を返す『恩返し』(ペイバック)は、日本の昔話でもなじみのある考え方ですが、トレバーが考え出したのは、『恩送り』(ペイフォワード)という方法。一日3人の人に親切にし、その3人は、違う3人に親切にする。それを繰り返していったら・・・。果たして、ペイフォワードで世界を変えられるのでしょうか?

『1つぶのおこめ』~さんすうのむかしばなし

今朝は、小学校での朝の読み聞かせがありました。6年生に読んだのは『1つぶのおこめ』という絵本。インドの昔話です。

あらすじはこうです。

むかし、インドのある地方に、一人の王様がいました。王様は、稲が実るころになると、「いつか飢饉になったときのために、わしがしまっておいてやる」。そう言って、お米を召し上げてしまいます。ある年、飢饉が来たけれど、王様はお米を人々に分け与えるどころか、宴会をひらいて、自分が楽しむばかり。賢い村娘ラーニはある計画を立てるのです。
王が運ばせる米のかごからお米がこぼれているのを見つけたラーニは、それを拾い一度王様に返すことで、褒美として1粒のお米と、それから30日間、翌日には前の日の倍のお米をもらうこととを王に約束させます。村娘相手に威厳を保とうとする王でしたが、一日目は1粒。2日目は2粒。3日目は4粒。4日目は8粒。5日目は16粒・・・。倍々に増えていくお米。30日目には、それはそれは考えられないほどの米粒をとりもどすことに成功したラーニ。

なんと、30日目に手にしたお米は、4つの米蔵いっぱいのお米。5億36870912粒。最初の日から合わせると、10億粒ものお米を手にしたことになるのです。

 

子どもたちも、最初は算数のお話か~ぐらいな感じで聞いていましたが、倍々でお米が増え続け、米蔵2つ分になったあたりの見開きの絵を見て、「やばっ!」って、ざわめきが。そう、あるところから、ものすごい勢いで増えていくんですね。

新聞紙を27回折ったら、富士山よりも高くなる、っていう話もありますから、倍々に増えていく数の面白さは、私たちの予想を超えていきます。

世界を変えるには何日かかる?

「1つぶのおこめ」では、倍々に増えていったら30日で合計10億粒以上になりました。世界の人口73億人として、全員に1粒お米がいきわたる量になるには、実は32日で行きわたるのです。

では、冒頭のペイフォワードに戻りましょう。トレバーは、一日3人に親切にする。その3人は、別の3人に親切にします。それを繰り返していくと・・・。「1粒のお米」のように、今度は3の累乗で増えていきます。そうすると、73億人が全員親切にされるためには、何日かかると思いますか?

 

実は、たったの21日です。

 

親切にされると、うれしくなりますよね。ありがとうの気持ちが湧いてきます。自分が親切にしてもらったように、他人に親切にしていけばいいのです。それも、たった3人に。それだけで、世界中がありがとうの気持ちで埋め尽くされる。そう思うと、なんかすごいですよね?

実際に、恩を送ってくれない人がいるかもしれないけれど、計算上はそうなるんです。世界にありがとうを広げていくには、21日あればいい。2人に親切にしたって、32日。

日々、楽しいことばっかりでもないでしょう。生きている限り、辛いこともあるし、憎らしい気持ち、悲しい気持ち、嫉妬する気持ち、怒り、いろんな気持ちが沸き上がります。でも、そんな気持ちがとげとげしている時でも、ほんのちょっと、ありがとうに変えていけるとしたら、世界はより良い方向に行くのかもしれないですよね?

この映画の結末は、ちょっとショッキングな結末だけれども、そうだとしても、恩は送られ続けるのです。次の人へと。

 

息子のペイフォワードと感謝の循環

去年の夏、長男が自転車旅行に出かけました。大阪から宮崎まで。その旅の途中でたくさんの親切を受けてきた長男。

ツイッターのフォロワーさんの家に泊めてもらったり、ドイツエコツアーでつながった友達の勧める宿を紹介してもらったりしていたようです。

息子のFBの投稿には、こんな記事が。

『電車で輪行してる時に向かいの席に同じく輪行してる40代くらいの男の人がいて気になってたんですが、その人も僕の行き先と一緒だったらしくフェリーターミナルでもまた会ったんです。それで自分から話しかけたら仲良くなって飯行こうと言われ、なんと腹一杯奢ってくれました!!
その人は、自分も若い頃は旅しながら散々いろんな人に奢ってもらったから、今度は自分がお返ししなきゃって言ってました。
僕もそういう大人になりたいです。』

 

その投稿に、旦那と私がコメントして、息子が返信します。

父『よかったね。大切なこと教えていただいて、ありがたい。』

息子『お父さんも同じようなこと言ってたよね。旅人っていいね。』

母『うんうん。そうやって感謝は巡るね。』

息子『俺も大人になったら巡らせたい』

そして、こんなことも。

『昨日の夜からずっと携帯の電源が切れて、今日は地図も何も無い状態での出発でした。熊本市内から、通行人や郵便局や村役場などで道を尋ねながら100km以上離れた街灯もほとんどない山奥の民宿になんとかたどり着いて寝床を確保しました…。

途中何度も何度も道を間違えてぐるっと一周したり同じ道を引き返したり大変でした…。

五木村に着いて安心したのも束の間、近くにいた人に携帯をお借りして2日前に予約した民宿に電話するも、予約は入ってないと言われて頭真っ白になりました。
けど幸い宿泊者がいなかったので急遽泊めてもらえる事に。
しかし役場の人に場所を聞いてみると五木村役場から民宿までかなり離れているらしく、辺りは真っ暗で車も歩行者もゼロ。
頂いた簡素な観光マップを頼りに真っ暗土砂降りの中走る事30分。
民宿の近くに着くと、暗闇の道端で傘をさして立っているおばあさんが。
そのおばあさんが民宿の管理人で、なんとさっきの役場から電話が来てずっと外で待っていてくれてたそう。
もう安堵と感謝と申し訳無さで泣きそうになりました。
本来その民宿は自炊なんですが、お腹も空いてるでしょうと言ってカレーを作ってくれました。感謝してもしきれません。

スマホが無いだけでこんなにも大変なのかと思うとスマホに頼りっきりな自分が恥ずかしくなりました。けどそのお陰で人の優しさに触れられました。
辛かったけど良い体験になりました。』

たくさんの人に助けられ、親切にしてもらったことで、自分も、今度は逆の立場になったとき、旅人に親切にしてあげたい。自然にそう思えたようです。

恩を送る。ペイフォワード。直訳すると、「次の人のために支払う」というのだけれど、実際に、そういうやり方のお店をやってるところもあります。アメリカにあるカルマキッチンというお店。

・あなたの飲食代はすでに清算済み
お店に入ると、「今日のお食事は、以前カルマキッチンに来た方からのギフトです」と言われるのです。つまり、飲食代はすでに前のお客さんによって清算済み

・次のお客さんの飲食代を払ってあげても、お花を贈ってあげても何してもいい
前のお客さんからの親切を受けたお客さんは、次のお客さんの分の支払いすることでペイ・フォワードをしても良いし、まったく別の形でペイ・フォワードをしても良いのです。多くの人は次のお客さんの分を支払いますが、過去には歌手の方がカルマキッチンの他のお客様に歌を披露することでペイ・フォワードをしたり、家に帰ってから奥さんに花を贈ることでペイ・フォワードをしたりする人もいたんだとか。

実際体験した人は、「カルマキッチン帰りだと、電車の中ではもう積極的に席を譲りたくなっちゃうし、困っている人がいたら助けたくなっちゃうんです。優しくされたのに、それを忘れて電車で『私が席に座るのよー!!』というワガママむき出しな行動はとりにくいのが普通の感覚ですよね。」と感想を述べています。

 

感謝の循環は、確かにありそうです。

まとめ

ぜひ、皆さんも、ペイフォワードを初めて見てください。今日より明日、より優しい社会になるように。まずは、お子さんに、「1つぶのおこめ」を読み聞かせ、ペイフォワードの話をしてみてもいい。もしかしたら、それがいつか何倍にもなっていくかもしれませんよ。誰かに親切にしてあげてもいい。誰かを笑わせてあげるだけでもいい。

子どもたちが、誰しも笑顔でいられる世界を作りたい。だから、今日も、読み聞かせの後に、ペイフォワードの話をしてきました。みんなにも世界を変える力はあるんだよと。