子どもの10年先の未来、自分らしく生きられるように

「みんなの学校」という映画の上映会に行ってきました。第二部は、映画の舞台となった大空小学校の初代校長先生の木村泰子さんの講演でした。

このドキュメンタリー映画と講演を聞いて、一番心に残ったのは、

「10年後の国際社会で子どもが自分らしく生きられるにはどんな力が必要か?」そう考えて、目の前の子どもとに対応していく、というお話しでした。子どもの未来を見て、この子が10年先、社会に出たときに自分らしく生きていけるようになるために、今、どんなことができるか?今、この子に何が必要か?子どもを主語にして、この子は、今、何が困ってるんだろう?この子が成長するために、どうしたらいいんだろう?って考えてきたと。

それが、学校でなくとも、大人が子供に向き合う時、この子がこんなこと言う(こんな行動する)背景に、何があるんだろうかと、わかろうとする気持ちが、地域の大人にも必要な視点だと思いました。

学び合いと育ちあい

「みんなの学校」は、支援を必要とする子も、そうでない子も、同じように学び合い、成長していく大阪の大空小学校のドキュメンタリー映画です。

ふつうは、クラスに1~2人ぐらいの何らかの支援を必要とする子ども達が、大空小学校では、全校220人中30人。

「支援を必要とする子」とは、一般的になんらかの障がいのある子や、いろいろな事情で前の学校では不登校になってしまった子たち、などです。

でも、他の学校のように、特別支援学級などは作らず、あえてクラスの中で一緒に学びます。

授業中、外に走り出して脱走する子や、大声を出す子、いろんな子がいるけれど、それぞれの個性を認めつつ、どうやったら、このお友達は教室にいられるんだろうか?今、この子は、何に困っているんだろうか?と、子ども達も、先生も、みんながその子の背景に寄り添っていく。

家庭の事情で両親とも早くから仕事に出かけているから、きっとまだ寝ている。

学校に来ていない子がいたら、その子の家まで迎えに行って様子を見る。という子だったら、玄関どんどんってしてたたき起こして学校に連れてきたり。

気になる子がいたら、担任の先生だけじゃなく、学校のみんなで知恵を出し合って、サポートしていく。

校則はなく、「自分がされていやなことは、人にしない、言わない」という唯一の約束事があるだけ。

でも、毎日一緒に教室にいるから、毎日その子の様子を見ているから、多少その子が大声を出そうとも、授業に集中していられる。でも、その子が本当に困っている時には、自分の勉強道具をほっぽりだしてでも助けに行く。

すぐ手が出てしまうような子と、ケンカになってしまっても、なんであの子は怒ったんだろう?って、失敗から学ぶ。

学校では、たくさんの失敗をして、やり直しをして、学んで、そして卒業していきます。

それも、多様な子供たちの中で、育ちあい、学び合うから。

大人の都合のいいような子を望んでいては、そういう子たちは取りこぼされていきます。

学力重視で、授業に支障が出るから、そういう子は教室にいてはいけないというようなそんな空気がクラスを包んでしまったら、その子は居場所がなくなってしまいます。

大空小学校に転校してきたある「支援を必要とする子」は、前の学校は『牢屋』だと表現したそうです。教室で大声を出すと、「大きな声を出してはいけません」と言われ、教室にいられないから教室を抜け出そうとすると抑えられて外に出ることもできない。意見を言おうとすると「だまってなさい」と言われる。その子にとって、学校は『牢屋だ』。その言葉通りなのだと思います。

大人が、そういう子たちを排除しようとする姿を見て、子ども達は見たようにしか行動しませんから、あいつなんかこなきゃいいのに、あの子さえいなければ・・・そんな空気ができてしまうのかもしれません。

世界は一瞬で平和になる

4年生の時に転校してきたせいちゃん。前の学校では特別支援学級にいたけれど、教室はせいちゃんにとって、とってもいやなところだったようです。だから転校してきた最初のころ、せいちゃんは教室に入ろうとしません。何度も学校を脱走します。

でも、時間をかけ、教室は安心できるところだよ。学校は安心できるところだよって、友達が手を引いてくれたり、背中をさすってくれたり、黙って待っていてくれたり、徐々に徐々に、せいちゃんは教室に入れるようになっていきます。仲間を信じられるようになったせいちゃんは、毎日学校に通います。

せいちゃんのお母さんは、「ランドセルの中がぐっちゃぐちゃで、鉛筆が全部折れてたり、半分までちびっこくなってたらすごくうれしいんです。前は、いつ筆箱あけても、(使わないから)ぴんぴんにとがった鉛筆だった。上履きも今は真っ黒で、そんな、真っ黒に汚れたのを洗うのが、ほんとにうれしい。」

居場所を手に入れたせいちゃんが、毎日学校で勉強して、友達ときっと遊んでる。だから汚れる。それがうれしいんだと語ります。

そんなせいちゃんが、6年生になり、卒業のメッセージで、こんなことを発表しました。

「ぼくの一番の願いは世界が平和になることです。世界を平和にすることは一瞬でできます。自分の隣の人を大切にしたら、みんなが平和になります」

4年生で転校してきて、6年生になるまでに、せいちゃんが経験してきたことが、そのまま語られています。きっと、せいちゃんは、隣の人に、クラスのみんなに、先生に、たくさん大切にされてきたんだろうな。せいちゃんの経験からくる言葉は、本当だと思うのです。

地域は土である

地域の学校に通う子供たちを、だれ一人欠けることなく、みんなが等しく学べるように、そういう想いでやってきた大空小学校。

では、先生ではない、地域の住民であり、子どもの保護者である私たちは、どうか変わっていけばいいのでしょうか?

学校のやり方に、なかなか意見はしづらい。不満を言えば、モンスターペアレントと言われかねない。

でも、そこは、自分の子どもだけでなく、自分の子のお友達も、地域のみんなの子供が通う学校です。登下校時に交差点や校門に立って、子どもの安全を見守りながら子ども達に挨拶するサポーター。本の修理や読み聞かせをする学校図書サポーター、教室に入って、子どもたちを見守り、気になる子を見つけて先生に知らせてくれるサポーター、いろんな形で、学校に関わってくれる方を、大空小学校ではサポーターと呼んでいます。保護者じゃなく、サポーター。

学校に毎日のように来て、関わってくれるから、ちょっとした子どもの変化に誰かが早い段階で気づいてくれる。

そうやって、地域の人に見守られながら育っていく子供たち。

卒業するとき、子ども達は、それぞれ決められた言葉でなく、自分の言葉で、自分が感謝したい人に向けてありがとうのメッセージを言葉にします。

多くは、6年生になるまで、ずっと見守ってくれたサポーターの方への感謝を述べます。

地域は、子ども達の土です。

子ども達がすくすく育つには、子どもたちが安心して育っていけるようなどっしりとした土がなければ育ちません。子ども達がしっかり根付いて成長できるためには、地域で子どもたちを育てていく、温かく見守っていく、あのこ、なんか元気ないな~。どうした?って、声をかけてくれる大人。地域の中で、誰が困っているか?って、見ていて、手を差し伸べてくれる大人。そんな大人に囲まれて育ったなら、きっと子供は10年先も自分は自分らしくいていいんだと、自信を持っていられるのではないでしょうか。

幸せになるために学校に来ているのだと木村さんはおっしゃいます。

子ども達が安心して過ごせる学校であり、安心して育つことができる地域であることが、子どもたちにとって大事なこと。

いろんな人が子どもたちに関わることで、答えは一つじゃないことを知る。こんなやりかたもあれば、あんなやり方もあると、気づくことができる。

自分で自分の命を絶ってしまう子供たちがたくさんいます。命を絶つ前に、話を聞いてくれる人が地域にいたら。ちょっといつもと違う様子に気づいて声をかけてくれる大人がいたら。

それは他人事のようだけど、自分事に置き換えて、自分の周りの子供たちに、どれだけ関わってあげられるか。

以前、うちにいわゆる”困った子”達が遊びに来ていました。すぐにかっとなって手が出る足が出る。馬乗りになって殴ったりも。そんなことが続いたら、近所の子たちは怖がって彼らを遠巻きに見るようになった。関わろうとはしなくなった。

でも、ある取っ組み合いのけんかの時、興奮する彼を抑えて、こう話しました。

「嫌なことがあったとき、頭に来た時、殴って蹴るだけが解決する方法じゃないんだよ。頭に来たら、その場を離れてみたらいい。ちょっと離れて、一人でゲームしてたっていい。深呼吸して、気持ちが収まるまでここ(小屋)にいたらいいよ。うちでは、怒っても殴ったりしないよ。殴ることが当たり前じゃないんだよ」

彼にとって、嫌なことがあったら殴る、というのは、家庭の中で身についたことでした。それが当たり前だった。

私が「怒ってもうちでは殴らないよ。それは当たり前のことじゃないよ」と話すと、「そうなの?」と。でも、うちに来て、怒りを収める方法が、殴るだけではないんだということを学んだ彼は、その後、ぱったりと暴力を振るわなくなりました。

自分が知ってる方法以外のやり方がある。それだけが正解じゃない。

多様な人の中で育つことは、子どもたちにとって多様性を受け入れることでもあり、違う選択肢を見つけることでもある。

今日も子供たちがうちに遊びに来ては、空き地で秘密基地を作っています。お腹がすいたら、戻ってきて、素揚げのジャガイモを「うまいうまい」とほおばります。

剣を作るんだと言ってはのこぎりで木を切り、ヤスリでなめらかにとがらせます。

指を切ったと言っては友達が「〇〇クンが手切った~!絆創膏ちょうだい!」って、言いに来てくれる。

友達の一人が秘密基地でまだ遊びたいのに剣を作りたい子が帰ってきちゃったから、その子は泣いてしまって、でも、「おいしいものあるから、一回帰ろう?」って、迎えに行って連れてきて、「一本でもいいから剣作ろう?そしたら秘密基地で戦いごっこして遊べるじゃん?」って、困っている友達に、手を差し伸べられる。

そんな子供たちがすごいな~って、見守ってる自分がいる。何を教えなくても、子どもたちは、ちゃんとかかわる力を持っている。

それを奪わない社会であるように。

困った子を排除しないで、手を差し伸べられる社会になるように。

そのためには、今、目の前にいる子どもたちが、困ったこと言われる子供たちや、支援を必要としている子供たちと、関わりながら、こういう人もいるんだ。だったらそんな子が安心していられるようにすればどうしたらいいんだろう?って、考えて動ける子を育てていくことが、10年後、そんな社会を作っていけるんじゃないのかと思うのです。

自分が経験したことしか学べません。小学校時代は、たくさん、失敗しながら、ケンカしながら、学んでいく時代。そして、大人も、そんな子供から、たくさんのことを学ばせられます。

 

 

 

秋を感じる自然遊び


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だんだん夏の暑さも和らぎ、青森では秋風が吹き始めてきました。秋といえば、落ち葉やドングリ、松ぼっくりの季節。だんだん秋らしくなってくるこれからの季節。田んぼは黄金色に輝いて、いろんな農作物や、山の恵みが収穫できるそんな季節。そんな季節を楽しんでみませんか?

今回は、子ども達と秋を感じる自然遊びや、絵本を紹介します。

秋といえば秋の虫探し

涼しくなってくると、山から赤トンボが下りてきます。赤トンボは、アキアカネや、ナツアカネ、ミヤマアカネなどのアカトンボの総称で、水田などの水辺で羽化して、夏の間は涼しい山間部に移動して過ごします。そして、秋になり、里でも涼しくなってくると、山から里に下りてくるトンボです。

秋の田んぼのあぜ道には、赤トンボがいっぱいです。トンボを虫かごいっぱいに取る子ども達。

子どもたちの間で、トンボはツユクサを食べるというのが何だか常識のようで、確かに、捕まえたトンボにつゆ草の青い花びらを持たせると、むしゃむしゃ食べるのですが、トンボは本来肉食なので、つゆ草を好んで食べるというよりは、目の前に持ってこられたからかじりついているようです。

草むらに行けば、バッタやコオロギがたくさん。

今日も虫捕りに夢中です。

秘密基地を作ってみよう

秋になると、草原の草も伸び、秘密基地を作るには最適の季節です。

秘密の道を作って、秘密基地を作るんだと、草むらをもそもそ進んでいきます。

台風の後の公園には、落ちた枝もいっぱいあって、基地を作るには最適です。

もうちょっと冬が近くなると、刈り取った稲わらの中も、小さい子なら入れちゃうかも。

秋には、そんな環境が比較的容易に見つけることができます。

 

木の実を集める

秋には木の実がたくさん手に入るのもうれしいところ。

つまようじ刺したら、どんぐりゴマも作れちゃう。

木の板にボンドでつけたら、かわいい飾りにも。

かなり大変だけど、たくさん集めたら、カラを割って、ゆでて、アク抜きしておけば、

上新粉に混ぜてどんぐり餅にしたり

小麦粉に混ぜてドングリクッキーにもできます。

どんぐりの仲間のマテバシイは、そのまま使えるけど、青森には自生していないため、ミズナラやコナラのどんぐりを使いますが、アクが強いので、アクを抜くのがものすごく大変です。

トチノ実も、でんぷんが豊富で、貴重な栄養源として縄文時代から食べられていた実ですが、サポニンやタンニンなどのアクが強く、アク抜きがとても大変です。

それでも、そうやって手間暇かけて大昔の人は食べていたというのも、体験してみるのもいいかもしれませんね。機会があったら、ぜひチャレンジしてみてください。

ちなみに、どんぐりのアク抜きは、私はやってみましたが、もう二度とやりたくないと思えるレベルでしたが、子供にせがまれ、今までに度ほどやったことがあります。

落ち葉で遊ぶ

まだ、9月だとちょっと落ち葉には早いのですが、これから涼しくなってくるとともに、10、11月には落ち葉の季節になります。落ち葉がいっぱいの公園に行ったら、落ち葉に埋まってみるのも、楽しいです。

顔にはかからないように注意しながら、体を落ち葉で隠します。

かさかさした感じ、ちょっぴりあったかい感じ。落ち葉に埋もれながら空を眺める。落ち葉を大きい山にして蹴散らしたり、目に入らないように注意しながら、落ち葉投げしても楽しい。

落ち葉を色別に並べるだけのグラデーションも美しい。

秋の恵みをいただく

2017年の中秋の名月は10月4日です。旧暦の8月15日なので、その年によってお月見の日は違います。満月は10月6日なので、お月見は必ずしも満月というわけではないのです。

お月見には、月を愛でつつ、収穫の豊作祈願と感謝するという意味合いがあります。一五夜には、栗ご飯や、かぼちゃの煮物、サツマイモの味噌汁や、サンマの塩焼きなど、秋の恵みに感謝しつつ、食を楽しみましょうね。

うちの庭にも、ブドウがやっと成るようになりました。

栗拾いに出かけてみるのも楽しい。

昨日は畑にじゃがいも堀に行って、じゃがいもたくさん掘ってきました。自分で育てたものを食べるのも、いいものです。掘ったじゃがいものうち、小芋は素揚げにして塩を振って、おやつにすると、あっという間に売れてなくなります。

 

夏の終わりに収穫できた夏野菜も、だんだん終わりになってきました。これからは、じゃがいも、サツマイモ、サトイモ、カボチャ、大根などの根菜類がとれるようになってきます。

絵本で秋を楽しもう

小学校のお話し会では、季節ごとの絵本を読むこともあります。季節を楽しんでもらうのに、絵本はとってもいいツールです。

やさいでスタンプ遊びする絵本や、

どんぐりの歌と楽しむ『どんぐりころちゃん』。


落ち葉で遊びたくなる『おちばいちば』。

落ち葉や、どんぐり、松ぼっくりで工作を楽しみたいときにはこんな本も。


焼き芋を楽しむなら、ばばばあちゃんの絵本も楽しい。


図書館で、秋を感じる絵本や、秋の工作絵本、秋の味覚を楽しむクッキング絵本など、借りてみるのもいいですね。

 

 

 

 

 

プレーパーク行ってみたいけど、青森県内どこでやっているの?


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去年あたりからテレビや新聞に取り上げてもらえるようになり、徐々に広がりを見せ始めている青森県内のプレーパークですが、青森県内で開催しているところはまだまだ限られています。青森県内は、常設プレーパークがまだないため、青森、十和田、八戸を中心にプレーパークをやっている3団体が、あちこち荷物を積んで出張している出張プレーパーク形式でやっています。

たまたま遊びに来たところでやっていて、初めてプレーパークというものを知ったという方もまだたくさんいて、認知度もまだまだのようです。

今回は、プレーパークの魅力と、青森県内でプレーパークを開催している団体と、どこに行けばプレーパークを体験できるのか、情報をアップしたいと思います。

プレーパークって、普通の公園と何が違うの?

プレーパークは、冒険遊び場とも言います。子どもがやりたいことができるような環境を整えています。子どもが「遊び」をつくる遊び場です。

木に登ったり、トンカチやくぎを使ってみたり、泥んこになったり、絵の具まみれになったり、水遊びをしたり、そこにあるものを使って、自分がやってみたいと思うことを実現していく遊び場です。

決まった形の遊びはなく、そこに集う仲間や、その時の気分によって、流動的に遊びは変化し続けます。

ふつうの公園と違うのは、そこに、温かい目で見守る大人がいるということ。危なくないように監視する大人ではなく、一緒に子どものやりたいことを面白がってやれる、そんな大人がそばにいます。危ないからダメ、汚れるからダメ、というような禁止のまなざしではなく、「それ、いいね~!やってみよっか!」って言ってもらえる関係。

だからこそ、子どもは、のびのびと遊び、小さな失敗を繰り返しつつ、自分の能力に挑戦し続けます。

「いいこと考えた!」って、子どもが言ういいことは、たいてい、大人の目から見るとくだらないことだったり、そんなこと、って思えることだったり、無駄な事だったりするんだけど、それを面白がってくれる大人がいることで、「いいこと考えた!」は形になって、子どもは満足します。

そこで、「そんな無駄なことしてもしょうがないでしょ」って、言ってしまったら、子どものやる気スイッチはみるみるしぼんで、「どうせ、ダメって言うんでしょ」って、新しいことに挑戦することはどんどん少なくなっていきます。

ふつうの公園では、遊びが変化していくことは難しいのです。ブランコはブランコでしかなく、滑り台は滑り台でしかない。下から登れば、「ほら、下から登っちゃダメでしょ」って言われるから、冒険しようにもできない。

でも、プレーパークには、いろんな素材が用意されています。木切れにトンカチやくぎ、段ボールに絵の具、布切れやロープ、どんぐりや松ぼっくり、スコップやバケツ・・・いろんなものを車に積み込んで持っていきます。

どの素材を使ってもよくって、何を作ってもいい。

創造力次第で、木は、剣にも鉄砲みたいな武器にもなれば、いすやテーブル、看板にもなるし、ブーメランにもなる。

二刀流!合体もするらしい。

こちらも二刀流。一本は背中に。

飛行機作ったり

椅子を作ったり

松ぼっくり投げ入れゲーム作った子も。

看板作ったり

ギター作った子も。

ブーメラン作ってブーメラン飛ばし大会になることも。

お船になったりもね。

部屋の飾りも様々。

 

いつも、子ども達それぞれの発想力には驚かされます。

段ボールは家にもなれば、ロボットにもなる、お化け屋敷にもなれば迷路にもなる。

おうちもそれぞれ個性が出ます。

かわいいおうち作る子もいれば、

お化け屋敷にしてみたり、

赤い絵の具で血の手形?をつけておどろおどろしくしてみたり、

体中絵の具まみれになってもよしとします。

ちっちゃい子だって、自由に塗るのは楽しい♪

車作ってみたり

時には滑り台になり

おままごとにもなる。

かっこいい変身スーツにだってなっちゃう。

転がったり

滑ったり。

他に、シャボン玉や

水遊び

火が使える場所なら、何かを焼いて食べることも。

青森では、カニ釣りや、エビすくいできる環境も。

穴が掘れる場所なら、穴掘りも。

ハンモックでのんびりするもよし、木登りするもよし。

砂鉄集めに夢中になってみたり、

弓矢に夢中になる子

忍者になってみたり

色水遊びしてみたり

室内だったら新聞に埋もれてみたり

子どもが、やりたいと思ったことを、できるだけ実現できるように、そんな遊び場がプレーパークです。

 

 

子どもにとって遊びとは?

子どもにとって、遊びとは、生きることそのものです。

食べて、寝て、あそぶ。すべてを遊びに変えるのは子どもの本能です。

人と関わり、自分がやりたいことに挑戦し、失敗しては乗り越えて、成長していきます。手の感触、泥の匂い、秋晴れの空に、肌をなでる優しい風、いろんなことを肌で感じ、経験していきます。

本来、子どもの遊びは場所を選びません。

田んぼのあぜ道、学校の通学路、どこでも、仲間がいれば、遊びが始まります。

でも、学校では、寄り道は禁止されているし、田んぼで遊んではいけませんと言われています。家の前で走り回ることはできないし、ボール遊びだってできません。

危ないからダメ、汚れるからダメ、人に迷惑かけるからダメ、ダメ、ダメ、ダメ・・・。

今の子供たちの、置かれている環境の、なんと窮屈な事か。

子ども達から遊びを奪っているのは、大人です。

自由な遊びを奪われた子供たちは、誰にも迷惑をかけないゲームに没頭し、テレビにかじりつき、一見、手がかからなくて楽なようだけど、それは、大人の都合でそうなってしまっただけなのかもしれません。

今どきの子供は遊べないっていうけれど、子どもの遊びを作る力は、今も昔も変わっていません。ただ、その環境がないだけなんです。

子どもの遊ぶ力を取り戻してやりたい!子ども達がもっとのびのび遊ぶ姿を見たい!

子ども達の遊びの様子を見ていると、いつもそう思います。

ここでなら、自由に遊ばせてあげられる

先日、プレーパークに来ていただいた方から、こんな感想をいただきました。

「あそこまで大胆な絵の具遊びは自宅ではさせてあげられないので、思いっきりできた娘は大満足。 もう少し大きくなったら、段ボールでの活動も頭使って、身体動かして…きっと私みたいな段ボール=お家ではなくて、色んな発想でつくるのでしょう!!」

「汚れちゃう⁉︎片付け大変⁉︎そんな風に先回りして考えて、子ども達から楽しいコトを奪っていました。色々気付かされました。」

そう、『うちではちょっと困るけど、ここでだったら自由に遊ばせてあげられる』そんな場所がプレーパークです。

だから、ぜひ、プレーパークに足を運んでみてほしい。

プレーパークでなら、お子さんが、のびのび自由に遊ぶ様子を温かく見守ってやれる。

先日、小学校の学年レクで、プレーパークをやりましたが、参加したお母さんのお一人が「今日は怒らないでおこう!」って、つぶやいていました。

いつもは、やめなさい!って言っちゃうようなことでも、ここではいいことにしちゃおう。ちょっと、タガを緩めてあげられる、そういう場が、プレーパークなのかな、って思います。

そして、大人の方が童心に戻って夢中になれるのも、プレーパークのいいところ。

大人が童心を取り戻すと、子どもの『やりたい』に寛大になれるから。そして、妊婦さんや、赤ちゃん連れでも、子どもが大きくなったら、どんな風に子どもを遊ばせたらいいか、いろんな年齢の子どもたちの遊ぶ様子を見ることができるので、まだ早いかな~何て思わず、気軽に見に来てみてください。

プレーパークは、子育ての不安や心配事を話せる場でもありますから。

 

今後の青森県内のプレーパーク

青森県内、出張プレーパークをやっているのは3団体あります。

 

・青森市ではNPO子育てオーダーメード・サポートこもも『青森にプレーパーク作り隊』が、青森市、八戸市、平内、大間など、いろんなところに出張しています。

・八戸市では1Park(わんぱーく)/八戸学院短期大学差波ゼミ

・十和田ではHappy Children(はぴちる)が十和田市内を中心においらせ町や三沢で開催しています。

【はぴちるプレーパーク】

9/30 出張プレーパーク(三沢市中央公園まつり)10:00-15:40
10/1 プレーパーク(十和田市駒っこランド)10:00ー15:00
10/7 プレーパーク(十和田市駒っこランド)  ”
12/9 プレーパーク(十和田市駒っこランド)交流館 ”

9/30は、木工中心になります。
駒っこランドは雨天の場合、交流館で行います。

その他、10月末までは、毎週水曜、放課後学校プレーパークとして、十和田市ちとせ小学校校庭にて16:00~17:45まで行います。雨天中止です。

【青森にプレーパークを作り隊】

9/17(日)青森市わくわくランド(青森マルシェ)

9/18(月)青森市三内丸山(FEEL THE ROOTS)10:00ー14:00

台風のため中止

10/1(日)県民カレッジまつり

10/8(日)こまきの遺跡ドングリの家10:00-14:00

11/11(土)アピオ祭り

 

【八戸1Park(わんぱーく)】

9/15(金)スキダ・トラベル in はっち 9:00~15:00

※申し訳ありません。申込は締め切りました。

 

【あぼプレ】

9/30五戸歴史みらいパーク(五戸図書館前)11:00~15:00

「みらいパーク″あおぞらplayground♪″」

 

今のところ、県内のプレーパークの日程は、上記のようになりますが、日程変更や、追加がある場合もありますので、おでかけ前にチェックしてみてくださいね。

 

 

 

子どものしつけあれこれ

子どものしつけと一口に言っても、肘をついてご飯を食べないとか、箸を振り回さないとか、食事の時はきちんと座ってとか、そんな食事のしつけ、あいさつ、起きたら布団をたたむ、靴をそろえる・・・等々、いろいろあります。家庭によっても、他の家では何ともないけど、自分の家では許されないルールというのもあると思います。

今回は子どものしつけについて考えてみたいと思います。

食事のしつけ

日本人には日本人ならではの食の作法があります。

お膳の配置の仕方も、ごはんは左、汁ものは右。主菜は汁物の上で、副菜はご飯の上。お箸は手前に、右を持ち手側に置くこと(箸先は左)。

左にご飯、右に味噌汁が基本です。

食べる前には手を洗い、「いただきます」とあいさつし、食べ終わったら「ごちそうさまでした」とあいさつする。

お箸はそもそも魂が宿ったものとされていて、箸の作法にも、嫌い箸と言っていろいろやってはいけない所作があります。

刺し箸(食べ物を突き刺す)、

仏箸(ご飯にお箸を立てる)、

叩き箸(箸で茶碗をたたいたりする)、

振り上げ箸(箸をもって手を振り上げる)、

指し箸(箸で人を指さす)、

迷い箸(どれを食べようか、箸をうろうろさせる)、

受け箸(箸を持ったままおかわりする)、

渡り箸(いったん箸をつけたのに食べずに違うものに箸をつける)、

せせり箸(とがった先で繰り返しつつく)、

ねぶり箸(箸をなめまわす)、

探り箸(汁椀の底に具が残っていないかと、箸を椀の中でかき回して探る)

かみ箸(箸をかむ)

など、まだまだたくさんのマナー違反があります。

ただし、お国が違えば、マナーも違います。私たちは日本に生まれたからこそ、日本の食の文化を子ども達に伝えていかなければと思います。文化は伝えていかなければ途絶えてしまいますから。

そういった、食事は毎日のことなので、食事の作法を伝えていくのは、やはり家庭の役割ではないかと思うのです。

我が家では、毎日のご飯の配膳を子どもたちに手伝わせています、ごはんは左で、みそ汁は右、お箸は手に持つところは右側というようなことを、自然に覚えていきます。

その他、食事のたびに、肘をついて食べないとか、犬食いせずに、お茶碗を左手で持って食べるとか、お話しに夢中になって箸を振り回していたら、お箸を振り回さないように注意したり、嫌い箸や、子どもの気になる作法は、その都度注意しています。

それと、これは、我が家のルールで、『食事中はごちそう様するまでは立ち歩かない』とか、『美味しいものは美味しいと言って食べ、好きじゃないものや、おいしくないと感じるものがあったときは、だまって何も言わずに食べななさい』というルールがあります。

我が家は6人家族。それまで何も言わずに普通に食べていた子でも、誰か一人、「なんかこれ、味変じゃない?」と、言った瞬間、「ほんとだ。なんか変。」と言って、食べなくなってしまうことがあったから。一人が食事に文句をつけた瞬間、みんながそんな気になってしまう、ということがよくあったから。

それに、喜んでもらおうと作った食事を、けなされるのはやっぱり、腹が立つし、悲しいですから。

うちのルールですが、よそでも、絶対そういうことは言わないようにと、私はきつく言います。

誰でも、作った料理をおいしいと褒めてもらえたらうれしいです。けなされたらがっかりします。それも、”作ってくれた人”に対するマナーだと思っています。

子どもたちが大人になり、好きな人ができて、食事を作ってもらったとき、「なんかこの味変じゃない?」「これ、俺ムリだわ」なんて言われたら、もうそれだけでケンカになってしまうかもしれません。大好きな人に、おいしいと言ってもらえるように、健康を考えて作った食事ならなおさらです。

アレルギーや、菜食主義などの事情がある方は除きますが、単なる好き嫌いや偏食は、やはりできるだけ少ない方が、栄養や発達という面から見ても、大人になってからも困らないんじゃないかと思います。

おうちに遊びに来た子におやつを出しても、「あ、おれ、これムリ(アレルギーとかではなく)。この味苦手」とか、お泊りに来て、出された食事も、「これ、ムリです」と言ってお箸すらつけない子、お箸をつけたけど、残してしまう子、今まで、いろんな子を見てきました。好き嫌いや偏食の多い子は、普段から好きなものしか食べないし、おうちの方も、残されるくらいならと、好きなメニューしか出さないというおうちの子もいました。

でも、そうなると、極端に食べられるものが少なくて、出す方も困ってしまうということもありました。

そして、うちにはよく、旅人が泊りにやってきます。ほとんどの方は、好き嫌いなく、出されたものはおいしいと、何でもよく食べてくれます。好き嫌いがないと、どこへ行っても、何を出されても、困ることがなくていいものだな、と、彼らを見て思います。

最初から、アレルギーがあるとか、マヨネーズが苦手ですとか、お肉は食べないんですとか、伝えてくれると、用意する方も助かります。

でも、嫌いなものがないに越したことはないな、と思うんです。

出されたものをありがたく感謝していただける、そういう子にしていくのが躾なんじゃないかな、って思います。

嫌いなものを食べてもらうには、きっと、みんな苦労していると思います。細かく刻んで、濃い味のものに混ぜてみたり、そこは、研究するしかないかもしれません。

苦手な野菜を畑やプランターなどで育てて、収穫して、調理を手伝わせて、食卓に出す、という、一連の過程を通して、「〇〇ちゃんが一生懸命お水あげて育てたお野菜だから、一口でいいから食べてみよっか?」って、促してみるのもいいかもしれません。「〇〇ちゃんのお世話してくれたお野菜、おいしい~♡」って、ママが喜んでみてもいい。

「〇〇ちゃんの切ったお野菜、おいしいね」って、調理したことをとりあげてもいい。

あの手この手を使って、苦手なものでも、少しづつ食べられるようになるといいですね。

ちなみに、私は、子どものころ、ナスが嫌いでした。でも、「ナス食べると美人になるんだって!」という母の言葉に騙されて(?)食べられるようになりました(笑)。

末っ子も、実はナスが苦手ですが、トマトソースでグラタン風にしたものは、おいしいと言って食べてくれました。どんな調理の仕方なら食べてくれるか、どんな言葉がけで食べてくれるかは、一人一人違うので、試行錯誤が必要ですね。

基本的には、ご飯もおかずも、器に、ちょっぴりだけ、食べきれるような量を盛って、残さず食べられるようにすると、全部食べられた!っていう自信が持てるので、おすすめです。もっと食べたかったらおかわりがある、というぐらいの方が、多い量を泣きながら無理やり食べるよりいいです。

食事は、楽しく、楽しく。

『絶対残しちゃダメ!!』というママの強力なプレッシャーも、食欲を落としてしまうので、できるだけ、楽しい雰囲気で食べたいですね。

食べる環境も、テレビを消して、おもちゃとか、気になるものは子どもの視界に入らないように座る位置を工夫するとか、食事に集中できるようにしてあげるひと工夫も必要です。食事は楽しいと思えたら、もう大丈夫です。

毎日のあいさつは当たり前のように

朝起きたら「おはよう」。

出かけるときは「行ってきます」「いってらっしゃい」

帰ってきたら「ただいま」「おかえり」

ご飯食べるときは「いただきます」食べ終わったら「ごちそうさま」

寝るときは「おやすみなさい」

 

あいさつは、一日の中でたくさん交わされます。まずは、大人から、しっかり挨拶しましょうね。

そして、それぐらい、当たり前にやってるよ、っていう場合でも、

お友達の家に行ったときは「こんにちは」「おじゃまします」。

何か食べ物をもらったら「ありがとうございます」。

っていうのは、なかなかできなかったりする子もいます。

よその家に上がって、靴は脱ぎ散らかして玄関にばらばらになってたり、

ピンポンもせずにいきなり家に上がってくる子も。

家に上がったら上がったで、よその家の冷蔵庫や戸棚を勝手に開ける子も。

家庭でも、きっと「よそのおうちに行ったら、こんにちはって、あいさつするんだよ」

「帰るときは、おもちゃちゃんと片付けておじゃましましたって、言って帰るんだよ」と、伝えていると思いますが、それができるかどうかは別で、やっぱり繰り返しそういう場面を作っていかなきゃならないのかなって思います。

挨拶なしで入ってきた子には、こっちから「こんにちは!」って、顔を見て挨拶するし、「入るときは、おじゃましますって言うんだよ」っていうときもあります。

「のどかわいた~。」って訴えてくる子には、「で?どうしてほしいの?」って聞いて、「そういう時は、お茶(お水)下さいって言ってね」と、お願いします。

玄関の靴がひどいときは、「みんなの靴がばらばらだよ。」って、きちんとそろえておいてあげたり、黙って帰ろうとする子には、「じゃあ、またね。気を付けて帰ってね」と、声をかけると、「さようなら」って、自然に声に出してくれる子も。

毎日の繰り返し。自分の家庭だけじゃなく、よそのおうちに行くと、よそのおうちのルールがあるんだ、って、気づくこともできるので、気になることは、その都度子供に伝えてあげてほしいと思います。

上の子たちが小学生のころ、少林寺を習っていました。少林寺では、『脚下照顧(きゃっかしょうこ)』といって、自分の足元をよくよく見よというおしえがありました。その一番手始めに、玄関では、靴はきちんとそろえて脱ぐように教えられました。

脚下とは自分の足下。自分の足下を顧みるとは「我が身」や「我が心」を振り返れ、自分が今どうゆう立場にいるか、よく見極めて事に当たれと言うことです。

日常生活も修行の一部です。どんなに忙しいときでも、履物をそろえて脱ぐくらい、心のゆとりが欲しいものです。

心にゆとりが出来れば自分自身の姿もよく見えてくるでしょう。自分の履物をそろえることは、そのまま自分の心の整理整頓となります。自分で履物をきちんとそろえて脱げるようになったら、他人の履物の乱れも直してあげるといいですね。

子どもは、身近な大人の姿を見て育ちます。

大人が子どもの前でも平気でごみをポイ捨てするなら、子どもも、当たり前のようにお菓子のごみを捨てるでしょう。

子どもが元気に挨拶しても、無視する大人がいたなら、なんだ、挨拶なんてしなくていいのか、ってなってしまいます。身近な子どもに、挨拶してあげて下さいね。

大人になったとき困らないように

しつけをするのは、子どもがいつか社会に出たときに、困らないように。そういう想いがありるからです。

かつて、ハチャメチャな子だけど、挨拶だけはしっかりしている子がいました。その子が成人した今、周りの大人にずいぶんかわいがられているみたいです。バカな事ばっかりやってたけど、目上の人にはしっかり挨拶できる子でした。それだけで、お前は面白いやつだと、かわいがってもらえる。

私は、お箸の持ち方が下手です。正しく持てません。でも、結婚式や、葬式など、正式な場面で会食するときは、お箸をきちんと持てない自分がとても恥ずかしいんです。小さいうちに直しておけたらよかったな~と思います。

あちこち旅をする息子ですが、好き嫌いがないので、どこへ行っても、なんでも食べられます。これが、食べられないものがいっぱいだと、絶対困るだろうと思うんです。

大人になってから、長年染み付いた癖を治すのは大変です。でも、小さなうちなら、比較的簡単に直すことができる。偏食も、箸の持ち方も、あいさつも。

しつけは、漢字で書くと身を美しくすると書いて『躾』です。

自分の思い通りにするのはしつけではないと思っています。よく、しつけのために体罰してると言いますが、それは、しつけではなく、ただの暴力。

そこのところを、心にとめておいてほしいな~って思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

次の世代へ~種を蒔く


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長男が小学生だった頃、友人家族とよくキャンプに行きました。きっかけは、次男が通っていた保育園。裸足で泥んこで遊ばせてくれ、「くう、ねる、あそぶ」を大事にしていた保育園。そんな理念に共感して集まったいろんな家庭。子どもたちに対する想いは、みんな一緒で、保護者の企画で、週末キャンプや、登山によく行きました。泥んこで遊び、原っぱを駆け回り、木に登り、森で秘密基地を作り、お花を摘み、山菜をとって調理して食べ、栗を拾い、焚き火して、崖を登り、暗くなるまで遊んで、時には山登りし、木の実を集め、山ブドウを食べ、山頂でおいしいおにぎりを食べる。そんな子供時代を過ごした子ども達。

そして、長男は今年20歳になり、友人家族の娘さんは21歳の素敵なお嬢さんに成長しました。成長した彼ら、彼女たちが、どんな風に育ったのでしょう?

今の、彼らの様子を紹介しつつ、こんな子供時代を次の世代へとつなげていくことを考えてみたいと思います。

 

遊びつくした子供時代を次につなぐ

21歳になったMちゃん。今は東京の大学に通っています。写真は載せませんが、とっても素敵なお嬢さんに成長していました。子供時代、たくさんたくさん森や川で一緒に遊んだMちゃん。そんなMちゃんの最近のFB投稿を見て、とっても嬉しくなりました。許可をもらったので、紹介します。

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夏休み自然体験キャンプにボランティアとして参加してきました。

朝7時起床、25時就寝で、小学校3年から中学2年の28人の参加者の子どもたちと12日間過ごすというなかなかハードな日々でしたが、そのぶん学ぶ事も本当に多かったです。人との新たな出会いもたくさんあり、自分を見つめ直すことができました。

山村留学という言葉も今回初めて知りました。ボランティアの方の中には山村留学の経験者も多くいました。彼らにとって、その思い出は本当にキラキラした宝物なのだと感じました。キャンプに参加した子どもも、リピーターの子がたくさんいました。自然とともに、地域に育まれた文化に触れ、色々な世代の人と交流することがいかに重要なことかがわかったように思います。

私が大好きな絵本に『ルピナスさん』という絵本があります。これは、おじいちゃんと「世の中をもっと美しくする」という約束をした女の子が、おばあさんになった後に、街中にルピナスの花の種を蒔く、というお話です。この物語のお終いは、おばあさんになった彼女が、小さな女の子と同じ約束をするところで終わります。

誰かに教えてもらった大切なことを、また他の誰かに伝えられることって本当に素敵なことだと思います。また、心の故郷があることも。私は宝物がたくさんあるから、その尊さがわかりますし、同じような経験を少しでもいいから子どもたちにしてもらいたいです。

つまり、私が言いたかったのは、こういう素晴らしい活動はもっといろいろな形で、たくさんの子どもたちが体験できるようにした方が良いと強く感じた、ということです。本来は、特別な体験ではなく当たり前に学ぶべきことのはずだから。

私の感覚だけで言うなら、山村留学した子たちのその思い出と、私にとってのひだまり保育園は同じで、新藤家とのキャンプとも同じだと思いました。

中学生になったくらいに、その大切さに気がつきました。私が勝手に解釈していたキーワードは「居場所」です。いじめ、友だち関係と悩みが尽きませんでしたが、周りに私の話を聞いてくれて、そして「あなたは素敵な人よ」と言ってくれる大人が本当にたくさんいたことが、今の私を作っていると思います。学校と家庭以外の「居場所」が、中学生以降には必要なのだろうな、とその頃から思っていました。
大人になったら、その恩返しを次の世代の子どもたちに、私なりに返してあげたい、と中学の頃から思っていました。今回、同じような心の絆のようなものを見つけて、とても感動しました。私にとってのひだまりは、彼らにとってのこの場所なんだな、と。

そして、私が今までいかに素晴らしい体験をしていたかが改めてわかりました。ひだまりっ子やキャンプの仲間と遊んでいると、そこには暗黙のルールというか、やっていいことといけないことのラインがあって遊びやすかったり、それがわからない子たちは「よその子」という感じがしていました。その感覚の理由も今回わかったように思います。

私が今まで感じていたことは正しかったのだという確信が持てました。どんな形かは見つかっていないですが、子どもも大人も寛げる「居場所」を作っていきたいと思います。ずっと考えてはいるんですけれど、答えはまだ見つからず、、、。でも、それがルピナスさんとの約束の私なりの答えかなーなんて(^_^)

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たくさん遊んだ『宝物』の経験が心の中にある彼女の言葉です。

彼女は、『居場所』というキーワードを見つけました。これから、どんな種を蒔いていく人になるのか、楽しみに見守りたいと思います。

「世の中をもっと美しくするために何かをする』というルピナスさんとの約束。

私達には、何ができるのでしょうか?

外の世界から日本を眺める

そして、20歳の長男は、現在、自転車でヨーロッパ一人旅中です。ドイツエコツアーに参加した後、約一か月の自転車一人旅。今回は、ドイツからスイスに移動後、イタリアを周遊中です。

そんな息子が、旅を半分過ごしたところで感じたことを書いていました。

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【ヨーロッパ旅行約半分過ごしましたがここまでで感じた事】

・電車、バス、街中でスマホをいじってる人がすごく少ない。日本だとみんな下向いてスマホいじってる人ばっかり。何の違いなんだろう。

・買い物、買い食いしても出るゴミが少ない。今まで買い物してビニール袋を貰った事が一度もない。スーパーで3〜4品買ってもだいたいそのまま渡される。買い食いの場合は紙袋や紙皿。ビニールやプラスチックは使われない。野菜果物も全部裸のまま売られている。

・自販機が全然ない。無駄な電力が削減できるのはいい事だが、チャリ旅で飲み物が切れた時はちょっと困る…

・公衆トイレが全然ない。あっても有料(1回50セントか1ユーロ)

・新幹線以外の電車はほとんどチャリ、車椅子、ベビーカー、犬をそのまま乗せられる。これはかなり便利。

・路地や信号のない交差点などで道路を渡ろうと待ってると必ず車が止まってくれる。歩行者と自転車が優先されているのを感じる。

・食べ物は基本洋食しかない。アジア料理屋とかも時々あるけど、食べたい時に見つけるのは難しい。その点日本は世界中の料理が食べたい時にすぐ食べられるのですごく食に恵まれてると感じる。

・街中や道端にゴミ箱がたくさんある。だけどタバコのポイ捨てがめちゃくちゃ多い…。どこ歩いてもタバコの吸い殻だらけ。

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ドイツは電車の乗り降りがフラットなため、ベビーカーや車いす、自転車の乗り降りがとてもスムーズなんだそうです。これ、大事なことですよね。日本の電車も、早くこうならないかなあ。

日本にいては気づかない、いろんなこと。

旅で感じているようです。

世界各国いろんな国の料理がどこでも食べられる日本。

コンビニや自販機がいっぱいの便利だけど、無駄の多い日本。

ちょっと買い物するとビニールごみでいっぱいになっちゃう日本。

公衆トイレが無料で、いろんなところにある日本。

恵まれてる日本と、無駄の多い日本。

どちらがいいかといえば、やはり、世界に誇れる日本でありたいものです。

息子も、子供時代、たくさん自然の中で遊んできました。震災後、エコツアーの松本英揮さんの講演を聞いて、自然エネルギーに興味を持ったのがきっかけでした。息子がエコツアーに初めて参加したのは18歳の時。環境都市と言われるドイツ・フライブルグのエネルギー事情を視察したのが始まりで、今年は二回目の参加になります。

18歳の時の長男のエコツアーの様子はこちら。

 

自転車も好きだったので、小学校時代、家族でサイクリングも時々行きました。でも、日本の田舎を自転車で走ってみると、自転車が走るような道路に作られていないところがほとんど。自転車や歩行者に優しくない道路ばかりでした。段差があったり、歩道が右から左に急につけ変わっているところ、そもそも歩道がないところ。歩道の真ん中に電柱があるところ。走ってみないとわからなかったことです。

でも、ドイツに行ってみると、自転車道が整備されていて、自転車のまま電車に乗ることもできるし、車に乗らずに済むという点で、やっぱりエコなわけで、車も、カーシェアリングができるので、自分で車を持たなくてもいい。

自分が見てきた日本と、海外に行って比べて感じた、『日本もこうなったらいいな』という感覚。

長男は、果たして、どんな種を蒔いていく人になるんだろうか?

自分の中の宝物を次の世代へとつないでいく

経験したことすべてが宝物です。

子供時代に遊んだ経験。

泥遊びしたり、みんなで砂を掘ってバケツで水を流して川を作ってみたり、大きなトンネルを掘って貫通した喜び、虫を捕まえて飼ってみたり、お花の蜜の甘さ、雨に打たれてびしょぬれになったり、足に感じる川の流れ、木登りして上から眺めた景色、秘密基地を作ったり、頑張って山に登って見下ろした下界の風景、酸っぱい山ぶどうの味、友達とケンカした思い出、バカ言って笑いあったこと、お泊りで夜遅くまで友達とひそひそと話した夜、枕投げしてキャーキャー騒いだ夜、外に寝転んで流れ星を数えた夜、自転車で風を切って走る爽快感、ゆっくり流れる景色を眺めながら走る自転車の気持ちよかったこと・・・。

それらの宝物から、自分が次の世代へ伝えていきたいと思う種を蒔く。

宝物が多ければ多いほど、蒔くける種の種類は増えていく。

『自然』『環境』というキーワードからは、森に関わることや、エネルギーや、建築、都市づくり、動物や、昆虫や、生き物や、農作物、天文、宇宙・・・いろんな種ができるでしょう。

『仲間』『居場所』というキーワードからは、やはり、そういう場づくりをする様々な種ができるでしょう。子どもの居場所、不登校の子の居場所、母の居場所・・・いろんな居場所、いろんな仲間づくりが考えられます。

病弱で外遊びがあまりできなかった子であれば、『人を助けること』や『誰かの役に立つ』という芽が芽生えるかもしれない。

どんな経験をして、どんなキーワードを自分の中にみつけ、どんな種を蒔いていくのか。

私たち大人は、その、選択肢を広げてあげたいものです。

子どもたちの中にたくさんの種のもとになる宝物の経験をさせてあげましょう。

子どもに罰は必要?


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昨日は、娘の部活の大会でした。結果は、2勝2敗。いいところも、悪いところも、もちろんありましたが、本当に一生懸命頑張っている子どもたちを見るのは、いいものです。ところが、どのスポーツにも当てはまることだと思うのですが、勝たせたい余り、罵声をあびせ、怒鳴り散らし、罰としてダッシュで走らせているコーチがいるチームが、とても気になってしまいました。そのチームの子ども達に笑顔はありませんでした。

普段の生活の中でも、罰を使うこと、ありませんか?「〇〇しないとオニが来るよ!」「〇〇しないとおやつなしだよ」なんて脅し文句を、よく使いませんか?

果たして、子ども達に罰は必要なんでしょうか?ちょっと考えてみたいと思います。

 

罰を与えるのは逆効果?!

 

子どもがしてほしくないことをしたとき、失敗したとき、だいたいの大人は怒りますよね。

「何でそんなことしたの?!」

「~しちゃだめじゃない!」

そんな言葉が口をついて出てきます。そして、同じことを繰り返さないように、時として罰を与えます。

小さなお子さんだったら、

「~したら鬼が来るよ!!」

「~したらおやつなしだからね!」

そんな脅し文句、使ったことありませんか?最近は、鬼アプリというのがあるらしく、悪いことすると、鬼から電話がかかってくるとか、クリスマスシーズンが近くなるとブラックサンタが悪い子のところにはお仕置きしにやってくるとか、昔から、『嘘をついたらエンマさまに舌を抜かれるよ』なんて、よく言われたものです。秋田の『なまはげ』は、「悪い子 いね~が~?!!」って、出刃包丁持ってうちに入ってくるなんて言うのは、地域の風習ではあるけれど、完全に罰ですよね(笑)。

そうやって、罰を与えると、子どもは、確かに、一時は悪い子、困ったことをしなくなります。でも、それって、罰が怖いからやらないだけで、本当に悪いと思ってるわけではありません。ある意味、なんで悪いかわかってないけど、怖いからやらない、みたいな感じです。

罰のよくないところは、

1.罰を与える人に反抗心を持つ。

2.罰だけでは、実際になにをしたらいいかわからない。

3.失敗を恐れて、挑戦しなくなる

4.自尊心が育たない

罰を恐れて、言われるまで何もしなくなる、指示待ち人間を作ることにもつながってきます。

悪いこと、困ること、危ないことをして、怒ることは誰でもあります。

危険があることなら、子どものやったその行動の結果、どんな危険なことが待っているか、あなたが大事だから、こんなに怒っているんだよと、しっかり、その行動の何がいけなかったのか、教えるようなしかり方はありだと思います。むしろ、それは必要だと思います。

でも、命に危険のあること、人を傷つけるようなことでない限りは、それほど怒ることではないのではないかと思っています。

それでも、罰は、百害あって一利なしなんじゃないかと思います。

そういう私も、全く使わなかったかというと、そんなこともなく、節分で怖い鬼が保育園にやってきたのをいいことに、「はやく歯磨きしないと、オニ来るよ!」って、言ったことあります。

子供の通っていた保育園では、かつて、リアルに怖いなまはげのような鬼が来ていたので、その、恐怖たるや、完全に子どもたちの中ではトラウマになっていました。「オニが来る!」って言っただけで恐れおののいて泣き出す子もいましたから。実は、この保育園時代のトラウマ、かなり長い年月我が家では尾を引いて、一人で夜トイレに行けなくなるとか、暗いところや大きな音が苦手になるということもありました。

冒頭の、部活の罰も同じことで、罰を与えたからといって、決して自分で考えて行動する子にはならないんじゃないのかと思うのです。怒られないように、言われたことをただこなすだけで、本当にそのスポーツを楽しいと思ってやっているかどうかはわかりません。

 

本来、スポーツは子どもたちの健全育成のためのもののはず。体を動かす爽快感や、達成感、仲間との連帯感を味わったり、豊かな心や他人に対する思いやりを育んで、心身のストレスの解消に貢献していると定義されています。

でも、実際のところ、毎日のように、

「〇〇をしろ!」

「〇〇はするな!」

「違う!何度言えば、言われた通りに動けるんだ!」

「おまえなんて、やめちまえ!」

なんて、言わる続ける子どもたちは、部活自体がストレスになってる子が少なくありません。

そればかりでなく、過度な練習や、試合が続くことで、怪我が多く、体はボロボロです。骨折、腰の疲労骨折や、半月板の損傷、様々な骨や筋肉の損傷で病院通いしている子がたくさんいます。でも、休むわけにもいかず、ドクターストップがかかるまで、子ども達は走り続けることになります。成長期の子供が、一定のスポーツで、同じ筋肉を酷使することは、決していいことではないと思うのです。

過度な部活動に対する疑問や不満があるものですから、本来の罰の話からはちょっとそれましたが、まだ、お子さんが小さい方は、こういった部活の事情も知ったうえで、今後のお子さんの部活選びを一緒に考えてほしいと思います。

 

 

減点よりもイイトコメガネで加点を

かつて、減点ばかりする先生がいました。トイレの掃除で、拭き方が甘いと、「ここがまだ足りない!10点減点。」黒板の拭き残しがあると、「黒板がまだ汚い!5点減点!」って、とにかくダメ出しして、減点していく先生でした。

子ども達のその先生に対する評判は、ものすごく悪かった。厳しい先生で、とにかく、子ども達が思い通りに動かないと大声で怒鳴るし、廊下に立たせたり、今だと問題になるような行動もありました。

子ども達はというと、陰では先生の悪口ばっかりで、その先生がいるときはかろうじていうことを聞くのだけれど、先生がいないところでは、全くやらないというようなこともよくありました。

一方、子どもが大好きだったK先生は、加点方式。クラスの誰かがいい行いをすると、クラスの掲示に花丸をつけます。例えば、「〇〇クンがごみを拾った」といえば花丸を。「〇〇さんが、給食こぼして困っている〇〇さんを手伝って一緒に床を拭いてあげた」という場面があれば、花丸を、という具合に。花丸が20個(ぐらい?)たまったら、ご褒美で、学活の時間にお楽しみ会をやる、そんな先生でした。その先生の授業参観は、見ていても子供たちが本当に生き生きと発表していて、楽しそうでした。

 

K先生のいいところは、一人一人が、授業態度が良かったとか、宿題を忘れずにやってきたとか、字が丁寧に書けたとか、もちろん、そういうところでもよく褒めてくれたんだけど、それ以上に、前述したように、クラスの誰かのために動いたこととか、教室を自分からキレイにしたとか、そういう、クラスみんなのために、学校のためになるようなことをしたことを大きく褒めてくれるようなところでした。

自分が、誰かの役に立っている、そういうところを褒めて伸ばしてくれた先生でした。

減点方式が、最初は100点で、よくない行いをするたびにマイナスされていくという、どんどん、人を過小評価していくような、悪いところに目を向けたものであるのに対して、

加点方式では、初めは0点でだんだんプラスになっていく。上限はなく、100点にでも、200点にでも何点にでもなる可能性がある。可能性は無限大にあるわけです。

そして何より、悪いところではなく、いいところを見ているということ。だからこそ、子ども達は、もっと自分のいいところを見てほしいから頑張ります。自分はもっとできるんだよ!って、自分に自信を持っていきます。

「他人の短所を見れば憂鬱になり、他人の長所を見れば人生が明るくなる」/D.カーネギー

という名言があります。

「人嫌いを治す簡単な方法は、一つしかない。相手の長所を見つけることだ。長所は必ず見つかるものだ」という言葉も彼の言葉です。

「イイトコメガネ」というACのCMが以前ありましたが、周りの人のいいところを発見できる人でありたいものですね。

減点はエネルギーを奪い、加点は勇気とやる気を与える

これは、学校や部活だけでなく、家庭の中でも、社会に出てからも言えることですが、罰を与えることや、減点方式は、やる気を奪い、可能性を奪うものだということを頭の片隅に入れておいてほしいと思います。

前述したK先生のエピソードで、卒業の時に、自分のなりたい夢を子どもたち一人ひとり書いていましたが、「K先生のような先生になりたいです」という子がいたことが印象的でした。

加点方式は、こんな大人になりたいという、子供に夢を与えることもできるんだと思ったエピソードでした。

加点方式では、可能性は無限大だと前述しましたが、子ども達に、もっとできる、もっとがんばろうという勇気とやる気が芽生えてきます。

何でもかんでも褒めればいいということではありませんが、「こういうところはえらかったね」「こうしてくれてうれしいな。助かったよ。」そんな風に、いいところ一つ一つ口に出して伝えてあげると、自信になります。

どうか、「こういうところがダメ」「また〇〇したの!おやつなし!」って、罰や減点ではなく、イイトコメガネでいいところをみつけて、伝えてあげて下さいね。

罰を与え、減点方式ばかりでいると、思春期になったとき、大きく反発しますからね。

 

 

 

 

 

 

夏休みを子どもたちはどう過ごしたか~遊びつくした夏休み

東北の夏休みは短いもので、22日から小学校が始まりました。長いようであっという間の夏休み。キャンプにプールに博物館、虫取り、カニ釣り、魚のつかみ取り。いろんなことを経験した夏でしたが、今年は後半、長雨続きで外にもあまり出られず、子どもの友達が毎日のように家の中で遊ぶ日が続きました。

そんな子ども達の夏休みの過ごし方を振り返ってみたいと思います。

自然の中でめいいっぱい遊んだ子ども達

NPOみんな地球の子どもじゃんのキッズサマーキャンプで、福島からの子ども達と、一緒にキャンプをしました。シジミ採ったり、魚捕まえたり。

カヌー乗ったり

木登り体験したり

セミの羽化を見たり

カブトムシ捕まえたり

テントで寝たり

ウクレレ弾いたり

 

夏休み中のプレーパークで思いっきり遊んだり。

セミの抜け殻探しに夢中になったり

学校プレパであそんで、

公園のプレパで遊んで

カニ釣りして、

毎日雨でも遊んで

おいらせもりのようちえんでは、雨の中歩いたり、

森で遊んだり

流しそうめんしたり

 

海に行ったり

魚つかみ取りしたり

アゲハの幼虫飼って、羽化してみたらカラスアゲハで驚いたり

カミキリムシつかまえたり、

寒かったから、温水プール行って、

2日間の市でやってる水泳教室に通って泳げる距離が長くなったり、

たま~に、料理を手伝って、

三社大祭行って、

ねぶた跳ねて、

「恐竜の化石が見たい」という息子の言葉に、思い立って、0泊三日の車の旅で東京まで行って、博物館と、ついでに上野動物園に行き、電車で疲れて眠って、

家族と過ごした夏休み。こんな時間も今しかないことです。中学生以上になると、一緒に行動する機会は、ぐっと減りますからね。

ちなみに、夏休み中、長男はバイトして、ドイツに自転車で一人旅。高校生の次男は部活の他は、電車で北海道まで一人旅。中学生の娘は、毎日部活に明け暮れていました。

キャンプにも、一緒に来なくなってしまいました。成長するのはうれしいけれど、ちょっぴり寂しいです。

だからこそ、小学生までの黄金時代を、めいいっぱい楽しみましょう!

 

遊び疲れて寝落ちするほど遊びつくす

こうやって振り返ると、遊んで遊んで遊びつくした夏休み。

毎日のように遊んで遊んで、遊びつくすと、当然のように、寝落ちして、晩御飯も食べないで寝てしまったり、かろうじて晩御飯は食べるけど、歯磨きとお風呂が間に合わずに眠ってしまうこともよくありました。

寝落ちして

寝落ちして、

寝落ちして・・・

何日も歯磨きしないで、お風呂入らない日も。

夏休み後半、しわ寄せで、歯医者通いが続いて、夏休み明けまで歯医者通いが続いていますが・・・。

それでも、こんに遊びつくせる夏休みを過ごせるのは、幸せなことだな~、って思います。

日中、友達が遊びに来ないときは、もう、「9時になったら〇〇クンのおうちに行ってみてもいい?」って、家でじっとなんかしていられません。

遊び友達がいるのって、ありがたいことです。

 

小学生は友達が大事

家族とどこか出かけたり、プレーパーク以外では、毎日毎日お友達と遊んでた息子。

暑いときには水遊びして

遊んで

走って

食べて

ちょっと遠出して、水で生き物探しして

草滑りして。

友達がいれば、何をやっても楽しい。

時には言い争いのけんかになって、でも、すぐに仲直りして、一緒にかくれんぼしたり、別な友達誘いに走ったり。

何人かいると、中で遊びたい子と、外で遊びたい子がいて、

「外で遊ぼうよ!」

「え~、俺今これやってるから行かない」

「せっかく天気よくなったんだから、外で遊ぼうよ!」

「かくれんぼなら、俺、鬼やってもいいよ」

「よし、じゃあ、〇〇クンオニね!20数えて!」

なんてやり取りを毎日のように繰り返し。

きっと子供たちは、友達と遊べさえすれば、夏休み、どこかに連れて行ったりとか、そんなのも必要ないのかもしれないな~って思うくらい、友達と遊べていたらそれだけで楽しいらしい。

プレーパークのいいところは、そこに行けば、遊び仲間がいるってこと。初めての子とだって、すぐに遊べちゃうってこと。いつもの友達にも声かけてプレーパークをやったりもするのだけれど、だれかが遊び相手でいてくれたら、それだけで楽しいんだってこと。

小学生には、友達が必要です。

友達と群れて遊ぶことが必要です。

そのためのプレーパークなのかもしれません。

子どもには、くう、ねる、あそぶが大切だと言いますが、あそぶためには、友達が必要ですからね。

父親が育児参加すること


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日本の育休取得率は低く、2016年は女性は81.8%、男性は3.16%です。イクメンやカジダンという言葉もよく聞くようになった今も、まだまだ男性の育休取得率は低いようです。

フランスの調査では、育休を取得した父親の方がその後も子どもの世話により多く参加しているという事がわかっています。母親は、10か月かけて母親になる準備をしているわけですが、父親は、子どもが生まれて、お世話していく中で、徐々に父親になっていくと言います。

男性が育児に参加することで、お母さんが抱える家事や育児の大変さを、少しでもシェアできたなら、もう一人いてもいいかもと思えるのかもしれません。二人の子どもだから、お互い協力しあいながら子育てするという意識を持つのに、男性の育休も必要になって来るのかもしれませんね。

産後に育児に協力してもらえなかった、女は家事や育児をして当たり前のような態度をとっていたことが後々まで後を引き、熟年離婚に至るケースも多いと聞きます。産後の奥さんの体をいたわって、家事や育児に協力したり、忙しくてなかなか育児参加できないときも、奥さんにねぎらいの言葉をかけてあげてほしいと思います。

男性の育休

国や、県の職員などは、男性の育休を進めているので、比較的育休を取りやすい環境にありますが、民間では、人手不足などで、長期で休まれると困るという業者も多いので、なかなか進まないのかもしれません。

育休をとるためには、職場の上司の理解と、育休手当がでるなどの、経済的に支えてくれる制度が必要です。

厚生労働省では、今年の3月に、育児・介護休養法を改正して、パパ休暇、パパ・ママ育休プラスという制度を設けました。

こういう制度があるということも、意外と知られていないのかもしれません。

うちの場合も、末っ子の時は、主人は育休こそ取りませんでしたが、有給休暇や、夏季休暇、当時、介護の必要なおばあちゃんと同居していたことから、介護休暇なども併せて、産後、10日ほど休みを取ってくれて、サポートしてくれました。出産が夏休み中だったので、夏休み中の上の子たちを、あちこち連れて行ってくれたり、ご飯を作ってくれたり、洗濯してくれたり、何から何までやってもらい、本当に助かりました。

産後、旦那さんのサポートがあると、精神的にも安定します。

出産のダメージは交通事故並みといわれています。骨盤が大きく開き、ぐらぐらです。
子宮が妊娠前の状態に戻るだけで通常6~8週間。骨盤も、最低でも2か月かけて元に戻っていきます。
傷自体に加え、子宮の収縮、胸の張りもかなりの痛みを伴し、さらにホルモンバランスの急変により、気分が落ち込んだり不安に包まれたりしがちになります。
産後の1年は体を回復させるための期間と考えてほしい。家事や育児に専念するための時間ではないことを、夫婦の共通認識として持たないといけません。
最低でも、産後一か月は、ママの体の回復を最優先に、赤ちゃんのお世話以外の家事は、できるだけサポートしてあげたいところです。
大事な時期に寄り添えるかどうかは、その後の夫婦関係に大きく影響しそうです。

お父さんの役割、お母さんの役割

男女共同参画といいますが、もちろん、家事や育児に参加する男性が増えてくれたらいいし、働く女性も多いので、女性が働く環境を整えたり、子どもの病気で仕事を休まなければならないなど、女性が休むことへの職場の理解も必要なことだと思います。
でも、私は、全てが男女差なくフラットになればいいと思っているわけでもありません。
男性だからできること、女性だからこそ気づくこと、それぞれの良さがあると思っています。
子育てで必要な母性と父性のお話を、児童精神科医として、たくさんの子供たちに関わってきた故・佐々木正美先生のお話を引用します。
子どもの希望や要求を受け入れて、満たしてあげる。この〝相手を受け入れ包み込む〞のは母性的な愛情表現、いわゆる母性性。
一方、「これは良いこと、これは悪いこと」と善悪を教えたり、他人と良い関係を築く上で大切なマナーが身につくよう導くなど、過去から受け継いで来た社会のルール、知恵や文化を与えるのが父性性、父親的な役割です。
最近は子育てに関わる若いお父さんが増えていますが、何でもお母さんと同じようにする必要はありません。性差というのは生まれながらにあり、妊娠、出産、授乳がお母さんにしかできないように、お父さんにしかできないことがあるのが自然。子どもの育つ環境としては、文化的な男女差がはっきりしている方がいいと思います。

お母さんが母性性を存分に発揮できるよう協力することが、お父さんの役割として重要です。それは形式的に家事を分担することではなく、

精神的に支えられているという安心感や満足感を、お母さんに与えることです。

子どもが小さいうちは、お母さんの方が一緒にいる時間が長いでしょう。子どものお世話やスキンシップを、お母さんがイライラせず楽しんでやれることが大事。

お父さんは帰宅が遅いなら、話を聞いてあげたり、できる範囲で家事を手伝って、お母さんの心や時間をサポートしましょう。相手に対する気遣いができ、信頼し共感しあえる関係なら、子育てでさまざまな問題が生じても、一緒に考え解決していけるでしょう。

学校や社会に出たら、世の中は規範はルールという父性性にあふれています。だからこそ、家庭の中では、母性をしっかり子どもに伝えてあげてほしいと、佐々木正美先生は言います。

お父さんには、お母さんの心が安定するように、家族を支えてほしいと思います。同時に、お父さんにしかできない、体を使ったダイナミックな遊びや、力強い遊びを通して、「お父さんスゴイ!カッコいい!」って思ってもらえるような関りも、あってもいいと思います。

お父さんによじ登る。お父さんの腕にぶら下がる。高い高いする。虫や工作はお父さんにお任せ!なんていうように、お父さんの得意なことで子どもを喜ばせて上げられたら、家庭の中でのお父さんの株は急上昇しますから。

どうやって、子どもと遊んでいいかわからない、というお父さんもいますが、絵本を読んであげるのもいいと思います。お父さんが寝る前に読む絵本がおもしろいと、うちの子ども達も、ずいぶん喜んでいましたから。

今しか味わえない、貴重な時間

子どもと過ごす時間っていうのは、今しかない貴重な時間です。

家族のために働いて、お金を稼いで、でも、そのために家族と過ごす時間が少なくって、気が付いたら子供は思春期で、父親とはろくに口も利かなくなった・・・なんて話も聞きます。

子どもが小さいうちの時間は、取り返しのつかない大事な時間なんです。

子どもも、一緒に行動してくれるのは10歳ぐらいか、長くても小学校まで。部活や習い事が忙しくて、親子でどこかに出かけられる時間も、10歳以降は大幅に減ります。

子どもと関われるのは期間限定なんです。

でも、子どもとそうやって関わっていくと、楽しいことも共有できる。大変だったことも、後になったら笑い話。子どもと過ごした時間は、宝物の時間になっていきます。

ふと、振り返って、私が末っ子を妊娠していたときのことを昔の記事から思い返してみました。

妊娠中、しかも臨月。

毎年友人と行ってるキャンプにどうしても行きたくて、川遊びとホタルキャンプに行きました。

なんと、その夜、次男がマムシに咬まれ、救急車で病院へ搬送。旦那が次男に付き添い病院へ。不安になっている長男、長女のそばには私ついて、キャンプ場で一晩あかし、翌日、長男長女は友人に預かってもらい、私はそのまま病院へ。

いやあ~、大変でした。臨月でしたしね。

でも、それも、私なんかは、何が何だかわからず、あたふたしちゃったけど、旦那が、二本の牙の傷跡を見て、すぐ毒蛇だと判断して、救急車を呼んでくれた。救急隊の人に状況を的確に説明してくれてたから良かったんですよね。

子どもって、何があるかわからないです。

まあ、そんな話も、今は笑い話です。

マムシに咬まれたことが、宝物の思い出ってわけじゃないんですが、そうやって、家族と積み重ねた楽しかったり、悲しかったり、大変だったりした一つ一つの思い出が、何ものにも代えがたいものだということ。

今しか関われない子どもとの時間を、大切にしてほしいなって思います。

 

命をいただくということ~子どもの世界を広げよう

今日は、おいらせもりのようちえんでの森遊びの日。ここしばらく、しとしとと雨続きで、うんざりしていたので、今回は多少雨が降っても、外に出ようと思い、キャンプ場で遊ぶ事に。水遊びをメインに、雨どいと、ペットボトルを使った水遊び。遊んだあとは、流しそうめんをして、中に入って、もりのようちえんの畑で採れたお野菜を使ったスープをいただきました。手の空いた時間で、カイコの繭から糸を引く体験もしてもらいました。

それで解散だったのですが、そのあと、残った子ども達数人と下の牧場へ行って、羊や、ヤギ、牛を見てきました。

今回は、おいらせもりのようちえんでの子どもたちの様子の紹介しつつ、命をいただくことを考え、子どもの世界を広げる絵本を紹介します。

おいらせもりのようちえん森で水遊び

今回は、雨が降ってもカッパ着て外でバシャバシャ水遊びさせようと思って、用意した秘密兵器が雨どい。幸い、雨も止んで、それほど寒くもなく、お水遊びができました。森で遊ぶというよりは、森の中でのプレーパークという感じではありましたが、何をしようというプログラムもなく、ただ、物だけ用意して、あとは自由に子どもたちに遊んでもらうという感じ。のんびりと、遊びたいように遊ぶ子ども達。トンボやバッタを捕まえたり、キノコにじょうろでお水あげる子も。シャクトリムシつかまえてみたり。

森には、おなじみ、ハンモックとスラックラインの綱渡り。

ロープのブランコもつけて。

うちわのシャボン玉と。

ペットボトルの水鉄砲は、やっぱりこうなる!

子どもは着替え持ってるけど、大人の着替えはないのだよ。びしょ濡れの旦那、走る!

おチビさんは、水をぱちゃぱちゃしてたら・・・

やっぱりこうなる(*^-^*)。ちょっとおしりが冷たいのよ・・・

ボール流して、ペットボトル流して、

笹船流して。

連日の雨ででっかくなったキノコ見つけて、

刺されると、ものすごく痛いイラガの幼虫発見!絶対触ってはいけません!

虫を図鑑で確認中。

せっかく雨どいあるから、流しそうめんも!ゼリーも流れる。

もう、箸なんてめんどくさいもの、いらない!手でいっちゃいます。

今回は、RABの撮影が入っていました。

そうめんも終わって、まだ足りない子供たちは、そのまま室内へ。もりのようちえんの畑で採れた野菜を使った、おいしいスープをみんなでいただいて、お腹いっぱい。

囲炉裏でぬれて冷えた体をあっためる子も。

まったり五平餅を焼きながら。

食べ終わって、手の空いた時間に、カイコの繭を煮て、糸をとる、糸引き体験も。

クルクルクルクル。

単調だけど、なんだかやめられない。どんどんきれいな絹糸が出てきます。

先月はこんなに小さかったカイコちゃんも、

一か月で立派に成長。新幹線みたいな顔になってきましたね。もうすぐ繭を作り始めるでしょう。

糸を引くと、光沢があって、思ったよりも丈夫で、すごくきれいなんです。

これで、もりのようちえんは、解散です。

お片付けして、残った子で、牧場の方にお散歩です。

牧場で感じた命

残った数人の子ども達と、下の牧場へお散歩に行くと、牧場には、羊、ヤギ、牛、馬がいます。ヤギや羊に草をあげたりしながら牛舎へ行くと、大きな牛に圧倒される子供たち。
「ここの牛さんの牛乳は、上の売店で売ってるよ。」というので、帰りに売店で牛乳を買って飲みました。

とってもおいしかった。

お乳を搾るための牛の他、お肉にされる牛もいて、牛のことをもっと知りたいと思ったし、子どもにも伝えたいな、って思いました。
お肉も牛乳も、無駄になんかできません。命をいただく、ということを、改めて考えさせられます。

そして、もりのようちえんで、子どもたちに見せたカイコだって、家畜です。人間のために生かされ、利用され、利用価値のある繭だけをとるんですから。

そういった、人間のために生かされている家畜を通して、命をいただくこと、利用すること、そのありがたさや、残酷さ。いろんなことを、子ども達には感じてほしいです。

スーパーに並んでいるお肉が、いろんな牧場で、生きてきた牛だという感覚。そこがつながっているということを感じてほしいと思いました。

絵本で体験を深め、子どもの世界を広げる

この日、帰りに、息子と図書館に行くと、一冊の絵本が目にとまりました。

「きみの家にも牛がいる」という絵本。

タイムリーだったので借りてみました。

牛がと殺されて、お肉になるまでの工程が、そして、お肉だけじゃなく、骨や皮まで利用され、私たちの暮らしの中にたくさん利用されているということが、しっかりわかりやすく描かれています。

意外なところでは、グミやゼリーなんかも、牛の骨から作られます。

この本をきっかけに、いろいろ調べてみたところ、ゼラチン1袋(20g)で、牛の骨7~8頭分必要なんだそうです!

皮製品なんかは、靴や、ベルト、カバンなどに普通に使われていますよね。

ギターのナットに牛骨を使ったり、和太鼓は9割牛革だそうです。

ヴァイオリンの弓のチップという部品に牛骨、サムグリップに牛革が使われているものもあります。

牛は、捨てるところがないと言います。牛乳としてだけでなく、内臓も、お肉も、皮も、骨も。私たちの生活の中に、使われています。

生の牛を見てきたことと、それにリンクして、こういった絵本で、深めてみるのも、いいのかもしれません。実体験とその先にある世界を知る手掛かりとして、絵本はいいツールです。

子ども達に、畜産関係の人にお話を聞く機会を持てたらいいですね。現場で働く人の生の声を、もっと子供たちに聞かせてあげたいと思いました。

あわせて、絵本などで追体験できたり、体験したことから知識を深めたりできると、知らなかった世界が広がって、違うものの見方ができるようになるのかもしれません。

こういった、体験で、子どもの世界を広げてあげたいですね。

 

 

 

終戦記念日に子どもに伝えていきたいこと


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昨日は終戦記念日でした。毎年、お盆と重なり、ご先祖様に感謝するとともに、戦争によって亡くなった方々への追悼と、もう、二度とあのような時代が来ないようにと、平和を願い、今ある平和に感謝して過ごされた方も多いのではないでしょうか。戦後72年。戦争を語ってくれる方々も、だんだん少なくなってきています。次の世代へと語り継いで今なければ、戦争の記憶は薄れていきます。子どもたちに、何があったのかを語っていかなければなりません。なぜ、戦争が起きたのか。戦争によって何が失われたのか。戦争により、日々の生活はどうなっていったのか。戦地に向かった人たちの想いに触れ、愛する人を戦地に送り出した家族の想いを知り、家や家族を失ってなお生き延びてきた方々の必死に生きてきた時代を知る。だからこそ、今ここにある平和と、幸せに感謝できる。そういうことを伝えていかなければならないと思います。

 

戦争を知ること

原爆の悲惨さは、原爆の資料などで、多くの人が見聞きして知っているところです。でも、同時に、戦争によって、どれだけ多くの人が犠牲になり、苦しんできたかを知ることも、大事なことです。

特攻隊で散っていった人たち。出撃するに先立ち、残した家族への手紙や、書の数々から、国のために死んでゆくことの名誉よりも、残していく家族への想いや、無念や、死にたくはなかったという本当の想いを知ることができます。

当時、浮浪児と呼ばれて疎まれた戦争孤児出会った方々の話に触れると、戦争によって親や兄弟、家も失い、行く当てもなく、ただ生き延びるために必死であったと言います。

朝日新聞デジタル「戦争を語る2.孤児たちの遺言」

より一部抜粋。

「当時5年生だった男性は、集団疎開から戻った上野駅で迎えがなかったそうです。パニック状態になり、焼け跡で家族を捜しても見つからず、日が暮れて駅に戻りました。『生きていないと親に会えない』と思い、盗みを始めたと打ち明けてくれました。同じ境遇で一緒に地下道にいた3年生の男の子は、何日間も何も口にできず、『お母さん、どこにいるの』と言った翌日、隣で冷たくなっていた、と。いったん親戚や里親に引き取られても、重労働や虐待に耐えかねて家出をして、浮浪児になった子も数多くいました」

「いったん平和が失われたら、子どもの命は守れない。いまが正念場です。戦争孤児の問題は過去のできごとではなく、未来の子どもたちの問題です。終わりなき悲しみを子どもたちが二度と味わうことがないように、最後のチャンスと思って、伝えたい」

 

 

私の小学校時代の担任の先生もまた、戦争経験者でした。当時、私たちに話してくれた言葉が、今も心に残っています。

まだ10代だった先生は、夜通し作戦の場所に向かって歩かされ、眠くて、寝ながらひたすら歩いていたこと。目的地に着き、手りゅう弾を抱えて道に潜んで、敵の戦車が来たら、そのキャタピラの下に突っ込むようにという命令だった。手りゅう弾を抱えて震えながら夜を過ごしたこと。ただ、先生は、二手に分かれた分かれ道の一本にいて、たまたま戦車は反対側の道へ進んで、先生の待つ道には戦車が来なかったため、先生は生き延びたこと。

面白い先生で、笑い話のように話してくれていたので、小学生だった当時は、面白い話として聞いていたように思います。でも、改めて先生の話を思い返す時、10代の子供が、爆弾を抱えて夜を過ごすのはどんな気持ちだったろうかと。一人の命が捨て石のように使われた時代。子どもが上官に逆らえるわけもなく、死にゆくことしか選択できなかった時代。

当時、13歳から19歳までの少年兵が42万人もいたと言います。学徒動員(大学生)12万人。大人と同じように戦わされ、軍にとっては習熟していない少年兵は消耗品。特攻の多くはそんな少年兵であったとも言います。

大人はもちろんのこと、子ども達までもが戦わなければならないなんて、そんな戦いは、もう二度とするべきではないと思います。

子ども達が守られていく世の中であり続けてほしいと、切に願います。

 

 

平和な未来のために、私たち一人一人ができること

去年の終戦記念日に書いたブログです。

去年は朝の連続テレビ小説で、「ととねえちゃん」をやっていて、戦争で失われていった、何気ない日常の幸せが、どれほど大切だったか、それこそが、守るべきものだった、というようなことが語られていました。

日々の暮らしを大切にすること。

きれいな川で遊んだ子ども時代。

田んぼにうごめく生き物たち。

笹船を流し、誰が早いか競走したり。

花冠を作ったシロツメクサの香り。

山に登って、足下に広がる見渡す限りの森の木々。

海に連れていってもらい、足にまとわりつく波と砂の感触。

トンボを捕まえるのに夢中だったこと。

焚き火や、薪ストーブの柔らかな灯りとけむりの臭い。

暗くなるまで友達と走り回って遊んでいたこと。

雨に打たれてびしょ濡れになったこと。

川の中に光る魚を捕まえようと格闘したこと。

家族で囲んだ賑やかな食卓。

 

子ども時代の体験が、豊かであればあるほど、幸せな子ども時代がよみがえります。草いきれの匂い。泥や砂の感触。いっぱい遊んで、家に帰ってきたときの安心感。

それらが多ければ多いほど、守るべきものはそこにあったと気づくことが出来ます。

心の中に息づく故郷の情景は、そのまま守りたいもの、大切なものなるでしょう。

子ども達に伝えていきたいこと

だから、子ども達には、折に触れ、戦争の話を伝えていくのと同時に、日々の暮らしを楽しみ、たくさん遊んだ遊びの中で、大好きなものを増やしていていくのが、平和のために私たち一人一人ができることだはないのかと思っています。

 

戦争の絵本や本、アニメや漫画、映画でみてもいい。今なら、インターネットで、たくさんの戦争体験や、戦争での証言を見聞きすることができます。

戦争に関する漫画で有名な「はだしのゲン」は、図書館でも借りられるところが多いです。

「この世界の片隅に」は、8/30まで、Yahooプレミアム会員に登録すると視聴することができます。

「火垂るの墓」や、「永遠の0」「男たちの大和」「硫黄島からの手紙」などの映画を観るのもいいでしょう。

戦争や平和の絵本については、こちらのブログでも紹介しています。

どんなものでもいい。戦争は、幸せを奪い、怒りを生み、悲しみを生むものだと、伝えてほしい。

子供時代、毎日のように友達と駆け回った故郷。後々の記憶に残っていく原体験。バカなことやって笑いあった仲間。あったかい家庭。それがあるからこそ、そういう幸せだった地域を守りたい。仲間を守りたい。家族を守りたい。大事にしたい。そう思えるのだと思うのです。

今年の終戦記念日は終わりましたが、戦争について語ることには終わりはありません。

夏休みに、そういうことを子どもに伝える機会を持ってほしいと思います。