今、うちの庭のサクランボの木には、サクランボがたわわになっています。赤くなるとすぐにムクドリが飛んでくるので、ムクドリに食べられる前にと、子どもたちも負けじとサクランボ狩りをします。
サクランボをとるには、木登りするか、はしごに登ってとりますが、木登りしたほうが断然たくさん食べられます。木登りが得意じゃない子は、はしごで頑張ります。
そんなわけで、子どもたちは結構必死に木登りをするようになります。
ドイツには「子どもは木に登る権利」
「子どもは泥んこになる権利」が保証されているようです。
子供達には、子供時代に木登りする経験をぜひほしいと思います。
木登りは体と脳を鍛える?
木登りが上手な子が、木登りするときの様子を見ていると、ほんとに体の使い方が上手です。手をかけ、足をかけ、次にどの枝に手を伸ばして、どの枝に足をかけようか、枝を見て、自分で判断しながら登っていきます。
枝にかけた腕の力でグイっと体を引き寄せて登ったり、手をかけても大丈夫な枝なのか、確認しながら登っていく姿は、見事です。
枯れた枝には絶対に手をかけません。枯れた枝はポキンと折って、枝を落とします。
自分が登れる高さかどうか?
下りるとき、自分の力で下りられるかどうか?
いろんなことを考えながら、判断しながら、木登りするわけで、脳のシナプスが盛んに作られる子供時代だからこそ、空間能力や、判断力なども鍛えられます。
子供時代に木登りや、外で一日中かけまわって、体を使った遊びを十分してきた子供たちは、そういうことをしてこなかった子供たちに比べると、基礎体力が全然違います。特に何かスポーツをしていなかったとしても、体力があるし、「疲れた~」と言ってへたり込むようなことも少ない。
そして、何より、粘り強い。
何かに挑戦して、あきらめずにできるまでチャレンジするような粘り強さもあります。
両手両足で4点あるとすると、必ず両手片足の3点支持で、登っていきます。
下りるときは、今度は握る力と上腕のゆっくりぶら下がる力が必要になります。足をどこに下ろせばいいか、下の行く先を見ながら、つかまりながらゆっくり下枝に足をかけて下りていきます。
木登りが好きな子は、上りやすい木を見つけるのも上手です。
最初の下枝が手が届きやすいいい位置にあること。次の枝が、横にしなやかに伸びていること。
今日は、昔からの友人のお宅のお庭におじゃましてきました。
ここには、木登りしやすそうな、大きな木がたくさんあります。
登る。
登る。
登る。
とにかく、木登りは楽しい。高いところから見る景色も最高。
はじめは登れないと言ってた子も、足をかける場所、手をかける場所をレクチャーしてもらい、お手本を見せてもらうと、登れるようになっていきます。そしてそれが自信になっていきます。初めて、自分が登れると思っていた高さを越えたところまで登れた女の子は、とてもうれしそうでした。
帰り道、子どもたちの会話が聞こえます。
「一番楽しい遊び、何?」
「木登り!!」(木登りを楽しんだ二人の声)
「面倒くさい」と言っていませんか?
木登り、どうしても、みんなと同じようにできなかった子もいました。一枝めは登れるけど、どうしてもその次の高さまで登れない。登ったら下りられなくなるような気がして、登れないのです。
その子の普段の口癖は「面倒くさい」です。
「面倒くさい」と言って、何事もチャレンジしないのです。
「木から落ちないためにはどうすればいいか?」と聞かれたら、「登らなければいいじゃん」というタイプ。
もちろん、登らなければ、落ちないし、怪我もしません。
木登り禁止にしてしまうような、公園や幼稚園、保育園、学校・・・。
怪我の責任を問われるから、禁止にするわけですが、それって、チャレンジする前からあきらめてしまう子を作っていないだろうか?と思うのです。
チャレンジした達成感や、自分でチャレンジして、失敗することだったり、自分の限界を知ることだったり、でも、限界だと思っていたことを越える経験だったり、いろんな経験を奪ってしまうことにならないかと思うのです。
「面倒くさい」は、便利な言葉です。でも、同時に可能性を奪う言葉でもあります。
便利なものに囲まれた子供たち。おもちゃはたくさん買い与えられ、暇をもてあましたら携帯ゲームやスマホがある。大人は忙しいので、子供は買い与えたそれらのもので遊んでくれたららくちんです。
子供に「遊んで」って言われたら、「疲れてるの。」「面倒くさいからムリ」って言ってしまうこともあるかもしれません。
でも、そういう姿を見てきた子供たちは、「面倒くさい」が口癖になっていきます。やりたくないことは、「面倒くさい」と言ってしまえばいいからです。
遊びを考えるのも面倒くさいから、手っ取り早く遊べるものでしか遊んでこない子供たちは、こういった『木登りにチャレンジする』というようなことも苦手で、同じ遊びを長くできず、非常に飽きっぽいように思います。
一つのおもちゃに飽きたら、次のおもちゃ。一つのゲームに飽きたら、もっと刺激的なゲーム。なんでも買い与えてしまうことの弊害が「面倒くさい」に現れているのではないでしょうか。
たとえ心の中では面倒くさいと思っていたとしても、子供の前では「面倒くさい」と言わないようにしたいものです。
どんなに学習塾や習い事に行って勉強ができてたとしても、そうやって勉強していい学校はいって大人になった未来が、『面倒くさい』世界であるなら、子供は、早く大人になって働きたいなんて思うはずがありません。「将来の夢は別にないから、ニートでいいや」って、平気で言うようになるんじゃないかと危惧します。
木登りできる環境を
子供が木登りしたくなる木は、『楽しそうな木』です。
どんな木が楽しそうか?
登りやすい下枝があって、枝ぶりがいい。
実がなっている木。
木の上の秘密基地があったり、木に遊びの要素がある。
楽しそうだから、子供は登ります。高いところに登るスリルもあります。
ちょっとした冒険心がくすぐられます。
どうか、手ごろな木に出会ったら、子供が木登りするのを許してあげて欲しい。
子供時代に木登りする経験をさせてほしい。
子供達には、木登りの楽しさを知ってほしい。そう思います。