リアルな体験を子どもたちに!


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小学生の約8割が外遊びをしていない――

そんな調査結果が、千葉大学園芸学部教授の木下勇さんの研究室による調査で明らかになっています。

わからないことは検索すれば、すぐに答えがわかる時代。

実際に虫捕りしなくても、昆虫採集の動画や、昆虫の産卵のさせ方、育て方のコツ。調べたらなんだって出てきます。

うちにカブトムシがいると話したら、「カブトムシはどこのホームセンターで買ったの?」と聞かれることも。

ほしい昆虫は、買う時代ですからね。

自分でカブトムシのいそうな木を探してみたり、ここならいるかも?って野生の感を働かせるような場面は少なくなってしまったのかもしれませんね。

なぜ外遊びが減ってきたのか

調査は、2016年10月から18年12月に実施されました。千葉市と宮城県気仙沼市、群馬県みなかみ町の3市町の小学生計2433人に平日に外で遊ぶ日数を聞きました。

都市の千葉市では78%が「0日」と回答。高学年では87%に上りました。平日放課後に遊ぶ友達の人数も聞いたところ、「誰もいない」が14%、「1~2人」が55%でした。

地方都市の宮城県気仙沼市でも、平日放課後に外で遊ぶ日が「0日」の子は76%平日放課後に遊ぶ友達は「誰もいない」が18%、「1~2人」が29%でした。

地方の農村部である群馬県みなかみ町では、平日の外遊びが「0日」の子は60%いました。遊ぶ友達が「誰もいない」は20%、「1~2人」が42%で、都市部以上に近所に気軽に遊べる友達が少ない状況が浮かびました。

外遊びをしない理由は、「塾や習い事があるから」がもっとも多く、34人。「通学に時間がかかるから」「外遊びをする友だちがいないので、遊びたくても遊べない」といった声もありました。

1・(塾や習い事で)忙しくて遊ぶ時間がない

2・遊ぶ友達がいない

3・都市化により、遊べる(騒いだり、走り回ったり、ボール遊びしたりする)場所がない

4・スマホやタブレット、ゲームなどが子どもたちの日常アイテムであること(一人でも時間を過ごせてしまう)

5・普段は学童保育に預けられている子が多い

6・地域とのつながりが希薄になっている

上位の1,2,3は、いわゆる3間がないというように言われています。3間とは、時間、空間、仲間のこと。

そのほかに、親世代がそもそも自然で遊んだ経験が少なく、自然の中でどうやって遊んだらいいのかわからないし、手っ取り早くテーマパークやワークショップなど、すべてお膳立てされているところに連れて行くほうが楽だし安心、という事情もありそうです。

リアルな自然体験が子どもたちにもたらすもの

世帯収入にかかわらず、自然体験の機会に恵まれていると、その後の経済状況に左右されることなく、その後の成長に良い影響がみられることが調査で分かっています。

自然体験の機会の多い子ほど、自尊感情が高い傾向にあるようです。

収入水準が高いグループ

・自然体験が少なかった子 27.9点

・自然体験がやや少ない子 28.5点

・自然体験がやや多い子 28.9点

・自然体験が多い子 29.5点

収入水準が低いグループ

・自然体験が少なかった子 27.4点

・自然体験がやや少ない子 27.6点

・自然体験がやや多い子 28.4点

・自然体験が多い子 29.6点

令和2年度 青少年の体験活動の推進に関する調査研究 報告パンフレット(概要) (mext.go.jp)

【資料6】青少年の体験活動の現状について (mext.go.jp)

自然体験が子供の成長にとってよいものであるということは、この追跡調査によっても明らかになっています。

自尊感情向上のほか、道徳観、正義感、コミュニケーションスキル、課題解決スキル、健康管理スキル、礼儀、マナーがある、という傾向がありました。

平成13年に出生した子供とその保護者を18年間追跡した調査データを用いて、時系列的な観点から、体験活動がその後の成長に及ぼす影響を分析した結果です。

リアルな体験の中で生き生きとする子供たち

この夏休み、毎日のように集まってきた子供たちは、午前中はだらだら友達としゃべりながら、時にはボードゲームやかくれんぼしながら過ごし、「午後どっか連れていける?」という日々。

「どっかって、どこに行きたいの?」「何がしたいの?」

「生き物探しなら、水の生き物か、昆虫か?」

「水遊びだったら、川か海か、湖か?」

「海だったら、ちょっと遠いけど、○○行けば、カニ捕まえたり、磯遊びもできるし、海でも泳げるよ」

「泳ぐだけでよければ、近い海もあるよ」

「小河原湖で湖水浴でもいいよ。浜台だったらカヌーだせるし、しじみ採りもできるよ。ヌマエビ捕まえるなら、道の駅近い方がいいかな」

「昆虫探しだったら○○の森がいいかな」

っていう具合に、子供たちに、今日は何をやりたいのか聞いて、虫捕りだったらあそこかあそこ。川だったらあそこかあそこ。川遊びと昆虫探しだったらあそこ。

そんな提案をしながら、午後行きたい場所を決めてもらっていました。

「今日は早く帰らなきゃないから、今日は近場で、駒っこランドでいいや」

「今日は温水プール行きたい」

そんな日もあります。

子どもたちが、今日は虫捕りの気分なのか、川遊びの気分なのか、海の気分なのか、プールの気分なのか、それによって行き先を決めるわけです。

磯遊びの海以外は、どこもだいたい家から車で30分程度で行ける距離。

午後1時に集まってきて、18時前に帰ってきます。

そんな風に、今年も遊びつくした子供たちの様子です。

★磯遊びで昆布を巻き付ける

★岩の上から海に飛び込み

★海の生き物探しでは、カニやおさかな捕まえる

★釣り

★川遊びで魚探し。モクズガニも発見したけど逃げられた。

★川で見つけたミヤマカワトンボ

★川遊び

★川で足がつかないほどの深みに飛び込み

★笹船作って流す

★湖水浴の後、虹を見ながら水切り

★初カヌー。右、左、右、左、左、左、左・・・

★カヌーからの飛び込み。みんなで前宙や、バク宙での飛び込みにも挑戦。

★寒くなったら焚火でマシュマロ焼き

★もぐってしじみとり。翌朝、砂出ししたしじみスープが激うま!

★キャンプ飯づくり(玉ねぎが目にしみる!一人は完ぺきな防御!)

★夜の雷。対岸の雷。ものすごく美しいけど、怖い。

★焚火で過ごす夜

★遊び疲れて早々にテントで眠る

★生き物探し・水の生き物編

★ミズカマキリにヒメゲンゴロウ、コオイムシやトンボのヤゴ

★カエルのビオトープには、アマガエルとトノサマガエルが五匹。餌にはコオロギやバッタ。

★アマガエルがめちゃくちゃかわいい

★脱皮したてのカマキリを庭で発見

★夏休み中に脱皮を何度か繰り返し、最後の羽化で成虫になったカマキリ

★クロスジギンヤンマが羽化したけれど、落ちて、羽化に失敗してしまった。

★羽化に失敗したクロスジギンヤンマは、カマキリのえさになりました。

★アブラゼミの幼虫が羽化するところをじっくり観察。

★虫捕りで木登りも

★3年ぶりのお祭りシーズン!!八戸三社大祭

★弘前ねぷた祭り

★青森ねぶた祭

★五所川原立佞武多

★花火大会

★地域のお祭り的な、おじいさんの実験ショー

★プレーパークでものづくり

★家庭科の宿題だけど、バンバンジーと、ご飯とみそ汁。息子一人でつくりました。

★新幹線と電車を乗り継いで、北海道日帰りプチ一人旅

こうやって見てみると、遊びつくして、いろんなことを体験しつくした夏休みでした。いっぱい笑って、いっぱい走って、いっぱい泳いで、いっぱい虫とって、いっぱいいきもの見つけて、いっぱい遊んだら「腹減った~!!」ってセルフかき氷やスイカ割りやおやつ食べて、おなかが満たされたら、「今度は鬼ごっこしようぜ~!」って、また走って。

17:55になったら、「やべっ!もうオレ帰る!」って帰っていく毎日。

子どもたちが、本当に楽しそうで楽しそうで。

虫捕り、海で磯遊び、湖水浴、カヌー、川遊び、釣りをして、釣った魚を食べる、しじみ採りしてしじみを食べる、生き物探し、焚火、料理する、キャンプ、雷を見る、水切り、虹を見る、木工、実験、地域のおじいさんおばあさんとの交流、お祭り、花火、スイカ割り、一人旅、昆虫や生き物を飼ってエサやりと観察、木登り・・・。

リアルな体験でいっぱいの夏休み。

青森の夏休みは短くて、今日で夏休みも終わりです。

「あ~!面白かった!」

って、夜はバタンキューで眠り、朝は6時には目覚める、健康的な毎日。

これぞ夏休みです。

今年は、6年生の友達はほとんど中学受験のために塾に行くようになり、去年とは違うメンバーで過ごすことが多かった夏休み。

ああ、子どもたちみんな、自由にしてあげたいな~。

こんな夏休みを過ごさせてあげたい。

塾通いのお友達を思うと、ちょっぴり切なくなります。

大人の役割

子どもたちに、リアルな体験をたくさんしてもらいたい。だけどどうしていいかわからない。

そんな親御さんもいるかとは思いますが、大人の役割として、こうであってほしいと思うことがあります。

それは、何をやるかは子どもが決めること。

そして、大人は、やり始めた子どもの邪魔をしないこと。

子どもが決めたら、できる限り、それを実現させる方法はないかと考え、サポートすること。

自分でできないときは、人に頼ること。お願いすること。

子どもの希望も聞かずに、自然の中にただ、自分の子どもを一人連れて行ったところで、「さあ、遊べ」と言われても、子どもも困ります。

友達を誘って一緒に連れていくとか、誰かにお願いして連れて行ってもらうとか、集団で遊べるようにしてあげることも実は大事です。

友達と一緒なら、どこへ行っても、何をしても、楽しいのです。

その場合、大人は、ただ見守るだけで大丈夫です。

自分の子ども一人だった場合は、親も一緒に楽しむ必要があります。こんな楽しみ方があるよ。こんなの見つけたよ。一緒にこれやってみようか。って、子どもとその楽しみを共有する必要があります。

 

子どもには、楽しさを分かち合う人が必要なのです。

感動を分かち合う。

怖さを分かち合う。

体験を共有することで、子どもたちの記憶に残っていきます。

 

親子で虹を見たら、一緒にきれいだね~と感動してください。

親子で昆虫を見つけたら、「お~!すごいね!かっこいいね!おもしろいね!」と、一緒に昆虫を観察してください。

大人は、子どもたちと感動を共有するために、見守っていてください。

 

 

 

 

 

子どもの未来に何を残したいのか?そのために何をするべきか?

この青森県も、どんどん子供の数は減っています。

2021年の出生数は6589人。2020年は7005人だから、416人前年度より出生数は減っています。その前の年は前年より318人減。さらにその前の年は620人減です。

息子の通う学校の今の子どもの数は343人だから、一年に学校一つからなくなってしまうぐらいの数の子どもが減っているということです。

毎年学校一つがなくなってしまうぐらいの世界。

にもかかわらず、児童養護施設などに入所している 社会的養護児童数は340人(平成31年データ)。

子どもの貧困や虐待も問題になっています。

困窮家庭、周辺家庭(低所得、家庭のひっ迫、子どもの体験や所有物の欠如の二つ以上該当が困窮家庭、一つ該当が周辺家庭)二つ合わせると31.4%の家庭が、何かしらの貧困状態を感じています。(子どもの貧困率とはちょっと違いますが)

昨年の青森県の児童虐待の相談件数は1700件

内訳は、暴言や子どもの前で配偶者に暴力を振るうなどの「心理的虐待」が929件

暴力を振るう「身体的虐待」が420件、

子どもの面倒を見ない「ネグレクト」が325件、

性的虐待が19件となっています。

そして、青森県内で令和三年の少年(20歳未満)の自殺者は7人

青森県だけ見ても、ため息が出るような世界。

子どもたちは大切にされているのだろうか?

 

子どもが走りまわって興奮して大声を上げることもある。だけど、子どもの声がうるさいと言われたり、ここで遊ばせないでと言われたり、そこは危ないから遊んじゃいけないと言われたり、子供が自由に奇声を発して思いっきり遊べる環境は、身近なところにはなくなってしまいました。

今どきの子供は、習い事も多く、自分だけの自由な時間がなかったり、だらだらしたり、ボーっとできる時間も少ない。遊びたくても自分と同じ時間に遊べる時間がある子がそもそもいない。

コロナのこともあって、ストレスもたまりがち。巷では子供のストレス発散グッズが人気だとか。

ただでさえ少なくなっていく子どもの数に、自由に遊べる場所も時間もない。仲間もいない。

子供だけじゃなく、大人も同じ。

ストレスフルな毎日に、癒し系動画やストレス解消グッズに頼らなければ心が休まらない。

私たちは、そんな世界を子どもたちに残したかったのかな?

本当に残したかった世界は、こんな世界じゃないよね?

子供の自己肯定感が世界的に見ても低い日本。

今、子どもたちはほんとうに幸せなの?

あなたが子どもたちに残したい財産は?

そんな質問に対して、多くの方がお金ではないものをあげています。(もちろん、家やお金という回答もありますが)

「思い出」「手紙」「日記」「人間力」「一人で生きていく力」「人とつながる力」「環境」

「愛情・平和・時間」「親の生きざま」「親としての姿」「火事や泥棒にあってもなくならない知識や教養」「地球と明るい未来」「笑顔」「生きる力」「田園風景」「丈夫な体」「文化的価値観」「愛すること、愛されることのすばらしさ」「信じること信じられることのすばらしさ」「人と人のつながりの大切さ」「この世に生まれたことを誇りに思って生きて欲しい」「自然の移ろいに心を動かされるような感情、当たり前のように過ごしている日々が実は大変幸せなこと」「何があっても立ち向かえる精神力」「小さな幸せ」「家族との思い出」「でっかい夢と大きな愛情、そして少しだけお金」「生きてるうちに伝承できるもの」「愛されていた思い出」・・・

そういう無形のものを残したいと思う親御さんが非常に多いんですね。

では、実際に、そういうものを子どもたちに残しているでしょうか?

残す努力をしてるでしょうか?

太陽光パネルや風力発電のための大規模な森林伐採で、地元の山は悲しい状態になっています。

海岸はプラスチックがいっぱいで、海も悲しい状態です。

美しい自然環境を子どもたちに残したいけれど、ちゃんと残せている?

子どもを信じてあげられてる?

目に映る子どもたちは幸せそう?

そうでないとしたら、何ができる?

何を変えたらいい?

「見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい」 
-マハトマ・ガンジー

こんな世界を残したい。という世界があるのなら、その世界を残すための行動をするべきです。小さなことでも。

愛された記憶を子どもに残したいなら、たくさんの小さな温かい家族との思い出を積み重ねていきましょう。

美しい地球を残したいのであれば、ごみを拾って、できるだけプラスチックは使わない生活を心がけたり、車を使わず歩いてみるのもいいでしょう。

笑顔を残したいのであれば、出会う人に笑顔を向けましょう。

小さな幸せを伝えたいなら、日々の暮らしをたのしみ、季節の移り変わり、日々の小さな変化を親自身が楽しみましょう。

明るい未来を残したいなら、明日は選挙です。自分が考える未来を実現してくれそうな政党をしっかり見極め、一票投じましょう。

嘆いてばかりいても何もしなければ、未来は変わりません。

行動しなければ、何も変わりません。

何も残せません。

未来を作っていくのは、今の私たち自身なのですから。

 

どうやったら地域に子どもたちが残りたいと思うのだろうか?


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皆さんの子ども時代は、どんなことをして遊んでいましたか?

私は、子ども時代、岩木川がそばにあったので、よく河原で遊んでいました。

草花遊びや水切り、きれいな石探しなんかよくしていました。

小学校で友達の家に行き来するようになってからは、友達の家までの人んちの塀の上を歩いたり、用水路でお花や葉っぱを流して競争して遊んだり、人んちに咲いてる花の花びらとって遊んだり、崖を降りて遊んだり、トンボの首にひも付けて飛ばして首がポロリとか、冬は屋根から下の雪山に飛び降りて遊んだりとか、わりと、今だとやめなさいと言われるようなことやってたな~と思います。

まだまだ私はおとなしい方なんじゃないでしょうか。

以前、この質問を投げかけた時、ものすごい強者達の声が集まり、みんな、子ども時代はいろいろやってたんだな~と驚きました。

過去の記事も、よかったら見てみてくださいね。

すごい武勇伝がたくさんあります↓

あなたは小さい頃何をして遊びましたか?

子ども時代に地域の中でたくさん遊んで、大人たちに心配や迷惑をかけながらも、時には叱られるけれど、ちょっとの悪さも温かく許容してもらっていたこととか、何か温かい記憶として残っていたりするものです。

そんな子ども時代を思い出しつつ、「どうやったら地域に子どもたちが残りたいと思うのだろうか?」という問いを考えてみたいと思います。

どうやったら地域に子どもたちが

残りたいと思うのだろうかか?

地方は、だいたいどこも、人口減少、少子高齢化、担い手不足の問題を抱えています。

インバウンドで外から人を呼び込もうとしたり、Iターン、Uターンで移住促進とか、ゆるキャラで地元アピールとか、考えられる地方再生への対策に、それぞれ、頭を悩ませている問題だと思うのです。

そして、この問題に対して、これが唯一の答えだとは思っていないのですが、冒頭の、『子ども時代、どんな風に地域の中で過ごしたか』ということが関わってくるのではないかと思っています。

「地域と、どれだけ交流しながらすごしたのか」ということが、残りたい場所、戻ってきたい場所になりえるかどうかと関連しているのではないかと思うのです。

ここに書いた「地域」の中には、地域の自然、地域の人、地域の食、地域の文化というものが含まれます。

 

<地域の自然>

草っぱらや林の中で、虫とりに明け暮れた。

暗くなるまで友達と遊びつくした。

釣りが大好きで、休みの日は友達と釣りばっかりやってた。

ドジョウ探しやザリガニ釣り、生き物探しに夢中になってた。

地域の美しい自然をよくみにいった。

<地域の人>

近所のおばあちゃんが登下校でいつも挨拶してくれた。

近所のお店に買い物行くと、いつも話しかけてくれて、時々飴をもらった。

近所のおじいちゃんと将棋して遊んでた。

畑にいたおばあちゃんから、トマトをもらった。

お父さんでもお母さんでもない、先生でもない人といっぱい遊んでもらった

<地域の食>

地域の特産品(野菜や果物、肉や野菜、魚介類、山菜など)がすごくおいしかった。

地域の特産品を使った料理を作って食べたらおいしかった。

水がおいしい

<地域の文化>

地域のお祭りに参加して、太鼓たたいたり、笛を吹いたり、踊ったりした。

地域の工芸品を作る体験をした。

などなど、ここにあげきれなかった、様々な地域との関わりが、複合的にたくさんあればあるほど、きっと地元に対して愛着を持つことができるだろうし、いつか帰って来たいふるさとになるだろうし、残りたい大好きな場所になっていくのではないかと希望を持っています。

故郷を大好きでいてほしい

地域に子どもは残って欲しいけれど、そうはいっても、一度は外の世界を見た方がいいだろうとも思います。

世界は広く、自分の知らない常識や、知らない素晴らしい景色、まだ出会っていない素晴らしい人達、新しい働き方など、知らない世界がたくさんあります。

若いうちに、多様な人に出会い、視野を広げることも大切だと思います。

でも、そうやって一度外に出てみると、何もないと思っていた地方が、故郷が、実はとても豊かだったと気づくものです。

「井の中の蛙大海を知らず」

「井戸の中の蛙(かわず)には、海のことを話してもわからない。それは蛙が狭い環境にとらわれているからである。夏の虫には氷のことを話してもわからない。それは彼らは季節というものは夏だけだと思いこんでいるからだ。視野・見識の狭いものには、真理を説いてもわからない。それはその人たちがありきたりの教えに縛られているからだ。今、あなたは狭い川の岸を出て、大きな海を見た。それであなた自身の愚かさを自覚したのだ。だからあなたには、大きな真理について語ることができるようになった。」

という、荘子の言葉があります。

一度、広い世界を見ることで、改めて気づくことは大きいと思います。

だから、一概に、地方に残って欲しいと子どもたちに言えないとも思っていて、でも、自分の生まれ育った故郷のことは、大好きでいてほしいとは思います。

何かあったとき、ふと帰りたくなる場所。

「ただいま」と言える場所。

「またあの人に会いたいな~」と思える人がいたり。

「また行きたいな~、あのお店」と思える、よく通ったお店があったり。

「お祭りだけはどうしても帰りたいな~」と思える地域のお祭り。

そんな、温かく、懐かしい、胸の底から沸き上がる思い。

そういうものを持ってさえいてくれたら、大人になったとき、どこに住もうか?どこで働こうか?と思ったときに、選択肢として故郷が浮上してくるのではないでしょうか?

 

私の場合は、弘前のねぷたが大好きでした。

弘前公園は、高校、大学に通うまでの通り道で、公園の四季折々をいつも目にしてきました。

小学生のころ、近所の駄菓子屋さんで買い物するのが楽しみでした。

学校帰りに団子屋さんに寄り道して、100円玉を握りしめて買った串団子が忘れられません。

両親は自営業で忙しかったけれど、山に山菜採りによく連れて行ってもらったり、年に数える程度ですが、キャンプに連れて行ってもらったことも忘れられません。

冬は、父がよく岩木山にスキーに連れて行ってくれました。

家の二階の窓からは、いつも岩木山が見えていました。

母と買い物に行くと、母は魚屋さんやお肉屋さんでいつも立ち話して、そのたびに「さっちゃんは芯がしっかりしてるね~」なんて話かけてもらったり、お菓子もらったりしてました。

大学在学中は探検部で白神山地に分け入り、岩木山を登り、岩木川を川下り、その後、マタギの工藤さんや、クマゲラ調査、岩木山を考える会など、自然保護活動を通じて、すばらしい人たちと出会いました。

そんな子ども時代、学生時代があって、弘前が大好きだったから、大学出た後も県外に出たいなどこれっぽっちも思いませんでした。

井の中の蛙ではあったかもしれませんが、この青森の、自然と人と文化に惚れてここに残りました。

「大海」は知りませんが、幸い今はインターネットで世界とつながれる時代になりました。世界中にできたつながりから、知らなかった世界を少しばかり垣間見ることができるようになりました。

私は、本当の生まれ故郷である弘前からは離れましたが、山が見える景色が大好きです。弘前では岩木山を眺めていましたが、今は十和田から八甲田山を眺めています。山と田んぼと川のある景色が、私の中の原風景です。

だから、子どもたちにも、心の中の原風景を残していきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年春の森冒険キャンプ募集(定員に達しました)

命が芽吹く春を感じる春の森に、ご一緒しませんか?
秘密基地づくりや、焚き火でマシュマロ焼いて食べたり、ロープブランコ、ハンモック、ロープの綱渡り、木登り、山菜採り、森の探検、粘土の採集、よもぎ摘み、お花のかんむり、おたまじゃくしの観察、夜は暗闇探検、草原に寝転んで星空を眺める・・・
森の春を、体いっぱいに感じましょう。
5/4の11:00から、5/5の15:00まで、一緒にキャンプしませんか?
キャンプする場合は、朝晩の冷え込みが予想されるので、しっかり防寒対策をしてきてください。

キャンプの詳細

【日時】
2022年5/4㈬11:00〜5/5㈭15:00
【場所】
東北町
※場所の詳細につきましては、
お申し込みいただいた方に後ほどお知らせいたします。
【持ち物】
4日の昼食は各自、長靴、長袖、長ズボン、着替2〜3セット、防寒、軍手、飲み水、食器、はし、歯ブラシ、タオル、おやつは各自。(アルコール飲みたい大人は各自持参)
※キャンプする場合は、キャンプ用品一式(テント、テントマット、寝袋懐中電灯)
※子供だけの参加は、寝袋だけでオッケー。
※ない場合はご相談ください。無料で貸出も若干あります。
【参加費】
①デイキャンプ(晩御飯付き)/小学生以上2000円。幼児無料
② 1泊キャンプ(4日晩御飯、5日朝食、昼食)/小学生以上5000円、幼児無料
【定員】子どもが6名程度になった時点で募集を停止します
参加される方は、メールにて
デイキャンプか、一泊かをお知らせください。保険をかけますので、参加される方のお名前、年齢、住所、電話番号も合わせてお知らせください。
小学生以上であれば、子どもだけの参加もオッケーです。ただし、現地までの送迎をお願いします。
※水道が使えないため、お水はご持参ください。
※トイレも一応ありますが、きれいなトイレではありません。

これまでのキャンプの様子

春の森キャンプでは、まずは森に親しむところからスタートします。

ハンモックや

ロープの綱渡り

 

 

ターザンロープなど、

 

子ども達が自由に遊べるように、ロープをかけていきます。

そのうち、木登りし始める子もいます。

森なじんできたところで、森の探検に出発します。

途中、いい香りのする葉っぱを見つけてはにおいをかいだり、山菜見つけては採ったりしながら森を歩いていきます。

運がよければ、リスやヤマネに会える時も!

 

下の水場に行くと、水たまりにオタマジャクシの卵がいっぱい!

小川で笹船流して遊んだり

石をめくればヤゴや、水生昆虫に出会えるかもしれません。

春のカラマツは柔らかく、カラマツのブレスレット作りながら歩いたり。

森の探検では、歩きながら、山菜を収穫していきます。

途中、粘土がとれる崖で、粘土を取ってみるときもあります。下は、危なくないところなのですが、落ちたら泥だらけになるスリルがあります。

探検コースから戻ったら、再び森遊びする子ども達。

秘密基地作ったり

時には弓矢作ることも

焚き火を焚くためにの火おこしチーム。

薪を集めたり、燃やしやすい長さに切ったり。

火の番したり

森からとって来たクロモジのお茶もさわやかな香りです。

みんなでテント張って、

山菜採りに行って、

焚火で調理して夜を迎え、

森の朝は、鳥の声と、朝の凛とした空気に包まれて、特別な時間です。

そんな春の森を感じてみませんか?

子ども時代にまずは感じることです

人は自然の一部です。

でも、自然と離れてしまい過ぎた今、なかなかそれを感じることは難しい時代になってしまったのかもしれません。

どうやって自然の中で遊ばせていいかわからない。

自然で遊ぶのはいいとわかってはいるけど、いざ自然の中に行っても、何をすればいいかわからない。

そんな声もよく聞きます。

でも、そんなに難しいことではないんです。

何かをさせようと思わなくていい。ただ、感じるだけでいい。

そこに自然があって、人がいたら、子どもたちはだまっていても遊び始めます。

大人はそれをただ見守っているだけ。

一緒に楽しんでみるだけ。

一緒に歩きながら、面白がるだけでいいと思っています。

何かをしなければならないということもなく、そういう感覚を開いていくことがとっても大切なのだと思っています。

いのちの芽生えを感じる。

森の生命力。

森の香。鳥の声。そこに生きている木々や虫たち。動物の痕跡。そこの森で命をつないでいるモノがいるということ。小川の流れ。水の中の生き物たち。

忘れてしまっていた、そういったことを感じる感覚を取り戻すのは、難しいことではありません。特別なことでもありません。

みんなが本来持っている感覚なのです。

 

いくら教科書で、自然を大切にしようと言われたところで、そこに息づくいのちがあることを知らなければ、思いをはせることなどできません。

地球を守ろうと言いつつ、森を伐って太陽光パネルを作ったり、山の中に風車をたてることがいいことだと疑いもしないかもしれません。

でも、森を知っていたら、そこにある木々、その森の中で暮らす生き物たちの姿を想像することができるのではないかと思っています。

まずは感じること。

そこからすべては始まります。

子どもたちの幸せとは


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子どもにとっての幸せとは何でしょうか。

①衣食住が保証されていること

②安心できる居場所があること

この二つは最低限必要なことではないでしょうか。これらが満たされたうえで、

③自分で意思決定ができること(やりたいことを自分で決めてやれること)

④自由であること

そして、

⑤生きている実感を持てること

なのではないかと思っています。

子供の幸福度の調査

ユニセフによる子どもの幸福度の調査によると、

「身体的健康」は1位

一方、「精神的健康」は、37位と調査対象国中ワースト2位でした。

ユニセフレポートカード16

データを詳しく見ていくと、

15~24歳の自殺率は、先進国ワースト1位だし、殺人による死亡率が最も低いわりに、「困った時に頼れる人がいる」と答えた成人の割合は、下から10番目でした。

そして、子どもの自殺の原因について、文科省の調査によると、いじめよりも、家庭の不和、精神障害、進路問題が多く、一番多いのは理由が「不明」という、これといった理由が見つからないケースが半数を超えています。

子どもの自殺 初の400人超 不登校は19万人以上で過去最多

児童生徒の自殺の現状と予防のための方向性

自宅で安心感が得られないと答えた子の幸福度は低く、すべての国で、「サポートしてくれる家族関係である」と答えた子どもは情緒的幸福度がより高い傾向が見られた。

これには貧困も大きく関わってくるようです。

貧困の解決が子どもたちの幸福度を上げることにもつながることは確かですが、助けてと言える人がそばにいるか。そういう関係性が周りにあるか。困ったときに相談できる人、サポートしてくれる人が周りにいるかどうかも大きいと思います。

生きている価値を見出せない

「人生が空っぽに感じ、生きている価値を見出せない」というような、無力感、未来への漠然とした不安を抱えている子も少なくない。

不安という意味では、コロナによる未来への不安、環境悪化による未来への不安を感じている子もいると思う。

気候変動が改善されない限り、子どもを産みたくないという若者が出てきているというのも、未来への不安から。

そういう漠然とした不安を抱えながら、人との関わりが希薄になり、必要とされる実感が得られにくい現代の社会が背景としてあるのではないでしょうか?

自分は生きている価値がある。生きてていいんだ。そう思える時って、どんな時でしょう?

誰かに必要とされたとき。誰かにありがとうと言ってもらえた時。そういう、他者によって自分の価値を認める時。

もう一つは、自己肯定感や自己効力感のように、ありのままの自分を認めているときや、自分はやれるんだ!というような感覚を持てる時。つまり、自分が自分の存在を認める時の二つあります。

自分がやりたいことにチャレンジして、小さくても、成功体験があるとき。何かしらやった結果が見えた時や、誰が何と言おうと、これをやりたい!やってよかった!というような、自分の内側から沸き上がる、心のコンパスに従って行動した時に自分の存在を認められます。

感動すること、歓喜すること

自分なんて何の役にも立ってないし、別に特別何かできることがあるわけでもない、やりたいこともないし、という自分に、「生きてる価値がない」と感じてしまう人がいるのも事実です。

自分に何ができるとか、何ができないとかそういうことよりも、足りないのは「歓喜する気持ち、感動すること」なのではないかと思っています。

感動したり、歓喜するのは、自分の心が大きく動くことです。

すごくきれいな景色を見て心動かされるとか、おいしいものを食べて感動するとか、知らなかった世界を知って感動して喜ぶこと。

小さな子どもは、なんにでも歓喜します。

見るもの、触るものすべてが面白くて、新鮮で、日々、成長し、天井ばかりだった世界が寝返りしたり、ハイハイしたり、たっちすることで見える世界が変わってくることに歓喜し、遊びの中で新たな発見、新たな世界の広がりに歓喜します。

触りたいものを触り、やりたいことをやり、そのたびに歓喜するのですが、だんだんに、それは触ってはいけない、それはやっちゃダメと、目の前から歓喜できるはずの対象が取り除かれていきます。危ないからダメ、というのは、子どもをリスクから守るためにはある意味仕方のないことですが・・・。

でも、必要以上に取り除かれ、これはダメだけど、こっちは触っていい。これはやっちゃだめだけど、これはやっていい。そのうち、あれこれ触られると面倒だし、あれこれやられると面倒だから、これさえやってればいいのよと、やっていいことだけを目の前に並べられる。余計なことはしないでと怒られる。そんなの無駄なことだと言われる。

でも、子どもの世界って、無駄で無意味に思えることばかりで、なんでそんなこと!って思うこともたくさんあって。

でも、そういう一見無駄で無意味なことが、すごく大事なことだったりするのです。

安全に守られすぎた世界には子どもの選択の余地はなくて、だんだんに、安全で安心だけど、何事も変わったことは起こらない、予測できることしか起こらない、歓喜の少ない世界の中に子どもたちは押し込められて行っていないでしょうか?

歓喜は、変化の中に起こります。

いつもと違う風景。いつもと違う結果。いつもと違う、予想外の展開。

そして、歓喜は、自分で選択した結果によって起こります。

きれいな景色を見て歓喜した場合、誰かに連れて行ってもらったとしても、一緒に行くと決めたのはあなたです。そこに行くと決めたのはあなたです。

おいいしいものを食べて感動したとき、それを食べようと思ったのはあなたです。

知らなかった世界を知って驚き、感動し、歓喜したとき、そんな世界を知ろうとしたのはあなたです。

例えば、道端のコンクリートの割れ目から生えてくるタンポポに対して、日常的に見ていて何とも思っていなかったのに、ふと、このタンポポってすごいな。こんな何にもないところでも花を咲かせるなんてと感動する瞬間があったりします。そんなとき、道端の花に目を向けたのはあなたです。

自分が選択し、その選択によっていつもとは違うことが体験出来て、心が動くのです。

歓喜している状態を、子どもの感覚で簡単に言うと、

めっちゃ楽しい!!

すっご〜い!!

めっちゃ面白い!!

ってことです。

それが生きてる実感ではないでしょうか?

せっかくこの地球という美しい星に生を受けたんです。生きてる実感を、感動を、歓喜を、たくさんたくさん味わってほしい。

自由と束縛

自由と束縛、どっちがいいかと言われると、みんな自由がいいと答えるのではないでしょうか?

だけど、砂漠、あるいは森、海の大海原に一人放り出され、自由にしてもいいよと言われても、不安になって困ってしまうのではないでしょうか?

何をするのも自由というのは、良くも悪くも選択した結果が自分に返ってくるので、選択に責任が伴ってくるからです。

そういう意味で、誰かに決めてもらった方が楽だし、枠があったほうが安全だし、危険もない。ということで、人は自由を求めながらも、ある程度束縛があった方が安心という側面はあるようです。

例えば、いつもリードにつながれている犬は、何もしなくてもエサはもらえるし、散歩にも連れて行ってもらえる。その時はしっぽ振ってうれしい。でも、それ以外は寝て過ごす毎日。

でも、ある時リードが外れて、自分が自由であることに気が付いたその時、犬はものすごい勢いで走り回り、自由を謳歌します。それはそれは体全体で歓喜します。

でも、満足するまで走りまわると、また、餌をもらえる飼い主のもとに戻ってくるのです。

以前、割と親が厳しい家のA君が遊びに来た時に、お昼は必ず帰ってきなさいと言われていた。それは、学校でもきめられてるルールだし、守って当たり前なルールですが、その子の家はちょっと遠い。いったん家に帰ってまた来るのは面倒くさい。「よかったらうちでご飯食べていく?」という言葉に、他の子は、家に帰らずにご飯を頂くと決めました。迷った挙句、その子はお昼は自分の家に帰らず、我が家のご飯を食べることにしたのです。

その子は、親の言いつけを守らなかったのは初めて。

最初は怒られるかもしれないと、ドキドキしていた。

でも、一緒にご飯を食べ始めた瞬間、A君は

「やった~!!俺は自由だ~!!自由だ~!!」と叫んだのです。

怒られるかもしれない。でも、怒られてもいい。ここに残る!

自分で、自分がどうするかを選択したのは彼自身。

自分が選択した結果であれば、その結果を受け入れる覚悟ができた。

そのとき、彼は自由を感じた。大きく心が動き、自由を感じ、歓喜したわけです。

子どもたちは、日々、いろんな小さな束縛の中にいます。

それでも自由を求め、自由でいられたときに歓喜します。

歓喜する子どもたちの笑顔は最高です。

ちょっぴり、束縛の鎖を緩めて、子どもを信じて自由にさせて見てほしいと思います。

学校からの束縛。家庭の中での束縛。人に迷惑をかけてはいけないという束縛。

近頃の子どもたちには、束縛が強すぎますから。

 

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「感じることが先にある」というはなし

小学校の理科の実験でのこと。

最近、6年生が『水溶液の性質』という単元に入りました。

最初に、A:食塩水、B:炭酸水、C:うすいアンモニア水、D:うすい塩酸の四つの無色透明な液体を、においや見た目で判別する。というのが、最初にあります。(今は、ABCDはランダムに書いています)

今までは、割と、見た目でBが炭酸水だとすぐに確定し、次に、臭いをかいで、アンモニアのきつい臭さに、おえ~!ってなりながらも、すぐに、くさいトイレの臭いみたいだから、Cはアンモニア!ってわかって、塩酸は、薄めてあるから、臭いが分かりづらいんだけど、なんとなく消毒液みたいな、病院みたいな臭いがするっていうところで、ちょっと臭いがあるから、きっとDが塩酸で、最後に残ったやつは臭いもないし、食塩じゃないか?ってことで、割と判別できたんですよね。

で、じゃあ食塩だったら蒸発すると出ることが五年生の学習で分かっているから、蒸発させてみよう!

Aだけが白い粉が出てきたから、はい!Aが食塩決定!

みたいな感じだったんですよね。

ところが、ここ数年、ちょっと様子が変わってきて、食塩水と炭酸水は、見た目と臭いと、蒸発させるという工程で判別がついてわかるんだけど、Cの臭いを嗅いだらうっ!!ってなるんだけど、「強烈な臭いがするから、これは塩酸だ!」っていう子がちらほら出てきてて、今年なんかは、クラスの半分がCは塩酸で、Dがアンモニアだって答えて、意見が割れたんですよね。

「じゃあ、答え合わせしましょうか!」

と、「食塩水と炭酸水は正解です!」ってなったんだけど、困ったのは、塩酸とアンモニアの判別。

なんでアンモニア水って、わからないのかな?と思ったときに、一人の子が、塩酸のにおいをかいで、「トイレのにおいがしたから」と言ったんですね。

最近の子達は、きれいに消毒されたトイレしか使っていないから、アンモニアのにおいが分からない子が増えてるんじゃないか?って思えたんです。

ぼっとんトイレとか、くさい公衆トイレとか、あの匂いを知っていたら、即座に、あの鼻を突くようなにおいはアンモニア水だ!となるはずが、アンモニア臭が分からないし、塩酸のにおいだって嗅いだことないから、どっちがどっちだかわからない。っていうことになっているんだな~と。

五感で感じた経験があるから、知識と結びつく、ということを実感しました。

とはいえ、あのくさいトイレのアンモニア臭を、経験させなきゃいけない、なんてことはないんですけどね(笑)。
そういう時代になって来たんだな~と思ったわけです。

今の教科書だと、もう、最初っから、食塩水、炭酸水、うすい塩酸、うすいアンモニア水って、ラベリングしてあるものを蒸発、石灰水、リトマス紙、金属を溶かす、っていう実験で進めていくんだけど、正解を言っちゃってからだとつまらなくないかな?

それとも、教科書の順番をすっ飛ばして、いきなり金属溶かしてみるか?

って思ったわけです。でも待てよ。一学期、塩酸使った実験があったぞ。

と、いうことで、答え合わせする前に、一つ、教科書にはない実験を追加することにしました。

実は、6年生の一学期に、『気体の性質』という単元の中で、演じ実験ではありましたが、「二酸化炭素と、酸素を発生させる」実験を見ていた子供たち。

「一学期、気体を発生させる実験で、塩酸と何かを混ぜたら二酸化炭素が出たんだけど、何を混ぜたか覚えてる?」

って子どもたちに聞いてみたら、覚えていた子がいました。

そう。大理石に塩酸を滴下したら、ぶくぶく泡が立って、大理石が溶けて、二酸化炭素が発生したのでした。

「そしたら、CとDに大理石を入れて、泡が出て溶けた方が塩酸ってことなんじゃない?」

っていうことで、次の実験の時に、大理石を入れてみることにしました。

次の実験が楽しみです。

 

たくさん感じ、体験したことが多ければ多いほどいい

何が言いたかったかというと、知識を詰め込むより先に、臭いをかいだり、見たり、聞いたり、(実験では味わうという子とはしないけれど)、自分の体で体験することがあって、初めて未知のものと出会ったときに、自分の体験と照らし合わせて予測することができる、ということなんですよね。

ちなみに、5年生の息子に、「アンモニアのにおいって言われて分かる?」って聞いたら、「アンモニアって、おしっこの臭い?トイレの臭いとか?」と、即答でした。八甲田に登ったとき、山小屋のトイレも、アンモニア臭がただよっていたのを思い出したようです。
息子には、臭いトイレの経験がありました。おそらく、6年になって、この実験をしたとき、「これ絶対アンモニア!」ってわかると思います(笑)

子供時代に、多種多様な経験をし、たくさんたくさん感じ、体験したことが多ければ多いほど、未知のものに出会ったときに柔軟に対処できるということでもあるのです。(繰り返しますが、臭いトイレの臭いを経験させなさいってことではないですよ(笑))

感じて、体験したことが知識と結びついた時、その知識は、自分の経験として、しっかり根付いていきます。
でも、一方で、頭で教科書を覚えただけ、いかに正解を書くか、だけの知識は、その習慣を過ぎれば、あっという間に記憶のかなたに飛んで行ってしまいます。

私がそうでしたから。昔、あれほど勉強した(暗記した)様々なこと、あれもこれも、全然おぼえていない。

いろんな経験と結びついて、「あ~!あれってそういうことだったのか!」って腑に落ちたとき、はじめて学ぶことが楽しくなってきます。記憶に残ります。

ってことは、あれを溶かしたら溶けるんじゃないのかな?とか、どんどん違う興味がわいてくるようになる。で、試したくなるんですよね。

で、思った通りの結果だったら、やっぱりそうか!ってなるし、思ってたのと違う結果だったら、なんでだろう?じゃ、こっちだったらどうなるのかな?って、違うやり方を考えたりする。

そういうトライ&エラーを繰り返し試せると、学ぶ意欲に火がついていくんです。

子どもたちの、そういうトライ&エラーは、普段は、遊びの中で発揮されます。

庭に子どもたちが掘った穴も、気がつけば、水路ができ、植物を周りに植えて・・・

最後は火山を作ったようですが、こんな状態(笑)

何をしようとしたのかはわかりませんが、何かきっと、面白いことひらめいて、やってみた結果、最後、こうなったんだと思うと、おかしくてしかたありません。

こうするともっと面白くなるかもしれないと、チャレンジして、失敗して、違う方法でまたチャレンジして成功して、筋トレのように、チャレンジと失敗と小さな成功体験をどれだけ繰り返してきたかが、大人になってからの人生の選択に柔軟性が出てくるんだと思っています。

今の子供たちは、わりとすぐに正解を求めたがります。

失敗しないやり方を、ユーチューブで先にみてからやってみるから、失敗もしない。

正解を先にみて、失敗しないように失敗しないように育っています。

なんなら、親も、つい、子どもに失敗してほしくないから、
「あ、ほら、そんなやり方じゃだめよ。こうした方がうまくいくよ」って、手出し口出ししがちです。

私だって、つい、口出ししちゃうこともやっぱりあります。

でもね、子どものうちは、正解を先に教えて成功させるよりも、失敗して見て学ばせることの方が100倍も大事なんだと思います。

口を出したい気持ちを、ぐっとこらえる大人の忍耐が試されますが。

 

人生は、これが正解の人生だ!なんてことはないんです。

やってみてダメだったら、違うことをすればいい。違うやり方を試してみたらいい。

正解かどうかなんて、もどうでもいいんです。

その、「こうやったらどうなるんだろう?」っていうワクワクが、人生を作っていくんだと思っています。その積み重ねが、結果として、面白い人生になっていく。ただそれだけなんだと思います。
すごいことを成し遂げる人もいれば、はたから見たら、何も成し遂げていないような人生だったとしても、毎日を幸せに暮らしている人もいるわけです。

人生楽しもうよ

理科の実験から思った、「感じることが先だよ」というお話から、人生の話に展開しちゃいましたが、

こうして書いてる文章も、最初は、「感じることが先だよ」って言いたかったから書き始めたのですが、書いているうちに、私の感情が、「人生楽しもうよ」という話を書けと言っているから、こういう流れになってしまいました。

達成感、幸福感、喜び、悲しみ、怒り、いろんな感情を味わい尽くし、この地球に生まれたことを楽しもうよと、私は言いたい。

正解なんてどうでもいい。正解にたどり着くまでのその過程を楽しみたい。

子供時代、私は算数が好きでした。

問題を解く、その過程が楽しくて仕方なかった。算数は正解があるから、それはそれで、正解にたどり着くまでの「こうすれば解けるんじゃないか?」というひらめきと、解いていったその先の達成感が好きだった。

でも、今は、正解かどうかよりも、答えのない問いに、どうアプローチしたらいいんだろうか?っていうことを試行錯誤して、これのやり方がいいんじゃないか?と、手探りながらやってきた、その過程を楽しんでいます。そして、やってみて、どうやらこのやり方は間違ってなさそうだぞ、思う時もあったりしています。

でも、いや、もっと違うやり方だったら、もっともっと、いろんな子供たちを幸せにできるんじゃないか?と考えたりもします。

結局のところ、いつまでたっても正解にはたどり着けそうにありません。

だけど、子どもたちの未来に、美しい地球が残っていて、やさしい世界が広がっていることを願っているので、ただただ、愚直に、目の前の私にできる精一杯のことをやるのみの毎日です。

理科の実験の話から、まさかの人生の話への展開。

思ってもない方向に転がるのも、また、楽しいものです。

 

理科の実験の話で始まったので、最後に再び実験室のお話。

最近の中休みの理科室には、3年生の子達がよく遊びに来ます。そう、ただ、遊びに来るんです。

人気なのは段ボールの空気砲。ひたすら紙コップ飛ばしています。

こちら、砂鉄をとるのに夢中の子ども達。

磁石をビニール袋に入れて、砂に近づけて、砂鉄とっています。(もちろん砂だらけになるので、チャイムなる前に砂をきれいに片付けてもらいます)

砂は、5年生の川の流れの実験用に実験室にあるやつです。

砂鉄、ちょうだいちょうだい言うので、「こうやって、集められるから、うちに磁石があったら、公園でも校庭でも、どこでも砂鉄、集められるよ~」と言っています。

3年生はまだ、実験が本格的に始まっていないので、実験って、なんか楽しい!理科って面白そう!実験するの楽しみ!!そう思ってもらえたらいいな、と思っています。

まずは、感じてもらいたい。

 

 

 

子供時代に、どれだけやりたいことをやりたいようにやるか

子供時代、大人に、あれはだめ、これはダメ、○○しなければ××しちゃだめ、そんなことしてないではやくこれやりなさい、あなたはこれをやってればいいのよ・・・等々。

禁止、否定、行動の制限、条件付きの愛。

子どもにとって良かれと思い、ほぼ無意識に発してきた言葉で傷つき、大人になってなお、それらの言葉が根強く潜在意識に残り、心を痛めている方をたくさん知っています。

そういう方が苦しむことの一つに、自分の好きなことが何かわからない、自分の本当にやりたいことが分からない、ということもあるようです。

「好きなことをやりなさい。あなたはあなたのままでいい。」そう言われれば言われるほど、自分が好きなことが見つからなくて、よけいに苦しくなってしまう人もいます。

そう思うと、子供時代の大人の関りって、実はものすごく子どもに影響しているな~と感じています。

大人の言葉だけでなく、友達、兄弟、もしくは社会からも影響されています。

好きなことをやっていたら怒られた。

好きなことやってたら、そんなこと何になるんだとわかってもらえなかった。

好きなことやってたら、何それ、変なの、ってからかわれた。

いろんな他人の反応によって、傷ついたり、恥ずかしい思いをしたり、悲しくなったりすることで、もう二度とそんな思いはしたくないと、どんどん「自分の好き」を押し殺していってしまうのです。

自分軸で生きるか、他人軸で生きるか

大人になった今、自分の好きなことを、自分の気持ちに正直に生きている人、自分軸で生きてる人って、なんだか輝いて見えます。

一方で、やりたいことをやり、後悔のない人生を歩んでいるように見える人をうらやましく思い、自分は好きなことも見つからず、悶々として、なんだか自分は何のために生きてるのかわからなくなってしまうという人も、少なからずいます。

だけど、本来、だれしも好きなことをやり、生き生きとした人生を送れるはずなんです。

ただ、子どものころから、繰り返し繰り返し好きなことをやてたら怒られた、からかわれた、否定されたというネガティブな記憶から、人は、知らず知らずに好きなことをやっていてはいけないというメッセージを受け取っていくのだと思います。そして同時に、言われたとおりにやったらほめられた、というような記憶が重なり、だんだん、お母さんはこうすればほめてくれるだろう、とか、相手はこうしたら喜んでくれるはずだと、人がどう思うかを気にしながら、他人軸で行動するのが癖になってきます。

それが10年、20年と続くうちに、はたと途中で気がつくんです。

あれ?そもそも自分は何がやりたかったんだろう?って。

今、好きなことをやって生きている人の中には二パターンあるように思います。

一つは、子供時代から、思いっきり好きなことをやってきた人。それを許されてきた人。

虫好きで、むしとりに夢中になった子供時代を過ごしていたとか、モノ作りがすごく好きで、子供時代はあれこれ分解して中の仕組みを知りたがったり、自分で何か作ることに熱中していたとか、絵をかくのが好きで、時間を忘れて絵を描き続けていたとか、とにかく野山を駆け巡り、日が暮れるまで遊びつくしていたとか、寛大な親の元、何かに熱中してきた子供時代を過ごした人たち。

もう一つは、そんなことは無駄だからやめなさいと言われても、まったく親の言うことを聞かず、とにかく親に、大人に、怒られ続けながらも、自分は自分のやりたいようにやると、反骨精神が強く、困難を乗り越えようとする強い気性を持っている人。

ただ、もしかしたら、そんな人は今は一握りかもしれません。多くの子は、「そんなことやめなさい」と言われれば、素直に親の言うことを聞いてしまい、大人が喜ぶようにふるまってしまうでしょう。

親としては、言うことを聞いてくれる子の方が育てやすいのですが、実は、そうやって育ってきて、大人になって悩む方も少なからずいるのです。

好きなことをやる時間がない子ども達

子供時代に思う存分好きなことをやらせてあげてほしいと思うのだけれど、今の子供たちはとても忙しいのです。

学校が終われば、塾や習い事、部活がある。土日は部活で試合だったり、塾の試験や検定があったり。

子どもたちは、やらなければならないことで時間を埋め尽くされて、帰ったら宿題やってご飯たべて、お風呂入って、ちょっと息抜きにゲームでもして、そしたらもう、寝る時間です。

好きなことをやる時間って、子ども達にありますか?

ボーっとする時間、一日の中にどれぐらいありますか?

本来子どもというものは動き回るものです。

好奇心御旺盛で、気になったら、頭より体が先に動いてしまうような、そんな存在です。

やってみたいと思ったら、まずやってみる。

それで失敗したとしても、そこから何かを学んでいくものです。

ごみ袋で空が飛べるかもしれないと思って試してみたくなることもある。(ほんとに高いところから飛ぼうとするなら、全力で止めますが)

無意味に見えるんだけど、ただただ木をトンカチで破壊していく子もいたり。

とにかく深く穴を掘って、地球の裏側まで掘ってみようとしてみたり。

深く掘るのをあきらめて、横穴掘って秘密基地に代わることもある。

自分の限界に挑戦して、ちょっと怖いな、って思う高さから飛び降りて見たかったり

雨に打たれてみたり

そんな、大人からしたら、無駄だ、できっこない、なにやってるの?っていうようなことも、実は子どもにとっては自分な好きなことに気づいていく大事な体験だったりするわけです。

で、そういうことを許してくれる大人がいると、受け入れられてるという安心感の元、またさらに挑戦できるのです。

でも、気になるのは、最近、教育虐待という言葉も出てきているくらい、多くの子どもの時間が、やらなきゃいけないことで奪われているように思えてなりません。

『ルポ教育虐待』

という本の中に、教育虐待に陥らないためのこんな自問リストがあります。

(1)子どもは自分とは別の人間だと思えていますか?
(2)子どもの人生は子どもが選択するものだと認められていますか?
(3)子どもの人生を自分の人生と重ね合わせていないですか?
(4)子どものこと以外の自分の人生をもっていますか?

そして、「子どもの人権」の「三つの柱」があると伝えています。
(1)『生まれてきて良かったね』と言ってもらえる。
(2)『ひとりぼっちじゃないからね』と言ってもらえる。
(3)『あなたの人生はあなたしか歩めない』と認めてもらえる

子どもは自分の所有物ではなく、一人の人格を持った人として考えることが一つ。

そして、その存在を、ただただ認めてもらえることが一つ。

その上で、

あなたはどんなことに興味があるの?

どんなことが好きなの?

そう、そういうのが面白いと思うのね。

そうだね。すごくおもしろいね。

もっとやってみる?

そんな関わりができたなら、大人になったときに「自分のやりたいことが見つからない」なんていう悩みにはぶつからないのではないかと思っています。

自分がやりたいことが分からない

大人になって、はたと気づいてしまった人は、ひとつづつ、まずは子供のころの自分に戻って、そういえば、絵をかくのが好きだったな。とか、本読むの好きだったな~、そういえば最近本読んでないな~。ちょっと本屋に行ってみようかな。とか、思い出しながら、今の自分がちょっとやってみたいな、って思うことを実際にやってみるといいと思うんです。

人は、発達の過程として、まず感じることが先に必要です。

感じることを先にやらないと、地に足がついていない根無し草のように、ふらふらと、自分が分からないという状態に陥りやすいのではないでしょうか。

 

6歳ごろまでに脳の9割が成長すると言われていますが、それらは五感で感じ、感じたものを快か、不快か記憶の中にインプットしていくことで、この世界に適応した脳に発達していきます。

どれだけたくさん感覚をインプットしたかによって、その世界に対する視野が広がります。

子供時代にインプットした感覚があって、のちに知識として学習したときに、初めて自分の感覚と世界がつながりをもつのです。

例えば、虫は嫌い!という子の場合、小さな頃に、虫にかまれたとか、嫌な思い出がある場合もあるし、虫を触っていたらお母さんが悲鳴を上げて怖がる姿を見て、虫は怖いものだとインプットされた場合もあるでしょう。そういう場合、虫を触りたいと思わなくなるでしょう。

だけど、あるとき、「へ~!この虫、すごくおもしろいね!」なんて人に出会ったとき、え?そうなの?って、はじめて虫をよく観察してみたり、あ、意外ときれいかも、とか、ちょっとツンツンってさわってみたり、あれ?怖くない虫もいるかもしれないって気が付いて、後で調べてみたら、なんだ、ちょうちょの幼虫だったのか!それなら怖くないかも、ってなることもある。

平気な子なんかは、カマキリだって臆さずつかまえちゃうし、大人がいくら探しても見つけられないものを次々見つけちゃったりする。あの辺にいそうだ!という、何やら野生の感がはたらいてる子もいます。

でも、そうやって虫が好きになっていくと、虫がいそうな場所っていうのがわかってくる。

そしたら、草むらがないとこの虫は生きられないんだとか、森がないとこの昆虫は生きられないんだとか、きれいな水じゃないとこの虫は生きていけないんだっていうことを体感としてしっていく。

そういうことが、自然とつながる力になっていく。

自然とのつながりが感じられないっていうのは、こういうこともあるのだと思っています。

 

ちょっと話がそれましたが、大人になってからでも、

自分が心地いいと感じることに目を向け、心地いいを心行くまで感じてみる。

逆に、いやだな、って思うことは、ああ、自分はこういうことが嫌なんだな、って自分の感情に気づいてあげる。

そして、何でもいいからやってみて、これは心地よいのか、不快なのか、自分の感情を見つめてみる。

 

子どものうちは、やってみて、感じる中で無意識にそういうことやっているんだけど、なにせ、大人になってしまうと、脳の急速な成長はほとんど終わっているわけですから、子どもの頃より、はるかに時間がかかり、自分の好きなことに気づくまでには時間がかかってしまうのは仕方のないことです。

ですが幸い、大人になっても、「可塑性(かそせい)」と言って、脳は変化し続けることができるので、脳の発達の適期を逃したとしても、大丈夫のようなんですね。

ひとつひとつ、時間をかけてでも、感じる部分を取り戻していったなら、自分の好きなこと、自分がほんとはやりたかったことに、きっと気付けると思うんです。

自分探しで他に答えを求めるのではなく、自分の感覚に耳を傾ける。

そのためには、行動しなくちゃいけません。

感じるためには、やってみないとわかりませんよね。

 

大人になってからだとそういう感覚を取り戻していく作業は大変なんだけど、子どものうちなら、難なくできる。

そういう期間が、子供時代にはあるのだと知っていてほしい。

やりすぎ教育(武田信子 著)

という本もありますが、子どもにやらせる教育もほどほどに。

子供時代は、たっぷり遊べて、自由にできる時間を確保してあげてほしいと思っています。

夏休みの子供たち

そして、私が関わる子ども達は、毎日毎日、よく遊び続け、可能な限り遊べる時間を遊びきった夏休みでした。

セミ取りに夢中になり、偶然見つけたセミの羽化を見つめたり

セミを捕まえようと木に登ったり

時には海で砂まみれになり

波の音を怖がりながら、砂遊びするちびっこや

でも、ちょっぴり怖がりながらも海の水に足を浸してみたり

暑いけど遠くに行けない日は、近所の川で生き物探ししてみたり

身近な川に住む生き物を観察したり

夏休みのプレーパークでは自分の作りたいものを作る子、

巣箱作ってみる子がいたり、ただ、色をきれいに塗りたい子がいたり

トンボとりで大量のトンボを捕まえてくる子

庭で水鉄砲戦争したり

雨続きの後半は、家の中でいろんな遊び考えて遊んでたり

暑くてしょうがない日はセルフかき氷したり

揚げたてのジャガイモをおいしいおいしい言いながら食べたり

みんなで食べたパンケーキのおいしかったこと。

川遊びで天然のウォーター滑り台を楽しんだり

大きなトンボつかまえるのに夢中になったり

湖でしじみとりしたり

自転車でプチ旅行してみたり

家から3時間、自転車で湖畔のキャンプ場まで走り抜け

湖畔に映る月を眺めながら過ごした夜も。

たくさんたくさん遊んだ子供たち。

こんな子供時代に感じたことが、きっと、これからの子の子達の土台になっていくと信じています。

何のために生まれてきたのか?

今年も、デイキャンプとはいえ、川遊びとホタルキャンプができました。

じりじりと照り付ける太陽のもと、川の冷たさが足に心地よく、子どもたちは最終的には全身びしょぬれ。

ホタルの餌のカワニナに、ヤゴ、トビケラの幼虫、美しい瑠璃色の体のミヤマカワトンボ、小さな魚が泳いでいるのを見つけては、網ですくってみたり。生き物探しに夢中になっている間に、今度は逆にぶるぶる震えるぐらい寒くなり、川から上がると、再び太陽がじりじりと照り付け、冷えた体を温める。太陽の温かさがありがたい。

林の中でぴかぴか光るヒメボタルに感動し、満天の星空を眺め、天の川を見つめる。

流れ星だと思ったら、ふんわり飛んで行くホタル。

とても贅沢な時間。

生きてる実感。

そんなとき、ふと思います。

私たちは何のためにこの地球に生まれてきたのだろう?

この美しさを見ずに、この感動を味わわずにいるなんて、なんともったいないことだろう。

この地球に生まれてきたわけ

「何のために生まれてきたか?」と問われたなら、

きっとそれぞれ、いろいろな答えを持っていることと思います。

 

愛するために生まれてきた。

体験するために生まれてきた。

誰かの役に立つために生まれてきた。

成長するために生まれてきた。

幸せになるために生まれてきた。

ただ、存在するために生まれてきた。

正解はないのかもしれません。

それぞれの中に、きっと答えがある。

 

私はどうかと聞かれたとき、最近は、

「この地球のすべてを感じるために生まれてきたのかもしれない」

と思うようになっています。

 

こんなにも世界は美しい。

生き物たちの面白くもあり、神秘的なその生態。

驚きにあふれた地球の姿。

こんなに世界は面白い。

こんなにも地球はすごい。

こんなにも生き物たちの生きる戦略がすごい。

身の回りをよ~く見てみて。

私たちの周りには、実は見えていなかった驚きの世界が広がっている。

私は日々、そういうものに感動しています。

だから、子ども達にも、この感動を味わってほしいと考えています。

ネットで見るだけでは感じられない、

川の冷たさ、太陽の温かさ、木の葉をゆらす心地よい風、生き物たちの求愛のダンス、羽化する瞬間に立ち会った驚きと喜びと・・・

その瞬間瞬間の感動を。

セミが羽化する瞬間の透明なはかなさ。

この、淡い透けるようなグリーンも美しい。

川遊びで歩いた川の、山から合流してくる沢水の冷たいことと言ったら!

ダムでためた水に比べると、冷たくて、きりっとしています。

美しい川トンボたち

子どもたちは、思いもかけないものを捕まえたりします。

大きなオオルリヤンマの美しい青。

時には子どもが捕まえた野ウサギ

時には絶滅危惧種スナヤツメとか、

思いがけず川でモズクガニに出会ったことも。

 

いろんな生き物に出会うたびに感動を覚えます。

いつどこでどんな生き物に出会えるかわからないところがたまらなく楽しい。

 

こんなおもしろいこと、経験しないまま大人になっちゃうなんて、もったいない!

それが、私たちの原動力です。

地球を感じると・・・

こうやって、自然に触れ、そこに住む生き物たちに触れることで、私たち自身が、生き物たちと、彼らの住む世界とつながっているという感覚が、無意識にインプットされます。

私たちは自然から離れすぎていないでしょうか?

 

朝起きてから寝るまでの間、鳥の声を聴きましたか?

そよぐ風に揺れる梢の音を聞きましたか?

虫たちの羽音を聞いた?

身の回りに緑はある?

木陰は涼しくて気持ちいいでしょ?

あなたの周りで今、どんなお花が咲いてる?

お花にチョウやハチの姿を見つけた?

最近虹を見たのはいつ?

夜空を見上げてみた?

月を美しいと感じたのはいつ頃?

小さな命が生まれる瞬間を、見て!生まれたよ!!すごいね~!って、一緒に眺めたことはある?

私の住む青森は、自然豊かなので、比較的身近に自然を感じやすいのですが、それでも、ここにある自然は、面白くて美しくて、豊かなものであると認識していないと、ただの通り過ぎる風景としかとらえられず、「ここにはなにもない」と感じてしまう人も多いのです。

まずは、その豊かさを感じること。

感じないままに、本でいくら勉強したとしても、映像で、バーチャルで、自然や生き物の姿を見たとしても、リアルに見つけた、触れた、その感動は味わえないのです。

感じることなくして、自然と、地球とつながっているのだと感じるのは難しいと思っています。

赤ん坊は、まず、自分の手足を動かして、口に入れてみて、それが自分の一部であると知ります。

そして、見えるものすべてに触れ、口に入れ、確かめようとします。

感じることからしか、この世界を認識することができないのです。

それは、ヒトの脳の発達がそのようになっているからです。

 

自然での遊ばせ方が分からない

「子どもを自然で遊ばせたらいいというのはわかっているんだけど、どうやって遊ばせていいかわからないんです」と、よく言われます。

実は、自然で遊ばせる遊ばせ方なんて、ほんとはないんです。

私たちがやっているのは、子どもを自然の中に連れて行き、そこで、ただただ子供とそこにあるものを観察したり、面白がったりしてるだけなんです。

一緒に、川の音に耳を傾け、一緒に川の水に足を浸してみる。

一緒に、セミの鳴き声を聞く。

一緒に、トンボの姿を眺める。時につかまえてみて、じっくり観察してみる。

アリが、自分の体より大きな虫を運んでいく姿を眺める。

バッタを捕まえようとしたら、ものすごい跳躍力で飛んで逃げる。

つかまえた手の中のバッタがすごい勢いでピョンピョン跳ねる。

甘い蜜、甘くない蜜で、これは当たり、これははずれ、って言いながら花の蜜を吸ったり、

海辺で砂を掘ったら、砂の下は冷たくて気持ちよく、水がだんだんしみだしてくる。

砂を掘ってたらピョンピョン飛ぶ小さなハマトビムシを見つけたり。

海に入ったら、ざぶんとやってきた波が顔にかかって、しょっぱ~!!ってなったり、

そんな風に、この世界を、感じ、味わい、触れながら、この世界を探検していくことだと思うのです。

大人は、子どものそばにいて、

「ほら、こわくないよ。この世界はこんなに楽しいよ。」

「見て見て!ほら、こんな面白いんだよ!すごいね~!」

「よく見て見ると、すごくきれいだね!」

っていうように、率先して自然を楽しんで、子どもに伝えてほしいのです。

子どもが見つけた面白いものを一緒に喜び、ともに感動してほしいのです。

 

自然で遊ぶ力は、そうやって身についていくものだと思うのです。

子どもを自然で遊ばせようとするのではなく、

一緒に自然を楽しむのです。面白がるのです。一緒に感動するんです。

 

そうすることで、この地球とのつながりを体感するようになるのです。

私たちが、地球とのつながりを感じないまま、虫は嫌いだから自然は嫌いだと言い、

落ち葉が邪魔だからと木を切ってしまい、

草が伸びてきて邪魔だからと除草剤で枯らしてしまい、

木に虫がつくからと、殺虫剤をまいて虫たちを殺してしまう。

自然は人がコントロールするものだと思い込み、コントロール可能な自然に作り替えようとしてしまう。

そんな風に生き続けたら、7世代先まで地球は持たないのではないかと感じています。

7世代先まで考えたら、地球を感じることは必要不可欠だと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すべてのいのちが愛おしい


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私のFBの投稿は、日々、子どもたちのことや、我が家で飼っているカイコ、庭で見つけたアゲハの幼虫、庭にやってくる鳥から、自然の美しい景色、はたまた顕微鏡で見た微生物まで、いのちの躍動を感じ、感動したことを主に投稿しています。

なぜ、そんな生き物たちの投稿ばかりしているかというと、私は、日々、そういう生き物たちと共に暮らし、日々感動しているからなのです。

いのちの不思議さ、おもしろさ、神秘的な世界、美しさ・・・それらに触れるたびに、すべてのいのちが愛おしいと感じるのです。

神秘的ないのち

一滴の水の中に生きる無数のいのち。

顕微鏡でのぞかなければ見えない世界。

そんな小さな小さな世界にもちゃんといのちのドラマがある。

カマキリの赤ちゃんは、温かくなると一斉にこの世界に飛び出し

庭の山椒の木にやってきたカラスアゲハの幼虫は最初はこんなに小さいのに

脱皮を繰り返し大きくなって

さなぎを作るころにはエサから離れて、安全な場所を探して旅をします。

今年は、ナミアゲハの幼虫を背中にのっけて旅に出たカラスアゲハの幼虫。

あちこちで蛹になられても困るので、虫かごに入れて置いたら、ふたの裏でさなぎを作ることに決めたようです。

翌日にはしっかりさなぎの形に。

ナミアゲハの幼虫も似ているのですがちょっぴり違う。

最初は鳥の糞みたいな白と黒。

カラスアゲハより一回り小さくて、黒いVの字の二本線と、首のわっかが特徴。

ナミアゲハの幼虫も、昨日ここにさなぎを作ると決めたようです。

カイコの赤ちゃんは、ゴマ粒ほどの小さな小さな卵から生まれる小さな命。

それが、桑の葉を毎日たくさん食べて、脱皮を繰り返し、大きく育っていきます。

ひたすら桑の葉を食べ続けますが、カイコは、家畜として改良されてきただけあって、どんなにえさがなくなったとしても、箱から出てくることはありません。じっと、エサが放り込まれるのを待っているのです。

桑の葉集めが大変ですが、桑の葉さえ手に入れば、非常に飼いやすい生き物だと思います。

そうやって一か月半ほどかけて育ったカイコは、丸々と太り、体が黄色くなってきたら、いよいよ糸を吐き始めます。

糸を吐き始めると、一日いっぱい何も食べずに、ひたすら糸を吐き続け、きれいなまゆを作ります。その糸を吐き続ける姿はけなげで、いとしいのです。

卵をとるためにいくつか繭は残し、残りは糸をとるために冷凍してしまいます。

10日~2週間ほどで、カイコの成虫が繭から出てきました!

モスラのようでかわいい♡

白くてかわいいこの子は、羽はあるけど、体が重くて飛べません。

卵を産んだら数日で死んでしまいます。

冷凍した繭は、時間のある時に煮ながら糸を繰り出します。

繭から繰り出して巻き取った絹糸は、とても美しいのです。

そうやって繰り出した糸を、数本まとめてよりをかけながら使える糸にしていきます

よりをかけた絹糸。この量でだいたい繭70~80個分ぐらい。

糸ができてきたら、草木染。上から薄いあかね、紫根、よもぎ、桑の葉。

結構手間がかかるので、、ちょっとづつ、ちょっとづつ

糸を作りためています。

でも、ああやって糸を吐き出し続けたカイコちゃんのいのちをいただいて紡いでいると思えば、絹糸も愛おしく感じます。

そして、今年庭に巣を作り、ヒナが巣立ったモズ。

親鳥がヒナに一生懸命エサを運んでいました。

その一方で、スズメがおうちに巣を作っています。

親スズメがやってくると、ヒナが激しく鳴きます。

お父さんスズメとお母さんスズメが、かわるがわるエサをくわえてやってきます。

今年は、なんと上からヒナが落ちてきてしまい、一羽死んでしまいました。

見つけた息子が、土に返してあげました。

ただ落下しただけなのか、近くでカッコウが鳴いていたから、カッコウの托卵があったのか?巣の中の様子はわからないので、なぜヒナが落ちてきてしまったのかはわかりません。

この前は、モズがスズメのヒナを狙いにやって来たのか、コナラの木にとまると、親スズメが、「危ないぞ!モズが来たぞ!」と、警戒していました。巣の上と、コナラの木を挟んだ向こうの桑の木の上から、お父さんスズメとお母さんスズメが、残ったヒナを守ろうと必死に鳴いていました。

そんな鳥たちの巣の下では、暖かくなってきたら、メダカが次々卵を産んで、

産んだ卵を観察してたら、ちゃんと目玉ができていて、

次々メダカが生まれていくのです。小さな小さな子メダカのかわいいこと。

彼らは、水の中の微生物を食べています。

こうして、繰り返し繰り返し、生まれては次の世代に受け継がれていくいのちの営みを見ていると、神秘的で、面白くて、感動してしまいます。

ちゃんと毎年、日長や気温を感じながら、生まれるべき時に生まれ、暖かくなるととともに、一斉に命が輝きだす初夏のこの季節。

めぐるいのち。

素晴らしい季節です。

すべてのいのちが愛おしい

そして、小さな生き物たちだけではありません。

子ども達も、いきいきといのちを輝かせるのです。

湖の中の生き物探しに夢中になる子ども達。

救った網の中にはエビの赤ちゃんがいっぱい!!

ちょっとぐらい寒くたって、濡れたって、へっちゃらです。

暑い日の川遊びでは、魚を探したり、泳いだり、水を掛け合ったり、とにかく楽しそうです。

きれいな川辺にはきれいな川に住む美しいトンボが。

森では春から初夏にかけてエゾハルゼミが鳴きだし、

ぴょこんと出てくるかわいいカエル。

ちびっこちゃんたちとお散歩すれば、クルミやカタツムリ、いろんなものを見つけます。

カエルちゃんに興味津々。

そして、いきものばかりではありません。

植物も、それはそれは見事に、毎年実をならせてくれるのです。

庭のワイルドストロベリーも

庭のサクランボも

毎年毎年豊かな実りをもたらしてくれます。

子どもたちは木に登り、屋根に上り、サクランボ採りを楽しみました。

小さな小さな命から、鳥や、子供まで。

そして、毎年花を咲かせ、身をならせてくれる植物たちも。

ほんとうに、すべてのいのちが愛おしい。

この感動を子どもたちに

そして、思うのです。

これらのいのちの輝く喜びを、感動を、子ども達にたくさんたくさん味わってほしいと。

インターネットで調べたら、いろんな情報は得られるし、ちいさないのちが生まれる瞬間だって動画でみられます。

でも、本当に目の前でそのいのちに触れ、いのちを感じてほしいのです。

そこには、バーチャルでは味わえない驚きや、感動があるのです。
そして、その喜びは、誰かと共有することで、何倍にもなるのです。

 

夏の冒険キャンプ! 川遊び&ホタルキャンプ募集

今年も川あそびの季節がやってきました!
日中は川遊び。
夜はふわ~りふわ~りとぶ蛍を、眺めながらの暗闇探検。
着替えもたくさん持って、思いっきり川遊びしましょう!

冒険キャンプ詳細

【日時】
2021年7月10日13:00~11日15:00
【場所】
東北町(お申込みされた方に場所はお知らせします)
【対象】
6歳以上
(例年は子供だけの参加も受け付けておりましたが、夜は各家庭でテントや車中泊などをお願いします)
【料金】
一人5000円
【募集定員】
子ども5~6名程度になった時点で受付を締め切ります。
(すでにお申込みいただいており、あと1~2家族程度で締め切ります)
【持ち物】
川遊び用に濡れてもいい靴、またはかかとのついたサンダル(かかとのついてないビーチサンダルなどは不可。大人も同様)、
テント、テントマット、寝袋、食器、はし、水着(または多めの着替え)、長袖長ズボン、靴下(夜の虫刺され防止に)、バスタオル、フェイスタオル、歯ブラシ、虫よけ、虫刺されの薬、飲み水、懐中電灯、あればキャンプ用の折りたたみ椅子。
虫網虫かご、日焼け止め、帽子は各自必要と思われる方。
※キャンプ場は水は出ますが飲用不可なので、各自飲み水をご用意ください。
※テント、テントマットがない方は、2セット貸し出しできますのでご相談ください。(※残り1セット)
【その他】
お申し込み時に、参加者のお名前、生年月日、住所、電話番号、アレルギーの有無、何か注意すべき点があればお知らせください。

過去の夏の冒険キャンプの様子

川の生き物探ししたり

カワニナや川の生き物たちを観察したり

桑の実食べたり

川の奥に探検に行ったり

水切りしたり

魚を捕まえようとしたり

夜になったら川辺でホタルを鑑賞し

夜の虫に出会うことも

やたらとたくさんクワガタに出会えた年もあった。

木登りしたり

スイカ割したり

こんな大きなカニに出会えた年もあった。

石でダムを作ったり

ちょっと流れのある所では、みんなで助け合いながら

カエルを焼いて食べた子もいた

泳ぐ子もいた

自分で釣り竿作って魚を釣ろうとする子もいた
野うさぎ捕まえた子もいた
雨に降られながらも、サッカーして遊んだりもした。
何が起こるか、
どんな生き物たちに出会えるか、
それは、行ってみなければわかりません。
その年によって、出会うものが違うからです。
さあ、今年は何に出会えるでしょう?