子どもが自然体験するとき、親の関わり方は?

昨日は『おいらせもりのようちえん』での自然体験。Happy Childrenは、自然遊び担当です。

一月は雪遊びの予定でしたが、雪が今年は降らず、雪がないどころか、ちょっぴり温かい冬を体験してもらうことになりました。

一年通して自然を見ていくとき、冬は一見何にも面白いものがなさそうです。虫たちは土の中や木の皮の中に潜り込み、姿を消します。木の葉は落ち、森もなんだかさみしい雰囲気。

でも、子どもと一緒に一歩お散歩に出ると、そこには小さな発見があるものです。

雪のない冬の、お散歩の様子を紹介しながら、子ども達の様子、見守る大人たちの関りをお話ししていきたいと思います。

センス・オブ・ワンダー

「沈黙の春」で有名な、レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』はご存知でしょうか?

最初に、彼女の言葉を紹介します。

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子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。

もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。

この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。

多くの親は、熱心で繊細な子どもの好奇心にふれるたびに、さまざまな生きものたちが住む複雑な自然界について自分がなにも知らないことに気がつき、しばしば、どうしてよいかわからなくなります。そして、

「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、どうしたらできるというのでしょう。わたしは、そこにいる鳥の名前すら知らないのに!」

と嘆きの声をあげるのです。

わたしは、こどもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。

子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。

美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかり身につきます。

消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。

子どもと森を歩く

集合場所には、子ども達には魅惑的な遊具がありますが、まずは、お散歩に出発です。

ここは、遊具の上の方にキャンプ場がある公園です。坂を上ると広いキャンプ場が見えてきました。

木の下を歩いていると、いろんなものが落ちています。

「ここにどんぐりいっぱいあるよ!」

大きい子チームは、早速ドングリを見つけ、どんぐりを拾い集めています。

ちびっこチームは、カラマツの木の下で、カラマツの実を発見!バケツの中に次々拾い集めて、「こんなにあったよ!」って見せてくれます。

こちら、カラマツの実。

子どものペースで、大人ものんびり歩いているうちに、ママが木肌に触れてみます。

「あ、意外と柔らかい。ほら、さわってみて。」

「ここに虫いるんじゃない?」

そんな会話が親子で聞こえてきます。

カラマツの木肌は、松の樹皮のように、厚いコルク質の樹皮が、ごつごつひび割れたように剥がれ落ちやすいのですが、触ってみると、コルクのようで温かみを感じます。そして、冬の間、このはがれやすい樹皮間に潜んでいる虫たちもいます。

子ども達の中から、「お花みたいなの見つけた!」って声が聞こえます。

下の落ち葉や草の中にあったんだそうです。「なんの植物かな?バラのお花みたいだね」「もっとあるかな~?」って、バラのお花のようなこの植物を、みんなで草をかき分け、探します。

そしたら今度は、「カエデの種見つけた!」って声が。

プロペラのようにクルクル回りながら風に運ばれるカエデの種です。

「土の中に半分埋まってたよ」って、教えてくれました。

小さなバケツ一つ手に持つだけで、子ども達は、この中に何か拾い集めたい、そんな欲求が生まれてくるから不思議です。

おもしろいものないかな?このバケツ一杯にしたい。もう、みんな夢中です。

松の木の下に行けば、今度は松ぼっくりが。

杉の木の下に行けば杉の実が。どの木から落ちてきたのかな?でも、子ども達はみんな、下しか見ていませんでしたけど。

大人には、「カラマツの木は、この木ですよ。秋には黄色くなった葉っぱがきれいなんですよ~。実は、かわいい形ですよね」

「杉の実は、ほら、こんな風に、杉の葉っぱにくっついてるんですよ~。たき火の焚き付けにすると杉の葉っぱはよく燃えるんです」

「松ぼっくりは、ほら、松の木があそこにあるから、あそこにあるかも」

なんて、声かけたりしながら、見せていきます。

そして、このちょっとしたくぼみ。ここは、昔の竪穴式住居の跡なんだとか。そばに、説明書きがありました。

この辺で、歩ける大きい子チームは白鳥コースへ。ちびっこさんはこのまま下に下りるコースへと別れます。階段下りるのも楽しいけど、上るのも楽しい。マイペースに、上ったり下りたりしながら、おいっちにと、階段を下りていきます。

下まで降りてみると、何やら湧き水発見。

上は林になってて、川になってるわけでもなく、土の中から出ています。

お水のそばには、落ち葉に水滴がついて凍った氷がたくさん。

ママが、「ほら、見て!おばけみたいな変な形!」って見せたら、『おばけ』が怖かったのか、後ずさりして、いやいやします。

でも、氷流して見せると、氷流して遊び始め、最後はお水遊びに。

そのころ、大きい子チームは森を通って下へ降りていきます。

落ち葉で土がふかふかです。「ふっかふかだね~」って足の下の感触を感じながら歩いていきます。

下りると、池が見えてきました。

カモがいっぱい!いろんな水鳥が集まっています。白鳥は、ずっと向こう・・・。

大きい子チームは、また別の湧水を見つけたようです。

氷をいっぱいお土産に、みんな公園まで戻ってきました。

散歩途中で、白鳥の羽を見つけた女の子。ふわふわできれいだね。

いっぱい歩いてきたので、戻ってきたらみんな、「お腹すいた~!」って。

あっためておいてもらった長いもすいとんを、みんなでいただきます。

ティピーテントの中は温かい。持ってきたおにぎり食べながら、みんなでお話ししながら、すいとんを何度もおかわりする子ども達。いっぱい歩いて、お腹ぺこぺこで食べるご飯は、本当に美味しくって、みんなよく食べます。

お腹が膨れると、それぞれ遊びはじめます。雪遊びで予定していたそり遊びができないので、段ボール滑りをしてみました。

スキーウエアで段ボールは、思ったより良く滑ります。

風を感じる遊びで、風車を作ってみます。

遊んでいた子供たち、いつの間にか裸足になってる子も!一人脱ぐと、みんな脱ぎたくなるようで、この後裸足で水に入る子供たちも。

暖かいとはいえ、6度です。

足が冷たくなって、でも、お日様で石が温かくなっていたらしい。「この石暖かい!」「こっちの石の方が暖かいよ」

そうやって、あちこち歩く子供たちです。

着替えても着替えても、泥んこに向かっていくおチビさん。泥んこに行きたい~!!と、ごんぼほって(いやいやして)います(*^-^*)。さすがに、午前中いっぱい動いて、お腹もいっぱいになって、歩く足取りもフラフラで、もう限界なおチビちゃん。眠いけど、気持ちはまだ遊びたい。

いっぱい遊んで、いっぱい食べたら眠くなる。理想的です(*^-^*)。

大人はインタープリターでいてほしい

インタープリターとは、自然と人をつなぐ役割をする人のことです。大人は、自然と子どもをつなぐ人であってほしいのです。

前述のレイチェルカーソンの言葉に、子ども達には、「わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。」とありましたね。

子どもは、面白いものを発見する天才です。面白いものを見つけたとき、「へえ~!すごいね!」「きれいな形だね」「おもしろいね」って、共感してくれる大人の存在が、子ども達の自然への興味を持続させてくれます。

木の名前、植物の名前を知らなくてもいい。「それ、きれいだね。」「いいものみつけたね。」って言ってくれる大人がいてくれたら、それでいい。

そしてもう一つ、何気なく通り過ぎちゃうところでも、ふと目を自然に向けて、カラマツの木の樹皮に触れたママのように「あ、意外と柔らかい。ほら、さわってみて。」って、子どもが自然に触れるお手伝いをしてあげてほしい。

「見て見て!こんなとこに、こんな氷があるよ。おばけちゃんみたい」って言ってあげられる大人でいてほしい。

目線をちょっと下に落として、子どもの目の高さで世界を見てみてほしい。

子どもと一緒に、自然の面白さ、不思議さ、巧妙さに感心し、感動する存在であってほしい。

子どもが見つけた感動に、ともに感動し、子どもが見逃してしまった面白さ、美しさに気づかせてあげる、そんな存在であってほしい。

下ばかり見てあるく子に、ふと空を見上げて、「見て、面白い形の雲!」って、空に目をむかせてあげたり、「あ、鳥が鳴いてる!きれいな声だね」って鳥の存在に気づかせてあげることもできる。

子どもに気づかされることもあるけれど、大人が気づかせてあげることもまた必要です。

そのために、大人も、自然のなかの面白さを発見できる目を養ってほしいと思います。それは、決して植物や鳥の名前を憶えていることではなく、わからないことがあれば、「おうちに帰ってから、一緒に図鑑で調べてみようか」って、それでいいんだと思います。

わからなければわからなくても、なんか面白いね、なんか不思議だねって共感してあげたらいい。

大人が感じる自然に対する感動や驚きを、子ども達に素直に伝える存在であってほしい。

冬であっても、子どもは、水の冷たさを感じ、おひさまで温まった石の温かさを感じます。森の中の落ち葉の布団のふかふかなのを、足の下で感じます。氷の造形を面白いと思い、水鳥が水の中で寒くないのかと、不思議に思ったり、水のない森から自然に湧きだしている湧き水の不思議さを目の当たりにします。

それらはどれも、自然に興味を持つための一つの入り口で、そこから後に、様々な興味へと広がります。

虫の生態、鳥の生態、土と微生物の世界、日なたと日陰、風の流れ、雲と天気・・・そこから広がる世界はいく通りにも分かれていきます。

子ども時代の些細な事への感動は、それら、様々な世界とつながる入口であり、土台です。

大人が関わることで、子どもの世界は何倍にも広がるのです。

 

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