大人も子どももごちゃまぜに!

子どもたちが夏休み中、地域の中で子おもと大人をつなぐチャンスなんじゃないのかな~と思い、今年は町内会と連携して、「大人と子どもをつなぐ」ということを意識してみました。

ベースは、子どもが楽しめる企画というところなのですが、そこに大人もお手伝いに来てもらったり、ということを始めてみました。

大人と子どもがごちゃまぜに

今年はなんと、主人が夏休み初日にアキレスけんを切ってしまいまして、波乱の夏休みの幕開けでしたが、今年は、町内会の中で私たちが企画した企画が目白押しでした。

主人が町内会で企画していたラジオ体操は今年で3年目。

私が代わって行くことにして、朝は健康的にラジオ体操からスタート!

ハンコ係の子どもたちが頑張ってくれて、無事、5日間のラジオ体操も終了。

お土産のある最終日に向けてちょっとづつ増えていく子供たち。

お孫さん連れた地域の方や、友達同士で声かけあって来てくれたり。

たまたまお散歩中のご近所さんにも、「一緒にラジオ体操しませんか?」って声かけて。

ここ数年、コロナもあって(コロナ前からですが)、町内の大人と子供の交流が途絶えてしまっていましたが、一年目は3人だった子供が、三年目には17人の子どもが来てくれました!

『ラジオ体操の歌』を毎回歌ってくださるご年配の方の素敵な歌声からスタートする朝。

全員にパンとジュース。そして子どもにはちょっとした景品付きです。

そして、同じく町内会で今年初めて企画したのが夏休みの寺子屋。

寺子屋といいつつ、お勉強を教えるわけでも、プログラムがあるわけでもありません。

冷房の効いた集会所を開けてるから、自由に来てねと、朝から夕方5時まで、三日間。

宿題やってもいいし、卓球やボードゲーム、カードゲームもできるし、おやつ作ってもいい。セルフかき氷や、駄菓子もあります。

初日は、子ども三人で、そのほか、大人がおしゃべりしに来たりして、アイスコーヒー飲みながら涼んでいきましたが、二日目からは、子どもがいっぱい来てくれました。

お手伝いに来てくれた大人と卓球してくれる子もいたりして。

おやつ作りたいというので、ホットケーキミックスとホットプレートでおやつ作り。

一日目はお絵かきホットケーキ。

二日目はクレープ生地焼いて、好きな具材入れて、セルフクレープまきまき。

集会所に来てくれたのは男の子ばっかりでしたが、「オレが混ぜたい」「卵割りたい」「自分でひっくりかえしたい」っていう子ばっかりで、材料だけ準備しt、後は子どもたちにお任せ。

セルフかき氷は、作った氷がなくなるまで、何度でもお替り自由!

ただし、自分で氷を削ること。

 

そして、八月のお盆過ぎには町内会の夏祭り!こちらも、今年初めての企画です。

直前間dの雨で、チラシで呼びかけただけで、どのぐらい人が来るのか、お手伝いに来てくれる人がいるのか、まったくふたを開けてみないと分からなかった企画ですが、赤ちゃんから80代?まで、たくさんの親子、子ども達、お手伝いの大人が来てくれました。

射的は常に行列。お手伝いの方も大忙し。

地域の科学工作好きな方が、自作クレーンゲームをもってきてくださり。この方、頼んだわけではないのですよ。当日急に持ってきてくれて、「これ、置くとこあるかな?」と。

ありがたいことです。

他にもストラックアウトや、うちわづくり、三本木小唄踊ったり。

お手伝いに来て下さった皆さん、「あなた一人でやらなくていいから、みんなに仕事振ってね」と、それぞれが、「じゃあ、私はストラックアウトの所にいるわ」「私は駄菓子の所にいるわね」「あら、フランクフルト、まだこんなに余ってるの?どんどん焼きましょう」って、皆さん自分から動いてくれて、さすがだな~と感心。

外では大人が焼き鳥、フランクを焼いていて、子ども達はマシュマロ焼きも。

薄暗くなってきたところで花火!

「こんなに(町内に)子どもがいたんだね~」

「子どもがいるっていいね~」と言う大人の声や、

「また来年もやる?来年もこようかな~」という小学生。

焼き鳥焼いてる主人に、「ありがとな!おにいちゃん!!」お声をかけてくれるおじいちゃん。

「あ!ラジオ体操の人だ!」と、顔を覚えてて声かけてくれる子。

こうやって、地域の中で、大人と子どもがごちゃ混ぜになることで、赤ちゃん連れのママや、子どもたちにあたたかく声かけてくれる町内の皆さん。

お祭りが終わった後の撤収も早かった!皆さんの連携のいいこと!素晴らしい!

 

こうしてつながっていくためには、「楽しい」がキーワードだな~、と、いろいろやってみて思っています。

やってる本人が楽しい事。なんか関わったら楽しそうだと思えること。やってみたら楽しかった!またやりたい!って、思えること。

どんなに大変でも、その大変さを上回る「楽しい」が大事だな~と思います。

そして、継続。

まだまだ試行錯誤ですが、つながりをとりもどして、安心できる町に、やさしい町にしていきたい。

人と人とのつながりこそ 万全な防犯対策

「人と人とのつながりこそ 万全な防犯対策」

ドラマの『ばらかもん』でも、そんなセリフがありましたが、地域のつながりがあるからこそ、いざというとき安心できる町であるし、困ったときに声かけあったり、助け合ったりできるのだと思います。

先日、民生委員として、地域の介護施設の方や包括支援センターの方とお話をする機会があったのですが、そのとき心に残ったのは、たとえ、お年寄りが徘徊して歩くようになったとしても、地域の中につながりがあったら、声かけてあげたり、ご家族に連絡してあげたり、地域でできることもあるんじゃないのかなということでした。

地域の中に、将棋仲間だったり、お茶を飲んで話せる友達がいたら、孤立せずに済むのになと。

子育ても介護も、それぞれの家庭の中だけで完結しようと思うと、とっても大変で、一人で子育てするママ、一人で介護する家族にものすごく負担がかかるのです。家族のことだから、人に迷惑はかけられないと、自分一人で頑張ってしまう方も多いのですが、その背負った一人の身になにかあったら、本当に孤立してしまいます。

そして、孤立してしまうと、他の人の目に触れにくく、大変であることが気づいてもらえないのです。

子育てでも、介護でも、

もっと、地域の中で見守る目があったらね~。

大変な時、助けて欲しいと言える人がそばにいたらね~。

というケースも多々あります。

 

町の中に、子どもの遊ぶ声が響かなくなってきた昨今ですが、子どもはいます。

プレーパークや子どもの居場所をやっている中で出会った子の中には、夏休みになると晩ご飯しか食べないという子が何人もいます。昨日の夜から食べたのは、自分が買ってきたカップラーメンだけという子もいます。

そんな時、ちょっとお中にたまるものを作ってあげたり、買ってあげたりもします。

 

子育てにつかれたり迷ったりしてるママから相談受けることもあります。

ちょっと話を聞いてあげただけで、すっきりした顔で帰っていくこともあります。

時にはお子さんをお預かりすることもあります。

民生委員で回ったお宅で、もうずっと誰とも話していない。話ができてよかったとおっしゃる方もいます。

つながることでできることが、もっともっとあるのではないかと思います。

助けてと言える人が地域にいる。そんなつながりがあること。

そういう世界を作っていきませんか?

 

 

何のために生きてますか?


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NHKの番組で、先日放送されていた哲学的街頭インタビュー。

「何のために生きてますか?」というのを、

NHKプラスで見ました。

いろんな世代の人に、

「何のために生きてますか?」と尋ねます。

「楽しむために生きてる」

「別に。ただ、生きていられるまで生きてる」

「忘れられないために」

などなど、いろんな答えがありました。

その答えを聞きながら、私だったら何と答えるかな?と考えていました。

それと同時に、最近観てきた宮崎駿の「君たちはどう生きるか」のことも頭の中にかけめぐっていました。

今回は、ちょっぴり哲学的に、いろんな視点から、

「私たちは何のために生きているのだろうか」を考えてみたいと思います。

自然世界を眺めると

子どもたちと森や川に出かけると、ほんとにびっくりするような生き物たちとの出会いがたくさんあります。

先日のキャンプのレポートでもお伝えしたような、

いろんな魚、いろんなトンボのほか、

この前も、別の子どもたち連れて同じ場所に行ったら、カナヘビやカマキリを見つけたり。

生き物ハンターのアンテナを持った子どもは、

それぞれ独自のアンテナを持っていて、

子どもによって、見つける生き物が変わってきます。

同じ場所なのに、人が違うだけで、出会える生き物が変わるのです。

不思議なものですね。

さて、そうやって出会うたくさんの生き物たち。

時には家に持ち帰って飼ってみたりします。

持って帰ったカマキリは、水が足りなかったのか、エサが足りなかったのか、残念ながら死んでしまいました。

去年連れ帰って飼い続けているカナヘビは、冷蔵庫の中で冬眠し、春になって暖かいところに出してあげてから、夏になって無事に卵を産んでくれて、7月には赤ちゃんが卵から生まれました。

ちいさないのちが生まれる瞬間は、もう、目が離せなくて、もう、感動でした!

生まれては、次に命を引き渡して死にゆく生き物たち。

トンボのヤゴはこの後羽化に失敗し、カナヘビのえさとなりました。

無事に羽化した蝶は、新たな世界へ羽ばたいてゆきます。

世界を自由に飛び回り、出会い、新たな命を生み出すことでしょう。

生命は、はかなくて、力強くて、美しくて、神秘的で、愛しくて。

羽化に失敗して死んでしまうものもいたり、

大人になる前に食べられて死んでしまういのちがあったり。

でも、すべてのいのちは、つながれた命をただひたすらに生き、

次に命をつないでその命を終えていきます。

大人になる前に死んでしまった命であっても、

別な生き物を生かすためのエネルギーとなったり、

土に返って、次なる命を生み出す栄養になったりするのと思うのです。

それは、同じ種を残すためだけの命ではなく、

あらゆる生物を生かすための命。

カナヘビを生かすためには、クモやバッタの命が必要で、

その、クモもまた、小さな命を奪いながら生きています。

バッタは草を食べますが、その草の下には土があり、土の中には無数の土壌生物や微生物がいます。バッタが死んだら、無数の小さな生物のえさになり、最後は草の栄養となります。

田んぼの水を汲むと、たくさんの微生物がいます。

小さくて、顕微鏡じゃないとはっきりとは見えないのに、それでも一滴の水の中に生きています。ただただ生きています。

そして、死んだのちは、その体が栄養となって、イネを育て、私達が食べるお米になります。

全ての命はつながって、他の命を生かしています。

生きるとは、そういうことなのかもしれません。

何のために生きるのか

再びこの問いを考えます。

生まれ落ちたその命、ただただ、生き続けるために生きる。

それも間違いではないでしょう。

せっかくこの地球に生まれ落ちた命、楽しまなければもったいない。

この地球を楽しみ、ありとあらゆることを楽しみ、

生を謳歌する。

生きてる実感を感じたい。

それも間違いではないでしょう。

ただ、生命の本質を自然の中から見たときに、

「他の命を生かすために生きる」

ということが、なんだか今の私の中で腑に落ちるのです。

母は、命を賭して新たな命を生み出します。

死んでなお、その体を子に食べさせる昆虫もいます。

人間だって、昔に比べて妊産婦の死亡率は低くなったものの、赤ちゃんを産むのは命がけです。2020年には、ほぼ 2 分に 1 回の割合で妊産婦死亡が発生しています。

そして、そんな命がけのドラマの中で生みだされたこの命。

私が生きているこの時間の中で、このいのちをどう使おうか。

それが、今回の宮崎駿の「君たちはどう生きるか」につながってくるのです。

君たちはどう生きるか

ネタバレになるので、多くは語りません。

ただ、この映画から私が受け取ったメッセージは、

今より、よりよい世界を築いていきたいということ。

それは、誰かが考え、作り上げられた今の延長線上にある世界ではなく、

争いや、嫌なこともいろいろある世界だけれども、

自分なりに自分が考えたよりよい世界を作っていくということ。

 

それぞれが、自分がこの世界が楽しい!

今よりちょっとだけ素敵な世界じゃないかと思える世界を作るために、

この命を使っていく。

 

そういうことなんじゃないのかな~、というのが、映画を観た私の感想。

 

それぞれに受け止め方は違うだろうし、「何のために生きているのか」という問いの答えも、それぞれの価値観、人生観で違うことでしょう。

「君たちはどう生きるか」も、答えのない問いです。

 

それぞれに思う、「私はこう生きたい」という人生を送ってゆくしかないのだと思っています。

 

 

夏の冒険キャンプは生き物がいっぱい!~その3(星空へと続くホタル)


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夏の冒険キャンプも、いよいよ日暮れ。

ちょっぴり薄明るさが残るころから、

焚火や花火をしながら

ホタルの出る時間まで待ちます。

木を楽器に楽しんでみたり

花火花火♪

ダブル!

キャンプ場にたまたまいた、他の家族も一緒に花火♪

そして、いよいよ暗くなり、ホタルを見に川へ。

いました!

ふわ~り大きなあかりはゲンジボタルで、大きいホタル。

パッパッとフラッシュのような小さな明るい光は森のホタルのヒメボタル。

大きさは、ゲンジの半分ほどなのに、とっても明るい光を発します。

今年は今までで一番ホタルがたくさん飛んでいました。

森の中は、ぴかぴかクリスマスツリーのようで、

水面を漂うゲンジボタルがふわりと空高く舞い上がると、

空には星が。

ホタルの光と星が一体となって、何とも言えず幻想的です。

夜も更け、眠気に襲われた子どもたちは、あっという間に夢の中です・・・

そして、焚火を囲んだ大人タイム。

こうして、生き物に触れ、星空とホタルが一体となったような夜空を眺めたり、

一方で暗闇の森を横目に、焚火の揺らめく炎を眺めていると、

自分が森の中に紛れ込んだ、ひとつの生命体であるという感覚におそわれます。

人間は、ただ、この森におじゃましているだけの、ほんのちっぽけな存在で、

森には無数の生き物たちが生き、いのちを謳歌し、いのちをつなぐ。

人間よりもはるかにたくさんの生き物たちのいのちを育む森と川。

 

そして、このホタルの森のすぐ横には、太陽光パネルの設置のために切られた森があります。

人間って、そこに住まう生き物たちの存在に対して、なんて無頓着なんだろうかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

夏の冒険キャンプは生き物がいっぱい!~その2(捕まえて食べる)


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生き物いっぱいの川遊び。

川の深いところで魚の姿をたくさんみつけたものの、網で捕まえるのは至難の業。

深みで魚を捕まえるのをあきらめ、さらに奥へと行くことに。

天然のウォータースライダースポットに到着!

この流れが楽しすぎて、何度も何度も繰り返し流れます。

エンドレスです。

が、この後、この流れの中に魚を見つけ、網でさっと岩場にすくいあげ・・・

入れ物に入れてじっくり見ると、どうやらヤマメ!

その後、横から流れこんでいる冷たい支流の下の浅いところに、

大きい魚がいる!と、ママが発見!

網をかまえ、反対側から追い込み、

網に入った!!!

今回一番の大物!イワナです!

みんな大興奮です。

小さいヤマメは逃がしてあげてイワナは持ち帰って食べることに。

だいぶ暑い日だったけれど、しばらく全身水に浸かって遊んでいたら、

みんなブルブル震えだしていて、

大物もゲットしたし、そろそろ戻ろうか。

最後にもう一回水に浸かる!

さて、キャンプ場に戻って、着替えた後は、イワナを焼こうか!

立派~!!

中学生に魚の内臓をとってもらいます。

包丁が切れが悪いので、苦労していますが、

内臓が、買った魚と違って、ぷりっぷりで新鮮!

今の今まで生きてたんだもんね。

この後、パンパンな胃袋の中身を絞り出すと、

藻や、川虫がいっぱい出てきました。

みんなでまじまじと見て、「おぉ~!」と、なんだか感動。

その間に、火起こしチームは火をおこすのに挑戦!

最終的に、子どもたちに火おこしは丸投げ。

大人はテントのフライ張りと、中学生は魚の処理。

そして、なんとここでハプニング!

何かの拍子にもってきていたテントの骨が折れちゃったようです。

試行錯誤の末、添え木のような要領で、一時的な骨の補強をして、

何とかテント、復活しました!

テント復活してよかった~!て思っていたら、

火、起きてました!

そこで、さっそくイワナに塩ふって、焼きます!

お次は晩ご飯の支度です。

今回は、キャンセルも出て、少人数だったので、初めてキャンプピザ。

生地をのばしてもらって、

トッピングする野菜と、スープ用の具材も、中学生に切ってもらって

あとはそれぞれ、自由にトッピングして、焼きます。

一枚目は、焼き加減が分からず、クリスピーピザになりました。

うまい!

そうしている間に、イワナも焼き上がりました!

イワナ、うまっ!!めっちゃうまい!

出来上がったスープも飲んで、おなかが膨れたら、遊びタイム。

クルマバッタを捕まえ、

捕まえたバッタを焼いて塩ふって食べてみたり( ゚Д゚)!

そして、ダムの上までお散歩タイム。

子どもはやっぱり木を拾うんですね(笑)

ダムの上で、大きなフキの葉っぱみつけました。

トトロの葉っぱみたい♡

だんだん日が暮れてきました。

ホオの木の風車!ちょっとむずかしいけど、一応回った!

そして、夜への花火へと続く・・・。

夏の冒険キャンプは生き物がいっぱい!~その1


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先日、夏の冒険キャンプを開催しました。

今回もたくさんのびっくり、たくさんの生き物の出会いがありました。

キャンプの様子を何回かに分けてレポートします。

一日目は、30度を超す暑さで、川遊びに最適な日!

着替え用にテントをたてたら、もう汗だく!さあ、川に行くよ~!

気持ちいい~!!!

なんか、ここだけ水が湧き出てるみたい。なんかいるかな?

生き物パラダイス!多様な生き物たち

川の上流に蛍のえさになるカワニナ探しに歩いてみます。

早速カワニナ、発見!!上流にいっぱいいたよ!

コヤマトンボ!

ここで初めてつかまえた!カッコいい!!

カワヤナギにたくさんついていたのは、ヤナギルリハムシ。

小さいけれど、瑠璃色に光ってるきれいなハムシです。

ミヤマカワトンボのオスとメスが、ひらひらと飛んできます。

そして、なんと!

手づかみでカジカを捕まえちゃいました!

ダムの真下に来たら、大きなモクズガニ発見!

でも、残念ながら逃げちゃった!

さて、今度は下流のおさかなスポットに行ってみようか!

うっひょ~!ここ、深い!おなかまで濡れる!

あ!見て!

ママの足にトンボ!

なんと、ミヤマカワトンボがママの足にくっついて・・・

え!?

そのまま水に潜っていったよ!

なんで?って思ってよ~く見てると、なんと!

産卵してる?!

びっくりなことは、まだまだこれからも続きます。

 

夏の冒険キャンプ~川遊び&蛍キャンプ募集

今年も川あそびの季節がやってきました!
日中は川遊び。
夜はふわ~りふわ~りとぶ蛍を、眺めながらの暗闇探検。
着替えもたくさん持って、思いっきり川遊びしましょう!

冒険キャンプ詳細

【日時】
2023年7月8日13:00~9日15:00
【場所】
東北町(お申込みされた方に場所はお知らせします)
【対象】
6歳以上
(小学校3年生以上は子供だけの参加もOK)
【料金】
①デイキャンプ(晩ごはん)/小学生以上3000円
② 1泊キャンプ(8日晩ごはん、9日朝食、昼食)/小学生以上6000円
【募集定員】
子ども6名程度になった時点で受付を締め切ります。
(すでにお申込みいただいており、あと1~2家族程度で締め切ります)
【持ち物】
川遊び用に濡れてもいい靴、またはかかとのついたサンダル(かかとのついてないビーチサンダルなどは不可。大人も同様)、
テント、テントマット、寝袋、食器、はし、水着(または多めの着替え)、長袖長ズボン、靴下(夜の虫刺され防止に)、バスタオル、フェイスタオル、歯ブラシ、虫よけ、虫刺されの薬、飲み水、懐中電灯、あればキャンプ用の折りたたみ椅子。
虫網虫かご、日焼け止め、帽子は各自必要と思われる方。
※キャンプ場の水は飲用不可なので、各自飲み水をご用意ください。
※テント、テントマットがない方は、2セットまで貸し出しできますのでご相談ください。
※水着を持たない場合は、下着を含めた着替えは3セット以上必要かと思われます。
【その他】
お申し込み時に、参加者のお名前、生年月日、住所、電話番号、アレルギーの有無、何か注意すべき点があればお知らせください。

過去の夏の冒険キャンプの様子

川の生き物探ししたり

カワニナや川の生き物たちを観察したり

川の奥に探検に行ったり

水切りしたり

魚を捕まえようとしたり

夜になったら川辺でホタルを鑑賞し

たくさんクワガタに出会えた年もあった。

木登りしたり

スイカ割したり

こんな大きなカニに出会えた年もあった。

石でダムを作ったり

ちょっと流れのある所では、みんなで助け合いながら

美しい生き物に出会えたり

自分で釣り竿作って魚を釣ろうとする子もいた
野うさぎ捕まえた子もいた
何が起こるか、
どんな生き物たちに出会えるか、
それは、行ってみなければわかりません。
その年によって、出会うものが違うからです。
さあ、今年は何に出会えるでしょう?

ムックと子ども達


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今日、ムックが20年の生涯を終えました。

我が家に迎え入れてから、ずっとずっと

子ども達と共に過ごしてきたムック。

ほんとにありがとう。

ムックは保護犬でした。

ムックの周りにはいつも子どもたちがいました。

水が嫌いなムックは、庭で子どもたちが水鉄砲戦争を始めると、

迷惑そうに小屋の中に入っていくこともありましたが、

ムックと過ごした日々は、ほんとに楽しかった。

保護犬

ムックとの最初の出会いは、北里大学の犬部が開催していた譲渡会。

ただ子どもと一緒に見に行っただけのつもりが、「どの子にします?」

と聞かれて、「え、じゃあ、この子を・・・」

と、思わず答えてしまってからです。

それから急遽犬を迎える準備をし、犬の飼い方の本や、しつけの本を購入し、勉強しました。

茶色いこの子と、グレーの兄弟犬がいましたが、茶色いこの子を引き取り、

むくむくしてたからムックと名付けました。

こうして、20年前、娘と同い年のムックが我が家にやってきました。

子育てと、子犬のしつけの同時進行は、思った以上に大変でした。

吹雪の日の散歩も、まだよちよち歩きの娘をそりに乗せ、ムックを連れて散歩に出て、

そりの上で眠ってしまったり。

犬のしつけがうまくできなくて、お父さんを嚙んじゃったことや、ムックが成犬になってからは、力も強くなって、引っ張って歩く犬になってしまいました。

散歩中、おじいさんが引いてる大型犬と取っ組み合いの戦いをし、やっとのことで引き離したその時に、おじいさんに一言

「おめだの犬もやるな~!」(おまえんとこの犬も、なかなかやるな~)

と、言われたこともあったりして。

もう一匹の保護犬チビがきてからは、二匹で餌で争ったり、

リードが外れちゃって逃げ出したときは、奥の家に、どうにも相性が合わない犬がいて、真っ先にその犬とケンカしに走っていき、戦って流血して、平謝りに謝ったり。

なかなかどうして、たいへんなこともたくさんありました。

 

それでも、子どもたちが小さいうちは、犬ぞりで引いてもらって遊んだり、

犬の散歩といいつつ、子どもたちとたくさん外で走って遊んで、一緒に大きくなっていきました。

左がムックで、右がもう一匹の保護犬チビ。

チビは、冬に稲生川に落ちていたのを保護した犬で、5年前に亡くなりました。

チビもとっても面白い犬でした。

チビについてはこちらのブログに書いてあります。↓

https://ameblo.jp/sa-shindo/entry-12343587392.html

そして現在、三匹目の保護犬ラッキーが3年前に拾われて我が家にやってきました。

やんちゃなラッキーさんに怒ることなく、

しかたないな~って感じで接してくれていたムック。

ムックは、我が家の初代保護犬。

犬のいる暮らしは、ムックから始まったのでした。

子どもたちとムック

そして、長男が小学校の友達と遊ぶようになったころから今まで、ムックは子どもたちにとって癒しの犬となりました。

犬の散歩がしたいという子もたくさんいました。

「オオカミみたい」なんて言われながら、いろんな子たちがムックをなでていきます。

キャンプでも、お散歩に子どもたちが連れて行ってくれたり。

みんな、代わる代わる、俺ムック!とか言いながら、散歩してくれました。

ちびっこちゃんが来ても、おじいちゃんになってからは、されるがまま。

最近は、徘徊していたムック。

子どもたちが遊んでいるところにふらふらと入っていくけど、それはそれで、子どもたちもそういうもんだと思って、ムックが立ち去るのを待っててくれたり。

みんなの人気者でした。

時には、ムックなでながら、最近あったいろんなことを話してくれる子や、悩みを話してくれる瞬間もあって、そっか~、大変だね~。なんて話しながら、傍らにムックがいてくれたりするのです。

ありがとう、ムック

水が嫌いで、へっぴり腰で水をのむムック(笑)

たくさんたくさん、楽しい時間をありがとう。

 

 

2023年 春の冒険キャンプ募集!

今年の春の訪れは今までよりちょっと早いようですが、今年も春の冒険キャンプの季節がやってきました!
命が芽吹く春を感じる春の森に、ご一緒しませんか?
秘密基地づくりや、焚き火でマシュマロ焼いて食べたり、ハンモック、ロープの綱渡り、木登り、山菜採り、森の探検、粘土の採集、よもぎ摘み、お花のかんむり、おたまじゃくしの観察、夜は暗闇探検、草原に寝転んで星空を眺める・・・
森の春を、体いっぱいに感じましょう。
5/3の12:00から、5/4の15:00までの予定です。
キャンプする場合は、朝晩の冷え込みが予想されるので、しっかり防寒対策をしてきてください。

キャンプの詳細

【日時】
2023年5/3㈬12:00〜5/4㈭15:00
【場所】
東北町
※場所の詳細につきましては、
お申し込みいただいた方に後ほどお知らせいたします。
【持ち物】
3日の昼食は各自、長靴、長袖、長ズボン、着替2〜3セット、防寒、軍手、飲み水、食器、はし、歯ブラシ、タオル、おやつは各自。(アルコール飲みたい大人は各自持参)
※キャンプする場合は、キャンプ用品一式(テント、テントマット、寝袋、懐中電灯)
※子供だけの参加は、寝袋と、上記の持ち物だけでオッケー。
※テントがない場合はご相談ください。無料で貸出も若干あります。
【参加費】
①デイキャンプ(晩ご飯付き)/小学生以上3000円。幼児無料
② 1泊キャンプ(3日晩ご飯、4日朝食、昼食付き)/小学生以上6000円。幼児無料
【定員】子どもが6名程度になった時点で募集を停止します
参加される方は、お問い合わせメールにて
①デイキャンプか、②一泊かをお知らせください。
保険をかけますので、参加される方のお名前、年齢、住所、電話番号も合わせてお知らせください。
小学生以上であれば、子どもだけの参加もオッケーです。ただし、現地までの送迎をお願いします。
※水道が使えないため、お水はご持参ください。
※トイレも一応ありますが、きれいなトイレではありません。

これまでのキャンプの様子

最初は、森で遊んだり、焚火用の薪集めたりしながら、参加者みんなが集まるのを待ちます。

全員揃ったところで、いざ、森の探検!

山菜とったり、生き物探したり。

崖から粘土採集するのも忘れない。

採ってきた山菜は、キャンプ場に戻ったら、早速調理。

晩御飯前に、味見でどんどんなくなります。

子どもたちは、テントたてたり、晩御飯作ったり。

調理用に火起こししたり、木を切ったり。

火が起きたら、早速お鍋を火にかけ、煮込んでいる間に、

採ってきたタケノコを横で焼いて、

焚火で焼きタケノコや焼きマシュマロのおやつタイム。

焚火でぐつぐつ、煮込まれていきます。

この日は、タケノコ入りカレー。

つんだヨモギで即席ヨモギ団子もおやつで作ったり。

晩御飯も食べて、日が暮れていく頃、粘土をこねて、

焼きものづくりをしようという子ども達。

素焼きのお皿?

焚火に当たりながら、空を見上げれば満天の星。

原っぱに寝っ転がって星を眺めます。

二日目。

朝、焚火に火をつけるところからスタートして、

森の探検に、秘密基地づくり。

弓矢も作ってみました。

昼食の後は、片づけている間に、

野球やったり、森で遊んだり、木登りしたり、それぞれ好きなように過ごします。

体で地球を感じる瞬間

こんな楽しい春の森。

春の森は、おいしくて、おもしろい!

いろんな命がうごめいて、変わらず春には芽吹いてくれる植物たち。

朝にはにぎやかに鳴きかわす鳥たちの声。

わたしたちは、こんな、いのち溢れる星に住んでいる。

草っぱらに寝転んで星空を眺めれば、地球の上に寝転んで、地球と一緒にまわっている自分に気が付いたり。

 

体で感じるこの世界。

たくさんの子どもたちに感じて欲しい。

子ども時代に挑戦してますか?

このブログでは、とにかく、子どもたちにリアルな体験を!

自由な時間が必要。遊びが大事!

そういうことを伝え続けてきました。

遊びの本質は、これやったらどうなるんだろう?

これをやったら面白いかな?

そういうドキドキとワクワクであると思っています。

知らない世界は「怖い」

子どもたちは、地域の自然の中で遊んでいますか?

そして、どのぐらい地域のことを知っているでしょうか?

 

どんな生き物がいる?

どんな花が咲いてる?

空気のにおいは分かる?

鳥は鳴いてる?

虫の声が聞こえる?

季節の巡りを感じられる?

田んぼの水はあったかい?冷たい?

川の水は、田んぼの水とどう違う?

庭や近所の草むらと、野山では見つけられる生き物に違いがある?

生き物がたくさんいるところはどんな場所?

食べられる植物、木の実を知ってる?

子どもたちは、そういうことが体験的にわかってくるぐらい、外で遊んでいるでしょうか?

身近な自然に触れ、自分の住んでいる地域が、どんな環境なのか。

心地いいのか。

危険なのか。

そういうことを、体で感じていくことが、生物として必要な感覚なのではないかと思っています。

子どもが発達する段階として、まず初めに五感で感じます。

見る

触る

なめる

匂いをかぐ

音を聞く

五感の中で使える感覚全てを動員して、自分が生きる世界は、心地いいのか、身の危険があるところなのかを感じ取っていきます。

さわったり、なめたりしながら、快か不快かを感じていきます。

最初は、ただただ五感で感じる時期です。

かたい、柔らかい、チクチク、ザラザラ、軽い、重い、冷たい、熱い、甘、辛い・・・など。

熱いものを触った時、お母さんが、「あ、あっちっちだね~。」という言葉がけをすると、感覚と言葉が結びついていくわけです。

そして、握る、振る、落とす、たたく、かじるなど、動作を表す言葉も同時に、お母さんの声掛けから覚えていきます。

体を使った感覚が、すべての根底にあります。

そして、人は、経験していないことを「怖い」と感じます。

それは、未知の世界にどんな危険があるかもしれない、危険から身を守るための本能です。

小さなころから草原で遊び、虫や生き物たちと触れ合ってきた子は、虫が出てきてもあまり「怖い」とは思いません。むしろ、コンクリートや、塀で囲まれた清潔な空間の中しか知らない子は、予測不能な動きをする虫が「怖い」と感じる傾向があると思います。

知らないものは怖いのです。

でも、それがどんな動きをするのか、刺すのか、刺さないのか、危険はないのかがわかっていれば、怖くないんです。

未知のことへの挑戦

昨年の秋、子どもたちがカナヘビを捕まえてきました。

実際捕まえてみて、カナヘビは噛まない。比較的おとなしい。

そして、案外かわいい。

私も、カナヘビを飼うのは初めてだったので、まずは、何を食べるのか、図鑑を見ました。

クモ、ミミズ、バッタ、コオロギなんかを食べるようだと分かりました。

子どもたちも、寒くなる前は、毎日草原で餌取りし、あげる日々。

クモは嫌いだという子もいるけれど、カナヘビのご飯だと思うと、嫌な顔一つしないでせっせとクモをとってきてくれていました。

でも、あげてすぐ食いつくエサと、中に入れててもちっとも食べないエサがあるんですね。

どうも好みがあるらしい。

そして、三匹いるけど、それぞれ、よく食べる奴と、あんまり食べない奴がいる。

個体差があるんですね。

そういうことは、飼ってみて初めて分かることです。

ところが、困ったのは冬場です。

さて、どうしたものか。

ヒーターやライトを入れて、冬場もエサやりし続けて飼うか、冬になる前に逃がしてあげるか。冬場も飼い続けるにはコストと手間がかかる。逃がしてあげるか。

そう思ったとき、ふと思ったんですよね。

野生のカナヘビは冬眠すると。冬眠中は雪の下の土の中で、できるだけ代謝を落として食べなくてもいいように眠って春を待つのだと。

ネットをいくら検索しても、冬眠させてる人の情報は出てこなかった。

でも、雪の中は、意外と暖かくて、0度以下にはならない。雪国では、雪室というものがあって、外気が氷点下であっても、雪室の中は0度前後をキープできるんですよね。

ということで、虫かごのまま外に出したら、氷点下で死んでしまうだろうし、冬でも0度以下にならない場所は・・・ってことで、冷蔵庫に虫かごを入れて冬眠させることにしました。

変わりがあるかどうかわからないけど、雪の中にいる感覚に近いように、プチプチで包んで、中にもプチプチ入れてみました。

ただ、調べてみると、冬眠中も、時々水分をとっているらしいということで、乾かないように時々お水をかけてあげながら、一冬・・・・。

お水をあげるときに、生存確認。丸まって、ちゃんと生きてるみたいです。

先日、雪も解けて温かくなった日に、冷蔵庫からだして、日光浴!

生きてました!

なんだか感動です!

これも、

①土の中で冬眠しているカエルを掘り起こしたことがある。(寒いところなら冬眠させられるかも?)

②雪で作ったカマクラの中は温かい(雪の中は0度以下にならない)。

③物置に置いておいたリンゴは凍ってる(氷点下に放置するのは危険)。

という経験があったから、外に置いといたら凍って死んでしまうかもしれないけど、冷蔵庫の中に入れてみたら冬眠できるんじゃないか?という発想に行きついたわけです。

さて、無事、冬眠から目覚めたカナヘビたちにはエサが必要です。

さあ、これからまた、エサ探しが始まります。

知らない世界は怖い、でも、ワクワクする!

たった、カナヘビの冬眠させる、という未知のことに挑戦するのも、実はちょっと怖いのです。もしかしたらこのまま死んでしまうかもしれない。

そしたら、冬の前に逃がしてあげた方がよかった。自分がこの小さな命を殺してしまうかもしれない。

でも、それ以上に、うまく冬眠させられるかもしれない。

そしたら実験大成功じゃないか。

冬眠中の様子も観察できるし、何より、春、冬眠から覚めた時のことを考えると、何とも言えずワクワクするのです。

やったことないことは怖い。

失敗を恐れるなら、やらないほうがいい。リスクもある。

でも、それより、挑戦したときのドキドキとワクワクを味わいたい、という気持ちが勝つから、挑戦しようと思える。

挑戦しようと思えるのは、この、

未知の領域に足を踏み入れるドキドキ(怖いもの見たさに近い)と、

挑戦したことによって得られるであろう達成感に対する期待のワクワク

を知っているからなんだと思います。

それには、小さなころから、小さくても、たくさんたくさん、未知のものへの挑戦と失敗と成功を繰り返している必要があります。

ハイハイしていた子どもが、つかまり立ちし、手を放して一歩踏み出すような、そういう瞬間をです。

一歩踏み出したときに、周りの大人が、手をたたいて、満面の笑みでその挑戦と成功を喜んでくれる。それは、小さな子どもにとって、この上なくうれしく、誇らしい瞬間なのだと思います。

またその瞬間を味わいたいんだけど、一度できてしまったことは当たり前になってしまい、喜びや感動がなくなってしまう。その後も、あの感覚を味わいたくて、たくさんたくさんいたずらという名の挑戦をするんだけど、あるとき、「あれ?これは喜んでくれないぞ」と気づく。

いろんなことに挑戦しようとするんだけど、「これはばっちいからダメ」「だめだめ、それは触らないで」「これはあぶないからダメよ」と、周りの大人から危険や、やってはいけないことを学習をしつつ、挑戦するものがどんどん目の前からなくなっていき、かわりに、安全で安心なものばかりで周りを埋め尽くされ、どっぷり安心安全な柵の中の心地よさに慣れていってしまうのです。案外、これも悪くないなと。

もちろん、命の危険に関わるものは、絶対だめよと守ってあげる必要はあります。

でも、その守りの柵が、あまりにも守られすぎてて、ちょっと自分の能力以上のことへ挑戦する機会すら奪われてしまってはないだろうかと思うのです。

プールで泳ぐのは好きだけど、海で泳ぐのは怖い。

予測できる範囲の中では安心だけど、予測不能な大海原の真ん中で海に飛びこむのは怖い。

そういう気持ちは分かります。本能ですから。

だけど、広い海に出て初めて見える世界があるのも確かです。

広い海だからこそ出会えるものがある。

プールの中で満足して終わるか、広い海に飛び出してみるか。

ただ、どちらがいいも悪いもありません。安心なプールで好きな時に泳ぎ、好きな時にドキドキを味わうために飛び込むことだってできるのですから。そのプールを、誰かを喜ばせるために美しいプールに仕立て上げ、誰かを喜ばせるドキドキとワクワクを味わうこともできるのです。

皆さんは、何にドキドキ、ワクワクしていますか?

皆さんのお子さんはどうですか?

未知のものに対する挑戦、できていますか?

 

 

私たちは共生することを選んできたいのち

最近思っていること。

私たちは、他者と関わりあい、共生する存在であるということ。

今日はちょっと長文ですが、お付き合いください。

 

私たちは、「いきもの」ですよね?

ほかに「いきもの」をできるだけたくさん上げてください。

と言われたら、あなたは何を思い浮かべますか?

ゾウ、キリン、ライオン、クジラ・・・大きな生き物から、

犬、猫、馬、牛、豚、鳥・・・身近ないきもの。

タコ、イカ、サンマ、サケ、マグロなど、海の中のいきもの。

カブトムシ、クワガタ、バッタ、トンボ、カマキリ、蝶、アリ、テントウムシなどの昆虫。

カエル、トカゲ、ヘビなど、爬虫類、両生類。

ハエ、蚊、ゴキブリ、蜘蛛、ナメクジなど、嫌われ者。

ミミズやゲジゲジ、ダンゴムシ、ムカデ、ミルワームなど、土の中にいる生き物。

ミジンコやゾウリムシ、アメーバー、ミカヅキモなどなど、水の中にいる微生物。

植物だっていきものです。

カビ、酵母、キノコだっていきものです。

大腸菌や乳酸菌、ビフィズス菌のような最近だっていきものです。

「いきもの」とは何でしょう?

生物学という学問の中での定義では

(1) 外界と膜で仕切られている

(2) 代謝(物質やエネルギーの流れ)を行う

(3) 自分の複製を作る

それが「いきもの」です。

私たちも、いきものの一種ですよね。

冒頭でたくさんの「いきもの」を思い浮かべていただきました。

細菌や微生物から、虫や動物、植物まで、たくさんの「いきもの」がいましたね。

私たちも、その、いきものの中の、脊椎動物の中の哺乳類の中の人間です。

「私たち」とは、どこからどこまでか?

さて、そんな「いきもの」である私たちですが、

私たちが「私たち」というとき、どこからどこまでが「私たち」だと思っていますか?

私たち家族。

私たち学校の友達。

私たち職場の仲間。

私たち市民。

私たち県民。

私たち日本人。

私たち人類。

私たちいきもの。

おそらく、人それぞれ、その時々によって、「私たち」の定義は変わると思います。

けれど、「私たち」と言うとき、私は常にその中に含まれていますよね。

私だけこの丸の外にいて、丸の外から「私たちは・・・」などとは言わないのです。

もちろん、例えば、「私たち日本人」と言ったときに、「私」の数だけ、たくさんの「私たち家族」がそれぞれこの丸の中に存在します。

現代、「私たち」と言うとき、その、たくさんの「私」や、「私たち家族」が、それぞれ独立して分かれていて、そのつながりが見えない状態になっているのではないかと思っています。

それぞれの家族は核家族化しているし、家族の中ですら、「私」だけが孤立している場合もあります。

それぞれの国も独立してますし、貿易、交流してるとはいえ、他の国を脅かす戦争もなくなりませんね。

それって、それぞれが考える「私たち」の範囲が、とても狭いのではないのかと思うのです。

「私が良ければそれでいい?」

例えば・・・

*私は車で急いでいた。なかなか車が途切れず、吹雪の中、道路が渡れなくて困っている人がいた。私は車を止めてその人を渡してあげる?それとも、誰かが止まってくれるだろうと、自分は急ぎ通り過ぎる?

*のどが乾いたら、自販機でジュースを買った。歩きながら飲んでたけど、カバンがないからゴミ持って帰るの面倒。ゴミ箱もないし、いいや。ここに置いちゃえ。きっと誰かが片付けてくれるでしょ。・・・誰かって、誰?そのまま風に飛ばされて、川に落ちたら、そのまま海へ・・・。

「私」の考える「私たち」のなかに、地域の人は含まれている?

「私たち」のなかに、海や川で暮らす生き物たちは含まれている?

ゴミを片づけてくれる誰かは、「私たち」に含まれていない?

 

「私たち日本人が良ければそれでいい?」

例えば・・・豊かな暮らしが当たり前で、100均や、安売りは家計にも優しいよね。でも、その安い商品の裏側で、安い賃金で過酷な労働をせざるをえない人たちがいるのも知ってる。環境を破壊していることも知ってる。

でも、安い商品は、経済的にも助かるし、仕方ないとも思ってる。

ほんとにそれでいい?

「私」の考える「私たち」のなかに、他の国の人は含まれていないの?

「私たち」が便利で快適に暮らすために、見えない他の国の人が困っていても、関係ない?

 

一方的な関りではダメなんです

それぞれが、一方的ではなく、相互に関わりあえる関係になった時、私たちは心地よさを感じたり、楽しさを感じたり、幸せを感じたりするのではないでしょうか?

例えば、私たちが楽しいと感じたり、ワクワクしたりするときは、「私」の中からやりたいことが沸き上がって、実際やってみたら楽しいですよね。

でも、反対に、「私」の外側から、他人があれをしなさいこれをしなさいって、命令されてやるのは楽しくないですよね。

ベクトルが、自分から外に向いてるときは楽しくて、外から自分に向いてるときは楽しくない。

でも、ベクトルを常に外に向けてばかりだと、それぞれのベクトル同士が反発しあって、対立してしまうこともあります。あっちのやりたいことと、私のやりたいことが正反対だったら、対立しますよね。

「私は遊びたい」⇔「お母さんは遊んでないで勉強しなさいと言う」というように。

「私が楽しい」という状態になるには、「私たち」それぞれが相互に関わりあって、お互いの心地よい着地点を見つける必要があるのだと思っています。

あくまでも、自分の内側から外にベクトルは出ているのですが、気持ちの中では、相手はどう思っているのかな?自分がベクトルを向けたその先に、困っている人はいないかな?と、「私」の外側の世界に思いを向ける必要があるのです。もし、そこで対立が生まれるようだったら、やり方を変えたり、折り合いをつけたり、歩み寄ったりする必要がでてくるのです。

どちらかにだけ不利益が生じないように。

相手に不利益を生じれば、いつか自分に痛い思いとして帰ってくるでしょう。

例えば、私たちは、木を伐り、森を削り、経時的に発展してきましたが、それは、森の木々や、そこに暮らす動物たちにとってはうれしくないことですよね。その結果として、土砂崩れの多発や、温暖化の加速にもつながっているのかもしれないし、森が水を貯える能力を失うから、夏に水不足が起きたりする。森の食べ物がなくなるから、熊が里に下りてきて、獣害にあったりもして、結果的に私たちが困ることになっています。

でも、もし、木を切るときに、そこに住む生き物たちも、この地球に暮らす「私たち」の仲間だよねって思えたなら、森を皆伐することはしないだろうと思うのです。「私たちが使う分の木を、ちょっと分けてくださいね」っていう、宮沢賢治の世界のような心持ちを持っていたなら、こんな世界にはなっていなかったのだと思うのです。

私たちは一つのいのち

私たち人類の起源をたどってゆくと、アフリカにたどり着くという説があります。

でも、人類の始まりが、アフリカのホモ・サピエンスからだだったとして、アフリカの人類の始まりの、さらにその前にず~っとさかのぼっていくと、今から46億年前に地球が誕生し、38億年前に、突如海の中に生命が現れました。

32億年前に光合成をおこなうシアノバクテリアの誕生。その後、シアノバクテリアが大量発生し、地球には酸素が大量発生します。その頃、酸素は小さな細胞にとっては毒でした。

21億年前、酸素を使うことができるミトコンドリアや葉緑体をその体内にとりこみ、酸素の毒から身を守る大きな細胞が生まれました。ほかの細胞と共生した真核生物の出現です。

そうやって、酸素を利用できる細胞を取り込みながら、どんどん大きな細胞が出来上がっていきます。

細胞が集まり大きくなると、目に見えるようになります。

カイメン、貝やヒトデ、エビの仲間の登場。目ができ、海の中は、食べるもの、食べられるもの、追うものと逃げるものが一緒に生きる世界になっていきました。

次に背骨を持つ生き物が生まれ、

今から5億年前、水から陸へ上がる大冒険が始まります。

そうやって進化してつながってきたいのちは、今の私たち自身につながっています。

 

生命の誕生から地球の命の歴史を振り返ると、私たちは、みんな、どのいのちも、一つのいのちから始まったことになります。

私とあなたは、昆虫も犬も、ゾウも、鳥も、魚も、微生物も、細菌も、おなじ地球上のいのちとして、たったひとつのいのちから始まったいのち。

 

ここで再び問います。

「私たち」とは、どこからどこまでが「私たち」なのでしょうか?

私たちは、異なる細胞と共生する道を選んできました。

言い換えれば、共生することで生き延びてこれたわけです。

 

共生するためには、他者と、一つの共同体になる必要があり、助け、助けられ、思い、思われ、つながり続ける道を選んできた生命が、私たち人類であると、思えないでしょうか?

私たちは自然の一部であることを感じてほしい

私たちは、地球の一部であり、自然の一部であり、生き物の一部である。

今回、こうやって文章として見てみて、

あぁ、そうだよな。

と、感覚的に腑に落ちる人と、言ってることは分かるけど、きれいごとだよと思う人がいるのではないかと思っています。

この感覚が分かる人は、少なからず、自然の中に身を置いて遊んだり、楽しんだりした経験のある人ではないかと思っています。

ネットの情報、教科書や本のなかで勉強してきただけの知識ばっかりだと、感覚として腑に落ちることはないのではないかと思うのです。

この感覚は、やはり、自然の中で遊んできたから感じる感覚です。

自然と共に暮らしてきたからこそ感じられる感覚です。

移り変わる季節。食を通して感じる季節。遊びを通して感じる自然。自然の中に息づく命との出会い。

五感を通して感じることは真実です。

頭で理解することには間違いもたくさんあります。

自然とつながる体感を、どうぞこどもたちに味合わせてください。

わたしたちは、切り離された、独立した存在ではないのです。

私たちは自然の一部であることを感じてほしいと願っています。