タオの子育て


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「タオの子育て」という素敵な本に出合いました。

「タオ」とは、「道」とか、「生き方」と訳することができるでしょう。

この本のもとになった中国の古典「道徳経」は、諸説あるようですが、老子によって書かれたものであるといわれています。

子供を育てるすべての人に伝えたい、心に残った古くて新しいメッセージを、私の思いも添えつつ、いくつか紹介していきます

 

失敗の恐れ

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子供に、成功へのはしごを上らせたいなら、気を付けなければならない。

はしごは上に登ることもできるが、下りることもできるのだ。

子供をむやみに守れば、

彼らは失敗を恐れ、

苦しみを避けるようになる。

失敗と苦しみは、重要な学びのための双子の教師なのだ。

子供がこの二つを十分に経験することがなければ、

「恐れることは何もない」ということをどうして知るだろう?

彼らは成功からではなく、失敗から学ぶ。

彼らは挑戦し、失敗することを、完全に許されていなければならない。

そして、「それでも大丈夫」ということを知る。

あなたの子供は、最近どんな失敗をしただろう?

彼らはどんな反応をした?

あなたは何を感じた?

あなた達親子はこの出来事から何を学ぶだろう?

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転ばぬ先の杖は必要ないのではないかと思います。

親は、つい、子どもに失敗させてくなくって、転ばないように、危なくないように、汚さないように、うまくいくように手助けしてしまいます。

プレーパークでも、時々見られるのですが、子どもが何かいいもの作ろうと、頭の中でいろいろ思い浮かべながら、ワクワクしながら物づくりをしているそばで、

「これくっつけたら?」「こっちのほうがいいんじゃない?」

「それじゃぁうまくいかないよ。ほら、貸して!」って、トンカチを子供の手から奪い取ってしまう親御さん。

そのとたん、子供のやる気スイッチがしぼんでいったり、「そうじゃない!」って怒り出す子もいます。

うまくいかなくたっていいんです。自分でうまくいかないと思ったら、子供の方からちゃんと助けを求めてきます。そのときは、どうやったらうまくできそうか、アイディアをいくつか出してあげるだけで、子どもは再び考え始めます。

仕上がりが、大人の目で見て美しくなくたっていいんです。自分が作りたいと思ったものを自分の手で満足がいくまで作ること。それが、想像力を膨らませることで、創意工夫することで、得られるのは、自分にできたという満足感。

良かれと思って差し伸べたその手が、失敗するチャンスを奪っていないだろうか?

失敗から学ぶ経験を奪っていないだろうか?

転んだら、また起き上がればいい。

転んだからこそ見える世界がある。

転んだからこそ分かることもある。

失敗したから、次はどうしようかと思いめぐらせ、うまくいく方法を探す。

道は一つじゃないことを知る。

一つの結果にたどり着くには、いろんな道があることを知る。

まっすぐたどり着けることだけが正解じゃない。

回り道したからこそ気づくこともある。

失敗してもいい。そこから学びなさい。

そう言える親でありたい。

子供は敵ではない

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あなたの子供はあなたの敵ではない。

恐れる必要はない。

意見の違いはあっても、勝ち負けの戦いはいらない。

あなたが表面的な戦いにとらわれるなら、

全体的な視点は失われる。

傷つくような、とげのある言葉が飛び交い、

家族のだれもが苦しみ、心に傷もなかなか治らない。

勝ち負けは、家族にとって必要のない言葉だ。

自分の「権威」のために戦う必要などない。

「権威」とは、あなたが自分自身の内側に持っている何かだ。

子供がそれをわからなければ、

悲しみが生まれる。

だが、それを無理に教えることはできない。

このことを心にとどめておけば、

あなたの多くの争いはなくなるだろう。

難しいときは続くだろうが、

「大量破壊兵器」はもう必要ない。

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時として、大人は子どもと闘ってしまいます。

負けてなるものかと言い負かし、ごめんなさいと向こうが折れるまで、とげのある言葉を放ち続けます。

自分の言うとおりに従えようとしてしまいます。

子供も一人の人です。親の所有物ではありません。

子供には子供の考えがあり、大人には大人の都合があります。

私の父はとても厳格な父でした。理論整然と口で言い負かされて、言い返せない悔しさを怒りの態度で表したものです。ドアをバン!って強く閉めて部屋を出て、さらに父の怒りをかったものです。

子供は、親に口ではかないません。どんなに不服があっても、言い負かされてしまいます。でも、子供の中には多くの言葉がしまい込まれています。

でも、ほんとは、勝ち負けは必要ないんだ。

子供は敵じゃない。

この言葉を目にしたとき、なんだか肩の力が抜けた気がしました。

 

完全

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子どもに完全を望むなら、

あなたは絶えず失望し、彼らも絶えず欲求不満になる。

子どもが全ての瞬間、完全であることがわかるなら

あなたも子供も安らいでいられる。

一歩下がってみてみれば、声明はそれ自体で、

もともと完全だということがわかるだろう。

子どもの行いは、あなたを喜ばせないかもしれない。

時には破壊的かもしれない。

しかし、それが「あるがまま」だ。

その「あるがまま」を理解し、

あなたや子どものために使えるかどうかは、あなた次第だ。

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他の子と比べて、うちの子はあんなこともできない、こんなこともできないと、足りないことばかりに目を向けると、もっと満たさなければとあれもこれも詰め込んでしまうことがある。

できないことばかりに目が行くと、まだできないの?なんでできないの?と責められたり。

日本人は、褒められると謙遜する気質があります。

「おたくのお子さん、優しいよね~」なんて褒められても、「そんなことないよ。うちじゃあ言うこと聞かないし、妹いじめるし、散らかしっぱなしだし・・・」と、ダメなこと自慢を始めてしまいます。それも、子供のいる前で。

子どもはありのままで完全だ。そう思えたなら、子どもを褒められた時、「そうなのよ。うちの子、小さい子には優しくてね~。おばあちゃんと一緒に住んでるからかもね。おばあちゃんにも優しくしてるから。」なんて、子どもの前ならなおさら、もっと自分の子を褒めていいと思います。

親ばかでいいんです。謙遜は必要ありません。

 

孤独と親しむ

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人生の営みと様々な感情の扱いを学ぶには、

孤独が必要だ。

あまりにも多くの欲求で、

子どもの心の平和を奪わないように。

静けさとのバランスをとることなく、

刺激し続ければ、混乱が生じる。

早くから孤独と親しむ子供は、

全てと一つになり、あらゆるものを授かる。

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足りないことに目を向けるあまり、他の子と比べて勉強ができないとか、運動音痴だとか気にしてしまうと、友達や、遊びから多くのことを学ぶ大切な時期に、習い事でいっぱいになってしまいます。

幼いうちから英語にピアノにスイミング。月火水木金土日。毎日何かの習い事。それ自体は悪くないのだけれど、ちゃんと遊ぶ時間はあるのかな?

子どもが一人で空想を膨らませ、物思いにふける時間はあるのかな?

子どもには静けさが必要です。

自分の内面と向きあう時間が必要です。

それは、一人本を読みふけることであったり、工作することであったり、絵を描くことであったり、自己表現のための時間です。

娘は、小学校時代ミニバスケットをしていました。部活は忙しく、練習は週6日。週に一度の休みでさえも、試合で休みがつぶれてしまうこともしばしば。お盆や正月まで試合が入ってくることも、普通でした。

体を動かすことが大好きで、エネルギーを持て余していたころ。バスケは大好きだったので、休みたくない。でも、友達とも遊びたいし、本も読みたい。自由な時間がほしいとよく話していました。そんなときの娘は、イライラと、いつもケンカ腰でした。

怪我をして部活を休めたときは、絵をかいたり、お話を書いたり、本を読んだり、一人で没頭できる活動を好みました。そんなときの娘は、とてもにこやかで、コロコロよく笑い、落ち着いていました。

子どもの活動の中に、動と静が必要なんだと思います。

有り余るエネルギーを発散する時間と、自己の内面に向かう静かな時間。そのどちらも、子どもには必要です。

柔軟になり困難を乗り越える

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苦しみや悲しみに直面した親は、水のようにならなければならない。

辛い出来事があったとしても、それを受け入れ、心で優しく包み込む。

市や喪失は、落ち着いて、静かにしていれば乗り越えられるだろう。

誰もが皆、人生の苦しみや悲しみから子どもを守りたいと思っているが、

それはできない。

だが、こういった出来事に直面したとき、私たちがどうふるまうかを見て、

子ども達は、心の平和をどう保つかを学ぶ。

水を思い出そう。

どんな固いものも、水を止めることはできない。

あなたはどんな困難に直面するだろう?

それを見た子供は、

あなたから何を学ぶだろうか?

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私も、困難に直面したとき、

子どもに示せるような態度をとることができるかどうか自信はない。

理想的な態度をいつでもとることができるわけではない。

私も人だから、

落ち込むこともあれば、怒りが沸き上がるときもある。

でも、親として、迷いながらも、子どもをよりよく育てたいと思うなら、

こういうことを心の片隅に置いておきたい。

完璧じゃなくてもいい。

それでも、自分の気持ちに正直に、ごまかすことない姿を子どもたちに見せていきたい。

子どもを育てているすべての人へ

「タオの子育て」、ぜひ子育てするすべての人に手に取ってほしい。

 

そして、こちらも、子どもを育てるすべての人に読んでほしい。

「悪たれ達の物語」。

子育てしていくうえで、大切な事。子どもに向けてほしいまなざし。

そんなことを、本にしたいと思っています。

本の出版に向けてクラウドファンディングもまだまだ挑戦中です。

現在、クラウドファンディングページ上で21万3000円のご支援と、現金手渡しで2万2000円、合計23万5000円のご支援をいただいています。

応援くださった方、本当にありがとうございます!

引き続き応援、シェア拡散、よろしくお願いいたします。

 

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子育てが大変だと感じるのは


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子育てする中で、大変だと思うのは、どんなときですか?

・夜泣きが激しくて、まとまった睡眠時間が取れないのがつらい

・日中は母子二人きりで、社会から切り離されたように感じてつらい

・夫が協力してくれない

・一人になれる時間がない

少し大きくなったら大きくなったで、

・何でもイヤイヤの反抗期でイライラスしてしまう

・常に部屋が散らかっている

・時間がなくて忙しいのに言うことを聞いてくれない

いろんな大変があると思います。

でも、この、「大変、つらい」と感じてしまうのは、なぜでしょうか?

自分の思い通りにできない時間

待ちに待った赤ちゃんを迎えて、幸せいっぱいのはずが、夜中な2,3時間おきの授乳や夜泣きに、まとまった睡眠時間が取れずに、だんだん疲れたり、イライラしたり、精神的に不安定になって訳もなく涙が出たり、なんだか、思っていたのと違うぞ、と、誰もがはじめに感じることです。

日中は子供と二人。たっぷり時間があるように見えて、一日はあっという間。

やってることといえば、赤ちゃんのおしめ変えて、おっぱいあげてるだけのように感じる。

ご飯支度もするけど、ゆっくり座ってご飯を食べることもできなくて、かきこむように口に入れて食べる癖がついてしまい、早食いに。

部屋の片づけしようと思うけど、なかなか片付けられないし、洗い物も後回しにしてたまっていっちゃう。

旦那さんは、仕事で朝から晩までいないし、仕事で疲れてきてるだろうから、泣いてる赤ちゃんをあやしながら、頑張ってご飯作って、一緒に食べようと思うけど、赤ちゃん泣いたら席を立っておしめ変えてあげたり、おっぱいやったり。それから冷たくなったご飯を食べたり。

お風呂も、旦那さんが遅いときなんかは、脱衣所に赤ちゃんを置いといて、自分の体を洗ったか洗ってないかというぐらい、ちゃっちゃと洗い流し、赤ちゃん泣くから、湯船にゆっくりつかる間もなく赤ちゃんをお風呂に入れ、一緒に湯船につかるけど、赤ちゃんに長湯はさせられないから、さっと出るけど、自分の着替えは後回し。タオル巻いただけの姿で、先に赤ちゃんをふいて、着せて、包んでおいて、それから冷えた体にパジャマ着て、赤ちゃんに水分補給させ、耳掃除したり、おっぱいあげてすぐ、寝せる準備。

夜は夜で、2,3時間ごとに起こされる。

子育てで大変なことはたくさん。でも、旦那さんには、「一日家にいるんでしょ?」って言われたりする。

家事もろくにできなくて、料理も手間暇かけたものを作る余裕はない。子供は泣いてばっかりだったり、急に、自分が何にもできない、とっても無力な存在のように感じる。

消えてなくなりたい・・・とさえ思う時も。

 

この前、あるブログを目にして、その、つらさの正体はこれか!と思ったのです。

自分がやりたいと思ったことが完了できないフラストレーション。

ご飯を食べてても中断される。

トイレに入ってても、ドアの外で泣き声が聞こえるからゆっくりトイレも入れない。

片付けようと思ってるそばから散らかる。

お風呂もゆっくり入れない。

自分がやりたいと思ったことをする時間が取れない。

それが、24時間毎日続く。

全て中途半端。

達成感が得られない毎日。

 

ママが一人の時間がほしいと思うのは、子どもがかわいくないわけでもないし、わがままでもない。

「自分がやりたいことをやりたいときにできる時間がない」のがつらいんだなって。

そんな不自由さは、子どもを持つまで経験したことがないから。

パパにしてほしいこと

ママのイライラの正体は、「自分のやりたいことをやりたいときにできない」フラストレーションです。もちろん、出産に伴い、ホルモンバランスが大きく変わっていることも原因です。

そこで、パパにお願いがあります。

特に産後1年は、ホルモンバランスが激変するために、ママの精神状態はとても不安定になっています。そこにきて、睡眠不足と、物事を全て中途半端にしかできない、ダメな母親なんだという思いにとらわれて、産後うつになってしまうママも多くいます。

そんなとき、パパのサポートが必要になってきます。

一番は、ママの話を、否定せずに、解決しようとせずに、だまって大変だったんだね。でも、良くやってくれてるよって、話を聞いてあげてほしい。

そして、できることなら、一時間でもいいから、ママが自分の時間が持てる時間を作ってあげてほしい。

お休みの日に、ちょっとみてるから、息抜きに買い物行ってきていいよと、ママだけで買い物行く時間を作ってくれてもいい。

夜泣きがひどいときは、ママを寝かせてあげて、パパが車で30分ぐらい赤ちゃんをのせてドライブしてあげてもいい。

食器の洗い物がたくさんたまってるのを見たら、黙って洗ってあげてもいい。

休日でも、ママがご飯支度してるときに、ちょっと赤ちゃんを抱っこしててくれるだけで、どんなに助かるか。

パパだって、仕事で疲れているのはわかってる。

でも、何かしら、できることはあるんじゃないのかなって思うのです。

精神的なサポートは、ママにとって、とても大きいのです。

産後、パパが育児に関わらなかったことは、熟年離婚の原因にも挙げられています。

「一番大変な時に、協力してくれなかったでしょ」っていう思いは、後々までずっと後を引きます。

例えば、旦那さんのご両親が介護状態になった時だって、「あなたのお母さんでしょ。あなたが自分で面倒見るのが当たり前でしょ」「あなたは、自分の子どもだってろくに面倒見てこなかったでしょ。なんで今更あなたのお母さんを私が面倒見なきゃいけないわけ?」と、介護放棄する奥さんもいるとか。

産後の育児に協力したかしないかは、その後の人生に大きく響くようです。

 

我が家の場合

さて、そんな新藤家のお父さんはどうかと言いますと、本当にそういうところをよく理解してくれて、非常に協力的です。そして、とっても優しい。

子どもたちが赤ちゃんの頃、布おむつだったんだけど、うんちおしめはバケツにためて置いておきましたが、うんちおしめを洗ってくれたのはいつも旦那でした。

おっぱい以外で夜泣きをしたときは、旦那が起きてくれて、赤ちゃんが寝るまで抱っこしていてくれました。正直、私も目を覚ますのですが、あえて寝てるふりして、どっちが先に赤ちゃんを抱っこするか、みたいな根くらべで、いつも旦那が泣き声に耐えられず、先に起きるのです(*^-^*)。

それは、子どもが少し大きくなってから、夜中のおしっこに起きるときもそうです。

子どもたちは、お母さんは絶対起きないのを知っていて、「おしっこ~」と起こせば、絶対に起きてついてきてくれる旦那を起こすようになりました。

子どもが増えるにつれ、旦那のやってくれる家事が増えていきました。

朝の犬の散歩言っている間に洗濯物を回し、散歩から帰ってきたら洗濯物を干します。家族が多いので、一日3~4回洗濯物を回しますが、だいたい出勤前までに干して言ってくれます。

ゴミ出しも、家じゅうのごみ箱からごみを集めて収集所まで持って行ってくれます。

仕事から帰って、食事が終わると、食器も洗ってくれます。

なんか、そう思うと、私、あんまり家事をしていないようにも思えてきますが、これも、別に私がお願いしてやってもらっているわけではなく、朝は、ご飯支度と子どもたちの弁当作りで台所が戦場状態の私を、黙ってサポートしてくれているから、こういう形になっているのだと思っています。

夜も、子ども達をお風呂に入れて、寝かしつけもしてくれます。

お陰で、私は一人の自由な時間を持つことができます。

本当に助かっています。

ここまで何でもやってくれる旦那さんはそうそういないんじゃないかと思います。感謝しています。そんな主人なので、ケンカになることはほとんどありません。

幸せな家庭

私たちがお伝えしたいのは、こんな夫婦の形もあるよということ。ここまでじゃなくても、何かしら、理解してくれて、協力してくれたら、それは、幸せな家庭なんじゃないかと思います。

自分はこんなにやってるのに、相手は何にもしてくれない。そう思えばイライラするけど、今、相手は大変そうだな。なんか自分にできることないかな?って、寄り添いあえたら、それだけで、夫婦円満になれるのかなって。

ママに心の余裕ができたら、家庭の中は明るくなります。そんな中で子育てできたら、本当に楽しいです。

そんな幸せな家庭が増えるように。想いを本にしていきます。

 

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子供の遊びは脳を鍛える


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子供が、これ面白い!って思って遊ぶとき、子供の顔はキラキラしています。これが、子ども同士で関わりながら遊ぶとき、最高のいい顔になります。

子供の遊び脳を鍛えます。五感を使うことで働く脳、友達とコミュニケーションとることによる言語脳、全身を使って体を動かす運動脳、新しいものを考え、挑戦する創造力に関わる脳。

遊びは、そのすべてをフルに使います。

遊びの力はあなどれませんね。

やったことないことに挑戦する

昨日は、学校プレーパークから、突然の雨で、急きょうちに連れてきた子供たち。

初めての我が家の庭に、雨なんかへっちゃらで、遊び始めます。

庭には秘密基地を作ろうと穴が掘ってあり、木の上にはツリーデッキやターザンロープ。

小屋には滑り台やらブランコまで。

始めてきた彼らにとって、「なんだココ!!おもしろい!!」ということで、目をキラッキラ輝かせて遊ぶんです。

なかなかこんなに深く穴を掘ったこともないし、木登りもしたことがなかったり。

初めてなことがたくさんあって、さらに、ターザンロープも、「作ったのは、当時5年生の子だよ」と言うと、「すげ~!!」となるわけで、寒かろうが、雨降っていようが、楽しくてしょうがないんです。

秋は、あっという間に暗くなってきて、帰る時間になってしまいましたが、翌日も、遊びたくて、歩いてやってきたKくん。

今日も、穴を掘り、

木に登って。

あんまり高くのぼったら、下りられなくなって、「どうやったら下りられるの~??」

と助けを求められたけど、「大丈夫。細い枝にはつかまらないようにして、その下の太い枝に足を下ろしてごらん。」と、声をかけると、なんとか、おそるおそる下りてくることができました。

ちょっとスリルがあって、どきどきして、でも、ワクワクして。

そんなときの子供たちの脳の中は、きっとぴかぴかすごいことになっているんだろうなと思うのです。

やったことないことに挑戦してみる。自分でこれやってみよう!って考えて行動する。

ドキドキするけどやってみる。それは、脳の前頭前野が関係する、創造する脳。

 

水風船爆弾を投げ合って遊ぶのだって、もう寒い時期だし、直接体を狙って投げたら、びしょ濡れになってしまいます。「傘で防御するから、傘に投げて!」とか、足元めがけて投げつけるとか、「体にかけるなよ~!」とか、それぞれ、コミュニケーションをとりながら、お互い楽しむ方法を探りながら遊んでいるようなところがあって、この時だって、脳の中では、ぴかぴか!!っと、いろんなことがひらめいて、やってみたらすっげえ楽しい!ってなるわけです。

こういうのは、友達と遊ぶから鍛えられる脳です。

前頭前野を鍛えるには

感情のブレーキや、創造性を司る前頭前野を鍛えるには、運動と、言語によるコミュニケーションが効果的だと言われています。有酸素運動や、新しいことを始めてみるとか、受動的な行動をやめるとか、そんなことも有効のようです。

体を使って運動することや、音読が効果的、という記事も目にしました。

日常生活の中で、会話の中で、言葉でちゃんと説明するような語りかけも有効だとも言います。例えば、水が飲みたいときに、「みず!」って言うんじゃなくて、「お水ちょうだい」って、文章で言うとか、「やだ!」って言うんじゃなくて、「〇〇は~だからいや!」というように、文章で話す癖をつけていくとか。

親が、子供の脳を鍛えようと思うと、そういうことになります。

ただ、これらのことも、実は友達と遊ぶ中で自然に鍛えられていくので、友達と遊ぶ時間は、宿題させるよりも大事な時間じゃないかと思っています。親は、見守るだけでいいんです。

プレーパークなんかは、それが叶えられる最強の場所だと思っています。

やりたいと思ったことを自分で考えて試行錯誤しながら挑戦する。

友達と関わりながら、もっと面白いことを見つけていく。

時にはケンカしながら、相手のどんなところに怒っているか、ことばで説明する場面だって出てきます。

自分はこうしたいけど、相手は違うことがしたい。じゃあ、どうやったらみんなで楽しく遊べるか?話し合って、折り合いをつけながら遊んでいるのが、子ども達の自然な姿です。

有酸素運動だって、鬼ごっこして走り回っていれば、疲れて動けなくなるまで走り続けていたりします。坂道で段ボール滑りなんかしてたら、何度でも坂を上って、何時間でも滑り続けます。かなりの運動量です。

あえて、親が運動させるための習い事をさせる必要もないし、言葉で言わせるようにしつけようなんてする必要もない。音読は脳にいいから音読しなさいなんて言う必要もない。

全ては、友達と関わって遊んでいく中で育っていくのです。

ただ、それにはやっぱりゲームは必要ないと思っています。ゲーム脳という言葉もあるくらい、ゲームをしている間は前頭前野が働かないと言われています。

友達が集まったとき、ゲーム以外の、ゲームより面白いものがそこにある、という状況が必要です。既存のものよりは、自分で何かを作り出せる、そういう状況があるのが望ましいですが、子どもがゲームしかしない、という悩みをお持ちのおうちの方も多いのではないでしょうか。

それを、自分のおうちで、子供の遊び友達が来たときに、ゲームじゃない面白いことをさせてあげられるかどうかは、ある意味、散らかってもいいという覚悟が必要になってきます。そして、そのために、ちょっとした仕掛けも必要になってきます。

紙飛行機作って遊べるようにするには、「よく飛ぶ紙飛行機の折り方」の本と、チラシなどの紙を置いておくとか、まずは一緒に紙飛行機折ってみて、「お!これよく飛ぶ!」と言ってみたり、そうなると、紙飛行機大会の始まりです。

大人が何だか楽しそうに何か作っている姿をあえて子供たちの前で見せるとか。「何やってるの?」「それ、やってみたい!」って言ったらしめたものです。

作ったものは、もちろん大事にお持ち帰りしてもらいます。

まとめ

脳を鍛える、というけど、改めて何かをするというよりは、友達と、遊びを作り出しながら遊ぶことが、一番いい方法です。

やったことないことに挑戦し、友達とコミュニケーションとりながら、より面白い遊びを作っていく。ワクワクしながら、明日も子の遊びの続きしようぜ!って、明日になるのが待ち遠しくなるぐらい楽しい子供時代を過ごすこと。

そのためにプレーパークは最強の場であり、そのすべてが叶えられる場ではないかと思うのです。

プレーパークが身近にない、という地域でも、そんな子供の遊び場として、いろんな地域で、子どもをあたたかく受け入れてくれる場所として、おうちプレーパークがあちこちにあるといいな~と思うのです。

そんな人が増えていったらいいな~という思いも込めて、本の出版に向けてクラウドファンディングもまだまだ挑戦中です。

こちらの応援も、引き続きよろしくお願いいたします。

 

 

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子供のチャレンジ精神に火をつけるには


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子供が何かやってみたいと思った時、それが、大人から見ると無駄な事だったり、無理な事だったりというのはよくあることです。そんなとき、「そんなの無理に決まってるでしょ!」って、頭ごなしに言っていませんか?「そんなことしてどうするの?意味ないじゃん」って、つい言いたくなることもあります。

でも、子供が「やってみたい」と思った瞬間、子供の中にはワクワクした気持ちが芽生えます。

子供のチャレンジ精神が芽生える瞬間は、たいてい、友達同士で遊んでいる時にやってきますが、時には、大人がちょっぴり関わることでもぴかっとひらめくことがあるのです。

そんな、子供のチャレンジ精神に火をつける、大人のかかわりを考えてみます。

「いいことかんがえた!」は、たいてい無駄な事。でも、できると信じて見守るべし。

休日、どっか行きたいと言いつつ、結局友達と遊んでいた息子。

この日は天気も良かったので、剪定した木の枝を少し燃やして処分したいと思い、ロケットストーブで枝を燃やしていました。ついでに畑で掘ったサツマイモをダッチオーブンで焼きながら。

はじめは木工していた子供たちですが、剣にするのにちょうどいい長さの木がないとか、太すぎるとか、言い始めた子供たち。

火を焚いてるので、お湯を沸かしたら足湯ができるかもと、「穴掘って足湯作る?」と提案。

「いいね~!」「ねえ、足湯作ろう!」

と言って掘り始めた三人。もくもくと掘り始めます。

ところが、掘り始めたら、「やっぱり秘密基地にしよう!」「横に穴掘ろう!」「階段も作ろう!」と、どんどん発想は広がって、穴も広がっていきます。

でも、すぐに帰る時間が来てしまい、「階段作っておいてね~!」と言ってかえって行った二人。

 

そして翌日、違う友達が遊びに来ました。

昨日の続きで穴をひたすら掘る二人。かなり深くなってきました。

下の層は、かたいので、水を入れて柔らかくしてから掘る作戦に出ました。

腰ぐらいまでの深さはあるかな?そして、今度は横穴掘りに挑戦です。

最後は、どうしてもかたい層があって、それ以上掘り進めるのが大変で、お父さんの力もちょっぴり借ります。

「秘密基地、暗いだろうから、懐中電灯必要なんじゃない?」

そんな心配もしています。

はっきりいって、うまくいくことしか考えていません。

大人からすると、ちょっと無理じゃない?って思ったり、横穴なんて、崩れてきたら危ないよね、とか、いろいろ考えちゃうから、後で埋め戻すことを考えてたりするんだけど、子供のの中では、横穴で友達と身を寄せ合っている図が頭の中に浮かんでいるんです。それはもう、ワクワクしながら。

そういう瞬間が、子どもには必要です。

こどもの「いいこと考えた!」は、たいていは無駄なことで、無理な事なんだけど、ワクワクにどれだけ寄り添ってやれるかが、大人の関わりどころです。

あきらめずにやり続ける力、挑戦する意欲、どうやったらうまくいくか、時には大人の知恵を貸すことも。でも、最初っから手を貸したりはしません。子どもからヘルプが出て、初めて、ヒントを出したり、ちょっぴり大変なところだけ手助けしたりしますが、全部やってあげたら、子供の楽しみを奪ってしまうので、あくまでも、どうしてもできない部分をちょっぴり手助けする、そんなスタンスでいるといいと思います。

もしくは、全く手を貸さないこともあります。「大丈夫、自分たちでどうしたらうまくいくか考えてみなさい。」って、大人はノータッチの方が、本当はいい。

よく、子どもがやってみたいと言ってるのに、お父さんが、「どれ、貸してみなさい」と、全部やってしまうことがあります。そりゃあ、お父さんがやったら、完成度も高く、立派なものができるかもしれない。

でも、それじゃあ、自分が作ったことにはならない。やっぱり最後は子供の手で完成させてやらなきゃならないんだと思います。

答えを教える必要はありません。

基本は、見守る。できると信じてあげること。子供の力は、大人の想像をはるかに超えることもあるからです。

大人も一緒に楽しむべし

穴掘り初日。

「足湯掘る?」と提案したのは母です。実は、午前中畑の芋ほりしてきて疲れていたので、自分もせっかくなので、足湯に入ってのんびり癒されたいという思いもあったから(*^-^*)。

子どもたちが穴を掘ってくれるということで、お湯を沸かし始めた母。

ところが、子ども達は、足湯なんかどうでもよくなって、秘密基地づくりに熱中。でも、どうしても足湯をやりたかった私。

せっかくお湯も沸かしていたので・・・

庭のハーブでハーブティーを飲みながら、焼いたお芋を食べながら、無理やり秘密基地で足湯。

「いいよ。入らない」と言う息子も「気持ちいいから、入って入って!ほら、あ~~!!いいお湯!」と誘いつつ、二人で足湯。

母も楽しみます♪ちょっぴり疲れも癒されて、ホッと一息、なんだかんだで息子も気持ちよさげでいい時間。

大人が楽しむ姿も大事です。

そして翌日、違うお友達が来たとき、午後はおうちの中で紙飛行機作って飛ばして遊んでいた子ども達ですが、だんだん飽きてきたお友達。ふと思い立って、さくらんぼの剪定した枝を削ってなんか作ってみることにして、一人黙々とカッターで木を削り始める母。

すると、子ども達が、「何やってるの?」「何作ってるの?」と、興味津々で寄ってきます。

そこで、「作ってみたい?」と言うと、

「やるやる!!」と、子ども達。

まずは、カッター使う練習で、「鉛筆削ってみる?」と、鉛筆とカッターを渡します。

刃物の持ち方は、あらかじめレクチャーします。手を置く場所、削る方向、気を付けるポイントは最初にしっかり伝えます。

そこからは、信じて任せます。

鉛筆削りができたところで、いよいよ木を削ります。

お友達は、カッターで削るのは初めてさんです。真剣です。

でも、ちょっと気を緩めたとき、指をちょっぴり切ってしまいました。でも、めげずに削ります。

フェルトを張り付けて、できたのはペンギン。

サンタさんとお城と魚。

刃物だって、使い方さえはじめに教えておけば、後はやりながらうまくなっていきます。危ないな~と思うときは、ちょっと声はかけます。手は出さずに、目は離しません。

子供が、遊びに行き詰ったとき、そばいいる大人がまずは楽しんでみるのもコツです。楽しそうに何かやってるのを見ると、だいたい、「自分もやってみたい!」って一緒にやり始めます。

大人も一緒に楽しむこと。大人がまず楽しむこと。

子供のチャレンジ精神は、そんなことからも火がつくことがあります。

 

好奇心をくすぐるべし!

チャレンジ精神は、ワクワクからやってきます。

ワクワクに一番必要なのは好奇心です。

紙飛行機ひとつ飛ばすのでも、どうやったらよく飛ぶ飛行機ができるか?チラシやミスプリントの裏紙など、いらない紙がたくさんあれば、いつまででも折り続けます。

そんな時あるといいのが、よく飛ぶ紙飛行機のつくり方の本。

こんなのも作ってみたい、こんなのなら、もっとよく飛ぶかな?折る手は止まりません。

そういう意味で、好奇心をくすぐるために、いろんな仕掛けが家の中にあるといいでしょう。

工作や、ものづくりが好きな子には、紙飛行機の本、折り紙の本、工作の本を手の届くところに置いておきます。子供の好奇心をくすぐり、興味を広げるのに、本はとても役立ちます。

そして、同時に、作りたいと思ったときにすぐにできるように、紙、折り紙、割りばし、紙コップ、ペットボトル、輪ゴム、セロテープやガムテープ、牛乳パックやラップの芯、はさみやノリなど、工作に必要なものも、すぐ手の届くところに置いておくこと。

散らかるのは覚悟の上です。多少散らかっても、寝るとき片付ければいいや、ぐらいの気持ちで、散らかすことも多めにみてあげて下さいね。

クッキングが好きな子なら、子どものクッキングの本を用意してあげてもいい。

恐竜好きな子には恐竜の本とか、恐竜を作るための粘土や折り紙、工作の道具も。

虫が好きな子には、昆虫の本の他、実際に捕まえて飼うための虫網や虫かご、飼育ケースなど。虫の折り紙の本や、虫の飼い方の本も。

友達と秘密基地を作りたくなったら、秘密基地の絵本も。

その子の好奇心をくすぐり、興味を広げる。そのための本や道具が、すぐ手の届くところにあること。

そういう、ちょっとした仕掛けも必要です。

何に興味があるかわからないときは、広く、いろんなものがあるといいでしょう。

本も、図書館から借りてくるので十分です。その子が、本当に興味を持ったものが出てきたら、そのときは、本屋さんで買ってあげるといいでしょう。大好きなものは、何度でも手に取って見たいですから。

まとめ

子供のチャレンジ精神に火をつけるポイントは3つ。

①無理なこと、くだらないこととわかっていても、できると信じて見守るべし!

②大人も一緒に楽しむべし!

③好奇心をくすぐるべし!

大人も、子ども心を取り戻して、ワクワクしながら子供の「やってみたい」を面白がってみてください。

大人がちょっぴり関わることで、好奇心がくすぐられ、やってみたいこと、できることの幅がぐんと広がります。

お陰さまで、現在、クラウドファンディングも6%の応援をいただいています。子どもたちのチャレンジ精神に火をつける、そんな大人がたくさん地域に現れますように。そんな思いを込めて。

まだまだチャレンジは続いています。応援よろしくお願いいたします。

 

また、明日は十和田市若葉公園で10時から15時半までプレーパークです。

お近くの方は、どうぞ気軽に遊びにいらしてください。

はぴちるでプレーパークを続けていくのに、釘やボンドなどの材料の支援も絶賛受付中です。こちらもよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

赤ちゃんのうちから人を信頼できるようになる信頼感は育まれる


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この前、お友達のママが、ある講座に出るために、8か月の男の子を3時間ほど預かりました。3時間、泣かずにずっとご機嫌で遊んでいたTちゃん。途中、授乳のためにママのところに戻りましたが、その後再び離れるときも泣くこともなく、あっという間の3時間でした。

小さな赤ちゃんでも、ママと離れるときは不安です。小さなうち、託児に預けると、ずっと泣きっぱなしのこともあるでしょう。赤ちゃんが、泣くとき、泣かないときの違いは何でしょう?

それには、信頼感が関係しているのではないかと思います。この人だったら安心という、ママの信頼感も、赤ちゃんに伝わります。逆に、長い時間、ママがいなくて大丈夫かな?とか、この人で大丈夫かな?という不安も赤ちゃんは敏感に感じ取っているのではないかと思うのです。小さな赤ちゃんでも、そんな信頼感を感じています。

では、この「他者を信頼できる信頼感」は、赤ちゃんのうちからどうやって育まれていくのでしょうか?

基本的信頼感は、乳幼児から育つ

前回、『人を信頼できる社会に』の記事にも『信頼』について書いていますので、そちらもあせてご覧ください↓

児童精神科医であった故佐々木正美先生の著書『子どもへのまなざし』に、ある実験のことが書いてありましたので、引用して紹介します。

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30年ぐらい前までは、深夜の授乳について、赤ちゃんが泣くたびおっぱいをあげたほうがいいとか、やらずにいることで、だんだん赤ちゃんは泣かなくなり、朝までぐっすり眠るようになるんだとか、いろんな意見がありました。でも、どちらがいいのか、わからずにいました。

そこで、ある乳児院で、こんな実験をしました。

子どもをアトランダムに二分して、望んだ乳児に深夜に授乳するグループと望んでもミルクを与えないグループに分けまして、その後ずっと調査が行われました。

普通乳児院では夜中の2時3時に、オッパイが欲しいからと泣いたからといってミルクを与えません。与えられるほど、夜勤の人手が無いのです。一方の子にはあげるわけです。研究のためにあげるわけですから、研究費で夜間の保育者を雇うわけです。そして赤ちゃんが欲しがればあげるわけです。子どものことを虐待しているわけではなくて、従来の乳児院のやり方にプラスアルファしてあげるわけです。日本では例がありません。欧米で 何カ所も実験されました。

そして、夜中の2時3時にですね、夜泣きをしたからといってオッパイをあげないでおくと、子どもは早い子は3日くらい、長い子でも2週間は越えないそうです。平気になってしまうわけです。翌日の朝まで泣かない子になります。やったり、やらなかったりすれば、これはずーっと泣き続けます。それで、やらないでおくと2週間くらいで翌日の朝まで泣かないで静かに待てる子になりました。

【 基本的信頼感と不信感】

そこで、翌日の朝まで泣かないで待てるようになった赤ちゃんは、忍耐強い子になったのか、現実認識ができるようになったのかどうかということです。

実際は、忍耐強い子になったのはなくて、あきらめの早い、無力感の強い子になっただけなのです。

ミルクをもらえない子は、残念ながら、不信感と無力感が強くなってしまいます。やったってダメなものはダメだ。すぐに努力を放棄する子どもになるわけです。無力感の非常に強い子ども、挫折しやすい子ども、それから周囲の人に対する基本的な不信感、こういうふうなものが、いろんな程度に子どもに身についてしまうということがわかりました。ですから無力感というのは、劣等感、自己不全感、それと周囲の人に対する不信感とは背中合わせで同じものなんだということがわかってきました。

逆の言葉でいいますと、自分を信頼する力というのは、人を信頼する力と同じものなんだということがわかって来ました。自立してちゃんと育つ子どもは、自信のある子どもは、オッパイを与えられた子なのです。泣くたびにもらえたのです。

ですから、夜中の2時3時でもオッパイが欲しければもらえる、昼間、抱き癖がつけば抱き癖を十分承認してもらえる。ということは、人に対する、基本的な信頼感は強くなり、人を信じることができるため、その後友達も作りやすいです。

 

【依存から自立へ】

人生の最初の時期(乳児期から幼児期のはじめ)には子どもはお母さんを中心に、周囲の人に「自分が望むように」愛されることが不可欠ともいえるほど大切で、その後の人格の形成過程に決定的な意味をもつことになります。

子どもは充分な「依存」体験をへて、はじめてしっかりした「自立」に向かっての発達過程を歩み始めるといわれる意味は、そういうことなのです。赤ちゃんの泣き声(呼びかけ)には、しっかり耳を傾けて、その欲求をすべて満たしてやろうという心がけが、乳児期の育児には必要ですし、そのことが自然に楽しくできることが養育者(母親)や乳児保育者に望まれます。

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HP『子育ての心理学』でも読むことができますので、本のない方は以下のリンクよりご覧ください。その他の子どもの発達についてと、関わり方について参考になることがたくさんありますので、ぜひ、お時間のある時、他の記事も読んでみてください。

 

つまり、赤ちゃんの欲求を、ちゃんと満たしてあげられるかが大事だということです。それは、ママでなくても、養育者、保育者、だれでもいいのです。

泣いたら、欲求が満たされる。満たしてくれる人がいるということは、人は信頼できるということだと赤ちゃんは学んでいきます。最初はそこからなんです。

人への信頼感が高い子は、自己肯定感も高い

先ほどの佐々木正美先生の文の中に、自分を信頼する力というのは、人を信頼する力と同じものなんだということがわかって来ました。という言葉があります。

自分がまるごと受け入れられて、はじめて人を信頼出来て、同時に、自分は愛されていると感じ、自分に対しても自信が付くのです。

これは、赤ちゃんに限らず、幼児期でも、小学生になっても、変わらないことなのではないでしょうか。

いつも怒られっぱなしの子供は、自己肯定感が低い。それは、うちにやってきていた悪たれたちを見ていて感じた事です。言うことを聞かない、いつも学校や家で怒られている。そんな彼らと初めて出会った頃は、

「俺、いつ死んでもいいもんね。明日死んでるかも」

「俺、バカだから、どうせ~できねえし。」

そんなことをよく言っていました。

遊びを考える力は天才的なのに、人を信頼する力と、自分に対する自信が非常に低い。

彼らと出会ったのは、彼らが4,5年の時。関わり始めて1年ほどで、彼らの言動から、「いつ死んでもいい」とか、「どうせ俺~だから」という言葉はなくなっていきました。

彼らとどう関わっていたかといえば、とにかく彼らを受け入れてきた。どんなことがあっても、(ひどいときには何でこんなに怒っているのか、説明したうえで、二度と来るなと言ったこともあるけれど、一週間もすればまたやってきて、ごめんなさいと謝りに来たので、その都度許してきた)彼らをまるごと受け止めつづけた。友人には、「そんなこと、よく許せるね」と、よく言われたけど、私には、彼らが愛おしかった。

写真の、お父さんにしがみついてる子は、うちの子じゃありません。悪たれ3人組のうちの一人です(*^-^*)。こんな風に、おんぶもよくせがみました。

二年後には、悪たれ3人組のうちの一人は、「新藤さん、生きてる?」って言ってやってきて、「新藤さん、生きててね~!」と言って帰っていくようになりました。半分ふざけて言うのですが、彼の言葉が変わったのを感じています。

 

例えば、前述の夜中の授乳ですが、結果としては、夜中に泣いたらおっぱいをあげてた赤ちゃんの方が人に対する信頼感が育まれていました。研究の結果、乳幼児期にもっともこの基本的信頼感が育つということでした。

でも、それができなかったとしても、気が付いたときから育て直しができるのではないかと思うのです。それは、本当は、お母さんや、お父さんが認めてくれたらいいのだろうけど、その子をありのまま認めてくれるのは、家庭の事情でそれが望めない場合でも、地域の人や、先生、子どもに関わる人ならだれでもいいのではないかと思うのです。

人に対する信頼感と、自分に対する自信と自己肯定感を育むには、誰かに認めてもらう、受け入れてもらうことが大事なのだと思うのです。

前回の記事で、「あなたはどうしたいの?」と、その子を信じて任せてもらえた子は、自己肯定感が高かったと書きました。その子を信じて任せるということもまた、その子をありのまま認めてあげるということです。

例えば、子どもがお手伝いをしたいと言った時、子どもを信じて任せてみるのも、同じこと。

洗濯をたたむのが、たとえきれいにたためてなくても、その子が一生懸命できると思って、役に立ちたいと思ってやったことは尊重して最後までやらせてあげる。「助かったよ、ありがとう♡」の一言は忘れずに。

やりたいことをできるだけ信じてやらせてあげるのは、欲しがるおもちゃを買い与えるだけの甘やかしとはちょっと違います。その子の能力を認めて、信じる、そういうことです。

 

子どもの困ったことは、信頼感を取り戻すところから

乳幼児期に基本的信頼感がよく育つと、その後の育児は順調であると言いますが、後になればなるほど大変かもしれないけど、それでも育て直しはできるのだということを覚えておいてほしいと思います。

赤ちゃんであれば、泣けば、なんで泣いてるのかな?ってママは考えますよね。おむつかな?おなかすいたかな?暑いのかな?なんかチクチクするのかな?お腹痛いのかな?眠いのかな?抱っこしてほしいのかな?

一生懸命子どもの様子を見て、泣いてる原因を取り除いてあげようとしますよね。

少し大きくなって、イヤイヤ期になると、泣く代わりに、怒るようになる子もいます。思い通りにならなくて、でも、言葉でうまく表現できなくて。でも、泣くのが怒るのに変わっただけで、何かしら嫌なんですそれは、小さなことかもしれません。いつもと帽子の置き場所が違うとか、お気に入りのシャツが洗濯中で着ることができないとか。ボタンがうまくかけられないとか。

お母さんは、そんなちょっとしたことで怒る子供を見ると、イライラします。とてもイライラします。でも、いつもとはいいません。気持ちに余裕のある時に、何で怒っているのか?寄り添う気持ちをちょっぴり持ってもらえればと思います。

イヤイヤ期は、個人差があって、すぐ終わる子もいれば、長い子もいるし、激しい子もいれば、それほど激しくない子もいます。大変なのは、激しくて長いときです。終わりがないトンネルにいるようで、この状態がいつまで続くかと絶望的になりますが、必ず終わりはやってきます。

とにかく、子どもに信頼されるよう、あなたのことが大好きだと抱きしめ、どれほど大切かを話し、お手伝いをしてくれたら信じて任せ、あなたのおかげで助かったよと伝えてあげる。それだけを繰り返していくだけでいいと思います。

信頼感(愛)のバケツは、子どもによってその大きさは違うようで、バケツが大きい子は、たくさんたくさんそういう機会を作ってあげないとなかなか満たされなくて、満たされるまでに時間がかかるけど、そのぶん、一旦満たされると、人を大事にできるのかもしれない、そう思って、この時期を乗り越えるしかないのかもしれません。

クラウドファンディング

何度も書いておりますが、悪たれ達の話をベースに、本を出版しようと思っています。

すでに応援くださってる方、クラウドファンディングの応援、ありがとうございます!

お陰さまで、86000円(プラス手渡しで9000円)の合計95000円集まっております。

残り52日です。引き続き応援よろしくお願いいたします!

 

 

家族に「ありがとう」を伝えてますか?


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先日、友人の披露宴に出席させていただきました。幸せそうなお二人に、笑顔であふれる会場。すごく幸せな気持ちになりました。

そんな中、よくある、花嫁、花婿さんからのご両親への手紙には、やはり泣かされました。

なかなか面と向かって言えない「ありがとう」を伝えるには、いい機会なんですね。でも、そんなときばかりじゃなくても、ちょっとしたことでありがとうを言いあえたらいいですね。

日頃から、家族にありがとうって、伝えていますか?

ありがとうだらけの家庭を

友人の披露宴を見ていて思い出しました。私たち夫婦が結婚するときは、ありきたりの両親の手紙とか、お涙頂戴みたいなのはやめよう、って、主人と決めて、両親への手紙は、書きませんでした。私は、結婚前夜、「今までありがとう」って、短く伝えただけでした。

でも、長男が20歳になり、息子の結婚もきっとあともう数年でやってくる。そしたら、そのとき、私はあの、ご両家の母のところに立っているのかもしれない。

そう思ったら、友人の披露宴で両親への手紙を読むのを聞いて、母の気持ちになってしまったんですね。ああ、母として、息子から、ありがとうの手紙、読んでもらったらうれしいだろうな~って。小さい頃からの写真の映像を見ては、ああ、自分も息子の結婚式には、こうやって、息子の小さいころから今までを振り返って泣くんだろうな~、って、思ってしまった。

ああ、自分の結婚式の時、両親にありがとうの手紙、読んでおけばよかったな。

今になって思います。

ありがとうって、改めてじゃなくても、ちょこちょこ伝えておけば良かったなって。

幸い、私の両親はまだ健在ですが、主人の両親は他界しています。もう、ありがとうは伝えられません。

ありがとうって、言えるうちに、たくさん言っておこうと思います。

我が家の中のことを言えば、日常的にありがとうをたくさん使います。

何か頼みごとをして、やってもらったら「ありがとね~」。

ご飯支度手伝ってもらったら「ありがとね~」。

お弁当、時間ぎりぎりに作って、机の上に「はい、お弁当!」って、乗っけると、「ありがと」と言って、お弁当バッグを持っていく子供たちと主人。

雨の日、子ども達を学校に送っていったとき、子ども達も車を降りるとき「ありがと。」と、手を振り歩いていきます。

末っ子が学校帰りに何かいいもの見つけてきて、「おかあさ~ん!はいこれ!」って、プレゼントしてくれたら「わ~!ありがとね~♡」って。

夜布団に入るとき、主人とお互い「今日もありがとね♪」と言い合って眠りにつきます。

小さなありがとうを、お互い、たくさん言います。

誕生日や、父の日、母の日みたいな、特別な日じゃなくても、我が家は「ありがとう」だらけです。

もちろん、誕生日のこんなメッセージは、本当にうれしいんだけどね。

よく、「幸せそうな、いい家庭だよね」と、お褒めの言葉をいただきますが、この、「ありがとう」を言い合う習慣のお陰かもしれないな~と、思っています。

ありがとうがあふれるように、たまにやってくる、旅人も受け入れます。それだけで、ありがとうだらけです(*^-^*)。

部屋を貸してくれた娘や息子に「ありがとね~」

旅人も、「ありがとうございます!」

私たちも「来てくれてありがとね~♪」「出会ってくれてありがとね♪」

 

中村文昭さんの講演会でも言っていました。「ありがとうだらけの家庭にしよう」って。

「頼まれごとは試されごと」で、何かものを頼まれたら、「チャ~ンス!!」って、相手をより喜ばすにはどうしたらいいかって、そんな風にしてたら、ありがとうだらけの家庭になるんだよって。

「頼まれごとは面倒くさいこと」でいたら、何かものを頼んだとき、「何で私ばっかりに頼むの?他の人に頼んでよ!」って思うなら、文句と怒りばっかり積み重なっていくから、ケンカが絶えなくなるけれど、相手を喜ばそうと思うなら、ありがとうしか出てこないんだよって。

まだまだ、年頃の子供たちは、頼みごとをすると文句を言うことも多々あるけれど、それでも、ありがとうもよく言ってくれるので、うまくいってるのかなって思います。

そんな私が頼みごとをするときは、「ごめん、~してくれる?」「~してくれると嬉しいんだけど」って、頼むことが多い。そうすると、やってもらったら、「ありがとね♡助かった~♡」って、すっといえるから。

相手が何かお取込み中だったら、「ごめん、それ終わったらでいいから、~してもらっていい?」って頼みます。そしたら、だいたいは、「いいよ。」って、やってくれます。

ありがとうを言うために、いろいろものを頼んでるようなところもなくもない(笑)。

ありがとうは、言えるうちにたくさん言ったほうがいい。

それが、家庭円満、夫婦円満の秘訣かな。

11月は感謝を伝えるいい機会?

11月は、家族に感謝を伝えるにはいい機会です。なぜかというと、

11月19日は「家族の日」。11月12~25日は家族週間なんだそうです。

11月22日は、「いい夫婦の日」。

11月23日は、「勤労感謝の日」。

実は、勤労感謝の日は『働いてくれる人にありがとうの日』ではなく、新嘗祭(にいなめさい)といって、宮中行事で五穀豊穣に感謝する収穫祭で、新嘗祭までは新米を食べないのだそうです。本来は、そういった五穀豊穣を感謝する日であるけれど、一年食べていけることに感謝し、働けることに感謝する、そんな日であるのかもしれませんね。

家族の日って、実は初めて知ったのですが、調べてみると、

『子どもと子育てを応援する社会の実現のためには、子どもを大切にし、社会全体で子育てを支え、個人の希望がかなえられるバランスのとれた総合的な子育て支援を推進していく必要があります。

平成19年度から、11月の第3日曜日を「家族の日」とし、さらに、その前後1週間を「家族の週間」と定め、この期間を中心として、生命を次代に伝え育んでいくことや、子育てを支える家族と地域の大切さが国民一人ひとりに再認識されるよう呼びかけてまいりました。』

と、内閣府のHPにありました。

全然知らなかった。

各地域で、家族の日の作文や写真コンクールがあったり、フォーラムがあったりするようです。

そういえば、家族の日作文コンクールのチラシって、今まで見たことあるような・・・。気にしたことなかったな。

意味があるかどうかはわからないけど、家族に感謝を伝えるにはいい機会かもしれないですね。

 

写真は先日の主人の誕生日。10月なので毎年この時期のバースデーケーキはモンブランです。

家族そろって祝えるのは、あと何年続くかな~。

そういえば、娘が小学生の時、お父さんの誕生日に部活を休んだんですよね。うちは、誕生日や、父の日、母の日のような、家族のイベントごとのある日は、子ども達も部活を休んで、ずっとみんなでお祝いしてきました。

でも、お父さんの誕生日だから部活を休むって言ったら、みんなに結構文句を言われたらしい。そんなことで休むなんてって。でも、(男性の)コーチだけは、「そっか、いいんじゃない?」って、笑って言ってくれたようです。

家族のお祝い事ぐらい、家族でゆっくりお祝いしたいじゃないですか。一緒にお祝いできる時間なんて、一生のうちからすると、短いものですよ。

部活もいいけど、もっと家族の時間を、楽しんでいいんじゃないかと思います。

まとめ

家庭の中で、「ありがとう」を言う機会を増やしましょう。親子の間でも、夫婦の間でも。

きっとそれだけで、優しい気持ちになれるから。

特別な日はもちろん、普段感謝を伝えられない人にとっては感謝を伝えるいい機会なんだけど、普段から、小さなありがとうをたくさん言ったほうが、家庭の中が優しい雰囲気になりますよ。

思春期の娘とは、母娘で意地を張り合ってしまうようなところもあるけれど、母が忙しければ、「ごめん!時間ないから~お願い!」って、あえてお願いしてみると、本当に忙しそうだと思えば、意外と協力してくれて、すんなり「ありがとね、助かった!」って、ありがとうが言えるもの。

たまには忙しくしてみるのもいいのかも、と思ったりしています(*^-^*)。

 

そして、普段はおうちの神棚と仏壇に感謝し、時々、神社に行って神様に感謝を伝えています。

家族を見守って下さりありがとうございますと。

 

そして、最後に、夫婦で関わってきた悪たれたちのお話しと、子育てのお話しの書籍化に、たくさんの応援、ありがとうございます!

引き続き、クラウドファウンディングの応援、よろしくお願いいたします。↓

子供の原風景を心に刻む


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石井桃子さんの言葉にこんな言葉があります。
子どもたちよ
子ども時代を しっかりと
楽しんでください。
おとなになってから
老人になってから
あなたを支えてくれるのは
子ども時代の「あなた」です。
子ども時代、野原を駆け回り、花を摘み、虫を捕まえ、しっかり楽しむことは、子どもの原風景を心に刻むことです。その、原風景は、大人になり、老人になってさえも、あなたを支えてくれる宝物となるでしょう。

子供時代の原風景

皆さんは子供時代、どんな遊びをしてましたか?

↓こちらの記事も併せてお読みください。

 

私は、岩木川に近いところに住んでいたので、河原でよく遊んでいました。

河原の石で水切りしたり、河原で書ける石を探しては、コンクリートにけんけんぱ書いて遊んだり、シロツメクサの花冠はいっつも作ってましたね。

トンボの季節には、トンボ捕まえて、トンボのしっぽに糸結びつけて飛ばせたり、メスのおしりから卵が出るのを観察したり。

友達の家の方に行くと、崖があって、そこをよじ登って遊んでたし、習い事もしてたけど、いっつもさぼって、友達と暗くなるまで毎日遊びほうけていました。

学校の行き帰りは、もちろん寄り道しまくりだったし、帰りに、たま~に、通学路にあったお団子屋さんで、50円のごまのくし団子一本買って、友達と食べながら帰ることも。お小遣い握りしめて、買い食いして帰るドキドキ感、今も覚えています。

今の子どもたちは、寄り道したり、暗くなるまで外で遊びつくす、そんな経験してる子は、どれくらいいるんだろうかって思います。

両親共働きが多いから、仲良し会や学童保育に行ってる子がほとんどだし、そうじゃない子も、塾や習い事で忙しい。遊ぶ時間も少ないし、あそぶ仲間も少ない。そう感じます。

それでも、うちの周りには、部活も行っていない、習い事もしてるけど、あそぶ時間は何とかとれる、そんな子たちが遊びに来ています。

男の子たちなので、生き物を捕まえるのが楽しくて仕方ないようです。動くものを捕まえる。これは本能なのかもしれません。

ドジョウすくいしたり、

カエル捕まえたり、

バッタ捕まえたり、

時には秘密基地を作ったり、

女の子も、秘密基地が好きだったりします。

穴を掘ったり、

さらに深く掘って、横穴掘ってみたり、

剣を作って戦いごっこしたり、

春先なら、田んぼでオタマジャクシを捕まえたり、

夏はセミを捕まえ、抜け殻を探し、

水かけあって遊んだり、

水鉄砲戦争したり、

泥をこねたり、

木に登ったり

変身してみたり、

とにかく、友達と一緒なら、何をやっても楽しい、そんな子供時代。

地域のお祭りに参加して楽しんだりも。

自分が育った地域でのお祭りや、あそんだ自然、寄り道した道、いろんな思い出や感覚が、心の中にインプットされていきます。

 

心にインプットされた原風景

先日、十和田で十市祭りと言って、青森県内10市のお祭りを一堂に会したお祭りがありました。青森ねぶたや三社大祭、立佞武多や弘前ねぷたなど、一度に見ることができるお祭りでした。

ひととおり、全部の山車や流し踊りやパレードが通っていくのを眺めてるとき、弘前ねぷたのお囃子を聞いていて、なぜか涙がにじんできました。

子どものころ、弘前で育った私。ああ、私は、このお囃子を聞いて育ってきたんだな~って思うと、なんだか胸が締め付けられるような何とも言えない懐かしさが押し寄せてきました。

心の原風景って、知らず知らずに、心の中にできていってるんだな~って思うと同時に、今住んでいる十和田のお囃子を聞くと、また、ああ、いいな~。これはこれで、私と子供たちの原風景だ、と思ったのでした。

子供時代の遊びは、五感をいっぱいに使って遊んでいます。

泥の感触、生暖かさ、雨の匂い、シロツメクサの香、桑の実の酸っぱさ、花の蜜の甘さ、鳥の声、風の音、川の流れの音、川の水の冷たさ、ドジョウやオタマジャクシのぬるぬる、空いっぱいのせつなくなるような夕焼け、薄暗くなって出てきた一番星。木の葉の揺れる音、いろんないろんな感覚。

そんな、五感で感じてきた、インプットされた記憶は、ふとしたことで同じ香りや、同じ音、同じような情景を目にしたときに、何か懐かしく、昔の記憶と共によみがえってくることがあります。

年をとっても、昔のことはよく覚えているといいます。

子供時代のいろんな思い出を、おじいちゃんおばあちゃんが懐かしそうに語る場面に出くわしたことがある方も多いのではないでしょうか。

大人になったとき、老人になってさえも、あなたを支えるのは、子供時代の「あなた」なのだということです。

 

自分が遊んだ懐かしい地域。懐かしい自然、懐かしい地元のお祭り。

大人になったとき、そういうものがあるから、地元に帰ってきたいと思うかもしれない。

地域再生のカギは、子どもの原風景だという記事も読んだことがある。

そういうものかもしれない。

たとえ故郷から離れていようとも、ふとしたときに故郷を思い出す。

子供時代は、ただただ遊べ!

いい高校、いい大学、いい会社に入るために塾に行くより、習い事するより、できることなら、子供時代はただただ遊んでほしい。

ベネッセ教育情報サイトによると、自然、友達、地域の大人たちなどと触れ合った体験が多い者ほど、「意欲・関心」「自尊感情」「人間関係能力」などが高い、ということが判明しているようです。

自然で遊ぶと想像力が育つとか、五感を使って遊ぶことで脳が発達するとか、そういうことも言えると書いたこともありますが、そういう理論的な事、科学的な事よりも、もう、子供時代はただただあそべ!そう思います。

楽しいから遊ぶ。

楽しくないからやらない。

もっと楽しくするにはどうしたらいいかな。

友達と遊ぶのが楽しくて仕方ないから、

とにかく友達と遊びたい。

そういう本能で生きているのが子供です。

 

ある年齢になってくると、親と一緒に出掛けるよりも、友達と遊びたい、そういう時がやってきます。そうなったらもう、好きに遊ばせてあげてほしい。

それまでは、親と一緒にできる体験を、たくさんしてほしい。子どもに遊びの幅があると、友達と遊ぶとき、それぞれの遊びの経験が違うので、1足す1は2にも3にもなる、遊びの面白さがぐんと広がります。

難しいことは抜きにして、とにかくいろんな遊びを体験させる。それが原風景になっていくのです。

 

 

 

 

子どものしつけあれこれ

子どものしつけと一口に言っても、肘をついてご飯を食べないとか、箸を振り回さないとか、食事の時はきちんと座ってとか、そんな食事のしつけ、あいさつ、起きたら布団をたたむ、靴をそろえる・・・等々、いろいろあります。家庭によっても、他の家では何ともないけど、自分の家では許されないルールというのもあると思います。

今回は子どものしつけについて考えてみたいと思います。

食事のしつけ

日本人には日本人ならではの食の作法があります。

お膳の配置の仕方も、ごはんは左、汁ものは右。主菜は汁物の上で、副菜はご飯の上。お箸は手前に、右を持ち手側に置くこと(箸先は左)。

左にご飯、右に味噌汁が基本です。

食べる前には手を洗い、「いただきます」とあいさつし、食べ終わったら「ごちそうさまでした」とあいさつする。

お箸はそもそも魂が宿ったものとされていて、箸の作法にも、嫌い箸と言っていろいろやってはいけない所作があります。

刺し箸(食べ物を突き刺す)、

仏箸(ご飯にお箸を立てる)、

叩き箸(箸で茶碗をたたいたりする)、

振り上げ箸(箸をもって手を振り上げる)、

指し箸(箸で人を指さす)、

迷い箸(どれを食べようか、箸をうろうろさせる)、

受け箸(箸を持ったままおかわりする)、

渡り箸(いったん箸をつけたのに食べずに違うものに箸をつける)、

せせり箸(とがった先で繰り返しつつく)、

ねぶり箸(箸をなめまわす)、

探り箸(汁椀の底に具が残っていないかと、箸を椀の中でかき回して探る)

かみ箸(箸をかむ)

など、まだまだたくさんのマナー違反があります。

ただし、お国が違えば、マナーも違います。私たちは日本に生まれたからこそ、日本の食の文化を子ども達に伝えていかなければと思います。文化は伝えていかなければ途絶えてしまいますから。

そういった、食事は毎日のことなので、食事の作法を伝えていくのは、やはり家庭の役割ではないかと思うのです。

我が家では、毎日のご飯の配膳を子どもたちに手伝わせています、ごはんは左で、みそ汁は右、お箸は手に持つところは右側というようなことを、自然に覚えていきます。

その他、食事のたびに、肘をついて食べないとか、犬食いせずに、お茶碗を左手で持って食べるとか、お話しに夢中になって箸を振り回していたら、お箸を振り回さないように注意したり、嫌い箸や、子どもの気になる作法は、その都度注意しています。

それと、これは、我が家のルールで、『食事中はごちそう様するまでは立ち歩かない』とか、『美味しいものは美味しいと言って食べ、好きじゃないものや、おいしくないと感じるものがあったときは、だまって何も言わずに食べななさい』というルールがあります。

我が家は6人家族。それまで何も言わずに普通に食べていた子でも、誰か一人、「なんかこれ、味変じゃない?」と、言った瞬間、「ほんとだ。なんか変。」と言って、食べなくなってしまうことがあったから。一人が食事に文句をつけた瞬間、みんながそんな気になってしまう、ということがよくあったから。

それに、喜んでもらおうと作った食事を、けなされるのはやっぱり、腹が立つし、悲しいですから。

うちのルールですが、よそでも、絶対そういうことは言わないようにと、私はきつく言います。

誰でも、作った料理をおいしいと褒めてもらえたらうれしいです。けなされたらがっかりします。それも、”作ってくれた人”に対するマナーだと思っています。

子どもたちが大人になり、好きな人ができて、食事を作ってもらったとき、「なんかこの味変じゃない?」「これ、俺ムリだわ」なんて言われたら、もうそれだけでケンカになってしまうかもしれません。大好きな人に、おいしいと言ってもらえるように、健康を考えて作った食事ならなおさらです。

アレルギーや、菜食主義などの事情がある方は除きますが、単なる好き嫌いや偏食は、やはりできるだけ少ない方が、栄養や発達という面から見ても、大人になってからも困らないんじゃないかと思います。

おうちに遊びに来た子におやつを出しても、「あ、おれ、これムリ(アレルギーとかではなく)。この味苦手」とか、お泊りに来て、出された食事も、「これ、ムリです」と言ってお箸すらつけない子、お箸をつけたけど、残してしまう子、今まで、いろんな子を見てきました。好き嫌いや偏食の多い子は、普段から好きなものしか食べないし、おうちの方も、残されるくらいならと、好きなメニューしか出さないというおうちの子もいました。

でも、そうなると、極端に食べられるものが少なくて、出す方も困ってしまうということもありました。

そして、うちにはよく、旅人が泊りにやってきます。ほとんどの方は、好き嫌いなく、出されたものはおいしいと、何でもよく食べてくれます。好き嫌いがないと、どこへ行っても、何を出されても、困ることがなくていいものだな、と、彼らを見て思います。

最初から、アレルギーがあるとか、マヨネーズが苦手ですとか、お肉は食べないんですとか、伝えてくれると、用意する方も助かります。

でも、嫌いなものがないに越したことはないな、と思うんです。

出されたものをありがたく感謝していただける、そういう子にしていくのが躾なんじゃないかな、って思います。

嫌いなものを食べてもらうには、きっと、みんな苦労していると思います。細かく刻んで、濃い味のものに混ぜてみたり、そこは、研究するしかないかもしれません。

苦手な野菜を畑やプランターなどで育てて、収穫して、調理を手伝わせて、食卓に出す、という、一連の過程を通して、「〇〇ちゃんが一生懸命お水あげて育てたお野菜だから、一口でいいから食べてみよっか?」って、促してみるのもいいかもしれません。「〇〇ちゃんのお世話してくれたお野菜、おいしい~♡」って、ママが喜んでみてもいい。

「〇〇ちゃんの切ったお野菜、おいしいね」って、調理したことをとりあげてもいい。

あの手この手を使って、苦手なものでも、少しづつ食べられるようになるといいですね。

ちなみに、私は、子どものころ、ナスが嫌いでした。でも、「ナス食べると美人になるんだって!」という母の言葉に騙されて(?)食べられるようになりました(笑)。

末っ子も、実はナスが苦手ですが、トマトソースでグラタン風にしたものは、おいしいと言って食べてくれました。どんな調理の仕方なら食べてくれるか、どんな言葉がけで食べてくれるかは、一人一人違うので、試行錯誤が必要ですね。

基本的には、ご飯もおかずも、器に、ちょっぴりだけ、食べきれるような量を盛って、残さず食べられるようにすると、全部食べられた!っていう自信が持てるので、おすすめです。もっと食べたかったらおかわりがある、というぐらいの方が、多い量を泣きながら無理やり食べるよりいいです。

食事は、楽しく、楽しく。

『絶対残しちゃダメ!!』というママの強力なプレッシャーも、食欲を落としてしまうので、できるだけ、楽しい雰囲気で食べたいですね。

食べる環境も、テレビを消して、おもちゃとか、気になるものは子どもの視界に入らないように座る位置を工夫するとか、食事に集中できるようにしてあげるひと工夫も必要です。食事は楽しいと思えたら、もう大丈夫です。

毎日のあいさつは当たり前のように

朝起きたら「おはよう」。

出かけるときは「行ってきます」「いってらっしゃい」

帰ってきたら「ただいま」「おかえり」

ご飯食べるときは「いただきます」食べ終わったら「ごちそうさま」

寝るときは「おやすみなさい」

 

あいさつは、一日の中でたくさん交わされます。まずは、大人から、しっかり挨拶しましょうね。

そして、それぐらい、当たり前にやってるよ、っていう場合でも、

お友達の家に行ったときは「こんにちは」「おじゃまします」。

何か食べ物をもらったら「ありがとうございます」。

っていうのは、なかなかできなかったりする子もいます。

よその家に上がって、靴は脱ぎ散らかして玄関にばらばらになってたり、

ピンポンもせずにいきなり家に上がってくる子も。

家に上がったら上がったで、よその家の冷蔵庫や戸棚を勝手に開ける子も。

家庭でも、きっと「よそのおうちに行ったら、こんにちはって、あいさつするんだよ」

「帰るときは、おもちゃちゃんと片付けておじゃましましたって、言って帰るんだよ」と、伝えていると思いますが、それができるかどうかは別で、やっぱり繰り返しそういう場面を作っていかなきゃならないのかなって思います。

挨拶なしで入ってきた子には、こっちから「こんにちは!」って、顔を見て挨拶するし、「入るときは、おじゃましますって言うんだよ」っていうときもあります。

「のどかわいた~。」って訴えてくる子には、「で?どうしてほしいの?」って聞いて、「そういう時は、お茶(お水)下さいって言ってね」と、お願いします。

玄関の靴がひどいときは、「みんなの靴がばらばらだよ。」って、きちんとそろえておいてあげたり、黙って帰ろうとする子には、「じゃあ、またね。気を付けて帰ってね」と、声をかけると、「さようなら」って、自然に声に出してくれる子も。

毎日の繰り返し。自分の家庭だけじゃなく、よそのおうちに行くと、よそのおうちのルールがあるんだ、って、気づくこともできるので、気になることは、その都度子供に伝えてあげてほしいと思います。

上の子たちが小学生のころ、少林寺を習っていました。少林寺では、『脚下照顧(きゃっかしょうこ)』といって、自分の足元をよくよく見よというおしえがありました。その一番手始めに、玄関では、靴はきちんとそろえて脱ぐように教えられました。

脚下とは自分の足下。自分の足下を顧みるとは「我が身」や「我が心」を振り返れ、自分が今どうゆう立場にいるか、よく見極めて事に当たれと言うことです。

日常生活も修行の一部です。どんなに忙しいときでも、履物をそろえて脱ぐくらい、心のゆとりが欲しいものです。

心にゆとりが出来れば自分自身の姿もよく見えてくるでしょう。自分の履物をそろえることは、そのまま自分の心の整理整頓となります。自分で履物をきちんとそろえて脱げるようになったら、他人の履物の乱れも直してあげるといいですね。

子どもは、身近な大人の姿を見て育ちます。

大人が子どもの前でも平気でごみをポイ捨てするなら、子どもも、当たり前のようにお菓子のごみを捨てるでしょう。

子どもが元気に挨拶しても、無視する大人がいたなら、なんだ、挨拶なんてしなくていいのか、ってなってしまいます。身近な子どもに、挨拶してあげて下さいね。

大人になったとき困らないように

しつけをするのは、子どもがいつか社会に出たときに、困らないように。そういう想いがありるからです。

かつて、ハチャメチャな子だけど、挨拶だけはしっかりしている子がいました。その子が成人した今、周りの大人にずいぶんかわいがられているみたいです。バカな事ばっかりやってたけど、目上の人にはしっかり挨拶できる子でした。それだけで、お前は面白いやつだと、かわいがってもらえる。

私は、お箸の持ち方が下手です。正しく持てません。でも、結婚式や、葬式など、正式な場面で会食するときは、お箸をきちんと持てない自分がとても恥ずかしいんです。小さいうちに直しておけたらよかったな~と思います。

あちこち旅をする息子ですが、好き嫌いがないので、どこへ行っても、なんでも食べられます。これが、食べられないものがいっぱいだと、絶対困るだろうと思うんです。

大人になってから、長年染み付いた癖を治すのは大変です。でも、小さなうちなら、比較的簡単に直すことができる。偏食も、箸の持ち方も、あいさつも。

しつけは、漢字で書くと身を美しくすると書いて『躾』です。

自分の思い通りにするのはしつけではないと思っています。よく、しつけのために体罰してると言いますが、それは、しつけではなく、ただの暴力。

そこのところを、心にとめておいてほしいな~って思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもに罰は必要?


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昨日は、娘の部活の大会でした。結果は、2勝2敗。いいところも、悪いところも、もちろんありましたが、本当に一生懸命頑張っている子どもたちを見るのは、いいものです。ところが、どのスポーツにも当てはまることだと思うのですが、勝たせたい余り、罵声をあびせ、怒鳴り散らし、罰としてダッシュで走らせているコーチがいるチームが、とても気になってしまいました。そのチームの子ども達に笑顔はありませんでした。

普段の生活の中でも、罰を使うこと、ありませんか?「〇〇しないとオニが来るよ!」「〇〇しないとおやつなしだよ」なんて脅し文句を、よく使いませんか?

果たして、子ども達に罰は必要なんでしょうか?ちょっと考えてみたいと思います。

 

罰を与えるのは逆効果?!

 

子どもがしてほしくないことをしたとき、失敗したとき、だいたいの大人は怒りますよね。

「何でそんなことしたの?!」

「~しちゃだめじゃない!」

そんな言葉が口をついて出てきます。そして、同じことを繰り返さないように、時として罰を与えます。

小さなお子さんだったら、

「~したら鬼が来るよ!!」

「~したらおやつなしだからね!」

そんな脅し文句、使ったことありませんか?最近は、鬼アプリというのがあるらしく、悪いことすると、鬼から電話がかかってくるとか、クリスマスシーズンが近くなるとブラックサンタが悪い子のところにはお仕置きしにやってくるとか、昔から、『嘘をついたらエンマさまに舌を抜かれるよ』なんて、よく言われたものです。秋田の『なまはげ』は、「悪い子 いね~が~?!!」って、出刃包丁持ってうちに入ってくるなんて言うのは、地域の風習ではあるけれど、完全に罰ですよね(笑)。

そうやって、罰を与えると、子どもは、確かに、一時は悪い子、困ったことをしなくなります。でも、それって、罰が怖いからやらないだけで、本当に悪いと思ってるわけではありません。ある意味、なんで悪いかわかってないけど、怖いからやらない、みたいな感じです。

罰のよくないところは、

1.罰を与える人に反抗心を持つ。

2.罰だけでは、実際になにをしたらいいかわからない。

3.失敗を恐れて、挑戦しなくなる

4.自尊心が育たない

罰を恐れて、言われるまで何もしなくなる、指示待ち人間を作ることにもつながってきます。

悪いこと、困ること、危ないことをして、怒ることは誰でもあります。

危険があることなら、子どものやったその行動の結果、どんな危険なことが待っているか、あなたが大事だから、こんなに怒っているんだよと、しっかり、その行動の何がいけなかったのか、教えるようなしかり方はありだと思います。むしろ、それは必要だと思います。

でも、命に危険のあること、人を傷つけるようなことでない限りは、それほど怒ることではないのではないかと思っています。

それでも、罰は、百害あって一利なしなんじゃないかと思います。

そういう私も、全く使わなかったかというと、そんなこともなく、節分で怖い鬼が保育園にやってきたのをいいことに、「はやく歯磨きしないと、オニ来るよ!」って、言ったことあります。

子供の通っていた保育園では、かつて、リアルに怖いなまはげのような鬼が来ていたので、その、恐怖たるや、完全に子どもたちの中ではトラウマになっていました。「オニが来る!」って言っただけで恐れおののいて泣き出す子もいましたから。実は、この保育園時代のトラウマ、かなり長い年月我が家では尾を引いて、一人で夜トイレに行けなくなるとか、暗いところや大きな音が苦手になるということもありました。

冒頭の、部活の罰も同じことで、罰を与えたからといって、決して自分で考えて行動する子にはならないんじゃないのかと思うのです。怒られないように、言われたことをただこなすだけで、本当にそのスポーツを楽しいと思ってやっているかどうかはわかりません。

 

本来、スポーツは子どもたちの健全育成のためのもののはず。体を動かす爽快感や、達成感、仲間との連帯感を味わったり、豊かな心や他人に対する思いやりを育んで、心身のストレスの解消に貢献していると定義されています。

でも、実際のところ、毎日のように、

「〇〇をしろ!」

「〇〇はするな!」

「違う!何度言えば、言われた通りに動けるんだ!」

「おまえなんて、やめちまえ!」

なんて、言わる続ける子どもたちは、部活自体がストレスになってる子が少なくありません。

そればかりでなく、過度な練習や、試合が続くことで、怪我が多く、体はボロボロです。骨折、腰の疲労骨折や、半月板の損傷、様々な骨や筋肉の損傷で病院通いしている子がたくさんいます。でも、休むわけにもいかず、ドクターストップがかかるまで、子ども達は走り続けることになります。成長期の子供が、一定のスポーツで、同じ筋肉を酷使することは、決していいことではないと思うのです。

過度な部活動に対する疑問や不満があるものですから、本来の罰の話からはちょっとそれましたが、まだ、お子さんが小さい方は、こういった部活の事情も知ったうえで、今後のお子さんの部活選びを一緒に考えてほしいと思います。

 

 

減点よりもイイトコメガネで加点を

かつて、減点ばかりする先生がいました。トイレの掃除で、拭き方が甘いと、「ここがまだ足りない!10点減点。」黒板の拭き残しがあると、「黒板がまだ汚い!5点減点!」って、とにかくダメ出しして、減点していく先生でした。

子ども達のその先生に対する評判は、ものすごく悪かった。厳しい先生で、とにかく、子ども達が思い通りに動かないと大声で怒鳴るし、廊下に立たせたり、今だと問題になるような行動もありました。

子ども達はというと、陰では先生の悪口ばっかりで、その先生がいるときはかろうじていうことを聞くのだけれど、先生がいないところでは、全くやらないというようなこともよくありました。

一方、子どもが大好きだったK先生は、加点方式。クラスの誰かがいい行いをすると、クラスの掲示に花丸をつけます。例えば、「〇〇クンがごみを拾った」といえば花丸を。「〇〇さんが、給食こぼして困っている〇〇さんを手伝って一緒に床を拭いてあげた」という場面があれば、花丸を、という具合に。花丸が20個(ぐらい?)たまったら、ご褒美で、学活の時間にお楽しみ会をやる、そんな先生でした。その先生の授業参観は、見ていても子供たちが本当に生き生きと発表していて、楽しそうでした。

 

K先生のいいところは、一人一人が、授業態度が良かったとか、宿題を忘れずにやってきたとか、字が丁寧に書けたとか、もちろん、そういうところでもよく褒めてくれたんだけど、それ以上に、前述したように、クラスの誰かのために動いたこととか、教室を自分からキレイにしたとか、そういう、クラスみんなのために、学校のためになるようなことをしたことを大きく褒めてくれるようなところでした。

自分が、誰かの役に立っている、そういうところを褒めて伸ばしてくれた先生でした。

減点方式が、最初は100点で、よくない行いをするたびにマイナスされていくという、どんどん、人を過小評価していくような、悪いところに目を向けたものであるのに対して、

加点方式では、初めは0点でだんだんプラスになっていく。上限はなく、100点にでも、200点にでも何点にでもなる可能性がある。可能性は無限大にあるわけです。

そして何より、悪いところではなく、いいところを見ているということ。だからこそ、子ども達は、もっと自分のいいところを見てほしいから頑張ります。自分はもっとできるんだよ!って、自分に自信を持っていきます。

「他人の短所を見れば憂鬱になり、他人の長所を見れば人生が明るくなる」/D.カーネギー

という名言があります。

「人嫌いを治す簡単な方法は、一つしかない。相手の長所を見つけることだ。長所は必ず見つかるものだ」という言葉も彼の言葉です。

「イイトコメガネ」というACのCMが以前ありましたが、周りの人のいいところを発見できる人でありたいものですね。

減点はエネルギーを奪い、加点は勇気とやる気を与える

これは、学校や部活だけでなく、家庭の中でも、社会に出てからも言えることですが、罰を与えることや、減点方式は、やる気を奪い、可能性を奪うものだということを頭の片隅に入れておいてほしいと思います。

前述したK先生のエピソードで、卒業の時に、自分のなりたい夢を子どもたち一人ひとり書いていましたが、「K先生のような先生になりたいです」という子がいたことが印象的でした。

加点方式は、こんな大人になりたいという、子供に夢を与えることもできるんだと思ったエピソードでした。

加点方式では、可能性は無限大だと前述しましたが、子ども達に、もっとできる、もっとがんばろうという勇気とやる気が芽生えてきます。

何でもかんでも褒めればいいということではありませんが、「こういうところはえらかったね」「こうしてくれてうれしいな。助かったよ。」そんな風に、いいところ一つ一つ口に出して伝えてあげると、自信になります。

どうか、「こういうところがダメ」「また〇〇したの!おやつなし!」って、罰や減点ではなく、イイトコメガネでいいところをみつけて、伝えてあげて下さいね。

罰を与え、減点方式ばかりでいると、思春期になったとき、大きく反発しますからね。

 

 

 

 

 

 

夏休みを子どもたちはどう過ごしたか~遊びつくした夏休み

東北の夏休みは短いもので、22日から小学校が始まりました。長いようであっという間の夏休み。キャンプにプールに博物館、虫取り、カニ釣り、魚のつかみ取り。いろんなことを経験した夏でしたが、今年は後半、長雨続きで外にもあまり出られず、子どもの友達が毎日のように家の中で遊ぶ日が続きました。

そんな子ども達の夏休みの過ごし方を振り返ってみたいと思います。

自然の中でめいいっぱい遊んだ子ども達

NPOみんな地球の子どもじゃんのキッズサマーキャンプで、福島からの子ども達と、一緒にキャンプをしました。シジミ採ったり、魚捕まえたり。

カヌー乗ったり

木登り体験したり

セミの羽化を見たり

カブトムシ捕まえたり

テントで寝たり

ウクレレ弾いたり

 

夏休み中のプレーパークで思いっきり遊んだり。

セミの抜け殻探しに夢中になったり

学校プレパであそんで、

公園のプレパで遊んで

カニ釣りして、

毎日雨でも遊んで

おいらせもりのようちえんでは、雨の中歩いたり、

森で遊んだり

流しそうめんしたり

 

海に行ったり

魚つかみ取りしたり

アゲハの幼虫飼って、羽化してみたらカラスアゲハで驚いたり

カミキリムシつかまえたり、

寒かったから、温水プール行って、

2日間の市でやってる水泳教室に通って泳げる距離が長くなったり、

たま~に、料理を手伝って、

三社大祭行って、

ねぶた跳ねて、

「恐竜の化石が見たい」という息子の言葉に、思い立って、0泊三日の車の旅で東京まで行って、博物館と、ついでに上野動物園に行き、電車で疲れて眠って、

家族と過ごした夏休み。こんな時間も今しかないことです。中学生以上になると、一緒に行動する機会は、ぐっと減りますからね。

ちなみに、夏休み中、長男はバイトして、ドイツに自転車で一人旅。高校生の次男は部活の他は、電車で北海道まで一人旅。中学生の娘は、毎日部活に明け暮れていました。

キャンプにも、一緒に来なくなってしまいました。成長するのはうれしいけれど、ちょっぴり寂しいです。

だからこそ、小学生までの黄金時代を、めいいっぱい楽しみましょう!

 

遊び疲れて寝落ちするほど遊びつくす

こうやって振り返ると、遊んで遊んで遊びつくした夏休み。

毎日のように遊んで遊んで、遊びつくすと、当然のように、寝落ちして、晩御飯も食べないで寝てしまったり、かろうじて晩御飯は食べるけど、歯磨きとお風呂が間に合わずに眠ってしまうこともよくありました。

寝落ちして

寝落ちして、

寝落ちして・・・

何日も歯磨きしないで、お風呂入らない日も。

夏休み後半、しわ寄せで、歯医者通いが続いて、夏休み明けまで歯医者通いが続いていますが・・・。

それでも、こんに遊びつくせる夏休みを過ごせるのは、幸せなことだな~、って思います。

日中、友達が遊びに来ないときは、もう、「9時になったら〇〇クンのおうちに行ってみてもいい?」って、家でじっとなんかしていられません。

遊び友達がいるのって、ありがたいことです。

 

小学生は友達が大事

家族とどこか出かけたり、プレーパーク以外では、毎日毎日お友達と遊んでた息子。

暑いときには水遊びして

遊んで

走って

食べて

ちょっと遠出して、水で生き物探しして

草滑りして。

友達がいれば、何をやっても楽しい。

時には言い争いのけんかになって、でも、すぐに仲直りして、一緒にかくれんぼしたり、別な友達誘いに走ったり。

何人かいると、中で遊びたい子と、外で遊びたい子がいて、

「外で遊ぼうよ!」

「え~、俺今これやってるから行かない」

「せっかく天気よくなったんだから、外で遊ぼうよ!」

「かくれんぼなら、俺、鬼やってもいいよ」

「よし、じゃあ、〇〇クンオニね!20数えて!」

なんてやり取りを毎日のように繰り返し。

きっと子供たちは、友達と遊べさえすれば、夏休み、どこかに連れて行ったりとか、そんなのも必要ないのかもしれないな~って思うくらい、友達と遊べていたらそれだけで楽しいらしい。

プレーパークのいいところは、そこに行けば、遊び仲間がいるってこと。初めての子とだって、すぐに遊べちゃうってこと。いつもの友達にも声かけてプレーパークをやったりもするのだけれど、だれかが遊び相手でいてくれたら、それだけで楽しいんだってこと。

小学生には、友達が必要です。

友達と群れて遊ぶことが必要です。

そのためのプレーパークなのかもしれません。

子どもには、くう、ねる、あそぶが大切だと言いますが、あそぶためには、友達が必要ですからね。