子どもの遊びと大人の遊び心は、生きるために必要なこと

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子どもには、食べることと寝ることと、もう一つ必要なものがあります。

それは、「遊ぶ」こと。

遊ぶことは、空気を吸うように、お水を飲むように、子どもたちにとって自然なことです。

子どもが自ら遊びたくて手を伸ばす。これをやったらどうなるのかな?という沸き起こる興味から始まる遊びは、子どもにとって、生きる世界に適応していくことそのものなのです。

そして、実は、大人にとっても、遊ぶこと、ことに「遊び心」が必要なのです。

遊ぶことは、この世界に適応していくこと

遊びは、この世界に適応していくために必要なことだと言います。

例えば、子犬のじゃれあいを思い浮かべてください。

子犬は、じゃれあい遊びをしながら、噛みつくこともあります。でも、あんまり強く噛んだら、相手にひどく怒られます。そうやって遊んでいるうちに、強く噛んだら怒られることを学び、遊び方が上手になっていきます。

野生動物の中でも、そういったじゃれつき遊びが見られます。

遊びに夢中になっている間に、命を狙われる危険性があるにもかかわらず、遊ぶのです。

野生の動物は、ある程度成熟すると、環境に適応し、遊ぶことをやめます。親が遊びほうけていたら、子どもに注意が向かず、捕食者から狙われやすくなってしまうからです。

では、遊びは、それほどまでに必要なものなのでしょうか?

必要なものだから「遊ぶ」ということが遺伝的にプログラムされていると思うのです。

よく遊ぶ動物ほど、生き残る確率が高いと言います。

成熟する前の遊びの中で、狩りやコミュニケーションを学んでいくといいます。

遊びで、体力、知識、経験を積んでいきます。

人もまた、遊びによって、この世界を知ります。

この世界は、どんな世界なんだろうか?遊びながら、少しづつ確かめているのです。

小さい赤ちゃんは、触って確かめ、口に入れて確かめ、お母さんの表情を見て確かめていきます。それは赤ちゃんにとっての遊びです。

目に見えるものすべてが遊びの対象です。

そのうち、大人の真似をして遊ぶようになり、関わり合いで遊ぶようになります。

遊びによって、コミュニケーションの取り方を学んでいくようになるのです。

遊んだほうが、賢明な選択ができるようになります。

環境の変化にも、適応できるのは、遊んだ者の方です。

いろんな状況に対して、より良い選択ができるようになるからです。

遊びの中では、それはあくまでも遊びでなので、リスクを伴いません。

失敗しても、間違えても、それは遊びの中だから大丈夫なのです。

そして、生き残るために「遊ぶ」能力は、脳が成長する幼少期から若い時期に獲得しなければならない能力なのです。

若い時期に遊ぶことは必要だと言いましたが、実は、人間は、進化を遂げた結果、遊ぶことで脳を成長させ続けることができるようになりました。

認知症の予防に、遊ぶことが取り入れられているのは、このためです。

お年寄りと子供が一緒にいると、お年寄りが元気になるのも、このためです。

人間も、大人になるとだんだん遊ばなくなります。

でも、「遊び」を忘れない人が生き生きとしているのを見たことはないでしょうか?

遊び心を持った大人は、いつまでも若く、いきいきとしているものです。

遊ぶことをやめた者は、強い反面、融通が利かず、トラブルや不測の事態に弱くなりがちです。

遊ぶことをやめると、死に向かい始める

この言葉は、『遊びスイッチ・オン」という本の中の一節です。

ホヤという生物がいます。

はるか昔からいる、人類のきわめて古い親戚です。

科学者によると、今から五億五千万年ほど前に現れた人間の初期の祖先は、現代のホヤのオタマジャクシ幼生と似ていた可能性があるといわれています。

ホヤの幼生は、脳機能のような働きをしていて、小さい脳で、栄養か、害のあるものなのかを選別して移動します。そして、幼若期は、遊泳生活を送りながら成長していきます。

でも、いったん成体になると、岩や、船などに付着して、死ぬまでそこで生活します。もう、幼若期のように周囲に目を配らせる必要もなく、潮に乗って流れてくる栄養分をとるだけで生きていける。生き方が完全に受け身になるのです。

まるで、ソファで寝そべってスナックばかり食べている人のように。

そして、あろうことか、自分の脳神経節をむさぼるように食べるのです。

「食事ばかりしていて遊泳しないと、ホヤは脳食いゾンビになる」といったところでしょうか。

ホヤの例は、使わなければなくなっていくという自然界の原理を示しています。

モグラも、使わない機能(目)は退化していきました。

使わないと不要になり、自ら捨て去るか、自然に消失していくのです。

ホヤほど極端ではありませんが、多くの動物は、そのように、遊ばなくなると、その機能を使わなくなると、脳の発達が止まってしまうのです。

もし、私たちが遊びをやめたなら、遊びを卒業したほかの動物たちと同じように、決まった行動しかとらなくなり、新しいことや変わったことに興味を抱かなくなり、周りの世界を楽しむ機会も少なくなっていくでしょう。

遊びをやめると、私たちの成長は止まります。

すると、エントロピーの法則が働き、破滅に向かっていきます。

最終的には、ホヤのように、食べて寝るだけとなり、一つのところにとどまり、周囲と交流をとらなくなり、死に向かい始めるのです。

遊び心に火をつける

「遊ぶ」ことが、動物にとって、人間にとって、必要なことだと思えてきましたか?

今、子どもたちの遊びが、とても軽んじられているように思うのです。

遊んでばっかりいないで勉強しなさいと言われる子も多いです。

遊んでないで宿題しなさいとかね。

でも、遊びって、本能的に、生物学的に備わった能力で、自然に発動してしまうんですから、しかたがありません。

でも、その遊びたい欲求を、「やらねばならないこと」で埋め尽くされ、遊ぶ時間のない子がたくさんいます。

塾や習い事。学童保育も。

学童保育の多くは、友達もいるし、遊ばせてくれるからいいでしょ?って思うかもしれませんが、多くの子供たちは学童保育を好まない傾向があります。

なぜなら、やらなくてはいけないこと、やってはいけないことがたくさんあるからです。

遊びも決められてしまっているし、今は何をやる時間と、時間管理から遊びまで、子どもは、管理の対象になっているのです。

全部がそうだとは言いませんが、そういうところが非常に多いと思うのです。

「遊ぶこと」と「「遊ばせること」は、違います。

「遊ぶこと」は、自分の内側から「やってみたい!」と思い行動に移すこと。

「遊ばせること」は、周りが用意してあげたものです。本人がやりたいかどうかにかかわらずです。

先ほどのホヤの話で、生き方が完全に受け身になり、脳神経節をむさぼるように食べ始める、というくだりがありましたね。

受け身になるということは、自分が考えて選択しなくてもいいということです。

待っていれば餌が来るのと同じ状態です。

子どもが遊びたいと思う前に、目の前に何かが用意され、用意されたものをなんとなくさわって遊び始めるけれど、遊びの終わりも、本人がまだ遊びたいにもかかわらず、突然遊びの終わりが宣告されます。

自分が選択することはありません。

時々、プレーパークなどの遊び場に、子どもを連れてきた親御さんで、「ほら、せっかくだから遊んできなさい」と、子どもを送り出す方がいます。いくら自由な遊び場とはいえ、本来遊びは、「ほら、遊んできなさい」と言われるものではないのです。

本人が、じ~っとみんなの遊ぶ様子を見て、なんか面白そうだな~。自分もやってみようかな~。と思えるまで待ってみてほしいのです。

そして、一番は、大人が楽しむことが一番なのです。

こどもに「さあ、遊びなさい」と言う前に、大人の方が、「なにこれ、おもしろそう!私もやってみていいですか?」って、子どもそっちのけで大人が夢中になるぐらいの方が、子どもはすんなり遊びに入っていけます。

特に、初めて行く場所の場合、子どもも不安です。ここは何をやってる場所なの?ここは安全な場所なの?って。誰しも、初めての場所は不安です。小さい子ならなおさらです。

だからこそ、まず、大人が楽しげに遊び始めると、「ああ、ここは、楽しい場所なんだ」「私もお母さんのマネしてみようかな」って思えると思うのです。

遊ぶのが上手な子は、親が遊びを楽しむ力を持っていることが多いように思います。

「ほら、遊んできなさい」という前に、「おかあさん、これやってみようかな~」って、まずは遊ぶ姿を見せてあげてほしいのです。こうやると楽しいよ!って、楽しんでる姿を見せてあげてほしいのです。

そしたら、子どもは、遊ぶのが大好きになります。

大人は、つい、子どもに楽しいものを用意してあげたくなります。

でも、脳が発達するのは、遊びを受け身で待っている時ではなく、自分から遊びに向かっていく時なのです。

子どもが遊ぶためには、子どもに遊ばせるのではなく、必要なのは、大人の「遊び心」です。

プレーパークでも、よくいらっしゃいます。

子どもそっちのけで、木工をに夢中になる大人が。子どもより楽しんでいる大人が。

それでいいのです。

そり遊びも、まず、大人が滑って、「なにこれ、めっちゃ面白い!」とか言ってみてください。

もう、こどもは、やりたくてやりたくてたまらなくなりますから(笑)。

子どもがやりたがっても、「ちょっとまって、もう一回滑らして!」かなんか言ったりして。

子どもの遊び心に火をつけるのは、大人の遊び心だったりします。

そして、遊びは、喜びをもたらし、ワクワクした気持ちを起こさせ、もっとこうやったら面白いかもしれないと、想像力が膨らみます。遊ぶことで得られるその気持ちの高揚感は、癖になり、もっともっと遊びたくなるものです。

そして、その高揚感は、大人になっても、忘れることはないのです。

大人こそ、遊び心を!

私だったら、受け身になって、死に向かうだけのホヤになりたくはない。

人生、これでもかと楽しんでいきたい。

なぜなら、たくさん遊んできて、あの、遊びのワクワク感や、ドキドキ感、達成感や喜びを、また味わいたいと思っているからです。

だって、この世界に生まれたのに、勿体ないじゃないですか。限られたこの世に生きる時間の中で、たくさんの喜び、たくさんの胸の高鳴りを感じ、時には悲しみや怒りも、感情豊かに生きた証になるエッセンスだと思えば、闇の中から見つけた光は、どれほどの喜びになるでしょう。

長いこと遊んでいなくて、遊び方がわからなくなってしまったなら、小さな子供や、子犬や子猫と遊んでみるといいのです。それがかなわないならば、動画で見てみるのもいいかもしれません。彼らが、どんな小さなことにも、体全体で喜びを感じている姿を見て、思い出してほしいのです。

そして、時にはいつもと違うことをしてみるのもおすすめです。

いつもと違う道を通ってみるとか、いつもは入らないお店に入ってみるとか。

見慣れた日常から、見慣れない非日常の世界に足を踏み入れた時、違う世界が見えてきます。

日常を遊ぶ。

それもまた遊び心です。

遊び心を持った大人の姿を、ぜひ、子どもたちに見せてあげてほしいのです。

子どもの遊びと大人の遊び心は、生きるために必要なこと
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