母から息子への手紙~母の日に思う

母から息子への手紙。自分のやりたいことがあるけど思うようにならなくて、同世代の友達はお金を稼いで、好きな車に乗っている。自分もせめてもの楽しみがないとやっていけないよ。そんなことがきっかけで、親との意見が食い違い、仲たがいした昨日の夜。今日は母の日。気まずい空気の中、出かけた息子へ。口では言えなかった想いをここに残します。

成功したい

男の子ならきっと、誰もが一度は思うことなのかもしれない「成功して、自分の好きなことに使えるお金をたくさん稼ぎたい。」という思い。

かっこいい服着て、かっこいい車に乗って、友達とかっこいい車を乗り回してドライブしたり。若い今だからこそ、自分の好きなことにお金を使いたい。

そういう気持ちもよくわかる。

「自分にはこんなアイディアがあって、いつかは絶対成功できるはず。」

「成功してお金を稼いだら、家族を海外旅行に連れて行ってやりたい」

そんな風に思ってくれるのも、母としてはとてもうれしいこと。

好きなことを仕事にするのが、これからの時代、大事なことだと思うから、自分の好きなこと、やってみたいと思うことはどんどんやってみたらいいと、確かにお母さんは今までも何度も話してきた。

あなたは、確かにそういう道を選んだ。

でも、あなたが思う「好きなことをどんどんやること」と、母が思う「好きなことをどんどんやること」の意味がちょっと違うように思うんだ。

 

やりたいことのために、小さなことでも一歩踏み出しているか?

好きなことをやればいいということは、裏を返せば、やりたくないことはやらなくていいということ。ただ、本当にそれでいいのか?って疑問に思うこともあります。

やりたくないことを我慢してずっとやりなさい、ということではないのだけれど、今、自分の置かれている立場で、本当に精一杯がんばってきたか?って思うんだ。今まで、最後まで必死こいてやりぬいたことはあったか?って。

これから先、車を買う。結婚したら家を買うかもしれない。欲しいものを手に入れるために、手に入れたものを維持していくために多くの人は働いている。自分の時間を使って。自分のやりたかったことをどんどん後回しにしながら。

「今はまだお金もないから、とりあえずお金稼ごう。」「お金がたまったら自分のやりたかったことにチャレンジしよう。」「まとまった時間ができたらやりたかったことをやろう。」そう思っている間に、時間だけがどんどん過ぎていくんだよ。世の多くの人はそのまま一年後、3年後、5年後と、変わらない日々を過ごしてしまうんだよ。

今、やりたかったことのために、自分ができることを小さなことでもいいからやり始めなければ、何にも変わらないんじゃないかと思うんだ。

とりあえずのお金を稼ぐためにあなたの時間はどんどん使われていく。残った時間で何ができる?やりたいことのために、今自分にできることは何かあるか?考えてる?

時間は財産です。限られた時間をどう使うかは、自分次第って言いうよね。

だらだら寝て過ごしていては時間は浪費され、とりあえずお金を稼ぐためにだって、好きじゃない仕事ならそれは時間の浪費でしかない。時間を自分への投資のために使わなければ、そこには何も残らない。

投資と投機

お金の使い道を考えたとき、投資と投機、浪費があります。

自分の欲しい物を買ったり、行きたいところに行ったり、自分の趣味や娯楽のために使うのはただの浪費です。好きなものに囲まれ、ただ自分が満足するだけです。

投機は、チャンスに投資するという意味で、ギャンブルのように、それにかけると、大きなリターンが望めるとか、見返りを求めるもの。そして、投機によって得られた大きなリターンの多くは浪費されてなくなります。

投資は、株式投資でいうと、ある企業を応援し、応援された企業は投資してくれた人の資金を運用して、より大きな果実を投資してくれた人に分配します。同じように、時間やお金を自分の頭にかけること、すなわち、本を読んだり、セミナーに行ったり、講演会に行ったり、自分が成長するために必要なことにお金と時間を使うことは投資です。それは、自分の身となり力となり、自分をスキルアップしてくれるものです。スキルアップした自分の力を、自分のためだけに使えば浪費となり、誰かに役立つために使うなら、それはご縁となり、感謝となり、循環していくようになります。

自分のお金の使い道が、投資なのか、投機なのか、はたまたただの浪費なのか?社会に循環していくものなのかを考えてみるといいと思います。

仕事と労働

私たちは、学校教育を終えるまでに、「豊かになるということ=お金を得ること=幸せ」のように知らず知らずに刷り込まれていきます。豊かになるためにはたくさんお金を稼ぐようにならないといけない。そのためには、少しでもいい高校、いい大学に行って、給料のいい企業に就職するのが成功者で、そうなることが幸せなのだと。

そして、収入(給与)は、労働×時間×単価で決まると刷り込まれます。「時給いくらで何時間働くと一か月の給料は〇〇円になる。一か月いくらだから、何か月働けば、これが買える。」というように計算して、買いたいものを買います。

仕事(work)と労働(labor)は、似ているようでその意味は大きく違います。

労働は、報酬を伴うが、時として苦役を伴う。上司や、外の誰かに命じられて働くことです。そこにやりがいはなく、お金のために働くが、休みが早く来てほしくて仕方ありません。

仕事は、報酬を伴うものと報酬を伴わないものがあって、多くの場合やりがいを感じます。自らの意思で働くことを仕事であると位置づけます。定年後、働かなくてもよくなっても、なお、誰かの役に立ちたいと地域の仕事を買って出るような人は、仕事をしているわけだ。そこにやりがいを感じているから。

人は、給料をもらうためだけに働いてるわけではないはず。そこに、誰かの役に立てるからという気持ちがあるからこそ気持ちよく働けて、そこに生きがいを感じるのです。

労働と仕事、どちらを選ぶかは、あなた自身が決められます。たとえコンビニのバイトでも、そこに自ら来たお客さんの役に立とうという思いを持ったなら、それは仕事になるでしょう。

今日出会ったお客さんをいい気持ちで帰ってもらえるように、笑顔でこのお店を後にすることができるようにしようと心に決めて接客するなら、それは立派な仕事です。

「何をするか」じゃなくて、「何のためにするか」という目的を持ってほしいと思います。

あなたには価値がある

では、どんなことが仕事になりうるか?「何のために?」という目的を持つことが大事だと書きました。

「あなたの持ってるスキルが、誰かの役に立つ」そういうことが仕事と結びついてきます。自分のできることを分かち合うんです。

徳島県神山町の過疎の山里に、東京のIT企業が9社、相次いでサテライトオフィスを開いています。IT関係であれば、ネットさえつながれば、どこでも仕事ができます。

神山町は、『イン神山』というサイトを立ち上げ、古民家の空き家情報を発信しています。村には豊かな自然以外何もない。でも、空き家はたくさんある。田舎でもできる仕事を都会から町に持ってくるのもアリでは?そんな発想で、「石窯で焼くパン屋さんを開業しませんか?」「webデザイナーさんいらっしゃい!」というように、呼びかけていくことで、移住者が増えていったといいます。

そこにしかないものに価値を見出し、アピールして発信していくことで、人を結びつけることができる。今の時代だからこそ、それができる。

自分にあるスキルやアイディアは、だれかにとってはとても必要なものであったりします。

「里山の自然で子どもを遊ばせてみたいけど、どうしたらいいかわからない」

という人がいるから、私たちは「子どもたちを里山で思いっきり遊ばせることができますよ」と、毎年人を募ってキャンプしています。

私たちにとっては森でキャンプするのは当たり前だけど、やったことない人にとっては、何が必要か、何が危険か、森の楽しさを教えてくれる人がいるのは、とても助かること。

自分のできることを、誰かにシェアする、分かち合う。それが、誰かの幸せにつながる。それには情報発信もしていかなければいけない。

自分にはこんなことができますよと、発信する必要がある。

そういう、自分のできることを発信していくコミュニティも、ネット上に登場している時代です。

あなたの力が、誰の役に立つだろうかと、イマジネーション使って発信していったらいいんじゃないのかな。

物を生み出せない人は、物を買うしかない。買うお金がなければ奪うしかない。幸い、あなたには物を生み出す力がある。物を作りだすことができる。それがあなたの強みなのだから、生み出せない人に、提供すればいい。

いつかそれは感謝で循環し始める。

母の願い

今うまくいかなかったとしても、今思い通りにならなかったとしても、あなたがあきらめない限り、前に進む限り、あなたが物を生み出し続ける限り、きっとそれは誰かの役に立つ。

時間もお金も、浪費で終わらせないでほしい。

使うなら、自分に投資してほしい。あなたがスキルアップして、その力を誰かの役に立てるように。自分の力を試したいのであれば挑戦してみたらいい。

でも、自分のためだけの浪費で終わってくれるなと、母は思う。

私はあなたをこの世に生み出しました。いや、あなたが私の体を借りて生れ出ただけなのかもしれない。

でも、この世に生まれ落ちたからには、あなたはあなたの使命を生きてほしい。決して自己満足のために生まれてきたのではないはずだから。

命の期限はいつまでなのか、それはだれにもわからない。

震災があったように、ある日突然終わりが来ることだってある。

あなたはその体を、何のために使うのか?

明日その命が尽きるとしたら、あなたは後悔しないのだろうか?

今、あなたができることを、とにかく一生懸命やってほしい。

母の願いは、あなたが誰かの役に立ってくれること。あなたが、誰かに必要とされる人でいること。それがあなたの幸せになると思っているから。

あなたがあなたの好きなことをやりながら、誰かの役に立ち、ありがとうと言われる人生を送ってくれること。

言葉にするのは得意じゃない。でも、書き残すことなら私にはできる。

この文章が、誰かの役に立つことがあれば、それは私にとってもうれしいこと。

母の日に、母の想いをつづります。

私を生み出してくれた母も、きっと同じ思いであっただろうと思いながら、母に感謝を込めて。

 

 

 

 

 

“母から息子への手紙~母の日に思う” への2件の返信


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    たぬき より:

    お子様への強い愛情が伝わってきます。うちの妻にもぜひ、見習って娘へ手紙を書いてほしいです。たしかに、子供には価値があり、尊厳があり、人間性がありますよね。

    1. たぬきさん、いつもコメントありがとうございます。今年成人する長男。この春、自分のやりたいことをやるんだと学校をやめたばかりでした。一か月たち、自分が考えていたのとは違う現実に戸惑っているようで、それがきっかけで気まずい感じになってしまいました。顔を見たらうまく話せないし、きっと向こうも聞いてくれないだろうと思ったので、いつか見てくれるかもしれないと、ここに書き残しました。たぬきさんも、娘さんが思春期に入って、親の話に耳を傾けなくなったりしたときや、進学や就職というタイミングで手紙を書き残してみるのもいいと思います。顔見て話すと、言わなくていいことまで言ってしまいますから・・・(*^-^*)

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