無条件に安らげる居場所

川崎の無差別殺傷事件の犯人の背景が徐々に明るみになった来た中で、両親の離婚後伯父の家に引き取られ、21歳から引きこもるようになってから30年、引きこもり続けていたということ。

親から得られなかった愛情。

家族として差別があったとみられる伯父の家。

他者とうまく関われなかった子供時代。

こんな痛ましい事件は二度と起きてほしくない。そう思う時、私達にできることは何だろうかと考えさせられるのです。

児童精神科医・故佐々木正美先生の言葉より

子どもの頃に十分に勉強したとはいえなくても、健全な社会人になって、立派に人生を全うしたと言える人は、数限りなくいます。

 しかし子ども時代に、友だちと十分に遊ぶ経験をもたないまま大人になってしまって、健全な社会人になることができず、ひきこもりのようになって苦しんでいる人は、非常に多くいます。

 これまでに診療や相談で、そういう人やそのご家族にどれほど出会ってきたのかは、とても一言では言い表せません。

 そして私は、そういう人たちに出会うたび、ゆっくりと時間を掛けた話合いのなかで、子ども時代の「友だち」との「遊び」が不足していた事実を、教えられてきました。

 私たち人間は、日々、人と交わりながら生きることを運命づけれた存在です。

 子どもたちは、まず家族、そして友だちや先生たちと、家庭、地域、学校などで、豊かな交流を繰り返して生きていくことが大切です。

 そのために、周囲の大人たちは熱心に、かつ本気で考えることが、今日のわが国では求められているのです。

・・・以上

 

また、佐々木正美著『完 子どもへのまなざし』の中で紹介されている神谷信之さんという弁護士の方が書いた『犯した罪に向き合うこと』という本の中の引用が心に残ります。

「重罪事件の少年の家族を見ていると、これらの少年たちは、自分の本当の<居場所>を持たず、自分の中にため込まれた負のエネルギーに突き動かされて人を死に至らしめたという感が深い。これらの少年に<居場所>があったら、事態は相当変化していたのではなかと考える。」

逆説的に考えると、家庭の中にやすらぎの居場所をしっかり持てるような育児ができれば、不幸な犯罪を犯してしまう子供にはならない。これだけは事実のようです。

・・・以上

家庭が安心できる本当の居場所であったら一番いいのだけれど、そうではない家庭の子どももいるのが現状のようで、それであっても、第二第三の<居場所>として、友達であったり、地域というような、無条件で自分を受け入れてもらえる、無条件に安らげる<居場所>があったなら、今回のような痛ましい事件にまで発展することはなかったのかもしれないと思うのです。

子どもが育つには順序がある

エリクソンのライフサイクル・モデルというものがあります。

健康で幸福に生きていくためには、人生の節目節目に解決しなければならない重要な課題があると言っています。

乳児期・幼児期・学童期・青年期・成人期・壮年期・老年期という節目節目に、解決しなければならない発達段階とは何でしょうか?

それぞれの発達段階をその時期に解決しないまま大きくなり、社会に適応できずに苦しむ子も多くいます。

不登校や引きこもりになってしまう子供の多くが、子どもの時の課題が未解決なままで苦しんでいるのではないかというのです。

それぞれの時期の解決すべき課題とは何か、今回は、学童期までの子どもについて述べていきたいと思います。

<乳児期:基本的信頼関係>

赤ちゃんは、お母さんから与えられる愛情に安心すると、お母さんとの関係の中に安全感を抱きますそして、その安全感をベースに、心理的安全空間をつくります

お母さんとの愛情に安心して安全感を持った子供は、お母さんから多少離れても不安を感じないで他の人と交われるようになります。

泣いたらお母さんに抱っこしてもらえる。すぐにおっぱいがもらえて、おむつを取り替えてもらえる。赤ちゃんが望むように育てられることで、生きる希望が湧いてくるのです。

最初に出会ったお母さんをはじめ、何人かの人に、自分が望むように愛された子供は、人を信じることができるのです。人を信じることができて初めて自分を信じることができるのです。

親が望むような子供にしようとするのではなく、子どもがしてほしいことをするのです。

夜泣きしない赤ちゃんになってほしい。離乳食をちゃんと食べる赤ちゃんになってほしい。おむつを汚さない赤ちゃんになってほしい。

そういう感情が強いと、時に思い通りにならなくなると、虐待にまで至ってしまうこともあります。

この、基本的信頼感は、3歳ぐらいまで持続して発達しますので、乳児期は、その子が喜ぶことをぜひたくさんやってあげて下さい。

そして、お父さん、お母さんを通して、おじいちゃんおばあちゃんを通して、親が周りと親しい交わりをしている、信頼を寄せている人の中で育てられる、そういう人たちの中で育てられた子どもは、多くの人を信じることができるようになります。

そして、動き出した赤ちゃんは、あちこち動き回り、未知のものに手を伸ばします。そのとき、振り向くとお母さんの顔があり、「だめよ」「イタイイタイするよ」とか、「あっちっちだよ」と言うように声をかけてくれます。

このように、振り返ったときに自分のことを守ってくれるお母さんが見守ってくれている安心感があることで、恐れや不安の感情は振り払らわれるのです。

振り向いた時にお母さんがいなかった、という経験を繰り返してしまうと、幼い赤ちゃんであっても、「見捨てられるかもしれない」という感情を抱いてしまうそうです。

<幼児期は自律性>(2~4歳くらい)

自立ではなく自律です。自分を律することができる。自分の感情や衝動のコントロールする力を身に着ける時期が幼児期です。だいたい、幼稚園に入る前後くらいまでに育つ力です。

普段のしつけのなかで、「そんなことをしてはいけませんよ」「そういうことはがまんしなくてはね」「ご飯の前には手を洗って」「おしっこやうんちはここでするんですよ」というようなことを、一つ一つ教えていきます。

ところが、この時期の子どもは、教えられたからすぐにその通りできるわけではなく、失敗したり、うまくいかなかったりしながら、何度でも教え、何度でも手伝う必要があります。保育園などでも、友達と仲良くできないなど、手のかかる子もいますが、「こういうことは我慢しなくてはいけませんよ」というように、根気よく、繰り返し繰り返し言っていくていくことが、衝動や欲望をコントロールする力を育てていきます。

乳児期の基本的な信頼感を持てるような関りを続けながら、子どもの存在を否定することなく、大切なことを伝えているのだよというスタンスで、伝えていくことが大事です。

<児童期は、遊びを通して育つ自主性>(4~7歳ぐらい)

好奇心旺盛で、絶えず動き回り、いたずらにしか見えないことをします。でも、子供たちにとっては、好奇心や探求心を満たすことであり、その過程は、自主性を促す重要な活動です。

自主性とは、子どもが遊びの中で育てるものです。

絶えず創意工夫し、昨日できなかったことを今日こそはできるようになりたいという積極的な遊びです。

木登りできなかった子が、大きい子がのぼるのを見て、自分ものぼってみたいと挑戦する、そんな、自分がやってみたい、挑戦したいからやるというような、積極的な遊びです。

雨の日に、長靴で深い水たまりに入って、長靴の中に水が入ってしまったり、水が入った長靴が、ぐちゃぐちゃ、ぶかぶかするのを面白がるといったこともします。

いたずら遊びをして、しかられても、また同じことをして、ご近所に迷惑をかけてしまうこともあります。そんなときも、親が、「ごめんなさい」と、あやまって歩いてあげたらいいのです。

この子は、面白いことをやってきたんだと、面白がってあげられたら一番いいですね。

「幼児期から、小学校低学年までの様々な遊びは、人間が成長していく過程で、倫理観とか、道徳観、社会的な人格を成長させていくうえで必要不可欠である」と、心理学者レゴ・ヴィゴッキーは書いています。

<学童期~学び合い、教えあうことで育つ勤勉性>

「小学校時代の過ごし方によって、将来、社会人として勤勉に生きていくことができるかどうかを決定的に左右するものがあります」と、エリクソンはいいます。

勤勉せいというとピンと来ないかも知れませんが、要は、社会のルールを守り、社会的役割、責任を果たしながら生きていく力のことを言います。

小学校時代に仲間と日々の体験を分かち合いながら、友達から学び、時には友達にものを教えるというような豊かな体験が、勤勉性の基盤になります。

大人になり、職場で仲間からものを学んだり、仲間にものを教えたりする場面がやって来たとき、小学校時代に友達と遊び会う経験をしてこなかった子は、そういうコミュニケーションがうまくとれない、ということになってきます。

友達と遊びあうなかで、教えたり、教えられたりということは、子供にとって大きな喜びです。

そして、友達と遊びあうとき、必ずルールを作ります。

足の遅い子でも不利にならないルールとか、より、みんなが楽しく遊べるルールを考え、友達に承認されながら、遊びを作り上げていきます。

相手を大切に思いあう感情は、こういう友達との遊びの中で育まれます。

まとめ

以上、乳児期から学童期までに必要な発達課題を見てきましたが、こういうことを抜かしたり、飛ばしたり、先送りすると、社会的人格が育たないままの大人になり、社会に適応できずに苦しんだり、精神的に病んだりしてしまう傾向があります。

人生の第一歩として、ひとを信じる力が備わります。基本的信頼です。

人を信じることが、自分を信じることになります。人を信じないのに、自分に自信をもって生きることは難しいのです。

人生の第一歩に、信じられる人に出会う必要があります。お母さんをはじめ、多くの信じられる人に出会って、基本的信頼感を得たあとは、小学校にはいるまでに、遊びを通して自律性や自主性を身につけます。そして、学校にいくようになると、友達と遊び会うなかで、学びあい、勤勉なものを習得できる準備が整うのです。

何か、社会的な不適応があったとき、振り返り、どこか、飛ばしてしまった発達課題はないか、考え、まずは、その発達課題にたち戻る必要があります。

基本的信頼感を根っこに持てていない子は、まずは、何歳になっていたとしても、その子が望むように愛される必要があります。

短い時間でも構わないので、膝にのせてえ本を読んであげたり、添い寝したり、子どもを受け入れてあげる必要があります。

子供が喜ぶことをしてあげる。

それが、親にとっても喜びであるように。

根っこを育ててあげなければなりません。

だから、私たちが、今回の事件から学ぶことは、犯人を責め立てることではなく、身近な子ども達の、基本的信頼感を育ててあげることであり、友達同士遊びあい、学び会うことができる環境を作ってあげることではないだろうかと、私は思うのです。

プレーパークで大事にしている、子供がやりたいと思ったことを、自由にできる環境であったり、子どもを信頼して見守る大人に出会うことだったり、まだまだ、私たちにできることはあるのではないかと思っています。

乳児期から学童期までに獲得しなければならない発達課題をクリアできる環境を作ってあげたいと思っています。

だから私は、子ども達が無条件で安心できる居場所を作っていきたいし、そういう場所であり続けたいと思っています。

出会った子ども達が、幸せな未来を生きられるように。

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