2022年春の森冒険キャンプ募集(定員に達しました)

命が芽吹く春を感じる春の森に、ご一緒しませんか?
秘密基地づくりや、焚き火でマシュマロ焼いて食べたり、ロープブランコ、ハンモック、ロープの綱渡り、木登り、山菜採り、森の探検、粘土の採集、よもぎ摘み、お花のかんむり、おたまじゃくしの観察、夜は暗闇探検、草原に寝転んで星空を眺める・・・
森の春を、体いっぱいに感じましょう。
5/4の11:00から、5/5の15:00まで、一緒にキャンプしませんか?
キャンプする場合は、朝晩の冷え込みが予想されるので、しっかり防寒対策をしてきてください。

キャンプの詳細

【日時】
2022年5/4㈬11:00〜5/5㈭15:00
【場所】
東北町
※場所の詳細につきましては、
お申し込みいただいた方に後ほどお知らせいたします。
【持ち物】
4日の昼食は各自、長靴、長袖、長ズボン、着替2〜3セット、防寒、軍手、飲み水、食器、はし、歯ブラシ、タオル、おやつは各自。(アルコール飲みたい大人は各自持参)
※キャンプする場合は、キャンプ用品一式(テント、テントマット、寝袋懐中電灯)
※子供だけの参加は、寝袋だけでオッケー。
※ない場合はご相談ください。無料で貸出も若干あります。
【参加費】
①デイキャンプ(晩御飯付き)/小学生以上2000円。幼児無料
② 1泊キャンプ(4日晩御飯、5日朝食、昼食)/小学生以上5000円、幼児無料
【定員】子どもが6名程度になった時点で募集を停止します
参加される方は、メールにて
デイキャンプか、一泊かをお知らせください。保険をかけますので、参加される方のお名前、年齢、住所、電話番号も合わせてお知らせください。
小学生以上であれば、子どもだけの参加もオッケーです。ただし、現地までの送迎をお願いします。
※水道が使えないため、お水はご持参ください。
※トイレも一応ありますが、きれいなトイレではありません。

これまでのキャンプの様子

春の森キャンプでは、まずは森に親しむところからスタートします。

ハンモックや

ロープの綱渡り

 

 

ターザンロープなど、

 

子ども達が自由に遊べるように、ロープをかけていきます。

そのうち、木登りし始める子もいます。

森なじんできたところで、森の探検に出発します。

途中、いい香りのする葉っぱを見つけてはにおいをかいだり、山菜見つけては採ったりしながら森を歩いていきます。

運がよければ、リスやヤマネに会える時も!

 

下の水場に行くと、水たまりにオタマジャクシの卵がいっぱい!

小川で笹船流して遊んだり

石をめくればヤゴや、水生昆虫に出会えるかもしれません。

春のカラマツは柔らかく、カラマツのブレスレット作りながら歩いたり。

森の探検では、歩きながら、山菜を収穫していきます。

途中、粘土がとれる崖で、粘土を取ってみるときもあります。下は、危なくないところなのですが、落ちたら泥だらけになるスリルがあります。

探検コースから戻ったら、再び森遊びする子ども達。

秘密基地作ったり

時には弓矢作ることも

焚き火を焚くためにの火おこしチーム。

薪を集めたり、燃やしやすい長さに切ったり。

火の番したり

森からとって来たクロモジのお茶もさわやかな香りです。

みんなでテント張って、

山菜採りに行って、

焚火で調理して夜を迎え、

森の朝は、鳥の声と、朝の凛とした空気に包まれて、特別な時間です。

そんな春の森を感じてみませんか?

子ども時代にまずは感じることです

人は自然の一部です。

でも、自然と離れてしまい過ぎた今、なかなかそれを感じることは難しい時代になってしまったのかもしれません。

どうやって自然の中で遊ばせていいかわからない。

自然で遊ぶのはいいとわかってはいるけど、いざ自然の中に行っても、何をすればいいかわからない。

そんな声もよく聞きます。

でも、そんなに難しいことではないんです。

何かをさせようと思わなくていい。ただ、感じるだけでいい。

そこに自然があって、人がいたら、子どもたちはだまっていても遊び始めます。

大人はそれをただ見守っているだけ。

一緒に楽しんでみるだけ。

一緒に歩きながら、面白がるだけでいいと思っています。

何かをしなければならないということもなく、そういう感覚を開いていくことがとっても大切なのだと思っています。

いのちの芽生えを感じる。

森の生命力。

森の香。鳥の声。そこに生きている木々や虫たち。動物の痕跡。そこの森で命をつないでいるモノがいるということ。小川の流れ。水の中の生き物たち。

忘れてしまっていた、そういったことを感じる感覚を取り戻すのは、難しいことではありません。特別なことでもありません。

みんなが本来持っている感覚なのです。

 

いくら教科書で、自然を大切にしようと言われたところで、そこに息づくいのちがあることを知らなければ、思いをはせることなどできません。

地球を守ろうと言いつつ、森を伐って太陽光パネルを作ったり、山の中に風車をたてることがいいことだと疑いもしないかもしれません。

でも、森を知っていたら、そこにある木々、その森の中で暮らす生き物たちの姿を想像することができるのではないかと思っています。

まずは感じること。

そこからすべては始まります。

子どもたちの幸せとは


Warning: Array to string conversion in /home/sattyann/happychildrentowada.jp/public_html/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 701

Warning: Array to string conversion in /home/sattyann/happychildrentowada.jp/public_html/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 701

Warning: Array to string conversion in /home/sattyann/happychildrentowada.jp/public_html/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 701

Warning: Array to string conversion in /home/sattyann/happychildrentowada.jp/public_html/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 701

子どもにとっての幸せとは何でしょうか。

①衣食住が保証されていること

②安心できる居場所があること

この二つは最低限必要なことではないでしょうか。これらが満たされたうえで、

③自分で意思決定ができること(やりたいことを自分で決めてやれること)

④自由であること

そして、

⑤生きている実感を持てること

なのではないかと思っています。

子供の幸福度の調査

ユニセフによる子どもの幸福度の調査によると、

「身体的健康」は1位

一方、「精神的健康」は、37位と調査対象国中ワースト2位でした。

ユニセフレポートカード16

データを詳しく見ていくと、

15~24歳の自殺率は、先進国ワースト1位だし、殺人による死亡率が最も低いわりに、「困った時に頼れる人がいる」と答えた成人の割合は、下から10番目でした。

そして、子どもの自殺の原因について、文科省の調査によると、いじめよりも、家庭の不和、精神障害、進路問題が多く、一番多いのは理由が「不明」という、これといった理由が見つからないケースが半数を超えています。

子どもの自殺 初の400人超 不登校は19万人以上で過去最多

児童生徒の自殺の現状と予防のための方向性

自宅で安心感が得られないと答えた子の幸福度は低く、すべての国で、「サポートしてくれる家族関係である」と答えた子どもは情緒的幸福度がより高い傾向が見られた。

これには貧困も大きく関わってくるようです。

貧困の解決が子どもたちの幸福度を上げることにもつながることは確かですが、助けてと言える人がそばにいるか。そういう関係性が周りにあるか。困ったときに相談できる人、サポートしてくれる人が周りにいるかどうかも大きいと思います。

生きている価値を見出せない

「人生が空っぽに感じ、生きている価値を見出せない」というような、無力感、未来への漠然とした不安を抱えている子も少なくない。

不安という意味では、コロナによる未来への不安、環境悪化による未来への不安を感じている子もいると思う。

気候変動が改善されない限り、子どもを産みたくないという若者が出てきているというのも、未来への不安から。

そういう漠然とした不安を抱えながら、人との関わりが希薄になり、必要とされる実感が得られにくい現代の社会が背景としてあるのではないでしょうか?

自分は生きている価値がある。生きてていいんだ。そう思える時って、どんな時でしょう?

誰かに必要とされたとき。誰かにありがとうと言ってもらえた時。そういう、他者によって自分の価値を認める時。

もう一つは、自己肯定感や自己効力感のように、ありのままの自分を認めているときや、自分はやれるんだ!というような感覚を持てる時。つまり、自分が自分の存在を認める時の二つあります。

自分がやりたいことにチャレンジして、小さくても、成功体験があるとき。何かしらやった結果が見えた時や、誰が何と言おうと、これをやりたい!やってよかった!というような、自分の内側から沸き上がる、心のコンパスに従って行動した時に自分の存在を認められます。

感動すること、歓喜すること

自分なんて何の役にも立ってないし、別に特別何かできることがあるわけでもない、やりたいこともないし、という自分に、「生きてる価値がない」と感じてしまう人がいるのも事実です。

自分に何ができるとか、何ができないとかそういうことよりも、足りないのは「歓喜する気持ち、感動すること」なのではないかと思っています。

感動したり、歓喜するのは、自分の心が大きく動くことです。

すごくきれいな景色を見て心動かされるとか、おいしいものを食べて感動するとか、知らなかった世界を知って感動して喜ぶこと。

小さな子どもは、なんにでも歓喜します。

見るもの、触るものすべてが面白くて、新鮮で、日々、成長し、天井ばかりだった世界が寝返りしたり、ハイハイしたり、たっちすることで見える世界が変わってくることに歓喜し、遊びの中で新たな発見、新たな世界の広がりに歓喜します。

触りたいものを触り、やりたいことをやり、そのたびに歓喜するのですが、だんだんに、それは触ってはいけない、それはやっちゃダメと、目の前から歓喜できるはずの対象が取り除かれていきます。危ないからダメ、というのは、子どもをリスクから守るためにはある意味仕方のないことですが・・・。

でも、必要以上に取り除かれ、これはダメだけど、こっちは触っていい。これはやっちゃだめだけど、これはやっていい。そのうち、あれこれ触られると面倒だし、あれこれやられると面倒だから、これさえやってればいいのよと、やっていいことだけを目の前に並べられる。余計なことはしないでと怒られる。そんなの無駄なことだと言われる。

でも、子どもの世界って、無駄で無意味に思えることばかりで、なんでそんなこと!って思うこともたくさんあって。

でも、そういう一見無駄で無意味なことが、すごく大事なことだったりするのです。

安全に守られすぎた世界には子どもの選択の余地はなくて、だんだんに、安全で安心だけど、何事も変わったことは起こらない、予測できることしか起こらない、歓喜の少ない世界の中に子どもたちは押し込められて行っていないでしょうか?

歓喜は、変化の中に起こります。

いつもと違う風景。いつもと違う結果。いつもと違う、予想外の展開。

そして、歓喜は、自分で選択した結果によって起こります。

きれいな景色を見て歓喜した場合、誰かに連れて行ってもらったとしても、一緒に行くと決めたのはあなたです。そこに行くと決めたのはあなたです。

おいいしいものを食べて感動したとき、それを食べようと思ったのはあなたです。

知らなかった世界を知って驚き、感動し、歓喜したとき、そんな世界を知ろうとしたのはあなたです。

例えば、道端のコンクリートの割れ目から生えてくるタンポポに対して、日常的に見ていて何とも思っていなかったのに、ふと、このタンポポってすごいな。こんな何にもないところでも花を咲かせるなんてと感動する瞬間があったりします。そんなとき、道端の花に目を向けたのはあなたです。

自分が選択し、その選択によっていつもとは違うことが体験出来て、心が動くのです。

歓喜している状態を、子どもの感覚で簡単に言うと、

めっちゃ楽しい!!

すっご〜い!!

めっちゃ面白い!!

ってことです。

それが生きてる実感ではないでしょうか?

せっかくこの地球という美しい星に生を受けたんです。生きてる実感を、感動を、歓喜を、たくさんたくさん味わってほしい。

自由と束縛

自由と束縛、どっちがいいかと言われると、みんな自由がいいと答えるのではないでしょうか?

だけど、砂漠、あるいは森、海の大海原に一人放り出され、自由にしてもいいよと言われても、不安になって困ってしまうのではないでしょうか?

何をするのも自由というのは、良くも悪くも選択した結果が自分に返ってくるので、選択に責任が伴ってくるからです。

そういう意味で、誰かに決めてもらった方が楽だし、枠があったほうが安全だし、危険もない。ということで、人は自由を求めながらも、ある程度束縛があった方が安心という側面はあるようです。

例えば、いつもリードにつながれている犬は、何もしなくてもエサはもらえるし、散歩にも連れて行ってもらえる。その時はしっぽ振ってうれしい。でも、それ以外は寝て過ごす毎日。

でも、ある時リードが外れて、自分が自由であることに気が付いたその時、犬はものすごい勢いで走り回り、自由を謳歌します。それはそれは体全体で歓喜します。

でも、満足するまで走りまわると、また、餌をもらえる飼い主のもとに戻ってくるのです。

以前、割と親が厳しい家のA君が遊びに来た時に、お昼は必ず帰ってきなさいと言われていた。それは、学校でもきめられてるルールだし、守って当たり前なルールですが、その子の家はちょっと遠い。いったん家に帰ってまた来るのは面倒くさい。「よかったらうちでご飯食べていく?」という言葉に、他の子は、家に帰らずにご飯を頂くと決めました。迷った挙句、その子はお昼は自分の家に帰らず、我が家のご飯を食べることにしたのです。

その子は、親の言いつけを守らなかったのは初めて。

最初は怒られるかもしれないと、ドキドキしていた。

でも、一緒にご飯を食べ始めた瞬間、A君は

「やった~!!俺は自由だ~!!自由だ~!!」と叫んだのです。

怒られるかもしれない。でも、怒られてもいい。ここに残る!

自分で、自分がどうするかを選択したのは彼自身。

自分が選択した結果であれば、その結果を受け入れる覚悟ができた。

そのとき、彼は自由を感じた。大きく心が動き、自由を感じ、歓喜したわけです。

子どもたちは、日々、いろんな小さな束縛の中にいます。

それでも自由を求め、自由でいられたときに歓喜します。

歓喜する子どもたちの笑顔は最高です。

ちょっぴり、束縛の鎖を緩めて、子どもを信じて自由にさせて見てほしいと思います。

学校からの束縛。家庭の中での束縛。人に迷惑をかけてはいけないという束縛。

近頃の子どもたちには、束縛が強すぎますから。

 

悪ガキたちの秘密基地

2018年に出版した「悪ガキたちの秘密基地」。

ブログにAmazonのリンクを張り付けてありますが、近ごろ、中古が高値で出ているようです。

読みたい方がいらっしゃいましたら、手元にある本を定価(600円)でお送りしますので、お問い合わせください。(送料不要)

住所、お名前、電話番号を明記の上、メールをください。

メールにて、こちらからの返信がありましたら、1週間以内にお振込みください。

振り込みは

【PayPal】

または下記口座に振り込みでお願いします。

【ゆうちょ】記号18420 番号07138981
           シンドウサチコ

【他行からの場合】ゆうちょ銀行

           支店名 八四八 (読み ハチヨンハチ)
           普通預金
           口座番号0713898

「感じることが先にある」というはなし

小学校の理科の実験でのこと。

最近、6年生が『水溶液の性質』という単元に入りました。

最初に、A:食塩水、B:炭酸水、C:うすいアンモニア水、D:うすい塩酸の四つの無色透明な液体を、においや見た目で判別する。というのが、最初にあります。(今は、ABCDはランダムに書いています)

今までは、割と、見た目でBが炭酸水だとすぐに確定し、次に、臭いをかいで、アンモニアのきつい臭さに、おえ~!ってなりながらも、すぐに、くさいトイレの臭いみたいだから、Cはアンモニア!ってわかって、塩酸は、薄めてあるから、臭いが分かりづらいんだけど、なんとなく消毒液みたいな、病院みたいな臭いがするっていうところで、ちょっと臭いがあるから、きっとDが塩酸で、最後に残ったやつは臭いもないし、食塩じゃないか?ってことで、割と判別できたんですよね。

で、じゃあ食塩だったら蒸発すると出ることが五年生の学習で分かっているから、蒸発させてみよう!

Aだけが白い粉が出てきたから、はい!Aが食塩決定!

みたいな感じだったんですよね。

ところが、ここ数年、ちょっと様子が変わってきて、食塩水と炭酸水は、見た目と臭いと、蒸発させるという工程で判別がついてわかるんだけど、Cの臭いを嗅いだらうっ!!ってなるんだけど、「強烈な臭いがするから、これは塩酸だ!」っていう子がちらほら出てきてて、今年なんかは、クラスの半分がCは塩酸で、Dがアンモニアだって答えて、意見が割れたんですよね。

「じゃあ、答え合わせしましょうか!」

と、「食塩水と炭酸水は正解です!」ってなったんだけど、困ったのは、塩酸とアンモニアの判別。

なんでアンモニア水って、わからないのかな?と思ったときに、一人の子が、塩酸のにおいをかいで、「トイレのにおいがしたから」と言ったんですね。

最近の子達は、きれいに消毒されたトイレしか使っていないから、アンモニアのにおいが分からない子が増えてるんじゃないか?って思えたんです。

ぼっとんトイレとか、くさい公衆トイレとか、あの匂いを知っていたら、即座に、あの鼻を突くようなにおいはアンモニア水だ!となるはずが、アンモニア臭が分からないし、塩酸のにおいだって嗅いだことないから、どっちがどっちだかわからない。っていうことになっているんだな~と。

五感で感じた経験があるから、知識と結びつく、ということを実感しました。

とはいえ、あのくさいトイレのアンモニア臭を、経験させなきゃいけない、なんてことはないんですけどね(笑)。
そういう時代になって来たんだな~と思ったわけです。

今の教科書だと、もう、最初っから、食塩水、炭酸水、うすい塩酸、うすいアンモニア水って、ラベリングしてあるものを蒸発、石灰水、リトマス紙、金属を溶かす、っていう実験で進めていくんだけど、正解を言っちゃってからだとつまらなくないかな?

それとも、教科書の順番をすっ飛ばして、いきなり金属溶かしてみるか?

って思ったわけです。でも待てよ。一学期、塩酸使った実験があったぞ。

と、いうことで、答え合わせする前に、一つ、教科書にはない実験を追加することにしました。

実は、6年生の一学期に、『気体の性質』という単元の中で、演じ実験ではありましたが、「二酸化炭素と、酸素を発生させる」実験を見ていた子供たち。

「一学期、気体を発生させる実験で、塩酸と何かを混ぜたら二酸化炭素が出たんだけど、何を混ぜたか覚えてる?」

って子どもたちに聞いてみたら、覚えていた子がいました。

そう。大理石に塩酸を滴下したら、ぶくぶく泡が立って、大理石が溶けて、二酸化炭素が発生したのでした。

「そしたら、CとDに大理石を入れて、泡が出て溶けた方が塩酸ってことなんじゃない?」

っていうことで、次の実験の時に、大理石を入れてみることにしました。

次の実験が楽しみです。

 

たくさん感じ、体験したことが多ければ多いほどいい

何が言いたかったかというと、知識を詰め込むより先に、臭いをかいだり、見たり、聞いたり、(実験では味わうという子とはしないけれど)、自分の体で体験することがあって、初めて未知のものと出会ったときに、自分の体験と照らし合わせて予測することができる、ということなんですよね。

ちなみに、5年生の息子に、「アンモニアのにおいって言われて分かる?」って聞いたら、「アンモニアって、おしっこの臭い?トイレの臭いとか?」と、即答でした。八甲田に登ったとき、山小屋のトイレも、アンモニア臭がただよっていたのを思い出したようです。
息子には、臭いトイレの経験がありました。おそらく、6年になって、この実験をしたとき、「これ絶対アンモニア!」ってわかると思います(笑)

子供時代に、多種多様な経験をし、たくさんたくさん感じ、体験したことが多ければ多いほど、未知のものに出会ったときに柔軟に対処できるということでもあるのです。(繰り返しますが、臭いトイレの臭いを経験させなさいってことではないですよ(笑))

感じて、体験したことが知識と結びついた時、その知識は、自分の経験として、しっかり根付いていきます。
でも、一方で、頭で教科書を覚えただけ、いかに正解を書くか、だけの知識は、その習慣を過ぎれば、あっという間に記憶のかなたに飛んで行ってしまいます。

私がそうでしたから。昔、あれほど勉強した(暗記した)様々なこと、あれもこれも、全然おぼえていない。

いろんな経験と結びついて、「あ~!あれってそういうことだったのか!」って腑に落ちたとき、はじめて学ぶことが楽しくなってきます。記憶に残ります。

ってことは、あれを溶かしたら溶けるんじゃないのかな?とか、どんどん違う興味がわいてくるようになる。で、試したくなるんですよね。

で、思った通りの結果だったら、やっぱりそうか!ってなるし、思ってたのと違う結果だったら、なんでだろう?じゃ、こっちだったらどうなるのかな?って、違うやり方を考えたりする。

そういうトライ&エラーを繰り返し試せると、学ぶ意欲に火がついていくんです。

子どもたちの、そういうトライ&エラーは、普段は、遊びの中で発揮されます。

庭に子どもたちが掘った穴も、気がつけば、水路ができ、植物を周りに植えて・・・

最後は火山を作ったようですが、こんな状態(笑)

何をしようとしたのかはわかりませんが、何かきっと、面白いことひらめいて、やってみた結果、最後、こうなったんだと思うと、おかしくてしかたありません。

こうするともっと面白くなるかもしれないと、チャレンジして、失敗して、違う方法でまたチャレンジして成功して、筋トレのように、チャレンジと失敗と小さな成功体験をどれだけ繰り返してきたかが、大人になってからの人生の選択に柔軟性が出てくるんだと思っています。

今の子供たちは、わりとすぐに正解を求めたがります。

失敗しないやり方を、ユーチューブで先にみてからやってみるから、失敗もしない。

正解を先にみて、失敗しないように失敗しないように育っています。

なんなら、親も、つい、子どもに失敗してほしくないから、
「あ、ほら、そんなやり方じゃだめよ。こうした方がうまくいくよ」って、手出し口出ししがちです。

私だって、つい、口出ししちゃうこともやっぱりあります。

でもね、子どものうちは、正解を先に教えて成功させるよりも、失敗して見て学ばせることの方が100倍も大事なんだと思います。

口を出したい気持ちを、ぐっとこらえる大人の忍耐が試されますが。

 

人生は、これが正解の人生だ!なんてことはないんです。

やってみてダメだったら、違うことをすればいい。違うやり方を試してみたらいい。

正解かどうかなんて、もどうでもいいんです。

その、「こうやったらどうなるんだろう?」っていうワクワクが、人生を作っていくんだと思っています。その積み重ねが、結果として、面白い人生になっていく。ただそれだけなんだと思います。
すごいことを成し遂げる人もいれば、はたから見たら、何も成し遂げていないような人生だったとしても、毎日を幸せに暮らしている人もいるわけです。

人生楽しもうよ

理科の実験から思った、「感じることが先だよ」というお話から、人生の話に展開しちゃいましたが、

こうして書いてる文章も、最初は、「感じることが先だよ」って言いたかったから書き始めたのですが、書いているうちに、私の感情が、「人生楽しもうよ」という話を書けと言っているから、こういう流れになってしまいました。

達成感、幸福感、喜び、悲しみ、怒り、いろんな感情を味わい尽くし、この地球に生まれたことを楽しもうよと、私は言いたい。

正解なんてどうでもいい。正解にたどり着くまでのその過程を楽しみたい。

子供時代、私は算数が好きでした。

問題を解く、その過程が楽しくて仕方なかった。算数は正解があるから、それはそれで、正解にたどり着くまでの「こうすれば解けるんじゃないか?」というひらめきと、解いていったその先の達成感が好きだった。

でも、今は、正解かどうかよりも、答えのない問いに、どうアプローチしたらいいんだろうか?っていうことを試行錯誤して、これのやり方がいいんじゃないか?と、手探りながらやってきた、その過程を楽しんでいます。そして、やってみて、どうやらこのやり方は間違ってなさそうだぞ、思う時もあったりしています。

でも、いや、もっと違うやり方だったら、もっともっと、いろんな子供たちを幸せにできるんじゃないか?と考えたりもします。

結局のところ、いつまでたっても正解にはたどり着けそうにありません。

だけど、子どもたちの未来に、美しい地球が残っていて、やさしい世界が広がっていることを願っているので、ただただ、愚直に、目の前の私にできる精一杯のことをやるのみの毎日です。

理科の実験の話から、まさかの人生の話への展開。

思ってもない方向に転がるのも、また、楽しいものです。

 

理科の実験の話で始まったので、最後に再び実験室のお話。

最近の中休みの理科室には、3年生の子達がよく遊びに来ます。そう、ただ、遊びに来るんです。

人気なのは段ボールの空気砲。ひたすら紙コップ飛ばしています。

こちら、砂鉄をとるのに夢中の子ども達。

磁石をビニール袋に入れて、砂に近づけて、砂鉄とっています。(もちろん砂だらけになるので、チャイムなる前に砂をきれいに片付けてもらいます)

砂は、5年生の川の流れの実験用に実験室にあるやつです。

砂鉄、ちょうだいちょうだい言うので、「こうやって、集められるから、うちに磁石があったら、公園でも校庭でも、どこでも砂鉄、集められるよ~」と言っています。

3年生はまだ、実験が本格的に始まっていないので、実験って、なんか楽しい!理科って面白そう!実験するの楽しみ!!そう思ってもらえたらいいな、と思っています。

まずは、感じてもらいたい。

 

 

 

子供時代に、どれだけやりたいことをやりたいようにやるか

子供時代、大人に、あれはだめ、これはダメ、○○しなければ××しちゃだめ、そんなことしてないではやくこれやりなさい、あなたはこれをやってればいいのよ・・・等々。

禁止、否定、行動の制限、条件付きの愛。

子どもにとって良かれと思い、ほぼ無意識に発してきた言葉で傷つき、大人になってなお、それらの言葉が根強く潜在意識に残り、心を痛めている方をたくさん知っています。

そういう方が苦しむことの一つに、自分の好きなことが何かわからない、自分の本当にやりたいことが分からない、ということもあるようです。

「好きなことをやりなさい。あなたはあなたのままでいい。」そう言われれば言われるほど、自分が好きなことが見つからなくて、よけいに苦しくなってしまう人もいます。

そう思うと、子供時代の大人の関りって、実はものすごく子どもに影響しているな~と感じています。

大人の言葉だけでなく、友達、兄弟、もしくは社会からも影響されています。

好きなことをやっていたら怒られた。

好きなことやってたら、そんなこと何になるんだとわかってもらえなかった。

好きなことやってたら、何それ、変なの、ってからかわれた。

いろんな他人の反応によって、傷ついたり、恥ずかしい思いをしたり、悲しくなったりすることで、もう二度とそんな思いはしたくないと、どんどん「自分の好き」を押し殺していってしまうのです。

自分軸で生きるか、他人軸で生きるか

大人になった今、自分の好きなことを、自分の気持ちに正直に生きている人、自分軸で生きてる人って、なんだか輝いて見えます。

一方で、やりたいことをやり、後悔のない人生を歩んでいるように見える人をうらやましく思い、自分は好きなことも見つからず、悶々として、なんだか自分は何のために生きてるのかわからなくなってしまうという人も、少なからずいます。

だけど、本来、だれしも好きなことをやり、生き生きとした人生を送れるはずなんです。

ただ、子どものころから、繰り返し繰り返し好きなことをやてたら怒られた、からかわれた、否定されたというネガティブな記憶から、人は、知らず知らずに好きなことをやっていてはいけないというメッセージを受け取っていくのだと思います。そして同時に、言われたとおりにやったらほめられた、というような記憶が重なり、だんだん、お母さんはこうすればほめてくれるだろう、とか、相手はこうしたら喜んでくれるはずだと、人がどう思うかを気にしながら、他人軸で行動するのが癖になってきます。

それが10年、20年と続くうちに、はたと途中で気がつくんです。

あれ?そもそも自分は何がやりたかったんだろう?って。

今、好きなことをやって生きている人の中には二パターンあるように思います。

一つは、子供時代から、思いっきり好きなことをやってきた人。それを許されてきた人。

虫好きで、むしとりに夢中になった子供時代を過ごしていたとか、モノ作りがすごく好きで、子供時代はあれこれ分解して中の仕組みを知りたがったり、自分で何か作ることに熱中していたとか、絵をかくのが好きで、時間を忘れて絵を描き続けていたとか、とにかく野山を駆け巡り、日が暮れるまで遊びつくしていたとか、寛大な親の元、何かに熱中してきた子供時代を過ごした人たち。

もう一つは、そんなことは無駄だからやめなさいと言われても、まったく親の言うことを聞かず、とにかく親に、大人に、怒られ続けながらも、自分は自分のやりたいようにやると、反骨精神が強く、困難を乗り越えようとする強い気性を持っている人。

ただ、もしかしたら、そんな人は今は一握りかもしれません。多くの子は、「そんなことやめなさい」と言われれば、素直に親の言うことを聞いてしまい、大人が喜ぶようにふるまってしまうでしょう。

親としては、言うことを聞いてくれる子の方が育てやすいのですが、実は、そうやって育ってきて、大人になって悩む方も少なからずいるのです。

好きなことをやる時間がない子ども達

子供時代に思う存分好きなことをやらせてあげてほしいと思うのだけれど、今の子供たちはとても忙しいのです。

学校が終われば、塾や習い事、部活がある。土日は部活で試合だったり、塾の試験や検定があったり。

子どもたちは、やらなければならないことで時間を埋め尽くされて、帰ったら宿題やってご飯たべて、お風呂入って、ちょっと息抜きにゲームでもして、そしたらもう、寝る時間です。

好きなことをやる時間って、子ども達にありますか?

ボーっとする時間、一日の中にどれぐらいありますか?

本来子どもというものは動き回るものです。

好奇心御旺盛で、気になったら、頭より体が先に動いてしまうような、そんな存在です。

やってみたいと思ったら、まずやってみる。

それで失敗したとしても、そこから何かを学んでいくものです。

ごみ袋で空が飛べるかもしれないと思って試してみたくなることもある。(ほんとに高いところから飛ぼうとするなら、全力で止めますが)

無意味に見えるんだけど、ただただ木をトンカチで破壊していく子もいたり。

とにかく深く穴を掘って、地球の裏側まで掘ってみようとしてみたり。

深く掘るのをあきらめて、横穴掘って秘密基地に代わることもある。

自分の限界に挑戦して、ちょっと怖いな、って思う高さから飛び降りて見たかったり

雨に打たれてみたり

そんな、大人からしたら、無駄だ、できっこない、なにやってるの?っていうようなことも、実は子どもにとっては自分な好きなことに気づいていく大事な体験だったりするわけです。

で、そういうことを許してくれる大人がいると、受け入れられてるという安心感の元、またさらに挑戦できるのです。

でも、気になるのは、最近、教育虐待という言葉も出てきているくらい、多くの子どもの時間が、やらなきゃいけないことで奪われているように思えてなりません。

『ルポ教育虐待』

という本の中に、教育虐待に陥らないためのこんな自問リストがあります。

(1)子どもは自分とは別の人間だと思えていますか?
(2)子どもの人生は子どもが選択するものだと認められていますか?
(3)子どもの人生を自分の人生と重ね合わせていないですか?
(4)子どものこと以外の自分の人生をもっていますか?

そして、「子どもの人権」の「三つの柱」があると伝えています。
(1)『生まれてきて良かったね』と言ってもらえる。
(2)『ひとりぼっちじゃないからね』と言ってもらえる。
(3)『あなたの人生はあなたしか歩めない』と認めてもらえる

子どもは自分の所有物ではなく、一人の人格を持った人として考えることが一つ。

そして、その存在を、ただただ認めてもらえることが一つ。

その上で、

あなたはどんなことに興味があるの?

どんなことが好きなの?

そう、そういうのが面白いと思うのね。

そうだね。すごくおもしろいね。

もっとやってみる?

そんな関わりができたなら、大人になったときに「自分のやりたいことが見つからない」なんていう悩みにはぶつからないのではないかと思っています。

自分がやりたいことが分からない

大人になって、はたと気づいてしまった人は、ひとつづつ、まずは子供のころの自分に戻って、そういえば、絵をかくのが好きだったな。とか、本読むの好きだったな~、そういえば最近本読んでないな~。ちょっと本屋に行ってみようかな。とか、思い出しながら、今の自分がちょっとやってみたいな、って思うことを実際にやってみるといいと思うんです。

人は、発達の過程として、まず感じることが先に必要です。

感じることを先にやらないと、地に足がついていない根無し草のように、ふらふらと、自分が分からないという状態に陥りやすいのではないでしょうか。

 

6歳ごろまでに脳の9割が成長すると言われていますが、それらは五感で感じ、感じたものを快か、不快か記憶の中にインプットしていくことで、この世界に適応した脳に発達していきます。

どれだけたくさん感覚をインプットしたかによって、その世界に対する視野が広がります。

子供時代にインプットした感覚があって、のちに知識として学習したときに、初めて自分の感覚と世界がつながりをもつのです。

例えば、虫は嫌い!という子の場合、小さな頃に、虫にかまれたとか、嫌な思い出がある場合もあるし、虫を触っていたらお母さんが悲鳴を上げて怖がる姿を見て、虫は怖いものだとインプットされた場合もあるでしょう。そういう場合、虫を触りたいと思わなくなるでしょう。

だけど、あるとき、「へ~!この虫、すごくおもしろいね!」なんて人に出会ったとき、え?そうなの?って、はじめて虫をよく観察してみたり、あ、意外ときれいかも、とか、ちょっとツンツンってさわってみたり、あれ?怖くない虫もいるかもしれないって気が付いて、後で調べてみたら、なんだ、ちょうちょの幼虫だったのか!それなら怖くないかも、ってなることもある。

平気な子なんかは、カマキリだって臆さずつかまえちゃうし、大人がいくら探しても見つけられないものを次々見つけちゃったりする。あの辺にいそうだ!という、何やら野生の感がはたらいてる子もいます。

でも、そうやって虫が好きになっていくと、虫がいそうな場所っていうのがわかってくる。

そしたら、草むらがないとこの虫は生きられないんだとか、森がないとこの昆虫は生きられないんだとか、きれいな水じゃないとこの虫は生きていけないんだっていうことを体感としてしっていく。

そういうことが、自然とつながる力になっていく。

自然とのつながりが感じられないっていうのは、こういうこともあるのだと思っています。

 

ちょっと話がそれましたが、大人になってからでも、

自分が心地いいと感じることに目を向け、心地いいを心行くまで感じてみる。

逆に、いやだな、って思うことは、ああ、自分はこういうことが嫌なんだな、って自分の感情に気づいてあげる。

そして、何でもいいからやってみて、これは心地よいのか、不快なのか、自分の感情を見つめてみる。

 

子どものうちは、やってみて、感じる中で無意識にそういうことやっているんだけど、なにせ、大人になってしまうと、脳の急速な成長はほとんど終わっているわけですから、子どもの頃より、はるかに時間がかかり、自分の好きなことに気づくまでには時間がかかってしまうのは仕方のないことです。

ですが幸い、大人になっても、「可塑性(かそせい)」と言って、脳は変化し続けることができるので、脳の発達の適期を逃したとしても、大丈夫のようなんですね。

ひとつひとつ、時間をかけてでも、感じる部分を取り戻していったなら、自分の好きなこと、自分がほんとはやりたかったことに、きっと気付けると思うんです。

自分探しで他に答えを求めるのではなく、自分の感覚に耳を傾ける。

そのためには、行動しなくちゃいけません。

感じるためには、やってみないとわかりませんよね。

 

大人になってからだとそういう感覚を取り戻していく作業は大変なんだけど、子どものうちなら、難なくできる。

そういう期間が、子供時代にはあるのだと知っていてほしい。

やりすぎ教育(武田信子 著)

という本もありますが、子どもにやらせる教育もほどほどに。

子供時代は、たっぷり遊べて、自由にできる時間を確保してあげてほしいと思っています。

夏休みの子供たち

そして、私が関わる子ども達は、毎日毎日、よく遊び続け、可能な限り遊べる時間を遊びきった夏休みでした。

セミ取りに夢中になり、偶然見つけたセミの羽化を見つめたり

セミを捕まえようと木に登ったり

時には海で砂まみれになり

波の音を怖がりながら、砂遊びするちびっこや

でも、ちょっぴり怖がりながらも海の水に足を浸してみたり

暑いけど遠くに行けない日は、近所の川で生き物探ししてみたり

身近な川に住む生き物を観察したり

夏休みのプレーパークでは自分の作りたいものを作る子、

巣箱作ってみる子がいたり、ただ、色をきれいに塗りたい子がいたり

トンボとりで大量のトンボを捕まえてくる子

庭で水鉄砲戦争したり

雨続きの後半は、家の中でいろんな遊び考えて遊んでたり

暑くてしょうがない日はセルフかき氷したり

揚げたてのジャガイモをおいしいおいしい言いながら食べたり

みんなで食べたパンケーキのおいしかったこと。

川遊びで天然のウォーター滑り台を楽しんだり

大きなトンボつかまえるのに夢中になったり

湖でしじみとりしたり

自転車でプチ旅行してみたり

家から3時間、自転車で湖畔のキャンプ場まで走り抜け

湖畔に映る月を眺めながら過ごした夜も。

たくさんたくさん遊んだ子供たち。

こんな子供時代に感じたことが、きっと、これからの子の子達の土台になっていくと信じています。

何のために生まれてきたのか?

今年も、デイキャンプとはいえ、川遊びとホタルキャンプができました。

じりじりと照り付ける太陽のもと、川の冷たさが足に心地よく、子どもたちは最終的には全身びしょぬれ。

ホタルの餌のカワニナに、ヤゴ、トビケラの幼虫、美しい瑠璃色の体のミヤマカワトンボ、小さな魚が泳いでいるのを見つけては、網ですくってみたり。生き物探しに夢中になっている間に、今度は逆にぶるぶる震えるぐらい寒くなり、川から上がると、再び太陽がじりじりと照り付け、冷えた体を温める。太陽の温かさがありがたい。

林の中でぴかぴか光るヒメボタルに感動し、満天の星空を眺め、天の川を見つめる。

流れ星だと思ったら、ふんわり飛んで行くホタル。

とても贅沢な時間。

生きてる実感。

そんなとき、ふと思います。

私たちは何のためにこの地球に生まれてきたのだろう?

この美しさを見ずに、この感動を味わわずにいるなんて、なんともったいないことだろう。

この地球に生まれてきたわけ

「何のために生まれてきたか?」と問われたなら、

きっとそれぞれ、いろいろな答えを持っていることと思います。

 

愛するために生まれてきた。

体験するために生まれてきた。

誰かの役に立つために生まれてきた。

成長するために生まれてきた。

幸せになるために生まれてきた。

ただ、存在するために生まれてきた。

正解はないのかもしれません。

それぞれの中に、きっと答えがある。

 

私はどうかと聞かれたとき、最近は、

「この地球のすべてを感じるために生まれてきたのかもしれない」

と思うようになっています。

 

こんなにも世界は美しい。

生き物たちの面白くもあり、神秘的なその生態。

驚きにあふれた地球の姿。

こんなに世界は面白い。

こんなにも地球はすごい。

こんなにも生き物たちの生きる戦略がすごい。

身の回りをよ~く見てみて。

私たちの周りには、実は見えていなかった驚きの世界が広がっている。

私は日々、そういうものに感動しています。

だから、子ども達にも、この感動を味わってほしいと考えています。

ネットで見るだけでは感じられない、

川の冷たさ、太陽の温かさ、木の葉をゆらす心地よい風、生き物たちの求愛のダンス、羽化する瞬間に立ち会った驚きと喜びと・・・

その瞬間瞬間の感動を。

セミが羽化する瞬間の透明なはかなさ。

この、淡い透けるようなグリーンも美しい。

川遊びで歩いた川の、山から合流してくる沢水の冷たいことと言ったら!

ダムでためた水に比べると、冷たくて、きりっとしています。

美しい川トンボたち

子どもたちは、思いもかけないものを捕まえたりします。

大きなオオルリヤンマの美しい青。

時には子どもが捕まえた野ウサギ

時には絶滅危惧種スナヤツメとか、

思いがけず川でモズクガニに出会ったことも。

 

いろんな生き物に出会うたびに感動を覚えます。

いつどこでどんな生き物に出会えるかわからないところがたまらなく楽しい。

 

こんなおもしろいこと、経験しないまま大人になっちゃうなんて、もったいない!

それが、私たちの原動力です。

地球を感じると・・・

こうやって、自然に触れ、そこに住む生き物たちに触れることで、私たち自身が、生き物たちと、彼らの住む世界とつながっているという感覚が、無意識にインプットされます。

私たちは自然から離れすぎていないでしょうか?

 

朝起きてから寝るまでの間、鳥の声を聴きましたか?

そよぐ風に揺れる梢の音を聞きましたか?

虫たちの羽音を聞いた?

身の回りに緑はある?

木陰は涼しくて気持ちいいでしょ?

あなたの周りで今、どんなお花が咲いてる?

お花にチョウやハチの姿を見つけた?

最近虹を見たのはいつ?

夜空を見上げてみた?

月を美しいと感じたのはいつ頃?

小さな命が生まれる瞬間を、見て!生まれたよ!!すごいね~!って、一緒に眺めたことはある?

私の住む青森は、自然豊かなので、比較的身近に自然を感じやすいのですが、それでも、ここにある自然は、面白くて美しくて、豊かなものであると認識していないと、ただの通り過ぎる風景としかとらえられず、「ここにはなにもない」と感じてしまう人も多いのです。

まずは、その豊かさを感じること。

感じないままに、本でいくら勉強したとしても、映像で、バーチャルで、自然や生き物の姿を見たとしても、リアルに見つけた、触れた、その感動は味わえないのです。

感じることなくして、自然と、地球とつながっているのだと感じるのは難しいと思っています。

赤ん坊は、まず、自分の手足を動かして、口に入れてみて、それが自分の一部であると知ります。

そして、見えるものすべてに触れ、口に入れ、確かめようとします。

感じることからしか、この世界を認識することができないのです。

それは、ヒトの脳の発達がそのようになっているからです。

 

自然での遊ばせ方が分からない

「子どもを自然で遊ばせたらいいというのはわかっているんだけど、どうやって遊ばせていいかわからないんです」と、よく言われます。

実は、自然で遊ばせる遊ばせ方なんて、ほんとはないんです。

私たちがやっているのは、子どもを自然の中に連れて行き、そこで、ただただ子供とそこにあるものを観察したり、面白がったりしてるだけなんです。

一緒に、川の音に耳を傾け、一緒に川の水に足を浸してみる。

一緒に、セミの鳴き声を聞く。

一緒に、トンボの姿を眺める。時につかまえてみて、じっくり観察してみる。

アリが、自分の体より大きな虫を運んでいく姿を眺める。

バッタを捕まえようとしたら、ものすごい跳躍力で飛んで逃げる。

つかまえた手の中のバッタがすごい勢いでピョンピョン跳ねる。

甘い蜜、甘くない蜜で、これは当たり、これははずれ、って言いながら花の蜜を吸ったり、

海辺で砂を掘ったら、砂の下は冷たくて気持ちよく、水がだんだんしみだしてくる。

砂を掘ってたらピョンピョン飛ぶ小さなハマトビムシを見つけたり。

海に入ったら、ざぶんとやってきた波が顔にかかって、しょっぱ~!!ってなったり、

そんな風に、この世界を、感じ、味わい、触れながら、この世界を探検していくことだと思うのです。

大人は、子どものそばにいて、

「ほら、こわくないよ。この世界はこんなに楽しいよ。」

「見て見て!ほら、こんな面白いんだよ!すごいね~!」

「よく見て見ると、すごくきれいだね!」

っていうように、率先して自然を楽しんで、子どもに伝えてほしいのです。

子どもが見つけた面白いものを一緒に喜び、ともに感動してほしいのです。

 

自然で遊ぶ力は、そうやって身についていくものだと思うのです。

子どもを自然で遊ばせようとするのではなく、

一緒に自然を楽しむのです。面白がるのです。一緒に感動するんです。

 

そうすることで、この地球とのつながりを体感するようになるのです。

私たちが、地球とのつながりを感じないまま、虫は嫌いだから自然は嫌いだと言い、

落ち葉が邪魔だからと木を切ってしまい、

草が伸びてきて邪魔だからと除草剤で枯らしてしまい、

木に虫がつくからと、殺虫剤をまいて虫たちを殺してしまう。

自然は人がコントロールするものだと思い込み、コントロール可能な自然に作り替えようとしてしまう。

そんな風に生き続けたら、7世代先まで地球は持たないのではないかと感じています。

7世代先まで考えたら、地球を感じることは必要不可欠だと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すべてのいのちが愛おしい


Warning: Array to string conversion in /home/sattyann/happychildrentowada.jp/public_html/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 701

Warning: Array to string conversion in /home/sattyann/happychildrentowada.jp/public_html/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 701

Warning: Array to string conversion in /home/sattyann/happychildrentowada.jp/public_html/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 701

私のFBの投稿は、日々、子どもたちのことや、我が家で飼っているカイコ、庭で見つけたアゲハの幼虫、庭にやってくる鳥から、自然の美しい景色、はたまた顕微鏡で見た微生物まで、いのちの躍動を感じ、感動したことを主に投稿しています。

なぜ、そんな生き物たちの投稿ばかりしているかというと、私は、日々、そういう生き物たちと共に暮らし、日々感動しているからなのです。

いのちの不思議さ、おもしろさ、神秘的な世界、美しさ・・・それらに触れるたびに、すべてのいのちが愛おしいと感じるのです。

神秘的ないのち

一滴の水の中に生きる無数のいのち。

顕微鏡でのぞかなければ見えない世界。

そんな小さな小さな世界にもちゃんといのちのドラマがある。

カマキリの赤ちゃんは、温かくなると一斉にこの世界に飛び出し

庭の山椒の木にやってきたカラスアゲハの幼虫は最初はこんなに小さいのに

脱皮を繰り返し大きくなって

さなぎを作るころにはエサから離れて、安全な場所を探して旅をします。

今年は、ナミアゲハの幼虫を背中にのっけて旅に出たカラスアゲハの幼虫。

あちこちで蛹になられても困るので、虫かごに入れて置いたら、ふたの裏でさなぎを作ることに決めたようです。

翌日にはしっかりさなぎの形に。

ナミアゲハの幼虫も似ているのですがちょっぴり違う。

最初は鳥の糞みたいな白と黒。

カラスアゲハより一回り小さくて、黒いVの字の二本線と、首のわっかが特徴。

ナミアゲハの幼虫も、昨日ここにさなぎを作ると決めたようです。

カイコの赤ちゃんは、ゴマ粒ほどの小さな小さな卵から生まれる小さな命。

それが、桑の葉を毎日たくさん食べて、脱皮を繰り返し、大きく育っていきます。

ひたすら桑の葉を食べ続けますが、カイコは、家畜として改良されてきただけあって、どんなにえさがなくなったとしても、箱から出てくることはありません。じっと、エサが放り込まれるのを待っているのです。

桑の葉集めが大変ですが、桑の葉さえ手に入れば、非常に飼いやすい生き物だと思います。

そうやって一か月半ほどかけて育ったカイコは、丸々と太り、体が黄色くなってきたら、いよいよ糸を吐き始めます。

糸を吐き始めると、一日いっぱい何も食べずに、ひたすら糸を吐き続け、きれいなまゆを作ります。その糸を吐き続ける姿はけなげで、いとしいのです。

卵をとるためにいくつか繭は残し、残りは糸をとるために冷凍してしまいます。

10日~2週間ほどで、カイコの成虫が繭から出てきました!

モスラのようでかわいい♡

白くてかわいいこの子は、羽はあるけど、体が重くて飛べません。

卵を産んだら数日で死んでしまいます。

冷凍した繭は、時間のある時に煮ながら糸を繰り出します。

繭から繰り出して巻き取った絹糸は、とても美しいのです。

そうやって繰り出した糸を、数本まとめてよりをかけながら使える糸にしていきます

よりをかけた絹糸。この量でだいたい繭70~80個分ぐらい。

糸ができてきたら、草木染。上から薄いあかね、紫根、よもぎ、桑の葉。

結構手間がかかるので、、ちょっとづつ、ちょっとづつ

糸を作りためています。

でも、ああやって糸を吐き出し続けたカイコちゃんのいのちをいただいて紡いでいると思えば、絹糸も愛おしく感じます。

そして、今年庭に巣を作り、ヒナが巣立ったモズ。

親鳥がヒナに一生懸命エサを運んでいました。

その一方で、スズメがおうちに巣を作っています。

親スズメがやってくると、ヒナが激しく鳴きます。

お父さんスズメとお母さんスズメが、かわるがわるエサをくわえてやってきます。

今年は、なんと上からヒナが落ちてきてしまい、一羽死んでしまいました。

見つけた息子が、土に返してあげました。

ただ落下しただけなのか、近くでカッコウが鳴いていたから、カッコウの托卵があったのか?巣の中の様子はわからないので、なぜヒナが落ちてきてしまったのかはわかりません。

この前は、モズがスズメのヒナを狙いにやって来たのか、コナラの木にとまると、親スズメが、「危ないぞ!モズが来たぞ!」と、警戒していました。巣の上と、コナラの木を挟んだ向こうの桑の木の上から、お父さんスズメとお母さんスズメが、残ったヒナを守ろうと必死に鳴いていました。

そんな鳥たちの巣の下では、暖かくなってきたら、メダカが次々卵を産んで、

産んだ卵を観察してたら、ちゃんと目玉ができていて、

次々メダカが生まれていくのです。小さな小さな子メダカのかわいいこと。

彼らは、水の中の微生物を食べています。

こうして、繰り返し繰り返し、生まれては次の世代に受け継がれていくいのちの営みを見ていると、神秘的で、面白くて、感動してしまいます。

ちゃんと毎年、日長や気温を感じながら、生まれるべき時に生まれ、暖かくなるととともに、一斉に命が輝きだす初夏のこの季節。

めぐるいのち。

素晴らしい季節です。

すべてのいのちが愛おしい

そして、小さな生き物たちだけではありません。

子ども達も、いきいきといのちを輝かせるのです。

湖の中の生き物探しに夢中になる子ども達。

救った網の中にはエビの赤ちゃんがいっぱい!!

ちょっとぐらい寒くたって、濡れたって、へっちゃらです。

暑い日の川遊びでは、魚を探したり、泳いだり、水を掛け合ったり、とにかく楽しそうです。

きれいな川辺にはきれいな川に住む美しいトンボが。

森では春から初夏にかけてエゾハルゼミが鳴きだし、

ぴょこんと出てくるかわいいカエル。

ちびっこちゃんたちとお散歩すれば、クルミやカタツムリ、いろんなものを見つけます。

カエルちゃんに興味津々。

そして、いきものばかりではありません。

植物も、それはそれは見事に、毎年実をならせてくれるのです。

庭のワイルドストロベリーも

庭のサクランボも

毎年毎年豊かな実りをもたらしてくれます。

子どもたちは木に登り、屋根に上り、サクランボ採りを楽しみました。

小さな小さな命から、鳥や、子供まで。

そして、毎年花を咲かせ、身をならせてくれる植物たちも。

ほんとうに、すべてのいのちが愛おしい。

この感動を子どもたちに

そして、思うのです。

これらのいのちの輝く喜びを、感動を、子ども達にたくさんたくさん味わってほしいと。

インターネットで調べたら、いろんな情報は得られるし、ちいさないのちが生まれる瞬間だって動画でみられます。

でも、本当に目の前でそのいのちに触れ、いのちを感じてほしいのです。

そこには、バーチャルでは味わえない驚きや、感動があるのです。
そして、その喜びは、誰かと共有することで、何倍にもなるのです。

 

夏の冒険キャンプ! 川遊び&ホタルキャンプ募集

今年も川あそびの季節がやってきました!
日中は川遊び。
夜はふわ~りふわ~りとぶ蛍を、眺めながらの暗闇探検。
着替えもたくさん持って、思いっきり川遊びしましょう!

冒険キャンプ詳細

【日時】
2021年7月10日13:00~11日15:00
【場所】
東北町(お申込みされた方に場所はお知らせします)
【対象】
6歳以上
(例年は子供だけの参加も受け付けておりましたが、夜は各家庭でテントや車中泊などをお願いします)
【料金】
一人5000円
【募集定員】
子ども5~6名程度になった時点で受付を締め切ります。
(すでにお申込みいただいており、あと1~2家族程度で締め切ります)
【持ち物】
川遊び用に濡れてもいい靴、またはかかとのついたサンダル(かかとのついてないビーチサンダルなどは不可。大人も同様)、
テント、テントマット、寝袋、食器、はし、水着(または多めの着替え)、長袖長ズボン、靴下(夜の虫刺され防止に)、バスタオル、フェイスタオル、歯ブラシ、虫よけ、虫刺されの薬、飲み水、懐中電灯、あればキャンプ用の折りたたみ椅子。
虫網虫かご、日焼け止め、帽子は各自必要と思われる方。
※キャンプ場は水は出ますが飲用不可なので、各自飲み水をご用意ください。
※テント、テントマットがない方は、2セット貸し出しできますのでご相談ください。(※残り1セット)
【その他】
お申し込み時に、参加者のお名前、生年月日、住所、電話番号、アレルギーの有無、何か注意すべき点があればお知らせください。

過去の夏の冒険キャンプの様子

川の生き物探ししたり

カワニナや川の生き物たちを観察したり

桑の実食べたり

川の奥に探検に行ったり

水切りしたり

魚を捕まえようとしたり

夜になったら川辺でホタルを鑑賞し

夜の虫に出会うことも

やたらとたくさんクワガタに出会えた年もあった。

木登りしたり

スイカ割したり

こんな大きなカニに出会えた年もあった。

石でダムを作ったり

ちょっと流れのある所では、みんなで助け合いながら

カエルを焼いて食べた子もいた

泳ぐ子もいた

自分で釣り竿作って魚を釣ろうとする子もいた
野うさぎ捕まえた子もいた
雨に降られながらも、サッカーして遊んだりもした。
何が起こるか、
どんな生き物たちに出会えるか、
それは、行ってみなければわかりません。
その年によって、出会うものが違うからです。
さあ、今年は何に出会えるでしょう?

2021春の冒険キャンプの様子

子どもの日に行った春の冒険キャンプ。

火おこしに挑戦する子、火が消えないように木をくべ、火の番を進んでやってくれる子、とって来た粘土で素焼きに挑戦する子、目玉焼き作る子、秘密基地を作る子、それぞれ、やりたいことをやりたいように過ごした二日間。

休みだからと子どもをあちこち連れて行ったのに、日記に書いたのは「友達と遊んで楽しかったです」みたいなことってありませんか?

あんなにいろんなことやったのに、それ?って。

それって、よくあることなのですが、子どもの楽しかった記憶の中に一番残るのは、実は、自分がやりたくてやったことだったりします。

 

2021春の冒険キャンプの振り返り

キャンプ場について、みんなが集まるまでの間、せっせと枝を集めてくれた子。

ちょっとその辺を散策して、タラの芽を探していたら、右手にブナ林、左手に杉林。

ブナ林の新緑が美しくて、ウグイスの鳴き声が聞こえてきます。

鳥笛でウグイスの鳴きまねをしてみました。

笹を見つけて、笹船をひたすら作ってみたり。

森の探検では水の生き物探し。

今年はヤツメウナギの影は見つけたけれど、つかまえることはできませんでした。

カエルの卵はいつものところにありました。

フキの葉っぱのコップで、オタマジャクシもすくってみました。

タケノコとおもったら、マムシグサ!毒草です。

マムシグサの根っこは、なんだかお団子みたい!

毒草と言えば、ここはトリカブトもいっぱい・・・

この辺りには、山菜のニリンソウと、トリカブトが並んで生えています。

手前の小さいのがニリンソウ。奥のちょっと大きいのがトリカブト。

これぐらい大きくなったら、ニリンソウには花が咲いてるし、見分けがつくけど、もっと小さいときは、葉っぱが似ていて間違えそうです。

コゴミ、タケノコ、リュウキンカ、ふき・・・大人たちは山菜採りに夢中です。

帰りは崖のところで粘土をとって帰ります。

今年は粘土で何か作りたいらしい。

とって来た粘土は、つぶして、練って、なめらかになるまでこねます。

粘土チームはひたすらこねこね

粘土を焼くために火おこしもします。

ある程度火が安定してきたら、灰の中で焼いてみます。

素焼きに挑戦!

器にしようと思ったけど、ちょっと水が多すぎてゆるくて広がってしまい、お皿っぽい形になったけど、初めての素焼きは、成功と言えるかな。

焚火の合間に、森で木登りしたり

スラックラインや

ロープブランコ

ハンモックで遊んだり

調理用の大事な焚火の火の番をしてくれる子がいたり

薪にする木を切ってくれたり

火の番しながら、大きな木でシーソー遊びがはじまったり

とって来た山菜は

大人の皆さんが天ぷらにしたり

コゴミのごまあえや、つくしのお浸しにしたり

ヨモギをゆでてすりつぶして、ヨモギ団子にしたり。

みんなで焼いたタケノコを皮向いてマヨネーズ付けてたべたり

森からクロモジ摘んできて、クロモジ茶飲んだり

食べ物作ってる間にテントを張るのを手伝ってくれたり

秘密基地作ったり

秘密基地の中にテーブルと椅子を運び込んで、お茶タイムしたり

夜は夜で焚火を囲み

おき火が美しい

みんなで焚火で煮込んだ料理をいただいて、ご飯の後は寝っ転がって満天の星空を眺め、流れ星や衛星を見て、暗闇探検で真っ暗闇の森を歩きました。

日中は半そででもいいぐらい暖かかったのに、日が落ちると途端に涼しくなってきて、夜になったら冬の防寒着が必要なぐらい冷え込みます。

朝は、朝露で靴を濡らしながら、朝日を眺め、お日様が高くなってくるとともに、朝露は乾き、暖かくなってきます。

朝一で焚き付けの杉の葉っぱをとりに行き、さっそく火をつけます。

それ、一度に燃やしすぎ!

朝ごはんの後は再び探検に。

つるのブランコ!
でも、二人で乗ったら、お尻ついちゃいそう。

大人はもう、完全に山菜採りモードです。

タラの芽は残念ながらみんなとられていてなくて、ハリギリをゲット。

リュウキンカも食べられる

TRIPART_0001_BURST20210504151445299_COVER.JPG

大人が山菜採りに夢中になっている間、何やら男子は戦っています。

ちょっと川に降りて歩いてみたい

ちょっとここ上がるの手かして!

ちっちゃいカエル見つけた

バイバイ、カエル君

この橋、はじっこと真ん中やばいよ!お父さん、大丈夫?

のどかな風景

水車小屋発見!

よし、あともうちょっと。

道路に出た~!!
最後は、じゃんけんグリコで遊びながら帰るよ。

お昼は、パンにはさむ目玉焼きを、子ども達に作ってもらいました。

目玉焼き、作りたい!という子にお任せです。

そうやって作ったご飯はおいしいおいしい♡

空いてる時間にはスケボーや野球やサッカー、バレーボールと、とにかくやりたいことをやって過ごした子ども達。

 

今回は長くなったので、冒険キャンプの振り返りだけ。

次回は、リアルな体験が子どもにもたらすものを、もう少しお話ししたいなと思います。

 

 

2021年春の森冒険キャンプ募集【募集終了しました!】

春の森は、芽吹きのエネルギーに満ちています。そんな春の森で、自分たちで山菜を採り、火おこしに挑戦したり、たき火をし、採った山菜を味わったり。

森の探検コースでは、オタマジャクシやカエルの卵を観察したり、生き物探ししたり。
小川で笹船流したり、崖を登ってみたり。

森の中では、秘密基地作ったり、木登りしたり。
夜は満天の星空を眺め、暗闇探検したり。

春の森の恵みを味わい、体全体で感じ、喜び、バーチャルな世界では体験できないリアルな体験を、子ども達に体験させてみませんか?

冒険キャンプの詳細

【日時】

2021年 5/4(火)12:00~

5/5(水)15:00解散

【場所】 東北町

※場所の詳細につきましては、お申し込みいただいた方に後ほどお知らせいたします。

【定員】子どもの人数が6名程度な達した時点で締め切らせていただきます。

【参加費】

①1泊2日(晩御飯、5日朝食、昼食)/

小学生以上5000円、幼児無料

 

②4日のみDayキャンプ(晩御飯付き)

③5日のみDayキャンプ(昼食付)

※②、③小学生以上3000円、幼児無料

 

 

【注意事項】

小学生のみの参加もOK。その場合は基本的に現地までの送迎をお願いいたします。

小学生以下のお子様に関しては、保護者の付き添いが必要です。また、プログラムによっては、参加できないものもございますので、ご了承ください。その場合は、キャンプ場の広場にて、親御さんとのんびり遊んで待っていただくことになります。

森の探検はやぶの中を歩くこともあります。幼児さんの場合は、基本的に一人である程度歩けるお子さん、小さなお子さんを連れて一緒に探検に行きたい場合はおんぶや背負子など、親御さんが背負って歩ける場合には一緒に同行できます。

※参加される方は、①1泊2日か、②4日Dayキャンプ、③5日DAYキャンプかをお知らせください。また、同時に、保険をかけるため、参加者のお名前、住所、電話番号と、テントの有無、アレルギーの有無(食べられないもの)をお知らせください。

ご家族で泊まりたいけどテントがない場合は一張りのみ貸し出しできますのでご相談ください。

小学生のみの参加の場合は、テントは必要ありません。寝袋を持たせてください。

キャンプする場合は、朝晩の冷え込みが予想されるので、しっかり防寒対策をしてきてください。朝は朝露で靴が濡れますので、長靴があるといいです。

キャンプ場は、水が出ません。また、トイレもありますが、決してきれいなトイレではありません。飲み水は各自持参してください。

持ち物

長靴、長袖、長ズボン、着替え(2~3セット以上必要です。子どもたちはかなり汚します。濡らす場合もあります。着替えは多めにお願いします)、防寒着(朝晩はとても冷えます。冬用の防寒があるといいです)、軍手、飲み水、はし、食器、コップ、歯ブラシ、タオル

大人でアルコール飲みたい方は各自持参。おやつは各自持ち込み自由。

※家族でキャンプする場合は、キャンプ用品一式(テント、テントマット、寝袋、懐中電灯等)。子どもだけの参加の場合は、寝袋だけでOK。

 

これまでのキャンプの様子

春の森キャンプでは、まずは森に親しむところからスタートします。

ハンモックや

ロープの綱渡り

ターザンロープなど、

子ども達が自由に遊べるように、ロープをかけていきます。

そのうち、木登りし始める子もいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

森になじんできたところで、森の探検に出発します。

途中、いい香りのする葉っぱを見つけてはにおいをかいだり、山菜見つけては採ったりしながら森を歩いていきます。

運がよければ、リスやヤマネに会えるかも!

 

 

 

 

 

下の水場に行くと、水たまりにはオタマジャクシの卵!

小川で笹船流して遊んだり

石をめくればヤゴや、水生昆虫に出会えるかもしれません。

春のカラマツは柔らかく、カラマツのブレスレット作りながら歩いたり。

森の探検では、歩きながら、山菜を収穫していきます。

途中、粘土がとれる崖で、粘土を取ってみるときもあります。下は、危なくないところなのですが、落ちたら泥だらけになるスリルがあります。

探検コースから戻ったら、再び森遊びする子ども達。

秘密基地作ったり

弓矢作ったり

弓矢ができたら試し打ち。

焚き火を焚くためにの火おこしチーム。

薪を集めたり、燃やしやすい長さに切ったり。

焚き火ができたらマシュマロ焼いておやつタイム。

テントもみんなで協力してたてます。

晩御飯したくをして

収穫した山菜は、天ぷらやお浸しに。

出来たてのてんぷらをつまむのも楽しみです。

晩御飯のおかずの一品です。

火の番も、大事な仕事。薪がなくなったら枝を取ってきて、火にくべます。

暗くなったら、暗闇探検に出かけ、満天の星空を眺め、暗闇の森がもつ怖さやドキドキ感を味わいます。

そうして、夜も更け、子ども達は夢の中へ。

そして迎える朝。

クロモジのお茶もさわやかな香りです。

森の朝は、鳥の声と、朝の凛とした空気に包まれて、特別な時間です。

子ども達にリアルな体験を!

今は、バーチャルの中でいろんなことが仮想体験できます。でも、分かっているつもりと、実際はまるで違います。
リアルな体験では、野原を駆け回り、森で遊び、森の木々のざわめきを聞き、森の香りをかぎ、森の生き物に触れ、心が躍動します。ワクワク楽しくて、時間がたつのを忘れるほど遊びこみます。

自分たちで焚き木を集め、燃やしやすい長さに木を伐り、自分達で火おこしして、焚き火をつけ、森の恵みである山菜をとって、自分たちで調理して食べる。そんな、自然の中でもたくましく生き抜く力を子ども達に経験させておきたい。そんな想いもあります。

ここは水の出ないキャンプ場なので、持ってきた分の水しか使えません。

だから、水を無駄にじゃぶじゃぶ使うようなことはしません。

水を無駄にせず、環境を汚さないような食器の拭き方、洗い方もあります。

箸がなければ、枝を削って、自分で箸を作ることもできます。

そんな、ちょっとした知恵やは、体験して身につくものです。

トラブルがあっても、あるもので代用したり、とにかく、今そこにあるもので何とかしなければならない。そんなことが起こることはしょっちゅうです。

そういう臨機応変に対応できる力は、リアルな経験からしかはぐくまれません。

リアルな体験が不足してきている今、思いっきり遊びこむことができない状況に置かれた子供たちもたくさんいます。
こんな時だからこそ、自然の中で、たっぷり子どもが遊びこめる時間を作りたいと思っています。

 

お問い合わせ、お申込み、スタッフ募集

お問い合わせ、お申し込みは、ブログ上記にあるお問い合わせフォーム、またはFBのメッセージにてお願いいたします。

①1泊2日か、②4日Dayキャンプ、③5日DAYキャンプかをお知らせください。また、同時に、保険をかけるため、参加者のお名前、住所、電話番号と、テントの有無、アレルギーの有無(食べられないもの)をお知らせください。

 

子どもの人数が6名程度になったら締め切らせていただきます。

また、当日、ボランティアでお手伝いいただけるスタッフも募集しています。お手伝いいただける方は、参加費無料でお食事提供いたします。

子どもが好きな方、子どもの自然体験に興味がある方、自然での子どもの遊び、自然の中にあるリスクなどを学びたい方は、ぜひお声がけください。

子どもたちは、エネルギーを発散していますか?


Warning: Array to string conversion in /home/sattyann/happychildrentowada.jp/public_html/wp-content/plugins/ultimate-google-analytics/ultimate_ga.php on line 701

週末も、たくさん子供たちがやってきては、家の中だけでは納まらず、外で鬼ごっこしたりボール遊びしたり、卓球やったり、ボールの奪い合いしたり、所狭しと走り回る子供たちの姿があります。

そんな子供たちの姿を見るたびに思うのは、子どもは、エネルギーに満ち溢れているということ。

家の中でただゲームして過ごしたり、習い事で長い時間座りっぱなしだったり、じっとして一日を過ごしてしまっていたら、これほどのエネルギーはどこへ行くのでしょう。

あの、あふれんばかりののエネルギーはどこへ発散されるんだろうか?と思うのです。

幸せを感じるのはどんな時?

「幸せを感じるのはどんな時?」

こんな質問を息子にしてみました。

・食べられるとき

・遊んでいるとき

・好きなことをしているとき

・自由に動けるとき

これだけあれば十分幸せだと。

 

嬉々として走り、飛びはね、動き続ける子どもたち。

いのちの躍動そのものであるように。

それが子ども。

 

食べることと遊ぶことは子どもにとっては同じことなのです。

食べることは、生きるために必要なこと。

それと同じくらい、遊ぶこと、自由に動くこと、やりたいことをやることが子どもにとって必要なことだということなのです。

そういう意味で、子どもに「遊んでないでじっとしてなさい」というのは、どういうことか、想像がつくでしょうか?

孤独感の強い日本の子供

今日、E-project先生のいない勉強会で、「孤独」をテーマに調べました。

その時調べた資料の中に、日本の子供の孤独感が強いというデータがでてきました。

ちょっと古いですが2007年ユニセフの調べによるこの表。

日本が先進国の中でも突出していることに驚きます。

この孤独感と、幸福度の低さは関係あるのではないかと思うのです。

この、孤独感。なぜなんだろうか?と思うとき、一つには、日本の子供が家族と過ごす時間が少なくなっているということがあるように思います。

子どもの孤食も問題になる時代です。

家族一緒に食卓を囲む機会が減ってきているとも言えそうです。

食べる事が幸せだと息子は言ったけれど、息子にとっては家族と食べることが当たり前で、一人で食べることはほとんどありません。

毎日のように友達と自由に遊び、腹ペコになっては、家族と暖かい食卓で食べる事ができる息子は、食べて遊べる、ただそれだけで幸せを感じられるのだろうなと思うのです。

もし、一週間のうち、多くの時間を一人で食べていたなら、彼の感じる幸せはもっと低いのではないかと思っています。

以前、「弁当の日」の竹下さんのお話を聞いたときに、二組の一人親家庭のお話をされていました。

A君は、一人親家庭で育ち、お母さんは毎日仕事で遅いので、一緒にご飯を食べることはほとんどなく、お母さんが出掛けるときには、晩御飯これで食べるようにと、五百円玉が一枚テーブルにおいてある。A君はコンビニでご飯を買い、一人で食べる毎日。

B子さんも、同じように一人親家庭で育ち、同じようにお母さんは忙しいのだけれど、遅くなっても子供と一緒にご飯を食べたいと思ってくれている。忙しくてごはん作ってる暇はなく、お総菜を買ってきて、チンして温め、お皿に盛り付け、遅い晩御飯を一緒に食べる毎日。

A君は後に事件をおこし少年院へ。

そこで彼が語ったのは、「おれ、何のために食べてるのかわからない。ただおなかがすくから食べてただけ。飯なんて、何食っても一緒」と。

B子さんは後に、自分で簡単なごはんは作れるようになり、「お母さん、私のためにいつも大変だから、私が晩ごはん作るね」と作ってくれるようになる。

そんな二人のエピソードがありました。

お腹を満たすためだけに食べるんじゃない。誰かと、何気ない話をしながら暖かいご飯を食べる。お腹と一緒に、心も満たすために食べているんだと、その話を聞いて思いました。

そして、孤独感のもうひとつの原因は、「遊ぶ友達がいない」です。

遊びたくても塾や習い事が一杯で、遊べない。自分だけ暇でも、友達は忙しい。だからゲームでもて余した時間を消耗するしかない。

友達と遊ぶことができないというのは、つながりを保てない。一緒に笑いあうことができない。バカ言って笑ったり、くだらないことが話せたり、嫌なことを話したりすることができない。

子どもは、優しくて、親に迷惑をかけちゃいけないと、聞き分けよく親のいうことを聞いて、親には文句も言わず、塾や習い事に通いつづける。自由に遊んでる子を横目に、「いいな~。お前は遊べて・・・」と。

大人の忙しさによって、子供のそんな時間が奪われてしまっている。

孤独を感じさせているのは、私たち大人の忙しさなのではないかと思っています。

はじける子どものエネルギー

食べることと同じぐらい、遊ぶことが子どもたちにとって必要だと言いました。

遊ぶと言っても、子どものいう遊びとは、大人が考えた遊び、大人が用意した遊びではなく、やりたいことがやれる。自由な遊びの事を言います。

子どもの内側から沸き起こる遊びです。

内側から沸き起こる、これやりたい!っていう思いが、エネルギーの源です。

だから、子どもを野に放ち、自由に遊ぶことを許すとき、子どものエネルギーは底なしのように沸き続けます。

自由であるというのがポイントです。

子どものエネルギーの源は、食べること(誰かと食べるごはん)と遊ぶこと。

この二つのエネルギー源枯らしてはいけないと思っています。

このどちらか、又は一方が枯れるだけで、子どもの幸福度はグッと下がり、無気力になり、自分なんてどうでもいいとなげやりになるのではないかと思っています。

そして、沸いてきたエネルギーは、流す(発散させる)必要があるのです。

だから子どもは走るのです。

だから子どもは跳び跳ねるんです。

だから子どもは歌うんです。

だから子どもはじっとしてないんです。

どうか、できるだけ彼らの動きたい衝動を止めないでもらいたい。彼らが自由に動くこと、遊ぶことを、許して欲しい。彼らのエネルギーを枯らさないで欲しい。

切なる願いです。