ペイフォワードで今日から世界を変えてみよう!

ペイフォワードという映画はご存知ですか?

ある学校の先生が、子供達に、「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」という課題を出します。11歳の少年トレバーが考えたアイディアは、奇想天外なものでした。

人に親切を受けたら、恩を返す『恩返し』(ペイバック)は、日本の昔話でもなじみのある考え方ですが、トレバーが考え出したのは、『恩送り』(ペイフォワード)という方法。一日3人の人に親切にし、その3人は、違う3人に親切にする。それを繰り返していったら・・・。果たして、ペイフォワードで世界を変えられるのでしょうか?

『1つぶのおこめ』~さんすうのむかしばなし

今朝は、小学校での朝の読み聞かせがありました。6年生に読んだのは『1つぶのおこめ』という絵本。インドの昔話です。

あらすじはこうです。

むかし、インドのある地方に、一人の王様がいました。王様は、稲が実るころになると、「いつか飢饉になったときのために、わしがしまっておいてやる」。そう言って、お米を召し上げてしまいます。ある年、飢饉が来たけれど、王様はお米を人々に分け与えるどころか、宴会をひらいて、自分が楽しむばかり。賢い村娘ラーニはある計画を立てるのです。
王が運ばせる米のかごからお米がこぼれているのを見つけたラーニは、それを拾い一度王様に返すことで、褒美として1粒のお米と、それから30日間、翌日には前の日の倍のお米をもらうこととを王に約束させます。村娘相手に威厳を保とうとする王でしたが、一日目は1粒。2日目は2粒。3日目は4粒。4日目は8粒。5日目は16粒・・・。倍々に増えていくお米。30日目には、それはそれは考えられないほどの米粒をとりもどすことに成功したラーニ。

なんと、30日目に手にしたお米は、4つの米蔵いっぱいのお米。5億36870912粒。最初の日から合わせると、10億粒ものお米を手にしたことになるのです。

 

子どもたちも、最初は算数のお話か~ぐらいな感じで聞いていましたが、倍々でお米が増え続け、米蔵2つ分になったあたりの見開きの絵を見て、「やばっ!」って、ざわめきが。そう、あるところから、ものすごい勢いで増えていくんですね。

新聞紙を27回折ったら、富士山よりも高くなる、っていう話もありますから、倍々に増えていく数の面白さは、私たちの予想を超えていきます。

世界を変えるには何日かかる?

「1つぶのおこめ」では、倍々に増えていったら30日で合計10億粒以上になりました。世界の人口73億人として、全員に1粒お米がいきわたる量になるには、実は32日で行きわたるのです。

では、冒頭のペイフォワードに戻りましょう。トレバーは、一日3人に親切にする。その3人は、別の3人に親切にします。それを繰り返していくと・・・。「1粒のお米」のように、今度は3の累乗で増えていきます。そうすると、73億人が全員親切にされるためには、何日かかると思いますか?

 

実は、たったの21日です。

 

親切にされると、うれしくなりますよね。ありがとうの気持ちが湧いてきます。自分が親切にしてもらったように、他人に親切にしていけばいいのです。それも、たった3人に。それだけで、世界中がありがとうの気持ちで埋め尽くされる。そう思うと、なんかすごいですよね?

実際に、恩を送ってくれない人がいるかもしれないけれど、計算上はそうなるんです。世界にありがとうを広げていくには、21日あればいい。2人に親切にしたって、32日。

日々、楽しいことばっかりでもないでしょう。生きている限り、辛いこともあるし、憎らしい気持ち、悲しい気持ち、嫉妬する気持ち、怒り、いろんな気持ちが沸き上がります。でも、そんな気持ちがとげとげしている時でも、ほんのちょっと、ありがとうに変えていけるとしたら、世界はより良い方向に行くのかもしれないですよね?

この映画の結末は、ちょっとショッキングな結末だけれども、そうだとしても、恩は送られ続けるのです。次の人へと。

 

息子のペイフォワードと感謝の循環

去年の夏、長男が自転車旅行に出かけました。大阪から宮崎まで。その旅の途中でたくさんの親切を受けてきた長男。

ツイッターのフォロワーさんの家に泊めてもらったり、ドイツエコツアーでつながった友達の勧める宿を紹介してもらったりしていたようです。

息子のFBの投稿には、こんな記事が。

『電車で輪行してる時に向かいの席に同じく輪行してる40代くらいの男の人がいて気になってたんですが、その人も僕の行き先と一緒だったらしくフェリーターミナルでもまた会ったんです。それで自分から話しかけたら仲良くなって飯行こうと言われ、なんと腹一杯奢ってくれました!!
その人は、自分も若い頃は旅しながら散々いろんな人に奢ってもらったから、今度は自分がお返ししなきゃって言ってました。
僕もそういう大人になりたいです。』

 

その投稿に、旦那と私がコメントして、息子が返信します。

父『よかったね。大切なこと教えていただいて、ありがたい。』

息子『お父さんも同じようなこと言ってたよね。旅人っていいね。』

母『うんうん。そうやって感謝は巡るね。』

息子『俺も大人になったら巡らせたい』

そして、こんなことも。

『昨日の夜からずっと携帯の電源が切れて、今日は地図も何も無い状態での出発でした。熊本市内から、通行人や郵便局や村役場などで道を尋ねながら100km以上離れた街灯もほとんどない山奥の民宿になんとかたどり着いて寝床を確保しました…。

途中何度も何度も道を間違えてぐるっと一周したり同じ道を引き返したり大変でした…。

五木村に着いて安心したのも束の間、近くにいた人に携帯をお借りして2日前に予約した民宿に電話するも、予約は入ってないと言われて頭真っ白になりました。
けど幸い宿泊者がいなかったので急遽泊めてもらえる事に。
しかし役場の人に場所を聞いてみると五木村役場から民宿までかなり離れているらしく、辺りは真っ暗で車も歩行者もゼロ。
頂いた簡素な観光マップを頼りに真っ暗土砂降りの中走る事30分。
民宿の近くに着くと、暗闇の道端で傘をさして立っているおばあさんが。
そのおばあさんが民宿の管理人で、なんとさっきの役場から電話が来てずっと外で待っていてくれてたそう。
もう安堵と感謝と申し訳無さで泣きそうになりました。
本来その民宿は自炊なんですが、お腹も空いてるでしょうと言ってカレーを作ってくれました。感謝してもしきれません。

スマホが無いだけでこんなにも大変なのかと思うとスマホに頼りっきりな自分が恥ずかしくなりました。けどそのお陰で人の優しさに触れられました。
辛かったけど良い体験になりました。』

たくさんの人に助けられ、親切にしてもらったことで、自分も、今度は逆の立場になったとき、旅人に親切にしてあげたい。自然にそう思えたようです。

恩を送る。ペイフォワード。直訳すると、「次の人のために支払う」というのだけれど、実際に、そういうやり方のお店をやってるところもあります。アメリカにあるカルマキッチンというお店。

・あなたの飲食代はすでに清算済み
お店に入ると、「今日のお食事は、以前カルマキッチンに来た方からのギフトです」と言われるのです。つまり、飲食代はすでに前のお客さんによって清算済み

・次のお客さんの飲食代を払ってあげても、お花を贈ってあげても何してもいい
前のお客さんからの親切を受けたお客さんは、次のお客さんの分の支払いすることでペイ・フォワードをしても良いし、まったく別の形でペイ・フォワードをしても良いのです。多くの人は次のお客さんの分を支払いますが、過去には歌手の方がカルマキッチンの他のお客様に歌を披露することでペイ・フォワードをしたり、家に帰ってから奥さんに花を贈ることでペイ・フォワードをしたりする人もいたんだとか。

実際体験した人は、「カルマキッチン帰りだと、電車の中ではもう積極的に席を譲りたくなっちゃうし、困っている人がいたら助けたくなっちゃうんです。優しくされたのに、それを忘れて電車で『私が席に座るのよー!!』というワガママむき出しな行動はとりにくいのが普通の感覚ですよね。」と感想を述べています。

 

感謝の循環は、確かにありそうです。

まとめ

ぜひ、皆さんも、ペイフォワードを初めて見てください。今日より明日、より優しい社会になるように。まずは、お子さんに、「1つぶのおこめ」を読み聞かせ、ペイフォワードの話をしてみてもいい。もしかしたら、それがいつか何倍にもなっていくかもしれませんよ。誰かに親切にしてあげてもいい。誰かを笑わせてあげるだけでもいい。

子どもたちが、誰しも笑顔でいられる世界を作りたい。だから、今日も、読み聞かせの後に、ペイフォワードの話をしてきました。みんなにも世界を変える力はあるんだよと。

失敗から学ぶ~失敗談を子どもに語ろう

椋鳩十さんが編集した、「いたずらわんぱくものがたり」という本があります。
23人の児童文学関係者の子ども時代のお話を集めたもの。
みんな、子供時代は、いたずらしたり、バカなことしながら大きくなっていくものです。子どもは、失敗から多くのことを学びます。皆さんにも、子供時代のちいさないたずらから、大事に至ったいたずらまで、大なり小なり、経験があるのではないでしょうか?

大人が失敗談を子どもに話すことで、子どもは、失敗してもいいんだと、安心します。そして、お父さんやお母さんもいろいろ失敗してきたけど、今、こんなに立派な大人になってるじゃないかと、失敗を恐れない子になります。

私のわんぱくな子供時代

私は三人兄弟の一番末っ子。四つ上の兄、二つ上の姉がいて、おじいちゃんおばあちゃんと同居。小さいころ、うちは鍛冶屋で、裏の工場ではいつもガッシャン、ガッシャンと、機械の音が響いていました。両親は、毎日仕事で忙しく、私はおじいちゃんっ子でした。

頭は良かった父、でも、鍛冶屋を継ぐため進学できなかったことを悔やみ、せめて子ども達は大学を出してやりたい、自営業の大変さをいやというほど知っているので、私たち子どもが公務員になることを強く望んでいた父でした。
子ども時代、習字や英語、そろばんに通わせられていました。でも、おてんばでやんちゃな私は、「行ってきま~す!」と言ってうちを飛び出しては、近くの川原で遊んで、時間になると帰り、前回書いて花丸もらってた習字を見せては、「今日も花丸もらったよー!」と、うそをついていた子供時代。
そろばんは、暗算がどうしても苦手で、頭の中にそろばんを思い浮かべることが出来なくて、頭の中で筆算するので、ちっとも上達しない。いやでいやで仕方なく、こちらもサボってばかりでした。
おじいちゃんがかわいがって飼っていた文鳥を、手乗りにして遊んでて、ふと、テレビの下のガラス戸の中に閉じ込めてみたくなり、片方を開けて、出てきそうになると、ガラス戸を閉め、反対側を開ける。そんなことを繰り返しているうち、あ、こっちから出ちゃう!と、慌ててガラス戸をバン!って閉めると、文鳥の頭が挟まり、死んでしまっいました。どうしよう・・・と思ったけど、知らないふりして鳥かごに戻し、後になって母が死んだ文鳥を発見し、「あれ!鳥っこ死んでら!」という声に、そうなの?と、何食わぬ顔で答えてみたものの、後味の悪さが胸に今でも残っています。

理科のテストで、昆虫の体のつくりで、「あたま」と「はら」しか、どうしても思い浮かばず、隣の男の子のをカンニングしました。彼の答案用紙には、なんと、「あたま、はら、けつ」と書いてありました(笑)。

でも、その時は、そうか!と思って、「あたま、はら、けつ」と書いたのは、言うまでもありません。その後、間違いに気づき、二度とカンニングはしないぞと誓ったものでした。

小学校時代は気が強く、男の子をいじめるような子どもでした。同級生の気の弱い女の子をふざけて叩いて、その子のおじいちゃんがうちに怒鳴り込んでくることもありました。ああ、あの子は、おじいちゃんにすごく大切にされてる子なんだ、ってその時感じました。

あの時、おばあちゃんが、私を叱るでもなく、ただただすみませんでしたと、小さくなって謝っていたのが記憶に深く残っています。

私もまた、おじいちゃん、おばあちゃんに大事にされていたんだと、感じた出来事でした。

小五の頃、鍛冶屋の仕事をたたんだ父は、千葉に出稼ぎに行きます。一年後、母と私と姉も、千葉に行くことになりました。転校した私は、すっかり人見知りで、おとなしい子に変身してしまいました。千葉の小学校では、ピアノなんてできないのに、出来るとうそをついて、なぜか上手な子と二人でエレクトーンをやる羽目になり、出来ないのにどうしようと、エレクトーンの音を最小にして、ばれないようにやり過ごしたり、

水泳の選手に選ばれたのはいいけど、息継ぎが苦手で、長く泳ぐのに自信がなかった私は、夏休み中の水泳大会の時、おじいちゃんが危篤だから弘前に行かなきゃいけないと先生に大ウソをつき、夏休み中、ドキドキしながらうちで、息をひそめていたこともありました。

こうやって、振り返ってみると、大嘘つきのいじめっ子だった子供時代でした。

自分も失敗したからこそ、子供に言えることもある

思い返してみると、ドキドキした記憶は残ってるものだな~って思います。うそも、ばれるんじゃないかと、かなりドキドキしました。

そんな私も、親になった今、子どもがウソついたといっては怒ったり、分からないことがあるなら、恥ずかしいことじゃないから、分からないと言って聞きなさいって言ってるいるんだから、変なものですよね。

子供も親も、不完全で当たり前。自分だって、すっごい嘘つきだった。でも、ウソつくと、大人になった今でも、後味が悪いんだよって、教えてあげることはできる。

あのとき、知ったかぶりしないで、わかりません、できませんって言ってれば、うその上塗りして苦しまなくて済んだんだよって、教えてあげることはできる。

バカなことやってた子ども時代があるから、お母さんも、子どもの頃は、こんなバカなことしてたんだよって言ってあげられる。ああ、この子も、自分の子供時代と同じだなって、思って温かい目で見てあげられる。

完璧じゃなくていい。いい子じゃなくていい。ウソついてもいい。知ったかぶりして失敗してもいい。

失敗したから、今に活きている。子ども時代は、いっぱい失敗させていい。いっぱいバカやっていい。そう思っています。

そんな子ども時代が愛おしくなるくらいに。

自分の失敗談や、わんぱくな子供時代を語ろう

今の子供たちは、失敗を恐れ、人と違うことを恐れる傾向にあります。そもそも、学校教育がみんなと同じでなければならない、正しい答えを求める、そんな傾向にあるからです。みんなと違うことをすれば怒られるし、間違うと笑われる。

私も、子どもの頃は知らないと言えない子だったので、授業中「この問題わかる人?」と言われて手を挙げられないでいました。手を挙げたとしても、当てないで頂戴ねと言わんばかりに小さく手を上げ、当てられたら、もう、赤面してしどろもどろになっていました。間違うのが怖かった。

でも、今ならわかる。間違うことは悪いことじゃない。間違うから、次、どうしたらいいかを考えられる。どんどん失敗して、どんどん間違う経験が、子供時代に必要なんだと。

そのためには、親は、自分の失敗談を子どもに語ってほしい。いたずらして怒られたけど、楽しかった子供時代を語ってほしい。

そうすることで、子供たちは、安心して間違うことができるのだと思うのです。間違っても、失敗しても、むしろ、失敗したからこそ、今のお父さんやお母さんのようなステキな大人になれるんだと、その姿を示してあげられるから。

どうぞ、今夜、皆さんも笑いながら子供たちと、昔の失敗談を語ってくださいね。

おうちプレーパークにしよう!~子どもの遊び場がない!そんなときには

 

  【子どもが遊べるのは、今しかない!】
おうちが子どものたまり場になったとき、あなたならどうしますか?
集まっても、ゲームばっかりやってほしくない!

外で遊びなさいと言いたいけれど、外でボール遊びはできないし、おうちの前はすぐ道路。車がびゅんびゅん行きかう通りは危ないし。

そうだ!おうちがプレーパークみたいになっちゃえばいいんだ!
ってことで、今日は、おうちプレーパークの作り方~初級編です。

おうちがプレーパークになるために必要なものは?

プレーパークは、本来、火、土、水、木といった、自然を体感しながら、子ども達の”やってみたい”を応援する遊び場。普通の遊び場とは違い、冒険遊び場という言い方もあります。

でも、そんな、自由に遊べる場所が近くにないし、わざわざ連れて行かなきゃならない離れたところでしかやっていない。泥んこや火を使うようなこともさせてみたいけど、うちじゃあちょっとな・・・。そんな状況にある方は多いと思います。

そもそも、プレーパークって言ったって、庭ないし、アパートだし・・・
でも大丈夫。

おうちで、プレーパーク的なことはできるんです。

ただし、散らかるのは覚悟してくださいね。そんなに散らかして!って思う言葉をぐっとこらえて、こどものやりたいようにさせてみたら、子供たちの創造力はどんどん膨らんでいきます。

まずは、初級編。

用意するものは、

割りばし、輪ゴム、段ボール、はさみ、ガムテープ、セロハンテープ、裏紙、水性マジック、新聞紙など。ようは、工作できる環境をととのえてあげること。100均で十分です。

①新聞紙をびりびりしたり丸めて投げたり

新聞紙は最高の素材です。びりびり破って新聞プールにしてみたり、首をくりぬき、服にしてみたり、新聞紙のボール投げ、新聞ボール投げで的あて、玉入れ、チャンバラの剣にもなるし、太鼓のばちにも。想像力を働かせれば、いろんな遊び方ができます。

②割りばしでゴム鉄砲作る。


誰が一番よく飛ぶゴム鉄砲作れるか、連射するゴム鉄砲作ったり、威力が強いのは誰のか?試行錯誤して、結構すごいゴム鉄砲が出来たりします。最後はもちろん輪ゴム戦争!

③段ボールで遊ぶ!


段ボールに窓をつけたり、ドアをつけたり、自由にデザインして、段ボールハウスを作ろう!ガムテープでつないで、段ボールトンネルも楽しい♪段ボールの秘密基地は、子供の定番の遊び。

段ボールで仮面ライダーのベルトを作ろう♪
段ボールロボットを作ろう♪
段ボールの可能性は無限大。散らかるのは覚悟で、自由に作らせてみよう。

④紙飛行機大会をしよう♪
誰が一番よく飛ぶ紙飛行機を作れるか、競争しよう!よく飛ぶ紙飛行機の折り方の本を図書館から借りてきてみよう。

⑤工作に飽きたら、クッキングも。


簡単にできるホットケーキやクッキーづくり。たこ焼きパーティーは、好きな具を入れて楽しめるのでお勧め♪クックパットで調べてあげれば、子どもでもできる簡単おやつもたくさんあるので、好きなようにクッキングさせてみよう。

まとめ

つまり、子どものやりたいを、応援してあげるということ。
いつもは大変だろうけど、たまには、ちょっとくらい、散らかってもいい。そんな風に、大きな心で温かく見守るときがあってもいいと思います。
子どもの創造性が伸びることを考えたら、たいしたことじゃありません。
ガムテープやセロテープは、消耗品です。もったいないけど、好きに使っていいよと、言ってあげられたらいいですね。

プレーパークの理念は、

子どもの”やりたい”を応援する遊び場。

自然が一番だけど、身近に環境がなければ、自分の家でもプレーパーク体験はさせてあげられます。
ついでにいうと、マンガ本や、本、絵本、トランプ、オセロなんかがあってもいい。
作るばかりじゃなく、

自分の世界にこもりたいときもあるものですから。

子どもがおもいっきり遊べるのは小学校まで。長いようで、意外とあっという間に大きくなっちゃいます!子どもが、友達連れて遊びに来て、「何やる~?」ってなったら、ぜひ!!
いつもじゃなくてもいい。たまには、こんなことも許してあげて欲しい。たくさんの楽しいことを経験させてあげて欲しいと思っています。この、小さなときに創造力を使って遊んだことが、後々、困難に出会ったときに解決する能力だったり、失敗を恐れず試行錯誤する力だったり、新しいアイディアを生み出す力の源になります。

秘密基地のある家に憧れて~ツリーハウスやいろいろな秘密基地

「秘密基地」という言葉に、なぜかドキドキしませんか?

皆さんも子供のころ、空き地に秘密基地を作ったり、押入れを秘密基地にしたりして遊びませんでしたか?ちょっと薄暗く、狭い空間に、懐中電灯片手に友達と肩を寄せ合い漫画を見たり。庭にツリーハウスがあったらな~・・・。そんな風に思ったことのある人も多いのでは?

『秘密』ってだけでちょっぴりドキドキする、そんな秘密基地について書いてみます。

秘密基地の出てくる物語


秘密基地が出てくる物語は多いですよね。
映画「スタンド・バイ・ミー」では、ツリーハウスのような小屋に集まった少年たちが、ちょっぴり悪いことしてみたり、トランプに興じるシーンが出てきます。
テレビドラマで、アニメを実写番にした「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」も、秘密基地が舞台でしたし、漫画から、映画化された「20世紀少年」も、秘密基地が始まりでした。
「僕らの7日間戦争」や、「トムソーヤの冒険」、「ナルニア国物語」のタンスの中や、「ネバーエンディングストーリー」の学校の屋根裏なんかも、異次元空間につながる秘密基地。

ディズニーランドにも「ロビンソンクルーソー」の秘密基地がありますね。

秘密基地には、何か、そこから物語が始まるようなワクワク感があるものです。

 

いろいろな秘密基地

子供の頃、大人に隠れて友達と過ごした時間。押し入れの中だったり、川原の土手下のトンネルの中だったり、原っぱの片隅だったり。漫画本やお菓子やジュースを持ち込んで、何を話していたかも忘れてしまったけど、

隠れて、という行為に、なんだかドキドキした子供時代。

木の枝を集めて作る秘密基地。

森の中だと、こんな大きい基地も作れます。

女の子が作れば、お花を飾ったり、ちょっと乙女チックに。

庭の一角に、布や敷物を持ち込んでみたり。

廃材で作ってみたり

段ボールがあれば、簡単に秘密基地が作れちゃう。

田んぼの稲わらだって、子供たちにとっては秘密基地。

植え込みの中に秘密基地作ったり

空き地で草を束ねて秘密基地。

ツリーデッキも、自分たちで作れば、立派な自分たちの秘密基地。ここは俺たちの秘密基地だ!って、子供時代の忘れがたいワンシーン。

 

みんなで、別な秘密基地、探しに行こうぜ!って、いい場所探し歩いてみたり。

大人も一緒に作れば、こんな秘密基地だらけの遊び場に。

我が家のプレーハウスは、けいどろの牢屋にもなり、戦いの要塞にもなり、女の子のかわいらしいおうちにもなり、金魚を置いて魚屋にもなったりします。使う子供たちの遊びに合わせて、いかようにも形を変えるプレイハウス。

雪の中だって穴を掘ったら立派な秘密基地。

穴といえば、土を掘って秘密基地を作ろうと頑張ってみたり。

家の中では何といってもやっぱり段ボール。

椅子やテーブルの下も、秘密基地に。

押入れの中も秘密基地の定番。

 

秘密基地を作りたくなる本

家の中でも、押入れに秘密基地作ったり、こたつの中だったり、テーブルの下だったり、皆さんもいろんな秘密基地を作ったことがあると思います。

そんなインスピレーションくすぐられる絵本がこちら。

「わたしのおうち」

「おおきなきがほしい」

「わんぱくだんのひみつきち」

「アンドールのひみつきち」

「クリスティーナとおおきなはこ」

「いえでをしたくなったので」

「あなただけのちいさないえ」

子供の読み物では、

上に紹介した、

「ナルニア国物語」

「僕らの7日間戦争」のほか、

「一五少年漂流記」

「モグラ原っぱのなかまたち」

「13階だてのツリーハウス」

大人の読み物としては、

「大人が作る秘密基地」

「秘密基地のつくり方」

「ファンタジーを遊ぼう3 秘密基地のつくり方」

など、わくわくする本がたくさんあります。

ぜひ、子供時代を思い出して、

これらの本を自分の子供にも読んでみてください。

そして、ぜひ、秘密基地を作ることを許してあげてくださいね。

 

Happy Children 新藤潤一のプロフィール

Happy childrenは夫婦で子供たちのために始めました。自然体験やプレーパーク、創作体験など、子供たちが生きる力をつけるための活動をしています。

四児の父として、夫婦でお互い足りない部分を補いながら、幸せな家庭を作っていきたいと思っています。夫婦でやるので、ダイナミックに遊ぶ部分や力仕事、人前でしゃべることは父が、食のことや、子供たちの細やかなケア、書いて発信することは母が、自然な形でお互いの得意な分野を役割分担しながら活動しています。

新藤潤一の略歴

私は、群馬県の自然豊かな山あいの町で、年の離れた弟と二人兄弟で育ちました。小さい頃は、友達と毎日日が暮れるまで目の前の山で遊び、洞窟探検や秘密基地づくりをしたり、川で遊んだりしていました。

自分の父は、幼い頃からミシン会社の仕事を営み、土日もなく毎日夜が遅く、家族で夕食を共にした記憶も少ししかありません。あるとき、知人の借金の保証人になっていたことや、信頼して雇っていた人の使い込みなどが原因で多額の借金を背負うことになりました。家には返済を迫る脅しのような電話や、借金取りが直接やってくるようになり、家族で夜逃げをして父の友人宅に逃げ込み、倉庫の二階で隠れるように暮らしていました。そんなある朝、高校生だった自分の目の前で、悪化していた持病のせいで父が突然亡くなりました。父が亡くなった後も、父の知人は何も言わず、私達親子三人を住まわせてくれました。

その後、高校を卒業し、大学で弘前に。そこで探検部に入部し、白神山地や岩木山に魅せられました。そして、同じ探検部の後輩として妻と出会いました。

大学院まで進み、昆虫学を研究して、卒業後は東京に就職しました。でも、そこでの仕事や東京での生活が肌に合わず、体を壊してしまいます。そんな時、私を心配した大学の昆虫学教室の先生が声をかけてくれて、結局二か月で退職し、先生の紹介で大学の助手として弘前に帰ってきました。そして妻と再会し結婚しました。

ところが、新しく働き始めた職場も、3年半がたった頃、教授の退官と共に様々な事情で教室が解散することになり、公務員試験を受けなおし、青森県の職員になりました。今は県職員を退職し、研究所職員として、大学時代の学びが生かせる害虫の研究をしています。

こうして経歴を眺めていると、人から見たら波乱万丈な人生だったと思うのですが、全く大変だったとは思っていません。いろいろな困難があったときに、必ず救いの手を差し伸べてくれる人、自分を理解してくれる友人がそばにいました。白神山地で語りあった仲間もいました。

いい父親になりたい

私は、高校生の時に父を亡くしています。子供の成長した姿を見ることができなかった父は無念だったろうな、と思っていました。だからなのか、結婚したとき、まず思ったのは、「いい父親になりたい」ということでした。

子供のころから自然の中で遊ぶことが好きで、探検部時代の多くの時間を白神山地や岩木山で過ごしました。自然の楽しさを知っているので、子供たちを自然の中で遊ばせたい、という思いがありました。

自然の中で遊ぶ子供たちは本当に生き生きしていて、生きる力があふれていました。この、生き生きした子供時代をすごすことが、自分の子供たちだけではもったいない。たくさんの子供たちにも経験させてあげたい。

いい父親になりたいという思いは、ほかの子供たちにも向かいました。

夫婦の形

家庭の中では、どうしても母親が多くの時間を子ども達とすごします。そんな中、父親に何ができるだろうかと、考えたとき、育児で大変な母親を支えてあげることが、大事なんじゃないかと思うようになりました。また、自分自身も子供と接する時間を少しでも多く持ちたいと思い、子供をお風呂に入れたり、寝かしつけしたり、自分ができることを自然とやるようになりました。子供たちと川の字になって絵本を読んだ幸せな時間は、自分にとってかけがえのないものになっています。

 

 

Happy Children 新藤幸子の略歴とプロフィール

子供たちの幸せな未来を作る、Happy Childrenの新藤幸子です。

四人の子供の母であり、小学校と中学校のアシスタントティーチャーをする傍ら、自由な子供の遊び場として、夫婦でプレーパークや自然体験活動、読み聞かせ活動などをやっています。

夫婦で活動しているHappy Childrenに込めた想いをお伝えします。

プレーパークって何?

東京都内や、関東などでは知名度もあるプレーパークですが、ここ、青森県では、まだできたばかりで、知名度も高くはありません。

プレーパークとは、子供たちが、安全に、既存の設備や遊びのプランの選択肢に縛られることなく、自由に自分たちのアイディアとスタイルで楽しみ、発見や創造する喜びを味わえる、冒険遊び場です。

デンマークで発祥し、日本では、東京世田谷の羽根木プレーパークをはじめとして、日本全国に広がってきています。

汚いからやめなさい、危ないからダメ、というような禁止事項を極力なくし、子どもたちが「自分の責任で自由に遊ぶ」ことをモットーに、工具や自然の素材等を使って自分のしたいことを実現できる遊び場としてプレーパークがあります。

プレーパークでは、木に登ることもできるし、泥だらけになってもいい。秘密基地を作ったり、穴を掘ってみてもいい。木工や段ボールや絵の具、そこにあるもので、自分の自由な発想で遊ぶこともできるのです。

なぜ、子供に自然体験が必要なのか?

私たち夫婦は、大学時代探検部で知り合いました。山登り、川下り、サイクリングに洞窟探検、クライミング。いろんなことに挑戦しました。やったことのないことに挑戦することは、楽しく、毎日が刺激的でした。

山の中でキャンプし、夜は満天の星空の中、たき火を囲み語り合う。自然の素晴らしさと、怖さを知りました。

ヒッチハイクで、北海道を歩いたり、旅先で、いろんな人に助けられ、人の温かさを知りました。

そんな経験を経て、結婚した私たち夫婦に子どもができると、自分たちが経験してきたことを、子供たちにも経験させたいと思うようになりました。それほど、楽しく、すばらしい経験だったからです。

 

自然な暮らしは、私たちの中では、当たり前のことでした。美しい自然を、そのまま子どもたちに残していくためには、自然にインパクトを与えない暮らし方が大切だったし、小さなうちから、五感を使って、自然と触れ合うことは、とても大切なことだと思いました。

そこで、気の合う友人家族と、よくキャンプに行きました。子どもたちは、自然の中で、これでもかというほど、よく遊びました。子どもに備わっている、遊ぶ力、生きる力をまのあたりに見てきました。そうして、自然の中で遊びを見つけ、遊びを生み出していく子供たちは、本当に生き生きとしていたのです。

 

ところが、子供たちが小学校に上がると、スナック菓子片手に、ゲーム三昧の子供たちが、周りにはたくさんいました。すぐに「疲れた~」と言って座り込む子供たち。

何かが違う。子どもたちの「疲れた」は、「やることがなくてひま」なんです。ゲームしてても満たされない。ただの時間の浪費でしかない。

本当に楽しければ、「まだ帰りたくない」「明日も遊びたい」「この続き、明日やろうぜ」って、そうなるはずなんです。本当は、子どもたちの遊ぶ力は無限大なんです。

そう思ったとき、私たち夫婦は、自分たちの子供だけじゃなく、周りにいる、たくさんの子供たちに、思いっきり遊べる子ども時代に、たくさん自然に触れてもらいたい。自然の美しさを感じてほしい。そういう想いで、春の森でのキャンプや、ホタル観賞しながら川遊びキャンプを企画してきました。

そして、日常の子供たちの居場所として、自然遊びの延長線でもある、プレーパークを始めたのです。

私の生い立ち

私は、弘前の城下町に生まれました。家は鍛冶屋で、小さなころから裏の工場では、ガシャンガシャンと、鉄を打つ機械の音が響いていました。

おじいちゃん、おばあちゃん、父、母と兄と姉、私の7人家族で、日中は働く父母と遊んだ記憶も少なく、おじいちゃんおばあちゃんに末っ子としてかわいがられて育ち、女の子ながらやんちゃでいじめっ子、気が強い子供時代でした。

機械油と汗で真っ黒の気難しい父と、あっけらかんと笑って働く能天気な母の元、自由奔放な子供時代を過ごしました。ちょっと裏に行けば岩木川が流れる河原があり、もっぱらそこが遊び場でした。

父と母は、忙しいながらも、時々キャンプに連れて行ってくれたり、山菜取りに連れて行ったりしてくれました。その時のわくわくした思いは、今も心に残っています。

当時、鍛冶屋だけでは暮らしていくのもきつく、私が小学5年生の時、代々続いた鍛冶屋をたたみ、父は千葉へ出稼ぎに行くようになりました。6年生の時には、おじいちゃんおばあちゃんと、当時高校生だった兄を残し、家族4人、千葉へ引っ越し、そこで3年を過ごします。

そのころ住んでいた社宅は11階建て。自然も少ない中で、唯一社宅の前にあった木に登るのがとても好きでした。

その後、中3の時に再び弘前に戻ってきて、地元の高校、大学へと進学します。大学に入り、何の部活に入ろうかとチラシを見ていると、『探検部』という文字が目に飛び込みました。

いったいどこを探検するんだろう?何をやるんだろう?わくわくしながら、探検部のドアをたたいたのです。それが運命の扉でした。

白神山地を主なフィールドに、毎週のように山に入り、キャンプの楽しさがやみつきになり、山のバイトを通じてマタギの工藤光治さんと出会い、山で暮らすマタギの知恵を教えてもらったこと。山仲間で、岩木山のスキー場開発の反対運動に加わったこと、自然の美しさと、その環境を守りたい、そんな思いを抱くようになりました。

入学当時、主人は大学院の1年。探検部の先輩後輩として出会い、卒業後結婚し、四人の子を授かります。

子供に対する想い

四人の子育てをする中で、今の子供たちの遊びの環境が、あまりにも自分たちの子供時代と比べると窮屈で、この子達、どこでどうやって遊ぶんだろう?と、思うようになりました。

ボール遊びをすれば、車にぶつかるからやめなさいと怒られる。

走り回って鬼ごっこすれば、飛び出して来たら車が危ないと怒られ、川で遊べば危ないからやめなさいと怒られる。ちょっと騒ぐとうるさいと言われることも。

じゃあ、この子達はどこで遊べばいいの?

安心して遊べる場所がないじゃない!

そう思ったとき、そうか!

ないなら、自分で作ろう!

そう思い立ち、自宅の庭を子どもたちの遊び場に開放することから始めました。

毎日のようにやってくる子供たち。

そんな中、全く大人のいうことを聞かないような悪ガキも来るようになり、その子たちとかかわる中で、どんなに問題児だと言われるような子供でも、自分のことを見てほしいんだ。わかってほしいんだ。認めてほしいんだ。っていうことに気が付きました。

何をやっても、温かく見守ってくれる人、認めてくれる人が、子供たちには必要なんだ。そこに気が付いたころ、温かく見守る大人がいる中で自由に遊べる場、お互いを認め合える場として、プレーパークをやっていこう、そう思ったのです。

 

 

ママたちをHAPPYに

子供への想いがふくらむと、ママたちを笑顔にしたい。ママたちを幸せにしたい。そんな思いから、耳つぼジュエリーや、誕生日鑑定、料理教室や自然療法の教室も開催しています。

ホメオパシーや民間療法など、病気になったときに、自然治癒力を上げる方法を勉強し、自然食で、日々の家族の健康を守ることもまたお伝えしています。

Happy Childrenに込めた想い

どの子も、幸せな未来を生きられるように。

子供たちが笑顔で子供時代を過ごせるように。

子供を温かく見守る大人がたくさんいる地域で子どもたちが育つように。

夢や希望をもって、旅立つ大人になれるように。

子供たちが幸せな社会は、大人も幸せな社会です。

逆に、子育てにかかわる大人がhappyなら、子供たちもhappyでいられます。

お母さんがニコニコしてれば、それだけで子どもたちはhappyです。

そんな、子供も大人もhappyな世界を作っていこう。

それが、私たち夫婦がHappy Childrenに込めた想いです。